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Thursday, May 31, 2007

チャコ文化国立歴史公園,プエブロ・デ・タオス,メサ・ヴェルデ

明日6月1日の夜「BS-i」の世界遺産番組で、チャコ文化国立歴史公園,プエブロ・デ・タオス,メサ・ヴェルデのドキュメンタリーが放映されるそうです。

abar
チャコ文化国立歴史公園,プエブロ・デ・タオス,メサ・ヴェルデ〜アメリカ

06/01(金) 後11:00 >> 後11:30  BS- i
ドキュメンタリー・教養/歴史・紀行

築600年の住宅!土の芸術作品 アメリカ先住民が暮らす最古の村 ナレーター/中村勘太郎

米国ニューメキシコ州サンタフェ北部にある米国最古の集落、プエブロ・デ・タオスを紹介する。ここには日干しれんがに泥を塗り固めた赤い家が立ち並んでいる。いずれも築600年以上といわれ、今も先住民族のプエブロ人が伝統の暮らしを守っている。北米大陸中西部の荒野には、白人が来るはるか以前からアナサジと呼ばれる先住民が暮らしていた。5世紀ごろから12世紀にかけて築かれた数々の都市遺跡はその高度な文化を物語る。しかし、アナサジは12世紀以降、急速に衰退し、”謎の民族”とさえ呼ばれるようになった。アナサジの文化を最も深く継承しているのがプエブロの人々である。都市遺構や皆既日食を観測した痕跡などアナサジの高度な文化を紹介し、荒野に営まれた先住民文化の面影を探る。

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古屋和子さん「虹の戦士」ストーリーテリングのお知らせ

warriorsofrainbow

昔われわれは平原の中で
誰もが みんな 自由だった。
緑 青 赤 黄色
色々な色のあふれる大平原のように
われわれは みんな 自由だった。
われわれは走り 追いかけ 狩りをした。
あなたがたは われわれに 優しかった。
あなたがたは われわれに
食べるものと 着るものと
そして住むところとを 与えてくださった。
しかし 今 われわれは みんな 年老いた。
そして 縛りつけられて しまっている。
だがわれわれの心までは 縛られてはいないのだ。
われわれは 昔の日々を 思い起こすことができる。
そして互いにこう言うこともできる。
「あの昔はほんとうに良かった」と。

老婆は柵のなかに飼われているバッファローたちにむかってそんな歌を聞かせていた。そしてぽつりとこう言うのだった。

「お前たちにはこの歌のほんとうの意味がわからないかもしれない。昔のことを歌ったところで、それがどんなものだったのか、お前たちにはわかりようもないだろう。お前たちはただの家畜だ。だから覚えてもいまい。お前たちは塀の中で生まれたのだ。私の孫たちと同じように

『虹の戦士』の冒頭部分 太田出版刊 北山耕平翻訳より

古屋和子さんによる「虹の戦士」ストーリーテリングのお知らせ

北米先住民の伝説「虹の戦士」

6月4日(月曜日)午後4時50分から
場所:法政大学 市ヶ谷キャンパス
   55年館 7階 574教室
東京都千代田区富士見2−17−1 地図
無料
問合・090—4399—5376(古川)


6月24日(日曜日)午前10時30分から
場所:豊島区 雑司ヶ谷教会・幼稚園
豊島区雑司が谷1−25−1 地図
無料
問合・03—3987—3537(雑司ヶ谷教会)

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Monday, May 28, 2007

My Life Is My Sundance


Video from Leonard Peltier's play
"My Life Is My Sundance"

30年近く自由を奪われたままのレオナルド・ペルティエが刑務所のなかで綴った本「My Life Is My Sundance(我が人生は我がサンダンス)」が一人芝居となって今年の春から公開されている。芝居は世界で公演をして回る予定だとかで、これはその紹介と宣伝を兼ねたビデオ。

arrow2 Video from Leonard Peltier's play, YouTube

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Saturday, May 26, 2007

あなたとはあなたが身にまとっているもののこと

a_sioux_two_hide_dress

A Sioux two-hide dress (c. 1865).
(Ernest Amoroso -- National Museum Of The American Indian)
あなたがあなたのドレスを身につけるとき、あなたはあなたにいのちのレッスンを与えてくれた——そしてあなたの前にいろいろなドレスを作ってきた——すべての人たちのスピリットも一緒に身にまとう。
ケリ・ジャハネ・マイヤーズ コマンチ オクラホマ在住
伝統的サザーン・バックスキン・ダンサー

ネイティブの女性にとってドレスは単なる衣服のひとつというよりは、文化とアイデンティティーの美的表現だったと考えられる。それを身にまとう人間の人生そのものがそこに投影されているのだ。大平原(プレーンズ)、北部高原(プラトー)、グレイトベイスンの3つの北米大陸のエリアから、ネイティブの女性たちのアイデンティティーをきわだたせているデザインのドレスの過去から現在までを見せてくれる展示が、来年の2月2日までワシントンDCのアメリカ国立インディアン博物館でおこなわれているので、機会があれば訪れてみたいと考えている。興味のある人はぜひチェックしてください。ネットで見れるオンラインの展示は以下のサイトでどうぞ。

追記 会場にはラコタの女性たちがゴーストダンスのときに身につけたきわめてめずらしいゴーストダンスドレスも展示されているという。ゴーストダンスのドレスはしかし特にセンシティブなもので扱いが限定されており、エルダーの許可は展示のみという理由から、ウェブでは写真を見ることができない。うーん、なんとか行きたいなぁ。

arrow2 Identity by Design-tradition, change, and celebration in native women's dresses

arrow2 The National Museum of the American Indian, Washington, D.C.

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Thursday, May 24, 2007

長い旅の話をさせてください

feather旅ってなんだろう? 20代の後半のときに日本から飛び出して以来ずっと気になっていることのひとつだ。英語でも旅はさまざまな言葉で表現されている。「トラベル(travel)」「ジャーニー(journey)」「トリップ(trip)」「ツアー(tour)」「エクスペデイション(expedition)」「トレック(trek)」細かいニュアンスは、日本語の旅を表す言葉と同じようにそれぞれに微妙に異なるのだろう。漢字で表現されている日本語ので「旅」にあたるものにはざっと思いつくだけでも「遍歴」「遍路」「行脚」「漫遊」「遊覧」「巡礼」「遠征」「巡業」「放浪」「旅行」「歴訪」「無宿」などがある。ほかにも日本語には「道行き」とか「さすらい」もある。

よく「人生を旅に例える」ことがあるけれど、このことが理解できるようになるためには、人は生まれて育った世界を離れ、自分の頭の中から外に出て行くことが必要だと、昔ビートニック世代に教わった。「旅」とは物理的なものでもあり、精神的なものでもあるのだな。ぼくにとって旅は「ジャーニー」であり「巡礼」という言葉で表現するのがいちばんぴったりくる。それはトラベルでも、トレッキングでもないし、旅行でも、遊覧でも、漫遊てもないし、遠征でもない。そういえば30代のころ、雑誌の取材班としてアメリカ国内を班を組んで回る経験をしたことがあるが、あれは「遠征」と呼ぶのがふさわしい心躍るような旅の経験ではあった。まあとにかく、物理的精神的にこれまでさまざまな旅を、ぼくは体験してきた。全部の旅をあらためて検証することはまだしないけれど、行く先々で学ぶことが多かったその旅をなんという言葉で表すかというと「巡礼」「ピルグリムズ・ジャーニー(Pilgrim's journey)」がいちばんふさわしく思える。そしてこの巡礼の旅は、どこまでも、やるべきことをことごとくやらされるまで続く。

spectator #17今回旅のことを書いているのは、5月25日に刊行される『spectator』(エディトリアル・デパートメント発行/幻冬舎発売)という「幸福な漂流者のための旅の季刊誌」の「VAGABONDING IN JAPAN[日本放浪術]」という特集に、小生の20ページ4万字にわたるインタヴューが「NATIVE TALK」として掲載されているからだ。スペクテイターの編集人であり発行人の青野利光氏らとの四時間に及んだトークを構成編集したもので、ぼくがお話しの場などで話していることの一端を知ることができると思う。よくある顔見せ的なものではなく、これほど長いインタヴューを引き受けたのは、かつて太田出版刊の『クイック・ジャパン』の創刊準備号に、当時編集長だった赤田“70年代雑誌文化オタク”祐一氏とのインタヴュー以来のことである。少なくてもその編集方針が真面目に「時代と向き合いほんとうのことに迫ろうとしている雑誌」であることが確認できたので、引き受けた。いま・ここを考えながら旅を続けるときの参考にしてくだされば幸いである。

北山耕平インタビュー 「地球の上で生きるには」
取材・構成 青野利光(スベクテイター編集部)

聖なるものとの出会い/「日本」のはじまり/ネイティブとの出会い/アメリカの縄文時代/神道の誕生/スピリットと出会う/自分の場所を持つ/森はどこへ消えた?/時代は変わる/地球とつながる場所/絨毯の下の真実/偉大なる目覚めの日/電気を止める世代

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Tuesday, May 22, 2007

世界でいちばん煙草を吸う国のベスト10の発表だ

エコノミストという雑誌のウェブが「煙草をたくさん吸う国のリスト」を掲載した。それによれば、ベスト10は次のようになっている。

  1. ギリシャ
  2. マケドニア
  3. ロシア
  4. チェコ共和国
  5. スロベニア
  6. スペイン
  7. 日本
  8. ウクライナ
  9. ブルガリア
  10. モルドバ

Smokingそしてそのあとに、ラトビア、セルビア・モンテネグロ、ボスニアと続く。すごいのは旧大陸ヨーロッパの国々のニコチン中毒のすさまじさだね。ペスト10でヨーロッパじゃないのは日本だけ。もともと煙草は新大陸のネイティブ・ピープルが儀式として用いていた神聖なる薬草だったわけだが、南北アメリカ大陸の国々はただのひとつもリストには入ってこない。これって地球の先住民の呪いなの? そういえば先ごろ発表された「毎週セックスをする人の多い国のリスト」でもギリシャは堂々の一位だった。そのリストで「文明国」で「他の追従を許さないほど最もセックスをしていない国」が日本だったっけ。盛大にセックスをして盛大に煙草を吸う国ギリシャと、セックスをあんまりせずに煙草をしこたま吸う国日本。世界中の人が「タバコ」とはなんだったのかを考え直すべきときにきているのかもしれない。

正しいタバコとのつきあい方は次のようなものだった。

Peace Pipe

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Sunday, May 20, 2007

夕月と金星

今宵も金星と月(夕月)が美しく見えていますねえ。

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ストレス・マネジメント・テクニーク

rockart08心理学を応用したストレス・マネジメント・テクニークとして推奨されているもので、誰でも、どこでも簡単に行える効果的な方法だとか。ひとつひとつ順番に想像していくだけで、心の緊張をときほぐすことができます。心理学というのはつきつめていくと「幸せであるためにどうすればいいか」を研究する学問で、ネイティブ・マインドを耕す技術と近いものがあります。いやいや、ストレスのたまる都会の暮らしって大変ですね。ネイティブの人たちにしたら、大笑いだろうけれどさ。(^^;)

リラックスするための7つのステップ
  1. 自分が心地よく暖まった大きな岩の上に、腹ばいに横たわっているところを想像する。その大岩は、すぐ下を流れるすみきった川におおきくせり出している。

  2. あなたの両手はだらりとのばされていて冷たい水の流れのなかに。

  3. 清涼な山の空気のなかでは鳥たちが甘くさえずっている。

  4. そこはあなたの秘密の場所で、誰ひとりその場所のことを知らない。

  5. 世界の喧噪からまったく離れて、あなたはまったくのひとりきり。

  6. 穏やかに水の流れる心休まる音が、あたりの静けさを際立たせていく。

  7. すみきった水に両手を入れてすくおうとすると、そこにははっきりと写し出されている自分の顔。

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Saturday, May 19, 2007

月と金星の出会い

crescentmoon今宵は表へ出て西の空を見ると月(三日月)と金星が並んでいる素晴らしい光景が目に飛び込んできます。夜の5月の空気も心地いい。キミも見ているだろうか?

May the stars carry your sadness away.

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50年目のオン・ザ・ロード

rockart今年はケルアックが『オン・ザ・ロード(ON THE ROAD)』という小説を発表してちょうど50年目にあたります。50年が長いか短いかは個人によって受けとめ方がちがうかもしれないけれど、この50年の変化は目を見張るものがあります。『路上』が世界にパラダイム・シフトをもたらしたことは疑いようもなく、そのことがどういう意味を持つのかを考察した「バックパックの向かう先、あるいは50年目のオン・ザ・ロード」というタイトルの小文を「トム・ソーヤー」(ワールドフォトプレス刊)という雑誌の6月号に書きました。興味ある人はお読みください。

ちなみに50年前の1957年がどういう年だったのかをデジタルバージョン(Version 4)の「ネイティブ・タイム」では次のように表示されています。

1,957

 沖縄の那覇に前年誕生した反米派の市長がアメリカ軍によって罷免された。農民文学運動に生涯を捧げた犬田卯【1字ルビ・しげる】さんが病没した。夫の死を看取った小説家の住井すゑ(すゑ子)が、被差別部落を題材にして『橋のない川』を書きはじめる決心をした。その昔日高見国があったとされる茨城県の東海村に、国策で建造された原子力研究所の実験炉が臨界に達し、日本列島に最初の原子の火がともった。日本国の各地方の電力会社が原子力発電計画を作りはじめた。ソ連とアメリカが相次いで人工衛星を打ち上げた。世界で最初の、ソ連が打ち上げた人工衛星は「スプートニク」という名前だった。R・ゴードン・ワッソン博士が古代アズテカ族でおこなわれていた「聖なるキノコをもちいた儀式」を再発見して、雑誌の「ライフ」にその報告記事を署名で掲載した。ジャック・ケルアックが『オン・ザ・ロード(日本語タイトルは「路上」)』を著した。カルロス・カスタネダがアメリカ合衆国に帰化して市民権を獲得。アメリカがネバダ州の沙漠で初めての地下核実験をおこなった。イギリスがハワイ島の南に位置するクリスマス島で最初の核実験を行う。ソ連ウラル地方の核工場で核廃棄物の爆発事故が起きたが、世界がその事実を知らされるのは二十年近くたってからのことになる。まだアメリカの州になっていなかったアラスカで「死刑」が廃止された。ハワイのマスター・カフナ(秘密の知識を守るもの)のデイビッド“カオノヒオカラ”ブレイがホピの土地を訪れ、秘密の歴史を分けあった。

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Thursday, May 17, 2007

なぜインディアンには「自爆テロ」がないのか?

つい最近オレゴン大学で爆笑ものの講演をしたネイティブ・アメリカン出身の作家シャーマン・アレクシーが、自分たちのことを題材にこんなことを言っていた。

「インディアンにはぜったいに決して自爆テロなどというものはありえない。理由はふたつ。自爆テロをするためには『この世の終わり』という考え方が必要だが、そんなものはわれわれにはない。第二の理由は、自爆テロには時間厳守でなくてはならないからね」

Sherman Joseph Alexie, Jr. (born October 7, 1966 in Spokane, Washington)

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血液定量制——100%インディアンから1%インディアンまで

rockart01.gif「血液定量制(Blood Quantum / ブラッド・クアンタム)」というもの——考え方——がある。もともと自分たちの土地でないところに侵略してかってにそこで国家を樹立して、その土地に以前から住んでいた「先住の人たち」を排斥し征服して居座ったままのアメリカ合衆国政府が、誰を「ほんもののインディアン」として認定するかどうかは、その人間の血液のなかに占めるインディアンの血の量で決定されるというもので、何世代か前の先祖が100%インディアンの——普通これを「フル・ブラッド」と呼ぶ——のときから、純血ではないインディアンたちとどのように結婚を重ねて血が混ざっていったかを、おそろしく不可解な矛盾だらけの方法で算出していく。

これをする目的は、白人が樹立した政府が、その先住民がどのくらい白人に近いのか、あるいは白人から遠いのかを、なんとか知ろうとしてはじめたものだ。2分の1(50%)インディアン、4分の1(25%)インディアン、8分の1(約13%)インディアン、16分の1(約6%)インディアンという具合に、分母の数が多くなっていき、分子の数が「1」である場合は、その人は白人に近づいたとされる。逆に4分の3(75%)インディアン、8分の7(約87%)インディアンという具合に、分子と分母の数が近ければ近いほど白人から遠いインディアンとされる。問題があるとすれば、先祖がフル・ブラッドのインディアンだったという文字の記録がない場合は、その人間の「インディアン」の部分は完全に否定されてしまうことだ。またそれがためにインディアンは白人と結婚しないような暗黙の圧力が加えられていくし、白人と結婚すると伝統文化が喪失するのではないかという恐怖がかもしだされる。最近では同じ部族であっても、東と西にわかれてリザベーションを与えられて暮らしている部族のもの同士が結婚した場合、その子どもたちは法律ではなぜか「半分インディアン」とされるケースまである。

A.Warholこうまで血の濃さにこだわったのは、もとより先住民を「獣と同類」と長く認識して、これを排斥してきた白人の側に理由がある。また今となっては政府にとっては生活保障をできるだけ減らしたいという現実的な問題もある。インディアンにとって混血の問題はどうだったのかを、昔年寄りに聞いてみたことがある。ローリング・サンダーは「インディアンというのは血の問題ではなく生き方の問題だ」と言っていた。コロンブスがやって来る以前のアメリカ先住民の考え方では、異なる部族の者同士が結婚して血が混ざったとしてもその子は母親の部族の人間として育てられた。実際、ほとんどの部族が部族間の結婚を繰り返していて、アメリカ大陸の先住民たちの血はそれこそ「るつぼのなか」のように混ざりあっていたと考えられる。そうやって血液が混ざりあって数千年を経たあとも、それぞれに異なる伝統文化が消え失せてしまうようなことはほとんど起こらなかった。いくつかの部族では例外があったものの、生まれてきた子供たちは母親の伝統文化のなかで育てられるのが通例だったからだ。自分たちがどのくらいの割合でその部族の人間なのかを問われることはまったくなかったし、自分でその割合を証明する必要もなかった。父系制の単一文化というパワートリップによる国造りが母系制の前に押しとどめられていた。

白人国家というパワートリップがはじまって、500年が過ぎ、アメリカ大陸における混血の速度は多くの人たちの推定を越えて早く進行していて、2050年にはすべてのアメリカ人のなかにインディアンの血が入り込むという試算をしている研究者もいる。今では、アメリカ人のなかにインディアンの血が混ざっていることなど珍しいことではないので、インディアンの血がほんとうに薄い人たち、分母の数の大きさに比べて分子が小さい人たちを、普通は「ノン・インディアン」といっている。人種差別が徹底していた時代にはけして起こらなかったことだが、70年代に価値の大転換が起きて以来、自分の中日本の少しでもインディアンの血が入っていることを「発見」したアメリカ人が、もう一度インディアンになりたいものだと考えるようになったことが、最近のインディアン問題をより複雑化させていることは間違いない。

以上、「日本人」が日本列島でどのように単一文化のパワートリップによって醸し出されたのかを考える参考になるかもしれないと思えたので、書きとめておく。

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Wednesday, May 16, 2007

WPPD2007にむけて

ことしも太陽の位置が特別な場所になる6月21日の夏至の日にWPPD(World Peace & Prayer Day / せかいへいわといのりの日)が世界各地、列島各地でおこなわれる。このWPPD2007にむけて、チーフ·アーボル·ルッキング·ホース(ラコタ)がメッセージを世界に向けて送っている。以下はその全文である。


World Peace & Prayer DayMiracles & Prophecies have revealed themselves; the White Animals are showing their Sacred Color to give us the message of changeand sacrifice. Throughout the world, people have made spiritualcommitment to bring peace, harmony and back to our lives.

Faith must continue to live in the hearts of the People – to gather at our Sacred Sites and heal our Grandmother Earth.

Join us on June 21st – all nations, all faiths, one prayer –as we walk toward togetherness in respecting and understandingall of life. This is Our responsibility!

Chief Arvol Looking Horse
for WPPD 2007

http://www.wolakota.org/

beadline2

Sacred Mountainあまたの奇跡や予言が、これまでにおのずと明らかにされてきた。白い動物たちは、その聖なる色で、われわれに変化と犠牲のメッセージを与えてきている。この世界のいたるところで、人々は平和と調和とわれわれのいのちの再生とをもたらすために、精神的な連帯をしめしてきた。

この信念は人々のハートのなかで生き続けねばならない。われわれの聖なる場所に集い、偉大な祖母である地球を、癒そうではないか。

6月21日、共に手をつなごう——すべての国が、すべての信仰が、ただひとつの祈りのもとで——ありとあらゆるいのちを敬い理解するなか、つながるためにすすもう。これはわれわれのつとめである!

チーフ·アーボル·ルッキング·ホース
WPPD 2007にむけて

http://www.wolakota.org/

World Peace & Prayer Day 2007 Mt.Fuji
せかいへいわといのりの日

2007年6月21日〜22日(日の入り〜日の出)
観岳園キャンプ場:山梨県南都留郡富士河口湖町西湖1131

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Tuesday, May 15, 2007

自然という大学で人はなにを学ぶか

ありがたいことにグレイトスピリットは、あなたやわたしに、森や、川や、山や、われわれもそのなかにふくまれている動物たちといった自然の大学で、学ぶ機会を与えてくださっている。
タタンガ・マニ(ウォーキング・バッファロー)
1871ー1967
ストーニー・インディアンの長老の言葉

豊かに生きるにはどのように生きればよいかを考え続けた二宮金治郎(尊徳)という江戸時代後期の農政学者は、儒教と仏教と神道と農耕の実践から学んで「おともなく香もなくつねに天地(あめつち)は書かざる経をくりかえしつつ」という歌を残してる。ここでいう「天地」という概念は、明治時代になって「自然」と呼ばれることになるもので、彼は自然を「書かざる経典(文字にならない教え)」に例えたわけだ。尊徳が没してから15年後にストーニー一族に生まれたタタンガ・マニ爺さまは、われわれがバランスとか調和とか自然の法を学ぶためには「自然は最高の大学だ」といっている。

しかしその大学が大学として機能するためには、その生きた大学のなかで過ごす時間をわれわれはもたなくてはならない。二宮金次郎尊徳翁は、江戸時代の農耕の実践のなかから、天と地のあいだに書かれている目には見えない経典から、学ぶべきことを学ばれた。近代化以前の自然に近い農耕生活には学ぶべき実例がたくさんあっただろう。それは自然とともに生きるための知恵の実践そのものだったと言っていい。便利なものがまだほとんどなかった時代には、自然は人が学ぶことに力を貸してくれたし、同様に癒しを必要な人に癒しを与えてくれもした。薬を授けてくれるし、知識も、知恵も与えてくれた。ネイティブのエルダーたちが例外なくみな賢くある理由は、彼らが正しい教育を「自然という大学」できちんと受けるシステムをもっていたからに他ならない。

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Sunday, May 13, 2007

石の人の話すことに耳を傾けてごらん

このまわりにある石のひとつひとつ、そのすべてが独自の言葉を持っている。大地にだって、大地の歌があるのだ。
ウォーレス・ブラック・エルク ラコタ

木の一本一本、植物という植物、虫という虫、そうしたものがことごとく話をするということを信じるためには、頭が開いていなくてはならない。頭を開くには、ひとりで自然の中に入り、静かに座ってみる。しばらくして落ち着いてきたら、あたりに転がっている石のどれかをひとつ手にとって、自分の考えていることに耳を傾けてみる。しばらくしたら、その石をもとのところに戻して、別の石を拾いあげてみよう。すると、自分の考えていることも変化することに気がつく。そうやって変化していく自分のなかの声、その声はネイティブの人たちに言わせれば「石の人(ストーン・ピープル)」の声である。声の主には知恵が備わっている。石の人はどれもみなことごとく異なる知恵を持つ。「石のひとつひとつが独自の声を持っている」とウォーレス・ブラック・エルクが言っているのは、そのことである。石の人たちはそれぞれに異なる知恵をわれわれに分けてくださる。石の人のほとんどがみなとてつもない老人であり、賢さもただならないことを、地球とつながって生きる人たちは例外なくよく知っている。

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Thursday, May 10, 2007

ひとりぼっちであること ひとりきりになること

rockart

すべての人は、その人生で、すすんでひとりになる期間を持つ必要があるというのが、地球に生きるネイティブ・ピープルの教えである。すすんでひとりになることでのみ、スピリットは育つものなのだ。例をあげるなら、偉大な覚者といわれる人たちはみなその期間を持っている。ヨセフの息子であるジーザスも、モーゼも、シッダールタも、みなその人生においてひとりになる期間を過ごした。ネイティブ・アメリカンの世界では、伝統的に子供のころからひとりになることでヴィジョンを見ることを教え込む。ひとりになることはバランスを回復させるメディスンである。

もし自分はひとりぼっちであると感じたら、そのひとりぼっち感の向かう先を、すすんでひとりになることにかえて、意識的にある時間をひとりきりで過ごしてみる。ひとりでいる時間を、自分の内側をのぞいてみたり、外側を観察してみたりすることにあててみることで、ひとりでいる時間を建設的に使うことができる。

複雑すぎる人生においては、精神的なバランスを回復させるために、われわれはあらゆるものとのつながりから自分を切り離す必要があるのだろう。ありとあらゆるもののつながりから自分を切り離してみると、自分の内奥の深いところで自分はけしてひとりではないということがわかってくる。なぜなら自分のなかの深いところに、自分を創られた存在が、どんなときにでも、おられることに気がつかされるからだ。その自分を創られたものこそが、あらゆる知恵の源となるものであり、人間はひとりでいてもひとりぼっちではありえないということを教えてくれる。しかし、この知恵を見つけるためには、人は、ひとりきりになってみなくてはならない。


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Wednesday, May 09, 2007

自分の子どもに「ありがとう」をいいなさい

rockart子どもたちは実例から学ぶ。日常の細々したことで、子どもに手伝ってもらったら、「ありがとう」を忘れずにいおう。「ありがとう」をいうことで、「ありがとう」の気持ちを他人にむけることを、子どもたちは学ぶ。そのうえ、その子が家族のかけがえのない一員であることも、伝えることができる。だから「ありがとう」を子どもたちに伝えよう。

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東北のアイヌ語地名と蝦夷語地名に興味がある?

news「東北のアイヌ語地名と蝦夷語地名」をテーマにして第26回全国地名研究者大会が5月19日(土)と20日(日)に宮城県の松島町で開催される。大会の情報を伝える日本地名研究所(所長・谷川健一氏)のサイトには「地名に興味のある方はどなたでも大歓迎」と書かれている。

大会の情報を掲載した8日火曜日の河北新報の「アイヌ語地名ルーツたどる 宮城・松島で研究者大会」という記事には宮城県地名研究会の太宰幸子会長の言葉として「アイヌ語を話した人の足跡が東北の古い地名には残っている。伝承が消えつつある今が歴史を探る最後の機会。一般の方も地元の地名の由来を研究者に質問してほしい」という呼びかけが掲載されていた。

19日午前は、研究所の谷川健一所長が「東北アイヌ語地名の重要性」と題して基調講演。東北歴史博物館の工藤雅樹館長が「奈良・平安時代の東北と北海道」、アイヌ語研究家の村崎恭子氏が「東北に色濃く残るアイヌ語地名」をテーマに講演する。午後には地名研究会会員らが「秋田県仙北地方のアイヌ語地名」「石灰岩地帯の伝説とアイヌ語地名」「村山地方におけるアイヌ語地名」などの基調報告をしその後は討論会。日曜日には多賀城や瑞巌寺、塩釜神社の見学会も予定されている。

詳しくは日本地名研究所の最新情報サイトである「ここ」で。

arrow2 日本地名研究所

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Tuesday, May 08, 2007

映画「スモーク・シグナルズ」今夜放映

今夜NHKのBS放送で映画「スモーク・シグナルズ」が放映されます。ぼくはこの映画がはじめて日本で公開されたときに来日した監督のクリス・エア(シャイアンとアラパホ)のインタヴューをしました。懐かしく思い出します。映画はインディアンリザベーションや、ネイティブの人たちの置かれた状況の現実などを非常にうまく映し出しています。ネイティブ・アメリカンによるネイティブ・アメリカンのための映画なのかもしれませんが、日本列島で日本人をやっているぼくたちの心にも残るものがあります。

サンダンス・NHK国際映像作家賞特集imagename

スモーク・シグナルズ

05/08(火) 後09:33 >> 後11:05  NHK 2 (BS2)

(1998年アメリカ)クリス・エア監督 アダム・ビーチ エバン・アダムス アイリーン・ベダード ゲーリー・ファーマーほか

監督/クリス・エア
脚本/シャーマン・アレクシー
出演者/アダム・ビーチ エバン・アダムス アイリーン・ベダード ゲーリー・ファーマー他
音楽/B・C・スミス
撮影/ブライアン・ケープナー

70年代後半に生まれたネイティブ・アメリカンの青年の心の成長を描いた青春ロード・ムービー。生まれて初めて先住民の居留区を離れた青年が、亡き父親の軌跡を訪ねる旅に出る。自身もインディアンである作家のシャーマン・アレクシーの小説を、同じくインディアンのエア監督が映画化。98年のサンダンス映画祭で観客賞を受賞した。

詳細は http://www.nhk.or.jp/sun_asia/sundance/j/1996_02.html

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アイヌ民族のいま、そしてこれからを考えるシンポジウム

シンポジウム

アイヌ文化振興法制定から10年
アイヌ民族のいま、そしてこれからを考える

日時:2007年5月13日(日)午後2時〜5時(1時半開場)

会場:大阪経済法科大学 東京麻布台セミナーハウス 3階 大研修室
  (東京都港区麻布台1−11−5)

交通:地下鉄日比谷線神谷町1番出口より徒歩3分
   都営地下鉄大江戸線赤羽橋駅より徒歩12分

http://www.keiho-u.ac.jp/research/asia-pacific/access.html

今から10年前、「北海道旧土人保護法」(1899年制定、1997年廃止)にかわり、「アイヌ文化の振興並びにアイヌの伝統等に関する知識の普及及び啓発に関する法律(略称・アイヌ文化振興法)」(1997年5月公布、7月施行)が制定されました。アイヌ文化振興法によって、この10年間、さまざまな事業が全国でおこなわれてきました。活動に参加するアイヌの若者も増えています。しかし、アイヌ文化振興法の限界も指摘されており、検証する段階にあるといえるでしょう。

10年目の節目にあたり、同法の役割と事業を展開する財団法人アイヌ文化振興・研究推進機構(札幌市)のあり方などをふりかえりながら、アイヌ民族の将来とその課題を語り合うシンポジウムを開きます。首都圏のアイヌ民族を交え、財団からは谷本一之理事長をおむかえします。みなさまのご参加をお待ちしております。

●基調報告「アイヌ文化伝承・啓発事業の10年とこれからのアイヌ文化」
谷本一之 (財団法人アイヌ文化振興・研究推進機構理事長)

●シンポジウム「ウコイタク(語り合う)」

パネリスト
・谷本一之
[首都圏のアイヌ民族から]
・石川洋子(ペウレ・ウタリの会)
・宇梶静江(東京アイヌ協会)
・惠原るみ子(ペウレ・ウタリの会)
・酒井美直(AINU REBELS[アイヌ・レブルズ])
・長谷川修(レラの会)
・八幡智子(関東ウタリ会)
(五十音順)
司会・上村英明(市民外交センター代表、先住民族の10年市民連絡会事務局員)

参加費:500円、資料代:500円

■お問い合わせ
先住民族の10年市民連絡会
E-mail: indy10-Lj@infoseek.jp
Tel&Fax: 03-5932-9515

市民外交センター(担当・上村)
E-mail: acsymp07@hotmail.co.jp
Fax: 03-3680-9301

■主催
先住民族の10年市民連絡会、市民外交センター

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Monday, May 07, 2007

rockart友人には三種類ある。「薬のような友」「食べもののような友」「水のような友」の三種。薬のような友は、目的があってやって来る。われわれの力になるという意思に導かれて訪れ、われわれのいのちを助け、癒し、仕事が追わればさらに旅を続けていく。食べもののような友は、親友のこと。あなたは親友なしには生きていけない。食べものは無数にあるけれど、友だちと同じで、ほんとうのお気に入りはわずか。最高の気分の時に口に入れたいもの、最低の気分の時になくてはならないもの。どんなことがあろうとも、いつもあなたと共にある友。そして水のような友は、一種類しかない。それは魂の友。あなたの人生の流れをあなたと共にどこまでも旅する友。良いときも悪いときも、嬉しいときも悲しいときも、いつも水のごとくそこにいてくれる友。

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今後30年以内に震度6弱以上の揺れに見舞われる確率の分布図

Earthquake map

arrow2 「全国を概観した地震動予測地図」 2007年版

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Sunday, May 06, 2007

スピリチュアリティーを売るということ

「あのひとたちはいきなりやってきてわたしたちから土地を奪い、水をとりあげた。それから魚を奪い、獲物たちを奪い去った。そして今、連中は同じようにしてわたしたちの宗教をほしがっている。あるとき気がついたら、自分はメディスン・ピーブルであると口走るあさはかなバカたちがぞろぞろではじめた。その連中ときたら、スウェット・ロッジの儀式を50ドルであんたらに売るというじゃないの。そんなことは間違っているだけでなく、おぞましくもある。インディアンというのは、たとえいくら値段をつけられたとはいえ、自分の精神性を誰かさんに売り渡したりはしないものよ。スピリチュアリティーを売り渡すことは、これまで連続してインディアンの大地から奪い取っていった一連の行為の延長にあるものだし、いくつかの点で、そうしたもののうちの最悪のことでもあるの。」
ジャネット・マッククラウド、テュラリップ、グランドマザー

janet_mccloud_1968ジャネット・マッククラウド(1934−2003)テュラリップ一族出身

「話す女("Yet-Si-Blue")」というインディアン・ネームを持ち、60年代のアメリカ・インディアンの生き残り闘争、70年代にネイティブ・アメリカンの権利回復とルネッサンスの先頭に立った女性活動家のひとり。チーフ・シアトルの曾孫でもある。生涯に8人の子どもを育てた。写真は68年に撮影されたもの。印象深い言葉としては他にも

「わたしたちの息は、他のいのちあるものみなと分けあうようにと母親から与えられた贈り物なの。だから誰かがこの地球で息を引き取ると、残されたわたしたちのすべてに影響が出る。なぜなら、わたしたちはみなつながっているのだから」

というものもある。 [ Janet McCloud, 1934-2003 ]

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大阪に蝦夷の英雄の慰霊碑が建立された

神戸新聞のウェブ・ニュースに出ていた記事と写真。

蝦夷の英雄の慰霊碑建立 最期の地?大阪・枚方

aterui monument8-9世紀に朝廷軍の東北侵攻に抵抗した先住民蝦夷の英雄アテルイとモレの慰霊碑がこのほど、2人の最期の地とされる大阪府枚方市の牧野公園に建立された。

アテルイらは802年に征夷大将軍坂上田村麻呂に投降、朝廷軍に処刑されたとされ、枚方市には2人の首塚とされる石がある。

没後1200年を機に岩手県水沢市(現奥州市)と枚方市との交流の一環として「牧野歴史懇話会」ができ、メンバーらが2006年6月、慰霊碑建立の実行委員会を結成。アテルイ、モレの最期の地として地域の人たちに認識してほしいと活動を始め、建立にこぎ着けた。費用は、市内の小中学校をはじめ多くの市民から寄せられたという。

慰霊碑は高さ約1・4メートル、幅1・2メートルの黒御影石製。奥州市や清水寺(京都市)に建立された慰霊碑同様、清水寺の森清範貫主が「伝 阿弖流為 母禮之塚」との碑文を揮毫した。

蝦夷(えみし)の最後の偉大なチーフとサブ・チーフの記念碑が1205年を経て建てられたことを伝えるニュースだ。ちなみに小生の本『ネイティブ・タイム』から802年の項目を以下に再録しておく。

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イヨマンテは祭式儀礼と環境省が認める

MSN毎日インタラクティブニュースから
アイヌ儀式:「イヨマンテ」禁止通達を52年ぶりに撤廃というニュース

<アイヌ儀式>「イヨマンテ」禁止通達を52年ぶりに撤廃
(毎日新聞 2007年5月2日 1時04分【横田愛】)

アイヌ民族の伝統儀式「イヨマンテ」(クマ送り)を「野蛮な行為」として事実上禁じた1955年の北海道知事名の通達について、道は4月、52年ぶりに撤廃した。イヨマンテは、神とあがめるクマの魂を天上に送るための儀式で、撤廃により行政が初めてアイヌ文化の枢要をなす儀式を認めた形だ。北海道ウタリ協会の阿部一司副理事長は「(イヨマンテの禁止は和人とアイヌ民族との)同化政策の総仕上げの意味合いがあった。今後は力を入れて儀式を復活させていきたい」と話している。

イヨマンテについて道は55年、支庁長と市町村長に対し、「アイヌ民族の宗教儀式として生活文化を形成する要素となっていることは是認されるが、社会通念上または教育上好ましくない」「野蛮な行為であり廃止されなければならない」とする通達を出した。通達に法的拘束力はないが、近年の開催は極めて少なくなっていた。道自然環境課は「どういう目的、経過で出されたのか今となっては分からない」と説明する。

同協会は05年、道に対して通達撤回を求め、道は国に動物愛護管理法との兼ね合いで正式な見解を出すよう要請。環境省は昨年10月、同法に基づく基本指針で、動物を利用した祭式儀礼について「正当な理由をもって適切に行われる限り法律に抵触しない」と初めて示した。これを受け、道は今年3月、環境省に改めて照会し「イヨマンテは祭式儀礼に該当する」との回答を得たため、4月2日付で通達の廃止を通知した。

阿部副理事長は「通達の廃止は評価するが、今後どれだけ徹底していくかが重要。多民族、多文化の共生と、アイヌ文化の復活につなげていきたい」と話している。

  ◇  ◇  ◇
イヨマンテ アイヌ民族は、クマを「人間の世界に姿を変えてやってきた神」と位置付けており、大切に育てたクマの魂を天に返すことで謝意を示し、再び人間の世界に恵みがもたらされることを願う儀式。古くは近隣の村から大勢を招いて執り行われ、生け捕りにして2年ほど飼い育てた子グマに矢を放ち、肉をふるまった。近年は胆振管内白老町、日高管内平取町、旭川市などで数年に1度行われている。

▼ English Hokkaido retracts ban on Ainu people's traditional ceremony

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Saturday, May 05, 2007

沙漠の人たちの質素な台所

Tohono O'odhamサイドバーの巻頭にある PEACE な写真を入れ替えた。先月は入れ替えたことを忘れて解説を書き忘れるぐらいあわただしく世界が個人的に変化した。住む環境が変わったことが最大の理由だ。ようやく落ち着いてきて、自分たちが東京の縁で暮らしていることが理解できるぐらいマッピングができてきたので、今月は写真の解説を書く。今月の写真はエドワード・E・カーティスのあらわした北米インディアン全20巻の第2巻に収録されている1907年公開の「パパゴの台所」と命名されている写真を選んだ。写真そのものは1903年にアメリカの南西部のデザートで撮影されている。パパゴは現在では「トホノ・オアダム」「トーノ・オダム」と呼ぶのが正しいとされている人たちで、アリゾナ南部の北部ソノーラ砂漠をホームとしている。19世紀には東から逃げてきたアパッチの人たちを吸収した。パパゴは「豆を食べる人」を意味し、「トーノ・オダム」は「沙漠の人々」を意味する。ソノーラ沙漠はまったく水がないわけではなく、かなりの頻度で熱帯特有の降れば土砂降りのような激しいシャワーがあり、彼らは沙漠の山々の縁で山に守られ雲と語りその雨の匂いを敏感に察知して生きる。百年ほど前まで大地に穴を掘って木と草と土で覆った竪穴式住居で縄文時代さながらに暮らしていた。村の中央には「雨の家」と呼ばれる儀式用の聖空間が設けられていたが、これはホピの人たちにとってのキバに当たるものだった。トウモロコシ、豆、スカッシュ(かぼちゃ)の3姉妹を育てる農耕定住の人たちで、収穫したトウモロコシを近隣の他部族と乾燥肉や塩などと交換した。他のネイティブの人たちの多くが、死者は西の国に行くという信仰を持っていたが、トーノ・オダムの人たちは死者の魂は東にある死者の国に行くという信仰を持っていた。グレイトスピリットは「地球を創られし存在」と呼ばれた。沙漠の美しさを表現させたら右に出るものがいないくらいに最も詩的な言葉を多く残した人たちである。クリックすると拡大されるこの写真には、水をもらさないバスケットと、煮炊きする大きな土器から構成される質素な、前の世界が終わる直前の——地球に生きる人たちの台所の風景が写しだされている。過去100年間執拗なまでにアメリカ人化を強制されてきたが、トーノ・オダムの人たちは自分たちの伝統と言葉を失うことなく21世紀の現在も、2万人ほどの人口が、かろうじて生き延びている。

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Wednesday, May 02, 2007

Enjoy Your Full Moon Tonight!

Full Moon日本列島では今宵19時が満月で、大潮です。プランティング・ムーン(植える月)からフラワー・ムーン(花の月)へ。ちなみに関東平野の月の出は18時31分ごろ。地球に生きるネイティブ・ピープルが名づけた今月の月の呼び名は「花の月」が代表的なものですが、他にも風土によって異なる呼び方は今月の暦を参照のこと。

ちなみに、北米大陸では今月は2度満月があります。2度目は31日(日本列島では6月1日)で、このようにひと月に2度満月があるときのもうひとつの満月は「フル・ブルー・ムーン」と呼ばれています。日本列島ではひと月遅れの6月に青い月が訪れます。

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新しい子どもたちがあらわれるというインディアンに伝えられた予言

na_dreamcatcherネイティブ・アメリカンのさまざまな部族が予言的なお話しを伝えている。虹の戦士の物語もそのひとつだし、ホピの予言もまた今世界でなにが起きているのかを見るために、そのなかで大きな位置を占めている。別に改まって「予言」などといわなくても、大勢のメディスンマンやメディスンウーマン、賢者、長老といわれる人たちが、ここ半世紀、これからどうなるのかについて語ってきた。ぼくは個人的な興味からそうした話に長いこと耳を傾けてきた。ぼくが会って教えを乞うたローリング・サンダーも、そうした予言的な話をいくつも語り残している。

当ブログのなかで読者の多いものも、アクセス解析を調べると、そうした予言を今に伝える話についての記述だったりする(ネイティブ・アメリカンに残る言い伝え)。もちろんいわゆる予言といわれるものには、ただ単に人類の破滅や地球の終わりを伝える黙示録的なものもいくつかあるけれど、ネイティブの人たちのそうした教えは普通は期限を区切ったりしていないのが普通である。唯一の例外はマヤの人たちの暦が2012年で終わっているということで、これは暦であるから当然その先には次のサイクルが待っているということでもあるのだろう。もちろん、地球規模の大きな変化を伝える予言はさまざまにあるし、ホピの予言が伝えたように、人間の愚かなふるまいによって偉大な浄化の時がすでにはじまっていると見る伝統派のエルダーもいるわけだが、しかしそうした一見破滅への道を突き進んでいて絶望的に見えてはいるものの、しかし結末は人間のあり方の変化によってわれわれの未来を変えうるという希望への確信が、すべてのネイティブの人たちの予言的な物語の柱になっている。

そうした予言的な話の核心にあるものを話しておくと、それは新しい子どもたち、新しい世代の登場である。ラコタのメディスンマンだったジョン・ファイアー・レイム・ディアーも、チェロキーのメディスンマンだった。ジョン・ポープ・ローリング・サンダーもともに「電気を止める世代」「電気のなくなった世界で新しい生き方を実践してみせる新しい戦士たち」の登場を予言していた。ネイティブ・アメリカンの予言的なお話しの主人公になるのは、虹の戦士の物語がそうであるように、「両親よりも賢い子どもたち」の出現なのだ。ぼくたちはこれからそうした子どもたちが多くあらわれるのを目撃するのかもしれないし、ぼくはその世代に期待していたりする。

なぜぼくがここでそんなことをここで書いているのかというと、今では生きている伝説ともなっている「新しい世代の子どもの代表」とされて日本でも少しは名の知れたセヴァン・カリス=スズキさんが、十数年前の12歳の時(1992年)にブラジルのリオデジャネイロで開かれた地球サミットに子どもの環境活動家として自分たちのお金で出かけていっておこなったスピーチが YouTUBE で公開されているのを確認したからだ。現在はすでにもう大人になっている彼女の子ども時代の伝説的なスピーチは、そのいくつかが日本語訳にもなって公開されているので、ぜひ読まれると良いと思う。そして新しい子どもたちの出現を自分の目と耳とハートで確認したい方は、このビデオをご覧になるべきである。

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arrow2 スピーチそのものの翻訳(by 佐藤万理、辻信一)
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Tuesday, May 01, 2007

ホピの予言を伝える岩

ホピの予言に関心がある人ならその予言が線刻画で描かれた岩の話しも聞いたことがあるにちがいない。ホビ国のセカンドメサの近くの崖にある予言岩(プロフェシー・ロック)とよばれる大岩に描かれているもので、これはその実物を映像に収めたもの(Part 1)。かなり消えかかっているのがわかる。このところホピの部族会議は、目の上のたんこぶ的な存在だった伝統派の排斥に傾いていて、伝統派のエルダーたちが部族会議とは関係なく世界に広めた予言や教えなどをことさらに無視する、あるいは価値をおかないようになっているので、いずれこうした線刻画も大事にされなくなるのではという危惧がある。Part 2、Part 2.5、Part 3 はホビの国にある岩に描かれたその他の線刻画を撮影したもので、英語では「ペトログリフ」と呼ばれている。なにかを伝えようとしているものであることは間違いない。

HOPI- Petroglyphs part 1
HOPI- Petroglyphs part 2
HOPI- Petroglyphs part 2.5
HOPI- Petroglyphs part 3

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