クレイドルボードのなかの赤ん坊
右サイドバーの巻頭にある Peace な写真を入れ替えた。ノースウエスタン大学のデジタル図書館に収蔵されているエドワード・S・カーティス(1868−1952)——ネイティブの人たちから「影を捕らえる人(シャドー・キャッチャー)」と呼ばれた写真家——が19世紀末から20世紀初頭にかけて撮影した北米インディアンの写真のなかから今月も選んでいる。
今回は「ネス・パースの赤ん坊」と題された1900年ごろに公開された写真を選んだ。拡大してご覧になるとかわいらしさがひきたつと思う。赤ちゃんは「クレイドル・ボード(ゆりかご板)」と呼ばれるもののなかにすっぽりとおさめられている。ネイティブ・アメリカンの多くの部族が、それぞれに素材や模様や作り方が微妙に異なるものの赤ちゃんのためのクレイドルボードを使ってきた。赤ん坊はこの中に入れられて背中に背負われ、安心しきったまま親と一緒に移動し、野生動物や雨や強い日差しから避けるために野営地のなかの木立の枝から下げられたりした。ボードのなかには良く天日で乾燥したこけなどがおむつのかわりに敷かれていて快適だったという。ネスパースあるいはフランス語読みでネペルセと呼ばれた部族は、もともと北部太平洋沿岸地域のアメリカ側、現在のワシントン州、オレゴン州、アイダホ州の内地をテリトリーに暮らす漁労狩猟採集の人たちで、自分たちでは自分たちのことを自分たちの言葉で「人びと」を意味する「ニミプ」と呼ぶ。ニミプの人たちは常に移動する人たちではなく、夏と冬を過ごす場所はきめられていた。しかし長い距離を旅する人たちであることは間違いなく、遠く東の大平原まで出かけてバッファローハントもしたし、太平洋に流れこむコロンビア川の上流にありオレゴンとワシントンの州境にある地球上で最大の川漁場であるセライロ大滝で鮭を穫ることもあった。子供は両親の行くところに一緒に行くのが原則の部族社会であり、赤ん坊を入れておくクレイドルボードは重宝された。ニミプの人たちのクレイドルボードは土地の気候にあわせてしっかりと防寒されていた。写真を拡大されるとわかるが、ストラップからボードの背板まで、ビーズワークや飾りなど細かく手が入れられていて、子供がいかに愛されていたかがうかがえる。
写真をクリックすると大きな画面に切り替わるし、さらにその大きくなった画像の下にある「Higher resolution JPEG version」をクリックするとより解像度の高い精密な写真で見ることが出来る。
なお、現在は大きなダムに水没してしまったセライロの滝とネイティブ・ピープルとの関係については、ポートランド州立大学大学院の人類学部でアメリカ先住諸民族とアイヌ民族を主にした先住民権研究をしている 濱田"ハマンダ”信吾氏が写真入りの報告をインターネツトで公開しているので、以下をご覧あれ。
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