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Monday, February 12, 2007

右の視点からの現行日本国憲法擁護論

創出版が刊行している月刊誌「創(つくる)」3月号[2月7日発売]のコラムに、外交官としてロシアで情報活動をおこない後に鈴木宗男にまつわる事件において背任容疑で逮捕された佐藤優という人物が、「右の視点からの現行日本国憲法擁護論」を書いている。「仮に憲法第9条を改正し、日本が正規軍を保持し、交戦権を確保したとする。その場合、宣戦の布告は誰が行うのであろうか。」この疑問から導き出される思弁的な彼の結論が興味深いので引用しておく。

宣戦の布告が、国会の召集よりも重みがあることは確かなので、天皇が国事行為として行うことになる。日本が行う戦争が勝利すればよい。大日本帝国憲法が制定された時点では「わが国が戦争に敗れることはない」という神話が機能していた。この時点では、国民国家を形成した後の日本国家が戦争に敗れたことがなかったので、そのような希望的観測に基づいて憲法を組み立てることができた。しかし、日本は62年まえに戦争に敗れたではないか。今度、戦争をした場合に負けないという保証はない。敗戦の場合、宣戦布告を行った者の責任が追及されるのは論理必然だ。だからこそこの論理連関を断ち切るために、交戦権は否認しておいたほうがいい。

太平洋戦争敗北後、日本の国体は危機に瀕した。東西冷戦の兆候が顕在化した状況で、アメリカは日本に共和制を導入すると、それがブルジョア民主主義の枠内にとどまらず人民民主主義(社会主義)化することを恐れ、皇統を維持したのである。わが国体は、かなり偶然の要素に作用されて、ようやく護持されたのである。このような過去の歴史から学ぶべきだ。筆者が憲法第9条の改正に反対するのは、それによって、将来、国体を毀損する恐れがあるからだ。

佐藤優(「ナショナリズムという病理 私の護憲論」月刊創3月号)

国体というのは、日本列島の上に敷かれた日本という一枚の絨毯のことであり、その絨毯の下に眠っている大地のことではないのだね。「国破れて山河あり」という言葉があったけど、戦後50年で山も川も海も森もみんななくなろうとしている。「日本」を美しくするためには、やはり自然なんてどうでもよかったのだな。右も左も「母なる日本列島」という視点を持つことはできないようだ。

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