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Thursday, November 30, 2006

虹の戦士たちに贈る即興詩

rainbowbolt地は君の母、母は君を抱く

空は君の父、父は君を守る

虹は君の姉、姉は君を愛す

風は君の兄、兄は君に歌う

いつも いかなるときにも

なにひとつかわることなく

今日は 良い日だ、HO!

スピリットの帰還 —— 虹の戦士 Gathering 2006 冬至へ——12月9日のイベントのご案内

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Tuesday, November 28, 2006

白いバッファローの子供は雷に撃たれて死んでしまった

news今週の日曜日の夜、大きな落雷があり、二頭の大人のバッファローと三頭の子供のバッファローが死んだ。そしてこの三頭の子供のなかには、あのミラクルの再臨とされた、ミラクルズ・セカンド・チャンスがふくまれると、ウィスコンシン州ジェーンズヴィルの南にあるハイダー牧場の牧場主デイブ・ハイダーさんが昨日公表した。月曜日の朝の仕事の前に牧場を見回った際、五頭のバッファローが死んでいるのを発見したもの。

白いバッファローを産んだ母親バッファローがしきりとうなり声を上げながら歩き回るので、ハイダーさんが彼女のあとについて丘を登ってみたところ、折れた木のかたわらで焼け死んでいる五頭のバッファローを見つけたのだという。ハイダーさんは原因が落雷であることは明らかだと語っている。

ミラクルズ・セカンド・チャンスは今年の8月25日、激しい雷雨の中で生まれた。あのとき雷と共に地上にやってきた白いバッファローの子供は、3ヶ月後再び雷によって天に召されたのである。

「おそらくこのことでたくさんの人が悲しむことだろう。単なる偶然かもしれないが、二度も雷が落ちるなんて。あの子は嵐の中で生まれて、嵐の中で死んでいったのです」とハイダーさんは地元の新聞であるジェーンズヴィル・ガゼット紙の電子版の号外で語っている。

はたして「偉大なる謎」は、なにをミラクルズ・セカンド・チャンスにたくしたのだろう? 雷の力は世界を破壊するほどに強いと、かつてローリング・サンダーが語っていたのを思い出した。

next Lightning strike kills white buffalo (Monday, November 27, 2006 12:13:08 PM CST) Janesville Gazette Xtra

next ホワイト・バッファローの男子誕生(Tuesday, September 12, 2006)
next パイプとともに歩むすべての人たちに(Saturday, October 14, 2006)
next ミラクルの再臨くんはいたって元気(Tuesday, October 31, 2006)

arrow2 Miracle's Second Chance Homepage,The Heider Farm

追記 ぼくの友人が毎週の運気を易で立てたものを「Another Way」というサイトに掲載している。今週の卦はここ。一読されると、易のすごさが理解できる。今週の卦は「Fire over Thunder(雷のうえの火)」となっている。この卦は「いまが断固として果断に行動するのにいいとき」であることを教えてくれているのだそうだ。

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Monday, November 27, 2006

大いなる謎 #001

OHIYESA
大いなる謎(偉大なる神秘)の崇拝とは、沈黙であり、ひとりきりであり、一切の利己的なるものから自由であることだった。なぜ沈黙かと言えば、声を用いた話はなんであれやむを得ぬとはいえ弱々しく不完全であるからであり、それがゆえにわが遠祖たちは、無言の崇拝のうちに神の元へのぼられた。なにゆえにひとりきりかと言えば、ひとりでいるときには彼がそばにいてくださると信じられたからであり、人間と人間を創られしものとのあいだにはいかなる司祭といえどもわりこむことなどできなかったからである。勧誘や、告白や、また自分以外のひとの宗教的体験に干渉することは、なにであれすべきではない。われわれにとっては、人間はみな神の子として創られたもので、その神性を意識しつつまっすぐに立つものとされた。われらの信仰は教義として説明されることもなく、また強制されるようなものでもなかった。

オヒエサ(チャールズ・アレクサンダー・イーストマン)[1858-1939]ラコタ一族 『インディアンの心の奥底』〔The Soul of the Indian, 1911〕 第1章 大いなる謎 より


オヒエサことチャールズ・アレクサンダー・イーストマン(写真)はネイティブ・アメリカンの作家のなかでも異彩を放つ存在だ。ウッドランド・スーの祖母の元で1858年から1874年まで伝統的なラコタとして育てられ、ほんらいのネイティブとしての生き方、言葉、文化、口承の歴史を身につけた。その後、父親の強い勧めで白人の教育を受けることになり、ダートマスとボストンの医科大学に進学。西洋スタイルの高等教育を受けた医師として、また唯一のネイティブの医者として1890年のウーンデッドニーの虐殺事件のときには被害者たちの看護にあたっている。彼と同世代のインディアンの作家たちのほとんどが、白人化教育しか受けておらず、いっさいの伝統的な知識を与えられることなく育ったのと比べると、あらかじめ彼が少年時代の15年間ほどを伝統的な生活のなかで過ごして学んで身につけたことは、文化人類学者などの資料から学んだ知識ではなく、よけいなフィルターが入っていないことから、きわめて信憑性の高い貴重な第一次情報になっている。当 Native Heart Blog ではこれから半年ほどかけて彼の代表作である『インディアンの心の奥底』を、少しずつ、不定期に紹介していこうと考えている。

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Sunday, November 26, 2006

ネイティブの権利に反対する国

news11月21日付「インデイアン・カントリー・トゥデイ」紙が伝えたところによると「先住民の権利宣言」の最終採択を巡って国連が土壇場で紛糾している。第191回目の国連総会でようやく採決されて通過すると見られていた「ネイティブ・ピープルの権利宣言」が、ここへきてアメリカ合衆国、カナダ、オーストラリア、ロシア、ニュージーランドという「その内側に大きな数の先住民を抱えている国々」の抵抗で、採択を先延ばしにされそうになっているのだ。

通称「ネイティブ権利宣言」とされるこの宣言は、かれこれ30年近くも国連で検討されてきているもので、先住民の土地と資源と言語と文化と信仰に関する人としての権利と先住民の自決権を明確にしてこれを保護するための宣言となる予定のもの。連邦政府が認めた562の部族を抱えるアメリカ合衆国などが宣言の採択に反対する最大の理由は、「先住民の自決権を明確にしてこれを認める」という部分で、これによりいたずらに先住民に権力(パワー)を与える結果になりかねないからだという。

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平和について考えてみてください

John and Yoko Canada bed-in友だちのひとりがジョンとヨーコについての見るに値するとてもいいテレビ番組だよとして教えてくれたのがこの「やあ、ぼくはジョン・レノン。今週はピース・ウィークエンドです」というジョンのメッセージからはじまる「カナダのキング・エドワーズ・シェラトン・ホテルで1969年におこなわれたふたりの7日間におよぶベッドインについてのドキュメンタリー」である「ジョンとヨーコの平和の年 "John and Yoko's Year of Peace"」でした。「人びとが望めばほんとうに平和は訪れる」とジョンが最後のところで語っています。ここらでもう一度平和について考えるために、ぜひご覧あれ。(51分28秒)

next John and Yoko Canada bed-in CBC documentary

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Friday, November 24, 2006

大人になったことを示す25の徴候(タメイキ)

伝統的な部族社会だと、大人になるための通過儀礼があって、その通過儀礼を終えたあとは、確信を持って大人になったと思えるし、ソサエティからも認められるのだけれど、そうした儀式を排することで文明化したと思いこんでいる今の社会では、これでなかなか大人になることがむずかしい。

ひとはどんなときに自分が大人になったことを知るのだろうか? ぼくは昔々、自分が大人になる以前、「ぼくは大人になりたくない」などと勇ましいことを文章にして発表していたっけ :-) 当時は「30歳以上は信用するな」という標語が世界を席巻していた。もちろん当時から「はやく大人になりたい」派もたくさんいて、「大人になりたくない」派と対立してはいた。いざ自分が30を過ぎたとき、とてつもなく自分が年齢をとったような気がしたものだった。実際20代後半で自分がえらい年寄りになったような気がしたものだった。

そこで最近ぼくがときどき読ませてもらっている『MARYANNAVILLE』というオーストラリアの人のブログでみつけた熟れたひとつのトマトさんが書いた「大人になったことを示す25の徴候(タメイキ)(25 SIGNS YOU HAVE GROWN UP **sigh**)」というリストを、肩の力を抜くために紹介しておきたい。


大人になったことを示す25の徴候(タメイキ)
筆 熟れたひとつのトマト

  1. 室内の鉢植えの植物たちはイキイキしているがなかに煙にするものはひとつもない。
  2. 当然ながらツインベッドでセックス。
  3. 冷蔵庫の中身はビールよりもっぱら食料。
  4. 午前6時が、就寝時間ではなく、起床時間。
  5. エレベーターのなかで好みの歌を耳にする。
  6. テレビで天気チャンネルを見る。
  7. 友だちが「ひっかけたり」「ふられたり」するのでなく、「結婚」して「離婚」するようになった。
  8. 年に130日の休みが14日に減少。
  9. ジーンズにセーター姿をドレスアップと思えなくなった。
  10. 近所のガキのステレオの音が大きいと警察に電話をしている自分を発見した。
  11. 親戚の大人たちがいやらしい冗談を自分のそばでくつろいで話している。
  12. タコベルの閉店時間を知らない。
  13. 自動車保険の値段が減り、車に使う金額が増えた。
  14. 飼い犬にマクドナルドの残り物でなく、サイエンスダイエットを与える。
  15. カウチで眠ると背中が痛くなる。
  16. 昼寝をする。
  17. 食事して映画を観ることがデートの導入ではなく全部になる。
  18. 午前3時にチキンバスケットを食べると胃の調子が落ち着くかわりにひどくむかつく。
  19. 薬局にコンドームや妊娠検査薬を買うためでなく、解熱剤や胃薬や湿布薬を求めて行く。
  20. 一瓶で1000円程度の赤ワインが「いけてる」とは思えなくなった。
  21. 朝食に、きちんとした朝ご飯メニューを食べる。
  22. 「もう二度とあんなに飲まない」のかわりに「昔みたいには飲めないよ」という。
  23. 実際の仕事の時間の90パーセントをコンピュータの前で過ごす。
  24. 無駄遣いをしないために酒場に行く前に家で酒を飲む。
  25. 友だちのカップルの妊娠がわかったときに、「どうするの?」というかわりに、ふたりを祝福する。

追加:
このリストをここまで読みながら必死に自分にその兆候がないかを自問した結果すべてにあてはまっている自分と出会ったときは、残念ながらあなたはもうじゅうぶんに大人になっています。

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あなたがこれまでに一度も見たことがない世界へ

population_year_1
population_1960
population_2050
WORLDMAPPER というサイトを紹介したい。世界地図が見れるサイトだが、この世界地図はぼくたちが通常見慣れているものとはまったく異なる。だからこのサイトには「あなたがこれまでに一度も見たことがない世界」とサブタイトルがつけられているように、すべての地図が実態(実際のありさま)に応じて国の大きさがリサイズされているのだ。まあ、実際に例を見てもらった方がいい。世界を見る目が変わるから。

ここに紹介したのはそのなかから人口に応じて国土の大きさをリサイズしたものだ。一番上が「西暦1年」、つぎが「西暦1960年」、そして「西暦2050年(予測)」となる。ね、一目瞭然でしょ。

このように人口だけでなく、国の富、出生率、子供の数、年長者数、難民の数、観光動態、飛行機の発着便の数、飛行機の乗客数、鉄道網、道路、自動車数、バイクの数、コンテナ用の港湾の数、オイルタンカーの数、果物の輸出量と輸入量、穀物の輸出量と輸入量、野菜の輸出量と輸入量、水産物の輸出量と輸入量、原油の輸出量と輸入量、石炭の輸出量と輸入量、おもちゃの輸出量と輸入量、鉱石、鉄鋼、薬剤、紙、自動車、衣服、コンピュータ、保険などのそれぞれの入ってくるものと出て行くものの総額、森林の面積、森林が失われていく面積、ガス、電気、エネルギー、トラクターの数、肉の消費量、穀物の生産量、農業で働く女性の数、男性の数、工場で働く女性の数、男性の数、教育に関するさまざまなデータなどなど、これ以外にもさまざまなジャンルにおける世界の「実態」が、今のところ227枚の世界地図に投影されて目に見えるようにされている。227枚目は「HIV(AIDS)の患者数」になってる。

世界のありさまを数量化して、国土の大きさに展開してながめてみると、これまで気がつかなかったことが良く見えてくる。各国の少数民族やマイノリティーの実態を年代順に追いかけた地図なんかがほしいところだ。

next WORLDMAPPER The world as you've never seen it before

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Thursday, November 23, 2006

サンクスギビングって、いったいなんなの?

thanksgiving勤労感謝の日だね。ぼくにはあまり関係ないけれど。アメリカでは11月の第4週目の木曜日が「サンクスギビングデイ」だ。新大陸に移住してきた清教徒たちが、無事に生き延びたことを感謝し、先住民(ワンポアノグの人たち)たちを夕食に招いて、みなで親しくスカッシュやコーンや七面鳥を分けあって食べたことが起源だとされているが、これは真っ赤な——じゃなくて白々しい——嘘なのだな。どこを調べてもそのような歴史的な事実は全くないという。ワンパノアグの子孫という人が話していたことだが、あのときに清教徒から招かれたという事実は全くないと言うことだった。ネイティブの人たちが清教徒のもとを訪れたのは、砦のなかで銃をぶっ放すなどの大騒ぎをしていたので、条約が守られているのかどうかを確かめに行っただけだと。

先生が教えてくれた嘘( Lies My Teacher Told Me )』という興味深い本(註)を書いたジェイムズ・W・ローウェン(James W. Loewen)も、その本の中で、感謝祭に先住民と収穫を分けあったとするのは、「この国のはじまり方を気持ちいいものにしようとする捏造にすぎない」と言っている。

感謝祭がアメリカで認定されたのは、清教徒たちがボートピープルとしてイギリスから新大陸にたどりついてから200年ほど経た1863年で、時の大統領だったエィブラハム・リンカーンが休日を宣言したものだ。リンカーンは清教徒とインディアンが仲がよかったことを顕彰するためにこの日を休日にしたのではなく、血で血を洗うアメリカ合衆国国内の内戦(独立戦争)に嫌気がさしていた人たちに、このあたりでひとつみなの心が温まるような祭りでも提供する必要があるのではないかと考えたからに他ならない。

清教徒たちはけして先住民と仲良しだったわけではない。もちろん清教徒たちを乗せたメイフラワー号がプリモスの岩場に接岸するずっと前から、この季節になると亀の島(アメリカ大陸のもとの名前)東岸一帯に暮らすネイティブ・ピープルは毎年さまざまな大地の恵みをみなで分けあう伝統的な祭りの習慣を持っていたのだ。それは間違いない。しかし、そこに難民同様に着の身着のままでたどりついてなんとか生き延びた清教徒も混じってみんなで一緒に盛大に仲良く食事をしたなんていうたわごとを信じてはいけません。

元込式の銃以外にはろくな道具も持たず、食糧もなく、着の身着のままの清教徒たちがなにをしたのかというと、まずは周辺の先住民たちを追い払い、彼らの食糧であるスカッシュやトウモロコシ、生活に用いていた土器類などの略奪。さらには先住民の墓をことごとく暴いてさまざまなものを盗掘。結核などのさまざまな疫病を意図的にばらまいた。このように仲良しの友だちにするにしてはおそろしく荒っぽいやり方で、清教徒たちはたった50年でその土地の先住民たちをあらかた追い払い、殺しつくしてしまったのだ。

imagenameイギリスの国王は、何百万ものネイティブ・アメリカンが病気でばたばたと死んでいるとの報告を受けて、「なんと素晴らしき疫病であることよ」とコメントし神に感謝したという。彼らはインディアンを成敗するために神が疫病を与えてくれたと本気に信じていたのである。

まったく心温まる話でなくて申し訳ない。

(註) 歴史というものがいかに嘘で塗り固められているかを教えてくれる本。英語の本だが読む価値はある。"Shop Native Heart"にも入れておきました。

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Monday, November 20, 2006

ナバホの土地で今なにが起きているのか

Revised 9:30AM, Thursday, November 23, 2006

newsナバホ部族会議がナバホ国におけめウラニウムの採掘を禁止したというニュースを伝えてからだいぶ時間が経過した。ウラニウムの採掘を禁止するということ自体はネイティブ・ピープルの視点から見ればまったく正しい判断であるのだが、禁止しただけでナバホの人たちがこうむっている禍(わざわい)に終止符が打たれたわけではない。

ナバホ国部族会議がウラニウムに対して強い姿勢をとる背景にあるものは、今なお大量に放置されたまま人びとの体をむしばみ続けている放射能汚染された鉱滓や残土や廃棄物の存在であり、これは20世紀後半のいわゆる冷戦の置き土産なのである。とにかくその現実は壮絶であり、今なおナバホの人たちはむき出しの核廃棄物がそこら中に点在する土地で生活を余儀なくされているのだ。放射能に汚染された土がほこりとなって舞い散り、ナバホの人たちはそれを吸いこみ、放射能に汚染された水を飲み、鉱山や廃鉱から出た放射能汚染された残土で作った家で暮らす生活を余儀なくされている。つぎつぎと癌を発病する人びと。にもかかわらず合衆国政府は、さながら「インディアン絶滅計画を今も推し進めているかのように」まったく手を打とうともしない。

navajo uranium map partまず左の図を見てもらいたい。これは部分で、クリックすると全体図に別窓で拡大される。全体の地図はナバホの国土をしめすものであり、ほぼ中央にホピの国があるのがわかる。薄い赤色が現在のナバホ国の境界線で、濃い赤色は環境保護局が汚染の現状を調査しているエリアである。

ナバホの土地は世界でも有数のウラニウムが豊富に埋蔵されている大地であるが、この拡大図ではホピの国をぐるりと取り囲むようにドーナッツ状に広がっているナバホの土地の、いたるところに赤い丸印があるのがわかる。この赤丸のところが、ウラニウム鉱石の廃坑(かつて鉱山だった場所)で、その周辺には放射能に汚染された残土などがなんの手だても講じられず野積みにされていたりする。みんながよく知っているモニュメント・バレーもその周辺エリアにふくまれる。

1944年から1986年までのあいだに、核兵器と原子力発電の需要をみたすために400万トンものウラニウム鉱石がこれらの場所から掘り出され、放射能に汚染された鉱滓の大半がナバホの人たちの土地に撒きちらかされた。ざっと数えてそのうちの1000個所が、現在もなおそのまま放置され続けているのである。

blighted_homelandこうしたナバホの人たちの放射能汚染禍の現状を広く世界に知らしめるために、ロサンジェルスタイムズ紙が11月19日から4日連続で「荒廃する故郷(BLIGHTED HOMELAND)」というキャンペーンを展開した。このLA Times の National News の BLIGHTED HOMELAND のサイトに行ってほしい。同紙の記者による取材に基づいた記事そのものも良く書けているのだが、それにくわえてぜひ見てほしいのは、該当ページの右側に掲載されている「Blighted Homeland」という Flash の技術をつかったインタラクティブな音楽と声とメッセージの入ったスライドショーである。LA Times のページの右サイド中程から入れるし、この左の写真を直接クリックしてもいい。

現在は Part 1 「危険に気がつかぬままに」Part 2 「汚染された水」 Part 3 「地質環境汚染責任」 Part 4 「新たなるウラニウム・ラッシュ」のすべてが公開されている。タイトルの右にある「Part 1」から「Part 4」をクリックすることで、連続して視聴することもできる。

Part 1 ではナバホの人たちの生の声にかぶさるようにまるでニール・ヤングのようなもの悲しくもスピリットのあるカントリー調の歌が聞こえるだろう。ナバホのミュージシャンであるヴィンセント・クレイグ(Vincent Craig)が歌う「黄色い砂(イエロー・サンド」という歌である。ここで歌われている「黄色い砂」とは、そのまま「放射能に汚染された土ぼこり」を意味する。)Part 2 は放射能に汚染された水を「いのちの水」として飲んでいたナバホの人たちの現状と沙漠の地下水の放射能汚染が写真で報告されている。Part 3はチャーチロックというナバホのコミュニティを例に、汚染を除く作業の可能性と作業がずるずると遅れる理由を「沙漠の除染は蜃気楼にすぎない」というタイトルで追及する。ナバホの子供たちが日常的に遊ぶ小川の水もすでに汚染されているという。このチャーチロックにおける汚染残土の近郊河川への流出事故は映画「ホピの予言」でもとりあげられていたものだ。

Part 4の連載最終回では「ウラニウム鉱山会社がこのところのウラニウムの価格高騰を背景に再びナバホの大地に眠る膨大なウラニウムに触手を伸ばしつつある」ことを報告する。しかも彼らは今度は新しい技術を使ってウラニウムを『安全』に掘り出すとナバホの人たちの耳元で札束をちらつかせながらささやいている。ナバホの大地は、ウラニウム関係者たちによって「ウラニウムのサウジアラビア」とまで呼ばれるぐらいに埋蔵量が多く、このウラニウムを狙っている企業のなかには日本の商社の伊藤忠商事もふくまれている。ウラニウムを買いたいと申し出た伊藤忠の会長に、ナバホ部族会議の議長は「われわれはいかなる採掘もわれわれの共同体のなかでおこなわれることを欲しない」との拒絶の手紙を送ったと記事には書かれている。ナバホの人たちは絶対に今後もいかなる採掘をも認めないと言ってはいるが、ナバホの部族の土地に眠るウラニウムを虎視眈々と狙う企業はそれでもあとを絶たないのである。

メデイアストームというプロダクションが制作したこの作品をとおして、ナバホの人たちのそれでもなお美しすぎる赤い大地と、そこに生活しながら目に見えない放射能汚染に苦しむ人たちの生々しい姿と声を聞くことができるだろう。今ナバホの大地でなにが起きつつあるのかを、世界は知るべきだし、この人たちの苦しみに終止符を打つために早急に手を打つべきであると誰もが感じることができるはずだ。

冷戦時代にアメリカに付き従ってきたすべての国と、今なおアメリカ的生活様式をむさぼりつつある国には、この現実に対して重大な責任があるはずだと、ぼくは考えるひとりである。

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Sunday, November 19, 2006

100人のみなさんにありがとう!

今朝起きるとつぎのようなメールが届いていた。

復刊ドットコムをご利用いただきありがとうございます。


おめでとうございます。

下記のリクエストの投票数が100票に到達しました。


登録No.9809 登録日時 2002/05/11


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 ジャンル  : 児童
 書名    : すべてのひとに石がひつよう
 著者名   : 著/B・ベイラー・画/P・パーナル・訳/北山耕平
 出版社   : 河出書房新社
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http://www.fukkan.com/fk/VoteDetail?no=9809

※会員登録削除による投票取消しのため投票数が減少することがございますので予めご了承ください。

ぼくが翻訳した「すべてのひとに石がひつよう」の復刊希望に投票してくれた100人の方々にお礼を言います。復刊ドットコムのシステムが変更になり、簡単に票数が見れなくなっていたし、100に到達したからといってすぐに復刊できるというものでもないのですが、出版社にはともかく、ぼくには大きな励みになります。河出書房新社であの本を作ってくださった辣腕の編集者の方はすでに定年退職され悠々自適な生活を海に近い別荘地でされていて、なかなか河出書房編集部との交渉は難航すると思います。今後は他の出版社の可能性も含めて、復刊の道を探り続けます。たくさんの人があの本のことを忘れないでいてくれることは、喜び以外のなにものでもありません。この数字を一里塚として、模索を続けます。「すべてのひとに石がひつよう」のことを忘れないでいてくれてありがとう。

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Saturday, November 18, 2006

『太陽へとぶ矢』という絵本の読み方

Arrow to the Sun『太陽へとぶ矢』という絵本がある。ジェラルド・マクダーモット作、神宮輝夫訳。カルデコット賞という絵本では権威のある賞を78年に受賞した作品だ。日本語に翻訳されてからでも30年以上になる。全般にわたってとても印象的なグラフィックの本なので、きっとご存じの方も多いと思う。いうならば定番中の定番の絵本だから、図書館にはおそらく必ず入っているはずだ。ネイティブの文化に関心のある人なら一度は手にとったことがあるだろう。左の写真は英語版のものだが、日本語のものもこれと同じグラフィックを用いている。お話しは以下のようなものである。

「昔、太陽の神が、いのちの力を一本の矢にかえ、大地に向けてとばします。矢はある村(プエブロ)のひとりの娘にあたり、その娘は男の子を生みます。男の子はすくすくと育ちましたが、部族の子どもたちから“おやなし子”といじめられます。男の子はお父さんをさがしに出かけ、ある矢づくりの老人に会います。老人は、男の子が太陽の子だと見抜き、その男の子を一本の矢にかえて太陽に向けてとばします。太陽の神に息子だと認めてもらうために、男の子は四つのキバのなかに入って試練を受けます。四つのキバのなかには、それぞれライオン、へび、ハチの大群、そして稲妻が男の子を試すべく待ちかまえています。このようなおそろしい敵と向かいあい、耐え、受け入れ、それを自分のエネルギーにして、主人公の男の子はついに太陽の神になりましたとさ」

プエブロの神話をモチーフに描きあげられたとされる作品であり、日本でも絵本好きの人のほとんどがその鮮烈なイメージでこの本のことを知っているはずである。「しかしこの絵本には問題がある」と指摘するのはデビー・リース先生だ。

先生は、ニューメキシコ北部のプエブロの出身。かつては小学校や中学校でネイティブの子供たちに勉強を教えていたが、現在はイリノイ大学で大学生を相手にネイティブ・アメリカン研究を教えている。子供の本のなかに出てくるアメリカ・インディアンについて研究していて、「 American Indians in Children's Literature 」というブログを持つ。そして彼女のブログの今年の10月25日のアーティクルに、『太陽へとぶ矢』がとりあげられていた。

この本はカルデコット賞を受賞したおかげで全米の学校図書館に入っていて、教育の現場でもつかわれることがあるが、問題がたくさんあると先生は言う。まず、プエブロの人たちにとってキバは神聖な場所であって、試練を受ける場所ではないことがあげられている。なるほど絵本では主人公がそれぞれに異なる四つのキバで試練を受けることになっている。

読み聞かせる先生がネイティブ・アメリカンの文化について多少なりとも関心があれば、プエブロの人たちのキバというのがけしておそろしい場所などではなく、お寺や神社や教会のようなものであることがわかるだろう。

「わたしの希望としては」とデビー先生はブログに書く。「この本を読み聞かせる際に、学校の先生は時間を取って、この絵本におけるキバの描写は間違っていることを説明してあげてほしい」と。そのことによって幸運にも子供たちは、自分たちの読む本がいくらポピュラーだからといって間違っていることもあるのだと言うことを学ぶことができるからと。

しかしもしその先生が、プエブロのキバのことなどまったく知らなくて、絵本をそのまま鵜呑みにしてしまったとしたら、話を聞かされる子供たちは不幸にも傷つけられることになるのではないか。キバというものにたいする誤った考えを持ち続けることになるからだ。その子が旅行でアメリカ南西部をたずねることがないとは言えない。その際プエブロの村でキバを見たりすることに恐怖を持つことも考えられるだろう。

さらにまた、実際のプエブロの子供たちは、この絵本を学校で読み聞かされたときなにを考えるだろうか? プエブロの子供たちは、別のところでこの絵本によって傷つく。いちばんありうるのは、プエブロの子供たちが、物語そのものの誤りに気がつくことだ。子供たちはこの間違いに対してどのような態度をとるだろうか?

先生に思い切って質問するだろうか? 尊敬すべき対象として日ごろ教え込まれている先生に、勇気を持って間違いを指摘するだろうか? プエブロの子供たちはキバがどういう場所か誰よりもよくわかっている。だが問題はこれにとどまらない。

『太陽へとぶ矢』の物語のなかで、主人公は他のプエブロの子供たちから「父なし子」とからかわれる。「お前の父さんはどこにいるのか?」と。ストーリーではこのことによる内的な葛藤が少年を太陽への旅にむかわせるのだが、この部分はプエブロの人たちというか、母系制を主軸としたネイティブの人たちの「家族構造やそれに基づく価値観をまったく反映していない」とデビー先生は指摘する。

デビー先生も書いているが、インディアンの家族観のなかには「庶子」「非嫡出子」なるものは存在しないのである。インディアン、とくにプエブロの共同体は共同体全体がひとつの大きな拡大家族のように考えられている。わかりやすく言えば、ネイティブの人たちの拡大家族においては、血のつながりとは関係なくみんなが母親であり父親でありおばさんでありおじさんであり兄であり弟であり妹であり姉なのである。「非嫡出子」を差別するという考え方自体が、ほんらいネイティブのものではなく、別のところから、ヨーロッパから、持ち込まれたものなのである。

もし家に絵本『太陽へとぶ矢』(神宮輝夫訳 ほるぷ出版刊)がおありなら、この機会にもう一度それを読んで、デビー・リース先生が、この本についてみんなと共有したいと願ったものを、一度考えてみてはいかがだろうか。

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Friday, November 17, 2006

星ふる夜になにを思う

leonids_niagara_1833

毎年11月になるといろんなところが取りあげるのですが、今年は日本列島が観測好適地ではないのであまり騒がれていません。それに列島全体に天気が下り坂だったりもするわけで。でも星を見る者(スター・ゲイザー)のひとりとしてはやはりこれは無視できないわけで、しし座流星群が日本では今夜の日付が代わった真夜中11月18日丑三つ時が極大となり、ちょうど月も新月に向かっているので月明かりにじゃまされることもなく、運が良ければ——正しい時に正しい場所にいることができれば :-) ——1時間に10個前後の流れ星が見えたりするかもしれません。

まあ今夜がバッドデイだったとしても、来月中旬(12月14日午後9時頃)にはふたご座流星群も出現することだし、その夜には期待できるかも。

当 Native Heart としては、アメリカ・インディアンをはじめとして地球のネイティブ・ピープルたちがどのように流星群を見ていたのかが気になるところでありますが、たとえば五大湖周辺に暮らし、ワイルドライスをスピリットをつなぐ食べものとして大切にしていたメノミニ(オジブワ、チペア)の人たちには、「星が空から落ちるとき/火の道が後に残される/星は死ぬことはなく/影の部分は元の場所に戻りて再び輝く」という言い伝えがあったりします。

シベリアのネイティブの言い伝えでは、天球は動物の毛皮を縫い合わせてできていて、ときどきその縫い目をとおして神々が下界をのぞき見るのだということです。で、神々が縫い目から下界をのぞき見する瞬間に、向こう側の輝きが露わになるらしいのだな。それが流れ星となってぼくたちには見えると。またネイティブ・アメリカンのなかには、流星たちは月の破片であると考える人たちもいたようです。だからそれは「月の子供たち」と呼ばれることもあったとか。

中央アジアには流星を天空を横切って旅する火のヘビたちと見た人たちがいたようです。この火のヘビたちはときとして問題をもたらすこともあれば、たくさんの財宝や富をもたらすこともあるらしい。

図版は1833年のしし座流星群を伝えるもので、場所は夜明けを前にした暗いナイアガラの瀑布の上です。この年のしし座流星群は北半球ではたくさん目撃されたらしく、開国直前の江戸時代末期の日本でもあまりの明るさに目を覚まして起きた人がたくさんおり、人びとは口々に不吉なことが起きなければよいがと語りあったようです。

この大流星群は北米大陸でもラコタの人たちによって目撃されて、彼らの暦である「冬暦(ウインターカウント)」に描き込まれたし、カイオワの人たちの絵暦によれば、それはこの年いちばんの目を見張る出来事として語り継がれています。

next しし座流星群 2001 ギャラリー

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Wednesday, November 15, 2006

ジャック・ケルアックが散文を書くための覚書として残したクールな文章の試訳と彼の写真を使ったGAPのポスター

Kerouac wore khakis

Kerouac wore khakis (Gap ad)

[上の写真はギャップという服飾メーカーの広告に使われたジャック・ケルアック (1922-69)の写真である。「ケルアックはカーキを着ていた」というコピーがさりげなくつけられている。道の上を住み家としていた彼の姿は今でもまぶしく見える。以下の「現代散文のための信条および技術」はあくまでも個人的な覚書のつもりで翻訳したもので、理解がたりずに誤って翻訳している個所がないともかぎらないが、おそらくケルアックが伝えようとしたことは、すべての文章を書く人、特に新しい時代の文章を書く人——書きたいと熱望する人——にとって役に立つことではないかと思えたので、ここに掲載することにした。そして今後はなんのおことわりもなくバージョンアップがなされる可能性があることも書いておかねばならない。:-) ぼくは第二次世界大戦後のアメリカに登場した「ビート」と呼ばれた一群の人たちは、白いインディアンの先駆けとなった人たちと理解していることを、前もっておことわりしておく。]

BELIEF & TECHNIQUE FOR MODERN PROSE

現代散文のための信条および技術

Jack Kerouac

ジャック・ケルアック 原文 北山耕平 試訳(Version 1.3)

1. Scribbled secret notebooks, and wild typewritten pages, for yr own joy
秘密のノートへの走り書き、適当に打ち込んだ文章、おのれの楽しみのために

2. Submissive to everything, open, listening
あらゆることに対して素直になれ、心を開き、耳を傾けよ

3. Try never get drunk outside yr own house
自分の家の外ではけして酔っぱらわぬように努めよ

4. Be in love with yr life
生きることに恋せよ

5. Something that you feel will find its own form
感じているものはそれなりの形を見つけだす

6. Be crazy dumbsaint of the mind
頭のなかではクレイジーで愚かな聖者たれ

7. Blow as deep as you want to blow
吹きたければ腹の底から思い切り吹け

8. Write what you want bottomless from bottom of the mind
底なしマインドの底にとどくほどのところで欲するものを書け

9. The unspeakable visions of the individual
口にすることができない個人のヴィジョン

10. No time for poetry but exactly what is
ありのままを書くだけで詩まで書く時間はない

11. Visionary tics shivering in the chest
胸の奥でヴィジョンが痙攣し震えて

12. In tranced fixation dreaming upon object before you
自分の前にある物体についてのトランス状態における固定夢のなか

13. Remove literary, grammatical and syntactical inhibition
文藝的、文法的、構文的禁制を排除せよ

14. Like Proust be an old teahead of time
プルーストのごとき、時代の年老いた茶頭たれ

15. Telling the true story of the world in interior monolog
世界の真実の物語を内的な独白で語る

16. The jewel center of interest is the eye within the eye
関心の中心の宝石は目のなかの目にある

17. Write in recollection and amazement for yourself
記憶と驚嘆のなかおのれのために書け

18. Work from pithy middle eye out, swimming in language sea
言語の海で泳ぎながら簡潔な真ん中の目でとことん練り上げる

19. Accept loss forever
損失を永遠に受け入れよ

20. Believe in the holy contour of life
いのちの聖なる輪郭を信ぜよ

21. Struggle to sketch the flow that already exists intact in mind
マインドのなか無傷のまますでにそこに存在する流れをもがいて素描する

22. Dont think of words when you stop but to see picture better
立ち止まったときには言葉を考えずにもっと良く全体を見よ

23. Keep track of every day the date emblazoned in yr morning
お前の朝のなか日付に飾られた毎日を辿れ

24. No fear or shame in the dignity of yr experience, language & knowledge
おのれの経験、言葉、知識の尊厳を恐れたり恥じたりしてはならぬ

25. Write for the world to read and see yr exact pictures of it
お前が見たのとまさに同じものを世界が読んで見るために書け

26. Bookmovie is the movie in words, the visual American form
本映画とは言葉による映画、目に見えるアメリカの形

27. In praise of Character in the Bleak inhuman Loneliness
荒涼たる非人間的な孤独のなかの個性を称えて

28. Composing wild, undisciplined, pure, coming in from under, crazier the better
野性的で、しつけられることなく、純粋で、下よりあらわれし、より狂っていて、より良きものを形作る

29. You're a Genius all the time
お前はいついかなるときにも天才

30. Writer-Director of Earthly movies Sponsored & Angeled in Heaven
天上の支援と加護を受けし地上の映画における作家で監督

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Monday, November 13, 2006

縄文のムラ、弥生の村

featherその石の前に立ったときに、自分がここに来なくてはならないと感じていたものがはっきり理解できた。その群馬県から出土して、弓と矢を持つ人間の姿が認識されることから「狩猟文石」と名づけられた個人所蔵の石は、会場の一隅のガラスのケースのなかに展示されていた。縄文時代の遺跡から出土したとされるその直径15から20センチほどの砂岩の丸石の表面に、さながらホピの岩絵のような線刻画が刻み込まれていた。一目見てそれが特別なメッセージであることがわかった。手にとってながめてみたい衝動に駆られたがそれは叶わない夢だった。かわりにガラスに顔をつけるようにしてその丸石を長いこと見つめてきた。そこには最初に会ったもの、そして最後に出会うもののような特別な存在のなにかと、はっきりと人とわかるものがいくつかと、ほかにもよく見るといろいろなパターンの図が刻み込まれていた。なにかを——わたしに、そしてあなたに——伝えるために描きこまれた絵であることは間違いなく、それは数千年の時間と空間を越えて、特別な物語を語っている石のようでもあった。

昨日、快晴の天気のなか、茨城県水戸市にある茨城県立歴史館に、小田急線、山手線、常磐線(フレッシュ常陸、スーパー常陸)と電車を乗り継いで、関東プレーンズを北東に縦断して家族でおもむき、『縄文のムラ、弥生の村』という特別展を見に行ってきた。早朝小田急線登戸のあたりで見えた白い富士の高嶺も印象的だったが、午前のきらきらした光をうけて歴史館はあの偕楽園の隣にある手入れの行き届いた広い敷地の銀杏の林のなかに建っていた。青空と白い雲を背景にして黄色く色づいた木々の葉が風に揺れて、これ以上はないというような静かで落ち着いたロケーションである。水戸の街がこんなに箱庭のように美しいところだとはついぞ知らなかったな。

imagename『縄文のムラ、弥生の村』という展示のことを知ってからなんとか行きたいものだと思い続けていて、ようやく実現したもので、会場はそんなに広くはなかったけれど、日本列島各地から集められた国宝やそれに匹敵する出土品が実に上手に配置されていた。縄文と弥生がひとつの部屋にあるのではなく、ふたつは別の会場にわけられていたこともかえってイベントを成功させているように思えた。縄文と弥生の違いが、生活様式の違いであり、人間の生き方の違いであることが全体として感じられるような構成になっていた。これまで国立歴史博物館などで似たような展示を見たことがあるが、その時代の日本列島の人たちの営みをこれほど近くに感じた展示は今回が初めてだった。

とりわけ「狩猟文石」との出会いは、ぼくにとっては価値あるものであった。そういう石が存在するという話はこれまでに聞かされたことがあったし、その解説を読んだこともあった。映画「ホピの予言」を撮影された監督の宮田雪氏は、この石の写真をアリゾナに持参してホピの長老に見せて解読を依頼したことがあったと聞く。あきらかに彼はこれを「石版の一部」と考えていたようだし、その図を解読した長老も「ここに描かれているのはホピの予言と同じメッセージである」とこたえたらしい。それが石版の一部であるかどうかはともかく、物語を語る石であることは間違いないし、数千年前の人たちがそこにこめた思いを感じ取ることはできる石がそこにリアリティをともなって置かれていたのだ。全体を見た後もう一度この石の所に戻ってしばらくながめてきた。そしてなんだかとてもいとおしいようなものを見たような満足した思いで歴史館を後にした。

そこから歩いて二十分ほどのところにある水戸の偕楽園のなかを散策した後に、納豆定食を食べて帰途についた。関東平野を南西に向かう電車から、くれなずむはるか遠くの西の空に、大山と丹沢のシルエットを見つけた。

もし機会があるなら、この『縄文のムラ、弥生の村』という展示をご覧に行かれると良いと思う。これだけのものが一堂に会する機会はめったにあるものではないだろうから。

『縄文のムラ、弥生の村』特別展は今月19日まで。

追記 写真のお面もレプリカが飾られていた。複製とはいえかなりのもの。それから本日13日は茨城県民の日で入場料が無料に)

arrow2 茨城県立歴史館

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Sunday, November 12, 2006

ストーリーテリングのなかのワタリガラス

raventalesワタリガラスの物語をぜひ見たいなぁ」という紹介を兼ねたアーティクルを Native Heart に書いたのは今年の6月のことだった。チェロキーの血を受け継ぐクリス・ケインツとカナダ先住民出身のサイモン・ジェイムズとが組んで『ワタリガラスの物語(レイブン・テイルス)』のオリジナルを制作したというニュースを伝えるものだったが、これがとても好評で、第二作以降の制作が進められているようだ。北西太平洋沿岸のネイティブの人たちの伝説に登場するトリックスターのレイブン(ワタリガラス)を主人公というか、案内人として先住民的な世界を展開させるテレビ用のアニメーションだ。今回そのエピソードのひとつ「レイブン・テイルズ——ハゲワシ編」の第1部が製作者グループによって YouTube にアップロードされた。

ネイティブ・アメリカンのストーリーテリングを学ぶもののひとりとして、これはお話しがなんであるのかを伝えるためのとても素敵なアニメであることをまずはお知らせしておきたい。北西太平洋沿岸に暮らしていた、日本列島の先住民たちともおそらくどこか深いところでつながりあっているネイティブの人たちの世界が、コンピュータによるアニメーションであざやかに表現されているので、ぜひ見てください。すごいのは人間的なグレイトスピリットがちゃんと登場すること。おはなしは「なぜハゲワシははげてしまったのか?」を伝える物語だが、現在はパート1しかアップロードされておらず、製作者のコメントとして、続編もじきにアップロードされるとある。言語は英語だが、もともとがお話しなのでそれほど難解なわけではなく、何度も観ているうちにそのまま理解できるようになるだろう。

ネイティブ・アメリカン・ストーリーテリングの雰囲気をいきいきと体験したい人は必見と言えるし、このシリーズか多くの賞を獲得していることも理解できる。ニホンのテレビで公開されないかなぁ。夢を喪失してしまった小学生にぜひ見せたいのだが。

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Friday, November 10, 2006

なぜ冬がくるのだろうか?

再話・太陽と月を盗み出したコヨーテと鷲のお話し

ズニ一族 北米大陸南西部


るか昔、まだ空に光がなく一年中暗闇のなかにいた頃の話だ。

世界は真っ暗だった。しかもただ暗いだけでなく、一年をとおして夏のように暑かった。

コヨーテは毎日のように狩りに出ていた。

でもコヨーテには獲物がまったくなかった。

コヨーテは暗がりの中ではあまり目が見えないからだ。

闇の世界ではコヨーテは最低の狩人だった。

鷲が自分では食べきれないぐらいの兎をやすやすと捕まえて食事にしているのをコヨーテは時々目の隅で見ていた。


るとき、コヨーテは鷲にむかってこう声をかけた。

「友よ、どうにもこうにも目が見えなくて自分にはなにひとつ捕まえることができない。どこかで少し光を手に入れられるところを知らないか?」

「そういうことなら」と鷲がこたえた。「西の方にならなにかあるかもしれん。一緒に探してみよう」

そしてコヨーテと鷲のふたりは連れだって旅に出た。

西の方になら太陽も月もあるかもしれない。

しばらく旅を続けたところでふたりの行く手に大きな赤い川があらわれた。

鷲は軽々と川のうえを飛び越えて対岸に渡った。

コヨーテは泳いで渡ろうとしてたらふく水を飲んで危うくおぼれかけた。

泥まみれになって川からはいあがってきたコヨーテに鷲が、

「なぜ空を飛ばない?」とたずねた。

「お前には羽根があるが、俺には毛しかない。羽根がなければ空は飛べんのだよ」


Zia (zuni symbol)



うこう旅を続けるうちに、ふたりはとある村にやってきた。

村の広場ではたまたまカチーナたちが踊りを踊っていた。

カチーナたちはコヨーテと鷲を暖かく迎え入れ、火のそばに座って聖なる踊りを見るようにすすめた。そして食べものも与えてくれた。

その村のカチーナたちはみなたいへんな力を持つひとびとだった。

しばらく踊りを見た後で鷲が口を開いた。

「この人たちだったら必ず光を持っているはずだ」

コヨーテはあたりをきょろきょろ見まわした。

そしてふたつある箱に目をつけた。

ひとつは大きな箱で、もうひとつは小さな箱だった。

見ているとカチーナたちは、光が必要になるといつでもとどちらかの箱のふたを開けているではないか。

たくさんの光が必要なときには大きな箱のふたを開けていた。

大きな箱には太陽が入っていた。

わずかの光が必要なときには小さな箱のふたを開けていた。

小さな箱には月が収められていた。

コヨーテは鷲の肩を突っついた。

「友よ、あれを見たかね? 大きい箱の方に、わしらが必要とする光が全部はいっているじゃないか。盗み出そうぜ」

「お前はいつだって盗むことしか考えていないのだな。どうせなら、少し借りるっていうのはどうかね」

「俺たちに貸してくれるわけがなかろうが」

「それもそうだな」鷲がうなづいた。「踊りが終わるまでおとなしく待って、それから盗み出すとするか」


ばらくして、聖なる踊りが終わり、カチーナたちがそれぞれの家に入って眠りについた頃、二匹の動物はその箱を盗みにかかった。

箱のところでなにかしていた鷲が、いきなり大きな箱をくわえて空に舞いあがった。

コヨーテはあわてて鷲の後を追った。追いかけても追いかけても、空を飛ぶ鷲に追いつくことはできない。

コヨーテの心臓は今にも破裂しそうだった。長い舌をつきだしてぜいぜい言いながら、コヨーテは空の鷲にむかって叫んだ。

「ホゥ! 友よ、箱を持つのを代わらないか?」

「いやなこった。なにをされるかわかったものじゃない」

そういうと鷲はさらに飛び続けた。コヨーテはけんめいに鷲の後に続いた。


たしばらくしてコヨーテは鷲にむかって叫んだ。

「友よ、あなたは偉い! 俺はあんたをチーフにする! チーフがそんなものをはこんでいたらさまにならんぞ。おつきの俺のことを、きっとみんなはナマケモノとさげすむだろう。だからどうか荷物は俺に持たせてくれ」

「おことわりだね。そんなことをさせたら、ろくな結果にならない」

そういうと鷲はさらに飛び続けた。コヨーテは必死に後を追いかけた。

しばらくして空が大きく開けたところに出たところで、コヨーテがまた声を張り上げた。

「ホゥ。友よ! あんたは荷物運びなんてするべきじゃないんだ! いったいみんなはあんたと俺のことをどう見ると思う?」

「どう思われようが、知ったことか。箱はわたしが運ぶ」

そしてさらに鷲は空を飛び続け、コヨーテは死に物狂いでその後を追いかけて走った。

そして四度目の正直で、コヨーテは今度はひたすら頼みこむ作戦に出た。

「頼むよ、頼みますよ、鷲さん、おい、チーフ。あんたこそチーフだ。おいらはただのコヨーテさ。だからお頼みしますよ。どうか、どうか、その箱を、おいらに持たせてください。頼む。頼みます。どうか、どうか、ぜひ」

さしもの鷲もこのときばかりは折れてやることにした。なにしろ四度目の正直だ。コヨーテは四回もお願いしてきた。四は神聖な数で、もし誰かに四回頼まれたら、その声にこたえてあげるべきなのだ。鷲がこたえた。

「そこまでいうからには、まさかわたしのことをだましたりはしないだろうな。しかたがない。持たせてあげよう。ほんの少しのあいだだけだぞ。ただし絶対に箱のふたを開けないようにな」

「もちろんでさ。ありがとうございます。お約束しますよ」


たりはそこからまた移動を開始した。今度はコヨーテが箱を抱えていた。

身軽になった鷲は軽々とひとっ飛びで遠くまで飛んだ。

箱を抱えたコヨーテは大きく後れを取ることになったが、それは彼の作戦だったのかもしれない。鷲の姿が見えなくなったことを確認して、コヨーテは頭のなかで良からぬ事を考えた。

「いったい光とはどんなものなのだろう? ちらっと中をのぞいてみても悪くはあるまい。あれほど鷲が見てはいけないというぐらいだから、光以外にもお宝が箱のなかに入っているかもしれない。あいつは、そういうやつだからな」

なかを見てみたい一心でコヨーテが箱のふたをすこし開けた途端、いきなり太陽と月がひゅーっと飛び出して、空に逃げ出した。なかには太陽だけではなく、月も入っていたのだ。鷲が、ふたつを一度に運ぶのはたいへんだからと、小さい箱のなかの月を大きな箱の中に一緒に入れてあったのだった。


くして大地は光を獲得した。しかし、そうやって大地に光を与えることは、同時にたいへんに熱を奪うことでもあった。あれよあれよという間にありとあらゆる植物が一瞬にして干からびたようになって茶色に変色した。木々の葉もたちまち全部散って落ちてしまった。そして世界は冬になった。

なんとか月だけでも捕まえて箱に戻そうとコヨーテは月の後を追いかけたものの、月はするりと彼の伸ばした手から逃げていった。

そうこうしているうちにも、太陽は高く中天に駈けのぼり、それにつれて桃も、スカッシュも、メロンも、全部寒さのせいで傷んでいった。

しばらくして鷲がもどってきた。あまりにコヨーテのくるのが遅いので、なにがあったのか確認しにきたのだ。

coyote moon「このまぬけめ! いわんこっちゃない。太陽と月を逃がしたために、寒さがやってきてしまったではないか」

確かにその通りだった。世界には雪が降りはじめていた。

コヨーテはがたがたと震えた。鷲がコヨーテに声をかけた。

「寒さで歯ががちがちいっているが、お前が寒さをこの世界に持ち込んだのだから、それもしかたがなかろうよ」

そうなのだ、コヨーテの好奇心がそんなに強くなくて、もう少しましな判断ができていたなら、この世界に冬という季節はなかったかもしれないのだ。そうすれば、いつまでも夏を楽しみ続けることもできたはずなのに。

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魔法を生きよう——雨を降らすもののお話しと歌



Created by J.C. Townend.


さほどの出来ではないのだけれど、まあ楽しめるものだったので紹介しておくことにした。「Live the Magic - A Rainmaker Story and Song」(魔法を生きよう——雨を降らすもののお話しと歌)は、ジョン・トーウネンド(「Townend」ってどう発音するのかな?)というミュージシャンのプロモーション・ヴィデオだ(と思う)が、ネイティブ・アメリカン・フルートと歌とメディスンの力を使っていかにシャーマンが沙漠に雨を降らせるかを伝えるものであると解説に書かれている。ここでいう「沙漠に雨」は、もちろん現実に雨を降らせることでもあるが、同時に「すさんだ心に癒しを取り戻す」という意味でもあるのだろう。ストリーミング・ヴィデオで28分ほどの長いものだけれど、アリゾナの南のデザートの風景も楽しめるし、ネイティブ・アメリカン・フルートの演奏もそれなりのもの。時間があるときにでもご覧ください。

Native American flutist and shaman:Marvin Todacheenie
Musician and rainmaking student: JC Townend
Office Manager: Shelly Reich
Guitar: John Townend
Guitar: Tom Dark
Drums: Pete Wells
Guitar: Todd Mulvay
Camera operator and dancer: Maria Ho-Fung

Home Page: www.jctownend.com

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Thursday, November 09, 2006

アイヌの生活様式を知る第一級の調査資料

靴市立函館博物館友の会が試験的に公開している『市立函館博物館研究紀要』のなかの「在サンクトペテルブルグアイヌ資料の研究 ―МАЭ所蔵アイヌコレクションについて―」は、ネイティブ・ジャパニーズのライフスタイルの一端を知る上で実に興味深い文書である。(pdf書類とBlogで公開されているが、Blogの方はいずれ削除されてしまうらしい。pdfは読みにくいので、Blogの方でご覧になることをおすすめする)

この文書を書かれた長谷部一弘氏によれば「ロシア連邦科学アカデミー所管のサンクトペテルブルグ人類学・民族学博物館における二カ年におよぶアイヌ資料の民族学的調査は、北海道、サハリン、千島地域のアイヌ資料約1,400件という膨大な資料の確認をもたらした。これらの資料は、古くは1740年代以前のピョートル一世によるクンストカメラ時代に収集されたものから1947年の第二次世界大戦後に収集されたものまで実に二世紀にまたがる収集資料」だそうだ。そして「アイヌ資料は、生活用具の性格上おおまかに信仰・儀礼用具、狩猟・漁撈・採集用具、調整・加工用具、調理・調度用具、収納具、運搬・補助具、楽器、喫煙具、服飾具、玩具、住まい、絵画・習字・書類、加工材料等に分けられ、千島、サハリン、北海道という地域を異にしたアイヌにおける生活用具のほとんどを網羅している」という。

ロシア民族学がすごいのは、多岐にわたる生活用具のコレクションにとどまらないところで、「これらを産み出してきた原素材および加工材料も一連の貴重な資料として収集」されているのだという。その部分を引用する。

植物性素材は、衣服、物入れ、敷物、履き物などの材料となるオヒョウ、シナ、イラクサ、ハルニレ、ハンノキの樹木、樹皮、糸、紐、ツルウメモドキ糸、テンキグサ、ブドウヅル、スゲ、ガマ、カヤや食材としてのオオウバユリ、ウバユリ団子などが確認され、中でも、端部を三つ編み状に編み込んだスゲの繊維束は、靴の中敷きとして必要量に応じてむしり取って使用する、類例のない貴重な素材である。動物性素材は、アザラシ、トド獣皮、サケ、マス、イトウ魚皮、トド陰茎、カジキマグロ骨、トド脂、ニシン脂、貝殻等々があり、衣服、履き物の素材をはじめトド脂の食材、ニシン脂の灯明用素材におよんでいる。

「木幣、捧酒箆、護符に代表される信仰・儀礼用具」「狩猟・漁撈・採集用具」「調理・調度用具」「住まいに関わる生活用具」「イヌ橇等に関わる運搬・補助用具」「玩具」「煙管、煙草入れなどの喫煙具」「衣服、被りもの、履きもの、首飾り、耳飾りを含む服飾具」といった生活用具が、どのような天然の素材(植物・動物・鉱物)から作られていたかがかなり克明に記述されている。

写真は「靴」

arrow2 「在サンクトペテルブルグアイヌ資料の研究 ―МАЭ所蔵アイヌコレクションについて―」(市立函館博物館友の会ブログ)

pdf_icon 「在サンクトペテルブルグアイヌ資料の研究—MAЭ所蔵アイヌコレクションについて—」(公式サイトから)

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Tuesday, November 07, 2006

ネイティブ・アメリカン・リザベーション・オン・ザ・ムーン

Native American Reservation on the Moon

ニューヨークで活躍されている日本人アーティストのヨシオイタガキ(板垣由雄)氏がデジタル・フォトグラフィとコンピュータ・モンタージュの技法で作りだした「ネイティブ・アメリカン・リザベーション・オン・ザ・ムーン」という息をのむような作品群があります。紹介のために作品のひとつをここに引用しましたが、ぜひ全体をご覧になってください。彼は解説にこう書いています。

「深く根づいた文化的な習慣や習性は簡単に消し去ることは出来ません。人々が馴染みのない場所でどのように振る舞うかを観察するのは楽しくもあり、また人間の習性を発見するいい機会でもあるようです。」

「Native American Reservation on the Moon シリーズも違和感、文化的基盤のない感じを露にしようとしています。ユーモアを保ちながらも、ネイテイブ アメリカンが彼等の元来の土地を失い月面の居住区に送り出されてしまうという仮想の悲劇を展開しています。彼方の月面でなら彼等の伝統文化と風習を守ってゆけるのです。」

「環境の変化や周囲の不調和に関わらず自らの習慣を保とうと思う気持ちは誰もが持っているものです。旅行であれ強制された移住であれ私達は自分達のアイデンティティを守ろうとする傾向があります。違和感を極度に強調されたイメージを作ることにより、こういった人間性を際立てたいと思いました。」

「ネイティブ・アメリカン・リザベーション・オン・ザ・ムーン」はこの設定が必ずしもあり得ないことではないのではないかと思わせる力を持っています。地球のネイティブでありながら、地球を追われた人たちは、月面の居住区でなら伝統を守って生きていけると思わせることによって、彼らが今おかれている現実を浮き彫りにしています。同じように月面をあしらったモンタージュに「ツーリスト・オン・ザ・ムーン(月の観光客)」シリーズもあり、こちらは「普通の人たち」の月面における観光行動をあしらっていて、人間というものを考えさせてくれます。

Yoshio Itagaki - Native American Reservation on the Moon

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Monday, November 06, 2006

ネイティブ・アメリカンを知るために絶好の場所トップ10

11月がアメリカインディアンの文化的遺産に敬意を払う月であるためにさまざまなメディアが企画を組んでいる。USAトゥデイというアメリカ唯一の全国紙は2日の旅の欄で「アメリカインディアンの暮らしを称えるための10の偉大な場所(10 great places to honor American Indian life)」として「ネイティブ・アメリカンを知るために絶好の場所トップ10」を公開した。ワシントンDCにある国立アメリカインディアン博物館で上級顧問を務めるヘレン・メイナー・シャーベックさんが選定したものだ。残念ながらぼくはその半分しか訪れたことがない。もしアメリカを訪れる予定があるのなら、あるいはアメリカに暮らしていて旅に出かける計画があるのなら、少し脚を伸ばしてみてはいかがでしょうか? ではそのトップ・テンを紹介します。

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スカイ・シティ
アコマ・プエブロ、ニューメキシコ州

skycityすべイン人の侵略者たちや他の部族の攻撃から一族を守るために高さ100メートルを有に越す崖のうえに建造された町。メサと呼ばれる平らな台地のうえに築かれている。アコマ・プエブロのスカイ・シティは、ホピと並んでアメリカで最も連続して長く人が暮らしているところ。1000年つづく人の営みを実感できる。シャーベックさんは、麓にある「スカイ・シティ・カルチュラル・センター」と「ハアク博物館」も必ず見るようにと言っている。アコマ・プエブロの人たちが作り出した独特の白と黒の焼き物や織物などが展示されている。skycity.com.


ペノブスコット国博物館
インディアン島、メーン州

penobscotsペノブスコットはメーン州にもともと暮らしていたネイティブ。今もリザベーションがある。オールドタウンにある小さな博物館に展示されているカバノキの皮で作られたカヌーは必見。釘もネジも使わずにトウヒの木の根でしっかりとつなぎあわせ、松ヤニで完全防水にした見事なもの。penobscotnation.org.


ノース・カロライナ・インディアン文化センター
ペムブローク、ノースカロライナ州

strike_at_the_windストライク・アット・ザ・ウインドは、文化センターの野外劇場で星空のもと演じられる芝居。ノースカロライナのネイティブ・ピープルでり、そこを流れるランバー川流域をテリトリーとしたランビー一族の正義を求める闘いの物語で、すでに30年以上も上演されている。歌あり、音楽あり、踊りあり、笑いありの心温まる出し物。ランバー川を一望する野外劇場で、日没を見た後、しばし時を忘れることができる。毎週金曜日と土曜日の午後8時から上演され、上演時間は約3時間。時間があればカヌーにも乗れる。strikeatthewind.com.


アラスカン・ネイティブ文化遺産センター
アンカレッジ、アラスカ州

alaska_native文化センターではアラスカの先住民である11の部族のネイティブ文化を目の当たりにすることができるし、それぞれの部族から人が集まってきて、ストーリーテリングやダンスを体験することができる。またここを拠点に、ガイドツアーや橇(そり)に乗る体験もできる。ここでそれぞれの文化をしっかりと認識したら、アンカレッジから鉄道でデナリ国立公園に行く旅が絶対のおすすめとシャーベックさんは言う。カリブー、ムース、氷河、マッキンレー山を堪能できる。alaskanative.net.


マカー・トライブ・リザベーション
ネアー・ベイ、ワシントン州

makahアラスカとハワイをのぞくアメリカでもっとも北西位置するオリンピック半島にある。海に沈む夕日は最高に美しい。ハイキングルートも完備。ホエール・ウォッチングもできる。シャーベックさんのおすすめは、マカー自然博物館。原寸大に作られたマカーの人たちのロングハウスやシダーの木から掘り出された外洋公開カヌー。海の人であるマカーの人たちのカヌー作りの技術は超一級。カヌー競技や漁業のわざも見事だし、マクラガイを使ったビーズワークは独特の美しさを放っている。彼らの作るスモーク・サーモンのステーキは絶品。makah.com.


オグララ・ラコタ パインリッジ・リザベーション
パインリッジ、サウスダコタ州

oglalaバッファローや羊が今も群れをなして移動している大平原を堪能できるバッドランド国立公園からおよそ小一時間ほどのドライブでオグララ・ラコタ・パインリッジ・リザベーションに着く。とにかく広大な居留地。誰もが息をのむような景観。リザベーションのなかのレッド・クラウド・スクールに併設された文化遺産センターは、一族がこうむった歴史的悲劇を確認するウーンデッドニー記念館と並んで絶対に訪れるべき場所。センターではそうした悲劇を跳ね返す力の源がどこにあるかを知ることができる。岩山に大統領の顔を刻んだマウント・ラシュモアも、同じぐらい大きなクレイジー・ホースの像が刻まれた山も、ここのなかにある。lakotamall.com/oglalasiouxtribe.


スペリオル湖チペワ レッド・クリフ・バンド
ベイフィールド、ウィスコンシン州

red_cliffレッド・クリフ・リザベーションは五大湖のひとつスペリオル湖の西、湖に突き出た半島の湖岸に沿って広がっているアニシナベ(チペワ)の人たちのリザベーションだ。とくにアポストル島の湖岸は国立公園に指定されているほどの美しい景観を誇る。リザベーションのなかの建物には一族の昔の生活ぶりを描いたあでやかな壁画が描かれている。redcliff-nsn.gov.


ブラックフィート・トライブ・リザベーション
ブラックフィート国 モンタナ州北西部

blackfeet北をカナダ国境と西にグレイシャー国立公園と接するリザベーションでロッキー山麓の広大な高地草原にある。パインリッジ・リザベーションにはおよばないものの、それでもとてつもなく広大な居留地。なかには部族大学もある。おすすめは当然のことながら息をのむような自然景観。毎年ひらかれる恒例のパウワウは見物だ。グレイシャー国立公園のなかのロッジに宿泊すると、ネイティブの人たちの歌や踊りを鑑賞することができることもある。( ここではブラックフィート国とされているが、正確には「ブラックフィート同盟」である。the Pikuni/Peigan、North Peigan Pikuni、Blood/Kainai、Blackfoot/Siksikaの異なる四つの部族連合体であり、国境をまたいでカナダとアメリカに広がっている。もともとは五大湖の北を生活拠点としていたが、後に現在の地域に移動。18世紀に馬を獲得してから、バッファローとともに生きる民となった。)blackfeetnation.com.


ナバホ・ネーション
ウインドウ・ロック チンリー アリゾナ州

navajoウインドウ・ロックは自然が作りだした岩の造形のありさまから名づけられた。60メートルほどの赤い大きな岩山に巨大な丸い穴が開いている。ナバホ国の国会議事堂がある場所。博物館は見逃せない。チンリーという町は、キャニオン・ディー・シェー・ナショナル・モニュメントという無数の遺跡が点在する大きな渓谷、聖なる谷の入口にある。トレイルを歩いて谷の底におりることを進める。www.navajo.org.


タオス・プエブロ
ニュー・メキシコ州

taos_puebloアドベという1000年以上も昔からある建造物群がたまらなく美しい。ウェブサイトにあるカレンダーで儀式の踊りがある日をあらかじめチェックして出かけたい。ホモスと呼ばれる戸外の土の窯で焼き上げるパンをぜひ食べてみましょう。どこからともなくいい匂いがしてくるから、その匂いの元を辿るとホモスがあるはず。雪の季節の天気の良い日に訪れると、アドベ建築の美しさがいっそうひきたつ。taospueblo.com.

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Sunday, November 05, 2006

人生には七つの誘惑が待ちかまえているという

Revised Sunday, November 05, 2006

グレイトスピリットは部族によってさまざまな名前で呼ばれている。ネイティブ・アメリカンのなかでもかなり大きな集団であるアニシナベ(オジブワ、チペア)の人たちの信仰の対象は「偉大なメディスン(神秘)」を意味するアニシナベの言葉で「ミデ」といわれる目に見えないものである。ミデは東西南北四つの方角におられるスピリット——彼らはそれを「マニドゥ」と呼ぶ——からのそれぞれの贈り物だ。

ミデは一族の宗教の基本であり、道徳的に清く正しい生き方や、病の治癒にも関係するものとされる。ミデにたいする信仰を基に形作られているメディスンパーソンのための複合的な組織・結社をアニシナベの言葉で「ミデウィウィン(Midewiwin、Midewin、 Medewiwin) )」という。英語では「グレイト・メディスン・ソサエティ」と表現されることもある。今回紹介する絵の写しのオリジナルは1890年代にカバの木の皮に筆写されたもので、これを見ることによって結社の内部においてミデにたいする信仰と人間が生きるための目的を説明し確認しあうものだという。

path of life

それにしてもこの図はなにを示しているものなのだろうか? なぜ線はここで折れ曲がっているのか? 左側の円から右の円にいたるまでの、さながらのこぎりの刃のように折れ曲がる道筋はなにを意味するのか? 線が折れ曲がって分岐しているところではなにが起きるのか? 線と線が接しあって、外に飛び出している部分は、長く生きられないということをあらわすのか? 人間がおのれの寿命を全うするまで充実した生をおくるためには、どのような生き方があるというのか?

アニシナベの人たちはこの図をつぎのように読む。

この図は若いときから老年に向かう人の生きる道を表している。

線と線が分岐して山になったり谷になったりしているところがあるが、そのふたつの線が接する角の部分は「誘惑」をあらわす。

そうした誘惑は全部で7回訪れる。

生まれてからしばらく人は屈折はあるがそれなりにまっすぐ育つ。

そして最初の分かれ道が、誘惑が、やってくる。

この最初の誘惑に負けたものは長生きができない。

2回目の分かれ道は、2回目の誘惑を意味する。

この誘惑に負けるとその人間は短命に終わる。

3回目の誘惑になると、ここではじめて宗教的な責任というものが問われることになるという。ミデウィウィン結社に入った際にいかなる行動をしたか? 年配の人たちを敬い、自分に与えられた義務を忠実に遂行したか?

4番目の誘惑は道半ばを越えたあたりで待ちかまえている。それは中年期にやってくる誘惑をあらわしている。

5番目の誘惑。それまで辿ってきた自分の来し方を振り返るようになって考える。これまでに一度たりとも年寄りに向かって無礼な態度を見せたことはなかったか?

6番目の誘惑では、再び信仰が問われることになる。汝はお前に与えられた宗教的な義務のすべてをひとつ残らず達成したか?

そして晩年、7番目の誘惑がくる。すべての誘惑のなかで最もきつい誘惑だ。この誘惑に持ちこたえたものはその人間の寿命をみたすまで生きることができるだろう。しかしこの7番目の誘惑には、邪悪なスピリットがやってくる。そしてミデの儀式のなかで笑みを浮かべただけでも処罰されなくてはならない。

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Friday, November 03, 2006

イロコイの人たちの食事の前の祈り

Native Food毎年11月は、アメリカにおいては「有形無形のアメリカインディアンの文化遺産を忘れないための月 "National American Indian Heritage Month"」とされている。過去記事 偉大なる白人の父が言っている[Native Heart Saturday, November 13, 2004]参照とりわけ「食」を大切にすることも文化の遺産であり、食事を前にして唱える祈りの言葉にはその文化的な背景に応じて色々ある。

キリスト教のカトリックの人たちは

「主、願わくはわれらを祝(しゅく)し、また主の御惠(おんめぐみ)によりて、われらの食せんとするこの賜物(たまもの)を祝したまえ。われらの主キリストによりて願い奉(たてまつ)る。アーメン」
というもの。

禅宗には「五観の偈(ごかんのげ)」というものがある。泊まり込みの参禅会などに参加すると教えてもらえるので知っている人もいるかもしれない。それはつぎのようなものである。

 一には功の多少を計(はか)り彼(か)の来処(らいしょ)を量(はか)る。  二には己が徳行(とくぎょう)の全欠を忖(はか)つて供(く)に応(おう)ず。  三には心を防ぎ過(とが)を離るることは貪等(とんとう)を宗(しゅう)とす。  四には正に良薬を事とすることは形枯(ぎょうこ)を療(りょう)ぜんが為なり。  五には成道(じょうどう)の為の故に今此(いまこ)の食(じき)を受く。

これをウィキペディアではこう翻訳(?)している。

 一つ目には、この食事が調うまでの多くの人々の働きに思いをいたします。  二つ目には、この食事を頂くにあたって自分の行いが相応しいものであるかどうかを反省します。  三つ目には、心を正しく保ち過った行いを避けるために、貪りの心を持たないことを誓います。  四つ目には、この食事を、身体を養い力を得るための良薬として頂きます。  五つ目には、この食事を、仏様の教えを正しく成し遂げるために頂きます。
ネイティブ・アメリカンもさまざまな祈りの言葉を持っている。もともと1日24時間を宗教として生きていた時代には、口をついてくる言葉はすべて祈りであったわけで、特にきめられた言葉を口にしなければならぬというものでもなかっただろう。私事をいえば、ジョン・ポープ・ローリング・サンダーのところで、彼の一族の人たちと食事を囲んだときに、食前の言葉を求められて、しどろもどろながらありったけの感謝の言葉を述べたことがある。今回、イロコイの人たちが食事の前にあげていた祈りの言葉というものを日本語訳してみた。実に簡潔であり、その今ここにある事への感謝が見事に表現されているではないか。キリスト教や禅との違いを感じ取っていただければと思う。なお、英文は「追記」の部分に掲載してある。覚えて活用されたし。
食前の祈り イロコイ一族


母としてわれらを養ってくださる大地に
感謝をお返しします。

水を与えてくださる川や流れに
感謝をお返しします。

病を治す力となるすべての薬草たちに
感謝をお返しします。

太陽が消えた後も光を授けてくださる月と星たちに
感謝をお返しします。

慈悲に富むまなざしで大地を見下ろしておられる太陽に
感謝をお返しします。

最後に、すべての善なるものを形あらしめ、
その御子たちのために
あらゆるものを導かれる偉大なスピリットに
感謝をお返しします。

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Thursday, November 02, 2006

母グマが子グマたちに聞かせた歌(ツァラギ、チェロキー)

They are friends

ある日、ひとりの猟師が森のなかを歩いていると、近くの洞穴から歌が聞こえてきた。そっと近づいて穴の中をうかがってみれば、それは母グマが子グマたちに、猟師に追いかけられたときの注意を歌にして聞かせている歌だった。母グマが子グマたちにこう諭す声が聞こえた。

「川を下ってくる猟師の足音が聞こえたら——」

 川上へ、川上へ、お逃げなさい
 川上へ、川上へ、お逃げなさい

でも子供たちよ、それが川を上ってくる足音だったら——

 川下へ、川下へ、お逃げなさい
 川下へ、川下へ、お逃げなさい

別の日、森のなかで別の猟師が、母親が赤ん坊に歌を聞かせている声を耳にした。猟師が歌の聞こえるほうに進むと、小枝の陰に隠れるようにほらあながひとつあり、そっとなかをうかがえば、子グマを抱いた母グマが、大きな手で子供をあやしながら歌を聞かせていた。その歌は、彼らが熊に変身する前に覚えた歌だった。

 わたしがあなたをおぶいましょう
 わたしがあなたをおぶいましょう
 わたしがあなたをおぶいましょう
 わたしがあなたをおぶいましょう
 日当たりのいい背中で おやすみ おやすみ
 日当たりのいい背中で おやすみ おやすみ

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半身の姿勢で顔料を調合するズニの男性

feather右サイドバーの巻頭にある Peace な写真を入れ替えた。いつものようにノースウエスタン大学のデジタル図書館のなかに収蔵されているエドワード・S・カーティス——ネイティブの人たちから「影を捕らえる人(シャドー・キャッチャー)」と呼ばれた写真家——が19世紀末から20世紀初頭にかけて撮影した北米インディアンの写真のなかから選んでいる。

今回は「メディスンを摺りおろす」と題されたズニの男性が半身をおこして横になっている姿を選んだ。カーティスの覚書には「水に含ませた薬草となにかの鉱物とを石製の小さなすり鉢のなかで小石で細かく摺りおろしている光景」と記されている。おそらく写真の人物は、厳密に定められた手順にしたがって顔に塗りつけるペイントを調合しているところなのだろう。高解像度の写真に拡大してご覧になると、彼の使っているすり鉢がおそろしくよくできた美しい用具であることがわかる。ほとんど正円であり、それが薄くなめらかに削られていて、人が長く使い続けた道具はかくあらねばならぬといった風情をかもしだしている。指先でつまんだ小石とすり鉢のふれあう感触と小さな摺り音が伝わってきそうではないか。沙漠に暮らすズニの男性の多くが、腰に巻き付けた紐とそこにとおした下帯だけの、このような裸に近い格好を日常的にしていた。

写真をクリックすると大きな画面に切り替わるし、さらにその大きくなった画像の下にある「Higher resolution JPEG version」をクリックするとより解像度の高い精密な写真で見ることが出来る。この一枚の写真からもわれわれは実に多くのことを読み取ることができる。

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