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Tuesday, September 05, 2006

チーフ・ツー・ムーンの肖像写真

feather右サイドバーの巻頭にある Peace な写真を入れ替えた。いつものとおりノースウエスタン大学のデジタル図書館のなかに収蔵されているエドワード・S・カーティスが19世紀末から20世紀初頭にかけて撮影した北米インディアンの写真のなかから選んでいる。今回はシャイアンの著名なチーフ「ツー・ムーン」の肖像写真をとりあげた。チーフ・ツー・ムーンは1876年のリトル・ビッグ・ホーンの戦いで、スー(ラコタ)とシャイアンがひとつにまとまってカスター大佐が率いる第七騎兵隊を翻弄(ほんろう)した際にシャイアンを統率していたチーフたちのなかのひとりである。写真をクリックすると大きな画面に切り替わるし、さらにその大きくなった画像の下にある「Higher resolution JPEG version」をクリックするとより解像度の高い精密な写真で見ることが出来る。

チーフ・ツー・ムーンの「ツー・ムーン」は「ふたつの月」のことだ。シャイアンの言葉で「イシエオ・ニィシィ(Ishi'eyo Nissi)」といって、そのまま「ふたつのお月様」を意味するのだが、もうすこしわかりやすくいうとこの場合の「月」とは「2ヶ月」のことをいっている。ネイティブの人は月の数で時の流れを計るのが普通で、3ヶ月は「三つの月」という。シャイアンには「ツー・ムーン」という名前の有名なチーフがふたりいて、ふたりは叔父と甥の関係にあたる。写真のツー・ムーンは多くの白人との闘いで勇敢な働きをして名前を轟かせた人物。ノーザン・シャイアンの狐戦士ソサエティの一員だつたが、1877年にマイルズ将軍率いるアメリカ陸軍に投降した。それ以降はノーザン・シャイアン一族の代表としてアメリカ合衆国政府との交渉役となり、首都ワシントンに出かけて、1914年にはウッドロー・ウィルソン大統領と面会をしたりした。そしてその3年後に他界。モンタナ州のバスビィというところに今もチーフ・ツー・ムーンの墓がある。1936年にはチーフ・ツー・ムーンの功績を称えてモンタナ州に記念碑(Chief Two Moons Monument)が建てられた。

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