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Monday, April 30, 2007

カチーナが好きなあなたのための本

少々値段が張りますが、カチーナが好きな人にはたまらない写真集を紹介します。ポピやズニの人たちが手作りするカチーナ人形が今風になる以前の、昔からの伝統を引き継いでいた時代の素朴でキュートな、そして不思議な力を持っているカチーナたちと出会うことができます。質素で、そしてスピリチュアルであるとはどういうことかを考えさせてくれます。

下の本の写真やタイトルには Amazon.co.jp の該当ページへのリンクが貼ってあります。同じ本の Amazon.com(アメリカ)のサイトでは、写真集の中身が少しですがのぞけるようになっています。

imagenameClassic Hopi And Zuni Kachina Figures
Barton Wright (著), Andrea Portago (写真)

外貨参考価格: $55.00
価格:¥ 5,789 (税込)
ハードカバー: 173ページ 寸法: 31 x 25.9 x 2.3 cm
出版社: Museum of New Mexico Pr (2006/5/16)
ISBN-10: 0890134839
ISBN-13: 978-0890134832

arrow2 Amazon.co.jp: Classic Hopi And Zuni Kachina Figures
arrow2 Amazon.com: Classic Hopi And Zuni Kachina Figures

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インディアンになりたい

American-Spirit興味深い発言を最近見つけました。誘われて入ったネイティブの人たちのメーリングリストで流れてきたものです。「アメリカ・インディアンになりたい」というひとの急増は、21世紀になってますます顕著なものになりつつあります。さまざまな理由が考えられますが、ひとつは70年代以降に起こった価値の大逆転があります。

もちろんそれによって差別や偏見がなくなったというわけではないのですが、大地とスピリットの根っこでつながっていることになにかの価値を見つけるひとたちが増えつつあることと、フル・ブラッドが姿を消していくかわりに、実際にアメリカ人社会のなかにアメリカ・インディアンの血を引き継ぐ人たちが増加していることが原因のひとつかもしれません。かつては自分のなかにネイティブの血が入っているなどと公言はできない時代が長く続いていたのですが、価値逆転の結果それを口にすることをはばかる必要がなくなってきたのかもしれません。(余談ですが、「単一民族」だと発言する日本人の多くが、自分は「縄文人」と「弥生人」のミックスだと考えているのも、最初に自己矛盾があるという点で面白い現象です。この「日本人」の形成のされ方を見ると、いまに「アメリカ人とは北米先住民と旧大陸系渡来人のミックスのことと考えられるようになるのでしょうか)

そこで、「なるほど、インディアンになりたいと、あなたはいうのですね」という匿名の発言を読んでみると、これまでのように、その手の人たちを「なりたがり屋(ウォナビー)」としてひと言で拒絶するのではない、新しい動きのようなものを感じます。つまり、「インディアンになりたいというのなら、格好だけでなく生き方もインディアンであれ」と道を指し示している感じでしょうか。そういう生き方ができるのなら、わたしはあなたをインディアンとして受け入れましょうという、ネイティブの人たちの側からの声みたいなものが聞こえてくるのです。地球に生きる人であるとはどういうことなのかを理解する資料のひとつとして、紹介しておきましょう。


なるほどインディアンになりたいと、あなたはいうのですね・・・では・・・

あなたは、週末だけでなく、月曜日も、火曜日も、水曜日も、木曜日も、金曜日も、インディアンでいられますか?

あなたは、神秘的な雰囲気だけでなく、憎悪と誤解も、引き受けることができますか?

あなたは、自分のものだけでなく、他の人の権利や慣習にも、敬意を払えますか?

あなたは、偏狭さに正面から立ち向かいますか、それとも身を隠しますか?

あなたは、書物や新聞を信じますか、それともヴィジョンやお話しを信じますか?

あなたは、人間を敬うのと同じように、動物たちや、植物たち、他の生き物たちを心から敬えますか?

あなたは、ニセモノにしがみつきますか、それともなにごとかを学び続けますか?

あなたは、自分の家族に、友人に、同僚に、近所の人に、自分の意思をはっきり表明できますか?

あなたは、インディアンの団結を強めますか、それとも不和を広めますか?

あなたは、自分を日々スピリチュアルであらしめることに責任を持ちますか?

あなたは、あなたがなにものであるかを、他の人に自由に話させていますか?

あなたは、人種差別的な冗談や、誤った教科書の記述や、インディアンのマスコットについてや、広告でのぶったくり的使われ方に、抗議しますか、それともほうっておきますか?

あなたは、生活の多くの場面で、インディアンとしての伝統から、なにか益になるものを得ようと努めていますか、それとも貧しさと孤独として受け入れますか?

あなたは、他のインディアンに向かって質問をしますか、それとも彼らに答を見せますか?

あなたは、自分がインディアンであることを、雇用主に伝えますか? 聖職者には? 医師には? 役所には?

あなたは、頭に従いますか、それともハートに従いますか?

あなたは、エルダーや祖先の声に耳を傾けますか、それとも権威や役人に耳を傾けますか?

あなたは、自分のスピリットを育てますか、それとも否定しますか?

あなたは、名誉を追いかけますか、それとも妥協を求めますか?

あなたは、自分のことをインディアンといいますか、それとも部分的にインディアンだと?

あなたは、地球まるごとを聖なるものと考えますか、それとも教会や特別な建造物だけを聖地とみなすのですか?

あなたは、なにを言っているかで人を判断しますか、それともなにをしているかで判断しますか?

あなたは、感謝の祈りを捧げますか、それともさらなる値引きの交渉をしますか?

あなたは、白人に「大きな兄弟(ビッグ・ブラザー)」と呼びかけますか、それとも「小さな兄弟(リトル・ブラザー)と呼びかけますか?

あなたは、女性を女性であることで称えますか、男性を男性であることで称えますか?

あなたは、自分が地球のうえを歩くことを楽しみますか、それともそれは苦痛ですか?

あなたは、あなたのいのちもその一部であるスピリチュアルないのちの輪を守護しますか?

もし答がわたしと同じであるなら、兄弟たちよ姉妹たちよ、わたしはあなたを歓迎し、あなたがわたしたちのなかまであること誇りを持って宣言します。

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Thursday, April 26, 2007

法律の届かない迷路のなかでネイティブの女性たちは

maze_of_injustice24日に国際人権団体であるアムネスティ・インターナショナルUSAが「不法の迷路(Maze of Injustice)」と題して発表した、ネイティブ・アメリカンと、アラスカのネイティブの女性たちが性的暴力やレイプの被害者になる割合がアメリカ全体の平均の3倍近くに達しているという報告が、波紋を広げている。人権団体に言わせれば、合衆国政府によって作りあげられている複雑な部族の構造や、州と連邦の司法管轄のはざまにおかれているために、先住民の女性たちを性暴力から守ることができす、被害がより増し続ける傾向にあるという。

アムネスティー・インターナショナルの調査員のインタヴューを受けた先住民の女性たちのほとんどが「自分のコミュニティーで性暴力の被害に遭っていない女性はいない」と語っていたと報告する。被害を受けた女性の大半は警察からも相手にされず、法医学的な検査を受けることもなく、事件が訴追されることもない。報告の分析では、先住民女性にたいするレイプや性暴力の加害者の86%が非ネイティブの男性だという。こうした先住民女性にたいする性暴力は、アメリカにおける先住民のひとたちの基本的な人権侵害の歴史をそのまま反映しているのである。先住民の女性たちは、入植者たちや兵士たちによって、征服と植民地化の過程でずっと強姦され続けてきたのだ。

この問題に関心のある人は以下のアムネスティー・インターナショナルのサイトまで(英文)

next Join Voices with Native American and Alaska Native Women and Take Action to Stop the Violence

next スライドショー[Slide show: Maze of Injustice]

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Wednesday, April 25, 2007

The Movie; Bury My Heart at Wounded Knee

bury_my_heart_at_wounded_knee

ウーンデッドニーの虐殺にいたるまでのラコタの人たちの歴史を、チャールズ・イーストマン(オヒエサ)、シッティング・ブル(タタンカ・イヨタンカ)というふたりのネイティブと、この事件に関わりを持ったひとりの白人の上院議員の視点から描いた映画『わが魂を聖地に埋めよ』の制作が進められているというニュースを以前お伝えした。「わたしのハートをウーンデッドニーに埋めてくれ」というのが原作(「我が魂を聖地に埋めよ」上下巻。アメリカ・インディアン闘争史——ディー・ブラウン著。鈴木主税訳 草思社刊)のタイトルであり、映画も「Bury My Heart at Wounded Knee」とタイトルされている。この映画がついに完成し、来月5月27日日曜日の夜に全米テレビのHBOで初公開されるという報せが届いた。

bury_my_heart_at_wounded_knee2ぼくの暮らしている日本という国ではHBOは放映されていないので、残念なことに見ることができないが、あなたが今アメリカで生き延びているのなら、ぜひ見てほしいと思う。できれば録画を手に入れたいな。予告編やより詳しい情報は以下のサイトで。

The Movie; Bury My Heart at Wounded Knee ~ Premieres on HBO, Sunday, May 27 at 9pm<> 8pm Central

For more info,visit: http://www.hbo.com/films/burymyheart/index.html

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Sunday, April 22, 2007

Every Day is Earth Day

Earth Day

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Friday, April 20, 2007

人間にとって歩くことは祈りの形のひとつ

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*3月21日春分の日に島根県の島根原発を出発して6月22日夏至に六ヶ所村に到達するピースウオークが石川県に到達しようとしています。熊本デアンナプルナ農園を営む正木高志さんが提唱してはじまりました。木を植えながら、おむすびを食べながら、日本海側を北上中。憲法9条の精神と六ヶ所の事を伝えようという祈りの巡礼です。[スタジオ・リーフ/人間家族編集室からの情報]

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Wounded Knee

Wounded Knee

*19世紀末のゴーストダンスという平和と希望を求める平和運動と、その結末としてウーンデッドニーで起こった虐殺事件が、ネイティブ・アメリカンの人たちの頭とこころにどのくらい深い影響を与えているかを知ることができる。

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全米史上最悪の虐殺事件という報道について

wndknee.jpgバージニア工科大学でアジア系学生による銃乱射による虐殺事件が起き、「アメリカ史上最悪の皆殺し」「全米史上最悪の凄惨な事件」といった言葉がメディアを連日賑わせていることにたいして、アメリカ・インディアンの側から疑問の声があがりはじめている。

簡単に言ってしまえば「アメリカの歴史上かつてないほどの虐殺?」「ほんとかよ?」「最悪の銃乱射?」「冗談でしょ」というもの。

たとえば現在カリフォルニアのホリスターに暮らすラコタ・スー族のジョーン・レッドファーンさんは、ギルロイ・ディスパッチという新聞のレポーターに「このての見出しはもううんざり」と語っている。「メデイアの人たちは誰ひとりとして、メソジスト教会の聖職者のチビントン大佐がコロラドのサンド・クリークでシャイアンとアラパホの、主に女性や子供や老人の200人から400人の人たちを皆殺しにした事件を、ただの一度も聞いたこともないって言うの?」

サンドクリークの虐殺は、1864年11月29日に起きた事件であり、チビントン大佐は特に子どもたちを殺すようにとの命令を下しており、後に理由をたずねられると「全員を殺して、大きいのから小さいのまで、全部の頭の皮をはがさせたのは、シラミの卵はシラミにしかならないから」とこたえていた。

1890年12月29日、サウスダコタ州のウーンデッドニー渓谷では第七騎兵隊が武器を持たずに「ゴーストダンス」という宗教儀式に臨んでいた350人のラコタ・スーの人たちを襲撃して、およそ90人のラコタの戦士たちや200人の子どもや女性たちを殺害した(写真)。公式な報告でも、マイルズ将軍によるこの事件は「不当な虐殺」と書かれているものの、この虐殺に関与した兵士たち23人には合衆国政府に栄誉勲章が贈られている。

source : GilroyDispatch A Native Perspective on Virginia Tech Headlines

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Thursday, April 19, 2007

平和(PEACE)

Peace

最初の平和、平和のなかで最も重要な平和は、宇宙と宇宙に備わるすべての力と自己がつながりがあり、それと一体化していることに気がついたとき、そしてその宇宙の中心には、すなわちわれわれひとりひとりすべての内側にある宇宙の中心には、ワカン・タンカが、偉大なる精霊が、お住まいになられていることに気がついたときに、人々の魂の内側におとずれるものである。

この平和こそがほんものの平和であり、その他の平和はみなこの平和の投影に過ぎない。第二の平和は、ふたりの人間の個と個のあいだに形成されるもので、第三の平和は、ふたつの国と国の間で形作られるものだが、しかしなによりもあなたがたは、ひとびとがほんとうの平和を、われわれの魂のなかにあるとわたしが幾度も申しているその平和を知ることなくして、国と国のあいだに平和はけして訪れることがないことを、まずは理解すべきである。



ブラック・エルク オグララ・ラコタ 精神的指導者(1863 - 1950)

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Monday, April 16, 2007

今週木曜日のワークショップを前にして

bearsheeld「現代文明は聖なるものがなんたるかをまったく理解していない」とネイティブのエルダーたちが口をそろえて言っていた。

今週の木曜日の夜に原宿にあるkurkku(クルックとは「キュウリ」の意味。キュウリはクールなものの代名詞でもある)でグッド・メディスン・トークの場を持つ。ぼくはこれまで「時の輪講座」というのを四回連続で一昨年におこなった。自分が誰であるのかに関心を持った人たちの、聖なるものの探求の役に立つ情報を共有しあいたいというのが最初の目的だった。

アメリカ・インディアン(アース・ピープル)の、世界を鏡のごとく映し出すメディスン・ホイールの上を、ひとりのモンゴロイド・ジャパニーズとして旅をはじめる人の多くが、現代文明生活のなかであらかじめ失われていた「聖なるもの(The Sacred)」という概念を獲得していく過程で、いずれ必ず「われわれは誰なのか」そして「日本人とはなになのか」という大いなる疑問にぶつかる。つぎには自分のスピリットの根っこはいったいどこにあり、なににつながっているのかを確認するために平面を移動する旅が待ちかまえている。そうなったら誰も自分のスピリットが大地とつながっている場所、その人間にとっての聖なる土地(聖なる山)を探すために空間を移動する物理的な旅から逃げることなど出来ない。それはある意味でルーツを探す旅と似てはいるが、個を超えていくという意味では、より深いヴイジョン・クエスト的な意味を持たされている。

この自分のスピリットの根っこがどこで日本列島の大地や自然とつながっているのかを探求する——横に広がる——空間の旅と、時間を——過去から未来へ、未来から過去へと縦に——さかのぼる精神的な旅のふたつがあってはじめて、その人間は自分が今どこにいるのかの座標軸を手に入れ、いまここが「どこ」なのかの地図を体の中に入れることができる。そして自分がひとりの人間として地球のうえにたっていることを自覚する。そうした空間をめぐり時間を往き来するふたつの旅の仕方について、ぼくは今日本列島でなにひとつ意識することなく「日本人をやっている」次世代に伝えることをこの20年間続けてきた。ひとりの人間として地球に生きるために、ぼくたちが通過しなくてはならない、きちんと自分の目で確認し、自分の足で歩いていかなくてはならない「通過儀礼」としてのもうひとつの世界への入口を指し示したいと考えているからだ。

アメリカ大陸のネイティブについて知っていくことが、なぜ自分のことを知ることにつながるかを、そしてそのことを知ってしまった人間がなにをなせばよいのかを、ぼくたちは日本列島といかにして魂をつなげるのかを、この機会にいささかでも分けあいたいと考えている。

I will see you soon.

next Native Heart: 北山耕平4月のワークショップのお知らせ

*今週木曜日のワークショップの準備のために特別なことがないかぎり週の前半の更新は予定していません。

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Saturday, April 14, 2007

消費 VS 脱消費 (Updated)

ここの【最新情報とおもしろ情報を30秒で伝えるネットサーフィンメモ】改め【なんだいのネットサーフィンメモ】サイトによれば「電通PR戦略十訓」というものがあるという。労働・生産・消費・労働・生産・消費・労働・生産・消費・労働・生産・消費・労働・生産・消費・労働・生産・消費と果てしなく続くシステムを動かしているエネルギーを創り出しているものの実態が見えるような「教え」なので、記録しておく。すべてを逆さまにしてみると、コマーシャルに踊らされない「もうひとつの生き方」が見えてくる。

電通PR戦略十訓脱「消費社会」戦略
もっと使わせろもっと使うな
捨てさせろ捨てるな
無駄使いさせろ無駄使いするな
季節を忘れさせろ季節を忘れるな
贈り物させろ贈り物は正しい相手に
組み合わせで買わせろ組み合わせで買うな
きっかけを投じろきっかけに踊らされるな
流行遅れにさせろ流行なんてない
気安く買わせろよく考えて買え
混乱を作り出せ混乱を避けよ

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コギとホピをつなぐヴィジョン

Kogi~Hopi Dreams

晩年のトーマス・バンヤッカ(伝統派ホピ)とガブリエル・アリマコ(コギのママ[知者])というふたりのエルダーたちの記録映画のプレビュー作品。古モンゴロイド・ネットワークの中核であるホピとコギのつながりを世界に示すための映画らしい。イーグルとコンドルが共に空を舞っているこのプレビューのなかで、われわれはコギの知者たちと今は亡きホピのトーマス・バンヤッカに「静かに」出会うことができる。

next Native Heart コギ関連記事: 「兄」から「弟」へのメッセージ

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Friday, April 13, 2007

死者の饗宴というワイアンドット一族の習慣

Inside Longhouse「ワイアンドット」は、以前は「ヒューロン」と呼ばれていた人たちだ。ヒューロンというと地が北米にはいくつもあるためにまぎらわしいとして最近は「ワイアンドット」とか「ウェンダット」と呼ぶようになっている。カナダのケベック州の南部南オンタリオにもともといたイロコイ語族に属すクウェンダケなど先住民族の4つの部族の連合体で、ヒューロン族という名前はフランス人の探検家の命名によるもの。

ワイアンドットの人たちは大きな村を形作り、ロングハウスと呼ばれる長屋で暮らしていた。長屋は「ガナンチャ」と呼ばれる、幅約6メートル、長さが50メートル近くもある大きなもので、内部にはふたつの炉が作られ、天上には煙抜きの穴がふたつあけられていた。1410年に現在のニューヨーク州にあった最大の長屋は全長が125メートルもあったという。(図はロングハウスの内部)

彼らは10年から15年に一度、長屋の地面が乾燥しきってしまうと、村全体が別の——地面がしめっている——土地に移住することを昔から繰り返してきた。村の周りには当然ながらその土地に暮らしてきたあいだに亡くなった人たちの墓が作られている。そして村が移動する際には、非業の死を遂げたもの以外の死者の骨は、そうした一時的な墓からあらためて取り出されて、部族が共有する納骨場所に移された。納骨場所は地中に掘られた深い穴で、周囲をビーバーの毛皮で囲われていた。その移動にさいして、死んだ一族の者への深い愛情を表し、部族と部族の同盟をより強固なものとするために、「死者の饗宴」が盛大に開かれ、死者の魂を解き放ち、先祖の神々が生きて暮らしている西方の土地へ旅立たせる儀式か執りおこなわれた。

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Thursday, April 12, 2007

カード・ボネガットが亡くなった

いつのころからか小説をほとんど読まなくなった。それでもまったく読まないわけではなく、何人かの海外小説家のものは読む。ネイティブ・アメリカンに関係ある小説としてはトニイ・ヒラーマンの「ナバホもの」は全部読んでいる。シャーマン・アレクシーの作品も、必ず手にとるが、最新作の評判があまりよくないのが気になる。ネイティブ・ピープルの世界と関係のない小説となると、まったくと言っていいほど読まない。20代のころはSFやミステリをずいぶん読んだが、最近はとんとご無沙汰である。繰り返すがトニー・ヒラーマンのミステリだけは、題材がアメリカ南西部のナバホやその他のプエブロの文化であるという理由だけでなく、ミステリとしても一級なので、読みながらデザートを追体験できるところが気に入って欠かさず読む。しかし普通の現代小説となると、これがほんとうに読まない。

Kurt Vonnegutなぜこんな話を書いているかというと、ぼくが唯一新しい作品が出るのを心待ちにしていた小説家の、カード・ボネガットが昨日4日にニューヨークでなくなったという記事を読んだからだ。カート・ボネガットは、カード・ボネガットJrという名前で発表していたころからの小説だけでなく、最近に至るまでのエッセイも、脚本も、講演録も、ちょっとした走り書きや、どこかの大学の卒業式に招かれたときの贈る言葉も、とにかく彼についてはなんであれ探し出して読んできた。彼のものの見方、世界の認識の仕方から学んだことはとてもおおい。彼は自らの戦争体験に基づき、深い絶望と共に、戦争や権力というもののあほらしさを時にシニカルに、時に滑稽なまでの社会批評として伝え続けた。禁煙がはびこる世の中で彼は最後まで煙草をやめることなく、自分は煙草でゆっくりと自殺するのだと発言していた。あらゆる宗教を疑う立場をとりながら、おそらく自由にたいする信仰は人一倍強かったように思える。(彼の公式ホームページを見ると、彼がやっと自由になったことがわかる。まったく「おつかれさまでした」であります)享年84歳。

これでまた小説を読む理由がさらに減ってしまった。

VONNEGUT•COM -- The Official Website of Kurt Vonnegut

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環境にたいするホロコーストを終わらせるために

Haida Gwaiiこのブログで以前にも何回か紹介したが、カナダのブリティッシュ・コロンビアの北西部沿岸に位置するクイーン・シャーロット島で暮らすハイダの長老の言葉に、「力をあわせれば、われわれは環境にたいするホロコーストに終止符を打つことができる」というものがある。「ホロコースト」は、普通第二次世界大戦において推定600万人のヨーロッパのユダヤ人がアドルフ・ヒトラーに率いられた国家社会主義者(ナチ)による絶滅計画によって大虐殺されたことをいう。このホロコーストという言葉を耳にすると、現実を受けれる能力を持った人は、頭を深くたれて、胸を痛め、二度とそのようなことが起こってはならないと心に誓う。ところが先のハイダの長老の言葉は、われわれの環境にたいする「絶滅計画」が今もなお実行に移されていることを教えている。人間が地球にたいして、環境にたいして、おこなっている——おこない続けている——ことをひとつひとつ本気で精査する必要があるのかもしれない。これまでにたくさんの種が絶滅させられてきたし、われわれが力をあわせてこの行為を止めることが出来なければ、これから10年のあいだにさらに多くの種が絶滅していくことになる。われわれはなにも深く考えることなく多くの生命を消し去ってきた。失われたものは二度と返ることはない。すべてが手遅れになる前に、必ずややれることがまだ残されているはずなのだ。

next 平成18年12月22日に環境省が発表した資料−鳥類、爬虫類、両生類及びその他無脊椎動物のレッドリストの見直しについて

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Wednesday, April 11, 2007

コロンブスがきたときにはじまった戦争はまだ続いている

Michael Berry3月下旬にテキサス州ヒューストン市のミカエル・ベリー[Michael Berry]市会議員(写真)がラジオ番組(KPRC--TALKRADIO 950AM)のなかで語った言葉が波紋を広げている。市会議員を三期連続でつとめ、最近は「ヒューストンで最も優れたラジオ・ホスト」にも選ばれた「正直者の」彼は、このように話したのだった。

「これ以上アメリカ・インディアンに謝罪するために、これまでのように時間とエネルギーを費やすべきではない。われわれは連中に、カジノだって与えてやったし、特別な狩猟漁猟のライセンスも与えた。特別な奨学金も与えている。いったいなぜなんだ。理由がわからない」

「なるほどわれわれは連中を征服した。いいですか、そいつはもう歴史なんだ」

「アメリカ・インディアンに生活保護を与えることに有権者は反対すべきでしょう。なぜなら、連中は200年前に戦いで敗退した。ありのままを見ようじゃないですか。連中はわれわれと戦争をして負けたものたちなのだ」

Source : CENSORED: Racism: Houston Mayor Pro Tem Insults American Indians

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Saturday, April 07, 2007

蝶々はなぜつくられたのか? (部族不明)

る日のこと、すべてを作られるお方は座ったまま子どもたちが、元気に、喜びと若さをあふれさせて、遊ぶのを見ておられた。あたりは美と木や花たちの良い香りに包まれていた。鳥たちは幸せそうに歌い、空はどこまでも青かった。彼には女たちがトウモロコシを粉に摺りおろす光景も見えた。女たちは誰も彼もみな美しく、それぞれの黒髪には日の光が輝いていた。なんと良い光景だろうか!

しかし、すべてを作られるお方は見抜かれていたのだ、そうしたものはみなことごとく変わってしまうことを。子どもたちはやがて大人になり、年寄りになって、その肌は皺だらけになるだろう。美しい女たちも、いつかは太って醜くなり、美しい黒髪も白くなってしまうにちがいない。木々の葉は茶色く色が変わって死んで落ちてしまう。今は美しい花の良い香りも、いずれはあせてしまうことだろう。すべてを作られるお方はハートを曇らせ、不安をつのらせた。時は秋であり、すべてを作られるお方にはじきに野生の動物たちも姿を消すことがわかっていた。青々としている木々の葉も、いずれみななくなって、厳しい季節がおとずれるのだ。

たちがトウモロコシを挽いて粉にするのをうかがいながら、すべてを作られるお方は、今そこで自分の目に見えているたとえようもなく素晴らしいもののいくつかを、なんとか美しさを保ったままにとどめておこうと考えられた。後で誰が見ても楽しめるようななにかを、心とスピリットを踊らせるようなものを、ここはひとつ作っておくのがよいだろうと。そこですべてを作られるお方は「創造の袋」をとりだして、そのなかにいろいろなものを集めはじめられた。

butterflies空の青を少しと、トウモロコシの粉の白を少し。それから日の光に輝く場所の明るさを少しと、女たちの美しい黒髪の黒を少し。木の枝から落ちた葉の黄色を少しと、松の木のとがった葉の緑を少し。すべてを作られるお方はさらに、花たちのなかから、赤色と、紫色と、オレンジ色も少しずつ集められた。すべてを作られるお方はそうしたものをすべてすこしずつ創造の袋のなかにしまわれた。それから最後に、鳥たちのさえずる歌のいくつかも、集めてその袋のなかにしまわれた。

そうしたものを集める作業が一通り終わると、すべてを作られるお方はつぎに子どもたちを呼び集められた。そしてその袋を開けてみなさいと言われた。驚くようなものが入っているだろうと。

われるまま子どもたちが袋の口を開けると、何百、何千という数の、それはそれは美しい蝶々が、袋の中からいっせいに飛び出してきたのだった! 歓声をあげた子どもたちの周囲を、蝶々たちはその頭を輝かせて飛び回っている。蝶々たちは羽ばたきながら花々の間を飛び渡り、歌いながら甘い蜜を吸ってまわった。それを見ていた子どもたちの心だけでなく、大人たちの心までもが、蝶々と一緒に空を飛び回った。それまでまだ誰も、これほどまでに美しく人の気持ちを幸せにさせてくれるようなものを見たことがなかった。蝶々たちが空を舞うのにあわせて、みなは歌を口ずさみはじめた。

ところが、鳥たちの中にやっかみ屋の鳥が一羽いた。やっこさんはすべてを作られるお方の肩に降り立ち、声を荒げて叱るように歌った。「そのように美しいものたちにわたしたちの歌を与えるなんて良いことではありません! わたしたち鳥をお作りになられたとき、あなたさまは、それぞれに異なる歌を授けると、おっしゃいました。あの美しきものたちにはすでに虹の七色のすべてが与えられているのに、そのうえにわたしたちの歌まで取りあげて授けるのですか」

すべてを作られるお方は「それももっともだ」とうなづかれた。「わしは鳥のひとつひとつに異なる歌を授けたのだった。そうだそうだ、その歌を取りあげてはならなかったのだ」

そのようなことがあったために、結局、蝶々から歌は取りあげられることになった。だから蝶たちはそのとき以来、今日まで押し黙ったまま、空を飛ぶのである。しかしそのかわりに蝶は、人々の日々を明るくし、心のなかの歌を呼び覚ましてくれるのだ。

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Friday, April 06, 2007

レオナルド・ペルティエがノーベル賞候補に

テキサス州エルパソで活動を続けるレオナルド・ペルティエ・ディフェンス・コミティー(LPDC)は、この4月3日にレオナルド・ペルティエが公式に2007年のノーベル賞候補にノミネートされたとの報せを受け取ったと発表した。今年のノーベル賞にはすでに181人がノミネートされている。受賞者の名前は今年10月中旬に発表される。

next Leonard Peltier Defense Committee
next レオナルド・ペルティエに自由を !

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『アメリカ先住民の宗教』という本をすすめる理由

sheeldこの数ヶ月住居の移転などがあって落ち着いて本を読むこともできなかったが、ようやく少し自分の時間を取り戻しつつあり、本を読むこともできるようになってきた。先月後半に読了した『アメリカ先住民の宗教』(ポーラ・R.ハーツ著、青土社)は、このブログに関心を寄せてくださるひとにぜひともすすめておきたいのでこうして紹介の記事を書くことにした。(shop NATIVE HEART にも入っているので購入の際にはぜひこちらから\(^O^)/)

アメリカ・インディアンを「ひとつの民族」として理解することなど誰にも出来ないことである。なぜなら、それはぼくがローリング・サンダーに言われたように、「日本列島と、朝鮮半島と、台湾と、極東アジア大陸にいた人たちを全部まとめてインディアンと呼ぶに等しいこと」だからだ。

コロンブス到来以前の北米大陸には、最近しばしば言われるように「500」もしくはそれ以上の国々が存在した。それぞれの国には当然それぞれの国人たちが太古から伝えてきた信仰、宗教があった。そして各々の暮らす自然環境や風土に応じてそれぞれの信仰が細部において微妙に異なっているのは当然のことである。

共通しているものをしいてあげるならば、世界を支配するバイアスを持たされたいかなる既成の組織宗教(キリスト教・仏教・イスラム教・ユダヤ教などなど)の影響と支配を受けておらず、自分たちの生存する自然環境(宇宙)との密接なつながりと、自然界の万物に宿るスピリットにたいする無条件の敬意の上に形作られたものということが出来る。

この本は、アメリカ先住民の宗教を分析しそれぞれに共通している要素を紡ぎ出してまとめたもので、地球の上に生きるための道案内の一冊になってくれるものである。アメリカ・インディアンには、「宗教」という概念はもともとなく、それは「人間の生きる道」として認識されていた。この意味では、古代中国から古代の日本列島にまで大きな影響を与えた「道教(タオ)」の考え方が、最もよく似ていると言っていい。老子や荘子の唱えた「道(タオ)」の教えは、極東アジアのネイティブ・ピープルの教えが漢字に書きとめられたものと見る方がよいものなのかもしれない。

『アメリカ先住民の宗教』という本は、「地球に生きる人の道」をトータルに理解し、人間という存在を理解し、自分を理解し、地球のハートを自分のものとした祈りある生き方を自分の環境のなかで実践するための方法を提示してくれるだろう。もちろんこのなかには、儀式のやり方などがことこまかに解説されているものではない。そういうものを期待してこの本を手にとると失望するかもしれない。だがぼくはこの本はぼくたちにとっても重要な、すべての聖なるものを喪失したわれわれがもう一度自然や宇宙との関係を修復するためのテキストとして利用できるものだと思っている。

これは、読む人間をアメリカインディアンにしてしまうたぐいの本ではなく、地球に生きるとはどういうことなのかを、既存の宗教に頼ることなく理解するための道具なのかもしれない。

「ヨーロッパ人との最初の接触から今日まで、先住民諸部族は、彼らの宗教を根絶しようとする外的な力と戦い続けてこなければならなかった。儀式は禁止され、聖地は取りあげられた。彼らが取り組んできた課題とは、白人社会の只中で暮らしながら、自分たちの伝統に誠実に生きる方法を見つけることだった。なんとか、彼らの宗教は生き残った。確かに多くのものが失われてしまったが、それでも今日、アメリカ先住民の宗教的慣習は、活気と力強さを保っている」(同書より)

「アメリカ先住民の宗教の起源は、有史前まで何万年もさかのぼる。それは生の道そのものと同様、終わりのない道なのだ。その道を辿る先住民の人々は、この世界が単なる物質的な場所でないということを理解している。それは数々の聖なる存在と精霊の力とに満ちた霊的な宇宙でもあるのだ。その宇宙の中を彼らは日々歩き、その宇宙が彼らの生を導いてくれる」(同書より)

アメリカ先住民の宗教アメリカ先住民の宗教
ポーラ・R.ハーツ(著)、西本あづさ(翻訳)
価格: ¥2,310(税込)

単行本:204ページ
出版社:青土社 (2003/11)
ISBN-10: 4791760840
ISBN-13: 978-4791760848
商品の寸法: 19.2 x 13.6 x 2.2 cm

目次

  1. 序論—聖なる道
  2. 精霊の世界と聖なる道
  3. 世界の創造—口承の伝統
  4. アメリカ先住民の祭式と儀式
  5. 健全さと癒し
  6. 生の道
  7. アメリカ先住民の宗教とキリスト教
  8. アメリカ先住民の宗教の現在

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Wednesday, April 04, 2007

北山耕平4月のワークショップのお知らせ

microphone4月19日(木曜日)午後7時から9時まで小生のイブニング・メディスン・トークがあります。帝都東京の原宿にあって「気持ちよく、よく生きる」ために「環境によいもの」を扱う kurkku(クルック)というユニークなスペースでのワークショップです。詳しくは下のサイトの案内をご覧ください。

地球に生きる人の思考法
ーネイティブ・アメリカンとネイティブ・ジャパニーズの道を辿る

▼ 日時:2007年4月19日(木)19:00-21:00
 (内容により、終了予定時刻を過ぎる場合がございます。ご了承ください。)
▼ 主催/開催場所:kurkku
▼ 定員:50名(先着順 満席になり次第予約受付終了)
▼ 受講料:3,500円

arrow kurkku | workshop on NATIVE
arrow kurkku | クルック ウェブサイト
arrow kurkku|map・info 地図

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Tuesday, April 03, 2007

このつぎにポテト・チップを食べるときに思い出してください

potato_chip_george_crum人間がこの地球で栽培している作物で、最も多く消費されているものは米。では2番目にたくさん人間の胃袋におさまっている作物といったら、それはジャガイモ、ポテトなんだな。そのポテトを薄く輪切りにして、からっと油で揚げて、軽く塩をふったものが、ポテト・チップで、これを好きな人は意外なほどたくさんいる。どのスーパーマーケットやコンビニに行っても、実にたくさんの種類のポテト・チップが人々を招き寄せている。最近の日本語では「ポテチ」と省略して呼んだりする。ポテチはアメリカ人だけでなく世界の多くの人たちが好物にしているスナックである。

しかしこのポテチこと「ポテト・チップ」がネイティブ・アメリカンの発明だと言うことを知っている人は少ない。ぼくも教わるまではそんなことを考えたこともなかった。

ポテト・チップは1853年に作られた。この年はペリーを乗せた黒船が江戸湾の入口に姿を見せた年である。この年、ニューヨーク郊外のリゾート地のしゃれたレストランで料理人をしていたネイティブ・アメリカンとアフリカンの血を引く——いわゆる「ブラック・インディアン」の——ジョージ・クラムという人(写真)が、彼の調理したフレンチフライのジャガイモの厚さが厚すぎるといって二度も皿を突っ返してきたお客に腹を立てて、載せているフォークが透けて見えるぐらい薄切りにしたポテトでカリカリのフライを作ったことが端緒である。

あくまでも抗議のつもりでわざとつくって見せたものが、彼の意に反して大評判となったのだった。リゾート地にやってくる物見高いお客たちは紙のように薄いポテトに熱狂したという。そのリゾート地の他のレストランでも、クラムが思いついたポテト・チップを注文する客があとを絶たず、いつしかその薄切りのポテトをからっと揚げた料理は「サラトガ・チップス」という名前で呼ばれるようになった。

それから7年後の1860年に、ジョージ・クラムはサラトガ湖のそばに自分の店を開店。多くのセレブや各界の著名人や金満家が彼の店の常連になったという。クラムは1914年に92歳でなくなった。

arrow2 A History of the Potato Chip

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