断食は祈りのひとつの形だった
右サイドバーの巻頭にある Peace な写真を入れ替えた。ノースウエスタン大学のデジタル図書館に収蔵されているエドワード・S・カーティス(1868−1952)——ネイティブの人たちから「影を捕らえる人(シャドー・キャッチャー)」と呼ばれた写真家——が、19世紀末から20世紀初頭にかけて撮影した北米インディアンの写真群のなかから今月も選んでいる。
今回は「ファスティング(断食)」と題された1900年頃に撮影されて「The North American Indian Volume 3(The Teton Sioux. The Yanktonai. The Assiniboin. / Seattle : E.S. Curtis, 1908)」という限定版として販売された書籍のなかで公開され、現在はノースウエスタン大学マコーミック図書館特別収蔵品に指定されているものから一枚を選んだ。
17世紀以降は大平原に生きたラコタ(スー)一族は、大きく3つの集団にわけられる。テトン、ヤンクトン、サンテの3つだ。その3つのグループのそれぞれがさらにいくつかのバンドと呼ばれる小集団を構成していた。ブラックヒルズの山々を聖地としていたテトン・スーのバンドのひとつが「オグララ」「オガララ」(自らばらばらになる)と呼ばれる人たちで、オガララの代表的なチーフには「レッド・クラウド」がいた。ほかの後にバッファロー・ハンターとして大平原に名を轟かせるこのテトンの人たちは、もともとは五大湖の近くで農耕をしていたことがわかっている。テトンとはラコタの言葉で「草原に暮らす人たち」を意味する。
「ワカン・タンカ」と呼ばれる「ことさらに尊い存在」が、夢やヴィジョンを解読し、儀式を執りおこない、薬草を使って病を癒したりするメディスンマンや聖なる人を通して一族に力を与えていることを確信していた。一族の最大の祭祀がサンダンスと呼ばれる祭りで、毎年夏至を前後の夏に一族が集まり、清めと断食と踊りと自分を痛めつけることでワカン・タンカと力の交流をはかった。現在もテトンの子孫はサウスダコタのパインリッジにある居留地などで暮らしている。テトンの他のバンドには「バール」「ブラックフット」「ミニコンジュー」「サン・アーク」「ツー・ケトル」「ハンクパパ」などがある。
断食というと、静的なイメージがあるが、彼らの断食は健康法というよりは祈りのひとつと考えた方がいい。もちろんそれが一族の健康維持につながっていたことも間違いないのだが、ネイティブの人たちは実にまめに断食をおこなってきた。というより断食を祈りのなかに取り入れてきた。丸一日、長いときで3日から4日の断食は、彼らの生活の一部だったと考えていい。断食は、「なにも食べられない(おなかをすかせて我慢を余儀なくされている)状態」ではなく「意識的になにも食べないことを選択した状態」で、この2つには人間のこころのあり方において大きな差がある。写真をご覧になると、ひとりの戦士がほとんど裸のままの状態で東に向かってパイプの柄をむけて祈りをあげていることがわかる。足下にはどうやら彼らの聖なる祭壇とされるバッファローの頭骨が置かれているようである。その前に謙虚に立つ彼は「ひとりの小さな人間のひとりとして自分につながるすべてのいのちあるもののために祈っている」ようではないか。断食は、食べないことを苦しむためのものではない。意識的に食べないことによって自分を偉大なる存在に捧げる神聖な行為なのである。
写真をクリックすると大きな画面に切り替わるし、さらにその大きくなった画像の下にある「Higher resolution JPEG version」をクリックするとより解像度の高い精密な写真で見ることが出来る。なおここに掲載した図版は、ジョージ・カトリン(George Catlin 1796–1872)という古い西部の旅行者であり画家が1860年代に絵で記録にとどめたバッファローを追いかけるスーの人たち。アメリカ国立美術館所蔵のもの。
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