ザ・ラスト・ニュースペーパー・ジェネレーション
車を運転するときはたいていFEN(Eagle 810)を聞いている。音楽の選曲がいいのと、うるさい世間話が少ないこと、APのニュースがときどき流されるなどという理由で、雑音が入りやすいAMのこの放送局を選ぶ。最近は、時間帯の関係からかキム・コマンドーという女性のデジタル情報をしばしば耳にすることが多い。調べてみたら、彼女は「アメリカのデジタル女神」といわれているのだね。全米のネットワークで彼女が話すデジタル・テクノロジーの豆知識が放送されている。彼女のホームページ[Website fo The Kim Komando Radio Show]も見つけた。なぜこの話をしているかというと、最近彼女がよく「ザ・ラスト・ニュースペーパー・ジェネレーション」という言葉を使うので、これが耳に焼きついてしまったからに他ならない。
この「最後の新聞紙世代」とは、同時代を生きるわれわれのことなのだ。日本の新聞社はテレビ局とつるんで、インターネットと距離を置いているが、世の趨勢はそうはいかなくなっている。地デジという大きなダムで流れを堰き止めようとしているが、デジタル革命はそんな程度のものではないだろうとぼくは思う。実際、キム・コマンドーさんのいうように、アメリカにおいてはニュースはインターネットにまかせ、わざわざ新聞を定期購読をする人口が激減しているのだ。現実に多くの新聞社が発行のスタイルを改めつつある。
考えてみればそうじゃないか。新聞紙は大量の木の伐採によって支えられているのだ。世界最大の日刊新聞紙は、紙ゴミを作るために世界で最もたくさんの木を切り倒しているのではないのか。日々大量のゴミを生産するために、多くの木が今この瞬間にも切り倒され続けている。長く残る(ゴミになるための時間が長い)本などはまだ紙を使う価値はあるだろうが、新聞やいわゆる情報誌などの読み終えたあとは紙ゴミにしかならないもののために大量の紙を使い続けることは、「不都合な真実」を見るまでもなくやはり間違っているように思える。熱帯林行動ネットワーク(JATAN)のサイトには、2003年に日本で消費される紙を生産されるために世界で伐採された樹木の本数の推定として、大雑把に見て「1年間で約1億1000万本」という数字があげられている。もちろんそのすべてが新聞紙になっているわけではないけれど。
グーテンベルグが活字を使った印刷機で聖書をはじめて印刷したのが1455年、ヨーロッパで最初の新聞が刊行されるのは1605年、新大陸最初のヨーロッパ人のための新聞が植民地ボストンで刊行されたのは1704年、亀の島のネイティブ・アメリカンが自分たちの力で作った部族のための新聞「チェロキー・フェニックス」(図版)がチェロキー語で印刷されて刊行されたのは1828年、日本国ではそれから四十数年した1870年になって最初の日刊新聞「横浜毎日新聞」が横浜で刊行されている。
そして2007年、ザ・ラスト・ニュースペーパー・ジェネレーションの台頭となるわけだ。日本の新聞とテレビのマスメディアがインターネツトにのみこまれるまでにはまだしばらく醜い既得権争いなどで時間がかかりそうだが、起こってしまえばそれはあっという間かもしれない。ぼくが新聞を取るのをやめたのは去年の春の終わりのことだった。
「Sharing Circle (Infos)」カテゴリの記事
- トンボから日本人とアメリカインディアンのことを考える(2010.09.03)
- ジャンピング・マウスの物語の全文を新しい年のはじめに公開することについての弁(2010.01.01)
- ヴィレッジヴァンガード 下北沢店にあるそうです(2009.12.30)
- メリー・クリスマスの部族ごとの言い方
(How to Say Merry Christmas!)(2009.12.24) - 縄文トランスのなかでネオネイティブは目を醒ますか 27日 ラビラビ+北山耕平(2009.12.16)
The comments to this entry are closed.
Comments