「ネイティブ・アメリカンとネイティブ・ジャパニーズ」が発売になり、アマゾンからも購入が可能になりました
当ブログから生まれた書籍「ネイティブ・アメリカンとネイティブ・ジャパニーズ 」が発売されました。われわれは誰なのかと疑問を持ったときにお読みください。
ネイティブ・アメリカンとネイティブ・ジャパニーズ
北山耕平 (著)
単行本・簡易フランス装
価格: ¥ 1,499 (税込)
出版社: 太田出版 (2007/8/30)
当ブログから生まれた書籍「ネイティブ・アメリカンとネイティブ・ジャパニーズ 」が発売されました。われわれは誰なのかと疑問を持ったときにお読みください。
ネイティブ・アメリカンとネイティブ・ジャパニーズ
北山耕平 (著)
単行本・簡易フランス装
価格: ¥ 1,499 (税込)
出版社: 太田出版 (2007/8/30)
8月初旬、ワシントン州のベリンガムという港町で発行されているベリンガムヘラルド紙に「古代から伝わるインディアンのゲームを証明する品」という記事が掲載されていて、気になってスクラップしてあったものを紹介しておく。
アイダホ州北部からカナダのブリティッシュ・コロンビア州南部一帯の広い地域に住む同系統の言語を話すすべての部族をセイリツシュの人びとと呼んでいる。この記事に出てくるルーミーもこのセイリッシュ語を話す人たちの部族の名前のひとつである。
ワシントン州ベリンガムという風光明媚な港町のほど近くにあるルーミー居留地には、14000年前のものと推測されるスレハル(sla-hal)というゲームの駒として使われた13個の骨が飾られている。この、ゲーム用に完ぺきにそろっている骨の遺物は、80年代に近くの遺跡が発掘されたときに出土したたくさんの埋蔵品のひとつだ。
太平洋沿岸北西部の鮭とワタリガラスにたいする信仰を持ち、食べ物の大半は海から来ると信じて、脚がわりにカヌーを巧みに操る諸部族の人たちは、歴史がはじまる前、はるか太古からこのスレハルというゲームに興じてきた。このゲームは今日もなおおこなわれていて、ギャンブル好きな一族の人たちをかなり熱くさせ続けている。
スレハルという「サイコロがわりの骨と箸のような得点棒を使うゲーム」は、独特の歌と精神性とむき出しの競争心と相手の手の内を読むこととが渾然一体となった奥の深い遊びであり、現在の太平洋北西海岸一帯の諸部族と彼らの祖先との絆をしめすものとなっていて、スレハルのスピリットをあらわす踊りも今日まで残されている。
「わたしたちは14000年前の祖先たちとなにひとつかわらずに同じこのゲームをし続けています」同じワシントン州の太平洋沿岸で生き延びてきたスノクワルミ一族の人間で、このゲームの研究を続けているミシェル・ケンプさんは記事のなかで語る。「わたしたち一族のエルダーたちは、このゲームをわたしたちが持ち出すと声をあげて泣くのです。そのぐらい彼らの心の深くにこれがあるのです」
スレハルの起源についての物語が伝えているところによれば、ゲームがはじめられた古い時代には、動物たちと人間たちは食料を巡って激しく闘いあっていて、食料が底をつくようになっていたという。
一計を案じた創造主は人間たちと動物たちにスレハルというゲームをお与えになり、今後はどちらにせよ、このゲームに勝ったものが相手を食べてもよいことにするとお話しになった。
そしてゲームがはじまったが、人間たちは負け続けた。負けに負けて、手持ちの棒が最後の一本になるまで負け続けた。そこで人間たちは創造主に、なんとかしてくれと憐れみを懇願した。
偉大なるスピリットはするとその願いを聞き入れてくださり、人間たちを勝たせるかわりに、人間たちが従うべき4つの法をお与えになった。
4つの法とは、強欲から離れること、情欲から離れること、憎悪から離れること、嫉妬から離れることの4つだった。
「スピリットはわたしたちに、このようにして自分たちがなにものであるのかを見せてくれる大切な教えをくださったのです」とケンプさんは語った。それ以後部族間の戦いや紛争を解決するため、「血を流さない戦争」のために、このスレ−ハルというゲームは時を越えて用いられてきたし、また癒しの儀式においてもこのゲームは用いられてきているのだという。
Source : Artifacts attest to Indian game’s antiquity 14,000-year-old set of 13 bones seen at Lummi
ゲームの詳細と歌については Coast Salish Gambling Music -- Canadian Journal for Traditional Music へ(英語)
「連中が言うには、塀を作っているのは、あまりにも多くのわれわれの同胞たちが 不法に入り込み、彼らの言葉を学ぼうとすらせず、彼らの文化に 同化しようともしないからだということで・・・」 |
*プリマスの岩は、アメリカの礎とされる岩で、かつて清教徒たちボートピープルを乗せたメイフラワー号がここに着岸したとされる。現在のアメリカ政府がおこなっている不法移民の規制をからかったもの。アメリカはもともと不法移民たちの作りあげた国。
3人の男が森のなかで道に迷ったあげく人食い部族に捕らえられた。部族の王様は捕虜たちに、もし試練に耐えることが出来れば、いのちだけは助けてやると申しつけた。試練の第1段階は、食人族の部族のものたちとともに森に入り、なんでもいいから果実を10個持ち帰ることだった。さっそく捕虜となった3人の男たちはそれぞればらばらに森に入っていった。
しばらくして最初の捕虜が戻ってきて、王様に言った。
「りんごを10個持ち帰りました」
それを聞くと王様はおもむろに試練の第2段階を伝えた。その内容はというと、持ち帰ったりんごを全部ケツの穴に詰め込めというものだった。しかもそのときに顔の表情をひとつも変えてはならず、その際に顔が少しゆがんだだけでも、お前は食べられてしまうだろうと。
最初のりんごはなんとか無事におさまったものの、2個目を押し込んでいるときに捕虜は苦痛で顔をゆがめてしまった。捕虜はそのまま殺されて天国に召された。
2番目の捕虜が帰ってきて、王様に10個の果実を差し出した。差し出されたフルーツはイチゴが10粒。王様は最初の捕虜と同じことをこの2番目の捕虜にも求めた。2番目の捕虜は内心してやったりと考えた。小さなイチゴなら10個ぐらい押し込んだところでなんてことはない。ところが、9個目のイチゴを押し込んでいるときに、その捕虜が突然大声で笑い出したのだ。このためにこの捕虜も殺されて天国に召された。
最初の男と2番目の男が天国で顔をあわせた。最初の男がたずねた。
「なんでまた笑ったりしたんだ? あと一個で助かったというのに。少しは我慢というものができなかったのか!」
2番目の男がこたえた。
「わかってるわかってる。でもあれを見たらとてもじゃないが笑わずにはいられなかったのさ。なにしろこっちが真剣に押し込んでいるところに、もうひとりの男がでっかいスイカをいくつも抱えて帰ってきたんだぜ」
「月が空にのぼるのは人びとを監視してあらゆる物事を整えるためであり、万事は月の調整に従う。とくに女性の身体はそのように働いているが、男性もまた同じように影響を受けていて、月の満ち欠けに応じて強くなったり弱くなったりする」——南カリフォルニアに暮らすルイセノ・インディアンの信仰
明日28日の宵、太陽が沈む前後、東の地平線から「欠けた満月」がのぼってくる。時間と共に欠けた月はすべて隠されて、やがて「皆既月蝕」となる。太陽と地球と月がことさらに特別な配置につく。かつてクリストファー・コロンブスは、4回目の航海のときに先住民の不満をコントロールするために、あらかじめ暦を用いてそれが起きることを知っていた皆既月食という現象を巧妙に使ったと言われている。アメリカ・インディアンの部族のなかには、偉大なる祖母である月に起こることは、とりわけ「母なる地球の水」に大きな影響を与えると見ている人たちがいた。月は確実に地球の潮位に影響を与えていて、暦では今日27日から30日までが大潮となっている。また皆既月蝕によって海が太陽と月に引っ張られて「大地が動く」と警告をする人たちもいる。明日の皆既月食の前後4日間は、いずれにせよ心を静かにそのときを過ごすことしか、われわれにできることはない。
ぼくは神奈川県の辻堂という所で生まれた。そこは海岸に近い場所で、ぼくは辻堂海岸で産湯に浸かったのだ。:-) ぼくは浜辺がまだゴミであふれていなかった時代のふるさとのビーチを知っているおそらく最後の世代であり、それがきっかけで80年代初頭にサーフマガジンという雑誌で湘南の浜辺をきれいにするキャンペーンを企画したときに言葉の力を信じるものとして参加したことがある。そのときの会議で問題になったのは、ゴミを捨てる人には浜辺のゴミが見えていないのではないかということだった。このときぼくが考えたコピーは「美しい心・美しい浜辺」というものだ。
ぼくは環境というのはそのなかに暮らしている人たちの心の投影だと信じている。浜辺がきれいになるためには、浜辺の近くやそこにやってくる人たちの心がきれいにならなければならない。国土が美しくなるには、その国に暮らす人たちの心が美しくならなくてはならない。環境を見ればそのなかに暮らしている人たちの民の心が見える。日本と日本人と日本列島をそれぞれ別物として分けて考えるようになっているぼくには、だから最近になってなにを考えたか日本の「部族政府」の長が「美しい日本」などとリアリティのないことを言い始めたとき、これはとても問題にされるべきあぶない発言であるように感じた。美しい国家は、美しい心とも、美しい浜辺や、美しい山麓とも、まるで隔絶した臭い考え方ではないのかと。
浜辺をきれいにするためのキャンペーンは、海があるところおそらく世界中で展開されており、その夢が実現するためにはその浜辺を自分のホームと感じる人たちの意識革命が求められている。ここに紹介するのはこの9月15日にカリフォルニアの700個所近い沿岸各地でおこなわれる浜辺をきれいにするための沿岸清掃作戦にむけたカリフォルニア沿岸委員会のキャンペーンのポスター。太平洋の波が洗う浜辺をきれいにするためのキャンペーンは今年で23回目を迎えるもので、1993年には世界最大の海岸清掃作戦としてギネスブックにも掲載された。
「1985年以来見つかったタバコの吸い殻は4,281,104本」というコピーがつけられている。ほんとうにそれだけの数を数えたのかどうかは残念ながら知る術がない。でもこのポスターがなにかを訴える力を持っているように思うのはぼくだけだろうか。
あなたはいくつ以下の空欄を埋めることができますか?
およそ500年程前、「□□□□」という名のひとりの探検家が、「□□□□」という国から、「□□□□」の岸辺にやってきた。男が目にしたのは美しい大地。豊かな樹木や鉱物、肥沃な土壌。そこには「□□□□」万人ものインディアンたち。「□□□□」もの部族、話される「□□□□」もの言葉。部族間にたまに起こるいさかいをのぞけば、じつに平和な人びと。
インディアンのなかでも自分たちの望みや要求に素直に従う“文明化された人たち”を友好的と呼び、侵略者や強盗たちに抵抗するものたちを敵対的と名づけた。
友好的であれ敵対的であれ、いずれにせよ良いことはなにもなく、希望もなかった。友好的な人たちは「□□□□」といった奇妙な新しい病気にかかって、わけもわからずにばたばたと死んだ。敵対的な人たちは圧倒的な武力であっけなく皆殺しにされた。
500年後、生き残ったのは「□□□□」人ほどで、部族の数では「□□□□」、言葉の数では「□□□□」だけになっていた。
「□□□□」といったさまざまな見せかけをした荒くれ者たちは略奪や強姦をほしいままにした。大地は奪われた。「□□□□」の聖人たちが、「□□□□」の名のもとに不信心な異教徒たちを殺害したことで、人びとのなかから希望が失われることになった。
現代における最大の悲劇のひとつは「□□□□」の「□□□□」である。
こうした大虐殺は国際社会で不評を引き起こすことになった。大きな騒ぎが起こり、土地の一部がインディアンに返還され、安全地帯がもうけられた。
だが「□□□□」政府は、政府機関が本来自分たちが守るべき人たちから土地財産を奪うことを認めたことで、自らの内部崩壊を認めざるを得なかった。
病原菌のつけられた衣類が支給され、またもや人びとのあいだに病気が広まった。「□□□□」や「□□□□」が「□□□□」を散布するのに用いられた。
インディアンを殺害したものには報奨金が支払われた。
これらの残虐行為を推し進めた牧場主や土地の略奪者たちのうちのただの「□□□□」も裁かれることはなかった。
ここまでが質問です。模範解答は「続きを読む」で。
現代の世界で、宗教や神なんてどうでもいいと考えている国民を最も多く抱えている国のトップ50というリストがある。ケンブリッジ大学の研究者であるフィル・ザッカーマンが発表した「同時代的無神論または不可知論者の割合と傾向[Atheism: Contemporary Rates and Patterns]」に出ている。これによると、2004年現在の世界で神さまなんてどうでもいいと思っている罰当たりな(^^;)無神論者、もしくは神などと言うものはおよそ認識することは出来ないものとする不可知論者たちが国民のなかで占める割合の大きい国のトップ10は以下のようになっている。
1. スウェーデン(人口の85%が神を信じない)
2. ベトナム
3. デンマーク
4. ノルウェイ
5. 日本(人口の64%から65%が神などどうでもいい)
6. チェコ共和国
7. フィンランド
8. フランス
9. 韓国
10. エストニア(人口の49%が無神論者)
アジアからはベトナムと日本と韓国が堂々とトップ10入りだ。北欧の国々の人たちは、こぞって神などと言うものをあてにしていないらしいな。おおむねヨーロッパの国々も、不信心者が多い。ここではトップ10しか掲載していないが、トップ50のリストを見ると、さらにいくつか興味深いことがある。
オランダ14位、イギリスが15位、イスラエルが19位で最大37%の人が神を信じてなくて、スイスが23位、台湾が26位、ギリシャ32位、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が33位、イタリア34位、中国が36位、モンゴルが42位、アメリカが最大で無神論者が9%の44位、キューバが49位、クロアチアが50位で、40位以下は人口に占める無神論者の割合が7パーセント以下になっている。
イスラエルよりもアメリカの方が神を信じる人の割合が多いのなんてちょっと驚きではないか。北朝鮮、韓国、日本では北朝鮮がもっとも無神論者が少ないなんて、意外でしょ? 日本には「ほとけほっとけ、神かまうな」という言い伝えがいつのころからか伝えられているが、それだけ無信仰だと考えている人が多いのかな。といっても「アニミズム的」なものはかなり残っているのはなぜなのか? 神でも仏でもないものにたいする信仰があるのか? うーん、考えてしまいます。あなたは神を信じるか? と聞かれるより、あなたはグレイトスピリットの存在を信ずるかと聞かれた方が、ぼくとしてはこたえやすいけどね。
ともあれ世界を眺めるときにこのトップ50の国々のリストはきっとなにかの役に立つので、一度ご覧になることをおすすめします。国民に占める無神論者の数と、その他のさまざまなデータ、自殺率だとかホームレスの数、教育の普及度、国民総生産、医療費の占める割合などを重ね合わせてみると、きっと興味深いのだろう。
Atheism: Contemporary Rates and Patterns
*8月30日現在上記のサイトはリンクが外されているようだ。トップ50のリストは、リストの部分のみを以下にコピーしたものを貼り付けておく。いろいろ細かい分析の部分は割愛した。
ふたりの人間が連れ立って森のなかを歩いていると想像してほしい。ひとりはネイティブ・ピープルで、もうひとりは非ネイティブの人間だ。非ネイティブの人間のことを「ホワイト・マインド」の持ち主といってもいいが、無論その人間が白人であるとは限らない。あるとき、ふたりは遠くの木の枝のなかのあるものを同時に目撃した。
「フクロウだな」ふたりは同時に口を開いた。そのままさらに歩を進めて、ふたりは先ほどフクロウを見た樹に近づいていく。そしてまたしばらくしてふたりは同時に言った。「あれはどう見ても大きな松ぼっくりだ」ふたりは同意した。
そして森のなかの道を歩きながら、ふたりは自分たちの見たものについて議論を交わした。「最初わたしはそれをフクロウだと考えた」非ネイティブの人間が言った。「だが、近づいて見たらそれは大きな松ぼっくりだということがわかった。わたしがそれをフクロウと見誤ったのは、距離が遠く離れすぎていたからなのだ」
非ネイティブの人は自分の見ている対象物はいつも変わらずに対象物としてのリアリティを保ち、本質的なものはなにひとつ変わらないとする前提で話をしている。だから自分が見ていた対象物が別のものに変わってしまったとき、その人間は自分の最初の判断は誤っていたと結論づけたのだった。
これに反して、ネイティブの人間はどのように世界を受けとめているのだろうか? その人間はきっとこう言うにちがいない。「最初遠くから見たときには、それは自分にはフクロウに見えた。だが近づくにつれて、それは姿を松ぼっくりに変えていた。最初は確かにフクロウだったのだが、歩いているうちにそれは大きな松ぼっくりへと変身したのだ」
ネイティブの人間は自分の見ている対象物が普遍的な外観を持つものとは考えていない。対象物のリアリティはいついかなるときにも不変だなどということを前提にはしていないのである。対象物か変化したように見えたのであれば、ネイティブの人間はその本質的なものも当然変化したと見る。
おそらく、この異なる世界観を持つもの同士が意見の一致を見ることはないだろう。話しあえば話しあうほど、気持ちのうえではふたりはどんどん隔たっていく。結局のところ握手をしてハグをして別れるしか道はないのかもしれない。
ネイティブの人は、それがいかなるものであれ自分がヴィジョンを見たことを好むもので、偉大なる存在は相手がどのようにちっぽけなもののなかにさへ自らを顕現させており、自分はそうしたスピリットたちに囲まれているのだという前提を受け入れている。
ところが非ネイティブの人間は、松ぼっくりをフクロウに見間違えとは馬鹿げたことで、こんなことなら眼鏡でも作りかえるしかなかろうと考えるぐらいが関の山なのだな。
「新世界最初の住民は日本人か? New World's first dwellers Japanese?」という記事が、8月16日のジャパン・タイムズ紙に掲載されていた。ロンドンから共同通信が発信したものだ。記事はニューサイエンティスト New Scientist という雑誌の最新号に、南北アメリカ大陸を最初に小さな舟で旅をしたのが日本からやってきた漁民だったのではないかとする、研究の発表がなされるというもの。
これまで「最初のアメリカ人」はおよそ13,500年年前にベーリング氷橋を歩いて渡りアラスカに入ったアジアからの狩猟採集人[ハンター・ギャザラー]たちとされていたが、今回発表された研究はこの説に疑問を投げかけるものになると記事は伝えている。
オレゴン大学で考古学を教え、パレオインディアンと呼ばれる原インディアンの研究、なかでも環太平洋の古代海洋民の研究をしているるジョン・アーランドソン Jon Erlandson 教授は「新大陸に最初に到達したのはおそらく漁民(フィッシャーマン)たちで、海洋中を連続して続いている昆布の林を追いかけて、太平洋岸を日本からアラスカへ、そして南カリフォルニアへと移動してきた」という持論をいくつかの科学的な根拠を元に展開しているという。「その人たちは沿岸に沿って移動し探検をしていたのだろう。昆布ハイウエイみたいなものかもしれない」とサイエンスジャーナル紙にも語っているとある。
この記事を書いたのは日本人の記者であることは間違いない。そうでなければ13,000年前の日本列島に日本人がいたなどとは考えることもないだろうから。問題にされるべきはこうしたメディアの姿勢なのかもしれない。日本人というのは、日本を建国した人たちによって1,300年ぐらい前に考え出されたコンセプトであり、それ以前には日本人などは影も形もなかったのであるから。
もちろんアーランドソン教授の研究自体はきわめて説得力のあるもので、現在のチベットと日本と南北のアメリカ先住民にのみ共通するDNAのタイプの調査研究や、20,000年前の縄文人が丸木船で伊豆の神津島まで黒曜石を黒潮を超えて採集に行く技術を持っていたことなどから、15,000年程前に南北アメリカ大陸の太平洋沿岸に姿をあらわした人たちは、昆布の採集や海の採集をする現代日本人が暮らしている日本と呼ばれている島々から訪れた人たちであったと考えているらしいが、その人たちを短絡的に「日本人」として報道してしまうところが、日本の今のジャーナリズムの限界を露呈している。きっとこれを読んだ現代日本人のなかには、「最初のアメリカ人は日本人だ」と思いこんでいい気持ちになる人がたくさん現れるのだろうな。
ネイティブ・ハートという当ブログを長く読まれてきた方なら、ことはそんなに単純ではないことがわかるはずだ。ネイティブ・ジャパニーズは、日本人のなかに消えているが、その人たちが日本人だったことはただの一度もない。日本語を話していたわけでもない。この人たちは、日本列島もその一部である北太平洋の沿岸地帯をテリトリーとする地球に生きる人たちの一部である。ネイティブ・ジャパニーズは、日本人の血脈のなかに姿を消した・あるいは隠れているのだろう。しかし彼らを日本人にしてしまうことは、アメリカ・インディアンをアメリカ人にするのと同じぐらい陰謀的なことなのである。ぼくはそう考える。
こうした記事を読むときにつねに考えなくてはならないことは、「日本人」とはなにかということだ。無条件に日本人の存在を前提として受け入れてしまうと、自然やすべてのいのちとつながっている大切なものをそっくり失いかねない。ぼくたちのなかには「日本人ではなかった時代の魂」も宿っているのだから。
*以下の文章はワールドフォトプレス社刊の雑誌「トム・ソーヤー」2007年6月号のために書きおろしたものである。同社編集部の許可を得てここに再録する。
五〇年目のオン・ザ・ロード
「・・・世界がリュックサックの放浪者で、ダルマ・バムスで、あふれていると考えてほしい。生産されたものを消費するというよくある要求にこたえることを拒絶し、それがために、冷蔵庫やテレビ機器や自動車、少なくともこぎれいな新車や、ある種のヘアオイルやデオドラント、たいてい一週間後にはゴミの仲間入りをしているよくあるくだらないもの、労働・生産・消費・労働・生産・消費と続くシステムにとりこまれている一切すべてのものを拒絶するという特権のために働かなくてはならないものたちであふれている世界を・・・」
「・・・ぼくは、偉大なリュックサック革命というヴイジョンを見る。何千、いや、何万という数の若きアメリカ人たちが、リュックサックと共に放浪している姿をだ。山の頂に登っては祈りをあげ、子どもたちを笑わせ、年寄りたちを喜ばせ、若き女の子たちを幸せにし、若くないおばさんたちをより幸せにさせていく。みなことごとくがゼン(禅)にのめりこんでいるものたちで、理由もなくいきなりたちあらわれる詩をせっせと書きとめ、そしてまた親切から、それも予想もしない奇妙な行為で、万民とすべての生きとし生けるものたちのために永遠の自由というヴィジョンを与え続けるのさ・・・」
——ジャック・ケルアックの小説『達磨の放浪者[ダルマ・バムス]』のなかで
ジャフィー・ライダーという登場人物が口にする言葉(北山訳)
当時はまだ街にしゃれたアウトドアショップなどはなく、いわゆる山屋やスキー屋が、新しい旅人たちにとって旅の道具[ギア]の供給場所となっていた。ビート世代が夢に見た「リュックサック革命」は、その後七〇年代の「バックパッキング・ムーブメント」に引き継がれ、街にはアウトドアショップが増えていく。
多くの若者たちが、丈夫で長持ちする、そして可能な限り重量を抑えた必要最低限の道具をそろえて、世界を旅しはじめた。インド、南北アメリカ、アフリカ、ヨーロッパ、日本列島の各地でも、バックパックを背負って旅をする新しい世代の姿を多く見かけたものだった。
しかしそうしたバックパッカーの多くが、二〇世紀末になるまでに労働・生産・消費・労働・生産・消費と限りなく続くシステムに結局のところ取り込まれていってしまう。二一世紀にはいった今、バックパッカーの姿を見かけることはまれになり、前世紀から比べると人々の旅のスタイルも劇的に変化した。
リュックサック革命は不発に終わったのだろうか? いや、ぼくはそうは思わない。バックパックに引き継がれたこの革命は、人生そのものを旅ととらえる認識の広まりと共に、今、新しい段階に入ろうとしているようにも思える。
ビート世代がヴィジョンしたリュックサック革命は、当然のことながらアウトドア産業のためのものなどではなかった。彼らはできるだけたくさんの人たちと会い、その人たちを幸せにする必要性を感じていた。できるだけたくさんの人と出会う心豊かな旅して成長していく旅の道具の象徴が、リュックサックだったのだ。リュックサックがバックパックになることが「革命」だったわけではない。
もちろん軽くて丈夫で使いやすい優れた道具があるに越したことはないのだけれど。「旅においては目的地に到着することよりも希望を持って旅することの方が大切だ」という言い伝えがあるではないか。
管理された社会において絶望がはびこり、人生という旅において希望を求める人たちが急増している今、ケルアックの言葉を借りれば、永遠の自由を言葉や詩で伝えて、年寄りや女性や子供たちを幸せにしつつ旅を続ける世代が生まれ出でようとしているように思えてならない。
今年は、ビート世代が道の上に出て、文化のあり方にパラダイムシフトをもたらしてからちょうど五〇年目の節目にあたっている。そろそろ、自分にとってほんとうに大切な、最低限の道具とはなにかを確認するためにも、そして精神的に「さらに成長する」ために、人と人とのつながりを確認するために、信頼がさらなる信頼をはぐくむことを知るために、新しい世代は路上に出てほしい。
ケルアックが半世紀前に書き残した冒頭の言葉は、今もなお、静かに、そして力強く、ほんとうのことを訴え続けている。
地球のどこにでもそれぞれの土地に深く根を生やした伝統的な食べ物がある。そうした伝統的な食べ物のことを「トーテム・フード」と呼んだりする。ある意味ではその土地に独自の食べ物がその土地を規定しているのである。そうした食べ物は単に共同体の儀式や祭りや伝統的な祈りや歌や物語に登場する生活必需品であるだけでなく、その風土に暮らす人たちにとっては栄養的にも重要なものだといえるだろう。
この北アリゾナ大学の持続可能環境研究センターが作成した北米地図をよく読むと、北米大陸は「鮭の国」「ヘラジカの国」「メープルシロップの国」「焼ハマグリの国」「ワイルドライスの国」「バイソンの国」「ピンニョンナッツの国」「アワビの国」「チリペッパーの国」「コーンブレッドとバーベキューの国」「ワニの国」の10色に色分けされている。
仮にこうしたトーテム・フードの地図を日本列島でつくることができるなら、いくつぐらいの色にわかれるのだろう? 「鮭の国」「アワの国」「ヒエの国」「栗の国」「鹿の国」「いもの国」「アワビとサザエの国」「ライスの国」などいろいろ考えられる。もしライス一色に塗られている列島だったなら、それはおそらく持続可能な環境とはほど遠いかもしれない。
ディネの人たちの伝統的な家ホーガン | 現代的に建てられているホーガン |
いつもより早めに仕事を切り上げてナバホの男が帰宅したところ、ホーガンのなかから奇妙な物音が聞こえてくるではないか。急いで家の中に足を踏み入れた男がそこで目にしたものは、ベッドの上で素っ裸のまま、汗まみれで息を切らして、半身を起こしている女房の姿だった。
「いったいなにがあった?」男がたずねると女房が声を張りあげた。「なにのんびりしてるのさ、ちょっとあたいの心臓がおかしいってのに!」
男は自分のトラックのなかに置いたままの携帯をとるためにあわてて表に飛び出した。救急車を呼ぼうとナンバーを押しているとき、4歳になる息子がどこからか出てきて大きな声で言った。
「とうちゃーん! こわいよー! ジミーおじさんが、なんにも着ないで羊の毛皮の下に隠れてるんだよー!」
それを聞いた男はいきなり電話を投げ捨てると脱兎のごとく家の中にとって返した。悲鳴をあげる女房を無視して、いきなり部屋の隅にあった大きな羊の毛皮を引っぱがした。はたせるかなそこには、丸裸で身を小さく丸めたままの自分の弟が隠れるようにしていたのだ。
「この腐りきった弟め!」亭主が怒りをあらわにし大声で言った。「お前ってやつは、おれの女房が心臓麻痺を起こしてるってときに、裸で子どもを怖がらせるなんて、ろくでもねえ野郎だ!」
ジョージ・カトリン( George Catlin, 1796−1872)は、19世紀を代表するアメリカの芸術家・画家のひとりで、1830年代に北米大陸の中西部から西部を5回にわたって旅をし、平原に暮らす先住民の暮らしぶりを数多くの絵にして残した。平原インディアンを絵という形で克明に記録した最初のアーティストであり、そしてアーティストらしい感性でネイティブの人たちの自然と調和した生き方に激しく感銘を受けたことを正直に後世に伝えようとした。当ブログでもこれまで何回か彼の絵を紹介したと思うが、今回は彼が自分の見たりつきあったりした平原の民はこのような人たちだということを覚書として書き残した「ジョージ・カトリンの信条 George Catlin's Creed 」といわれてる文章を翻訳してみた。19世紀のアメリカの大平原の先住民がどのような人たちだったかを、ジョージ・カトリンというひとりのアーティストはこのように見ていたのである。
巻頭の絵は1846年頃のチョクトーの人たちが、現代の「ラクロス」の元となる球技を一族総出で楽しんでいる(争っている)光景を描いたもの。アメリカ国立美術館蔵。今もチョクトーの人たちはラクロスを自分たちのアイデンティティーを保つ球技にしている。
ジョージ・カトリンの信条わたしが愛する人たちは、いつであれわたしの訪れにその最大の歓迎でこたえてくれる人たち。
わたしが愛する人たちは、法律などないのに正直で、監獄も、貧窮院も持たぬ人たち。
わたしが愛する人たちは、牧師の説教を読んだことも聞いたこともないのに、十戒を守る人たち。
わたしが愛する人たちは、罵る言葉をけして使わず、神の御名を意味もなく使うことがない人たち。
わたしが愛する人たちは、自分たちを愛するように隣人を愛する人たち。
わたしが愛する人たちは、神に愛されていることを信ずるがために、聖書などなくても神を崇拝する人たち。
わたしが愛する人たちは、みな一様に同じ宗教であり、宗教的な怨念から完全に解き放たれている人たち。
わたしが愛する人たちは、罰する法律などないにもかかわらず、わたしに向かって只の一度も手を挙げたこともなく、わたしの持ち物を奪いさることもなかった人たち。
わたしが愛する人たちは、神の子であるがゆえに、神によってつくりおかれしその場所にいても、なんら恐れを抱かない人たち。
わたしが愛する人たちは、自らの土地を守るとき以外はけして白人と闘うことのない人たち。
わたしが愛する人たちは、錠前も鍵もなく、あるがままの暮らしを生き、守る人たち。
わたしが愛する人たちは、いつも最善をつくす人たち。そしてわたしがこよなく愛する人たちは、お金への愛に生きることのない人たち。
とあるパウワウの会場でのこと、インディアンのエルダーたち3人が額をつきあわせてなにやら話しあっていた。ひとりはポーニー族のじいさまで、もうひとりはネスパース族、残りのひとりは北部ユート族の老人だった。60歳になるポーニー族のじいさんがこう言っていた。
「60歳は最悪だな。とにかく小便が近くていかん。そのくせに、いざ小便をしようとすると、今度はなにも出てきやがらないときてる」
「なにいっとるんだい、そんなことは悩みにもならんな」70歳になるネスパースのじいさまが口を開いた。「いいか、70になるとな、腹の動きがピタと止まっちまって、下剤を飲んでも、植物繊維のたっぷり入ったものを食べても、便所に1日入って座り込んでいても、通じが悪くてウンともスーともなにも出てこないんだ!」
「おまえたちは甘いなあ」と北部ユテ族のじいさんがそれを受けて続けた。「最悪なのは80歳だ」
「なにかい、あんたも小便が出ないのかね?」
60のじいさんがたずねた。
「うんにゃ。毎朝6時にはちゃんと小便が出る。判で押したようにきっちりと小便は出る。小便に問題はない」
「ということはなんだな、お前さんの悩みも便通だな?」
「うんにゃ。便通は毎朝きまって6時半にある。そんなのも問題に入らん!」
これを聞いて60のじいさんがいらだちを隠せない様子でたずねた。
「毎朝6時に小便がきちんと出てくれて、6時半には大きい方もちゃんと出る。悪くないじゃないか。いったい80歳のどこがそんなに最悪なんだね?」
するとその80のじいさまが応えた。
「毎朝目を覚ますのがな、7時なんだよ」
アメリカ・インディアンが斥候の技に優れていたことはよく知られている。現代でもネイティブの人たちのトラッキング(追跡)の技の優れていることは知らない人はまずいない。動物などの足跡の読み方などスカウトのさまざまな技を教える学校もある。中近東でビン・ラディンの足跡を探索しているのも、ネイティブ・アメリカン出身の軍属トラッカー(追跡者)だ。西部開拓の昔からアメリカ軍は、手なづけたインディアンをスカウトとして使ってきたんだな。これはそんな時代の話である。
未開の西部の外れに位置する陸軍の砦。軍略に長けた老将軍が守りを固めていた。将軍は信頼できるインディアンの斥候を呼び出すと、迫ってきている敵軍の情勢を調べるために送り出すことにした。
「よいか、われわれが対峙することになる敵軍がどんな編成なのかを、なんとしても確かめてこい。30年以上もかけてつちかったお前の技のありったけを使ってな」
「はっ」たよりにされたそのインディアンの斥候の男は、いきなりその場で地面に横になると、耳を大地に押し当てるようにした。
「敵軍はかなりの大きさであります。およそ300ほどの戦士たち、それを率いるチーフは4名、黒毛の雄馬に乗っているのが2名、そして白馬にまたがっているのが2名。全員が戦のためのペイントを施しています。銃はたくさんあるようですし、メディスンマンがひとり同行しています」
「おお、さすが、やるな!」
将軍は感嘆の声をあげた。
「地面に耳をあてただけでそれだけのことがわかるのか!?」
「いいえ」とインディァンの斥候が応えた。「こうすることで砦の門扉の下の隙間から外が見えるのであります」
今日は国連が定めた「世界の先住民の日( International Day of the World's Indigenous People )」でもある。日本列島の先住民で、現在まで生き残っているのはアイヌの人たちだけ。北海道という小さな大陸が日本帝国に完全に組み込まれるのは明治になってからのことだが、アイヌの人たちをあの手この手で征服する試みは、軍事武家政権の時代から巧妙にまたずる賢く進められていた。それではアイヌ以外に日本列島に先住民はいなかったのかという視点から、もう一度「日本列島史の細部」を点検すると、飛鳥・奈良・平安時代とされている朝廷貴族政権のころから、武士による軍事政権が完成していくあたりまで、ほかにも先住民たち、あるいはその末裔とわかる人たちが、本州や九州のそこかしこにいたことがわかってくる。
今日本列島で日本人をやっている人たちの祖先の一部は、もともと「倭人」と呼ばれる船を操る人たちで、九州北部と朝鮮半島の南部等にまたがる海洋国家を作っており、この人たちがのちに「日本」を建国して、文明というさまざまな仮面をかぶりつつ差別を巧みに操ることで周辺に「日本人トリップ」を押し広げていった。そうやって周辺にいたさまざまな先住民たちを征伐征服吸収して日本人化していったわけ。これはちょうど、イギリス人がコアとなってアメリカを建国し北米大陸に「アメリカ人トリップ」を強制したのと同じようなものだ。アメリカ人という人たちがもともと存在しなかったように、日本人と呼ばれる人たちがもともといたわけではないと考えると、話の筋が通る。千年を経てもなお日本人が日本列島のネイティブたり得ない理由もそこにある。
日本人が日本列島の自然にたいする敬意を回復することはなかった。日本というのは、はっきりと言ってしまえば征服国家であり、さまざまにいた日本列島の先住民たちを絶滅させたり内部に取り込んだりしてミキサーにかけて形作られているからだ。では日本人なるものがもともと存在していなかったとすれば、たまたまここで日本人をやっているぼくたちの「隠されたルーツ」はどこにあり、どこで自分のスピリットを地球とつないでいたのだろうか? ネイティブの根っこを引っこ抜かれることで日本人になったぼくたちが、もう一度地球の声を聞けるようになるためには、自分のなかの奥深いところで精神の監獄に入っている名前を喪失した先住民を、ひとりの地球に生きる人としての自己を解放してやる以外に道はないのかもしれない。ということで今日は世界の先住民の日。あなたのなかの先住民と地球の先住民はひとつ。
追伸 長らくお待たせしましたが当ブログの日本と日本人についての論考に新たな書き下ろしを加えて、もう一度日本列島のネイティブとなる道を探るためのテキスト『ネイティブ・アメリカンと・ネイティブ・ジャパニーズ』太田出版刊行は、ようやく校了となりぼくの手を離れましたので、8月末日、次の満月(ハーベスト・ムーン)を過ぎたころには書店に並びます。定価1449円(本体1380円+税)。
ネイティブ・アメリカン音楽大賞 Native American Music Awards はグラミー賞の向こうを張って「ナミー賞(Nammys)」といわれていて、今年は9回目、最終選考発表が10月6日にニューヨーク州のナイアガラ・フォールズにあるセネカ・ナイアガラ・カシノ・アンド・ホテル Seneca Niagara Casino & Hotel で開かれる。今日、そのノミネート作品が発表されたので、以下に貼り付けておくから、ネイティブ・アメリカン・ミュージックに関心がある人は「続きを読む」からご覧ください。ベスト・フルート奏者(ネイティブ・アメリカン・フルート)のジャンルがもうけられているのがひと味違う。ぼくの個人的な好みではジャナ、ダグラス・ブルー・フェザー、ナカイなどがある。今年も発表はネットで中継されると思うので、楽しみだ。今回のノミネートの発表を受けて、アマゾンのショップ・ネイティブ・ハートにも特別ページを設定し、とりあえず日本からアクセス可能なアルバムを紹介してある。こちらもぜひご覧あれかし。
shop NATIVE HEART powered by Amazon - The 2007 Native American Music Awards Nominees
世界に求めるものが、なぜ「あらゆる核の廃絶」ではなくて「核兵器の廃絶」だけなんだろうか?
原子力について忘れてはいけない呪文(改訂版)
- 原子力はクリーンエネルギーじゃない。
- 原子力は安いエネルギーじゃない。
- 原子力は地球温暖化への解答じゃない。
- 原子力は安全なものじゃない。
- ウラニウム採掘には危険がいっぱい。
- 核兵器の投げかけた脅威は終わってない。
- 核廃棄物の問題はずっと未解決のまま。
- 核施設の誘致はその土地を豊かにしない。
われわれ先住民世界ウラニウム・サミットに集いしものは、母なる地球とあらゆるいのちにたいする核の脅威が高まるこの危機的なときにおいて、ウラニウムの採掘と精錬と濃縮、さらには燃料としての使用と、武器としての使用における実験と開発、そして先住民の土地への核廃棄物の投棄を、世界規模で禁止することを要求するものである。
——2006年12月2日の先住民世界ウラニウム・サミット宣言の一部
「最初のアメリカ人」とされている人の科学的な想像図で、2006年の5月にタイム・マガジン(US版)の表紙になりました。ワシントン州ベントン郡のケネウィックという町の近くのコロンビア川の堤で発見された9000年前の人骨から復元された人物の想像図です。記事のなかでひとりの科学者は「この人物はシベリアや北東アジアの人たちとのつながりは見つけられない。どちらかというと、ポリネシア人か、あるいは日本の北部にだけ今も暮らし、歴史以前には東アジアの沿岸部に広く暮らしていたアイヌか、南のアジアの人たちなどとよく似ている」と語っている。もしかしてあなたのまわりにこの人とよく似た人物はいませんか?
先住民として世界ではじめて国家の最高権力者の地位に就いたボリビアのエボ・モラレス大統領(写真)が木曜日、国歌を聴くときにはアンデスのほかの先住民の人たちとの連帯をあらわす意味で、またボリビアの国の長期にわたる貧しさとの闘いを讃えるためにも、これまでのような右の手を心臓の上に当てるだけではなくて、右の手をハートに当てながら同時に左手を握りしめて高く掲げてほしいと、ボリビアの国民に求めた。インターナショナル・ヘラルド・トリビューンのオンライン版がラパス市発のAP通信の記事として8月2日に伝えている。
Morales: Bolivians should raise left fist during anthem for indigenous pride
そのカイオワの男には目に入れても痛くない子どもたちが6人いた。子供を6人ももうけた「偉業」に男は多いに満足していたらしく、あるときから自分の女房のことを、彼女が嫌だというのにもかかわらず、彼は自慢げに公然と「6人の母さん」と呼ぶようになった。
ある晩、2人はパーティに出かけた。やがて夜も更けてきて、自分たちの退け時だと判断した男は、奥方をうながすべく、わざとらしく大声でこう呼びかけた。
「おいそろそろ、おいとましようや、ぼくの小さな6人の母さん!」
場をわきまえぬ思慮を欠いた夫の呼びかけに、彼女は半ば切れて、同じように大声でこう言い返していた。
「ええ、あなたさえよければいつでもよくってよ、4人のお父さん!!」
シッティング・ブルが戦場で戦っている自分を表現したこの自画像をわざわざ描いて残したたのは、リトル・ビッグホーンの戦いの2年前の1874年のことだった。彼はここで自分の姿に重ねて、霊的な自己も描き出している。シッティング・ブルはアメリカ軍の兵士たちが、自分たちを聖なる土地から追い出そうとしたために敗れるというヴイジョンを見たと語っていた。1876年、3000名をくだらないラコタの戦士たちをひきつれて、彼はカスター(将軍)と合衆国陸軍をリトル・ビッグホーンの戦闘で敗北させた。アメリカ合衆国はすぐに報復に転じ、結局シッティング・ブルは彼の一族と共に降伏を余儀なくされる。しかしそれは、この自画像のなかではいまだ起こってはいないことだった。シッティング・ブルは自画像のなかではラコタに伝統的な戦用かぶり物であるウォー・ボンネットを身につけ、ウォー・ペイントをほどこされた馬にうちまたがり、左手には火を噴くライフル、右手には先端に羽根のついた星条旗の旗を握りしめている。なぜ絵のなかでシッティング・ブルが星条旗をもっているのか、この旗は、そして羽根はなにを意味するのかは、今となっては謎である。
この戦における自画像は、ニューヨーク州クーパースタウンにあるフェニモア美術館(The Fenimore Art Museum)で今年いっぱい展示される「神話と現実:大平原におけるアート(Myth & Reality: The Art of the Great Plains)」のなかで公開されている。
【「輸送ルートに当たる住民にも事故やテロの危険をもっと訴えていかねば」と話し合う左からコービン・ハーニー、ジュディ・ツレイチェル、スティーブ・フリッシュマンの各氏。中央後方がヤッカマウンテン(ネバダ州核実験場近郊)】というネームのつけられた中國新聞「核時代・負の遺産」という特別連載記事。この37回におよぶ2005年〜2006年にわたる特集は、全部が読む価値のある優れたドキュメントである。以下の引用はそこで見つけた彼の言葉である。 |
ネバダ核実験場も、その一部のヤッカマウンテンも、もともとアメリカ政府が認めたわれわれの土地。すでに核実験で一部の地下水はプルトニウムで汚染されている。高レベル放射性廃棄物の持ち込みで、これ以上われわれの神聖な大地を汚染することは許せない
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大統領になったら、わたしはアメリカの向かう方向をことごとくシフトさせるつもりでいる。われわれは好戦的になっている地球と温暖化する地球とをつないでいるものを見る必要がある。それは石油だ。「持続可能性(サステイナビリティ)」は平和へ続く道である。今回の大統領選で「平和」を代表している候補者はわたしひとりしかいない。平和というのは、自然と調和がとれているということを意味する。自然と調和がとれていれば、自然をむさぼることはないだろう。大地を破壊し、地球のなかから石油や石炭を取り出したりすることもない。
たとえばもし、何百万という家庭がある日突然自分たちには電気は不要だと気づいて、いろんなもののスイッチを入れなくなったらどうなるかについて想像してほしい。必要なだけの水を使い、水道の蛇口を開けたままにするような不必要な水を使わなくなったときのことを。
原子力は段階的に廃止されることになる。原子力は、原子力発電所だの廃棄物を永遠に処理するための施設など、目に見えないところにかかるコストがおそろしく巨額になる。経済的にも、環境的にも、それは持続可能なものではない。
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