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Thursday, August 09, 2007

今日は世界の先住民の日だから

feather

今日は国連が定めた「世界の先住民の日( International Day of the World's Indigenous People )」でもある。日本列島の先住民で、現在まで生き残っているのはアイヌの人たちだけ。北海道という小さな大陸が日本帝国に完全に組み込まれるのは明治になってからのことだが、アイヌの人たちをあの手この手で征服する試みは、軍事武家政権の時代から巧妙にまたずる賢く進められていた。それではアイヌ以外に日本列島に先住民はいなかったのかという視点から、もう一度「日本列島史の細部」を点検すると、飛鳥・奈良・平安時代とされている朝廷貴族政権のころから、武士による軍事政権が完成していくあたりまで、ほかにも先住民たち、あるいはその末裔とわかる人たちが、本州や九州のそこかしこにいたことがわかってくる。

今日本列島で日本人をやっている人たちの祖先の一部は、もともと「倭人」と呼ばれる船を操る人たちで、九州北部と朝鮮半島の南部等にまたがる海洋国家を作っており、この人たちがのちに「日本」を建国して、文明というさまざまな仮面をかぶりつつ差別を巧みに操ることで周辺に「日本人トリップ」を押し広げていった。そうやって周辺にいたさまざまな先住民たちを征伐征服吸収して日本人化していったわけ。これはちょうど、イギリス人がコアとなってアメリカを建国し北米大陸に「アメリカ人トリップ」を強制したのと同じようなものだ。アメリカ人という人たちがもともと存在しなかったように、日本人と呼ばれる人たちがもともといたわけではないと考えると、話の筋が通る。千年を経てもなお日本人が日本列島のネイティブたり得ない理由もそこにある。

we are one

日本人が日本列島の自然にたいする敬意を回復することはなかった。日本というのは、はっきりと言ってしまえば征服国家であり、さまざまにいた日本列島の先住民たちを絶滅させたり内部に取り込んだりしてミキサーにかけて形作られているからだ。では日本人なるものがもともと存在していなかったとすれば、たまたまここで日本人をやっているぼくたちの「隠されたルーツ」はどこにあり、どこで自分のスピリットを地球とつないでいたのだろうか? ネイティブの根っこを引っこ抜かれることで日本人になったぼくたちが、もう一度地球の声を聞けるようになるためには、自分のなかの奥深いところで精神の監獄に入っている名前を喪失した先住民を、ひとりの地球に生きる人としての自己を解放してやる以外に道はないのかもしれない。ということで今日は世界の先住民の日。あなたのなかの先住民と地球の先住民はひとつ。

next International Day of the World's Indigenous People - UNPFII - United Nations Permanent Forum on Indigenous Issues

追伸 長らくお待たせしましたが当ブログの日本と日本人についての論考に新たな書き下ろしを加えて、もう一度日本列島のネイティブとなる道を探るためのテキスト『ネイティブ・アメリカンと・ネイティブ・ジャパニーズ』太田出版刊行は、ようやく校了となりぼくの手を離れましたので、8月末日、次の満月(ハーベスト・ムーン)を過ぎたころには書店に並びます。定価1449円(本体1380円+税)。

Native America & Native Japanese

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Native Time (Herstory)」カテゴリの記事

Comments

はじめまして。
『虹の戦士』を読みました。新書も楽しみです。
先住民や自分の「ルーツ」について、最近深く考えているところです。
これからたくさん学びます。

Posted by: kaznoco | Saturday, August 11, 2007 at 12:44 AM

はじめまして。といっても一度お話を聴きに行ったことがあります。

その時は専ら「ネイティブvs非ネイティブ」という話で終始した感があり、じゃあそんな話で盛り上がっている僕たちは何なんだろう、更には僕たちをそんな考えに誘う北山耕平という人は自分自身を何と考えているのだろう、という疑問を抱えたまま会場を後にしました。

でも今回のログを読んで安心しました。「地球の先住民」。

僕は今ヨーロッパにいるのですが、こちらでは60〜70年代から恐らく変わらぬ姿のままのヒッピーたちを見かけます。あのヒッピー・ムーブメント(って僕が生まれる前の話ですが)は、彼らにとっては自分たちのネイティビティを探す旅だったのではないかとふんでいます。

ネイティブであるかどうかはともかくとして、それぞれがそれぞれで自然との、地球との関わり方を見出していければいいですね。

Posted by: がんちゃん | Saturday, August 11, 2007 at 05:50 PM

アメリカにいたときには、それでも「日本人」は自然からもののあわれを解し
葉の色の移り変わりや西洋人がうるさいと感じる虫の音にも情緒を感じるような、自然に寄り添って生きる文化の人々ととらえられている感がありました。
奈良時代からの和歌や随筆にも多くの自然が歌われ、そこに
生きることの哲学を読み取る人々もいたようです。
自然や物にも仏性を感じる感性も、海を隔てながらも
ネイティブアメリカンの人々の「すべてはグレイトスピリットの現れ」と
する感覚の近さに驚かされたりもします。
自分たちは自然の一部であり自然と調和して生きていこうと感じている
「日本人」はネイティブの心を持つと言っていいのでしょうか。

Posted by: 白いうさぎ | Sunday, August 12, 2007 at 06:10 PM

白いうさぎさん

とても大きな疑問をありがとうございます。いつかこのことは自分なりに整理しなくてはならないことなのだろうと思いますが、とりあえずメモ程度のことをかいておきます。

ぼくがアメリカに渡った年は、バイセンテニアルでした。建国200年祭の年。1776年の建国から200年目のアメリカです。コロンブスが新世界に到達してからだと484年目でした。それでもぼくは500年なんてつい昨日のこととして話すエルダーたちと数多く出会いました。コロンブスが来たときにはじまった「異なる生き方が激しくぶつかりあう戦争」を戦い続けるほとんど最後の世代とも出会うことができました。同時に、ヴイジョンを喪失してアメリカ人のなかに消えていっているネイティブの人たちもたくさん目撃することにもなりました。この500年間に亀の島でなにがあったのかを教えてくれるものはたくさんあります。ネイティブ・ピープルをネイティブたらしめている「自分が地球に属している」感覚は、それを教え伝える物語の喪失やキリスト教による教化と共に少しずつ、しかし確実に消えていっていました。インディアンのアメリカ人化は、現在もなお進行形で続けられています。

日本列島のネイティブ・ピープルが「日本人」になることを選択したらすぐにネイティブのハートを失ったわけではないと思います。アメリカインディアンのアメリカ人化以上の時間がかかったかもしれません。奈良時代から平安時代が終わるころの状況は、ネイティブのハートが仏教などと入れ違う形で日本人に入れ替わる激しい葛藤と混乱の時期だった可能性を捨てきれません。いっぺんに喪失したのではなく、千年から1500年ぐらいの時間をかけてネイティブのハートは消えたか眠らされたのだと、ぼくは考えています。自然やものに「仏性」を感じることと、すべてのいのちをグレイトスビリットのあらわれと見ることは、同じようでいてあるところで決定的に異なるような気もします。「日本人」がネイティブのハートをかろうじてもっていたのは、建国から千年ぐらいのあいだではなかったでしょうか。

Posted by: Kitayama "Smiling Cloud" Kohei | Sunday, August 12, 2007 at 11:45 PM

北山さん、おはようございます。そして白いうさぎさん、おはようございます。

保育園時代の頃、おれは「大人たちの価値観」(現代社会の価値観)を信頼できないもの、嘘のもの、と感じるようになりました。大人達の言葉は大人達のあいだではとどこおりなく通じているようですが、おれに言わせれば正直を守ろうとすることのない非道いものだったのです。
しかし小学校に入って「教育」を受ける中で、そんなおれの感覚は交流する相手を失ってゆき、おれはおれの中の価値観を知らず知らずのうちに閉じ込めていっていました。
中学の終わりごろ進学について考えていると、この先どう生きていくかを見る必要を感じ、そのとき閉じ込めてあった自分自身の価値観と、外にある価値観(現代文明の価値観)のいづれかを選ばなければいけないことに気がつきました。結局自分の価値観を選んだのですが、それは現代社会からは完全に否定されているもので、この価値観でどのように今後生きていけばいいのかは現代社会の与える「教育」からは全くおしえがありませんでした。
おれにとってのおしえは、アイヌのひとびとの世界観と文化、狼の生き方、そしてインディアンだったのです。図書によってアイヌのひとびとの生活を知ったとき、おれが過ごしたい子供時代はここにあった、と思いました。タシナ・ワンブリさんの声からインディアンのことばを聞いたとき、おなじ世界を観ているひとに初めて逢った、と思いました。

おれが思うに、ネイティブジャパニーズの「異なる生き方がぶつかりあう戦争」は今も続いています。しかしネイティブのおしえを教えるものが居ない(稀少な)今においては、あまりにも幼いときにネイティブの感覚を教化され消されてしまうのです。ですからこの戦争に気づくものはほとんどいない。
でもこれによってネイティブジャパニーズが敗北し消滅したとは思いたくないし、思えない。千五百年以上の時をかけて、弓の島のインディアンの日本人化がいまもなお進行中なのだと思っています。

地球のネイティブに*千年の時間をかけて、ネイティブハートを消滅させる戦争が進行中なのだと思っています。

「歴史」では語られない、もしくは注目されませんが、戦いを続ける意思をもった人物たちは地球上につねにいると思います(アフリカと呼ばれる大陸のことはあまり知らないのでわかりませんが)。

Posted by: 山竒 | Monday, August 13, 2007 at 04:14 AM

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