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Tuesday, October 30, 2007

朝早く起きていますか?

ひとりひとりの魂は、それぞれがたったひとりきりで、朝の太陽と、生まれかわった大地と、偉大なる沈黙と、出会わなくてはならない。

オヒエサ(チャールズ・A・イーストマン)、サンテ・スー

日々の暮らしのなかでわれわれがするべき最も大切なことは、朝に祈ることであると、エルダーたちはみな言っていた。朝には、偉大な力が満ちあふれた特別な時間があるのだからと。それは太陽が地平線から顔を出すその瞬間であると、わたしは確信している。太陽が昇ってくる時間には、地球の上で生きるものみなことごとくが目を覚ます。動物たち、植物たち、鳥たち、そして人間たち、そうしたものはみなのぼりくる太陽の光のなかで祝福を受ける。それこそが1日をはじめる準備を整えるための大変に特別な時間である。この特別な時間のなか、わたしたちは世界を創られた存在に今日という日を祝福してくれるように願う。わたしいたちを導き、守り、日々の障害を乗りきる勇気を与えてくださいと祈る。これを日々とどこおりなくおこなうことで、偉大なる存在がいつも自分と共にあることを、われわれは得心することができる。

先日鎌倉の極楽寺でイベントの会場を提供してくださったイースタン・インディアンのアナン氏は、そのイベントを報告する記事にも記したが、毎朝日の出の2時間前に起きて朝日を迎える準備をするとおっしゃっていた。朝早く起きることは地球に生きる人たちにとっては大切この上ないことであることを忘れないようにしたいものである。ちなみに今日の日の出は、わたしの暮らしているところではほぼ午前6時でした。

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Monday, October 29, 2007

竪穴住居でない掘立柱建物とはどんなものだろう?

宮城県教育委員会が、蔵王町曲竹の鍛冶沢遺跡で、太い柱を用いた縄文時代晩期の掘立柱建物跡と、弥生時代初めの再葬墓(土葬後に骨を掘り出し再び葬る方法)が見つかったと発表した。以下は河北新報の「蔵王鍛冶沢遺跡 縄文期の掘立柱建物跡 宮城県内初」というニュースの部分。

掘立柱建物跡は15棟を確認した。大きさは一辺が3—4メートルの四方形。柱の直径は最大で50センチと太く、柱を埋めた穴が1メートルに達するものも。縄文時代晩期前半から中ごろ(2800—2700年前)のものと推定されるという。

再葬墓と見られる遺構からは、骨が入っていたと見られる3つのつぼと、ふたが1つ見つかった。つぼは高さ35センチ、最大径13センチ。

再葬墓近くの掘立柱建物は、何度か建て直された跡があった。この区域には当時の一般的な住まいである竪穴住居跡はなく、土地利用の在り方を探る上でも貴重という。

県教委文化財保護課の菊地逸夫技術主幹は「掘立柱建物跡からは生活に直接結びつく遺物は発掘されておらず、特別な意味を持つ建物だったと考えられる。共同体を維持するため、建物を造ること自体に意味があった可能性もある」と話した。

遺物も多数出土した。縄文時代後期後半から弥生時代初頭の約1000年間にわたる。赤い顔料(酸化鉄)が、くっきり残るすりつぶし用石皿、南方産の貝を模した石製品、天然アスファルトを接着剤に使い補修した土器などが見つかった。

Source : 蔵王鍛冶沢遺跡 縄文期の掘立柱建物跡 宮城県内初(河北新報 2007年10月26日)

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縄文の大規模集落跡かもしれない遺跡

新潟日報 NIIGATA NIPPO On Lineによれば、発掘調査が進められてきた縄文時代後期の大規模集落の環状遺跡が日本海東北自動車道(日東道)の建設予定地で報道陣に公開された。村上市の長割遺跡と呼ばれる4000年程前の遺跡で巨大な柱跡や出土品から、県埋蔵文化財調査事業団は「県内最大規模の遺跡で、地域の中核的な集落であったことは間違いない」と指摘している。

遺跡は三面川支流、門前川の自然堤防上に位置し、東西約300メートル、南北約200メートルにわたって広がる。縄文時代後期前半(約4000年前)の遺跡としては県内最大規模。中央広場を中心に、住居跡と推測される炉跡が40基以上見つかっており、直径100メートル以上の範囲でドーナツ型に住居が配置されていた環状集落だった可能性が高い。

調査区域の南側では、掘立柱建物の跡とみられる直径1・6メートルもある柱穴が複数発見された。痕跡から直径60センチ以上の巨大な柱が使われていた大型の建物があったと考えられる。

石器や土器なども大量に出土した。遺物の中には、石に穴を開けて首飾りにした大珠(たいしゅ)と呼ばれる装飾品や、平らな石に細かい線で模様が刻まれた線刻礫(せんこくれき)などが見つかっている。大珠は長さ約10センチ。県内の発見例では最大級という。

調査を担当している同事業団の滝沢規朗・主任調査員は「調査中のため、柱穴の配置が明確になっていないが、大きさからすると、これまで県内では例のないような巨大な建物があったのかもしれない。集落の規模も大きく、慎重に調査を進めていきたい」と話していた。

Source : 縄文の大規模集落跡か、村上(新潟日報2007年10月26日)

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今週末武蔵大学の文化祭で話をします

rockart12今週の土曜日、武蔵大学の学園祭である「白雉祭(しらきじさい)」でツリーハウス クリエーターの小林崇さん、今年島根県出雲から青森県六ヶ所村まで「Walk9」として巡礼をおこなった作家の正木高志さんとともに「地球についてのお話会」に出演します。

down‐to‐earth

おとぎ話のような、地球の話。
一緒にいるけど知らない地球。

   さあ、ゆっくり話そう。

開催  3日(土) 14:00 〜

場所  武蔵大学(東京練馬区)1号館正面
    日球ドーム内 特設ブース / 入場無料

* 参加希望者は手続きがあるので以下の詳細ページの「大切なお願い」をお読みください。

詳細 http://shirakijisai.dee.cc/down-to-earth.html

arrow 大学アクセス地図

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Thursday, October 25, 2007

すべて目に見えるものは (詩)

sounds within

すべて目に見えるものは
目に見えない世界に根を生やしている。
姿形は移りゆくけれど、本質はそのまま残る。
息をのむ風景もやがては消えゆき、
美しき世界もいずれは色あせる。
だからそれで意気消沈してはならない。
それらのよってきたる源は永遠であり、
それは成長し、枝を伸ばし、
新たないのちと、新たな喜びとを、産みつづける。
涙でほおを濡らす理由などどこにもない。
他ならぬ源はあなたのなかにあり
世界はことごとくそこより生ずる。

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Wednesday, October 24, 2007

パーフェクトな世界 (詩)

    世界が完ぺきになるのは
    あなたが目をひらいて
    完ぺきな世界なんて
    存在しないのだと
    理解したとき。

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グランドマザー・ムーンがわたしたちに教えてくれること

Two Moon

十三夜の月も過ぎて、まもなく満月。今週の25日から26日にかけての満月は特別な満月です。今年の満月のなかで最も大きく、そして明るく見える満月。月の放つ影響力も最大になります。月が大きく明るく見えるのは幻覚ではないので心配はいりません。ほんとうに大きく、そして明るく輝いているのです。月は地球のまわりを楕円を描いて回っていて、最長と最短ではおよそ5万キロ(48200キロメートル)ほども立ち位置(?)が違ってくる。今夜の満月は、一番近いところまで来てくれる満月。天文台の人に言わせれば、気まぐれな月は2007年で最も近地点に到達し、今年これまでに見てきたどの満月よりも14%大きく、30%明るいのだとか。

ネイティブ・ピープルの教えでは月は「偉大な曾祖母」と呼ばれています。グランドマザー・ムーンには太陽と同じぐらいの敬意が払われてきました。言い伝えではグランマ・ムーンは地球のすべての水に影響を与えているとされます。海の潮の満ち引きがその力の偉大さを語り尽くしているのかもしれません。海に暮らす生きもののほとんどが月の満ち引きにあわせて産卵をしたり子供を産んだりします。その力はすべての地球に生きる女性の生命維持機能を司っているとも言われています。グランマ・ムーンは女性たちの浄化のサイクルにも影響を与え続けます。月が地球の水を司るように、人間の女性たちもまた人間に必要な水を司る存在なのです。新しい生命は常に水によってもたらされるからです。

ネイティブ・ピープルの考え方では、月の巡りは女性に与えられた大切な贈り物とされます。頭と体と心と魂を浄化するときで、グレイトスピリットの力に匹敵するほどの特別な力が与えられるときでもあります。

満月には女性が偉大な曾祖母の月に新しい生きる力を与えるよう求めよという教えを伝える部族もありました。満月の夜には女性がセレモニーを執りおこなうのです。むずかしいものではありません。容器に入れた水をもってひとりになれる場所で地面に座り、グランマ・ムーンにお願いして体内に新しい力を注ぎ込んでもらうのです。そして一緒にもってきた容器の口を開けてそこに月の光をおとしグランマ・ムーンに水を清め祝福してくれるように頼むこと。それがすめば、その水は彼女にとってのメディスン(不思議な力の宿るもの)となるのです。

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Monday, October 22, 2007

人間はみな太陽の子どもたち

sun日の時の輪講座 2007秋 座学——ホクレア 弓の島へ★スピリットの帰還は、穏やかな天気のなか美しい夕日と共につつがなく終了しました。天気を晴らしていただいたことを心より感謝します。ご参集いただいた40名を超えるみなさん、鎌倉極楽寺の広い家と庭を提供してくださったアナンさんご一家、ホクレアについての深い知識を共有していただいた内田正洋氏、ハカを披露し場の空気を整え盛り上げていただくなどした友人たち、会場を作りあげていただいたスタッフのみんなには感謝の言葉もありません。

「カヌーを作ると魂が目覚めます。そして、その魂は故郷を知らなければなりません。カヌーは自分のふるさとを知る必要があるんです。もし、私が鎌倉から旅立ったら、鎌倉だけがカヌーのことを知り、カヌーも鎌倉しか知らずに出発することになります。つまり、カヌーは自分の島を知らぬまま旅をすることになるんです。ですから、カヌーが日本中を廻って触れ合うことが大切なんです。そうすることによって、カヌーに『日本』という島の魂が宿るからなんです。旅はそれからです。このプロジェクトを通して、もしカヌーで沖縄や福岡、北海道を訪れたとき、『僕達もカヌーを作りたい!』と言われたら、私は大喜びで手伝うでしょう。私の望みは日本中を廻ることによって、『カマクラ』と名付けられたこのカヌーが日本のカヌーとしてみんなに認知されることなんです。例えば、ホクレアがハワイのカヌーであるようにね。ここで、みなさんと『カマクラ』という名前の意味を分かち合いたいと思います。ハワイでは『カマ』とは、『子供』。『ク』は『立ち上がる』とか『昇る』。『ラ』は『太陽』という意味があります。つまり、『カマクラ』はハワイでは『CHILD OF A RISING SUN』という意味があるんです。ですから、このプロジェクトには色々な意味があるんです」

タイガー・エスペリ(Tiger Espere)、サーファーでカヌー・ビルダー 1999年

千葉のFMラジオ局Bay FMで毎週日曜日の夜に放送中のネイチャー・プログラム「THE FLINTSTONE」の公式ホームページに掲載されているタイガー・エスペリさんのYEAR 2000 with 田久保雅己さん&内田正洋さんというインタヴューより。

内田正洋さんのホクレアがぼくたちに残していったあらたなそして「日本が過去の痛みから解放され、ひとつの過去を共有し、未来へと進むためのヴィジョン」としての航海カヌー「カマ・ク・ラ号」建造プロジェクトの話を受けて、ぼくは「太陽の子ども」についての話をした。この話をしようとしていたわけではなく、突然その場の空気がぼくにその話をさせたものである。その話を、今日も太陽の光が降り注ぐ良い天気なので、ここでもみんなと共有しておこう。

く日本人は「自分たちは太陽の子どもである」と言う。口に出さないまでも、どこかでそう考えていたりする。なに? 考えたこともないと。いやはや、それならまずそれが問題なのだな。だってそうだろ、なによりも「日本」という言葉が、それを表しているのだから。かつては「倭国」「倭人」と言っていた人たちが、日本列島を自分たちに属するものと認識した時から「太陽が昇る土地」「日の本」として国名をどこからか持ち出してきて、自らを「日本人」と称しはじめた。今では日本国の旗も白い布に赤で印刷された太陽である。

しかし、とここはひとつ大きな声で言いたい。太陽の子どもたちは、ひとり日本人のみに限ったことではない。世界中の少数民族とされる人たちのほとんどが自らを太陽の子どもたちと名乗っている。朝鮮半島の人たちも、台湾島の人たちも、中国大陸も、極東シベリアも、カムチャッカ、アラスカ、北米大陸、南米大陸、ハワイ、ポリネシア、ミクロネシアも、インドも、アフリカも、ほとんどが自分たちを太陽の子どもであるという認識を心の深いところで持っている。

ぼくがそのこと、地球に生きる人間は太陽の子どもであるということ、に気がついたのはアメリカ・インディアンの人たちの文化的な背景を調べていく過程のなかでだった。ラコタの人たちも、赤い丸を太陽の象徴として絵に描いていた。なぜ太陽なのかというと、理由は簡単だ。太陽からは光と暖かさがもたらされるからである。この光と暖かさによってあらゆるいのちは育つからである。

はるかなる古代、まだ地球のどこにも国境線などと言うものが引かれていなかったころ、人びとはみな太陽を敬い畏れながら生きていた。そうした太古の記憶を心の奥深くにもつ現代人は、しかし現代生活によってその事実を忘れるように仕向けられてしまっている。

日本列島においては、自然をではなく人間を神として崇拝するようになって以来ゆっくりと、そして太陽が布に印刷されるようになって広まり始めた明治維新以降決定的に、人びとのあいだからゆっくりと太陽にたいする畏怖が失われていく。

山や、川や、森や、平原や、浜辺や、海を移動し、質素な家を設け、自然のサイクルにあわせて生きていた、真の意味での太陽の子どもたちであるネイティブ・ジャパニーズのなかにだって、つい最近まで太陽を敬い畏れる暮らしを自分たちのものとして、今の世代までその生き方を受け継いできた人びとの一族もある。

ぼくたちはもう一度父なる太陽の子どもとして、母なる地球で生きる方法を学びなおさなくてはならないときにきている。太陽の沈む西を目指したホクレアがわざわざ今はなきタイガー・エスペリのスピリットを顕彰するために、ミクロネシアを経由してはるばるカマクラの七里ヶ浜まで運んできたものは、ひとつのココナツの実と、光りと暖かさであった。ココナツが芽を出して大きく育つまでに、日本列島の眠れる魂に偉大なる目覚めが訪れ、癒しがもたらされんことを、西に沈んでいく太陽と東からのぼってくる太陽に祈るものである。

■ Kama-Ku-Ra カマ・ク・ラ号建造プロジェクト公式ウェブサイト

■ 日本列島を含む太平洋諸地域の航海カヌー文化とその復興運動に関する情報サイト

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Thursday, October 18, 2007

メディスンピープル、伝統派のエルダーたちをすぐそばで見てきて思うこと

ぼくにいえるのは、伝統を守っているほんものの「エルダー」とされる人たちは、どの人も見事なまでに、感動的なまでに素晴らしい人たちだったということだ。これは別に、その人たちの一族に伝承されてきたさまざまな儀式とか治癒の力量の話をしているわけではない。

ぼくの目には、そのひとのあり方、存在の仕方、生き方そのものがはっきりと際立って見えていたのだ。少なくともぼくが知り得たエルダーやメディスン・ピープルは、誰もが、例外なくみな信じられないぐらいに控えめな人たちで、物腰はどこまでも謙虚だった。

その人たちは意図的に注目されるのを避けているようなところがあった。スポットライトが当たっているところにはまず出ていかなかった。出て行くとしたら、どうしてもやらなくてはならないことがある場合に限られていた。伝統に忠実に生きてきた人たちがいかなるかたちであれ、自分の業績を宣伝したり、自分からすすんで自分を売り込むようなまねをする光景は見たことがない。

大昔から伝統を守った一族の指導者は、自分や自分の家族の繁栄を考える前に、他の人たちの幸福や繁栄を考える傾向が強かったという話しも聞かされた。彼らは、話をしている相手の立場に立ち、そこから今なにが起こっているのかを深く理解することができた。そしてほんとうに大切なものはなにかという共通の理解に到達することができた。

彼らは自己をしっかりと律しており、心を穏やかに保つことができ、気配りにたけて、礼儀正しく、相手が誰であれ、たとえそれに値しないような人にさへも、うやうやしく相手を立てて、正直に、そして心をこめて接していた。伝統派のエルダーたちは、みな驚ほど知的であって、世界をより広く見る目をもっていた。そしてその世界を広く見る目で、彼らは自分のとる行動が真に人びとのためになるかどうかをいつだって気にとめていた。

伝統派のエルダーたちは、ぼくたちがひとりの人間としてどちらに向かうのかを常に指し示し、生きる上で大切な目に見えないものを吹き込み、ぼくたちひとりひとりを、各人が本来人間として潜在的にもっている真に善なるものを育てるようにしむけていた。

ぼくがあの記事[あえて「スピリットは売り物ではない」とこのあたりで言っておこう]を書いたのは、彼らが「メディスン」と呼ぶ「不思議な力」を知り、真のエルダーたちや伝統派のリーダーたち、メディスンピープルのことを知っている人は誰でも、その人たちがここまで必死に伝えてきた伝統が、人間の弱みにつけ込む形で個人的な利益のために利用されるのを見るのは、なんともつらいものがあると、考えたからに他ならない。

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Monday, October 15, 2007

神聖的遺產

SACRED LEGACY ™

台湾の台北にある国立台湾博物館で、在台湾アメリカ文化センターの肝いりで現在写真家エドワード・S・カーティスの写真展が開催されている。おそらく極東アジアでは初めての写真展となるものである。期間は今月の21日まで。

"Sacred Legacy: Edward S. Curtis and the North American Indian"
神聖的遺產—愛德華‧寇帝斯美國印地安人影像展
聖なる遺産 エドワード・S・カーティス 北米インディアン写真展

もし台湾に行く人があれば、ぜひご覧になってください。このイベントはその後来年の1月まで台湾各地を巡回する予定だとか。その後日本に来るという話はなさそうだ。下記のリンクから辿られると、影の捉まえ人カーティスの真髄を示す写真を、かなり堪能できます。なんとかダイレクトプリントでゆっくりと見てみたい。漢字で「美國印地安人」が「アメリカン・インディアン」なのね。

arrow2 神聖的遺產(On-Line Exhibit 英文あり)

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アメリカ先住民族のアートの模倣問題とそれに対するトライバル政府レベル、NGO、作家個人での対応に関する研究会開催のお知らせ

今日、アメリカ先住民が制作する各種アートはグローバル市場で売買されています。しかし一方で特定の民族集団に特徴的な制作技法、および特定作家の考案した図案が非アメリカ先住民によって模倣され、それらが「アメリカ先住民製」として販売されることも珍しくありません。本研究会では、まず文化人類学の立場から同問題に対して研究を続けている伊藤敦規氏(東京都立大学院生)がアメリカ先住民アートの模倣品問題の概況説明を行います。次に合衆国各地で模倣品問題に関する消費者教育活動を行っているTony Eriacho, Jr.氏(ニューメキシコ州:ズニ・トライブ)が、1990年に同問題について罰則規定を制定した合衆国連邦法「インディアン美術工芸法1990」を紹介し、現地NGO、およびズニ・トライバル政府としての立場から展望を述べます。そして来日中の4名のアリゾナ州ホピのジュエリー作家達に作家としての立場からジュエリー制作の社会的な意味や日本市場も含めたホピ・ジュエリーの模倣品問題に対する私見を述べていただきます。みなさま、奮ってご参加ください。
立教大学アメリカ研究所主催研究会

arrow2 アメリカ先住民族のアートの模倣問題とそれに対するトライバル政府レベル、NGO、作家個人での対応に関する研究会

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ネイティブ・ピーブルの環境にたいする考え方

mita'kuye oya'sin

「環境はそのなかに暮らす人の心と頭の中身の投影である」ということをかねてからぼくは伝えようとしている。これはいうならばネイティブ・サイエンスの中核にある認識の仕方で、わかりやすい例をあげれば、「あなたの着ているものはあなたを投影し」ているし、「あなたのマインドはあなたの暮らしている部屋と相似象」なわけだし、「あなたの家の中のありさまはあなたの家族の状況を投影している」し、「あなたがその一部の共同体のゴミの状況を見ればその共同体を構成してる人たちの頭と心の状態もわかる」し、「ひとつの国の周辺の自然の汚れ方などを見れば、その国民のマインドの程度が見える」し、「地球のありさまは今の世界の写し鏡」ということでもある。ひいてはこれは「心が汚れている人が作り出すものは必ず公害をまき散らす」(ローリング・サンダー)といった表現ともつながってくる。

もうすこし自然界を広くとらえた表現をすれば「環境とはそのなかに暮らすすべてのいのちあるものの意識の投影である」といったほうがより正確かもしれない。熊や狸やハクビシンや犬やネコといった四つ足の生きものや、羽根をもつ生きもの、地を這う生きもの、物言わぬ木々や草花、石、土、川、山、湖、海、月、星、太陽の考えていることも、当然環境には投影されてくるからだ。自然が撤退をはじめた都市などでは、そこに暮らす人たちの心が環境を支配しはじめる。

当然、どんな色のものを身につけるか、家の中や周囲をどのように飾り付けるか、そういったプロセスのひとつひとつが、環境と自分の関係を常に思い出させるように働いている。

心と環境の関係を考えるのに、覚えていてほしいのがネイティブ・アメリカンのラコタの人たちがしばしば口にする「ミタクェ・オヤシン(Mitakuye oyasin)」という言葉である。この言葉は、ラコタの人たちのみならず、すべての地球に生きるネイティブの人たちの世界の認識の仕方を象徴する言葉と考えることができる。

「ミタクェ・オヤシン(Mitakuye oyasin)」は、ラコタ語辞典的に表記すれば「mita'kuye oya'sin」となり、「mita'(わたしの)」「taku'ye(親戚・つながる)」「oya'sin(すべて)」の3つの言葉から構成されている。「ミィ・タア・クゥ・ヤァ オー・ヤ・シン」と発音される。

もちろん心がこもっていなければただの言葉のひとつだが、心がともなうとそれは死生観や存在の仕方といったおそろしく深い意味を持つようになる。エルダーのなかにはこの言葉はきわめて神聖なために過度に口にすべきものではないという人もいたりするので、声に出して言うときには注意を要する。

ラコタのメディスンマンのレイム・デイアーの語りおろしをぼくが翻訳した際には「わたしにつながるすべてのものたちよ」と日本語化した。「われわれはみなつながっている」と翻訳することもできる。

これはそのまま彼らの伝統的な思考法であり、自然の、環境の、共同体の、国の、世界の、宇宙の受けとめ方でもある。目に見えるものもめに見えないものもすべてが網の目のようにつながりあっていて、わたしたちは意識という触手で相互に影響を与えあっているのである。そしてあなたがなにかをするということは、そのすることによって他のすべてに影響を与えることになる。

さて、今日はゴミを出すついでに、ぼくの暮らしている地区のゴミの集積場をつぶさに見てくるとしよう。そこは見事なまでに共同体の心のありさまを映しだしているにちがいない。

HO!

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Saturday, October 13, 2007

国連の先住民宣言に日本が賛成した裏の理由

newsアイヌが日本の先住民であると結論は下せないと、日本国の新しい首相が今国会で答弁したことを知っていますか?

福田首相:アイヌ「先住民か結論下せぬ」--国連宣言受け答弁 /北海道

国連総会で「先住民の権利に関する宣言」が採択されたことについて、福田康夫首相は3日の衆議院本会議で「アイヌの人々が同宣言に言う先住民族であるかについては結論を下せる状況ではない」と述べ、9月に町村信孝外相(当時)が示した政府見解を踏襲した。

民主党の鳩山由紀夫幹事長の代表質問に答えた。鳩山氏は「北海道洞爺湖サミットが開かれるのに、国連が先住民と認めたアイヌを政府が認めていないことを諸外国にどう説明するのか」とただした。福田首相は「同宣言には先住民を定義づける記述はない」と理由を語った。

道ウタリ協会はアイヌ文化振興法の改正などを求めていく方針だが、福田首相は「アイヌの人々が固有の文化を発展させてきた民族とは認識しており、文化振興などの施策を引き続き推進する」と具体的な言及を避けた。【大谷津統一】

Source: 毎日新聞 2007年10月4日

ここで触れられている9月の政府見解とは、国連が「先住民族宣言」を採択したことで、町村信孝外相(当時)が9月14日の会見で「日本はアイヌが先住民族と結論を出していない。(政府として)結論を出せる状況にない」と発言したことを指す。

つまり先住民族宣言には日本も賛成票を投じるには投じたが、「あくまでも」と外務大臣は説明した。「集団的権利とか財産権について日本の解釈を説明したうえで賛成した」と。日本国は条件付きで賛成したのだと言っているわけね。

わかりやすく言えば、政府はアイヌを先住民だとはまだ認めていないのだから、先住民族宣言でもなんでも認めますよ、というスタンスだったのね。まるで「アイヌが先住民だったらそんなものに賛成はできない」といっている見たいなもの。ここまで日本国政府がアイヌを先住民族と認めない理由について「国際的な先住民の定義が決まっていないこと」や、「国内でも多数の関係省庁から意見が出されている最中であること」を挙げていた。つまり、賛成の反対だったってことじゃないか。どこまで、そしていつまで、日本国政府はこんなことを言い続けるつもりなのだろうか?

next 国連宣言の採択が先住民と世界に与える大きな影響

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Friday, October 12, 2007

写真が公開されたアマゾンに隠れていた汚れなき部族

Photo by Sebastião Salgado

なにはともあれまずは「このページ」をご覧ください。ローリング・ストーン(Rolling Stone)という雑誌がただものではないことをあらためておしえてくれる12枚の写真群が、ギャラリー風に掲載されている。同誌の最新号にはこれら以外の写真も掲載されているという。写真はサバスティアオ・サルガド(Sebastião Salgado)というブラジルの田舎の牧場で育ち、直接その目で原生の熱帯雨林が破壊されていくのを目の当たりにした写真家が撮影したもの。おそらくこれほどまでに文明に汚染されていないアマゾンのネイティブたち(ヤノマミの人たちなど数部族)とその世界がここまで鮮明な写真に撮影されたのは初めてではなかろうか? ローリング・ストーン誌がこれまで8年間の歳月をかけて撮影してきて、ようやく半ばに達した「地球創世プロジェクト(“Genesis” project)」の途中経過を公開したもの。モノクロ写真の力を再確認する意味でも、この機を逃さず、ぜひ透明な目と心でご覧ください。

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Thursday, October 11, 2007

同じ日に、世界中のブログというブログが、いっせいに同じテーマで記事を掲載したとしたら、なにが起こるだろう?

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映画『売り物にされたスピリット』とはこういう映画

昨日の記事「あえて「スピリットは売り物ではない」とこのあたりで言っておこう」のなかでお知らせした『売り物にされたスピリット(Spirits for Sale)』というスエーデンの人たちが制作したドキュメンタリー映画が、先月9月に開催されたサウスダコタ映画祭(South Dakota Filmfestival)で「最優秀国際映画賞」を受賞したと昨夜教えられた。そこでもう少しくわしくこのドキュメンタリーのことを紹介しておく。

映画のシノプシスは、スエーデンを訪れたある「インディアン」から聖なる鷹の羽根をもらい受けたスエーデン人のアニカというひとりの女性が、思い悩んだすえにその鷹の羽根をほんとうの持ち主に返そうとアメリカに渡るという物語。しかしその正当な持ち主とは誰なのだろうか? 彼女はそのほんとうの持ち主を探す過程でインディアンの社会の奥深くに足を踏み入れていく。そこで彼女が見たものは、学んだものは、伝統的な生き方をするエルダーたちの怒りと悲しみだった。そしてその羽根は正当な持ち主の手に返されたのだろうか? チーフ・アーボル・ルッキングホースも登場しているね。

Spirits for Sale
"Spirits for Sale"
Production Company: Levande Bilder
Category: Documentary / Feature
Executive Producer: Folke Johansson
Producers: Folke Johansson
Director: Folke Johansson
Writers: Folke Johansson, Annika Banfield
Runtime: 58 min.
Filming Location: New Mexico,
Texas, South Dakota, Denmark
Cast: Annika Banfield, Al Carroll,
Chief Arvol Looking Horse,
Gayle Ross, Vic Camp,
Mike Chirobokow, Andrew Thomas
Genre: Documentary
Official Website

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Wednesday, October 10, 2007

ブログが行動を起こす日が迫っています

Revised Thursday, October 11, 2007

microphoneBlog Action Day毎年10月15日、つまり今年は来週の月曜日にあたる日が「ブログが行動を起こす日(Blog Action Day)」だってこと知ってますか? 今年のテーマは「環境」です。もしあなたがブログを持っていて、この行動に参加したいなら、10月15日には「どんなかたちであれ自分の好きなように環境に関する記事を書いてブログに掲載して」ください。やることはそれだけ。環境に関する自分が気になっている記事をピックアップし、なぜそれが大切なことなのかを世界に知らせるのです。浜辺や公園の清掃隊を組織するのもいいでしょう。小説を書いているなら、その日は環境をテーマにした小説を書きましょう。たくさんのブロッガーがこれに参加すると、たくさんの人たちの環境にたいする意識がその日は変化するでしょう。できるだけたくさんの意識に影響が与えられるといいと思いませんか?

もしもっと積極的になにかに参加したいなら、ここであなたのブログを登録してください。簡単な英語でサインアップすると世界のさまざまな国の10000近くのブログの仲間となり、7百万人を超える数の読者のひとりになれます。数字は刻々と増えている。つながろう!

arrow2 Blog Action Day

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あえて「スピリットは売り物ではない」とこのあたりで言っておこう

end of trail近は mixi を見るたびに憂鬱になる。mixi がおこなった外装の化粧直しもその理由のひとつなのだが、じつはそれはぼくにとっては大きな問題ではない。もともとそれほど熱心にかかわりを持ってきたわけではないし。

憂鬱の種は、mixi にいくと「アメリカ・インディアン」関係の会議室のトピックのタイトルが目に飛び込んでくるからだ。自分のブログのアクセス解析の過程で、いきなり mixi の会議室に連れて行かれることもあり、そういうときはなるべくそのコミュニティーに参加する手続きをしてきた。今を生きるネイティブ・アメリカンのことを日本の若い世代に伝えようと考えてアメリカより帰国し、本を書いたりしはじめたのが1980年代の初めだったから、それ以後今日までに育ってきた人たちの発言にはそれなりに興味も関心もある。自分が彼らになにを伝えてきたのかを確認する意味でも、その世代の声を聞くことは重要な気がしてきた。ブログをはじめた理由のひとつもそこにある。

20年前に比べたらずいぶんネイティブ・アメリカンに対する関心も高まり知識も増えた。ぼくなんかより特定の部族についての知識を持つ人も今では少なくない。書物も、情報もたくさんある。ある意味で自分が望み夢見たように、関心も高まっているし、情報を受けとめて育ってきた彼らの見方にも大きな変化が見られる。昔からインディアンに対する関心の持ち方にはいくつかのタイプがあった。アウトドアライフやサバイバル・テクニークの延長から興味を持ってくる人、過酷な歴史を生き延びる少数民族として関心を持つ人、彼らが残したシンプルで力強い言葉に惹かれる人、そのプリミティブな社会構造に関心を持つ人、精神性の高さに惹かれる人などなど。

これまでぼくは一貫して「日本列島で日本人をやらされているわれわれがネイティブ・アメリカンになる必要は少しもないこと」を伝えようとしてきた。自分のなかで眠り込まされている「ネイティブ・ピープル」の部分の目を覚まさせるだけでよいのだと。そうすれば「日本人という目に見えない牢獄」から解き放たれて世界のネイティブ・ピープルから学べることはたくさんあるのだと。

最近気になっていることは、そうしたネイティブの人たちについて、現代日本人をやっている若い好奇心旺盛な世代の発言のなかに、「自分は心がインディアンだ」とか「前世がインディアンだった」とかいう言葉が目立ちはじめていることがある。それらはまったく、ぼくが70年代末から80年代にアメリカのヤッピーたちのあいだでよく聞いたようなせりふなのだ。ぼくはその人の前世がなにであるのかにあまり関心を持たない。人間が今の地球に生まれてきたのは、やるべきことをやらされるためであると信じてはいるけれど。そして、いやしかし、こういう、ある意味で偏った、インディアンにたいする過度なあこがれに満ちた発言の多くは、ネイティブ・アメリカンの精神性だけにしか関心を持たない人たちの登場を示している。これは危険な徴候であるようにぼくには思える。

鬱になるのには、そうした精神性にこだわる発言が目立つようになったのにつれて、このところにわかに「ネイティブ・アメリカンの儀式やセレモニーを売り物にする広告」もしくは「来日するネイティブのメディスンマンやシャーマンが個人的なヒーリングをおこなったりカウンセリングをしたりするお知らせ」「〇〇族のエルダーが来日」などという記事が目立つようになってきたことがある。「個人セッション 4万円、メディスン・ヒーリング 5万円」などというものまであった。

ぼくはこれまでもしばしばそうしたイベントに行こうかと思うのだがという相談を受けた。スエットロッジの儀式で数万円というものもあった。いわゆるスビリチュアル・コンベンションに集うようなニューエイジな人たちが、このての話題に群がるのを多く目撃してきた。実際にアメリカにいき、アリゾナのセドナなどでそうした儀式に参加したという人たちとも多くであった。もちろん話題としてどうということなくスルーできるものもたくさんあるのだが、このところ度を超したものも散見するようになってきた。どうしてもここらでひとつ書いておかなくてはならない。それがまた自分には憂鬱なのだ。

イティブ・アメリカン・スピリチュアリティーなるものがアメリカの人びとの口にのぼるようになったのは80年代のことである。「インディアンであること」が70年代の価値転換運動の結果「ひとつの価値」とみなされるようになったために、当時のネイティブのエルダーたちにいわせれば「無知(イノセント)で愚か(フール)」な、瞬時の癒し(インスタント・ヒーリング)を求める白人を相手にした「ネイティブ・ウィズダム・ビジネス」「メディスンマン・ビジネス」「インディアン・ヒーリング・ビジネス」がまんえんしはじめた。プラスティックなメディスンマンたちや、自らを精神的指導者と名のり人びとや追従者を集める人たちが増加するようになると、ぼくが知るかぎり、当時まだ健在だった伝統派インディアンのエルダーたちはそうした傾向、スピリットを売り物にすることに対して警鐘を鳴らし続けた。

たとえば、アメリカ大陸北西部太平洋沿岸の先住民の部族であるテュラリップ・ネーションで、漁業権問題で長いことアメリカ政府と戦い続けたジャネット・マクラウドというエルダーの女性はその当時こういっていた。

imagenamestart_quote白人たちはやって来るとすぐにわたしたちから湖や川や水をとりあげた。そしてつぎは湖や川で穫れる魚たちをとりあげた。さらにその後にはわたしたちの土地の鉱物資源をほしがり、それをとりあげ、わたしたちの自治をとりあげた。最近では宗教をとりあげたがっている。そんなときいきなり、わたしたちのまわりを恥知らずな馬鹿者たちが自分たちはメディスンピープルだなどと口走りながら走りまわりはじめた。この連中はスエット・ロッジの儀式をあなたがたに50ドルで売り渡したりするでしょう。それは正しいことではないだけでなく、反吐が出るほど腹立たしいことでもあるのです。そもそもインディアンは、自分の精神性を誰かに売り渡したりはしないもの。相手が誰であれ、また値段がいくらであれ、そんなことはしません。精神性をお金に替えることは、インディアンの人たちからなにもかも奪い去るという長い泥棒の歴史のひとこまにすぎませんが、しかし泥棒の歴史のなかでも最悪なものですend_quote

こうしたエルダーたちからの抗議や声が高まると、にわか仕立てのメディスンマンやメディスンウーマンは、ターゲットをまずはヨーロッパに定めた。90年代のヨーロッパで最もホットな話題のひとつがネイティブ・アメリカン・スピリチュアリティーであり、ドイツやフランスや北欧の国々にそうしたユダヤ人でありながら書物や映画やセミナーで学んでメディスンマンとなり儀式をお金に替える人たちや、ビジネスマインドを獲得したネイティブ・ピープルのなかからも金儲けに走った人たちや、ただの女好きで女性に貢がせるのを目的とした急場仕込みのネイティブ・シャーマンと名乗る詐欺まがいの連中がなだれ込むことになった。

ヨーロッパではその後20年くらいかかって啓蒙運動が進み、聖なるものを売り買いすることに対してネイティブの人たちの抱えている怒りや悲しみを学ぼうとする人たちも増えつつあると聞いた。そのひとつの成果として、今年の秋『売り物にされたスピリット(Spirits for Sale)』というタイトルのドキュメンタリー映画がスエーデンで公開される。その紹介のコピーには次のように書かれている。

Spirits for Saleヨーロッパにおけるネイティブ・アメリカンやネイティブ・カナディアンに関する情報の多くはしばしばファンタジー(空想)と嘘で満ちあふれています。一般の人たちは、アメリカ大陸先住民のほとんど知らず、知っていることは西部劇映画やスポーツ競技のマスコットなどからつくられたステレオタイプな知識がもとになっています。「インディアンなどもはや存在しない」と信じている人たちですらいたりします。と同時に、ヨーロッパではいわゆる「ネイティブ・アメリカン・スビリチュアリティー」にたいする興味の高まりを見てとることができます。聖なるさまざまなものを用いた儀式やセレモニーがウエブサイトやフリーペーパーなどで値段をつけて売られています。誰もが週末の講座を受ければ「インディアンのシャーマン」や「メディスンピープル」になれるようなことを謳うカルトまがいのものや組織まであります。情報があまりに乏しいために、ほんとうの先住民の人たちの声はほとんど、あるいはまったくといっていいほど伝わっては来ません。そうした売り物にされる儀式のほとんどは平原インディアンと呼ばれる人たちのものであり、詐欺師まがいの人たちは情報がないことをいいことに彼らの精神性をもてあそび相当な額のお金を稼ぎ出しているのです。

arrow2 Spirits for Sale

イティブ・アメリカンの精神性をお金に替えることでおいしい目を見たプラスティック・メディスン・ピープルたちが、ここへきてターゲットを「イノセントで愚かな」中産階級の日本に絞ったのではないかと思われることをしばしば目撃したり耳にしたりするようになったことは、ぼくには見過ごすことができない問題でもある。少なくともぼくが80年代の前半にアメリカで出会い、教えを乞うた、その生涯をメディスンマンとして生き抜いてスピリットの世界に旅立たれた人の誰もが、教えを求めたぼくにお金を払うように求めてきたことはただの一度もない。彼らは、スピリットに値札をつけたとたんに、精神世界は物質世界へと転換し、目に見えないで存在していた世界は崩壊することを知る人たちだった。

日本国は「すべてのものに値札をつける」ことを文字に書かれた歴史がはじまったときから推し進めてきたために、聖なる穀物を捨ててお金としての稲作を選んだその帰結として、今では「一切の聖なるものが失われ」てしまっている。このあたりのことは『ネイティブ・アメリカンとネイティブ・ジャパニーズ』(太田出版)という本に書いたので詳しくはそちらをお読みいただきたい。そうした日本という牢屋のなかで「あらゆるものに値札をつけることに麻痺した人たち」は「ネイティブ・アメリカンの精神性」に対して値段をつけることだっておそらく平気でおこなえるのかもしれない。だが、なんの偶然なのか「まったくお金というものが存在しない世界」の片鱗を半ば強制的に垣間見せられたもののひとりとして、お金の必要ない世界を夢見るもののひとりとして、それでもぼくは「ネイティブ・ピープルのスピリットは売り物ではない」と言わせてもらう。

start_quoteこの世界を創られた存在は今なにが起こっていて、なにが正しいことで、なにがリアルなのかをわかっておられる。そうした「シャーマンたち」はほんとうの自分以外のものになりすまそうとしているのかもしれないが、この連中も、創造主の前ではふりをつづけることなどできない。end_quote
マシュー・キング オグララ・ラコタのエルダー 1980年

インディアンの精神性を売り物にする人たちに尋ねるべき4つの質問

1) いかなる国、部族を、その人物は代表しているか?

2) 氏族(クラン)あるいは結社(ソサエティ)はなにか?

3) 誰の指導のもと、どこで学ばれたか?

4) 現在の住所はどこか?

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Tuesday, October 09, 2007

シベリアの開発ブームでエベンキの人たちの生活が危機的状況に

traditional_evenknews世界でいちばん長い原油のパイプラインの建造工事がはじまったロシアの極東シベリアで、先住民エベンキの人たちの伝統的生活が崩壊の危機に瀕している。

この原油パイプラインは全長4,130キロメートル、奥モンゴルとロシアの国境に近いタイシェットから、バイカル湖の北を通り、中ロ国境のアムール川(黒竜江)沿いに沿海州を突っ切り、ハバロフスクを経由して日本海沿岸のペレボズナヤまで続くもので、2008年末の中ロ国境のまでの、そして2015年までの日本海までの完成を目指して工事が急ピッチで進んでいる。

ロシアはご存じの通りエネルギーバブルで、豊富な石油資源を中国やその他ののどから手が出るぐらい石油がほしい日本をふくむ東アジアの近隣諸国の国々に供給することで大儲けを企んでいる。

この開発の大波をまともに食らいつつあるのが、パイプラインが通過するシベリアの森林地帯タイガでロシア化したとはいえ昔ながらのトナカイを追う生活を続けてきたエベンキの人たち。

エベンキの人たちのなかにも、アメリカ・インディアンの部族と同じような進歩派と伝統派の生き方の対立は当然あって、今回のロシア政府のエネルギー政策のおかげで自分たちの住む地域も経済的に潤うと考える人たちもいないわけではない。しかし突貫工事がはじまったために、その一帯に住んでいた数千頭という数のトナカイたちが追い払われて急速に数を減らし、トナカイの猟だけではエベンキの人たちの生活がなり立たなくなってきているというきつい現実もある。

このニュースを伝えるBBCのウェブサイトはその地で45年近くトナカイ猟で生計を立ててきたマーティノフさんというエベンキの猟師の「トナカイの肉や毛皮ではもう充分な利益を上げられなくなってしまった」という声を掲載している。
pacific_pipeline
もともとこのパイプラインは、バイカル湖のすぐ近く800メートルほどのところを通す予定だったが、環境保護運動の高まりを受けて、プーチン大統領が湖から遠く離れたところを通すように計画変更させたもの。

ロシアの経済とエネルギー政策がエベンキの人たちに与える影響を調査しているロシア少数民族連合の代表理事であるヴィクトール・クズネツコフ氏によれば、2001年以来エベンキの人たちが経済生活の基盤とするイルクーツク地方ではトナカイの数がこれまでに10パーセント減少したという。イルクーツク地理研究所のある報告では、数千ヘクタールのトナカイの狩り場とそこを住処としていた無数のリスや鹿やクロテンを失うエベンキの人たちが受け取るトナカイの損失にたいする代価は、なんと1年にわずか9アメリカドルしかないのだという。

すべてどこかで見たような光景が、ここでもまた繰り返されようとしているのだ。

Source : Siberian boom threatens traditions [BBC News by Tom Esslemont, Monday, 8 October 2007]

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オマハ・インディアンが受け継いできたもの

Omaha Indian Heritage今週から「リンク・オブ・ザ・ウィーク(Link of the Week)」という企画をはじめようと思う。ネイティブ・アメリカンのことを知るときに参考になったり役に立ったりするサイトを週にひとつずつ紹介していくつもりだ。そこでコロンブスの日の今週は、「オマハ・インディアンが受け継いできたもの(Omaha Indian Heritage)」というサイトを紹介する。

「オマハ」というのは「流れに逆らう人びと」という意味だと聞いたことがある。平原インディアンの部族のひとつだが、大平原に南から馬がもたらされた以後も、それ以前の農耕的暮らし方を色濃く残し続けてきた。アースロッジという家の作り方で有名。バッファローの肉と、トウモロコシ、豆、スカッシュなどを合わせて調理をして食べる。19世紀にヨーロッパ人が持ち込んださまざまな病気で多くのいのちが失われ、生き残ったものたちが現在はネブラスカ州の北東にリザベーションを持っている。

「オマハ・インディアンが受け継いできたもの(Omaha Indian Heritage)」はネブラスカ州立大学(UNSM)のトーマス・P・メイヤーズ(Thomas P. Myers)教授が、UNSMが保存している古いライブラリーから写真や図版などを発掘し構成をして公開をしているもの。オマハ一族、あるいはオマハの周辺の平原インディアンにかんする古い資料のeTextはもちろん、1850年以降、19世紀、20世紀前半のオマハの人たちの写真などが豊富に掲載されているので、見ていて飽きることがない。『ブラック・エルクは語る』という本を著して有名になったナイハルト(Neihardt, John G.)が書き残した「 THE FADING OF SHADOW FLOWER(消えゆく影の花)」と「The Last Thunder Song(最後の雷の歌)」というオマハを題材とした物語(英文)も読むことができる。

arrow2 Omaha Indian Heritage

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Monday, October 08, 2007

正しい心の使い方

正しい心の使い方

1)物事をすべて前向きに考える。
2)感謝の心を忘れない。
3)愚痴をこぼさない。

医療ジャーナリストの海老原幸雄さんが熱海に住む古老の医師塩谷信男(しおや のぶお)さんから1998年の11月に聞いたもの

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速報 NAMMY AWARD WINNERS 2007

2007年ネイティブ・アメリカン音楽大賞(NAMMY)決定!

暑かった8月に候補作をお知らせした(Native Heart: Native American Music Award finalistsナミー賞(ネイティブ・アメリカン音楽大賞)が、昨日決定した。2007年の受賞作を以下に掲載する。個