鼻の飾りは名門家出身の証だった
右サイドバーの巻頭にある Peace な写真を入れ替えた。ノースウエスタン大学のデジタル図書館に収蔵されているエドワード・S・カーティス(1868−1952)——ネイティブの人たちから「影を捕らえる人(シャドー・キャッチャー)」と呼ばれた写真家——が、19世紀末から20世紀初頭にかけて撮影した北米インディアンの写真群のなかから今月も選んでいる。
今回は「ウィシュハムの乙女」と題された1909年にワシントン州とオレゴン州とアイダホ州にまたがっているコロンビア川台地(コロンビア・プラトー)で撮影されものから一枚をとりあげた。「Wishham」は最近では「Wishram(ウィシラム)」と綴られることが多い。コロンビア川が巨大な台地を削り、広大な渓谷の渓間を創りだしているこの地域に暮らす先住民はチヌーク語族に属する川の人たちで、漁労(秋鮭や貝)と狩猟(エルクやシカ)と採集(野生の果樹)のサイクルで過ごし、川の風を避けるようにカヌー(写真)を操って移動する。冬の間は乾燥させた鮭や木の根やイチゴを、半ば地面に埋もれたような木製の家屋なかのゴザの上に蓄えて食料にする。
右欄巻頭の写真をクリックすると大きな画面に切り替わって、より解像度の高い精密な写真で見ることが出来るので、ぜひ細部を細かく見てほしい。カーティスの記述によれば、被写体の乙女はビーズ細工がびっしりと一面に施された、平原インディアン風の鹿皮のドレスを身にまとっていた。首には天然物の貝殻のビーズで作られたネックレスが巻かれているが、これはもともとコロンビア川台地が太平洋に向かって下降していくあたりに暮らしていた別のウィシュハム(ウィシラム)の人間からもたらされた家宝のものだ。胸のペンダントになっているものも、同じ種類の貝のより大きなものから作られたビーズの連なりで、他のいろいろなものと一緒にハドソン湾会社の物々交換業者たちによってこの地区に持ち込まれてきたもの。とりわけ部族の名門家の出身の人間に欠くことのできない装飾具が、鼻中隔を左右に貫いてヌッとつきだしているツノガイの細く長い貝殻で、この少女のものは2本のツノガイの細長い貝殻を中の空洞にちょうどはまる細い木の棒を入れて左右からつないである。長い髪を顔の左右に分けて束ね、そこにも別のツノガイの貝殻の装飾がつけられていて、これはイアリングのごとく耳たぶから下げられていた。頭部の飾りは貝殻と貝殻のビーズと中国の四角い穴の開いた古代貨幣が組みあわされているが、これらの古代貨幣はコロンビア川流域ではかなり早い時期から使われていたらしい。写真の乙女の頭飾りは、思春期から結婚するまでの女子に特有の飾りとされている。
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