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Friday, March 30, 2007

グレイトスピリットと火の関係

choctaw sealミシシッピ川の中流域から下流にかけての土地で暮らしていたチョクトーの人たちの言葉では「偉大なる精霊グレイトスピリット」のことを「ハシタリ」という。その意味は「真昼の太陽」である。太陽は一族の人たちの生と死を司る力を持っていると、彼らは信じていたので、真昼の太陽がそのままグレイトスピリットを指し示す言葉になった。

で、ハシタリと、いわゆる「火」が友だちであるという教えが彼らにはある。ハシタリと火は常に緊密に連絡を取りあっていると、もっぱら信じられてきたし、子どもたちにはそのように教え込まれる。火は、自分が地球で見たこと聞いたことを、逐一ハシタリに伝えているのだと。とくに、人間の悪いおこないについては、火はことさらに詳しくハシタリに報告する。チョクトーの人たちは、だから、火が燃えているそばでなにかいけないことをすると、その悪さは太陽に筒抜けになっていることを知っているのだ。small fire

チョクトーの子どもたちがみんな火の周りではよい子なのはそうした理由による。

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酔っぱらって車を運転したふたりのインディアンの勇者の話

森のなかでインディアンたちが大勢で酒盛りを開いていると、いきなり黒雲がやってきて雷が鳴り、空の底が抜けたかのような土砂降りになった。

パーティに参加して楽しんでいたふたりのインディアンの若者が、ずぶ濡れになりながら10分ほどおぼつかない足で、必死に走って自分たちの車までなんとかたどりついた。

へべれけに酔っていたふたりは、それでも車に飛び乗り、エンジンをかけると、いきなり車のアクセルを踏み込んだ。エンジンがうなりをあげた。アクセルを踏み込みながらふたりはまだビールをつぎつぎとがぶ飲みし、げらげら笑いあっている。

あるとき突然、助手席側の窓の外にひとりのインディアンの老人の顔がぬっとあらわれ、いきなり窓ガラスを軽く叩いた。いや驚いたのなんのって。助手席に座っていたインディアンの若者は思わず悲鳴をあげた。

「ひええええええええええええーーーーーーーーっ! ままままま、まど、窓の外! ととととととと、としよりの、年寄りのかかかかかか、顔が!」

(これは幽霊だろうか?!?!?!?!)

インディアンの老人は外から窓を軽くノックし続けている。

運転席に座っているインディアンの若者が言った。

「しょうがねえ、ほんの少しだけ窓を開けて、なんの用か聞いてみろよ!」

そういわれて助手席に座っていたインディアンの若者は、肝をつぶしたままおっかなびっくり少しだけ窓を下げて、

「ななななな、なにが、のののの、のぞみ、ですか?」

とやっとのことでたずねた。するとそのインディアンの年寄りが落ち着いた声でこたえた。

「のぞみ? のぞみか。そうさな、煙草、もってないか?」

恐怖で青ざめていた助手席のインディアンが、運転席のインディアンの方に顔を向けて、

「たたたたた、たばこが、ほほほほほ、ほしい、って」

「ほしいっていってるんなら、とっとと、やりゃあいいだろう!」

運転席のインディアンが絶叫した。助手席の男はわなわなと震える手で、煙草のパックから一本を取り出すと、わずかに開いた窓からそれを年寄りのインディアンの手に押しつけるようにするやいなや、大あわてで助手席の窓をあげて大声で叫んだ。

「はははは、はやく、おもいっきり踏み込め!」

エンジンがさらに轟音をたてた。メーターをのぞきこむと時速80マイルは出ているようだ。ふたりはなんとなく安心して顔を見合わせると、またげらげら笑い出した。ヒーヒーと笑った後で、しばらくして助手席のインディアンが口を開いた。

「あれはいったいなんだったんだ?」

運転している男がこたえた。

「知るわけないだろうが。こっちはとんでもないスピードで走っているんだぞ。いったい、なにだったら、あんなまねが・・・」

そのときのことだった。再び、窓を軽く叩く音がして、またそこにあのインディアンの年寄りの顔があった。

「ひひひひひひひ、ひえーーーーーーーーっ! あの、あの、あのじいさんがまままままま、まだ、いいいいいいいいい、いる!」

運転席の男はハンドルを握りしっかりとアクセルを踏み込んだまま

「今度はなにがほしいのか聞いてみろ!」

と叫び返した。顔が引きつっていた。

助手席の男はまた少しだけ窓を引き下げ、震える声で、

「なななななな、なにか?」

するとそのインディアンの老人がまた物静かな声で、

「煙草の火を借りたいのだがね」

運転席の男はハンドルを片手で握ったまま震える手でポケットからライターを取り出すとそれを年寄りの手に押しつけると、

「早く窓を閉めろ! 全速力を出すぞ!」

と言うが早いか、思い切りアクセルを踏み込んだ。車のエンジンが咆哮した。

ふたりがメーターをのぞきこむと、今度は時速100マイル出ていた。そのままその時速を維持しながら、ふたりは、まるで自分たちが見たものを頭から振り払うかのように、あいかわらずビールを浴びるように飲み続け、つぎつぎと瓶をからにしていった。

そしてそのまましばらくそのスピードを保って、しっかりとアクセルを踏みつけているときのことだった。いきなり、またあの窓を軽く叩く音が聞こえたのだ。

「や、やばい。あいつが、またもどってきやがった!」

今度は運転手側の窓の向こうにあのインディアンの年寄りの顔があった。

運転していたインディアンの若者は、おどおどと窓を少しだけ下げると

「いったい今度はなにがほしいんだ!」

と全身を固まらせて叫んだ。

するとその年よりがまたあの落ち着いた物静かな声でこう聞いてきた。

「おいおまえさんたち、そろそろぬかるみから車を出すのを手伝おうか?」

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縄文土器の底にアサの果実

縄文土器の底にアサの果実 秋田・由利本荘の貝塚から [CHUNICHI WEB PRESS]

縄文土器の底にアサの果実  秋田・由利本荘の貝塚から

秋田県由利本荘市教育委員会は29日、縄文時代早期の菖蒲崎貝塚で出土した縄文土器の底から、炭化した約7600年前のアサの果実10数粒が見つかったと発表した。アサの繊維でできた縄や種子が見つかった例はあるが、アサを加工、利用しようとしている状況が分かる例はなかった。市教委は「縄文時代の植物資源の海外からの導入や栽培、利用を知る上で重要な発見」としている。

市教委によると、アサは直径約31センチ(推定)の深鉢の中で見つかった。「おこげ」のような状態の炭化物として見つかり、アサの果実と確認された。

市教委によると、食用に加工したり、果実から油を取った可能性があるほか、アサには毒性があるため祭祀に使われたとも考えられるという。

アサは日本に自生しておらず、中央アジア原産とみられるが、日本へ伝わったルートはほとんど分かっていない。

これってつまりは「マリファナ」のことですよね。「ハッパ」「ポット」「ガンジャ」その他無数の呼び名があるけど。「毒性があるため祭祀に使われた」って書き方は、底知れない悪意と偏向に満ちています。祭祀というのは神聖な儀式のことじゃないか。こういうときには「毒性」ではなく、少しは言葉を選んで「向精神作用があるために」とか書けないものだろうかしらん ^^;

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Tuesday, March 27, 2007

銀行に500ドルを借りに出向いたひとりのインディアンの年寄りの話

銀行員がさっそく所定の用紙をとりだしてじいさまに質問した。

「まずは、そのお金でなにをするつもりなのですか?」

「ジュエリーを街に持っていって売るつもりだ」

「ほー、で、担保はなにかおありですか?」

「担保? 担保とはいったいどんなものだ?」

「えーとですね、担保というのは、貸す金額に見合うだけの価値のあるもののことですよ。おじいさん、車はお持ちですか?」

「あるともさ。1949年のシボレーのトラックだ」

銀行員は頭を振りながら、

「では、家畜なんかどうです? なにか家畜はいませんか?」

「おお、いるともよ。馬が一頭いる」

「その馬は何歳ですか?」

「さあなぁ、もう歯がなくなってるぞ」

すったもんだのあげく、銀行員はなんとかそのじいさまに500ドルを貸すことにした。

それから数週間後のこと——

くだんのインディアンのじいさまが再び銀行に姿を見せた。

懐から紙幣をたっぷり巻いたものを取り出して

「ほれ、借りた金を返しに来たぞ」と言った。

そして銀行員にローンの支払い分を手渡した。

「残りのお金はどうなさるおつもりですか?」

銀行員からたずねられると、じいさまは応えた。

「ティピのなかにおいとくさ」

「どうです、うちの銀行に預金なさるというのは?」

「預金? 預金とは、なんだ?」

「わたしどもの銀行にお金の管理をまかせていただくことです。お金を使いたいときにはいつでも引き出せますから」

インディアンのじいさまはカウンターに身を乗り出すようにして銀行員に聞いた。

「で、あんたのところにはどんな担保があるのかね?」

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Friday, March 23, 2007

あなたもトーキョー・ドリームを求めるひとりですか?

ネイティブ・アメリカンの指導者であり、活動家であり、教育者のデニス・バンクスが、齢70歳にしてこのたび3月22日付のアメリカの経済専門誌「フォーブス(Forbes)」でアメリカン・ドリームについてのインタヴューを受け、そのなかでつぎのように語っている。

「アメリカン・ドリームというのはとにかくとらえどころがない。これまでわたしは旅をしてきた。日本にも行ってきた。あそこでも人々はアメリカン・ドリームを追いかけている。あそこの人たちはそれを「トーキョー・ドリーム」と呼んでいるが、指し示しているものは同じものだ。欲しいものは大きな車と、その車が二台は入るガレージ。だが、多くのリザベーションでは、そんなものがドリームになることは絶対にない。われわれは、自分たち独自のドリームを持たなくてはならないのだ。ホワイト・アメリカン・ドリームのなかで成功の梯子をのぼることについて心配などする必要はない。もし、そんなものを求めたなら、単なる個人的な人種差別によってではなく、その向こう側の圧倒的な富の力によって、われわれは不当に扱われ、打ちのめされるだろう、われわれがどこまでもそのドリームを探し求めはじめ、自分たちの子どもたちにそれを追いかけるように話したりすれば。われわれが追いかけるべき夢は、われわれの祖先たちの、われわれが遺産として受け継いだ文化的な夢でなくてはならない。」

arrow2 Dennis Banks On The American Dream - Forbes.com

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Wednesday, March 21, 2007

ベア・ネーション(クマたちの国)

standing bear生態系保存にクマ駆除抑制を」というニュースをNHKが伝えている。要旨は「平成18年度は過去最多の4300頭余りのクマが駆除されたため個体数の減少によって生態系が壊れるおそれが指摘されたため環境省は、人への直接的な被害が懸念される市街地を除いて必要のない駆除は避けるよう全国の自治体に求めることにした」というもの。

環境省はさっそく暫定版の「クマ類出没対応マニュアル」をウェブサイトで公開している。このマニュアルは、日本列島の自然が好きな人にとってはきわめて興味深い読み物になっている。ぜひ一度読まれるといいと思う。

arrow2 クマ類の出没等の対応のために −クマ類出没対応マニュアル(暫定版) 環境省

ここに掲載するのはそこでみつけた「自然環境保全基礎調査・哺乳類分布調査」の日本列島図。よくわからないかもしれないが、要はこれ、クマたちの生存分布を示した図であるらしい。これを眺めているといろいろなことがわかってくる。

つまるところこれは「日本列島の上にあるクマの国(ベア・ネーション)」のありさまなのだ! クマの国は、日本列島に倭人がやってくる以前から存在し続けるベア・ピープルの国である。ネイティブ・マインドを持つ人なら彼らこそが自然と大地の守護者であることをよく知っているはずだ。

Bear Nations

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人間はなにものか?

はるか昔、木々はこう考えていた。
自分たちは人であると。

はるか昔、山々はこう考えていた。
自分たちは人であると。

はるか昔、獣たちはこう考えていた。
自分たちは人であると。

いつの日にか、あの人たちはこう言うだろう。
はるか昔、人間は自分たちは人であると考えていたと。


ジョニー・モーゼス(マスター・ストーリーテラー/ノースウエストコースト
/ヌートカ、サニッチ、スノーミッシュ、ドゥアミッシュ、チェハムスの
血を受け継ぐ伝統的ヒーラー)の言葉

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Monday, March 19, 2007

カホキア遺跡を守るための緊急署名のお願い

cahokian_logo亀の島(北米大陸)最大の農耕文明遺跡とされるアメリカ合衆国イリノイ州にあるカホキア遺跡で、現在たいへんな問題が起こっています。セントルイス市の清掃局(Waste Management of St.Louis)が、州境の川をまたいだ反対側にあるカホキア遺跡のなかの最大の盛り土遺跡のちかくで、ゴミ処理場を拡大しようと計画しているという。この遺跡は太陽を崇拝する北米先住民の古代遺跡のなかでも最も貴重とされる遺跡のひとつであり、世界遺産にも登録されている。オセージ・ネーションで先住民の墳墓の保護活動をしているキャリー・V・ウィルソンさんが心ある人たちの署名を求めている。なるべく早く1000人の署名を集めたいと言うことであり、世界中からの署名が可能であるので、ぜひ以下のサイト(英文)を訪れて所定の署名をしていただければ幸いです。

http://www.thepetitionsite.com/takeaction/256495090


参考記事ネイテイブ・ノース・アメリカ(亀の島)最大の農耕文明遺跡

関連サイトCahokia Mounds Home Page

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Saturday, March 17, 2007

教育あるものの最大の責務

どの社会も教育を受けた人々を必要としているが、教育を受けた人間の最大の責務は、その共同体に知恵を持ち帰り、他の人たちの暮らしを意味あるものにするために役立てることにある。
ヴァイン・デロリアJr 20世紀後半のネイティブ・アメリカンの
精神復興と権利回復に多大な貢献をした作家・学者

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新しい土地から放送を再開します

ハロー

Sweet HomeLong Time No See です。

ようやく引っ越しにともなうネットの新しい環境に対応できました(と思う)。この様子なら、来週からなんとかすこしずつでも更新を再開したいと考えています。前は林が隣にありましたが、こんどは小高い山がすぐ近くにあり、真西の方はるかには、丹沢山塊とそれに連なる山々が薄紫色のスカイラインで見えています。遠くに山の稜線が見えている大きなキャニオンのひとつの外れに、この土地位置しているようです。

ここでなにができるか、楽しみでもあります。

それでは新しい発信場所からの「Native Heart」と、来週からまた、おつきあいください。

たまっているニュースをどうするか思案中。

まずはその前に自転車を買いに行かなくては!

北山耕平

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Friday, March 09, 2007

カラダの浄化とアタマの浄化

はじめは浄化だ。それが最初のステップになる。そしてここでいう浄化とは肉体的な浄化だけでなく、頭の浄化も意味する。頭のなかを浄化することなくして、肉体の浄化などできるわけもない。物事はそういうふうになっているのだ。
ローリング・サンダー チェロキー

悪い考えが、毒のような思考が、もしも頭のなかにあるとしたら、当然のことながらそれは体にもあらわれる。どんなあらわれ方をするかはケースバイケース。頭痛、痛み、胃がきりきりするなど症状はさまざまだろう。われわれの体というのはそうやって連動するようにできている。だからわれわれが成長する段階になったり、ネイティブ・ピープルの道を歩きはじめたりするときには、まず自分の頭のなかの浄化、さまざまな思考ひとつひとつの洗濯からはじめるべきではないか。そのようにして自分たちの体にたいして敬意を表すところからスタートするしかない。祈りと瞑想によって頭のなかを浄化するところから手をつける。それから体の方の浄化に取りかかる。必要なだけの量の睡眠を与えてやり、食事を良いものにあらためてやる。毎日自分はよい考えを頭のなかに持っているかを観察するようにしておきたいものである。

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北太平洋で嵐が増えている理由

中国からの大気汚染物質、北太平洋上で「嵐」増やす

 【ワシントン=増満浩志】中国などで放出される大気汚染物質の影響で、北太平洋の海上で嵐が増えていることが、米テキサス農工大などの研究で分かった。
Click here to find out more!

 米科学アカデミー紀要(電子版)に近く掲載される。

 研究チームは、世界の様々な人工衛星による雲の観測データを、1984〜93年と94〜2005年の2期間に分けて比較した。その結果、強烈な嵐や雷雨につながる「深い対流雲」が、94年以降は太平洋北部で20〜50%も増加していた。

 中国などアジア地域では暖房用に石炭やまきを燃やすため、すすや硫酸化合物が発生し、偏西風によって太平洋上へ運ばれる。汚染物質が水分を集める核となり、雲を成長させることも、コンピューターによる再現実験で確かめられた。

 研究チームは「深い対流雲の増加によって地球全体の大気循環が変わり、特に極域の気象に大きな影響が及ぶ」と指摘している。

2007年3月8日11時2分 読売新聞

まさしくこの宇宙においてはすべてが相関関係にあるのだね。

We are all related!

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3月9日は「へこたれるなよの日」

3月9日、金曜日、つまり今日は特別な日です。「んなことでくよくよするんじゃねえの日」「へこたれるなよの日」であります。これ、公式に認められている特別な日で「Get Over It Day」と英語でいいます。正式にこの日が命名されたのは昨年2006年のことです。

March 9th is GetOverItDay Website

3月9日は、聖バレンタインズデイとエイプリルフール(四月バカの日)のちょうど中間に当たる日で、落ち込んでいたり滅入っていたりする人を元気づける日とされています。

人間、生きているかぎりいいこともあれば、いやなこともあるわけで、いつでもハッピーというわけにはなかなかいかないもの。頭や心のなかに重たいものをため込んでうなだれかけている人間がいたら、「なことでくよくよするなよ」「過去は過去。過ぎたことは忘れて、前進しようぜ」と声をかけてあげましょう。それが、ゲットオーバー・イットということ。


Get Over It by Eagles

Eagles- Get Over It (YouTUBE 03:43)

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Wednesday, March 07, 2007

怒れる白人の子どもたちが立ちあがるとき

Die-in

アメリカの子どもたちの間にも相当不満が募ってきているらしい。この3月19日の正午に、サンフランシスコのダウンタウンで大規模な戦争を止めるための抗議行動「ダイ・イン」がおこなわれる。これはその呼びかけのポスター。「イラクがもしアメリカだったなら」「2003年3月19日の侵攻以来サンフランシスコのベイエリア地区の全人口に匹敵する数のヒトがひどい殺され方をしてたかも!」「その数、7,000,000人」「戦争を止めよう!」「死んだふりで抗議を!」と書いてある。日本の自衛隊もこの戦争に荷担しているんだよな。

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Monday, March 05, 2007

『森の哲学者 メイナク族』上映会&シェアリングへのお誘い

来る3月25日に『森の哲学者 メイナク族』というドキュメンタリーの放映会とシェアリングが新横浜で開かれます。制作したのは森谷博さんで、小生が一昨年に日本列島の歴史を先住民の目からとらえなおすためにおこなった「時の輪講座」以来、同じ道を歩いている仲間のひとりです。そのお知らせを以下に掲載します。ぼくもこの日は顔を出してシェアリングに参加する予定でいます。同じモンゴロイドの末裔として、われわれが便利な暮らしを追いかけるなかでなにを失ったのかを確認する意味でも、できるだけ多くの心ある人たちに見てもらいたいドキュメンタリーです。以下にそのイベントの案内を掲載しておきます。

メイナクの子どもたちブラジル・アマゾンの森に暮らす先住民、メイナク族。日本で言えば、縄文時代の暮らしをいまだ続けている人々。文字を持たず、貨幣経済も持たず、彼らは1万年の時を超えて、森とともに生きてきました。

このドキュメンタリーは、彼らの日々の暮らしを追ったものです。彼らの言葉には「しあわせ」、「自然」、「宗教」、「芸術」などはありません。そこにかいま見られる彼らの生き方そのものが、この地球上で生きるとは何なのかを、私たちに問いかけています。

まず第1部で映像を見ます。そして、第2部は、映像を見て、おひとりおひとりの方々が感じられたこと、受けとられたことを分かち合う場にしたいと思っております。ひとりひとりのハートに響いたことを大切に皆さんとシェアしあう中から見えてくるもの、同じ地球の上で生きる人間として普遍的なものを彼ら(メイナク族)からのメッセージとして深く受けとめてゆく場にできたらと。そして、歩み続ける道の途中に、皆さんと出会えることを願いつつ、ご来場を心からお待ちしております。

当日は、このドキュメンタリーの制作者、森谷さんも来場します。

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FROM ME TO YOU


Bear Sheeld

小生、今月は身辺雑事多く、定期的な更新はできません。4年目を迎えた本プログのなかには、すでに多くの読み物や記事が格納されているので、それらを探索し、鉱脈をたぐりつつお読みくだされば幸いです。記事のなかのいくつかについては、現在手を加えて単行本化をすすめているものもあり、それらはいずれ時を見て削除することをあらかじめおことわりしておきます。コメントやメールへの返事は可能な限り書きますが、これも同じ理由で、すみやかなる反応を期待されてもご希望にかなうとはかぎりません。またメールやコメントによる個人的な質問にはお答えしかねます。願わくばあなたのスピリットが強くありますように。

「手当たり次第になんでも食べなくてはならないというものでもないし、頭に浮かぶことをすべて声に出して言う必要もない。だからわれわれは、自分たちの言葉をじっくりと観察し、良い目的のためにのみそれを声に出して発言することからはじめようではないか」
ローリング・サンダー(チェロキー メディスンマン)
北山耕平 敬白

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Friday, March 02, 2007

韓国でも中国でも、ものを人格化することはないらしい

eclipse_sun神奈川県小田原市で活動する特定非営利活動法人の「子どもと生活文化協会(CLCA)」と縁があって毎月その機関誌「あやもよう」を贈っていただいている。その2月号と3月号に、評論家で拓殖大学の教授の呉 善花(オ ソンファ)さんと同会の会員のみんなとの質問学習の一部始終が掲載されていた。呉さんは韓国済州島の生まれで、日本に移り住んで23年になる。つまり23年間日本というものを観察し続けてきた人なわけ。その彼女が話のなかで、日本の伝統文化についておもしろい指摘をしている。それは「すべてのものは生きている」という発想を日本人は持っていて、これは韓国にも中国にもないものだと、彼女は指摘したのだ。もう少しくわしくそこのところを引用すると彼女の言葉はこうである。

「ものを人格化するのは日本人しかいないんですよ。もともと古い未開人の世界では、ものも生き物だという発想があったんですが、日本では現代でもあらゆるものを人格化しているんですね。」

このブログの読者であれば、すべてのものは生きているという発想を持っているのは日本人だけでなく、あらゆるものを生き物として、いのちあるものとして接する北米大陸の先住民もまた同じようにあらゆるものを人格化する心性を持っていることはすでにおわかりのことと思う。

ぼくが驚いたのは「未開人」という彼女の言葉遣いではなく、「韓国も中国もものを人格化することはない」という点だった。もし彼女の言葉を信じるとすれば、中国や朝鮮から遠い昔に「文化」なるものを携えて日本列島に渡ってきた人たちによって日本国が建国されたのだとしたら、日本国の建国の父たちは「大地に心があるという発想すらなかった」ということになる。大地に心があると発想する人たちのことを、その人たちは常に未開人とレッテルをはり続けたことは想像に難くない。現代の日本人のなかに未開の部分が残っているということを彼女はもちろんここで伝えようとしているのではないだろうし、反対にそのことがあるからこそ「日本は世界性を持っている」とも指摘しているところからすれば、彼女が23年間も日本で暮らし続ける力となったものがその部分だったと考えられなくもない。

ぼくは、自分の乗っているおんぼろの車を愛馬と呼び勇ましい名前をつけていたネイティブ・アメリカンの青年を知っているし、石や木や草や空を行く雲までが生きているといったネイティブのエルダーに教えを乞うたことがある。そうした話を聞きながらまったくそれに疑問をはさむことはなく、むしろきわめて自然にそれを受け入れていた自分がそこにいた。

現代日本人のなかにはすべてのものは生きていると言うことを信じない人も当然いる。日本人がそうした発想を持っていたのではなく、そうした発想を持つ人たちとそうした発想を持たない人がかけあわさることで日本人が生まれたと見る方が正しいような気がする。なぜなら、日本列島にもともと日本人がいたなどというのは歴史の捏造かもしれないのだから。

ともあれ、ぼくたちは「すべてのものは生きている」という発想を失わないかぎり、日本人である以前に、地球に生きる人たちとどこかでつながっているのである。

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鯨のスピリットに喜んでいただくための儀式

feather右サイドバーの巻頭にある Peace な写真を入れ替えた。ノースウエスタン大学のデジタル図書館に収蔵されているエドワード・S・カーティス(1868−1952)——ネイティブの人たちから「影を捕らえる人(シャドー・キャッチャー)」と呼ばれた写真家——が、19世紀末から20世紀初頭にかけて撮影した北米インディアンの写真群のなかから今月も選んでいる。

The Nootka's Land今回は「鯨の儀式」と題された1915年に公開されたアメリカ大陸北西部の太平洋沿岸地域に暮らす人たちを記録したものから一枚をとりあげた。「Clayquot」は「クラクイット」と発音するらしい白人の呼び名だが、現在のアメリカとカナダの州境にあるバンクーバー島をテリトリーとするヌー・チャ・ヌルス(ヌートカ)に属する小さな部族のひとつで、ハイダ、チヌーク、クワキトゥールとはかなり近い関係にある人たちのようだ。彼等の暮らす島は北米大陸に手つかずに残された最後のそして最大の雨林(レインフォーレスト)の巨木の森のなかに位置し、そこは今は環太平洋国立公園となっていて、沿岸には自然にわき出す温泉もある風光明媚なところ(写真)。客人に盛大な贈り物を施すポトラッチをおこなう風習を昔から続けてきた海の人たちで、シーカヤックを操り沿岸域の鯨ハンターとしても名をはせた。写真の男性は危険な鯨猟に出る前に「鯨のスピリットを喜ばせるための禊ぎの儀式をしているところ」とノートがある。そこには、男は何度も海水に浸かり、身にまとうようにつけたツガの小枝で激しく自分のからだをこすってはまた海中に潜り、鯨の実際の動きを模倣していたと書かれている。

右欄巻頭の写真をクリックすると大きな画面に切り替わって、より解像度の高い精密な写真で見ることが出来るので、ぜひ細部まで見てほしい。この鯨ハントの前の浄化の儀式を見れば、鯨を狩る行為が「スピリットとの約束」に基づいたものであることがわかるだろう。生き物のいのちをいただくとは、ほんらいそうした約束の上に成立していたものなのである。ただ「殺して解体して食べる」だけではないのだな。

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