最も賢い教師とは
経験は最も賢い教師である。
プレザント・ポーター(PLEASANT PORTER)
クリーク国チーフ CREEK
クリーク国チーフ CREEK
プレザント・ポーター(写真) クリーク一族の国にあったプランテーションで、1840年に100パーセント白人の父と、フルブラッドのクリークの母のあいだに生まれた。父方の祖父も祖母も白人だったが、父親は兄弟ともども曾祖父の意向でクリーク国(現在のオクラホマ)でクリークの人たちと共に育てられた。鳥氏族(バード・クラン)。インディアン・ネームはクレイジー・ベア。やがて曾祖父は子どもたちをそのままクリークの人たちの養子にして後にテキサスに移住。父親はクリークの女性と結婚してプレザントが生まれた。弟が3人、妹が2人。ミッションスクールに通ったあとしばらく放浪の時を過ごして、19歳になると南北戦争にクリーク一の志願兵として参加し、戦後30歳代になってアメリカインディアン出身の政治家となった。チェロキーのチーフの娘と結婚して3人の子供をもうけた。「最も偉大な生身のインディアン」「偉大なアメリカインディアンの政治家」とワシントンの議会では評された。晩年はクリー国のチーフを務め1907年に他界した。
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