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Sunday, February 04, 2007

ろくまんよんせんきゅうひゃくにじゅうはち

The_First_Third
ニールの唯一の著書「最初の3番目」の表紙。左側がニール。右はジャック・ケルアック。ふたりが兄と弟のような関係だったことがよくわかる一枚の写真だ。
月4日は、50年代にアメリカに現れて白いインディアンの先駆けとなったビートのけん引者であったニール・キャシディが死んだ日だ。1968年のこの日、アレン・ギンズバークやジャック・ケルアックなどたくさんのビートの作家たちに大きな影響を与えたニール・キャシディ(1926年生まれ)は、メキシコのサンミゲル・デ・アレンデの鉄道の線路のそばで虫の息で倒れているのを発見された。

ジャック・ケルアックの『オン・ザ・ロード(路上)』の主人公のディーン・モリアーティはニール・キャシディをモデルにしているとされる。ニール・キャシディはまた、作家ケン・キージー(『カッコーの巣の上で』の作者)を父とする拡大家族を乗せて60年代のアメリカを疾走し「メリー・プランクスターズ」と名乗ってその名を轟かせたヒッピーバスの運転手をつとめた人物でもある。

その日、夜になってキャシディは、鉄道の線路の脇の道を歩いてとなり町へ向かったという。寒くて雨が降っていたが、彼はTシャツにジーンズといういたって軽装だった。翌朝、鉄道の線路の脇で昏睡状態のままなにごとかをつぶやきながら倒れているキャシディが発見され、近くの病院に担ぎ込まれたものの、その病院で彼は死んだ。ケン・キージーはのちに自身の短編のなかでこのときの様子を書きつづっているが、ニール・キャシディは歩きはじめてからずっと数え続けたと思われる鉄道線路のそこまでの杭の数をつぶやいていたらしい。彼が死ぬ前に最後に残した言葉は、「64928」だった。

Sixty-four thousand nine hundred and twenty-eight
ろくまんよんせんきゅうひゃくにじゅうはち

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