どうすれば海や浜辺が美しくなるのか?
ぼくは神奈川県の辻堂という所で生まれた。そこは海岸に近い場所で、ぼくは辻堂海岸で産湯に浸かったのだ。:-) ぼくは浜辺がまだゴミであふれていなかった時代のふるさとのビーチを知っているおそらく最後の世代であり、それがきっかけで80年代初頭にサーフマガジンという雑誌で湘南の浜辺をきれいにするキャンペーンを企画したときに言葉の力を信じるものとして参加したことがある。そのときの会議で問題になったのは、ゴミを捨てる人には浜辺のゴミが見えていないのではないかということだった。このときぼくが考えたコピーは「美しい心・美しい浜辺」というものだ。
ぼくは環境というのはそのなかに暮らしている人たちの心の投影だと信じている。浜辺がきれいになるためには、浜辺の近くやそこにやってくる人たちの心がきれいにならなければならない。国土が美しくなるには、その国に暮らす人たちの心が美しくならなくてはならない。環境を見ればそのなかに暮らしている人たちの民の心が見える。日本と日本人と日本列島をそれぞれ別物として分けて考えるようになっているぼくには、だから最近になってなにを考えたか日本の「部族政府」の長が「美しい日本」などとリアリティのないことを言い始めたとき、これはとても問題にされるべきあぶない発言であるように感じた。美しい国家は、美しい心とも、美しい浜辺や、美しい山麓とも、まるで隔絶した臭い考え方ではないのかと。
浜辺をきれいにするためのキャンペーンは、海があるところおそらく世界中で展開されており、その夢が実現するためにはその浜辺を自分のホームと感じる人たちの意識革命が求められている。ここに紹介するのはこの9月15日にカリフォルニアの700個所近い沿岸各地でおこなわれる浜辺をきれいにするための沿岸清掃作戦にむけたカリフォルニア沿岸委員会のキャンペーンのポスター。太平洋の波が洗う浜辺をきれいにするためのキャンペーンは今年で23回目を迎えるもので、1993年には世界最大の海岸清掃作戦としてギネスブックにも掲載された。
「1985年以来見つかったタバコの吸い殻は4,281,104本」というコピーがつけられている。ほんとうにそれだけの数を数えたのかどうかは残念ながら知る術がない。でもこのポスターがなにかを訴える力を持っているように思うのはぼくだけだろうか。
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