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Monday, April 16, 2007

今週木曜日のワークショップを前にして

bearsheeld「現代文明は聖なるものがなんたるかをまったく理解していない」とネイティブのエルダーたちが口をそろえて言っていた。

今週の木曜日の夜に原宿にあるkurkku(クルックとは「キュウリ」の意味。キュウリはクールなものの代名詞でもある)でグッド・メディスン・トークの場を持つ。ぼくはこれまで「時の輪講座」というのを四回連続で一昨年におこなった。自分が誰であるのかに関心を持った人たちの、聖なるものの探求の役に立つ情報を共有しあいたいというのが最初の目的だった。

アメリカ・インディアン(アース・ピープル)の、世界を鏡のごとく映し出すメディスン・ホイールの上を、ひとりのモンゴロイド・ジャパニーズとして旅をはじめる人の多くが、現代文明生活のなかであらかじめ失われていた「聖なるもの(The Sacred)」という概念を獲得していく過程で、いずれ必ず「われわれは誰なのか」そして「日本人とはなになのか」という大いなる疑問にぶつかる。つぎには自分のスピリットの根っこはいったいどこにあり、なににつながっているのかを確認するために平面を移動する旅が待ちかまえている。そうなったら誰も自分のスピリットが大地とつながっている場所、その人間にとっての聖なる土地(聖なる山)を探すために空間を移動する物理的な旅から逃げることなど出来ない。それはある意味でルーツを探す旅と似てはいるが、個を超えていくという意味では、より深いヴイジョン・クエスト的な意味を持たされている。

この自分のスピリットの根っこがどこで日本列島の大地や自然とつながっているのかを探求する——横に広がる——空間の旅と、時間を——過去から未来へ、未来から過去へと縦に——さかのぼる精神的な旅のふたつがあってはじめて、その人間は自分が今どこにいるのかの座標軸を手に入れ、いまここが「どこ」なのかの地図を体の中に入れることができる。そして自分がひとりの人間として地球のうえにたっていることを自覚する。そうした空間をめぐり時間を往き来するふたつの旅の仕方について、ぼくは今日本列島でなにひとつ意識することなく「日本人をやっている」次世代に伝えることをこの20年間続けてきた。ひとりの人間として地球に生きるために、ぼくたちが通過しなくてはならない、きちんと自分の目で確認し、自分の足で歩いていかなくてはならない「通過儀礼」としてのもうひとつの世界への入口を指し示したいと考えているからだ。

アメリカ大陸のネイティブについて知っていくことが、なぜ自分のことを知ることにつながるかを、そしてそのことを知ってしまった人間がなにをなせばよいのかを、ぼくたちは日本列島といかにして魂をつなげるのかを、この機会にいささかでも分けあいたいと考えている。

I will see you soon.

next Native Heart: 北山耕平4月のワークショップのお知らせ

*今週木曜日のワークショップの準備のために特別なことがないかぎり週の前半の更新は予定していません。

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