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Saturday, October 21, 2006

ほんもののメディスンマン

誰がほんもののメディスンマンか知りたいというのか? その人が自分のことをメディスンマンだと名乗るようなことはない。またその人はわざわざお客を自分のところに招き入れるようなまねもしない。お前さんは自分からその人のところに出向いて、直接助けを求めなければならない。そうすればわかるだろう、その人はいつも彼の一族のものたちに取り囲まれていることが。
ルイス・ファーマー イロコイ、オノンダガ国エルダー


上のルイス・ファーマーの言葉は、実に的確にメディスンマンがなんたるかを表している。この言葉は『ネイティブ・アメリカン叡智の守りびと』(築地書館刊)から選んだ。翻訳は北山がオリジナル版を参考にして改めてある。

彼は絶対に自分から自分のことをメディスンマンと名乗ることもなく、癒しを求める人たちに声をかけて呼び集めることもない。メディスンマンはというのは、創造主(の意志)と調和しバランスを取って生きてみせることを天職、あるいは役割として一族の人たちの前で演じてみせる人のことである。

わたしが知る限りにおいて、彼らはどなたも謙虚を絵に描いたような人で、なににたいしても打算的なところがなく、自分の好みを押しつけるようなまねはまずしない人だ。彼は自分が生きているのはグレイトスピリットの意志を具現化するためであることを知っている。

一族の人たちの手助けをするのが自分の役割であることをわきまえてもいる。なにごとにも謙虚で控えめであり、控えめに生きれば生きるほど、たくさんの人たちがどうにかして彼のもとを訪れてくることになっている。

まあ、それがネイティブ・ピープルの道というものなのだろう。人々のために奉仕しその事実を隠せば隠すほど、彼は多くの人たちから求められるのである。だから彼の沈黙はその持てる力をいや増しに増すのだ。そしてそれこそが彼のメディスンなのである。

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Comments

質問します。
私は美容の仕事を通して、そのような人物になりたいと思うのですが、
やはり、経済行為が伴う以上本物にはなれないのでしょうか。

Posted by: きよみ | Saturday, October 21, 2006 at 08:26 AM

きよみさま

たいへん大きな質問をありがとう。経済行為が本質的な問題ではないのではないかとぼくは思います。当然ながら金銭的代価を支払わない(支払えない)人たちの病と向かいあわなくてはならない場合もあるわけですし。メディスンマンといわれる人たちは、自らの行為によって経済行為をしているのではありません。しかしそれでもなお病を癒された人たちから差し出される寄付を受け取ることはしばしばあります。しかしその場合にも寄付の内容がきまっていることはありませんし、彼もしくは彼女が直接受け取ることもありません。経済行為が主体ではないのです。そのかわり、病気に癒しがもたらされなかったりすると、自分のいのちを奪われることもあったと言います。その人は自分の全存在をそのネガティブなスビリットとの闘いにかけなくてはならないからです。メディスンマンが存在するには、部族のような共同体が必要だというのは、共同体全体が特別な力の持ち主を生かし続けるという価値を共有していなくてはならないからです。

現代社会のような、共同体を喪失しつつある社会においては、個人的な経済活動が他のなににもまして重要なものとされます。医療にしろ福祉にしろ、美容にしろ、こうした人のこころとからだを相手にするものはことごとく経済行為によってなり立っているわけですが、しかしそこには、ハートもスピリットも抜け落ちて非人間的になるという危険性を必ずはらんでいます。といってぼくは、そういう仕事をとおして、メディスン・ピープルとして一人前になることが不可能だと決めつけているわけではありませんし、そういう人のなかにも同じようなハートを持つ人が見いだせないわけでもありません。

こころとからだの問題を扱うときに、そこに値段がつけられてしまうと、その値段に応じた癒ししかもたらされないという危険性をしっかりと認識しておきたいものです。お金を持たない人も、お金を持つ人も、どちらであろうがあなたを必要とする人にたいして同じように接していけるのであれば、そこには「道」はあると、ぼくは考えています。

この問題は、ぼくにとっても大切なことを多くはらんでいるので、今後もこのブログのテーマのひとつになると思います。一緒に考えていければ幸いです。

北山耕平

Posted by: Kitayama "Smiling Cloud" Kohei | Monday, October 23, 2006 at 08:52 AM

ほんもののメディスンマンというタイトルにひかれて読ませていただきました。私は現在アリゾナに住んでいまして、メディスンマンを本人が名乗るひとびと、周りの人から教えてもらって、ああ、あの人が、とわかるひとびと、そして私自身のカンで、この人はそうだなと感じるひとびとを知る機会があります。
私は、いろんな仕事を通じて(代価を得て)人に癒しをもたらすことは可能であると思っています。しかしメディスンパーソンの役割は人に癒し与えるというよりは、むしろ、地球とのつながりの感覚を失いバランスを崩している人に、そのつながりを取り戻すための手助け(ガイドや祈りで)をすることにあると思っています。それができるためにはその人自身が生きる土地とつながり、そこで生きる人々・社会全体の健康な生活を守るという使命感が必要で、これは単に本人がなりたいと望んでなれるという役割ではないという気がするのです。
メディスンパーソンは、それが天命としてとらえられるような出来事、修行、実際の仕事の具合、コミュニティからの尊敬や信頼、承認があって成り立つような。ですからメディスンパーソンの、人の癒しの道を手助けするという部分をめざすことはとてもgood heartなことだと思いますが、ほんもののメディスンマンには自分の意志でなれるものではないと思います。
金銭を受け取らない奉仕をすることがメディスンをほんものにする、というふうにも思えないです。
ところでこちらで私が出会ったメディスンパーソンは、皆、それぞれ職業があって(大学教授、教師、学生、アクティビスト、農業、アーティスト、シングルマザー、主婦、おみやげ屋さん、仕事は引退したおじいさん、などなど)社会生活・経済活動をしつつ、自分のコミュニティーでのセレモニーも司る、という生活をしているようです。それで必要なときに度々、リザベーション
(彼らのホームランド)へ帰っていきます。


Posted by: Kumi | Tuesday, October 24, 2006 at 03:14 PM

北山耕平先生

無知な私の質問に対し、真摯なお言葉を下さり大変ありがとうございました。
私はある日、太陽から発する精妙な光を見るようになったときから、
いつどんな時でも、すべてのものが祝福されていると思いました。
それでもこの問いは、絶えず自分自身に問いかけている問題でした。

そして今、太古よりある叡智を、何事にも驕らず謙虚に、今の生活の中で生かし、日々実践することこそ大事なのだと思いました。
気づきを与えてくださり本当にありがとうございました。
そしてこれからもよろしくお願いします。

きよみ

Posted by: きよみ | Tuesday, October 24, 2006 at 03:41 PM

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