なぜぼくは火山の噴火のニュースに心を奪われるのか
火山活動の続くキラウエア火山の山頂付近に3マイルもの広さで、膨らみが観察されている。これはいずれ山頂での噴火に繋がる可能性もあるため、注目が集まっている。——hawaiiantowns.com[キラウエア山頂の膨らみは噴火の前兆か]の部分
『日々是布哇(ひびこれハワイ)』[D・F・サンダース著 太田出版刊]という本の翻訳を出すはるか以前から、ハワイの火山の噴火にはかねがね注目してきた。ぼくがハワイ島に長いこと逗留していたのは、前にキラウエアが盛大に噴火を繰り返した時期(1983年から数年間)と重なっていて、そのときの経験があるから、つねにキラウエアの噴火は心のどこかが引っかかり続けている。定期的に斜め読みしている「ハワイの気になるニュースをピックアップ!」(hawaiiantowns.com)というブログで昨日「キラウエア山頂の膨らみは噴火の前兆か」という記事を見つけたときは、こんなことをいうとしかられるかもしれないが、ひざを叩くぐらいに嬉しかった。ほんとうに噴火するのなら、なにもかも投げ捨てて、ハワイ島に行ってみたい気持ちをおさえきれないもうひとりの自分がいるのだ。
ハワイ島のキラウエア火山の噴火があらゆるいのちの意識に与える影響は、ニュースで読むよりも、ハワイ島で体験しなくてはわからない。噴火すると、とにかく島中の生き物という生き物の精神状態が変化する。この生き物のなかには当然人間もふくまれているわけで、ラジオは一日中そのことを話しているし、街の人たちは街の人たちで気もそぞろで、とにもかくにも全員が見事に「ハイ」になっているのが手にとるようにわかるのだ。鳥たちも、家の中でなくゲッコーも、なんだかいつもと様子が違う。自分たちが生きているとてつもなく巨大なものの上にいることを、改めて実感して、そのことに感謝したくなる気持ちを抑えきれない。
火山の噴火に心を奪われる人たちがかなりの数いることはもっともな話であるし、環太平洋のそれぞれの神聖な火山の回りに、その山を守るネイティブ・ピープルの国が存在した/存在していることも理由がないことではない、とぼくは思う。
以下に『日々是布哇』(太田出版刊)の解説のなかで、キラウエアの噴火について小生が書いた部分を引用しておく。興味のある人はお読みください。
いつの時代でもハワイについて語るときに、とにかく忘れてはならないことは、そこが火山によって誕生した島々であると言うことである。地球に根を生やした人たちの文化において火山は常に1人の女性にたとえられてきた。火山は母なる地球が生きていることの証であり、であるからこそそれは全地球的な規模でどこでも「聖なる山」と認識されている。そしてハワイ諸島はすべてが火山によって誕生した島であり、ホットスポットの真上に位置するハワイ島には、現在も天地創造を続けるキラウエアと呼ばれる活火山がある。何回もハワイを訪れる人ですら、古代ハワイの伝承に登場する火の女神ペレの住みたもうキラウエアの大規模な噴火に遭遇することはまれであるけれど、わたしは83年にそれが起きたときに偶然ハワイ島に居合わせた。それは不思議で忘れることの出来ない体験だった。ラジオは一日中噴火情報を流し続けた。わたしは友人とコナにあるコーヒー園のなかの季節労働者のための山小屋で寝泊まりをしていたが、噴火が続いているあいだ、とにかく島中の人々の意識は普通ではなくなっていた。いや人々だけでなく、あらゆるいのちがその影響を受けていることがはっきりとわかった。鳥もヤモリも島中がなんともいえないような「ハイ」な状態で、奇妙なバイブレーションに包まれていた。そしてその生きている惑星の鼓動に触れてただならぬほど意識の高揚した中で、わたしはハワイ諸島が太平洋の中でもずば抜けて神聖な土地であることを確信した。
キラウエアの噴火は、空高く粉塵を巻き上げるようなものではない。ハワイ島自体が世界で最大の海底火山であり、そしてキラウエアは最も安全な火山と火山学者からいわれてるように、粘度の低い大量の溶岩を噴火口からはき出し、その大量にはき出されて溶けた岩が赤い帯となって陸をくだり、やがて海に流れ落ちる。それは言葉を失うほど壮大なもので、さながら天地創造を目の当たりにするような印象を受けた。というより、そこは偉大なる女神による天地創造が今も続いていることをあらためて教えてくれた場所だった。
ポリネシア人もそのなかにふくまれるネイティブ・アメリカンの人たちは、ひとしく聖地をとおして地球がどういうものかを理解する。彼らによれば聖地とは物質と精神(スピリット)が出会う場所であった。人々はそこで地球の息吹に吹かれ、そのエネルギーに触れて、人間の存在の最も深いところにあるものを垣間見る。われわれの時間では推し量れないもうひとつの時の輪の中で、時間と空間がサイケデリックに混ざりあい、はじめて人はスピリットとひとつになることができる。ハワイ諸島は、おそらく太平洋の中でもその神聖さが極まった場所であるだろう。そこは物質的にも精神的にもホットスポットなのである。もちろん常春の陽気も貿易風も大きな波も無数の虹も人々を引きつける要因ではあるが、たくさんの人たちが巡礼のようにハワイを訪れるのはそれだけの理由ではない。そこは神が人を呼び寄せている場所なのだ。
「Sharing Circle (Infos)」カテゴリの記事
- トンボから日本人とアメリカインディアンのことを考える(2010.09.03)
- ジャンピング・マウスの物語の全文を新しい年のはじめに公開することについての弁(2010.01.01)
- ヴィレッジヴァンガード 下北沢店にあるそうです(2009.12.30)
- メリー・クリスマスの部族ごとの言い方
(How to Say Merry Christmas!)(2009.12.24) - 縄文トランスのなかでネオネイティブは目を醒ますか 27日 ラビラビ+北山耕平(2009.12.16)
The comments to this entry are closed.
Comments
2年ぶりのBig Islandへの旅から昨夜帰ってきて、改めてあの島の神聖さを感じます。
あの島に私が呼ばれたのは2000年で、サウスコナのケアラケクアという湾にやってくるイルカたちと泳ぐためでした。それから何故か年に2回、まっすぐあの土地に行っては毎日早朝まるで修行のようにもくもくと泳ぎ、日本に帰ってきていました。
日本に帰って思うことはいつも空気の薄さでした。あの島ではすべての存在感がもっとリアルで濃く、太陽や月、植物、海、大地、鳥あらゆるものがただそこにどっしりと在って、自分が自分でいたとしても、調和でき、それを楽しむことができる。あの土地は、ただ華やかな美しさや、リゾートで行く南の島のきれいな海ときれいな花があふれている場所・・・というわけではなく、きれいな花の横には黒々とした溶岩の大地があり、とても勇ましい。そしてほんとうの美しさがそこにはある。
ハワイで出会ったある人に「ヒーリングとは、大きな意味で変化するということだ」と言われ、この島が大きなヒーリングのエネルギーを持っていることを納得させらました。ペレは常に新しく変化し続けている、2年前にボルケーノへ行き満月の夜に海へ落ちていくラバを見たときに深くそう感じたのです。
これまたいい本ですね、日々是布哇*
今回の旅に持って行きました。読みこまなくて置いておくだけでも意味がある・・・そんな本でした。
Aloha
Posted by: yasu | Saturday, August 26, 2006 06:52 AM