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Monday, July 23, 2007

そして皆、スピリットの世界へと旅立たれた

eaglefthr.gifグランドファーザーのデイビツド・マニャンギ(ホピ)、クランマザーのスポッテッド・フォーン(ウェスターン・ショショーニ)、インター・トライバルなメディスンマンであるジョン・ポウプ・ローリング・サンダー(チェロキー)、ジョン・ファイアーとその息子のアーチー・ファイアーというふたりのメディスンマンのレイム・ディアー(ラコタ)、そして先日スピリットの世界に旅立たれた精神的指導者でメディスンマンのコービン・ハーネィ(ウェスターン・ショショーニ)。70年代から今日までぼくがなんらかのかたちで教えを請うたネイティブ・アメリカンの偉大なエルダーたちが、これでとうとう全員が帰らぬ人となってしまった。

Rolling Thunder Lives三十数年という時の流れを感じざるを得ない。これらの人たちをつないでいた目に見えないものは、アメリカ・インディアンのなかでも特殊なメディスンマンと呼ばれる職能の人たちのネットワークであった。ぼくにとってこれらの人たちの存在はすべてがローリング・サンダーその人(図版)を基点としてつながりあっている。デイビツド・マニャンギ翁はローリング・サンダーの無二の親友であったし、スポッテッド・フォーンはローリング・サンダーの奥方であると同時にぼくの背中を押してくれた恩人であるし、レイム・ディアー親子とはメディスンマンのネットワークとアメリカ・インディアンの権利回復と精神復興の運動を通じて、コービン・ハーネィとはヴイジョンを共にしてコロンブス到来ではじまった長い戦争を戦い続ける同志としてのつながりでかたくむすびつけられていた。コービンはローリング・サンダーとスポッテッド・フォーンのふたりの息子夫婦であるマーラとスカイがオレゴンで立ちあげたネイティブの教えを世界に広げていく新しい動きの後見人でもあった。

それらの人たちに共通していたのは、「前の世界」と「今の世界」のふたつの世界をきわめて巧みに往き来しつつ生きる技を習得して、前の世界から伝えられたソフトでリズミカルな言語と、ハイで詩的な英語とを巧みに操ることで人びとを教育し、そのふたつの世界の橋渡しをし続けたところにある。

Rolling Thunderぼくにとっては彼らと共にあることがそのまま希望だった。彼らと一緒にいて、共に第二外国語である英語で話していると、自分たちはアメリカのなかにあった別の国にいるのだと言うことが痛いほど確認できた。この人たちはアメリカという国のなかで生活をしていたにもかかわらず、アメリカの国が人びとに押しつける法律のもとではなく、グレイト・スピリットの法とでも言うべきものに従い、耳を傾け、正直に1日1日を生き、生涯を終えた。彼らが従っていたグレイト・スビリットの法については、もともとが口から耳へと伝えられてきたものであるがゆえに、ひとつの形あるものとして残されたものは少ない。

ぼくが教えを請うたエルダーたちの全員が旅立たれた今、もう一度初心にかえって、彼らが伝えようとした偉大な精霊の法について、ぼくはこの夏さまざまな機会に考え直してみるつもりでいる。

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Comments

こんにちは。

グレイト・スピリットの法、偉大な精霊の法、これから離れてしまっていることが、ひとびとが地球のバランスを崩している源だと感じます。かつてこの弓の島のひとびとも、この法にのっとって誇り高く生をおくっていましたのに。
たましいの法、大地との約束。これをオキテと、この島のひとは云ったのでしょうね。岩のように置きてあるもの。
英語辞典で「law」の語源を説明している文で、もともとあの島の先住民(ウェールズだったかアイルランドだったか忘れてしまったのですが)のことばで「置いてあるもの」という意味だった、とあり、地球の民の兄弟の息に、感慨深く思いました。

人間の造り出した法に囚われずに大地の約束を果たしていきたいと思います。

Posted by: 大口のま | Wednesday, July 25, 2007 09:43 PM

こんばんは。
記事を読みました。

今の時代これからの時代に一番必要とされるだろう、大切な多くの事を知っていらっしゃる偉大な長老の方々が皆次の世界へと旅立たれたこと、本来インディアンの社会では悲しいだけのことでないとは分かっていても、本当に残念です。日本文化での挨拶をするとすれば、心からお悔やみを申し上げたいと言う心境です。残念で仕方がありません。私たちは有機体でできていて変化していくもの、それも自然の法則なのでしょうが・・・。
住む国が違い、文化も違い、どんな方々だったのかは知る機会もなく今まで生きて来ましたが、真実を知っている知恵ある大切な方々を私たちは失ったのだという事は、私にもよく分かります。

「ぼくにとっては彼らと共にあることがそのまま希望だった。」

北山さんのお気持ちは、そのまま、私たち地球に生きたいと願う多くの人達の想いでもあるように思いました。

失って初めて大切なものを知るのが(私も含め)人間なのでしょうか?
私たちは、少しでも早くに地球のために、また旅立たれた長老の方々の思いを継ぐために、できることから行動に移し実践して、考えていかなければならないと強く思います。
未熟でほとんど無知無力な私ですが、小さな、できることから実践していきたい。地球を守り育てて、生きてゆきたいです。

私の知っている諺から2つ、
「死は存在しない。生きる世界が変わるだけだ(ドゥワミッシュ)」
「死により私は生まれかわる(ホピ)」
失うのではなく、私たちが大切な人を思うのなら、いつまでも心に生き続けるのだと教えてくれました。

私たちには彼らの知恵が必要です。

Posted by: Rin* | Wednesday, July 25, 2007 10:11 PM

北山 さま

月もまた満ちてきて、太陽もほぼ真上を通過します。
お元気でいらっしゃいますでしょうか。

昨夜テレビをつけると、ちょうど
『わが心の旅』という番組をBS11でやっていました。
再放送だったのですが、先日お亡くなりになった
心理学者の河合隼雄さんがナバホ族のフルートの音を求めて
アリゾナの「ナバホの国」を旅するという内容でした。

その中でメディスンマンと呼ばれる人々の紹介があり、
何人かのメディスンマンの写真が映されたのですが、
その1番目の方の写真と目が合った瞬間に、「あ、(若き日の)
ローリングサンダー!」と思ってしまったのですが
数秒でしたしよくわかりませんでした。

ナバホのアルコール依存症のリハビリセンターでは
メディスンマンによる砂絵やスウェットロッジによる
ヒーリングも西洋医学治療とともに行われていて、
なんと、リハビリ後の再発率が全国平均の4分の1以下だそうなんです!!
すごいですね!
実際のヒーリング全体は映していませんでしたが
祈りのさわりだけでもそれはなんとも優しいおだやかなもので、
祈りをあげているメディスンマンのお人柄と同じように思われました。

インディアンブレッドを外のかまどで焼くお母さん、
母音の多いリズミカルなナバホ語で昔話をするおばあちゃん、
聖なる山とフルートの音を合わせる男の人、
河合さんを歓迎するダンスを踊る幼い子のなんともかわいい笑顔。
その影で失業率60パーセントの現実。

幸せとはなんなのか、とふと思いました。
アリゾナの平原を大好きな人たちを馬で風を斬って走る瞬間、
それは幸せなんじゃないかなあ、と映像は伝えていたように思います。


河合さんを歓迎するダンスをおどる数人の子供たちの笑顔が
かわいかったこと!!
昔話を語る母音が多くやわらかく音楽的な
ナバホ語で

Posted by: 白いうさぎ | Saturday, July 28, 2007 07:16 PM

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