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Friday, December 29, 2006

その年は凍てつくような寒い冬だったという

WE REMEMBER WOUNDED KNEE
WE REMEMBER WOUNDED KNEE
1973; Mohawk Nation; woodcut by Bruce Carter
今から116回前の凍てつく冬、1890年の今日、木々が凍ってはじける音のする月12月の29日の早朝、いわゆる「ウーンデッドニーの虐殺」が起きた。立場の異なる歴史書によってはそれを「ウーンデッドニーの戦い」と記するものもある。

アメリカ陸軍側の「ウーンデッドニーの戦い」の公式戦闘記録によれば、G・D・ウォーレス大佐というひとりの将校と、彼をふくむ24人の兵隊、そして128人のインディアンがこの日の武力衝突で死に、35人の兵士と、33人のインディアンが負傷したとされている。

ラコタ・スー側の証言による「ウーンデッドニーの大虐殺」は、ホチキス砲という軽量機関銃で武装した500人の第七騎兵隊が、オマハやネブラスカに汽車で移動させられることになっていたチーフ・ビック・フットが率いるミネコンジュー・ラコタの野営地を警護のために取り囲み、騎兵隊司令官による命令をうけて武装解除がすすめてられている最後のところで、理由がまったく不明のままいきなり銃撃戦がはじまり、けたたましい機関銃の銃砲が鳴りやんだときには25人の兵隊と、153人のラコタの人たちが死体となって横たわっていた。この135人のなかにはラコタの女性や子供が62人ふくまれており、インディアン側の負傷者は50人。その後の行方不明者は150人を数えた。行方不明者とされたものたちはそのまま雪の中に放置され凍死した。3日後の1月1日に虐殺の現場にやってきたアメリカ陸軍の死体処理班が146体のラコタの人の亡骸をまとめて地中に埋めた。

いったいどのくらいが死んだのかわたしにはわからなかった。今、この年齢になって改めてあのときを振り返っても、いまだに惨殺された女や子供たちが、折れ曲がった谷間のあちこちに横たわったまま山と積み上げられてどこまでも続いている光景が見える。あの血の泥海のなかで絶命し吹雪の中に埋められたものは死体ではない。人びとのひとつの夢があそこで死んだのだ。それは美しい夢だった。国をつないでいた輪は壊れてばらばらになった。もはや中心はそこになく、聖なる樹は死んだ。
およそ42年後にラコタの聖なる人ブラック・エルク(1863-1950)が
27歳の時に目撃したその日を回想して述べた言葉

Wounded Knee : The Museum
Wounded Knee massacre

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Comments

そのときわたしは加害者だったのか、被害者だったのか・・・・。
どちらにしても許しあえるようになりたい。

Posted by: きよみ | Sunday, December 31, 2006 at 05:29 AM

新しい輪をつくろうという努力が継続中です。一度失ってしまったものをもう一度作るのは大変なことで、それは再生と言うよりは、創造です。ぼくはよくいかにして日本列島において「美しい夢」が終わったのかを考えます。

Posted by: Kitayama "Smiling Cloud" Kohei | Sunday, December 31, 2006 at 11:19 AM

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