インディアンになりたい
興味深い発言を最近見つけました。誘われて入ったネイティブの人たちのメーリングリストで流れてきたものです。「アメリカ・インディアンになりたい」というひとの急増は、21世紀になってますます顕著なものになりつつあります。さまざまな理由が考えられますが、ひとつは70年代以降に起こった価値の大逆転があります。
もちろんそれによって差別や偏見がなくなったというわけではないのですが、大地とスピリットの根っこでつながっていることになにかの価値を見つけるひとたちが増えつつあることと、フル・ブラッドが姿を消していくかわりに、実際にアメリカ人社会のなかにアメリカ・インディアンの血を引き継ぐ人たちが増加していることが原因のひとつかもしれません。かつては自分のなかにネイティブの血が入っているなどと公言はできない時代が長く続いていたのですが、価値逆転の結果それを口にすることをはばかる必要がなくなってきたのかもしれません。(余談ですが、「単一民族」だと発言する日本人の多くが、自分は「縄文人」と「弥生人」のミックスだと考えているのも、最初に自己矛盾があるという点で面白い現象です。この「日本人」の形成のされ方を見ると、いまに「アメリカ人とは北米先住民と旧大陸系渡来人のミックスのことと考えられるようになるのでしょうか)
そこで、「なるほど、インディアンになりたいと、あなたはいうのですね」という匿名の発言を読んでみると、これまでのように、その手の人たちを「なりたがり屋(ウォナビー)」としてひと言で拒絶するのではない、新しい動きのようなものを感じます。つまり、「インディアンになりたいというのなら、格好だけでなく生き方もインディアンであれ」と道を指し示している感じでしょうか。そういう生き方ができるのなら、わたしはあなたをインディアンとして受け入れましょうという、ネイティブの人たちの側からの声みたいなものが聞こえてくるのです。地球に生きる人であるとはどういうことなのかを理解する資料のひとつとして、紹介しておきましょう。
なるほどインディアンになりたいと、あなたはいうのですね・・・では・・・あなたは、週末だけでなく、月曜日も、火曜日も、水曜日も、木曜日も、金曜日も、インディアンでいられますか?
あなたは、神秘的な雰囲気だけでなく、憎悪と誤解も、引き受けることができますか?
あなたは、自分のものだけでなく、他の人の権利や慣習にも、敬意を払えますか?
あなたは、偏狭さに正面から立ち向かいますか、それとも身を隠しますか?
あなたは、書物や新聞を信じますか、それともヴィジョンやお話しを信じますか?
あなたは、人間を敬うのと同じように、動物たちや、植物たち、他の生き物たちを心から敬えますか?
あなたは、ニセモノにしがみつきますか、それともなにごとかを学び続けますか?
あなたは、自分の家族に、友人に、同僚に、近所の人に、自分の意思をはっきり表明できますか?
あなたは、インディアンの団結を強めますか、それとも不和を広めますか?
あなたは、自分を日々スピリチュアルであらしめることに責任を持ちますか?
あなたは、あなたがなにものであるかを、他の人に自由に話させていますか?
あなたは、人種差別的な冗談や、誤った教科書の記述や、インディアンのマスコットについてや、広告でのぶったくり的使われ方に、抗議しますか、それともほうっておきますか?
あなたは、生活の多くの場面で、インディアンとしての伝統から、なにか益になるものを得ようと努めていますか、それとも貧しさと孤独として受け入れますか?
あなたは、他のインディアンに向かって質問をしますか、それとも彼らに答を見せますか?
あなたは、自分がインディアンであることを、雇用主に伝えますか? 聖職者には? 医師には? 役所には?
あなたは、頭に従いますか、それともハートに従いますか?
あなたは、エルダーや祖先の声に耳を傾けますか、それとも権威や役人に耳を傾けますか?
あなたは、自分のスピリットを育てますか、それとも否定しますか?
あなたは、名誉を追いかけますか、それとも妥協を求めますか?
あなたは、自分のことをインディアンといいますか、それとも部分的にインディアンだと?
あなたは、地球まるごとを聖なるものと考えますか、それとも教会や特別な建造物だけを聖地とみなすのですか?
あなたは、なにを言っているかで人を判断しますか、それともなにをしているかで判断しますか?
あなたは、感謝の祈りを捧げますか、それともさらなる値引きの交渉をしますか?
あなたは、白人に「大きな兄弟(ビッグ・ブラザー)」と呼びかけますか、それとも「小さな兄弟(リトル・ブラザー)と呼びかけますか?
あなたは、女性を女性であることで称えますか、男性を男性であることで称えますか?
あなたは、自分が地球のうえを歩くことを楽しみますか、それともそれは苦痛ですか?
あなたは、あなたのいのちもその一部であるスピリチュアルないのちの輪を守護しますか?
もし答がわたしと同じであるなら、兄弟たちよ姉妹たちよ、わたしはあなたを歓迎し、あなたがわたしたちのなかまであること誇りを持って宣言します。
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Comments
私はかつてアメリカ、今はカナダに住んでいるものですが、白人で『私の先祖にインディアンがいる』とか『ボクのおばあさんはXXXX族のインディアンだった』ってのも多くないですか?
もちろん、本当にそういう方もいるでしょうが、『ホンマかいな』と思うことも・・・・
中には、インディアンになりたいけど、本物にはなれないからせめて1/4くらい入ってたことにしてしまう人も混じってるような気がして仕方ありません。
これも、『インディアンになりたい人』=wannabeさんの変種じゃないかと言う気がします。
Posted by: 王子 | Tuesday, May 01, 2007 10:49 PM
王子さま
1980年代にあるネイティブ・アメリカンの人類学者が統計学的に調査をしたところ、2050年までにはすべてのアメリカ人のなかに「アメリカ先住民」の血が混ざり込むという結論を出していました。これはまたそのときまでにフル・ブラッドの人たちが消滅するということです。現在、32分の1、64分の1インディアンの人たちなどはそれこそどこにでもいるということでありますが、ぼくはローリング・サンダーというグランドファーザーが言っていたように、「インディアンというのは血の問題ではなく、生き方の問題だ」ということを信ずるものです。北米大陸で生まれた人たちがすべて「ネイティブ」であるというのは、幻想に過ぎません。何世代たってもネイティブになれず、スピリットの根が地球から切れたままの人たちがなんと多いことか。日本列島でも同じことが起こったのかもしれません。「日本人」は日本列島のネイティブになれないままです。128分の1縄文人は、日本列島のスピリットを引き受けることができるのでしょうか。:-)
Posted by: Kitayama "Smiling Cloud" Kohei | Wednesday, May 02, 2007 10:55 AM