沙漠の人たちの質素な台所
サイドバーの巻頭にある PEACE な写真を入れ替えた。先月は入れ替えたことを忘れて解説を書き忘れるぐらいあわただしく世界が個人的に変化した。住む環境が変わったことが最大の理由だ。ようやく落ち着いてきて、自分たちが東京の縁で暮らしていることが理解できるぐらいマッピングができてきたので、今月は写真の解説を書く。今月の写真はエドワード・E・カーティスのあらわした北米インディアン全20巻の第2巻に収録されている1907年公開の「パパゴの台所」と命名されている写真を選んだ。写真そのものは1903年にアメリカの南西部のデザートで撮影されている。パパゴは現在では「トホノ・オアダム」「トーノ・オダム」と呼ぶのが正しいとされている人たちで、アリゾナ南部の北部ソノーラ砂漠をホームとしている。19世紀には東から逃げてきたアパッチの人たちを吸収した。パパゴは「豆を食べる人」を意味し、「トーノ・オダム」は「沙漠の人々」を意味する。ソノーラ沙漠はまったく水がないわけではなく、かなりの頻度で熱帯特有の降れば土砂降りのような激しいシャワーがあり、彼らは沙漠の山々の縁で山に守られ雲と語りその雨の匂いを敏感に察知して生きる。百年ほど前まで大地に穴を掘って木と草と土で覆った竪穴式住居で縄文時代さながらに暮らしていた。村の中央には「雨の家」と呼ばれる儀式用の聖空間が設けられていたが、これはホピの人たちにとってのキバに当たるものだった。トウモロコシ、豆、スカッシュ(かぼちゃ)の3姉妹を育てる農耕定住の人たちで、収穫したトウモロコシを近隣の他部族と乾燥肉や塩などと交換した。他のネイティブの人たちの多くが、死者は西の国に行くという信仰を持っていたが、トーノ・オダムの人たちは死者の魂は東にある死者の国に行くという信仰を持っていた。グレイトスピリットは「地球を創られし存在」と呼ばれた。沙漠の美しさを表現させたら右に出るものがいないくらいに最も詩的な言葉を多く残した人たちである。クリックすると拡大されるこの写真には、水をもらさないバスケットと、煮炊きする大きな土器から構成される質素な、前の世界が終わる直前の——地球に生きる人たちの台所の風景が写しだされている。過去100年間執拗なまでにアメリカ人化を強制されてきたが、トーノ・オダムの人たちは自分たちの伝統と言葉を失うことなく21世紀の現在も、2万人ほどの人口が、かろうじて生き延びている。
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