北カリフォルニアの縄文時代
先日、オレゴンとの州境にほど近い北カリフォルニアの太平洋沿岸部にあるハンボルト郡のエウレカという街の旧市街(オールドタウン)に建つクラーク歴史博物館のサイトをなんとなく見ていたら、その地域に暮らしていたネイティブの人たちを解説しているページを見つけた。
エウレカはいわゆる19世紀のゴールドラッシュがきっかけでできた港町だが、そこに19世紀末か20世紀初頭に撮影されたこの地域のネイティブ・ピープルの写真が掲載されている。カリフォルニアは、白人が来る前から暮らしやすい土地だったらしいことをうかがわせる写真で、そこでは人々が儀式のようなことをしている。鹿皮がさまざまに用いられているらしいし、写真のネームがホワイトディアーとなっているので、鹿にまつわる儀式ではないかと推測される(どなたかおわかりの方があればご教授いただきたい)。直接この写真にたいする説明は見あたらないが、写真の上にある文章にはつぎのように記されていた。
「この地域のインディアンのスピリチュアルな信仰は自然界と彼らのつながりの親密さを写し出しています。彼らはいのちをいただく前に植物や動物のスピリットたちに感謝を捧げ、すべてのいのちの創造主に感謝し、過去の誤ったおこないでけがれた世界の汚れを落とすセレモニーを定期的に催しました。シャーマンは女性の場合が多く、この人たちが定期的にスピリットと交流して導きを求め、癒しを持ち帰りました」
この説明を読むと、北カリフォルニアのこの地域の人たちの生活様式は、なんとなく古代の日本列島の先住民を彷彿とさせるものがあるではないか。土器こそ持たなかったが、彼らは目が細かい丈夫なバスケットを編むことができ、それで水を運び、料理もしたのだ。さらに興味深かったのはそのうえの一文であり、そこにはこう書かれていた。
「この地域の部族にはいわゆるチーフはいませんでした。村の最も豊かな長者が普通は一族の意志決定を左右していました。富はツノガイの貝殻、黒曜石の石刃、キツツキの頭皮、踊りのときに身にまとう祭事用衣装などで計られました。そうした財産をたくさん所有しているものは、一族のものたちを支援し、儀式のダンスのスポンサーになることを求められました。部族間の争いは一般的に財産による埋め合わせによって決着されたことから、近隣の諸部族との戦争はしばしば起こりました」
この写真は、そうした二十世紀直前まで縄文時代を生きた部族のセレモニーの模様をとらえたものなのだろう。
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