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Saturday, June 30, 2007

母なる地球は怒っておられる

newsアメリカ合衆国の東部、いわゆるニューイングランドの奥、ニューハンプシャー州にムーシラウクという標高1500メートルほどの山がある。アパラチアン山脈の一部、ホワイト・マウンテンズの外れにある山だ。マウント・ムーシラウクはその山の麓にある町の名前でもある。町はホワイト・マウンテンズを源流とするベイカー川の流れに沿ってつくられている。

そのムーシラウク町で先ごろネイティブ・アメリカンの6つの部族から代表が集まって「母なる地球を讃える儀式」が行われた。儀式の場で、最初に求められて話をすることになったのがモホーク・インディアンの出身で「話す鷹」ことトーキング・ホーク氏。彼は生活排水が混ざった茶色く濁った川の水を指し示しながら、人間が原因で引き起こされつつある地球規模の変化について次のように語った。

「母なる地球は今や反撃に転じている。世界の4つの方向からにとどまらず、その反撃はわれわれの足下の大地の奥深くからもたらされている。科学者は地球温暖化だと言う。われわれは、それを『母なる地球がお怒りになられている』と表現する」

Burning Earth今年の5月には国連で「先住民の視点から見た気象異変会議」が開催され、数名のアメリカ・インディアンの代表が話をした。また同じ5月、アラスカや北部カナダから、先住民の代表がワシントンを訪れて、年を追うごとに氷の融ける具合が早まっていることを警告している。カリフォルニア、ミネソタ、ニューメキシコやその他のいくつもの州で、インディアンのさまざまな部族が、自分たちの運営するカシノの利益の一部を代替エネルギーやバイオマス燃料発電所などのエネルギー再生計画に投入しはじめた。

アメリカインディアンは、ぼくが知るかぎり今から30年以上もまえに、そして研究者に言わせれば、100年以上も前から、地球上に今起こっているようなことが起こると言い続けてきた人たちだ。竜巻がより大きくなり、暴風雨が吹き荒れ、洪水が頻発し、極端な干ばつが訪れるようになると。ホピの予言もまた、人間のバランスを失ったふるまいによって地球の気候に大きな変化が訪れることを予見していた。われわれは、地球をふくむあらゆる命との関係の持ち方を修復しなくてはならないときに立ち至っているのかもしれない。

いまだに「地球温暖化などはない」と主張する人たちもいる。科学者たちが手遅れにならないうちに警告を発するはずだとのんきに構えている人たちも多い。地球が生きている女性であり、その母親である地球が今われわれの行いにたいして腹を立てているという視点を、ぼくたちは回復すべきときにきているのだろう。

今回の「母なる地球を讃える儀式」には、パッサマクォディ、モホーク、ブラックフット、ミックマック、ラコタ、アベナキの諸部族から代表が参加した。つい最近アメリカの中西部で起こった大洪水で被害を受けた人たちのためにラコタのサンダーブル氏は祈りを捧げ、冒頭のトーキング・ホーク氏は来たるべき自然災害によって被害をこうむる人たちのために祈りを捧げてから、次のように話をしめくくった。

「母なる地球が自らを浄化するなかで命を落とすであろう世界各地の人たちのことを考えなくてはなりません。その人たちのスピリットのことを」

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北山耕平、東京エフエムのスタジオに行く

microphoneインディアンは笑う』という本の発売日の28日に、緑なす皇居を眼下に見下ろす東京エフエムの ENTERMAX という番組のスタジオで、パーソナリティーの坂上みきさんと話をさせていただいた。午後4時過ぎから時間にして30分程度。そのなかで、お気に入りのジョークを聞かせてと言われて、本に収録していないものを話した。それが以下のジョーク。(ジョークだぜ!)

イラク戦争の時、世論の動向を調査するために、イラクからアメリカ軍が撤兵すべきかどうかの聞き取りが行われた。調査は数あるネイティブアメリカンの居留地の中でも行われた。結果は、全インディアンの15%がアメリカの軍隊は即座にイラクから撤兵すべきだと回答した。そして、残りの85%は、次のようにこたえた。アメリカ軍はただちにアメリカ大陸から撤退すべきだと。

前もってこの話をするという打合せはなにもなかった。スタジオに行って手渡された台本に、お好きなジョークをと書かれていたので、とっさに最近自分が笑った話をした。話を終えた瞬間、世界が静まりかえったような気がぼくにはした。番組にそぐわなかったかもしれないと思ったが後の祭り。番組自体は実になめらかに続いてぼくの短い出演は終わった。あとで振り返ると、東京エフエムで話をしたのは今回が3回目。一番最初は宝島の編集長をしていた二十代のころに、竹村健一先生の番組で、おそれも知らぬままビートルズの「Let It Be」について話した。次はアメリカから帰国して「自然のレッスン」の本を出してしばらくして大貫妙子さんの番組。そして今回。政治的に正しい用語に気を使うパーソナリティーの坂上さんが、必死に「ネイティブ・アメリカン」「ネイティブ・アメリカン」と表現しているなか、ぼくは「インディアン」という言葉を連発した。きっと困っていたかもしれない。\(^O^)/

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コロンブスを笑え

Columbus Discover Amerrriika
コロンブス様御一行アメリカを「発見」するの図

インディアンの人たちが大変好んでするジョークのなかに、コロンブスをねたにしたものがたくさんある。たとえば、コロンブスの航海は4艘の船団で出発したが途中で一艘が行方不明になっていることからもわかるように、コロンブスは自分たちがどこに向かっているのかも知らなかったし、自分たちがどこを通過しているかも知らなかった。それも自分たちの金でそれをしたのではなく、なにからなにまで他人の金を使ってそれをした。それ以後の白人はコロンブスにならってコロンブスと同じことをそのまんま繰り返し続けている。何処へ行くかも、どこから来たのかも知らず、他人の金を使い続けるだけ。

コロンブス一行が上陸するのを木陰で見ていたインディアンたちのひとりがこうつぶやく。「このままおれたちが姿を見せなければ、あいつらすぐ帰ってしまうんじゃないか」

コロンブス・ジョークの変形なんだろうけれど、こんな笑い話もある。アメリカ南西部の沙漠のまん中にあるとき円盤が着陸した。なかから異星人が降りてくる光景を目撃してインディアンがうんざりしたようにつぶやく。「おいおい、よしてくれ、またかよ」

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Friday, June 29, 2007

イラクの沙漠のインディアンたち

ここはイラクの最前線の沙漠。インディアンの3人の突撃隊員を前にして上官がきりだした。「お前らインディアンたちは命を落とさないための伝統的な装備を、国からもってきているようだな?」

「イエス、サー、わたくしはサボテンを一個まるごともってきております」と自慢げにこたえたのは、アメリカ南西部の沙漠で生き延びるピマ族出身の兵士だった。彼は続けた。「絶えられないぐらい暑くなったときには、この先端を切り落として中の水を飲むのであります」

それを聞いて上官は感心したような顔つきになった。すると、出し抜かれてたまるかという風情でニューメキシコのプエブロ出身の兵士が言った。「サー、わたくしは神聖なトウモロコシの花粉をもってきております。絶えられないぐらい暑くなったときには、これで祈るのであります。すると雨が降ります」

上官はプエブロ出身の兵士の言葉にいっそう感心した様子だった。すると自分だって出し抜かれてたまるかという面持ちで、平原インディアンのパウニー族出身の兵士が言った。「サー、わたくしは、1959年型シヴォレー・インパラから取り外した車のドアをもってきました」

「それでなにをするというのか?」と上官がたずねた。

するとパウニーの兵士が胸をはってこたえた。「ハッ、絶えられないぐらい暑くなったときには、わたしはこうやって車の窓をおろすのであります」

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Thursday, June 28, 2007

今夜の月はいつもと少し(大きく)ちがう

Grandmother Moon今日は十三夜。今日、明日、明後日にのぼってくる月はとても特別な月。だからその時間になったら外に出て、空を見まわしてみてください。

東の空から、なにかがいつもとはちがう謎めいた月があがってくるでしょう。月がふくらんで見えるはず。写真には撮ることはできませんが、肉眼にはその違いがわかるのです。今週末は関東平野も雨かもしれないので、このエリアに暮らしている人がのぼってくる月を見れるかもしれないチャンスは今夕と言うことになります。

太陽と満月は天界で正反対に位置します。北半球においては、夏至を過ぎたばかりの今は太陽が北天の最も高い位置を旅しているために、月はその正反対の低いところに神秘的で美しい満月を見せることになります。

なぜ夏至の日を前後した月が大きく見えるのかは理由はぼくには確かではありませんが、大昔から空を見る人たちはそのことに気がついていました。

いつもとちがうグランドマザー・ムーンによろしくとお伝えあれ。

ぼくの暮らしているところでは今夜の月の出は17時16分、明日29日は18時15分、明後日30日は19時09分の予定。

next 自分の住んでいる土地の月の出を計算する

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Wednesday, June 27, 2007

インディアンは笑うという本のまえがき

Revised Friday, June 29, 2007

pawすでに何度かお伝えしたが『インディアンは笑う』という本が28日に世に出る。これはぼくにとっては思い入れの強い本である。ネイティブ・アメリカン・ジョーク・コレクションとして同名のカテゴリーで当ブログに2004年から今年の3月までに掲載されてきたものを一冊にまとめたものだ。ブログでは今もときどきネイティブの人たちのジョークや笑い話を新たにアップしているし、それは今後も可能な限り続けていくつもりでいる。ぼくはネイティブの人たちの世界に足を踏み入れて以来、彼らの笑いやユーモアをきわめて大切なものだと考えて、このブログにも特別にひとつのカテゴリーをもうけてきた。以下の小文は、この28日に世に出る書籍版の『インディアンは笑う』(マーブルブックス)の前書きとしてぼくが書いた文章である。願わくばこの書が、心ある人の手に渡らんことを。また本書を手にされてのちの感想などこの記事へのコメントでお聞かせ願えればこれほど嬉しいことはない。

「歌うことと笑うこととを知るものは、いかなる困難にもくじけない」
——イグルーク・エスキモーの人たちの言い伝え

アメリカ・インディアンの人たちのことをいつも押し黙って表情ひとつ変えないストイックな人たちと考えている人がことのほか多い。でも実際は全く異なる。本書のどのページでも開いて一読されれば、そうしたものが作り話であることがよくわかる。

実際のところ、彼らは、恥ずかしがりではあるものの、仲間たちでいるときには——というよりは、その場に白人(アングロサクソン系アメリカ人)がいないときには——実によく笑う人たちだ。くだらないことを言ってはみんなで腹を抱えて笑いあう。それも何度も何度も。

彼らはそうやって笑うことで、笑いを共有しあうことで、あらゆる価値観をひっくり返してしまう。困難や悲劇、貧乏や、差別や、迫害や、嘲笑など、なにもかも一切の否定的なエネルギーともども世界をさながら笑うことで絨毯のように巻きあげてしまうのだ。

笑いによって巻きあげられた絨毯の下には、彼らに言わせれば、まだ文明によって汚されていない手つかずの自然とバッファローたちが群れをなして駆けめぐるインディアンの天国が広がっていることになっている。

笑いは彼らに残されたおそらく最後の武器でもあるのだろう。彼らの精神生活のなかに絶対に欠かせないもののひとつが、笑いである。

笑いは、彼らだけでなく、おそらくすべての人たちにとって現実の不条理を乗り越えるエネルギー源であり、厳しい自然や、社会によって押しつけられてくる貧しさなどをものともしない心の状態と、それらが不可分の関係にあることを、ネイティブ・アメリカンの人たちはよく知っている。

地球に生きるひとりの人間という「心と頭の状態」をなによりも大切にする価値観において、「自分がひとりの人間である」ということは、つまるところ「自分がひとりの、時には弱さをもあわせもつ存在であること」を知っていることでもある。つまり、われわれは誰もが「神のような存在」などではなく、必ずどこかに弱いところがあり、その弱さが時としてわたしたちを馬鹿げた行動に走らせるのである。

ひとりの人として地球に生きるためには、われわれは誰もが自分の愚かさについて再認識しなくてはならず、従って当然のように「笑いやユーモアは地球に生きる人たちの生き方、彼らが聖なる道と呼ぶもの」の中にしっかりと組み込まれている。

そういう理由があって、アメリカ・インディアンや地球に生きる先住民といわれる人たちの部族には、必ず一族のなかに、その「愚かさ」を人々の面前で行動で示してみせる道化の役割を持つ人間がいるのだ。この人たちは冗談のような生活をまともに演じてみせる人たちであり、彼らは「聖なる道化」として、笑いやユーモアが神聖なものであることを全身全霊で教えてくれる。

Native jokes

インディアの人たちのジョークは、日常のどうってことのないものが、ある瞬間にきわめて「神聖なもの」に転化することを教えている。誰も考えていなかったような「冗談の落ち」は、聖なる体験として人間の意識に働きかけるのだ。とてつもなく不幸な出来事に襲われたり、悲劇の現場にいざるを得ないときに、そうした現実を巻きあげるために笑いの力を用いるのは、地球に生きるネイティブの人たちに共通する技術のひとつであると思う。

同時にまた、アメリカ・インディアンの人たちがなにを笑っているのかを知ることは、彼らの置かれた現実を知ることでもあるだろう。言うまでもなくもちろんユーモアやジョークは人間生活の基本のひとつだが、とくにネイティブ・アメリカンの人たちにとってそれは絶対になくてはならないもののひとつであり、それが世界をひっくり返す力をいまだに失っていないということからも、おおいに注目に値する。

厳しい現実を目の当たりにしているすべての人に本書を捧げる。

Amazon.co.jpRakuten BooksBK1『インディアンは笑う』あなたの厳しい現実もひっくり返す、ネイティブ・アメリカンの聖なるジョーク! 北山耕平編・構成。世界で初めて編纂されたネイティブ・アメリカン・ジョーク集。いかなる困難にもくじけない笑いとは? マーブルトロン発行 中央公論新社発売 ブックデザイン グルーヴィジョンズ。定価1600円+税

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Sunday, June 24, 2007

プレーリー・ウインド・カシノのレストランで

Prairie Wind Casino & Hotelサウスダコタ州の南部にパイン・リッジ・インディアン・リザベーションがありオグララ・スーの人たちが暮らしている。リザベーションの近くに、オグララの人たちが所有し運営する24時間営業のプレーリー・ウインド・カシノ(大草原の風という名前のカシノ)がある。働いているのもオグララ・ラコタの人たちで、このカシノには78部屋のホテル、水泳用プール、劇場、レストランなどが備わっているのだが、これはそのレストランでの話。

お客さんのところにウェイターが注文された料理のステーキを運んできた。そのウエイターの料理の運び方を一目見てお客がいきなり激高して大声をあげた。

「なんだよ、きったねえなあ! 親指でステーキをおさえたりしてよ!」

ウェイターがこたえた。

「そうはおっしゃいますが、もう一度床に落とせって言うんですかぁ!?」

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わたしにつながるすべてのものたちに感謝を

富士山の北側にある西湖という湖に面したキャンプ場で、夜を通しておこなわれたWPPD2007から帰ってきた。われわれの冨士を回るメディスンホイールの旅も今年は節目の4回目を迎えて、夏至の時間に焦点を当てたために、闇のなかの焚き火とキャンドルナイトとなったが、平日にもかかわらず100名を超す人たちが自発的に参集し、立ちのぼる煙と頭上の星と流れる雲と静けさに包まれて祈りと瞑想の時間を共有し、共に無事に美と平和のなか夜明けを迎えることができた。心をつくして調理された穀物と野菜のおいしいおじやをみんなでわけあったあと、ぼくはほとんど夢うつつだったが、富士山の上三分の1ほどが見える西湖の湖畔にて「ジャンピング・マウスの物語」も、スピリットがその頂に立つ富士の御山に奉納された。冬至の日に山から下りて来られた神々が、夏至の日にはまたそれぞれの聖なる山に帰られるという。献身的にこのギャザリングの成功のために力をおしまなかったそれぞれのスタッフのみなさんとそのスピリットたちに、あらためてお礼を言います。そのまま眠い目をこすりながら山を下りたが、中央道を八王子あたりまで来たときに雨が降り出した。きっとそれは祝福の雨であったにちがいない。富士山の力が自分のすぐ近くにあり続けることをあらためて確認でき、そして新しい夜明けをもたらすなど、今回のギャザリング可能にしてくれた自分につながるすべてのものの存在をすぐ身近に感じることができたことはなににも代え難い喜びだった。
fire
その日ぼくは泥のように眠り、平和な眠りから覚めた翌日に『インディアンは笑う』という28日に発売される自分の最新の本の見本刷りが届けられた。
この偶然はすごいや!

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Saturday, June 23, 2007

あなたの耳にはなにが聞こえている?

What do you hear?ューヨークのダウンタウン、マンハッタンはタイムズ・スクエアの近くを、一人のインディアンが友だちと歩いていた。ちょうど昼飯時で、通りにはたくさんの人たちがあふれかえっている。車があちこちでやかましくクラクションを鳴らし、角という角ではタクシーがタイヤをきしませていた。けたたましくサイレンの鳴る音が聞こえる。さまざまな都市の音がひとつにまとまって、うわーんというような耳をふさぐような音——

いきなりくだんのインディアンが足をとめて言った。

「コオロギの鳴き声だ」

「おいおい、しっかりしてくれよ」と連れの友だちが声を荒げた。「頭おかしいのかよ? こんなに音があふれてるところでコオロギの鳴き声が聞こえるわけがないじゃないか」

「いいや、まちがいない。あれは、確かにコオロギの声だ」

「そんなもの聞こえないよ」と友。

インディアンの男はしばらくじっと耳を傾けていたが、やがてすたすたと歩いて通りを反対側に渡った。そこにはコンクリートでできた大きなプランターがおかれ、灌木が植えられていた。インディアンの男はしばらくその灌木の根のまわりをのぞきこむように見ていた。そしてはたせるかなそこに一匹のコオロギがいるのを発見した。連れの友だちは腰を抜かすほど驚いた。

「たまげたなあ! すごいや! お前の耳は超人的だな!」

「いや、そんなことはない。わたしの耳もあなたの耳もまったく変わらない。違っていたのは、耳がなにを聴いているかと言うことだ」

「そんな、ありえないよ! こんな騒音のなかでどうすればコオロギの鳴く声が聞こえるって言うんだ?」

「聞こえるのさ」インディアンはこたえた。「自分がなにを大切なものだと思っているかで聞こえるものはちがってくる。嘘だと思うのなら、ひとつ試してみよう」

そういうとインディアンは自分のポケットから二、三枚のコインを取り出し、さりげなくその数枚のコインをぱらぱらと歩道の上に落として見せた。コインが歩道に落ちた瞬間、あいかわらず世界は人混みの喧噪に包まれているにもかかわらず、10メートル四方にいたすべての人間が、いっせいに音のした方を振り返ったではないか。みなはまるで落ちたのは自分の金ではないかとでも言うような顔をしていた。

「な、わかっただろ」そのインディアンは友だちの顔をのぞきこむようにして言った。「人間というのは自分にとって大切なものの音しか聞いていないんだって」

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Thursday, June 21, 2007

地球はわれらの母親

ホピ一族に伝わる歌 (アリゾナ北部ホビの国) 北山耕平試訳

[明日は夏至! 聖なる地球の日。これよりWPPD2007のために富士山に向かう前に、今日のためにホピの人たちの歌をひとつ。以前からこういう機会にでも読んでもらおうと思っていたものです。英語バージョンも続きにつけておきます。]

地球はわれらの母親

地球はわれらの母親、なんとしてもいたわらねばならぬ
地球はわれらの母親、なんとしてもいたわらねばならぬ

ヘイ ヤナ、ホ ヤナ、ヘイ ヤン ヤン
ヘイ ヤナ、ホ ヤナ、ヘイ ヤン ヤン

聖なる大地のそのうえを ひとあしひとあし われらは歩く
聖なる大地のそのうえを ひとあしひとあし われらは歩く

ヘイ ヤナ、ホ ヤナ、ヘイ ヤン ヤン
ヘイ ヤナ、ホ ヤナ、ヘイ ヤン ヤン

大空はわれらの父親、なんとしてもいたわらねばならぬ
大空はわれらの父親、なんとしてもいたわらねばならぬ

ヘイ ヤナ、ホ ヤナ、ヘイ ヤン ヤン
ヘイ ヤナ、ホ ヤナ、ヘイ ヤン ヤン

川の流れはわれらの姉さま、なんとしてもいたわらねばならぬ
川の流れはわれらの姉さま、なんとしてもいたわらねばならぬ

ヘイ ヤナ、ホ ヤナ、ヘイ ヤン ヤン
ヘイ ヤナ、ホ ヤナ、ヘイ ヤン ヤン

木という木はわれらの兄弟、なんとしてもいたわらねばならぬ
木という木はわれらの兄弟、なんとしてもいたわらねばならぬ

ヘイ ヤナ、ホ ヤナ、ヘイ ヤン ヤン
ヘイ ヤナ、ホ ヤナ、ヘイ ヤン ヤン


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Monday, June 18, 2007

The Land Owns Us(大地がわれわれを所有する)

アボリジニーのエルダーであるボブ・ランドール(Bob Randall)は彼らの言葉で「ウルル」と呼ばれ西洋人には「エアーズロツク」として知られる大岩の正統的かつ伝統的な所有者。ウルルとともに生き、ウルルを守ってきた彼が、大地の世話をするという先祖伝来の知恵について、人間と環境とはひとつということについて、英語で語りかける。(6分13秒)

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Sunday, June 17, 2007

カチーナ(精霊)たちがお山に帰る日

featherホピの人たちの「カチーナたちがお山に帰る日」が数日後に迫りました。ポピの人たちが——太陽が夏の家に入って一休みしてまた冬の家に向かう旅をはじめる——夏至の日をはさんで16日間続ける特別なニマン・ダンスと名づけられた大例祭です。カチーナと呼ばれる彼らの精霊たちの登場する儀式としてはおそらくは最もドラマチックな、アメリカ大陸南西部の乾燥した大地における太陽と共にある祭りです。彼らの精霊たちであり、冬の冬至の日を過ぎると聖なる踊りを教えに降りてくるカチーナたちを、サンフランシスコ・ピークスと呼ばれる聖なる山の家に送り帰す祈りと踊りであり、精霊たちに「おつかれさま」「また会いましょう」を伝えて、人々が新しい冬に備えるためのものです。子どもたちにとっては、夏のクリスマスみたいなもので、さまざまな贈り物が約束されていたりします。

ホピの伝統派の長老たちが、急進派の部族会議のホピの人たちの迫害に抵抗して70年代に自分たちで発行し続けた伝統派ホピの機関誌「テクァ・イカチ(テカ・イカチ)」が現在ネットで公開されています。その機関誌の通巻30号に掲載されているニマン・ダンスの記述の個所を、試みに訳出してみましたので、雰囲気の片鱗でも味わってください。掲載したモノクロの写真も同誌からのもので「1900年ごろのニマン・ダンス」とネームがつけられています。

arrow2 Techqua Ikachi Index

Niman Dance in Hopi Land
Techqua Ikachi Issue Number 30 の一節 試訳・北山耕平

夏が訪れ、生長した作物で畑が緑に染まる。トウモロコシは茎の先から穂が顔を出し、ツルのうえにはメロンや豆たちが姿をあらわす。生長した植物たちにむかって、声をかけたり、歌をうたいながら畑の中を歩くと、なんとなく鼻高々で、幸せが心にあふれるとき。自分がこれまでつぎこんできた労働がなにがしかの収穫をもたらして、オオカミはもう家の扉に近づくことはないだろう。

さらにそれらよりも少し前に植えつけた、食べれば間違いなくおいしいスイートコーンが、じゅうぶんに育っているのはわかっているが、あえてまだそれにはさわらない。それらは、あと数日に迫った特別なときのために、わざわざそのまま取り置いておく。

ニーマンの祭りの踊りの準備で、村では誰もがせかせかしている。客人たちにふるまう食べ物の準備もできた。親戚や、近所の村から訪れる友たち、遠くの街からわざわざやってくるものもあるだろう。男たちは多くの時間をキバのなかで、煙草を吹かし、祀りの成功と、自分たちの努力が無駄にならないことを祈って過ごす。

老いも若きももう待ちきれない風情である。特に祭りを心待ちにしているのは子どもたちだ。よい子でいれば友だちのカチーナが、メロンとか甘いトウモロコシとか人形とか弓とか矢とかを贈り物としてくれると、子どもたちは言い聞かされているから。

そしてその日がついにやって来る。カチーナたちが美と共に姿をあらわす。子どもたちは喜びと幸福に包まれて贈り物をもらいうける。大人たちもまた心からそのときを楽しむかのように歌を聞き踊りを見つめる。いっさいのねたみや憎しみを忘れる時間だ。人と人が互いのことを思いやる時間だ。夏のカチーナたちの踊りは、かくしておしまいになるのだ。

良き日を!

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Saturday, June 16, 2007

今日はジェロニモの誕生日なんだよ

Geronimo

Geronimo
わたしは、風が自由に吹き渡り、太陽の光を遮るものなどなにひとつない草原で生まれた。囲いなどというものは、どこにも存在しなかった。
ジェロニモ

1829年6月16日に現在はアリゾナ州になっている、コロラド川支流のチリカウア・アパッチ一族ベドンコヘ・バンドの土地で生まれた。おそらく最も有名なネイティブ・アメリカンの一人。にもかかわらず本名は意外に知られていない。彼の本名は「ゴヤスレイ(Goyathlay)」といい、アパッチの言葉で「あくびをするもの」だという。偉大なチーフであると同時にメディスンマンでもあり、その不思議な力は語り伝えられている。未来を予見する能力があり、足跡を残さずに歩き、身を守るために日の出を遅らせたとされる。37人の戦士たちを従えて、アメリカ軍を相手のレジスタンスを25年以上続けた。自由なアパッチの最後の一人。アメリカ政府の役人は彼を「最悪のインディアン」と呼んだ。投降して捕虜になって以後一度も故郷に帰ることは許されずに、オクラホマ州のアパッチの捕虜収容施設で1909年2月17日に永眠した。

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Friday, June 15, 2007

今このときにローズバッド・スー・リザベーションで起こっていること

news先週の土曜日、世界中のメディアがパリス・ヒルトンの話題で盛りあがっていたころ、ニューヨークタイムズという新聞が9面に小さな記事を掲載した。サウスダコタにあるローズバッド・スー・リザベーションで、今年に入ってから自殺や自殺未遂が蔓延しており、州が3月14日付で警戒警報を出しているというニュースだった。その警戒宣言が出されて以後も、二十歳になったばかりの少女が薬物自殺をしたり、多くの若者たちが自殺を試みようとしているという。医療機関の発表では、少なく見積もってもすでに半年で144人の子どもたちが自殺をしたとニューヨークタイムズが報じていた。

ローズバッド・スーの居留地の人口はおよそ13000人。13000人といったら、ちょうど財政が破綻した北海道夕張市の人口と同じぐらいだ。ひとつの大学で13000人の学生を抱えるところだってそうめずらしくない。しかしそのスケールの人口を抱える共同体で、半年に144人の子どもたちが自らいのちを落としているとなると、これはただごとではない。ただごとではないが、ことがネイティブ・アメリカンのこととなると、アメリカではまずその問題がまともに考えられることはない。日本のメディアがレポーターを派遣することもない。ローズバッド・スー・リザベーションは、それほど孤立した場所にある居留地ではないし、大平原に暮らすネイティブ・アメリカンの若者の自殺率はアメリカの平均の10倍に達するという統計もある。

精神的な健康管理を含めてアメリカという国がリザベーションの子どもたちに対してできることはたくさんあるだろうが、いまだなにひとつ友好的な手代は講じられない。まるでアメリカは「よいインディアンは死んだインディアンだ」という19世紀的考え方を守りつつ、すでにアメリカインディアンなどいないかのようにふるまい続けている。セレブの女の子が無免許運転を繰り返したことによって刑務所に収監されるニュースに対して世界が大騒ぎしている裏側で、こうした悲劇が声もなく進行していることを忘れてはいけないのだろう。

アメリカという国はその先住民をこれまでもさまざまに虐殺してきた。ローズバッド・スー居留地もまたその見えざる人たちの歴史に新しい一章を書き加えつつあるのだ。

arrow2 Official Site of the Rosebud Sioux Tribe

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1990年にワシントン州のスポケーンでの地球を癒す儀式においてカルク一族のメヒーラーであるメディスン・グリズリー・ベアが唱えた祈り

来たるべき夏至の日のために、以下にひとつの祈りを紹介します。多くの人たちのスピリットがその日時空を超えて聖なる土地のネットワークのなかでひとつにつながりますように。これから夏至の日が終わるまで特別なことがないかぎり更新は少なくなります。(北山耕平 拝)

whitebuffalo_shield

おお 万物を創られし お方よ
わたしは腰を低くして 御身の前に進み出て
この聖なるパイプを 捧げます
ふたつの眼にあふれる涙と ハートからのいにしえの歌で
わたしは 祈ります

創造の源である 四つの力に
偉大なる曾祖父の 太陽に
偉大なる曾祖母の 月に
母なる地球に
そしてわが 祖先たちに

自然界において われとつながるすべてのものたちのために
地を歩き 地を這い 空を飛び 水を泳ぐ すべてのものたちのために
見えるものと 見えざりしもの そのすべてのものたちのために
創造のあらゆる局面に立ちあわれる 善良なスピリットたちのために
わたしは 祈ります

どうかわがエルダーたちを 子どもたちを 家族たちを ともがらたちを
檻に閉じこめられている兄弟姉妹たちを 祝福してください
薬物やアルコールで 身体をこわしているものたちのために
家を失い 絶望の淵にあるものたちのために
わたしは 祈ります
さらにまた 人類の四つの種族たちのあいだに 平和がもたらされることを
わたしは 祈ります

この母なる地球に 癒しと 健康が もたらされますように
頭上に 美が ありますように
足下に 美が ありますように
わが内に 美が ありますように
わが周囲に 美が ありますように
どうかこの世界を 平和と 愛と 美で 満たしてください

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Thursday, June 14, 2007

原子力はクリーンで安全なエネルギーかどうかもう一度よく考えよう

radioactive地球温暖化対策に乗じてまたぞろ原子力エネルギーの利権をむさぼる人たちの声が大きくなっているので、ここらでもう一度考えておきたいウラニウムのこと。

原子力発電所が稼働して発電される前

◆ウラニウムは鉱石として採掘される。採掘された岩の99%は使いものにならないとして廃棄されるが、そのすべてが放射能を持っている。ウラニウム鉱石を採掘する鉱山はおうおうにしてネイティブ・アメリカンやオーストラリアのアボリジニなど「先住民族」とされる人たちの土地のなかにあって、採掘場近郊に暮らす人たちの健康を害し、彼らのコミュニティーを危険にさらしている。

◆取り出されたウラニウム鉱石はつぎに精錬されなくてはならない。精錬にはヒ素などの化学物質が試薬として用いられる。

◆次に精錬されたウラニウムは、硝酸を用いて六フッ化ウラニウムに転換される。

◆六フッ化ウラニウムは濃縮されなくてはならない。

◆濃縮されたウラニウムが「燃料棒」に加工される。

◆これらの全行程において温室効果ガスを排出する普通のエネルギーが使われる。

◆これらの全行程がきわめて危険であり高度に放射能汚染された廃棄物を作り出す。


原子力発電所で「核燃料」が使われた後

◆貯蔵タンクで最低20年間冷却し続けないと、物理的に移動させられるほどには冷めない。

◆使用済み核燃料の放射能は数千年間そのまま残る。

international_radiation_symbol◆放射性核廃棄物の放射能を中和し無害化する手段はない。

◆放射性核廃棄物を数千年間にわたって格納し貯蔵しておくために条件を満たす解決策は存在しない。

◆放射性核廃棄物は——最悪の事故も起こりうる——船や鉄道や輸送トレーラーを使って公海や公道を使って貯蔵施設に運ばれる。

◆これまでに何千・何万トンもの放射性核廃棄物が地球にはすでに存在する。

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Sunday, June 10, 2007

働くことが目的で働く人たち

『ソノラ沙漠で教えを広めて——1755年から1767年までのイエズス会宣教師ジョセフ・オークの出張報告』という文書のなかで、ジョセフ宣教師はネイティブ・アメリカンが農業を嫌う理由を、自らの人種的偏見を正当化するようにこう書き記している。

「生まれついてインディアンは大変な怠け者であり、働くことを目の敵にしている。土地を耕して疲れるぐらいなら、まだ飢えた方がましだと考えるものたちだ。であるがゆえに、上のものが強制してあのものたちにそれをやらせなくてはならない。勤勉なヨーロッパ人が6人もいれば、一日でインディアン50人分以上の働きができる」

Chief Sitting Bull幼名を「スロン・ヘ」と、ラコタの言葉で「愚図(スロー)」といった19世紀のラコタの偉大なチーフ・シッティング・ブルは、自ら工業化社会で仕事をする人たちのありさまを観察した結果、伝統的狩猟採集民の心情を見事に次のように語っている。

「白人は食べ物のために地面を掘るのを好む。わが一族の者は自分たちの父親がそうしたようにバッファローを狩るのを好む。白人はひとつの場所にとどまるのを好む。わが一族の者は自分たちのティピをその都度狩り場にあわせて移動させるのを好む。白人の暮らしは奴隷のものである。白人は町の奴隷であり、農場の奴隷である。わが一族の暮らしは自由そのものだ。家であれ、鉄道であれ、着るものであれ、食べ物であれ、それがなんであれ、広々とした土地を自由に動き回り、自分たちの流儀で暮らす権利ほどよいものを、わたしはいまだかつて知らない。白人はなるほどわれわれが欲しかったものをたくさん持ってはいるが、白人はわれわれが最も好むただひとつのもの、自由だけは、持っていなかったことがわかる。たとえ獲物がわずかで、肉が口にはいるほどなかろうと、自由なインディアンとしての特権を放棄するぐらいなら、白人の持つものことごとくすべてを持てたとしても、ティピで暮らすことの方を自分は望む」

そこでぼくが気に入っている小咄をひとつ。これはネイティブ・アメリカンの笑い話ではなく、メキシコのある漁師の話なのだが、と枕をふっておいて、興味ある人は続きをお読みください。

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Friday, June 08, 2007

コマンチとショショーニは同じルーツを持つ人たち

サイドバー右冒頭の PEACE な写真を差し替えた。今月は1927年、今から80年前にエドワード・E・カーティスによって撮影されたもので、「コマンチの少女」とコメントがつけられているものだ。写真をクリックすると解像度の大きなものが見れる。そこには透明で、少し怒ったような強い視線をカメラに向けているおかっぱの女の子が写し出されている。

コマンチは、コマンチという名前で日本では知られているが、彼らの発音を聞くと「ケ・マン・チィー」という風に聞こえる。もともとは「いつでもわれらに背くもの」という意味のスペイン語だったという。彼らは自分のことを「ヌムヌー」と、自分たちの言葉で「人間」を意味する言葉で呼ぶ。

Quanah Parker北のシャイアンと並んで平原インディアンを代表する南の部族で、北テキサス、オクラホマ東部、カンサスの南西部、コロラドの南西部をまたがって広がる海抜1500メートルほどのハイ・カントリー(高原平原)をテリトリーとするが、ほかの平原インディアン同様、この人たちが馬を駆って大平原でバッファローを追いかけるようになるのは1680年のプエブロの人たちの大攻勢で、ニューメキシコあたりにいたスペイン人入植者たちが追い出されて、結果として馬を自分たちの移動手段に取り入れて以降のことだった。

大平原の南の覇者としてその名を轟かせているが、もともとは現在ワイオミング東部からユタ、カリフォルニアにかけて暮らす高原沙漠の人たちであるショショーニの人たちと同族で、同じユト・アズテカン語族に属する。超自然的な力の存在を信じるものの、信仰はきわめて個人的なものとされ、人間はヴイジョンを持つことで自然の神秘を操る力の源に触れることができると信じてきた。

コマンチの人たちは馬を獲得するとカイオワの人たちと同盟を結んで南のメキシコをたびたび脅かした。コマンチとカイオワはそのためにインディアンのアパッチなどほかの部族も敵に回すこととなり、たびたび攻撃を受けて多くの戦士を失った。彼らはそうやって失った戦士たちの穴を埋めるために、インディアンであれ白人であれ、はぐれてひとりぽっちになっていた子どもたちや女たちを養子として一族に迎入れたといわれる。コマンチ最後の偉大なチーフで、南から伝えられたペヨーテにたいする信仰を全インディアンに広めることに貢献することになるクアナ・パーカー(写真)の母親も、テキサスの白人牧場主の娘だった。

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World Peace And Prayer Day 2007 Honor Sacred Sites Poster

wppd2007usa_poster

本家アメリカの今年の「せかいへいわといのりの日」「聖地を讃える日」のポスター。中央に「あらゆる国々、あらゆる信仰、ひとつの祈り」と書かれている。右上には以前紹介したルッキング・ホース氏から今年のWPPDにむけたメッセージがある。ユート・インディアン・ミュージアムでスピリット・アート展がひらかれた折りに、チーフ・アーボル・ルッキング・ホースに渡された「聖なる輪」の絵。Vickie Leigh Kradwig 作。

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Thursday, June 07, 2007

北山耕平のこの夏の出没場所

bear7/7/8   Opening the Wind & Medicine Talk
ワークショップ 風をひらく・南房総市
企画・提供 テトラスクロール + 自然の宿くすのき

Native Heart: 参照記事


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夏至の日を「聖地の日(Sacred Sites Day)」に

6月の夏至の日を「聖地の日(Sacred Sites Day)」としようとする動きが地球各地ですすんでいる。日本でもその日はいろいろなところでギャザリングがもたれると漏れ聞く。ここにポスターを掲載するが、WPPD(World Peace and Prayer Day)は今年は区切りの4回目が、富士山の西湖でおこなわれる。自発的に参加する意志のある人は、詳細をWPPD2007のサイトにアクセスして確認していただきたい。

World Peace and Prayer Day 2007 Mt. Fuji

今年の夏至の瞬間は、22日の午前3時ごろで、多くの場合ギャザリングは21日の日没から翌22日の日の出の時間までのあいだにおこなわれることになるだろう。もしあなたがさまざまな事情からそうした聖地での集いに参加できない場合は、自分なりにその間に時間をとられ、地球の聖なるスポットがこれからも保たれていくように、祈りの言葉を捧げていただければと願う。

Love, Peace & Respect
Kitayama "Smiling Cloud" Kohei

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Wednesday, June 06, 2007

ポリネシアの人たちの南米大陸到達は1407年以前であることの証拠

petroglyphポリネシアの人たちが太平洋を渡って南米大陸に到達したのは1407年以前のことだったことが証明されたと、6月5日のロサンジェルスタイムズが報じた。この事実の証拠とされたもの、それはチリの古代遺跡から発掘されたニワトリの骨だった。

imagename放射性炭素年代測定と遺伝子分析の結果、ニュージーランドの科学者がチリで見つかったニワトリの骨の起源がポリネシアにあることを突き止めたもの。遺伝子分析によれば、南中部チリ(Arauco半島の南の側の上の内陸のおよそ1マイル半)のEl Arenal-1と呼ばれている遺跡で見つかったニワトリの骨の遺伝子が、チリから8000キロ以上も離れたサモアやトンガのニワトリのものと遺伝子配列が一致していたのだ。遺伝子の配列はまた、ハワイやイースター島のニワトリともよく似ていたという。問題のニワトリの骨が回収されたチリの遺跡は、調査の結果西暦700年から1390年まで使われていたとされる。

かつてトール・ハイエダールというノルウェーの探検家がインカの人たちがいかだで南米からポリネシアに到達したことを証明しようと、ペルーからトウアモトウ語諸島への6920キロのいかだによる航海を100日以上をかけて成功させたことがあるが、それは、ポリネシアの人たちの航海技術の確かさを証明したものではなかった。南米原産のスイートポテトが西暦1000年頃にポリネシアのクック諸島で栽培されはじめたという事実と、ヘイエルダールの旅行は、インカの人たちがサツマイモを島へ持っていったかもしれないことを示したが、ポリネシアの島の人たちが南アメリカ大陸に来ることができたことを証明するものではなかったのだ。

カリフォルニア州立大学バークレー校には、南カリフォルニアの太平洋沿岸に暮らしていたチュマッシュ・インディアンは、厚板を縫い合わせて造るカヌーの作り方をポリネシアの人たちから学んだと主張する言語学者がいる。インディアンの人たちの使う釣り針とポリネシアの人たちのそれはただならない類似を見せる。

ポリネシアの人たちが南太平洋を渡って南米大陸に到達できたと考えるのなら、同じようにハワイから南カリフォルニアまで到達できていたとしてもおかしくないと思いませんか。ポリネシアの人たちは昔も今も偉大なる航海者たちなのです。

おりしも、ポリネシアのハワイからはるか西のミクロネシアを経由してホクレア(喜びの星)という名前の双胴のカヌーが、沖縄から日本列島にやってきています。今週の土曜日ごろには最終目的地の横浜にやってくる。この偉大なる太平洋の航海者たちよ!

source : Polynesians beat Spaniards to South America, study shows - Los Angeles Times

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Tuesday, June 05, 2007

アメージング・グレイス(チェローキー語)

next Native Heart: 驚嘆すべき恩寵

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メロウすぎて武器にはならないという米陸軍の結論

「LSDやマリファナなどの薬物は、予測不可能か、もしくは気分をリラックスさせすぎるため、兵器として有効ではないという結論に達した」
----acid and pot were either too unpredictable or too mellow to be useful as weapons,

1955年から1972年ごろにかけて、アメリカ陸軍のメリーランド州エッジウッド兵器厰(へいきしょう)で行なわれた、敵兵を無力化する化学兵器の開発を目的とした実験の中で、実際に有志の兵士たちにマリファナやLSDなど20種類以上の向精神薬を投与した精神科医のJames Ketchum氏が新刊の回想録で述べたこと。

Source : 米陸軍の幻覚誘発薬研究の実態が明らかに (WIRED VISION)

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Sunday, June 03, 2007

風をひらく 南房総 7月7日、8日のお知らせ

open the wind workshop
「現代の世界では、ほとんどの人が聞き方を忘れてしまっている」
ノーマン・ラッセル チェロキーの詩人の言葉

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Saturday, June 02, 2007

ブラジルのアマゾンでインディアンの部族が発見された

newsアマゾン奥地のジャングルに守られて外界とほとんど接触を持つことがなかったインディアンの小さな部族が先週発見されたとブラジルのリオデジャネイロからAP電が昨日伝えた。全員で87名ほどの集団の部族で、メティクティア一族(Metyktire tribe)と名乗る、近くに川の流れのないリオデジャネイロの北西1200マイルの密林で生き延びてきた人たちだという。この小部族はすでに居留地を与えられているカヤポ族(Kayapo tribe)の下位集団にあたるらしいが、これまでまったく外界と接触を持たないできた。

おそらく1950年代のインディアン調査団の手を逃れて奥地に逃げ込んだ集団と推定されている。サバイバル・インターナショナルという非政府組織(NGO)の推定では外界と接触のない先住民の集団はまだ100以上もあるらしい。ブラジルにはおよそ70万人のインディアンがアマゾン川流域で暮らしていて、そのうち居留地では40万人が自分たち独自の伝統文化と言語と生活様式を保っているという。

arrow2 Indian Tribe Found in Brazil's Amazon

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Friday, June 01, 2007

さらにブログを続けるということ

So you can get on with your search, baby,
and I can get on with mine.
And maybe someday we will find
that it wasn't really wasted time.


Wasted Time by EAGLES

[それならばベイビー、君は君の探しものを探せばいい/ぼくはぼくで自分の探しているものを見つけるだろう/きっといつの日にかぼくたちは/それが無駄な時間じゃなかったことを知るはずだ(イーグルス「無駄な時間」より)]

月が訪れ、このブログも区切りの4年目にはいっている。もともと4年前の夏至の日に富士山麓でおこなわれた「せかいへいわといのりの日 WPPD2004」というギャザリング(ラコタのチーフ・アーボル・ルッキング・ホース氏提唱になる地球の聖地に人々の意識を集めるイベント)にむけた頭と心と体の準備のために、このネイティブ・ハートというブログをはじめたもので、その前後の事情は「わたしがこのブログを続けている理由」という記事に書いてある。(今年も世界各地でへいわといのりのギャザリングがおこなわれる。富士山でおこなわれる WPPD2007 の詳細はここに。)

4という数は、すべての地球を生きる人たちにとって非常に重たく、かつ神聖な数字で、ある意味でそれは輪を回る旅が東西南北を旅して一巡することを意味する。当ブログも最初は数人のアクセスからはじまり、現在では毎日1000前後のアクセスがあるようになっている。

くはもともと雑誌の原稿を書いたり本を作ったりをするのを大学卒業以来仕事にしてきた売文の徒である。原稿用紙一枚書いていくらという世界で長いこと生き延びてきた人間にとって、お金にならないブログを続けることは、無謀なチャレンジ以外のなにものでもなかった。ぼくの才能ある友人の多くがこれでは食べていけないという理由でせっかくはじめたブログを断念したり、はじめることに躊躇するのを間近で見てきた。

しかしそれでもぼくはこの間に、数十名の方々から、心のこもった「寄付(ドネーション)」をいただいた。サイドバーの右下にあるドネーションボタンを押して金額を選んでニフティ経由で贈られてきたものや、アマゾンのギフトカードを贈ってくださった方もある。講演会場で寄付をわたされたこともあった。またサイドバーや本文の書籍に貼り付けたアフリエイトからもたらされる収入も、最近は毎月3000円ぐらいになっていて、おかげですこしは本が買えるようになった。もちろん、それだけで食べていっているわけではなく、生活時間の多くは家族を養うための仕事に精力をつぎこんでいるのだが、それでもそうした寄付をこれまで寄せていただいたみなさんには——個人個人にはお礼できなかったケースもあるけれど——心の底から感謝している。

ぜこんなことを書きはじめたのかというと、以前も少し書いたがこのブログに過去に書いた記事をまとめて本にしようというプロジェクトが現在2件進行していて、それらがもうじき形になるからだ。それら2冊の表紙写真をここに掲載しておく。

Native JapaneseNative jokes

左の『ネイティブ・アメリカンと・ネイティブ・ジャパニーズ』は、ぼくたち日本人をやっている人間にとってアメリカ・インディアンをどう理解するべきかについて書いた詩や文章を集めて編集し、別に書き下ろしを新たにくわえたもので、アメリカ・インディアンについて学ぶことが自分について学ぶことであることをわかりやすく説いたものだ。『自然のレッスン』『虹の戦士』『ジャンピング・マウス』を刊行してくれた太田出版[東京都新宿区]の心ある友人の編集者が、最初のネイティブ・ハート・ログブック(航海記録)として世に出してくれる。簡易フランス装の素敵な本だ。

また『自然の教科書』『聖なる言の葉』『月に映すあなたの一日——ネイティブ・アメリカンの364のことわざ』を刊行してくれたマーブルトロン[東京都 杉並区]からは右の『インディアンは笑う——ネイティブ・アメリカン・ジョーク・コレクション』がほぼときを前後して刊行される。これは当ブログに掲載したインディアン・ジョークを集めて少し手を入れたもので、世界でもまだ類を見ない抱腹絶倒のネイティブ・アメリカンのジョーク集で、『月に映す』と同じグルーヴィジョンズがデザインしてくれた。

いずれ発売日等が確定した段階で、今月中にあらためて内容等についてはお知らせするので、ぜひ書店などでご予約されお買い求めいただきたいと願う。これらの本がどのように売れるかが、今後の当ブログのあり方を決定づけると言っていい(おいおい、脅迫かよ\(^O^)/)。

れまで自分としては金銭的なことは一切考えることなくこのブログを作り続けてきており、今後もその考え方は変わらないのだが、このブログを維持していくための精神的経済的基盤を作るための家を保つための仕事の方がこれでなかなかに大変で、お知らせしたいことがたくさんあるにもかかわらず、ここのところ大切な記事をいくつも公開できないまま悔しい思いをしながら過ごしてきた。

ついては6月15日までに、上記2冊に使用する記事に関しては、暫時当ブログから削除させていただく(作業はすでにはじまっている)。本に収録していないものについてはそのまま公開を続けるが、それらもいずれ本になったあかつきにはブログからは削除される。ブログに書くものは、ニュースや情報提供のもの以外は、あくまでもぼくがいまだ書かれざる本の下書きとして暫定的に公開するというのが前提ではじめたもので、完成形になったときにはそれらを削除するのが、自分と読者と出版にかかわつてくれたすべての人たちにとっての礼儀だと考える。

本が売れなくなったという声を聞いて久しいが、ぼくはきみのハートにつながる手段として、宇宙とつながる手段として、話をすることと、本を書くことを、それでも信じているのだから。

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arrow 夏至の日・富士山・スピリットの帰還、そして5年目に入ったネイティブ・ハート [Monday, June 30, 2008]

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