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Tuesday, October 31, 2006

ミラクルの再臨くんはいたって元気

Imagename

ホワイト・バッファローの男子誕生」(Native Heart Tuesday, September 12, 2006)でお伝えしたが、ウィスコンシン州のジェーンズヴィルのハイダー牧場で「ミラクルの再臨」「ミラクルの2回目のチャンス」と名づけられた変性女子(男)の聖なる白いバッファローが誕生して2ヶ月が過ぎた。10月28日の新聞(PIONEER PRESS)に掲載された最新のスナップがこれ。お母さんの後をくっついて泥の上を駆け回っているホワイト・バッファローの元気な姿がたいへんに好ましい。

ハイダー農場には現在多い日で1日に2500人もの人が訪れるという。捧げ物をするもの、儀式を執りおこなうもの、あるいはただ単に「珍しいもの」を見に来る人たち。そうした人たちのが乗ってくる車で近所のトウモロコシ畑は臨時の駐車場と化している。特に熱心なのは当然のことながら、白いバッファローを「平和と調和の時代の到来を告げるもの」として信仰する全米各地のネイティブ・ピープルの人たちだ。インディアンの人たちは、前回のミラクルのときも、また今回のミラクルズ・セカンド・チャンスのときも、白いバッファローの扱いや訪れる人たちにたいする配慮について、ハイダー夫妻のやり方を好ましいものとして称賛している。夫妻はネイティブ・アメリカンの儀式に深い敬意を払い、さまざまな捧げ物やメディスンを献上する柵(写真下)も丁寧に扱っているばかりか、訪問客にたいしていっさいの入場料を求めたりしないからだ。

Fence_Gate

あなたがもしハイダー牧場を訪れるつもりなら、あらかじめ夫妻が在宅かどうかを確認する電話を入れることが求められている。

The Dave and Valerie Heider Farm
2739 South River Road ~ Janesville, Wisconsin 53546
(608) 752-2224 or Museum/Farm Shop (608) 741-9632
Website of Miracle's Second Chance

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Saturday, October 28, 2006

われらが先人たちをたたえよ

Honor our Ancestors

「われらが先人たちをたたえよ(Honor our Ancestors)」というヴィデオ・モンタージュを紹介します。聖なる山ベア・ビュートを守る闘いを続けながらネイティブ・ピープルのためのオンラインニュース速報を出し続けているNDN News(インディアンニュース)のタムラさんが作成されたもので、たくさんの写真と音楽で、ネイティブの各部族の先人たちが登場します。シンプルなメッセージが力強く表現されていておすすめです。NDN News のトップページ中段でも鑑賞できますが、こちらの「Honor our Ancestors Video Montage」からだと、画面右の「View larger」をクリックすることで、大きな画面で見ることができます。

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Friday, October 27, 2006

人であるための心得

The Rules For Being Human author unknown
Japanese translation (Ver.1.0.0) by Kohei Kitayama, 2006

人であるための心得は、「The Rules For Being Human」というタイトルのもと、インターネットで広く世界に流通している作者不明のメッセージのひとつである。きっと役にたつものがあるだろうと考えてここに訳出した。何年か前にはじめて読み、最近また別のサイトで読むことがあって、印象を新たにしたため。日本語版のバージョンは、今後の推敲において手を加える可能性もあるので、これを Version 1.0.0 としてある。
北山耕平
Evolution of Human Being

あなたは「肉体」をひとつ受け取るだろう。その肉体を好きであろうと、嫌いであろうと、残りの人生の間、ただひとつそれだけは持ち続けなくてはならない。

You will receive a body.You may like it or hate it, but it's the only thing you are sure to keep for the rest of your life.


あなたはいろいろと学ぶことになる。「地球という惑星における人生」と呼ばれるフルタイムの非公式な学校に入学させられるわけだが、そこには誤ちというものはなく、あるものは学びだけ。

You will learn lessons.You are enrolled in a full-time informal school called, "Life on Planet Earth." There are no mistakes, only lessons.


成長は実験の過程である。その実験のプロセスにおいては、「成功」と同じぐらい「失敗」の占める部分がある。学びが成就するまでレッスンは繰り返される。

Growth is a process of experimentation."Failures" are as much a part of the process as "success." A lesson is repeated until learned.


それはあなたが学ぶまで、手を変え品を変えてあなたに提示される。そしてあなたがそれを学べば、つぎのレッスンに進むことができる。簡単なレッスンを学ぶことがなければ、レッスンは次第にきつくなる。

It is presented to you in various forms until you learn it -- then you can go on to the next lesson. If you don't learn easy lessons, they get harder.


外側で起きている問題は、あなたの内側の状態を見事に投影している。内なる障害をクリアできれば、外側の世界は変化する。

External problems are a precise reflection of your internal state. When you clear inner obstructions, your outside world changes.


痛みは、宇宙があなたの関心を引こうとしていることを示すもの。
自分の行動が変化するとき、あなたは自分が学んだことを知る。

Pain is how the universe gets your attention.You will know you've learned a lesson when your actions change.


知恵とは実践である。重要なことを少し知っている方が、無用なことをたくさん知っているよりまし。「あそこ」は「ここ」よりも良い場所ではない。

Wisdom is practice.A little of something is better than a lot of nothing. "There" is not a better place than "here."


あなたの「あそこ」が「ここ」になると、また別の「あそこ」がもたらされて、「ここ」よりもまた良く見えるだけのこと。

When your "there" becomes a "here" you will simply obtain another "there" that again looks better than "here."


他人はあなたの鏡に過ぎない。それが自分のなかにあるなにかへの愛や憎しみを写しているのなら、他人のなかにあるなにかを愛したり憎んだりすることなどできようもない。

Others are only mirrors of you. You cannot love or hate something about another unless it reflects something you love or hate in yourself. Your life is up to you.


人生はキャンバスを与えてくれる。あなたはそのキャンバスに絵を描く。与えられたいのちを引き受けること。そうしないと誰かがあなたのキャンバスに絵を描いてしまう。あなたは自分が望んだものを常に手に入れている。

Life provides the canvas; you do the painting. Take charge of your life -- or someone else will. You always get what you want.


潜在意識は、あなたがいかなるエネルギーを、体験を、人をひきつけるかについて、公正な判断をくだす。したがって、自分がなにを望んでいるかを知るために最も間違いようのない方法は、自分がなにをもっているかを知ることである。

Your subconscious rightfully determines what energies, experiences, and people you attract -- therefore, the only foolproof way to know what you want is to see what you have.


正邪の区別などない。あるのは結果である。道徳は力にならない。裁きはその場の模範を維持するのみ。ひたすら最善をつくせ。答えはあなたの内側に存在する。

There is no right or wrong, but there are consequences. Moralizing doesn't help. Judgments only hold the patterns in place. Just do your best. Your answers lie inside you.


子供たちは他者による導きを必要とする。大人になれば、われわれは己のハートを信ずる。ハートには、スピリットの法が書き込まれてある。

Children need guidance from others; as we mature, we trust our hearts, where the Laws of Spirit are written.


あなたは、自分が耳にしたり、読んだり、諭されたりしたこと以上のものを知っている。あなたがしなくてはならないことは、見て、聞いて、信ずることである。

You know more than you have heard or read or been told. All you need to do is to look, listen, and trust.


ところで、あなたはきっとこれらを全部きれいに忘れるだろう。忘れるけれども、あなたが望めば、いついかなるときにでも、これらのなかの必要なことを、あるいはそのすべてを、あなたは思い出すし、思い出すことができる。

Btw, you will forget all this. Yet, you can and you will remember any or all of this any time you wish.

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Thursday, October 26, 2006

自分が誰で、どこから来たのかを思い出せない

boarding schoolアメリカ・インディアンの若者たちの自殺率が異常に高いことについてはこれまでも何度か書いてきた。そうしたなかスポークスマン・レヴューというオンライン・ニュースペーパーの10月25日付の記事が眼に止まった。「ネイティブ・アメリカンの自殺は過去の虐殺と関連があると専門家が指摘(Expert says past genocide linked to suicides in Native Americans)」というタイトルの記事で、同誌のスタッフライターであるケヴィン・グラマンという記者が書いている。

要約すれば、歴史的なトラウマ(心の傷)が世代を超えた心的外傷性ストレスとなりアメリカ・インディアンの自殺につながっているというものだ。先日おこなわれた「ネイティブ・アメリカンの自殺と暴力を未然に防ぐための会議(Native American Suicide and Violence Prevention Conference)」において、デンバー大学でソーシヤルワークを教えているマリア・イエローホース・ブレイブハート(ハンクパハ・オグララ・ラコタ)は語っている。

「わたしたちの一族にはあまりにも多くのことが起こったために、トラウマから回復するための充分な時間がいまだかつて取れたことがないのです。回復する前につぎのただならないことが起きてしまうから」

つまり「つもり重なっていた集団のトラウマ」が、アメリカ合衆国やカナダの政府がインディアンの子供たちにたいしてとりいれた寄宿学校(ボーディングスクール)制度によっていっそう悪化させられてしまったということである。

寄宿学校制度とは、四歳ぐらいの児童の時に子供たちを親元から引き離して、12年間にわたって遠隔地の寄宿舎付学校で徹底した「文明人化」教育を施すというもので、つい先ごろまでこれがおこなわれており、現在30代から50代のネイティブ・アメリカンのなかには「自分はボーディングスクール・サバイバー(生存者)だ」と語る人が多い。

「寄宿舎学校のなかで、インディアンの子供たちは、一族の伝統を奪われ、母なる言葉を奪われ、守ってくれる家族を奪われてしまったのです」

マリア・イエローホース・ブレイブハートはそう語った。彼女の言葉からうかがえるように、ネイティブ・アメリカンの子供たちというのは、一族がこうむった(物理的な)大虐殺の生き残りであり、寄宿舎学校というもうひとつの(精神的な)大虐殺の生き残りなのである。

この会議に参加した別の専門家は「インディアンの人たちにとってほんとうに大切なのは、自分が誰であり、どこから来たのかを思い出すことです」と指摘している。

記事を読んだ限りでは、最終的にこの会議では、伝統的な物の価値や文化やネイティブであることのスピリチュアリティを若者たちに教え込むことの重要性が強調されたようだ。そうしたものがなければ、心のなかにぽっかりと穴が開いてしまい、絶望的な孤独に陥りかねないと。マリア・イエローホース・ブレイブハートはつぎのように語っている。

「希望があるとすれば、ネイティブの子供たちが歴史的なトラウマが存在することを認識し、部族共同体の力で伝統的な文化と精神性を再生させて、草の根的な癒しをもたらすことのなかにあります」

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Wednesday, October 25, 2006

A Message from Chief Arvol Looking Horse...

(以下はチーフ・アーボル・ルッキングホースからの最新のメッセージです。10月16日に出されたもので、昨日友人から送られてきました。いそがしくて日本語にする時間が取れないのでそのまま掲載します。彼の用いる英語自体はそれほどむずかしくはないので、どなたか翻訳して送ってくれないかしらん。北山記)


Mitakuye (my relative),

I, Chief Arvol Looking Horse, of the Lakota, Dakota, and Nakota Nation, ask you to understand an Indigenous perspective on what has happened in America, what we call "Turtle Island." My words seek to unite the global community through a message from our sacred ceremonies to unite spiritually, each in our own ways of beliefs in the Creator.

We have been warned from Ancient Prophecies of these times we live in today, but have also been given a very important message about a solution to turn these terrible times around.

To understand the depth of this message you must recognize the importance of Sacred Sites and realize the interconnectedness of what is happening today, in reflection of the continued massacres that are occurring on other lands and our own Americas.

I have been learning about these important issues since the age of 12, upon receiving the Sacred White Buffalo Calf Pipe Bundle and its teachings. Our people have striven to protect Sacred Sites from the beginning of time. These places have been violated for centuries and have brought us to the predicament that we are in at the global level.

Look around you. Our Mother Earth is very ill from these violations, and we are on the brink of destroying the possibility of a healthy and nurturing survival for generations to come, our children's children.

Our ancestors have been trying to protect our Sacred Site called the Sacred Black Hills in South Dakota, "Heart of Everything That Is," from continued violations. Our ancestors never saw a satellite view of this site, but now that those pictures are available, we see that it is in the shape of a heart and, when fast-forwarded, it looks like a heart pumping.

The Dine have been protecting Big Mountain, calling it the liver, and we are suffering and going to suffer more from the extraction of the coal from there and the poison processes used in doing so.

The Aborigines have warned of the contaminating effects of global warming on the Coral Reefs, which they see as Mother Earth's blood purifier.

The Indigenous people of the rainforest relay that the rainforest are the lungs of the planet and need protection.

The Gwich'in Nation has had to face oil drilling in the Arctic National Wildlife Refuge coastal plain, also known to the Gwich'in as "Where life begins!"

The coastal plain is the birthplace of many life forms of the Animal Nations. The death of these Animal Nations will destroy Indigenous Nations in this territory.

As these destructive developments continue all over the world, we will witness many more extinct Animal, Plant, and Human Nations, because of mankind's misuse of power and their lack of understanding of the "balance of life."

The Indigenous people warn that these destructive developments will cause havoc globally. There are many, many more Indigenous awarenesses and knowledge about Mother Earth's Sacred Sites, her Chakras, connections to our spirit that will surely affect our future generations.

There needs to be a fast move toward other forms of energy that are safe for all Nations upon Mother Earth. We need to understand the types of minds that are continuing to destroy the spirit of our whole global community. Unless we do this, the powers of destruction will overwhelm us. Our Ancestors foretold that water would someday be for sale. Back then, this was hard to believe, since the water was so plentiful, so pure, and so full of energy, nutrition, and spirit.

Today we have to buy pure water, and even then the nutritional minerals have been taken out; it's just empty liquid. Someday water will be like gold, too expensive to afford.

Not everyone will have the right to drink safe water. We fail to appreciate and honor our Sacred Sites, ripping out the minerals and gifts that lay underneath them as if Mother Earth were simply a resource, instead of the Source of Life itself.

Attacking Nations and having to utilize more resources to carry out destruction in the name of peace is not the answer! We need to understand how all these decisions affect the Global Nation; we will not be immune to its repercussions. Allowing continual contamination of our food and land is affecting the way we think.

A "disease of the mind" has set in world leaders and many members of our global community, with their belief that a solution of retaliation and destruction of peoples will bring Peace.

In our Prophecies it is told that we are now at the crossroads: Either unite spiritually as a Global Nation, or be faced with chaos, disasters, diseases, and tears from our relatives' eyes.

We are the only species that is destroying the Source of Life, meaning Mother Earth, in the name of power, mineral resources, and ownership of land, using chemicals and methods of warfare that are doing irreversible damage, as Mother Earth is becoming tired and cannot sustain any more impacts of war.

I ask you to join me on this endeavor. Our vision is for the Peoples of all continents, regardless of their beliefs in the Creator, to come together as one at their Sacred Sites to pray and meditate and commune with one another, thus promoting an energy shift to heal our Mother Earth and achieve a universal consciousness toward attaining Peace.

As each day passes, I ask all Nations to begin a global effort, and remember to give thanks for the Sacred Food that has been gifted to us by our Mother Earth, so the nutritional energy of medicine can be guided to heal our minds and spirits.

This new millennium will usher in an age of harmony or it will bring the end of life as we know it. Starvation, war, and toxic waste have been the hallmark of the Great Myth of Progress and Development that ruled the last millennium.

To us, as caretakers of the heart of Mother Earth, falls the responsibility of turning back the powers of destruction.You yourself are the one who must decide.

You alone - and only you - can make this crucial choice, to walk in honor or to dishonor your relatives. On your decision depends the fate of the entire World.

Each of us is put here in this time and this place to personally decide the future of humankind.

Did you think the Creator would create unnecessary people in a time of such terrible danger?

Know that you yourself are essential to this World. Believe that! Understand both the blessing and the burden of that. You yourself are desperately needed to save the soul of this World. Did you think you were put here for something less? In a Sacred Hoop of Life, there is no beginning and no ending!

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Tuesday, October 24, 2006

太陽を射る

アタヤル(註)一族に伝わる言い伝え

 アタヤルは、歴史がはじまる前から台湾島にいた10の部族の先住民のひとつ(台湾島のネイティブ・ピープルについては下の地図を参照のこと)

The 10 tribes of Taiwan

昔、空には太陽がふたつあった。ふたつの太陽のうちのひとつが、今の太陽よりもはるかに大きかったので、気候は今に比べるとおそろしく暑く、草も木々もみな縮んでいて、川の水はことごとく干上がり、作物などなにひとつ育たなかった。そればかりではない。ふたつの太陽が入れ替わり空にあがってくるものだから、昼と夜の区別など全くなく、人びとは哀れを絵に描いたような暮らしを送っていた。

人びとは額をつきあわせて会議をし、太陽がふたつあり続ける限り、子供らは生き延びていけないという結論に達した。ここはひとつ、なにがあっても片方の太陽を弓矢で射落とさねばなるまいと。われこそが太陽を射落さんと、その会議の場でさっそく3人の戦士が名乗りをあげた。3人の戦士たちは、それぞれ携帯用の乾燥食物など旅の用意を調えると、みなそろって同じ日に旅だった。各々の戦士はみな背中にひとりずつ子供を背負っていた。

太陽への旅は容易なものではなかった。旅には長い長い時間を要した。男たちは太陽へ向かう道すがら、道沿いのいろいろなところにみかんの種を植えていった。帰る頃には大きな木になって実をつけていることだろう。

そうやって旅は果てしなく続いた。

毎日がそのようにして過ぎ、いつしか数年数十年が経ていた。太陽の場所にたどりつかないうちに、当然ながら3人の戦士たちも年老いて体力が衰え、と同時に一緒に連れてきた子供たちは立派に成長した。年老いたものたちが旅の途中で死ぬと、その子供が引き継いで、さらに旅は続いた。

ある日のことだった。

3人はついに太陽の場所にたどりついた。その地で一休みしながら、二つめの太陽が昇ってくるのを待ちかまえた。3人は二つめの太陽を射落とすつもりだった。3人は大きな渓谷のとっつきで太陽が昇ってくるのを今や遅しと待ちかまえた。

やがて太陽がその姿をあらわしはじめた。3人はそれを見るとすぐに弓に矢をつがえて引き絞った。そしていっせいに矢を放った。

ひょうと空を飛んだそれぞれの矢は太陽に命中した。傷ついた太陽からは煮えたぎった血が流れ出した。戦士のひとりはその流れ出した血を頭から浴びてその場で息絶えた。残ったふたりも大きな火傷をこうむったものの、なんとかその場を逃げ出して帰途についた。

帰る道すがら、ふたりは自分の父親が道のそこかしこに植えたみかんの木が大きく成長してたくさんの実をならせているのを発見した。

ようやくにして、ふるさとの村に帰り着いたとき、ふたりはすでに年老いて、頭も白くなり、背中も曲がっていた。

しかしそれ以来、空に太陽はただひとつとなって、昼と夜とがはっきりと区別されるようになったのである。そして夜の空に見えるあの月は、そのときに殺されたもうひとつの太陽の死体だと伝えられている。

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Saturday, October 21, 2006

ほんもののメディスンマン

誰がほんもののメディスンマンか知りたいというのか? その人が自分のことをメディスンマンだと名乗るようなことはない。またその人はわざわざお客を自分のところに招き入れるようなまねもしない。お前さんは自分からその人のところに出向いて、直接助けを求めなければならない。そうすればわかるだろう、その人はいつも彼の一族のものたちに取り囲まれていることが。
ルイス・ファーマー イロコイ、オノンダガ国エルダー


上のルイス・ファーマーの言葉は、実に的確にメディスンマンがなんたるかを表している。この言葉は『ネイティブ・アメリカン叡智の守りびと』(築地書館刊)から選んだ。翻訳は北山がオリジナル版を参考にして改めてある。

彼は絶対に自分から自分のことをメディスンマンと名乗ることもなく、癒しを求める人たちに声をかけて呼び集めることもない。メディスンマンはというのは、創造主(の意志)と調和しバランスを取って生きてみせることを天職、あるいは役割として一族の人たちの前で演じてみせる人のことである。

わたしが知る限りにおいて、彼らはどなたも謙虚を絵に描いたような人で、なににたいしても打算的なところがなく、自分の好みを押しつけるようなまねはまずしない人だ。彼は自分が生きているのはグレイトスピリットの意志を具現化するためであることを知っている。

一族の人たちの手助けをするのが自分の役割であることをわきまえてもいる。なにごとにも謙虚で控えめであり、控えめに生きれば生きるほど、たくさんの人たちがどうにかして彼のもとを訪れてくることになっている。

まあ、それがネイティブ・ピープルの道というものなのだろう。人々のために奉仕しその事実を隠せば隠すほど、彼は多くの人たちから求められるのである。だから彼の沈黙はその持てる力をいや増しに増すのだ。そしてそれこそが彼のメディスンなのである。

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Friday, October 20, 2006

ネイティブ・ヴォイス・ワンという放送局

Native Voice One「ネイティブ・ヴォイス・ワン(Native Voice One )」というラジオが一週間前から放送を開始した。ぼくは最近ここにはまりっぱなしだ。

このラジオ「NV1」は「すべてのネイティブ・アメリカン・ピープルの声を伝える」ことを目的としたもので、ニューメキシコのアルバカーキにあるプエブロ・カルチャー・センターから24時間全米に向けて、またストリーミングで全世界に向けて、放送されているもの。

ニューメキシコにある19のプエブロ・インディアンの部族が30年前から共同で運営しているプエブロ・カルチャー・センターのなかに、この部族の垣根を越えた放送局は設けられた。放送業務に従事しているのは、さまざまな州のそれぞれの地方放送局でネイティブ・アメリカンの放送をになってきたスタッフたちで、オジブウェイ、ノーザン・シャイアン、アシニボイネ、ハンクパパ・スーなどからニューメキシコにやってきた人たちがほとんど。

この放送局が、他のインディアンの地方放送局とコンセプトにおいて異なるのは、もちろんリザベーションに暮らす人たちも対象ではあるのだが、いわゆるリザベーションではなく都会に暮らしているインディアンたちもそのターゲットにふくめているところだろう。インディアンであることをそうした人たちに常に思い出させるためのメディアなのだ。

listen NV1一例をあげれば各地の公共放送をつないでネイティブ・アメリカンの今を伝えていく「ネイティブ・アメリカの呼び声(Native America Calling)」、各部族に伝えられた予言的な話や、ストーリーテリングの真髄などを1時間かけて伝えてくれ、今と昔のネイティブ・アメリカン・ミュージックも聞ける、癒しとメディスンパワーにあふれた「われらのエルダーの知恵(Wisdom of our Elders)」、ネイティブ・アーティストたちのさまざまなジャンルの音楽を堪能できる「地球の歌(Earthsong)」といった興味深いタイトルの番組がそろっていて、音楽もなかなかの選曲である。番組と番組の間のつなぎがうまくなく、沈黙が入ってしまうなど改善すべきところはあるのだろうが、これほど落ち着いて聞けるラジオの放送は終日うるさいだけの日本の放送局にはない。

1年前に、「K-BEAR」というワイオミングのシャイアンからストリーミングで放送している小さな放送局を紹介した(すべてのつながるものたちのための放送局 Wednesday, October 12, 2005)が、この「ネイティブ・ヴォイス・ワン(Native Voice One )」もお気に入りに入れて、ストリーミングで流されている放送に耳を傾けてほしい。

arrow2 Native Voice One

Native American Radio

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Thursday, October 19, 2006

チェロキーの竜はかく語りき

cherokee_dragonチェロキーの偉大なウォー・チーフであったツィユー・ガンシニ(Tsiyu Gansini)英語のインディアン名「ドラッギング・カヌー(カヌーを引く者)」は、1732年に生まれ1792年にテネシー州のルックアウトという町で亡くなったとされる。アメリカが独立する前年の1775年にチェロキーの土地の売却を可能にするトランシルバニア条約が締結されることに反対してドラッギング・カヌーが語った言葉が記録にとどめられているので、日本語にしてみた。この言葉を残した翌1776年には、チーフはおよそ700人のチェロキーの戦士を率いて現在のノースカロライナにあったアメリカ軍のふたつの砦を襲っている。ドラッギング・カヌーは「チェロキーの竜(ドラゴン)」として今も一族の間で語り継がれている。図版は、チェロキー出身の作家であるロバート・J・コナリーが書いた彼の伝記の本の表紙。

インディアンの国々はことごとく白人の進出の前に、太陽に照らされた雪玉のごとく融け去ってしまった。その国々を破壊に導いたものたちによって間違って記録されたわれらが一族のものたちの名前だけがかろうじて残されただけである。今、デラウエアのものたちはどこにいるのか? あれほどの強大さを誇ったあの人たちも、今では形もなく、影もほとんど残されていない。われわれは願ったものだった。白人たちがこの先、山を越えてさらに先に旅を続けないようにと。今ではその望みもついえた。連中は山を越えてツァラギ(チェロキー)の大地に移住した。白人はわれわれの国土の略奪を条約の名のもとに認めさせることをもくろんでいる。それが認めらたあかつきには、侵略者たちは同じようにして他のツァラギの土地に進出していくだろう。さらなる新たな譲歩が求められよう。そして最終的には、ツァラギ(チェロキー)の国のすべてが、一族の父たちが長いこと占有してきた大地全部を明け渡さざるをえなくなる。その結果、かつてあれほど偉大でおそれられたアニ・ユヴィヤ、ほんとうの人間(Ani-Yunwiya, THE REAL PEOPLE,)のうちの生き残ったものたちは、かなり遠くの荒野で難民としての暮らしを余儀なくされるだろう。しかしその土地とてもほんのわずかの期間住むことが許可されるのみで、またもや同じ強欲な人たちが旗を立てて進んできて、追い立てられることになる。あわれなツァラギ一族のために誰も避難所を指し示してくれるものとてもなく、すべての種族の絶滅がやがて宣言されることになるだろう。したがってわれわれは、そのような結末を招くような危険なまねはなんであれおかすべきではないのではないか? 連中が求めてきている条約は、年齢を取りすぎて、もはや狩りもできず、戦にも出れない人たちにはけっこうなものかもしれない。しかしあえていわせてもらえば、わたしはひとりの若い戦士として戦うつもりであり、自分たちの大地を守り続ける。ア・ワニンスキー(A-WANINSKI)、わたしは声を送った。

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Tuesday, October 17, 2006

笑いは最高のメディスン

笑い、それはたいへんに神聖なものだ、とくにわれわれインディアンにとっては。
ジョン・ファイアー・レイム・ディアー
 ラコタの聖なる人 メディスンマン エルダー

笑いはメンタルなものであり、感情的なものであり、身体的なものであり、スピリチュアルなものである。笑いがあるから、われわれはバランスを見つけることができるのだ。怒りがあまりに激しすぎるとき、笑いは感情に働きかけて、その怒りのバランスを取るように作用する。われわれが特定の個人にたいしてあまりにかたくなな心象を抱いている場合、笑いはその緊張を和らげる手助けをすることもある。からだが緊張にさらされているときには、笑いはわれわれの筋肉と神経に働きかけて自然なリラックスをもたらす。笑いは折にふれてわれわれがなにかに向かう姿勢を変えてくれる。だからわれわれは心を軽くして多いに笑う必要がある。笑いは癒しをもたらしてくれる最高のメディスンであり、生き延びるために必要不可欠なものなのだな。

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Sunday, October 15, 2006

進むべき道を見つける——ウェイファウンディング

「今のお前は、知っておかなければならないことを全て知っている。ただし、それが何なのかを理解するまでに、あと二〇年はかかるだろうな」
ホクレア号のタヒチ到着を祝う会場で、師であるマウ・ピアイルックが
弟子のナイノア・トンプソンに贈った言葉

この2日間かけて『星の航海術をもとめて—ホクレア号の33日』という興味深い本を読んだ。先住ハワイ人の血を引き継ぐナイノア・トンプソンが、海のモンゴロイドといわれる古代ポリネシア人の計器に頼らない星と太陽と月と雲と風と波と対話する航海技術を学んで、身につけていくいく過程を克明に書き記したものである。
imagename
ハワイのネイティブのなかではすでに失われていたポリネシアの伝統的な「大洋のただなかで道を探す(ウェイファウンディング)」ための技法を、もともとは口から耳へと師から弟子へと伝承されてきた世界を知るための知恵を、現代において知識やデータによって自発的に自分の内側に取り戻してゆく作業がどれくらいたいへんであるかを教えてくれると同時に、実際に学び方によってはそれが不可能ではないことを伝える希有な、そして希望に満ちた記録でもある。

ネイティブ・ハワイアンのナイノアにとっての実際の学びと成長は、ホノルルにあるビショップ博物館のプラネタリウムにおける天空を移動する星たちの位置の独自の学習にはじまり、ミクロネシアのカロリン諸島に住む伝統的ナビゲーター(航法師)に師事して海を学ぶこと、「ハワイの直上にひときわ明るく輝く幸福の星」を意味する「ホクレア」という名前を与えられた航海カヌーによる1980年のハワイからタヒチへの実際の道を探しながらの旅——太平洋洋上を赤道を越えていく航海——による経験からもたらされたものだった。このときのホクレアは彼にとっての学校のようなものであり、またその航海はネイティブの人たちが成長するためにはどうしても辿らなければならないヴイジョン・クエストでもあったことが、この本を読むとよくわかる。

『星の航海術をもとめて—ホクレア号の33日』はオリジナルのタイトルを「AN OCEAN IN MIND」という。しいて飜訳すれば「頭のなかにある海」ということで、これはナイノア・トンプソンという、ひとりの太平洋を還るべき家とするネイティブ・ハワイアンが会得した、リアルな知としての地球の表面の半分を覆うひとつの大きな海のことに他ならない。

ぼくたちはこの本で、あらかじめ失われていた伝統をもう一度自分の身につけるためになにをなすべきか、なにからはじめるべきかをうかがい知ることができる。それはなにもいっさいの計器に頼らずに大海原に乗り出す航海術のことだけではなく、地球に生きるためにほんとうは必要でありながら、ここ数百年間の急激な変化のなかでいつしか失われていったいろいろな伝統的な——原理は単純だが実際は複雑で奥の深い——無数の知恵を、今という知識偏重の時代に復活させるための方法の一例でもあるのだろう。地球に生きるネイティブであるとはどういうことかを学ぶための手がかりにあふれた本でもある。

ニュースによれば、来年の1月には、ホクレア号はナビゲーターのナイノアと他のクルーたちを乗せて、ナイノアの師が暮らすマイクロネシアへ[Ku Holo Mau / Sail On, Sail Always, Sail Forever: 2007 Voyage to Micronesia]、そしてそこからさらに太陽(ポリネシア語で「ラ」)の沈む西(コモハナ)の日本列島を目指すことになっている。[Ku Holo La Komohana / Sail On to the Western Sun 2007 Voyage to Japan]ナイノアはこの本に記録されているホクレアによるタヒチへの旅からすでに20年以上の歳月を海の学びに費やしており、冒頭に引用した彼の師の言葉が正しければ彼は「全てを理解している」はずである。だから彼が来年の4月頃にぼくたちの暮らす陽の沈む島々にホクレアとともに運んでくるはずのものに、実はぼくはかなり期待してもいるのだ。

AN OCEAN IN MIND星の航海術をもとめて—ホクレア号の33日
ウィル・クセルク(著)
加藤晃生(翻訳)石川直樹(解説)


単行本: 362ページ
出版社: 青土社 (2006/10)
ASIN: 4791762932

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Saturday, October 14, 2006

パイプとともに歩むすべての人たちに

1994年にウィスコンシンのジェーンズヴィルにあるハイダー・ファミリーの牧場できわめて珍しい雌の白いバッファローが60数年ぶりに誕生して「ミラクル」と命名されて以来、不思議なことにアメリカ全土でかなりの数の白いバッファローが生まれるようになっている。

興味深いことに、そうやって白いバッファーが生まれる牧場のほとんどは非ネイティブ・アメリカンの人たちの所有になるものであり、結果としてさまざまに異なる文化的背景を持つ人たちも、北米大陸のほとんどあらゆるネイティブ・ピープルにとって白いバッファローが平和への希望の象徴であることを知るに至り、彼らを祝福するようになってきた。そしてさらに不思議なことに亡き「ミラクル」の生誕地であるハイダー牧場で、この夏、8月25日、雷をともなう嵐の中、再び白いバッファローの赤ん坊が誕生し、「ミラクルズ・セカンド・チャンス」と命名されたことはすでにお伝えした。

next ホワイト・バッファローの男子誕生(Native Heart Tuesday, September 12, 2006)

この「ミラクルズ・セカンド・チャンス」を実際に確認したテトン・ラコタの精神的指導者で、メディスンホイール・サンダンスのサンダンス・チーフ、ラコタ国折れた矢バンドの首領であり、今はパイン・リッジ居留地に暮らすデイビッド・スワロー(David Swallow, Jr.)——インディアン・ネーム「Wowitan Uha Mani」(プライドと共に歩く)——が、さる9月22日に、ことの重大さについてのメッセージを世界に——世界中にいる「パイプ・キャリヤー」とされる縁ある人たちに——向けて出しているので紹介しておく。[わたしの友人や知りあいにもパイプキャリアーがいるし、誰それがパイプを持っているという話もしばしば耳にする。20世紀末にパイプを持つものになった人はけっこういるのではないかな]

セカンド・チャンス やり直しの機会
彼はまず、この新しく生まれた白いバッファローにつけられた「ミラクルズ・セカンド・チャンス」という名前について、その名前が見事にすべてを言い表していることを自分は少しも疑わないと述べたうえで、

「その名前は言い得て妙としか言えず、これは予期せぬ出来事などではない。ミラクルズ・セカンド・チャンスは、まさしく全人類にとってもセカンド・チャンスなのだ」

と語った。そして彼の一族にとっては、雷は悪が滅びることを意味しており、ミラクルズ・セカンド・チャンスが雷と共に誕生したことは確かなメッセージであるとつけくわえた。

「どこにでもいる普通の人間やそこらへんの政府がそうした世界的な危機や破滅をもたらすのではない。強欲とねたみにとりつかれて、あらかじめその取り巻き連中を食べ尽くせと命じられている、あの予言に出てくるいくつもの頭をつけた巨大なヘビに餌を与えているものが、それをもたらす」

デイビッド・スワローは聖なる白いバッファローの子供の娘は争いが続いていたたいへんなときに人々に平和を呼び戻し、人としてのよい生き方をとりもどさせるためにやって来るのだと、彼の一族の伝統的なお話しを引き合いに出した。

white buffalo calf woman

聖なるバッファローの子供の娘はまずふたりの人間の前に姿をあらわした。この最初の遭遇において、ひとりは深い尊敬をあらわし、正しく心ある行動を取ったことで栄誉を受けた。もうひとりはよこしまな思いを抱いたためにその場で飲み込まれて土に還されてしまったのだと。

スワローは今再び同じことがこの世界で起こると信じている。彼は話した。「この仔牛の誕生はそのことを象徴しており、再び悪が滅びることになるだろう」

「白人の国々、今の世界で大きな力を持つ文化の国々は、すべての人々が互いに、そして母なる地球との関係において、平和で調和がとれた、善なる生き方に帰るべきときがきている。それができたときにのみ、われわれのこの世界で、いのちも続くことができる」

パイプを預かる世界のすべての人へ
しかし、スワローによれば、白い仔牛は主要国にたいするメッセージだけでなく、同時に「先住の民の国々」にとっても明確なメッセージであることは疑いようがないと言う。彼は、聖なる白いバッファローの子供の娘によって「神器であるカヌンパ(聖なるパイプ)」が、彼の一族にもたらされたことを指摘した。聖なるパイプは、正しく善なるやり方で用いられて祈りが捧げられることで、心からの祈りも聞きとげられるのである。

デイビッド・スワローはそこで「チャヌンパを持つすべての人たち」に呼びかけた。

「聖なるパイプを預かるものは、ネイティブ・アメリカンであれ、他のどこの人であれ、そのチャヌンパを毎日取りだして、平和と調和とわれわれの世界が良き道に帰ることを希求する日々の祈りに、それを用いる必要がある。お金に心を奪われている人々の目を覚まさせ、利益のために母なる地球を破壊することを止めさせて、母なる地球の健康が回復するように祈らなくてはならない。それだけでなにかが起きる。なにかとてつもなくリアルな変化が起きる。チャヌンパは、すべてのそれを預かるものによって、この目的のために使われる必要がある。チャヌンパを持つものは、それを毎日欠かさずにおこない、その祈りを心に抱いて歩いていかなくてはならない」

スワローは続けた。「わたしは英語の使い方がうまくない。だから、注意して話さないと、間違った言葉を使って誤解されかねない。しかしこれだけはしっかりと理解してほしい。われわれは、誰であれみな、祈ることが必要なのだ。チャヌンパを預かるものであろうがなかろうが、それはかわらない。あなたがアメリカ人であろうが、はたまたアメリカ人でなかろうが、それもかわらない。われわれは祈らなくてはならない。なぜなら、祈ることによってのみ、この世界は救われるからだ。世界を破滅させようとする人たちのハートを変えられるのは、祈るものたちによってのみなのだ」

「わたしは、これがわたしたち人類に与えられたセカンド・チャンスなのだということを伝えた。人々が目を覚ましてこのメッセージを聞いてくれることを祈るものである。われわれのいのちも、われわれの世界も、すべてはそのことにかかっているのだから。ホ・ヘクチュ・イェロ。わたしは言葉を送った」

参考 ラコタの聖なる人であり、メディスンマンでもあった故ジョン・ファイアー・レイム・ディアーが、1967年に語ったホワイト・バッファロー・カーフ・ウーマンについての話

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Friday, October 13, 2006

Just A Reminder

UNPLUG AMERICA (and JAPAN)

GIVE MOTHER EARTH A REST DAY

OCTOBER 13


arrow2 10月13日は母なる地球に丸1日の休息を与えよう

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Wednesday, October 11, 2006

世界でいちばん高い木

Redwood trees

「世界でいちばん高い木」が最新ニュースになるというのは、誰かがその世界でいちばん高いとされる木の地面からてっぺんまでの高さを計測したと言うことである。

とっくの昔にそんな計測はおこなわれていたと思いますか? そうじゃないんだな。どこかの物好きが最近その樹のてっぺんまで実際に登って確かめてきたらしい。で、これがどこにあるか知っていますか? 北カリフォルニアのレッドウッド国立公園の奥深くにある「ハイパリオン」と命名されているレッドウッド(セコイア)の木だそうで、アメリカのヤフーニュース(Mon Oct 9)は「これがつい最近世界一高い木であることが確認された」と伝えている。同様の記事をasahi.com サイエンスが「115メートル、世界最高の木見つかる カリフォルニア」(Sun Oct 8)として報道しているが、比べてみると木の高さのみにこだわったアサヒの視野狭窄的記事(時事)のつまらなさが際だっている。

(しかしね、中国やシベリアの奥地にもっと背の高い木がありそうなものじゃないか。アメリカ人にとって「世界」とはアメリカのことだったりするから、ほんとうのことはわからないと、とりあえず註をいれておこう)

ヤフーニュースの記事によれば、カリフォルニア州立ハンボルドット大学の森林学の教授であるスティーブ・シレツトなる先生が自らその樹のてっぺんまでよじ登り、これまで推定されていた高さより40センチ以上高い115.2メートルあることを確認しておりてきたという。

ハイパリオン発見されるまで世界一高い木とされていたのは「ストラトスフィアの巨人」と名づけられた112.5メートルのレッドウッド(セコイア)の巨木で、こちらはハンボルドット州立公園の近くに立っている。

「てっぺんにキツツキが傷つけたあとがあるので、それがなければもう少し高かったはずだ」とスティーブ・シレツト先生はハイパリオンからおりてきたときに語ったそうだ。

セコイアの木はとにかく高くなることで知られており、レッドウッド国立公園のなかに足を踏み入れると自分が小さな人間になってしまったのではないかと錯覚してしまうほど。すでにセコイアの木の95パーセントの調査が終っていて、ハイパリオン以上の高い木はもはや発見されることはないだろうとされている。

公園当局者は、観光客が一度に押し寄せて森のデリケートなエコシステムを破壊してしまうことを危惧してハイパリオンの所在場所をあきらかにしていない。

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世界は鏡であるという教え

他人についていらつくことはなんであれわれわれを自己の理解へと導きうる。
C・G・ユング

自分の周りで起こっていることやそこにいる人たちについての自分の反応や対処の仕方、感情や思うところを観察するならば、われわれは、自分の無意識にプログラミングされていることについて知る鍵を手に入れられる。「どのようにしてわたしは人々を見て、裁いているか?」「なぜひとつの固定された物の見方で見ているのか?」「なにがわたしのいらいらボタンを押しているのか?」「わたしはなぜ怒っているのか? 恐れているのか? 悲しんでいるのか?」

medicine_wheel自分のなかでそうした反応の引き金を引くことになる外側で起きていることは、自分のほんらいの姿を映し出す鏡であるというのが、メディスン・ホイールの教えのひとつであり、ネイティブ・アメリカンの世界観とユング心理学との共通点でもある。わたしに腹を立てさせているもののことなど重要ではないと思っているのなら、いったいそうした反応はどこからもたらされるのか? 自分の内側にそれと関係づけられるものがあるからこそ、そうした反応が起きているのであり、それがないのなら反応も起こりようがないではないか。

自分の外側で起きていることが自分に反応を引き起こさせるとき、われわれは自分の内側をのぞきこみ、いったいなにが起きているのかを検証する必要がある。そしてわれわれは自己のなかに隠れている他を発見し、他のなかに隠れている自己を認識する。

next 怒りは健康によくない(Native Heart / Friday, November 19, 2004)

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Saturday, October 07, 2006

100まで数える (オマハに伝わる教えの物語)

ここに紹介するのはオマハ一族に伝えられたティーチング・ストーリーのひとつである。オマハとは「風に逆らい、流れに逆らって進む人たち」の意味だという。スーの人たちと境界を接した中部大平原のネブラスカに暮らし、トウモロコシ、豆、スカッシュ、メロンなどを栽培していた。


るところにひとりの若者がいた。

その若者は、みなの尊敬を一身に集める立派なエルダーになりたいと願っていた。彼の部族にはそういうエルダーたちが集まってつくられている「白い貝殻の会」という講(ソサエティ)があった。エルダーのひとりが若者に向かってこう諭した。

「おまえさんは100まで数えることを学ばねばならん」

「100まで?」と若者は思った。「簡単なことですよ」


で、ある日のことだった。

ホームレスのおばあさんがひとり、若者の暮らす町にやってきた。汚れて、やせこけていて、足を引きずっていた。

町の人たちの大半はこのおばあさんの姿をちらと見ただけで、そそくさと姿を消した。なかにはその姿を上から下までじろじろとながめたあげく、背後から心ない言葉を吐き捨てるものもいた。

あのときのエルダーがそのホームレスのおばあさんに憐れみを感じて

「偉大なる曾祖母よ、うちに入って一休みしなされ」と声をかけた。

そしておばあさんのやせ細ったからだに腕を回し、抱きかかえるようにして、家のなかに案内した。じいさまはそのホームレスのばあさまを心から歓迎した。そして飲み水を与えた。

ホームレスのばあさまは一息ついて水を飲んだ。

つぎにじいさまは彼女に温かいスープを与えた。

じいさまは自分の女房と娘たちを呼び集めた。そしてこう告げた。

「おまえたち、こちらのグランマザーを、風呂に入れてあげてくれ。それから着替えをひとそろいあげてほしい。わしがギブ・アウェイのためにビーズで飾りをつけたバックスキンのドレスがあっただろう。あれを着ていただいて、ここにある新しいモカシンを履かせてあげてくれないか」

じいさまの女房と娘たちは、その年寄りのおばあさんを風呂に入れてやり、髪の毛をきれいに洗い、櫛をとおしてから、編みあげた。そして真新しいドレスを着せた。おばあさんは別人のように見えた。

それからおじいさんの家族はそのおばあさんに、どこにも行く当てがないのなら一緒にここで暮らしてはどうかと声をかけた。おばあさんは心を動かされてそのままその家の家族のひとりに加わった。


るとき、くだんの若者が新しい家族と楽しそうにしているおばあさんを見つけて、エルダーにたずねた。

「あの方は、例のホームレスのおばあさんですよね? だれがこんなことをしてあげたのです?」

エルダーがこたえた。

「よいか、こうやって数字を増やしていくのだ」


ギブ・アウェイ いろいろな人に自分の持っているものを分け与えること。あるいはそのための祭礼。嬉しいにつけ悲しいにつけ、冠婚葬祭のあらゆる時に、ネイティブ・ピープルはたいてい盛大に贈り物をしあう。

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Friday, October 06, 2006

フル・ハーベスト・ムーン

Full Moonひどい雨が降り続いていて、今日は中秋(旧暦8月15日)の明月が見れそうもない。明日の満月はどうだろう? 明日の満月は「フル・ハーベスト・ムーン」と呼ばれてる。秋分の日に最も近い満月で、この時期、太陽が沈むのとほぼ同じ時刻にのぼってくる。月が煌々と輝いて夜も明るいので、あれもこれも作物が一度に熟れて収穫時となり大忙しの農家では、このときばかりは月明かりのなかでも穫り入れができることから、「ハーベスト・ムーン」という名がつけられたという。たいていハーベスト・ムーンは9月下旬のことが多いが、数年に一度今年のように10月上旬になることがある。

隣の林の中で鳥たちがけっこうさえずりあっているので、もしかしたら明日の夜には雨もあがってフルムーンが、あらゆる色を奪い去る不思議な光を投げかけるかもしれない。月明かりのなかでまるでモノクロテレビの画面のように見える風景が浮かびあがるかも。世界が灰色に見える月明かりのなかで世界をいつまでもじっと見つめていると、あるとき灰色がブルーに変化することに気がつく。ぼくはアメリカの沙漠という人工の光が全くないところで、目が闇に馴れたあといきなり訪れるこの青く見える世界を、我を忘れて見ていたことがある。

Blue Moon Light写真家の石川賢治という人が、長いこと「月光浴」というシリーズで、この青い光のなかの自然を意図的に撮影して写真集を作られている。たまたま氏の最初の写真集『月光浴』(小学館刊)を編集した編集者が友人だったので、その写真を見せられたときには驚いたものだった。映画撮影の時などにはその雰囲気を出すためにわざわざ夜間にブルーのフィルターを使うこともあるという話を聞かされたことがある。

機会を作ってまた、大自然のなかで、夜の世界が青く見えるようになるまで、月光浴をしていたいものである。

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Wednesday, October 04, 2006

体をすぼめて、頭を隠せ

昨日北朝鮮が核実験をすると発表した。日本の首相は「許すことができない」といい、アメリカ政府の高官は「これは(ほとんど)戦争だ」といきまいた。人類が核をおもちゃにするのにどれくらい知恵がたりないかを示す貴重な映像を Google Video ライブラリから紹介しておこう。アメリカで1950年代に——ヒロシマ、ナガサキのあとだぜ——作られた核攻撃から身をかわす方法を教えるための「ダック・アンド・カバー[Duck and Cover]」というプロパガンダ教育フィルムだ。「ピカッと光ったら、からだを伏せて(ダック)頭を隠せ(カバー)」と亀のバートが教えてくれる。きっとこれにちかいことを北朝鮮では市民に教えているのかもしれない。子供たちが真剣に机の下にもぐりこんだり、走っている自転車から飛び降りて壁の下で身を丸くして頭を両手で隠して、亀のようになっている光景は、とても笑えるし、悲しくて、涙が出そうになる。(9分15秒の作品 「U.S. Federal Civil Defense Administration」制作)

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Monday, October 02, 2006

チーフ・レッド・クラウドの肖像

feather右サイドバーの巻頭にある Peace な写真を入れ替えた。いつものようにノースウエスタン大学のデジタル図書館のなかに収蔵されているエドワード・S・カーティスが19世紀末から20世紀初頭にかけて撮影した北米インディアンの写真のなかから選んでいる。今回はオグララ(オガララ)・ラコタを代表するチーフだったレッド・クラウドの晩年の肖像写真。写真は1905年に最初に公開されているから、おそらく1822年生まれのチーフ・レッド・クラウドは80歳をゆうに超えていたと思われる。ラコタのチーフのなかで、シッティング・ブルと並んで最も世界に名前の知られたチーフであり、戦士だった人物。名前はラコタ語で「マクピヤ・ルタ」といい、正確に訳すと「赤い雲」ではなく「雲は緋色」となる。

レッド・クラウドは15歳の時にはじめてポーニー一族との戦に加わって8人を倒したという。その後もショショーニやアプサロケ一族の闘いに加わって武勲をあげている。「雲は緋色」という名前は父親から受け継いだものだという。レッド・クラウドを名乗る以前には、「ツー・アローズ(二本の矢)」を意味する「ワノ・パ」と呼ばれていた。義理の兄からもらったというメディスンの収められた鹿皮の小さな袋を肌身離さず持ち歩き、闘いの前には必ずそれで全身をこすってお払いした。

1866年のフィル・カーニー砦におけるアメリカ軍との戦いに勝利したことで一族のなかの最高位のチーフに推挙され、それから数年のは2000から3000人のラコタの戦士たちを率いて一族の故地であるブラックヒルズ防衛のための闘いをおこなったが、常に平和の道を模索し続け、クレイジー・ホースとシッティング・ブルらが率いる戦士たちとカスター大佐が闘ったいわゆる「ラコタ戦争」には加わっていない。ラコタ一族がアメリカ政府との戦闘をやめて居留地にはいることでその生命を救われたのはチーフ・レッド・クラウドのおかげだったといわれる。彼が戦をやめたときの言葉が英語に翻訳されて残っている。以下はその一部だ。

子供だったころに、タク・ワカン(超自然力)というものが強力で、奇妙なことをしでかしかねないものだと教わった。一族の賢者やシャーマンたちが教えてくれたのだ。その力を自分のものにしたいのなら、一族のものには優しく、敵の前にあっては勇敢であれと教わった。真実を口にし、正直に生きよと。一族の生命と、一族の狩猟の場を守るために闘えと。こうしたことを信じておれば、それでラコタのものは幸福であり、幸せに死ねるのだ。白人は、それ以上のなにをわれわれに与えてくれるというのか?

写真をクリックすると大きな画面に切り替わるし、さらにその大きくなった画像の下にある「Higher resolution JPEG version」をクリックするとより解像度の高い精密な写真で見ることが出来る。深く刻まれた顔のしわの一本一本が彼の生きてきた道を雄弁に物語ってくれるだろう。

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10月13日は母なる地球に丸1日の休息を与えよう

UNPLUG AMERICA GIVE MOTHER EARTH A REST DAY, OCTOBER 13

Mother Earth

母なる地球に1日の休息を与えよう[電気のコンセントを抜いて]というキャンペーンは1992年にアメリカ先住民らの有志によって呼びかけられた。先住民のみならず、あらゆる人たちに、母なる地球と聖なるいのちの輪にたいする愛と尊敬を態度で示してもらおうと呼びかけられたもので、不健康な消費のパターンやわれわれの環境を破壊する毒物の製造が続けられていることを問題にしている。今日はその呼びかけの文書を紹介し、若干の解説を加えていこうと思う。

arrow2 UNPLUG AMERICA -- GIVE MOTHER EARTH A REST DAY OCTOBER 13

それはいうならば13日を「電気のコンセントを抜く日」にしようという「純粋なたくらみ」で、そのために「アンプラグ・アメリカ」と謳っているが、この場合の「アメリカ」は「アメリカ的生活を送っているあらゆる世界の国々」を指していることは明白であり、そのなかには「日本」も当然ふくまれている。兄弟姉妹たちよ、つまり「アンプラグ・ジャパン」であります。

各人がそれぞれの家庭でこの日は1日テレビやラジオやコンピュータの電源を切り、水道を1日使わず、化石燃料を燃やして動く乗り物には乗らないようにしようというもの。1年のなかのたった1日限りのことではあるけれど、それはわたしたちの大地と資源を——ダメージを受けている地球の健康状態を——回復に向かわせるための第一歩にはなるはずなのだ。未来の世代のために今はじめるべきこととして、わたしたちが、個人的に、国として、地球規模で、大地や資源を実際にどの程度消費しているかをありありと写し出すにちがいない。(ぼくはこうした楽観主義が好きだなぁ!)

そしてそれはまたもうひとつの生き方、健康で永続可能な生き方、あらゆる種の相互依存性を讃えるいのちの祝祭としての生き方を探求する、またとない機会にもなるだろう。

そういえば80年代にネイティブ・アメリカンのエルダーたちが予言したことのなかに「電気を止める子供たちの登場」がある。「大人たちはさまざまな理由をつけてそれを拒むかもしれないし、怖がる人たちもいるだろうが、新しい世代のなかからそれを楽しんでやるものがあらわれる」というものである。あなたもその日1日だけでも試してはみませんか? 試してみるだけでよく、やってみて気に入ったら、毎月1日そういう日を設けるようにすればいい。地球が自分の母親であり、生きている女性であることを思いだそう。そしてその日はお母さんを休ませてあげよう。ついでにいうなら、この日は里山におりてこざるを得ない熊たちの声を聞く日にするのもいい。

この「電気のコンセントを抜く日」を呼びかける文書のなかの「なぜ消費活動を問題にするのか」という部分を引用してみる。

われわれが消費するものはなんであれことごとくすべてが環境にたいして影響を与える。あなたが使っているでかきはどこで作られて、どのようにして送られてくるのか知っていますか? あなたが読む新聞や雑誌や本に使われる紙については? ガソリンは? ガスは? あなたの出すゴミはどこに行くと思いますか?

暗闇のなかでじっとしていろなどと誰も言ってはいません。ほんとうに必要なものだけを使うことで、ひとりの人間としての責任を果たしましょう。わたしたちの資源を守るために今立ちあがりましょう。わたしたちの未来はそれにかかっているのです。

ウラニウム、天然ガス、石油、材木、水、そしてさまざまな鉱物。こうしたもののほとんどがこの地球においては先住民とされる人たちの大地で発見されている。そしてそうした貴重な天然資源は大企業によって強奪されている。資源の発掘や奪取が、その土地に暮らす人々の文化や生き方や健康や安全安心を、どのくらい脅かすものかを、そうした企業はまったく関心を払わない。大地とひとつになって生きているその土地のネイティブ・ピープルのことなどまるで眼中にないかのように振る舞っている。その結果大地の破壊はそのまま大地とひとつになって生きている人々を破滅させてしまう。

こうしたことから考えれば、大企業の稼ぎ出す収益は、先住民の(そして大地の)いのちの値段であると言っていい。これは「文明」と称するものが「野生なるもの」と最初に接触したときから一環して続けられてきているパターンである。どこの国の歴史を見ても明らかなように、常に先住民の暮らす大地は「開発」のターゲットにされ続けてきた。

こうした無責任で危険きわまりない天然資源開発の典型的な例をひとつあげるならば、過日衛星放送で放映された「母なる大地を守りたい——立ち上がるアメリカ先住民」というドキュメンタリー番組のなかのひとつのエピソードにもなっていたが、アリゾナとニューメキシコに広がるナバホ国(居留地)にあるむき出しのまま廃棄されているおよそ1000カ所にもおよぶウラニウム鉱山がある。それらは今もなお撒きちらかされる放射能汚染物質によってアメリカ南西部の大地と水資源とそこに暮らす人々のいのちを汚染し続けている。「電気のコンセントを抜く日」を呼びかける文書はつぎのような言葉で終わっている。

こうした安全のことなどなにひとつ配慮されず、そこに暮らす人たちのいのちの健康のことなどお構いなしの慣行が、現在もなお世界中で繰り広げられています。太平洋各地の、南米や中米各地の先住民たちは、アメリカやカナダのエネルギー習慣とひきかえにいのちを差し出しているのです。こうしたことに頼らないでも持続可能で健康的なエネルギー生産としてはソーラーパワーや風力発電といった別の選択もあるでしょう。

もちろん、世界各地の先住民の持続可能な暮らしや健康をむしばんでいるのは、アメリカやカナダだけでなくて、あなたやわたしが暮らしている日本もそのなかに当然ふくまれている。

この自発的行動への呼びかけ人にはネイティブ・アメリカンの女性として積極的にアメリカの政治に関わりを持ち続けているウィノナ・ラデューク(インディニアス・ウィメンズ・ネットワーク)や、インディニアス・エンバイロメンタル・ネットワークのトム・ゴールドトゥース、ネイティブ・ピープルの活動を支援する先住民組織7世代基金(セブンス・ジェネレーション・ファンド)のクリストファー・ピーターズ、国際的環境保護団体グリンピースのニラク・バトラーといった人たちが名を連ねる。

またこの「母なる地球に1日の休息を与えよう」という呼びかけに賛同して、部族あるいは組織としてこの日に自分たちなりの行動をとる北米先住民には、ハイドロケベック社を相手にダム建設阻止を勝ち取ったクリー一族(カナダ)、モンタナ州にある一族の聖地リトル・ロッキー・マウンテンズにおける北米最大の露天掘り金鉱と対決するグロス・ヴェントレおよびアシニボイネの人たち、自分たちのリザベーションの家屋50戸の屋根に太陽熱発電パネルを設置したアリゾナのホピの人たち、自分たちの植物資源にたいする除草剤や殺虫剤の散布に反対するカリフォルニア・インディアン籠編み人組合、アラスカの極北野生動物保護地区における石油発掘に抗して最前線で闘うグウィッチィンの人々、自分たちの信仰の自由を妨げようとしているカトリック教会や自分たちの聖山であるマウント・グラハムに天体観測施設を建造しようとしているアリゾナ大学と争っているアパッチの人たち、硫化鉱採掘開発で大地と水と文化の汚染を企むエクソン社などと闘うウィスコンシン州のアニシナベ、ポタワトミ、オネイダ、メノミネ、ストックリッジ・マンスィーの各部族の人々、廃棄物処理場計画に抵抗して森林の伐採を阻止してきたディネ(ナバホ)の人たち、石油と天然ガスの採掘による自分たちの大地の汚染を防ごうとしているオクラホマの先住民の人々、そして自分たちの大地に核廃棄物処理場をつくることを拒絶した16を超えるネイティブの国々の人たちなどがある。

この「電気のコンセントを抜く日」がこの先どのくらい定着するかはまだわからない。でも楽しみながらならやってみる価値はあると思う。

自分たちの国の一部がアメリカ政府によって核実験場として取りあげられて以来核の鎖を断つことを活動目標に掲げ続けるウエスタン・ショショーニの人たちの自国防衛組織であるディフェンス・プロジェクト(Western Shoshone Defense Project)のカレンダーを見ると、今年2006年の「アンプラグ・アメリカ」の日、10月13日には、先ごろのサウスダコタのベア・ビュートで開催された先住民の国々の会議でとりまとめられた「514年間続く南北アメリカの植民地化への抵抗運動」と世界中の先住民との連帯のための南北アメリカ先住民によるこの電気のボイコットへの呼びかけがある。

写真 あのシエラクラブが10周年を記念して刊行した素敵に官能的な写真集のカバー。『母なる地球——女性のカメラマンと作家の目をとおしてみたその姿』(Mother Earth: Through the Eyes of Women Photographers and Writers)ジュディス・ボイス編集。Sierra Club Books。ながめているだけで心がおだやかになってくる悩ましい地球の写真集。

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