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Saturday, November 18, 2006

『太陽へとぶ矢』という絵本の読み方

Arrow to the Sun『太陽へとぶ矢』という絵本がある。ジェラルド・マクダーモット作、神宮輝夫訳。カルデコット賞という絵本では権威のある賞を78年に受賞した作品だ。日本語に翻訳されてからでも30年以上になる。全般にわたってとても印象的なグラフィックの本なので、きっとご存じの方も多いと思う。いうならば定番中の定番の絵本だから、図書館にはおそらく必ず入っているはずだ。ネイティブの文化に関心のある人なら一度は手にとったことがあるだろう。左の写真は英語版のものだが、日本語のものもこれと同じグラフィックを用いている。お話しは以下のようなものである。

「昔、太陽の神が、いのちの力を一本の矢にかえ、大地に向けてとばします。矢はある村(プエブロ)のひとりの娘にあたり、その娘は男の子を生みます。男の子はすくすくと育ちましたが、部族の子どもたちから“おやなし子”といじめられます。男の子はお父さんをさがしに出かけ、ある矢づくりの老人に会います。老人は、男の子が太陽の子だと見抜き、その男の子を一本の矢にかえて太陽に向けてとばします。太陽の神に息子だと認めてもらうために、男の子は四つのキバのなかに入って試練を受けます。四つのキバのなかには、それぞれライオン、へび、ハチの大群、そして稲妻が男の子を試すべく待ちかまえています。このようなおそろしい敵と向かいあい、耐え、受け入れ、それを自分のエネルギーにして、主人公の男の子はついに太陽の神になりましたとさ」

プエブロの神話をモチーフに描きあげられたとされる作品であり、日本でも絵本好きの人のほとんどがその鮮烈なイメージでこの本のことを知っているはずである。「しかしこの絵本には問題がある」と指摘するのはデビー・リース先生だ。

先生は、ニューメキシコ北部のプエブロの出身。かつては小学校や中学校でネイティブの子供たちに勉強を教えていたが、現在はイリノイ大学で大学生を相手にネイティブ・アメリカン研究を教えている。子供の本のなかに出てくるアメリカ・インディアンについて研究していて、「 American Indians in Children's Literature 」というブログを持つ。そして彼女のブログの今年の10月25日のアーティクルに、『太陽へとぶ矢』がとりあげられていた。

この本はカルデコット賞を受賞したおかげで全米の学校図書館に入っていて、教育の現場でもつかわれることがあるが、問題がたくさんあると先生は言う。まず、プエブロの人たちにとってキバは神聖な場所であって、試練を受ける場所ではないことがあげられている。なるほど絵本では主人公がそれぞれに異なる四つのキバで試練を受けることになっている。

読み聞かせる先生がネイティブ・アメリカンの文化について多少なりとも関心があれば、プエブロの人たちのキバというのがけしておそろしい場所などではなく、お寺や神社や教会のようなものであることがわかるだろう。

「わたしの希望としては」とデビー先生はブログに書く。「この本を読み聞かせる際に、学校の先生は時間を取って、この絵本におけるキバの描写は間違っていることを説明してあげてほしい」と。そのことによって幸運にも子供たちは、自分たちの読む本がいくらポピュラーだからといって間違っていることもあるのだと言うことを学ぶことができるからと。

しかしもしその先生が、プエブロのキバのことなどまったく知らなくて、絵本をそのまま鵜呑みにしてしまったとしたら、話を聞かされる子供たちは不幸にも傷つけられることになるのではないか。キバというものにたいする誤った考えを持ち続けることになるからだ。その子が旅行でアメリカ南西部をたずねることがないとは言えない。その際プエブロの村でキバを見たりすることに恐怖を持つことも考えられるだろう。

さらにまた、実際のプエブロの子供たちは、この絵本を学校で読み聞かされたときなにを考えるだろうか? プエブロの子供たちは、別のところでこの絵本によって傷つく。いちばんありうるのは、プエブロの子供たちが、物語そのものの誤りに気がつくことだ。子供たちはこの間違いに対してどのような態度をとるだろうか?

先生に思い切って質問するだろうか? 尊敬すべき対象として日ごろ教え込まれている先生に、勇気を持って間違いを指摘するだろうか? プエブロの子供たちはキバがどういう場所か誰よりもよくわかっている。だが問題はこれにとどまらない。

『太陽へとぶ矢』の物語のなかで、主人公は他のプエブロの子供たちから「父なし子」とからかわれる。「お前の父さんはどこにいるのか?」と。ストーリーではこのことによる内的な葛藤が少年を太陽への旅にむかわせるのだが、この部分はプエブロの人たちというか、母系制を主軸としたネイティブの人たちの「家族構造やそれに基づく価値観をまったく反映していない」とデビー先生は指摘する。

デビー先生も書いているが、インディアンの家族観のなかには「庶子」「非嫡出子」なるものは存在しないのである。インディアン、とくにプエブロの共同体は共同体全体がひとつの大きな拡大家族のように考えられている。わかりやすく言えば、ネイティブの人たちの拡大家族においては、血のつながりとは関係なくみんなが母親であり父親でありおばさんでありおじさんであり兄であり弟であり妹であり姉なのである。「非嫡出子」を差別するという考え方自体が、ほんらいネイティブのものではなく、別のところから、ヨーロッパから、持ち込まれたものなのである。

もし家に絵本『太陽へとぶ矢』(神宮輝夫訳 ほるぷ出版刊)がおありなら、この機会にもう一度それを読んで、デビー・リース先生が、この本についてみんなと共有したいと願ったものを、一度考えてみてはいかがだろうか。

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Comments

貴重な解説ありがとうございます。
アメリカ先住民の文化を含め多文化の理解には、やはり正確なリソースにあたる必要があると思いました。
ありがとうございます。

Posted by: FredChang | Sunday, November 30, 2008 05:29 PM

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