チェロキーの竜はかく語りき
チェロキーの偉大なウォー・チーフであったツィユー・ガンシニ(Tsiyu Gansini)英語のインディアン名「ドラッギング・カヌー(カヌーを引く者)」は、1732年に生まれ1792年にテネシー州のルックアウトという町で亡くなったとされる。アメリカが独立する前年の1775年にチェロキーの土地の売却を可能にするトランシルバニア条約が締結されることに反対してドラッギング・カヌーが語った言葉が記録にとどめられているので、日本語にしてみた。この言葉を残した翌1776年には、チーフはおよそ700人のチェロキーの戦士を率いて現在のノースカロライナにあったアメリカ軍のふたつの砦を襲っている。ドラッギング・カヌーは「チェロキーの竜(ドラゴン)」として今も一族の間で語り継がれている。図版は、チェロキー出身の作家であるロバート・J・コナリーが書いた彼の伝記の本の表紙。
インディアンの国々はことごとく白人の進出の前に、太陽に照らされた雪玉のごとく融け去ってしまった。その国々を破壊に導いたものたちによって間違って記録されたわれらが一族のものたちの名前だけがかろうじて残されただけである。今、デラウエアのものたちはどこにいるのか? あれほどの強大さを誇ったあの人たちも、今では形もなく、影もほとんど残されていない。われわれは願ったものだった。白人たちがこの先、山を越えてさらに先に旅を続けないようにと。今ではその望みもついえた。連中は山を越えてツァラギ(チェロキー)の大地に移住した。白人はわれわれの国土の略奪を条約の名のもとに認めさせることをもくろんでいる。それが認めらたあかつきには、侵略者たちは同じようにして他のツァラギの土地に進出していくだろう。さらなる新たな譲歩が求められよう。そして最終的には、ツァラギ(チェロキー)の国のすべてが、一族の父たちが長いこと占有してきた大地全部を明け渡さざるをえなくなる。その結果、かつてあれほど偉大でおそれられたアニ・ユヴィヤ、ほんとうの人間(Ani-Yunwiya, THE REAL PEOPLE,)のうちの生き残ったものたちは、かなり遠くの荒野で難民としての暮らしを余儀なくされるだろう。しかしその土地とてもほんのわずかの期間住むことが許可されるのみで、またもや同じ強欲な人たちが旗を立てて進んできて、追い立てられることになる。あわれなツァラギ一族のために誰も避難所を指し示してくれるものとてもなく、すべての種族の絶滅がやがて宣言されることになるだろう。したがってわれわれは、そのような結末を招くような危険なまねはなんであれおかすべきではないのではないか? 連中が求めてきている条約は、年齢を取りすぎて、もはや狩りもできず、戦にも出れない人たちにはけっこうなものかもしれない。しかしあえていわせてもらえば、わたしはひとりの若い戦士として戦うつもりであり、自分たちの大地を守り続ける。ア・ワニンスキー(A-WANINSKI)、わたしは声を送った。
「Ho! (Quote of the Day)」カテゴリの記事
- われわれをとりまいているすべての生きものたちとの聖なる関係についてブラック・エルクはつぎのように語っていた(2009.07.28)
- なぜインディアンはいつも盛装を心がけたのか?(2009.07.25)
- 「いいわよ、個人的な質問でもなんでも聞いてちょうだい」という詩を紹介させてください(2009.06.13)
- この40年間を笑い飛ばすリーマン・ブライトマンの痛快なお話(2009.04.16)
- 結婚の祝いの言葉 部族不明(2009.04.01)
The comments to this entry are closed.
Comments