« Front Page of Italian Newspaper Corriere della Sera | Main | 断食は祈りのひとつの形だった »

Thursday, January 04, 2007

わたしがわたしになれる場所

モイヤーズ:先生は『神話のイメージ』のなかで、変容の中心について、時間という壁が消えて軌跡が現れる神聖な場所について、書いておられる。聖なる場所を持つとは、どういう意味でしょうか。

キャンベル:これは今日すべての人にとって必要不可欠なことです。今朝の新聞になにが載っていたか、友達はだれなのか、だれに借りがあり、だれに貸しがあるか、そんなことを一切忘れるような場所、ないし1日のうちのひとときがなくてはなりません。本来の自分、自分の将来の姿を純粋に経験し、引き出すことのできる場所です。これは創造的な孵化場です。はじめはなにも起こりそうにないかもしれません。しかし、もしあなたが自分の聖なる場所を持っていて、それを(上手に)使うなら、いつかなにかが起こることでしょう。

モイヤーズ:この聖なる場所は、平原が狩猟民にもたらしたのと同じものを私たちにもたらす。

The Power of Mythキャンベル:彼らにとっては世界全体が聖なる場所でした。しかし、いまの私たちの生活は、その方向性において非常に実際的、経済的なものになっています。だからみんな、ある程度の年齢になると、次から次へと目先の用事に追いまくられ、自分がいったいだれなのか、なにをしようとしていていたのか、わからなくなってしまう。四六時中、しなければならない仕事に追われているのです。あなたにとって至福は、無上の喜びは、どこにあるのか。あなたはそれを見つけなくてはなりません。ほかのだれもが見向きもしない古くさい曲でもいいから、とにかく自分が大好きなレコードを聴くとか、あるいは好きな本を読むとか。

比較神話学者、比較宗教学者ジョセフ・キャンベル(1904 – 1987)と
ジャーナリストのビル・モイヤーズの会話より
『神話の力』(1992年 早川書房刊 飛田 茂雄翻訳)から。
発言のなかの「(上手に)」の部分は北山が原文の意をくんで加筆した

|

« Front Page of Italian Newspaper Corriere della Sera | Main | 断食は祈りのひとつの形だった »

Go in Peace (Teachings)」カテゴリの記事

Comments

Post a comment



(Not displayed with comment.)


Comments are moderated, and will not appear on this weblog until the author has approved them.



TrackBack


Listed below are links to weblogs that reference わたしがわたしになれる場所:

« Front Page of Italian Newspaper Corriere della Sera | Main | 断食は祈りのひとつの形だった »