「社交期としての冬」という人類学の論文
東北人類学論壇 Tohoku Anthropological Exchange(第5号 2006 年3月)という東北大学の論文集に久保田 亮という先生が「社交期としての冬——冬季娯楽行事にみるユッピック/チュピック社会生活の変化と持続」という興味深い論文を発表されている。ユッピック/チュピックはアラスカでアリュートの隣に暮らす狩猟採集のネイティブの人たち。本記事の後半部に、その前書きの部分を引用しておくけれど、アラスカのネイティブに関心があったり、北太平洋沿岸のネイティブ・モンゴロイド・ネットワークに関心のある人は通読されることをすすめる。なおこの論文集はPDFファイルで提供されている。(追記 久保田氏には他にも東北人類学論壇(第4号 2005年3月)に『儀礼とダンスの断絶−宣教師の活動をめぐるアラスカ先住民ユピックの歴史認識−』という論文があります。)
本稿はユッピック/チュピック村落における社交的な活動として冬の娯楽行事の性質を分析することを通して、アメリカ社会の周縁に生きる先住民の社会生活の変化と持続について検討する。アラスカ州南西部に暮らす先住民、ユッピック/チュピック(Yup’iks/Cup’iks)の伝統的社会生活は夏と冬では大きく異なっていた。夏季における基礎的な社会単位は双方的拡大家族であったが、冬季は複数の夏の基礎的社会単位が冬季居住地に集住した。冬季居住地における居住形態も家族が共住する夏季の形態とは異なっていた。すべての成人男性がカジキ(Qasgiq)で共住する一方で、女性や子供たちなどのその他の家族はエナ(Ena)と呼ばれる住居にそれぞれ分かれて暮らすのが、冬の居住形態であった。成人男性が寝食を共にしたカジキは、儀礼の実施場所、社交場などの役割をも果たしており、冬季居住地における儀礼的、社会的中心であった。そして、カジキの周囲を取り囲むように複数のエナが立ち並んでいた。
伝統期におけるユッピック/チュピック社会の季節的変異は、彼らの伝統的生業である狩猟・漁労・採集活動のリズムと深く関係していた。そして、その変化が宗教生活などの社会生活の諸側面にも作用し、それら諸側面も季節の変化に同調して変異することをモースは指摘した。夏季は狩猟・漁労・採集活動が活発化し、同時に社会単位の枠組みを越えた社交的な活動が沈滞化する季節であった。アラスカ南西部では夏の訪れととともに、解氷した海面からアザラシが顔を出し、各種渡り鳥が産卵のため南から飛来し、シャケが河川を遡上し、やがて内陸部のツンドラ一面に野いちごが実を結んだ。こうした時期毎に変化する利用可能な自然資源の収穫のため、彼らは個別の拡大家族単位で沿岸部、河岸、内陸部へと移動しながら暮らした。他方、冬は狩猟・漁労・採集活動が停滞する季節あり、それに変わって社交的な活動が活性化する季節であった。冬の気温は-30 度まで低下し、河川や沿岸海域は凍結した。こうした自然環境要因は生業活動の実施を困難なものとしたため、彼らは冬季居住地に集結して夏季に捕獲した食料を消費して暮らし、主に屋内での活動を行った。
冬の営みの代表的なものが、ユッピック/チュピックが集団的に実施した各種伝統儀礼であった。儀礼は、冬季居住地の社会的中心であったカジキで執り行われた。
アラスカ州南西部に暮らす「エスキモー」社会には、カナダやグリーンランドに暮らす「イヌイット」社会に比べて、より精巧な伝統儀礼のサイクルが存在した。冬季居住地における伝統儀礼サイクルは冬至の時期に開催されるナカウチック(膀胱祭)に始まり、ケブギック(使者祭)が続き、ケレック(招待祭)の開催により締めくくられた。
冬の儀礼は、人間と超自然的存在との友好関係や村落内・村落間の社会関係を維持、強化する機会であった。例えば、前述のナカウチック儀礼においては、アザラシの魂が宿るとされる膀胱を人間世界へやってきたゲストとしてもてなした後に水中に沈め、その魂が再び肉体を得て再生することを祈念した。一方、ケレック儀礼においては、仮面ダンスを披露して動物の魂を惹きつけ、来るべき夏の狩猟・漁労活動の成功を願った。また、ケブギック儀礼では近隣冬季居住地の住民を招待し、ダンスを披露したり、贈答品を与えて歓待した。このように、ユッピック/チュピック社会における冬は、「観念上の集団が再構成される機会」として位置づけることが出来た。
しかし、20 世紀初頭に本格化する西洋社会との接触は、伝統ユッピック/チュピック社会生活の季節的変異に影響を与えた。まず、キリスト教宣教師をはじめとする西洋社会からのエージェントが伝統儀礼やダンスの実施に干渉した。その結果、伝統儀礼は断絶し、ダンスは伝統儀礼の文脈で踊られることはなくなった。他方、伝統的宗教実践の崩壊とともに、ユッピック/チュピックのキリスト教教義、実践の受容が進んだ。また、新設の定住村への移住により、「集合の冬」という伝統ユッピック/チュピック社会の特質は相対的に弱められた。並びに、ユッピック/チュピック子弟を対象とした公的学校教育の実施や商品に対する依存度の増加による村落経済の複合経済化が本格化し、季節的に変化する狩猟・漁労パターンに並んで、登校・下校時間、就業時間、休日、祝日といったアメリカ主流社会由来の制度が村落生活のリズムを律する大きな力となっていった。
村落生活のリズムを左右するこの二つの力は、二つのカレンダーの違いとして具体化する。つまり、「12 月」が「太鼓を叩き鳴らすとき」もしくは「あちこち周辺に出かけるとき」である「エスキモーのカレンダー」と、「12 月」を祝祭、休暇のシーズンとして位置づける「主流社会のカレンダー」という、二つのカレンダーである。
本稿が着目するのは、この二つのカレンダーと現代ユッピック/チュピック村落社会生活との関係である。キリスト教徒化、定住化、経済システムの変化、アメリカ的教育の適用といった歴史的経験を経て、現在の「エスキモーの冬」はいかなる様相を呈しているのであろうか。
そこで本稿はこの問題意識に基づき、アメリカ主流社会由来の制度としての「クリスマス休暇」という枠組みの中で、「エスキモーの冬」がどのように変化し、かつなにが持続しているのかを民族誌的データの分析に基づいて検討する。具体的には、「クリスマス・ダンス」と「バスケットボール大会」というクリスマス休暇期間中に開催された二つの娯楽行事を取り上げ、それぞれの歴史を踏まえた上で二つの活動の性質を分析・対比し、主流社会からの影響に対して先住民社会がいかに応答しているのかという観点から述べたい。
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