« July 2006 | Main | September 2006 »

Thursday, August 31, 2006

母なる大地を守りたい——立ち上がるアメリカ先住民

taylor.grossmanThursday, August 17, 2006 の記事(この番組はぜひ見てほしいなぁ)でお伝えした「HOMELAND : Four Portraits of Native Action」というアメリカ先住民の4つの部族の「生まれ育った国土を守る活動」のドキュメンタリーですが、いよいよ今週末、日曜日、9月3日、夜10時15分からの放映です。

当初は「アメリカ先住民族の肖像 開発と環境破壊のはざまで」という仮のタイトルがつけられていましたが、正式の日本語タイトルは『母なる大地を守りたい——立ち上がるアメリカ先住民』と変更になっています。「ホームランド」というイメージに少し近づきましたね。ここに掲載した写真は、南モンタナのノーザンシャイアン居留地で撮影されたもので、写っているのがこのドキュメンタリーの総合監督をつとめたロバータ・グロスマン(右)と映像監督のデイアナ・テイラーのふたり。ぜひ見ましょう。そして聞きましょう。覚えましょう。分けあいましょう。

Photo : Director Roberta Grossman (right) with Director of Photography Dyanna Taylor, on the Northern Cheyenne reservation in Southeastern Montana.
© 2005 Katahdin Foundation.

BS世界のドキュメンタリー
母なる大地を守りたい〜立ち上がるアメリカ先住民〜
午後10・15〜11・00 (前編) 午後11・10〜11・52 (後編)

 アメリカ先住民族の多くが国土の4%に満たない居留地で暮らしている。社会資本整備は遅れ先住民族は貧困や差別にあえいでいる。ここ数十年、居留地では、政府主導によるエネルギー資源の開発が進み、深刻な環境破壊や健康被害が起きている。
 番組は、自治体と話し合いを続ける4つの居留地からのレポートで構成される。このようにまとまった形で居留地における環境問題が映像化されたのは初めて。「我々の土地を守ることは地球を守ること。環境破壊のツケはいずれあなた方に返る」と部族長老は語る。撮影は03年5月から04年10月。昨年PBSで放送され、反響を呼んだ。
 昨年、世界的に権威のある自然・環境番組フェスティバルで知られるジャクソンホールWild Film Festivalにて大賞と環境部門賞のダブル受賞を果たした。

[原題] Homeland:Four Portraits of Native Action
[制作] アメリカ/2005

| | Comments (1) | TrackBack (0)

Wednesday, August 30, 2006

「社交期としての冬」という人類学の論文

ak_culture_map東北人類学論壇 Tohoku Anthropological Exchange(第5号 2006 年3月)という東北大学の論文集に久保田 亮という先生が「社交期としての冬——冬季娯楽行事にみるユッピック/チュピック社会生活の変化と持続」という興味深い論文を発表されている。ユッピック/チュピックはアラスカでアリュートの隣に暮らす狩猟採集のネイティブの人たち。本記事の後半部に、その前書きの部分を引用しておくけれど、アラスカのネイティブに関心があったり、北太平洋沿岸のネイティブ・モンゴロイド・ネットワークに関心のある人は通読されることをすすめる。なおこの論文集はPDFファイルで提供されている。(追記 久保田氏には他にも東北人類学論壇(第4号 2005年3月)に『儀礼とダンスの断絶−宣教師の活動をめぐるアラスカ先住民ユピックの歴史認識−』という論文があります。)

next 東北人類学論壇(第5号2006年3月)pdf_icon

Continue reading "「社交期としての冬」という人類学の論文"

| | Comments (0) | TrackBack (0)

Tuesday, August 29, 2006

ご案内 白山 虹の祭

白山 虹の祭
主催者からのメッセージ(部分)

「白山虹の祭」は、白山麓の入口にある獅子吼高原の美しい自然の中で4日間キャンプインし、自然と人が調和しながら、さまざまな表現や遊びをとおして、いのちを輝かせあうピースギャザリング(平和の集い)です。この地球がいつまでも蒼く美しい水と緑の星としてありつづけ、戦争や貧困、恐れや憎しみで苦しむことのない、愛と平和に満ちた世の中を、未来を生きる子供たちのために残していきたい。そのための“虹の架け橋”になることを願って開催します。

今回は、ステージやダンスで楽しむばかりでなく、トークやワークショップなど、ちょっとまじめな企画もなかなか充実しているのが特徴です。stop rokkashoや、オルタナティブな未来について、明らかにしていきます。また私たち一人ひとりにとっても、素晴らしい仲間たちに囲まれながら、理想の世界を感じ、理想の自分としていられるような、そんな集いになればと願っております。

| | Comments (0) | TrackBack (1)

Monday, August 28, 2006

文明というもののあり方

渡来系アメリカ人による文明とネイティブ・アメリカンの文明(生き方)とを比較検討して、「白人(アメリカ)の文明は失敗だった」と結論づけたかのアーネスト・T・シートン Ernest Thompson Seton が、どちらが秀でている文明かを評価するために使った質問のリストを以下に掲げておく。これは1935年に刊行された『レッドマンの福音書 The Gospel of Redman』という書物のエピローグに出てくるもの。日本語訳は北山耕平がおこなった(内山賢次氏他による翻訳がいくつかあるが、機会があればぼくも全文を翻訳してみたいと考えている)。わたしたちが身を置いている「日本というシステム」を見直すときにも参考になるだろう。優れている文明が、核開発をしたり、ミサイルを飛ばしたり、スペースシャトルを打ち上げたり、四輪駆動のSUVをもったり、自動小銃や地雷をもったり、60インチのプラズマテレビを所有したり、iPodやプチ整形を楽しんだりするものとは少し違うのではないかと考えてくれれば、この記事を掲載したかいがあるというもの。わたしたちがどのくらいネイティブ・ジャパニーズの道から遠く離れているかもよくわかるかもしれない。

woodways

 スコットランド生まれのアーネスト・T・シートン Ernest Thomspon Seton (1860-1946) は動物記の作者として有名だが、実はネイティブ・アメリカンの研究家としても大きな足跡を残している。インディアン・サイン・ランゲージの達人であり、ネイティブ・アメリカンの友人もたくさんいた。彼のことを誰ともなく「チーフ」と呼ぶようになり、彼自身もそう称することもあったが、インディアン・ネームは「ブラック・ウルフ」である。ここに掲載した図版はシートン流に考えて図案化されたメディスンホイール。彼がアメリカ・インディアンの精神世界になにを見ていたのかがきわめてよくわかる。

どちらの文明が優れているのか

  • あなた方の文明は、あなたの隣近所の人が同じことをする平等の権利をあなたが侵さない限りにおいて、あなたに行動の完全なる自由を保証してくれるか?
  • あなた方の制度(システム)は最大多数のための最大の幸福のために機能しているか?
  • あなた方の文明は法廷における正義と市中における寛容によって特徴づけられているか?
  • あなた方の文明は苦しみと痛みを取り除くために最大の努力をしているか?
  • あなた方の文明はすべての個人に人間であることの権利と力とを与えているか?
  • あなた方の制度は完全なる信仰の自由を保障しているか?
  • あなた方のコミュニティの誰もが、食べるもの、寝るところ、保護、人間としての尊厳を、あなた方のグループにそうしたものが与えられている限り、全員に保証しているか?
  • あなた方の制度は部族の利益を部族が統制することを保証しているか?
  • あなた方の制度はすべての人に投票の権利を保障しているが、その一票にどれほどの影響力があるというのか?
  • あなた方の制度はそれぞれの人が自ら働いて稼ぎ出しただけのものを保証しているか?
  • あなた方の制度は、物質的なるものが信頼にたりず、その価値は移ろいやすいものであり、精神的なるものはことごとく永続し、価値が変わらないものであるという事実を、受け入れているか?
  • あなた方の制度は厳格な正義よりも思いやりのほうにより大きな価値をおいているか?
  • あなた方の制度はひとりの個人に大きな物質的所有をあきらめさせるようになっているか?
  • あなた方の制度は病んでいる人、絶望している人、弱者、年寄り、見知らぬ者を養っているか?
  • あなた方の制度は「家族」と呼ばれる自然なひとつのまとまりの完全性を保証しているか?
  • あなた方の制度は、人間の最も主要な任務は人間らしさを獲得することで、これは人間であることにともなうあらゆる部位と力との完全かつ調和のとれた発達を意味していて、ひとりの人として自らを自らの一族の人々のために役立たせることにささげることを意味するのだという基本的な考え方を認識し、それを助長しているか?

| | Comments (0) | TrackBack (1)

Saturday, August 26, 2006

「作物を育てることは幸せなこと」というホピの聖なる教え

今年のはじめのころに「ホピ・ファーミング 地球に生きる人たちの農耕技術考」という文章を5回にわたって掲載した。

しかしこれだけでホピの人たちの農耕と生き方の関係をじゅうぶんに伝えきれたとはとても思えない。今回はアメリカの公共放送(PBS)で70年代末に放映された「あるひとりのホピの哲学的意見——A Hopi Philosophical Statement 」という番組(1978年制作)が Google Video で無料で公開されているのがわかって、改めて見直してみたところこのドキュメンタリーがホピの農耕と毎年繰り返される儀式のあり方と生きるための哲学——「作物を育てることは幸せなこと」というホピの人たちの聖なる教え——の理解に役立つものであることを確信したので紹介しておく。

おそらくホピの農耕をホピ語によって解説がつけられている映像としてみることはめったにないことだろう。このなかではホピのセレモニアル・リーダーのひとりジョージ・ナソフティが全編にわたってホピの言葉で農耕のあり方と一年のサイクルについて語っていて、それぞれのホピの言葉には、シンプルな英語の字幕がついているので、理解しようと思えばなんとか理解できる。英語が理解できなくても、ホピの言葉のリズム感を聞くことはきっと頭によい刺激になるだろうし、「種植え棒(プランティングスティック)」とブルドーザーの両方が現実に使われているホビの現代農耕のありさまを見ることだけでも、一見の価値があるだろう。自分で自給するための農耕をしている人には参考になる考え方や役に立つ道具とのつきあい方もたくさんあるはずだ。本来であれば言葉の解説をひとつずつつけておきたいとも考えるのだが、それだけの時間的余裕が今のぼくにはないので、興味ある人がご覧になってください。そして映像を見たあと小生が書いた「ホピ・ファーミング 地球に生きる人たちの農耕技術考」を改めて読んでいただければ幸いである。(26分17秒の作品)

| | Comments (1) | TrackBack (0)

Thursday, August 24, 2006

偉大なマオリの女王が亡くなられた

1966年に即位された歴代初の偉大なマオリ女王、テ・アリキヌイ・デイム・テ・アタイランギカアフが先ごろ崩御した。マオリの教えは、地球の他のネイティブ・ピープルの教えとよく似ていて、地球の旅を終えて別の世界に入られた彼女は、今後は、祖先たちのいるところで、祖先たちとともに、一族の行動に目を配り、導きを与えることになる。

Maori.Queen
JOHN SELKIRK/Dominion Post 撮影

写真はマオリ女王、デイム・テ・アタイランギカアフの棺を載せた遠洋航海用のワカ(マオリの伝統的な大型カヌー)が、一族の精神性の象徴であるワイカト川をくだって、墳墓が設けられるタウピリ山に向かうところ。

マオリ女王、テ・アリキヌイ・デイム・テ・アタイランギカアフは即位して30年後の1996に日本を訪問されている。彼女は広く環太平洋の、そして地球各地の先住民族から慕われ尊敬を集めていた。彼女とのインタビューが日本語で読めるサイトは「ニュージーランド総合情報サイト/ニュージー大好き」のなかの[マオリ特集—どうか私たちをお互い隔てることなく、ともに歩ませてください]という記事。このマオリの特集は、日本人をやっているわれわれもふくめて環太平洋のネイティブ・ピープルとその末裔たちのことを知るために目をとおしておく価値があるだろう。女王とのインタビューのページは「マオリ女王に聞く」として、その最後の「ここ」に掲載されている。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

なぜぼくは火山の噴火のニュースに心を奪われるのか

火山活動の続くキラウエア火山の山頂付近に3マイルもの広さで、膨らみが観察されている。これはいずれ山頂での噴火に繋がる可能性もあるため、注目が集まっている。
——hawaiiantowns.com[キラウエア山頂の膨らみは噴火の前兆か]の部分

Mr.Volcano『日々是布哇(ひびこれハワイ)』[D・F・サンダース著 太田出版刊]という本の翻訳を出すはるか以前から、ハワイの火山の噴火にはかねがね注目してきた。ぼくがハワイ島に長いこと逗留していたのは、前にキラウエアが盛大に噴火を繰り返した時期(1983年から数年間)と重なっていて、そのときの経験があるから、つねにキラウエアの噴火は心のどこかが引っかかり続けている。定期的に斜め読みしている「ハワイの気になるニュースをピックアップ!」(hawaiiantowns.com)というブログで昨日「キラウエア山頂の膨らみは噴火の前兆か」という記事を見つけたときは、こんなことをいうとしかられるかもしれないが、ひざを叩くぐらいに嬉しかった。ほんとうに噴火するのなら、なにもかも投げ捨てて、ハワイ島に行ってみたい気持ちをおさえきれないもうひとりの自分がいるのだ。

ハワイ島のキラウエア火山の噴火があらゆるいのちの意識に与える影響は、ニュースで読むよりも、ハワイ島で体験しなくてはわからない。噴火すると、とにかく島中の生き物という生き物の精神状態が変化する。この生き物のなかには当然人間もふくまれているわけで、ラジオは一日中そのことを話しているし、街の人たちは街の人たちで気もそぞろで、とにもかくにも全員が見事に「ハイ」になっているのが手にとるようにわかるのだ。鳥たちも、家の中でなくゲッコーも、なんだかいつもと様子が違う。自分たちが生きているとてつもなく巨大なものの上にいることを、改めて実感して、そのことに感謝したくなる気持ちを抑えきれない。

火山の噴火に心を奪われる人たちがかなりの数いることはもっともな話であるし、環太平洋のそれぞれの神聖な火山の回りに、その山を守るネイティブ・ピープルの国が存在した/存在していることも理由がないことではない、とぼくは思う。

以下に『日々是布哇』(太田出版刊)の解説のなかで、キラウエアの噴火について小生が書いた部分を引用しておく。興味のある人はお読みください。

Continue reading "なぜぼくは火山の噴火のニュースに心を奪われるのか"

| | Comments (1) | TrackBack (0)

Wednesday, August 23, 2006

ぼく自身の本の広告(広告)

日々是布哇日々是布哇(ヒビコレはわい)』という本を太田出版から上梓した。ひとりのハワイ島で暮らすネイティブ・アメリカンの血とスピリットを受け継いだ女性が、ハワイで暮らすということとはどういうことかを、土地のスピリットとつながる黙想のなかで紡ぎ出した不思議な力(メディスン・パワー)のある言葉の本である。急ぎ足の観光旅行では見つけることができないもうひとつのハワイのなかへ旅をしたり、今自分のいる場所を「ハワイ」というより、より正しい呼び名で「ハワイィ」とされる場所に変えてしまいたいと望む人の手に渡ることを願う。詳細は以下へ。

arrow2 ハワイィはどこにあるのだろう?( Wednesday, July 05, 2006)

|

北カリフォルニアの縄文時代

先日、オレゴンとの州境にほど近い北カリフォルニアの太平洋沿岸部にあるハンボルト郡のエウレカという街の旧市街(オールドタウン)に建つクラーク歴史博物館のサイトをなんとなく見ていたら、その地域に暮らしていたネイティブの人たちを解説しているページを見つけた。

エウレカはいわゆる19世紀のゴールドラッシュがきっかけでできた港町だが、そこに19世紀末か20世紀初頭に撮影されたこの地域のネイティブ・ピープルの写真が掲載されている。カリフォルニアは、白人が来る前から暮らしやすい土地だったらしいことをうかがわせる写真で、そこでは人々が儀式のようなことをしている。鹿皮がさまざまに用いられているらしいし、写真のネームがホワイトディアーとなっているので、鹿にまつわる儀式ではないかと推測される(どなたかおわかりの方があればご教授いただきたい)。直接この写真にたいする説明は見あたらないが、写真の上にある文章にはつぎのように記されていた。

「この地域のインディアンのスピリチュアルな信仰は自然界と彼らのつながりの親密さを写し出しています。彼らはいのちをいただく前に植物や動物のスピリットたちに感謝を捧げ、すべてのいのちの創造主に感謝し、過去の誤ったおこないでけがれた世界の汚れを落とすセレモニーを定期的に催しました。シャーマンは女性の場合が多く、この人たちが定期的にスピリットと交流して導きを求め、癒しを持ち帰りました」

この説明を読むと、北カリフォルニアのこの地域の人たちの生活様式は、なんとなく古代の日本列島の先住民を彷彿とさせるものがあるではないか。土器こそ持たなかったが、彼らは目が細かい丈夫なバスケットを編むことができ、それで水を運び、料理もしたのだ。さらに興味深かったのはそのうえの一文であり、そこにはこう書かれていた。

「この地域の部族にはいわゆるチーフはいませんでした。村の最も豊かな長者が普通は一族の意志決定を左右していました。富はツノガイの貝殻、黒曜石の石刃、キツツキの頭皮、踊りのときに身にまとう祭事用衣装などで計られました。そうした財産をたくさん所有しているものは、一族のものたちを支援し、儀式のダンスのスポンサーになることを求められました。部族間の争いは一般的に財産による埋め合わせによって決着されたことから、近隣の諸部族との戦争はしばしば起こりました」

この写真は、そうした二十世紀直前まで縄文時代を生きた部族のセレモニーの模様をとらえたものなのだろう。

whitedeer

| | Comments (0) | TrackBack (0)

Tuesday, August 22, 2006

わが魂を映像にも埋めよ

ディー・ブラウンという作家が書き、70年代のアメリカに激しく衝撃を与えた不朽の名作『わが魂を聖地に埋めよ』の映画化が進められることになり、俳優のエイダン・クインが、マサチューセッツ出身の当時の政治家でインディアンの文明化をもくろんだヘンリー・ドーズを演じることになると、ニューヨークタイムズがロイター電として伝えていた(August 21, 2006のNYTの記事)。ヘンリー・ドーズは、1856年に先住民に強制移住を認めさせるひきかえに「合衆国政府は、彼らの暮らす居留地を守り、教育と医療を保障し、独立を認める」条約を締結した政治家だが、この条約は結局なにひとつ守られることはなく、合衆国陸軍によるウーンデッドニーの無差別大虐殺へと歴史は続いていく。

Wounded Knee

『わが魂を聖地に埋めよ——アメリカ・インディアン闘争史』は原題「Bury My Heart at Wounded Knee: An Indian History of the American West」をそのまま日本語にすると「わがハートをウーンデッドニーに埋めよ——アメリカの西部におけるインディアンの歴史」となる。日本語訳では上下2冊に分けられているが、この本は、それまでアメリカ政府のプロパガンダによって巧妙につくられてきた「インディアン」というイメージを打ち壊すのに最も貢献した本である。

19世紀の後半、アメリカ合衆国が西へ拡大していき、そこにいた先住民たちを武力によって追い立てた50年間の歴史を、ネイティブ・アメリカンの目から再構成し、文明そのもののあり方に疑問符を投げかけたきわめて美しく描かれた叙事詩であり、アメリカ史のなかにはじめてネイティブの人たちを登場させた記念的書物でもある。日本では1972年に翻訳が出版されたが、30年以上が経過してもまだ読み継がれ、絶版になっていない。読まれたことがない人は、ぜひこの機会に読まれるべきであるだろう。

カナダで撮影されることになるこの映画が日本で公開されるかどうかはわからないが、アメリカがまたぞろ文明の名のもとに自分たちの戦争を推し進めている今、この原作が映画化されることにとても大きな意味があるように思う。あのときヘンリー・ドーズという政治家が考えていたアメリカ・インディアンの文明化とは「文明的な服装をして、自動車を乗り回し、そして、ウイスキーを飲むこと」に単純化できるだろう。そしていまだにアメリカ人はそれが文明化だと信じているふしがある。

schellenberg最後に映画化に際してハンクパパ・ラコタのチーフであり、北部大平原の人々の生き残りを賭してアメリカ陸軍と戦ったチーフ・シッティング・ブルを演じるのは、かつてフリー・ウィリー、ラコタ・ウーマン、ロンリー・ウェイなどという映画にも出演したカナダのモホークの血を引くオーガスト・シェレンバーグ右写真)であることをお伝えしておく。

「人びとの夢がそこで死んだのだ。それは美しい夢だった・・・・・国をまとめていたたがが外れ、すべてがばらばらになった。もはや中心というものがなくなり、神聖な木は枯れてしまった」
——ブラック・エルク(ラコタ)の言葉 「わが魂を聖地に埋めよ」より


wounded_knee1わが魂を聖地に埋めよ—アメリカ・インディアン闘争史(上巻)
ディー・ブラウン著
鈴木主税訳
出版社: 草思社 (1972/01)
ASIN: 4794200145


wounded_knee2わが魂を聖地に埋めよ—アメリカ・インディアン闘争史(下巻)
ディー・ブラウン著
鈴木主税訳
出版社: 草思社 (1972/01)
ASIN: 4794200153

| | Comments (5) | TrackBack (0)

Saturday, August 19, 2006

8月20日はミラクルが地球にやってきた日

the sacred within「ミラクル」を覚えていますか? 雌の白いバッファローで、ラコタの伝説に出てくる「ホワイト・バッファロー・カーフ・ウーマン」の再臨ではないかといわれた存在のことです。わたしがこのブログをはじめるきっかけとなった「せかいへいわといのりの日(WPPD)」は、ミラクルの誕生をきっかけとしてはじめられました。平和と調和の時代の到来を約束された白いバッファローの娘は、全平原インディアンにとって、白人にとってのキリストに匹敵するぐらいのきわめて聖なるものとされ続けています。

2004年の9月に地球の旅を終えたミラクルは、1994年の8月20日に誕生しました。そう明日は彼女が生きていれば12回目の誕生日にあたる日です。ミラクルは白いバッファローの女の子として生まれ、その10年の生涯において、予言されていたように4回その毛の色をかえました。黒くなり、赤くなり、黄色になったのです。白、黒、赤、黄は、聖なる4つの色であり、地球に生きる人たちの肌の色でもあります。彼女が他の白いバッファローと異なるのはこの変化からもはっきりしています。ミラクルがその生涯を過ごしたウィスコンシン州ジェーンズヴィルのハイダー牧場には今なお人々が訪れるといいます。そこには生前のミラクルをしのぶ質素な博物館も建てられています。毎年彼女の誕生日には祈りの集会が開かれます。

20日早朝からはじまる祈りの儀式の案内サイトを紹介しておきましょう。そこには彼女が4回にわたって毛の色をかえたときの写真も掲載されています。参加したいけれど事情があって参加できない人のために、あなたの祈りを届けるためのページも用意されています。ミラクルと名づけられた白いバッファローの娘の到来が意味するものを、この機会にもう一度考えてみるのもいいかもしれません。

next 2006 Birthday Celebrations for Miracle,the Sacred White Buffalo

ラコタの聖なる人であり、メディスンマンであり、おそらくは「ヘヨカ(へそまがり道化)」でもあった故ジョン・ファイアー・レイム・ディアーが、1967年に語ったホワイト・バッファロー・カーフ・ウーマン(白いバッファローの仔牛の女)についての話は当サイトの「ここ」で読むことができます。いかにしてホワイト・バッファロー・カーフ・ウーマンがラコタの人たちに最初のパイプをもたらしたかについて語られており、パイプが彼らの聖なる伝統の中心にあることからもわかるように、この話もきわめて重要なものとされています。ハートでお読みください。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

Thursday, August 17, 2006

この番組はぜひ見てほしいなぁ

アメリカ先住民族の肖像 開発と環境破壊のはざまで

    前編・後編(仮)NHK BS1
    BS世界のドキュメンタリー
    9月3日(日) 後10:10〜11:00 
            後11:10〜深夜0:00

アメリカ先住民族の多くが国土の4%に満たない居留地で暮らしている。社会資本整備は遅れ先住民族は貧困や差別にあえいでいる。ここ数十年、居留地では、政府主導によるエネルギー資源の開発が進み、深刻な環境破壊や健康被害が起きている。番組は、自治体と話し合いを続ける4つの居留地からのレポートで構成される。このようにまとまった形で居留地における環境問題が映像化されたのは初めて。「我々の土地を守ることは地球を守ること。環境破壊のツケはいずれあなた方に返る」と部族長老は語る。撮影は03年5月から04年10月。昨年PBSで放送され、反響を呼んだ。

昨年、世界的に権威のある自然・環境番組フェステイバルで知られるジャクソンホールWild Film Festivalにて Best Environmental film Award /Best Festival Awardのダブル受賞。

Homeland : Four Portraits of Native Action(原題)
制作:アメリカ/2005
Homeland

*このドキュメンタリーについては過去記事「グラミー賞の最優秀ネイティブ・アメリカン・ミュージック・アルバム(Friday, February 10, 2006)」のなかで少し触れてある。そのときにはドキュメンタリーのバックグラウンドに使われた『Sacred Ground: A Tribute to Mother Earth(聖なる大地 母なる地球への贈り物)』がグラミー賞で「最優秀ネイティブ・アメリカン・ミュージック・アルバム」に選ばれたことを伝えることが目的だった。今回は、そのドキュメンタリー作品そのものがNHKの衛星放送で放映されるというニュースだ。それに「開発と環境破壊のはざまで」などというサブタイトルがつけられてしまうと、それだけで多くの人が尻込みしてしまうのではないかという懸念があって、たくさんの人がこの番組と出会えるようにするためになにかをしなければと考えた次第。

ぼく的にはせめて「ホームランド 聖なる大地を守るネイティブ・ピープルの4つの活動」とでもしてほしかったというのが正直な気持ち。上に引用したものは、インターネツトに掲載されていた衛星放送番組ガイド「BS世界のドキュメンタリー」これからの放送予定をコピーしたものだが、解説にある4つの居留地とはそれぞれ、ダムと戦う東部大西洋沿岸森林地帯の「ペノブスコット(Penobscot Indian Nation)」、鉱石会社の採掘井戸を止める闘いに挑む大平原の続くモンタナ州の「ノーザン・シャイアン(Northern Cheyenne)」、原油の掘削に苦悩するアラスカの「グウィッチン(GWICH'IN)」、昨年ウラニウムの地下からの採掘を禁止したナバホ国のニューメキシコ側の「イースタン・ナバホ(EASTERN NAVAJO)」だ。

ドキュメンタリーの批評のなかには「現代アメリカで制作された最良のドキュメンタリー」という声もあがっていた。バラエティ紙は「美しくつくられた第一級の作品」とほめている。音楽のクールさはグラミーを受賞したことからもわかるようにおりがみつきだ。「地球に生きる人にとって聖なるものとはなにか」を考えさせる情報がぎっしりつまっている。ぜひ予定に組み込んでご覧になってください。Katahdin Foundation 制作。

next HOMELAND 公式ホームページ(英語)

| | Comments (0) | TrackBack (0)

最も賢い教師とは

start_quote経験は最も賢い教師である。end_quote.gif
プレザント・ポーター(PLEASANT PORTER)
クリーク国チーフ CREEK


Pleasant Porterプレザント・ポーター(写真) クリーク一族の国にあったプランテーションで、1840年に100パーセント白人の父と、フルブラッドのクリークの母のあいだに生まれた。父方の祖父も祖母も白人だったが、父親は兄弟ともども曾祖父の意向でクリーク国(現在のオクラホマ)でクリークの人たちと共に育てられた。鳥氏族(バード・クラン)。インディアン・ネームはクレイジー・ベア。やがて曾祖父は子どもたちをそのままクリークの人たちの養子にして後にテキサスに移住。父親はクリークの女性と結婚してプレザントが生まれた。弟が3人、妹が2人。ミッションスクールに通ったあとしばらく放浪の時を過ごして、19歳になると南北戦争にクリーク一の志願兵として参加し、戦後30歳代になってアメリカインディアン出身の政治家となった。チェロキーのチーフの娘と結婚して3人の子供をもうけた。「最も偉大な生身のインディアン」「偉大なアメリカインディアンの政治家」とワシントンの議会では評された。晩年はクリー国のチーフを務め1907年に他界した。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

輪をつくる

一週間程前から、右サイドバーの一番下に ClusterMaps BETA という地図を貼り付けた。一番下なので気がつかない人もいるかもしれないが、一度はスクロールして見てもらえると話が早い。世界地図の上に赤いがある。はこのネイティブ・ハートを訪れた人たちの所在地であり、の直径の大きさで人数を示しているのだという。の数や大きさは日々変化している。

Imagename

Zoomの「+」をクリックしてもらうと、サイトの来訪者の数とその人たちがコンピュータを使ってインターネツトにアクセスしている場所を日々集めて表示してくれるこのサービスを提供してくれている ClusterMaps Ltd のサイトに切り替わり、同じ日々移り変わる世界地図を大きな画面で見ることができる。ここからわかることは、訪問してくれる人たちは日本列島だけでなくて、北米、中米、南米(アンデス!)、ヨーロッパ、アフリカ、東南アジア、オセアニア、太平洋(ハワイ)の各地域にかなりの数広がっているということだ。このサイトではネイティブ・アメリカンのことを中心にして、地球の先住民の人たちにまつわる考え方やニュースなどを、個人的な動機と視点から提供し続けているわけだが、こうした情報に対する関心がそれなりにあるのだということが、目に見える形でフィードバックされてとてもうれしく、またインターネットのすごさを改めて思い知らされた気がしている。このいくつもの点と点がいつかつながって、ひとつの大きな輪になることを祈りたい。(図は8月17日現在のもの)

| | Comments (1) | TrackBack (0)

Wednesday, August 16, 2006

アイヌ語とアイヌの物語を残すこと

以下はアサヒ・コムが8月12日に『アイヌの遺産「金成マツノート」の翻訳打ち切りへ』というタイトルで流したニュースの引用である。偉大なストーリーテラーであり、物語の筆録者でもあった金成マツ(かんなり・まつ)さんのアイヌ名は「イメ力ノ」、和名は正しくは「广知(まち)」という。「岩波講座日本文学史」第17巻口承文学2・アイヌ文学「伝承と伝承者—金成マツ」蓮池悦子著によれば、テープレコーダーがなかった時代に彼女が「筆録したユカラは大学ノー卜2万ページを超える」とある。アイヌ語と、そのアイヌ語によって語られる物語を残すことがアイヌの復興につながることを、グレイト・グランドマザーのイメ力ノさんは亡くなるまで信じ続けた。彼女は偉大なストーリーテラーだった。同書によれば彼女はこれまで「金田一京助に92のユカラと8つのウウェペケレ、12の歌謡を、知里真志保には151のウウェペケレと6つのユカラ、歌謡など58を残した」という。その後、萱野茂氏が40年をかけてこれまでに33話を翻訳されたが、49の物語を残したまま幸福の狩り場に旅立たれた。例えいくつかの公共事業を取りやめにしても、この偉大なグランドマザーのストーリーテラーがなんとしても残そうとしたアイヌの宝物の全訳を完成させることは、歴史的経緯から見ても日本国がやらなくてはならないことではないのかと、ぼくは深く思うのであります。

アイヌの遺産「金成マツノート」の翻訳打ち切りへ

 アイヌ民族の英雄叙事詩・ユーカラが大量に書き残され、貴重な遺産とされる「金成(かんなり)マツノート」の翻訳が打ち切りの危機にある。言語学者の故・金田一京助氏と5月に亡くなった萱野茂氏が約40年間に33話を訳した。さらに49話が残っているが、事業を続けてきた北海道は「一定の成果が出た」として、文化庁などに07年度で終了する意思を伝えている。

 ユーカラは、アイヌ民族の間で口頭で語り継がれてきた。英雄ポンヤウンぺが神様と闘ったり、死んだ恋人を生き返らせたりする物語。

 昭和初期、キリスト教伝道学校で英語教育を受けた登別市の金成マツさん(1875〜1961)が、文字を持たないアイヌの言葉をローマ字表記で約100冊のノートに書きつづった。92の話(10話は行方不明)のうち、金田一氏が9話を訳し、萱野氏は79年から道教委の委託で翻訳作業を続けてきた。その成果は「ユーカラ集」として刊行され、大学や図書館に配布された。アイヌ語は明治政府以降の同化政策の中で失われ、最近は保存の重要性が見直されつつあるが、自由に使えるのは萱野氏ら数人に限られていた。

 文化庁は「金成マツノート」の翻訳に民俗文化財調査費から28年間、年に数百万円を支出してきた。今年度予算は1500万円のうち、半額を翻訳に助成。同予算は各地の文化財の調査にも使われる。

 これまでのペースでは、全訳するのに50年程度かかりかねない。文化庁は、「一つの事業がこれだけ続いてきたことは異例」であり、特定の地域だけ特別扱いはできないという。これをうけ、北海道は30年目を迎える07年度で終了する方針を関係団体に伝えた。

 道教委は「全訳しないといけないとは思うが、一度、区切りを付け、何らかの別の展開を考えたい」としている。

 樺太アイヌ語学研究者の村崎恭子・元横浜国立大学教授は「金成マツノートは、日本語でいえば大和朝廷の古事記にあたる物語で、大切な遺産。アイヌ民族の歴史認識が伝えられており、全訳されることで資料としての価値が高まる」と話している。

arrow2 北海道デジタル図鑑 100の物語 アイヌ語 口から口へ、伝えられてきた言葉

| | Comments (1) | TrackBack (0)

Tuesday, August 15, 2006

そこには学ぶべきことがある

「自然について、神というものについて、われわれが知っていることを世界に伝えるときがきている。だからわたしは話して聞かせよう。自分がなにを知っていて、誰であるのかについてを。あなたがたは耳を傾けたほうがよい。必ずや学ぶことがたくさんあるだろう」
マシュー・キング 1989年に亡くなった
オグララ・ラコタのチーフで、智慧の守り人、歴史家の言葉

Mathew Kingジョン・ファイアー・レイム・ディアー翁と並んでその知恵と洞察力で、20世紀末に起きた「アメリカインディアンの偉大な覚醒」に影響を与えて、一族のもののみならずネイティブの次の世代から深く敬われていたラコタのエルダーのマシュー・キング氏(写真)——インディアン・ネームは「高貴な赤い人」——にも、忘れられない言葉がいくつも記録されている。日本語訳されている『ネイティブ・アメリカン叡智の守りびと』(H・アーデン他著 船木アデルみさ訳 築地書館刊)のなかにも彼の言葉からなる一章が収録されている。そのいくつかを以下に紹介しておこう。なお日本語への翻訳は北山が独自におこなった。

遠い昔、亀の島にやってきた創造主から赤き人たちはこういわれていた。『あなたがたは母なる地球の守り人となるだろう。あなたがたのあいだに、わたしは自然についての、あらゆるものが相互につながりあっているということについての、バランスについての、調和のうちに暮らすことについての、智慧を授けておく。あなたがた赤き人たちは自然の秘密を理解するだろう。苦しみのときを生きることになっても、その秘密を理解することで、創造主の近くで生きるだろう。いずれあなたたちがその秘密を地上の他の人たちと分けあうことを求められるときがくる。なぜならその人たちはスピリチュアルな道を見失っているだろうからと』そしてそのわけあうことをはじめるときが、今なのである。

人生はエンタテイメントではない。人生は神聖な勤めだ。

人々が自分の道を見つけ、それに従わなければ、その人たちの人生は空虚で意味のないものになるだろう。だが、彼らが道を見つけたならば、すなわち創造主から与えられた一番はじめの教えに従っている自分を見つけたならば、その人たちはいまだ思いもよらなかったような自分が生きていることの意味を、知ることになる。そのとき彼らは知るのだ。人生があるのは、快楽のためでも、権力のためでも、お金のためでもないことを。そうしたものはことごとく時間の無駄というものである。人生は聖なるやり方で生きるためのものである。人生はそのまま道なのだ! もしあなたが自分に与えられた最初の教えに従いたいのなら、他の選択などあり得ない。

これから起こることを予言しておこう。神による裁きがこの世界にくだされる。彼は怒っておられる。残念なことだが、それは避けられない。だが神がこの世界のすべてを破壊することはないだろう。それでもいのちあるものはみなことごとく滅びる。そしておそらくそれからまた数百万年か後に、新しいいのちが再びはじまるだろう。曾祖母の地球はひとりぼっちになる。彼女にとってはしばしの休息のときだ。それもこれも原因は白人の邪悪さにある。あなたがたは倒れる。それも激しく倒れる。涙を流し、叫び、大声で嘆くだろう。神の世界を破壊して難を避けようとしてもそんなことはできるわけがないことを知るだろう。なんとかなると考えていたら大間違いだ。神は地上から邪悪なものを一掃される。いずれ神の御しるしをあなたがたも見ることになるだろう。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

Saturday, August 12, 2006

聖地は戦うに値する!

「ベア・ビュートを守ろう、平和のなかで祈りを!」という部族を超えた闘いの取材を続けている NDNnews.com の Tamra さんから8月第一週の注目すべき動きを伝えるビデオモンタージュ(写真で構成されたビデオ)が届けられた。メールにはぜひ見てほしい、楽しんでください、そして「平和と連帯のなかで」と記されていた。ビデオを再生すると冒頭に

Sacred Sites Are Worth the Fight!

というメッセージが出てくる。「聖地は戦うに値する!」「聖地を守る戦いは戦いがいがある!」という意味である。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

Friday, August 11, 2006

先住民国頂上会議2006終わる

Mato Paha
ベア・ビュートで8月1日から4日まで開催されていた先住民国頂上会議2006が、1493年にカトリックの法王が「スペインの発見した陸地と島々をスペインに永久に贈与し譲渡することを認める贈与大勅書」と、1496年にイギリス国教会が出した勅許状の撤回を求める決議をおこなって閉幕した。これらの勅書は、南北アメリカの先住民の絶滅と征服を認める大本となった文書であり、今なおアメリカ合衆国におけるインディアンの土地に関する先住権を法的に否定する根拠とされているもの。署名したのは23の先住民の国とNGOの代表と100人の個人。

next 頂上会議プレスリリース[Summit of Indigenous Nations Sign Resolution to Rescind the Doctrine of Discovery (Papal Bulls of 1493)]

簡単に解説をしてしまうと、ベア・ビュートという北半球で最も神聖とされてきた山、先住民の力の源とされている聖なる山のすぐ近くに、金儲けを企むビジネスマンによって巨大な酒場やコンサート会場が作られるような状況を招いたそもそもの原因は、「新世界——南北アメリカ大陸——発見」を正当化して、先住民の土地と権利と生命と財産をことごとく奪い去ることを認めた15世紀のキリスト教の権威と威光にあるというもの。数千年のサイクルで物事を考えてきた先住民的な時間の概念からいえば、500年前のことなどつい昨日の出来事に過ぎないのだな。

今回の「民の国々の頂上会議」は正式には「ブラック・ヒルズ・スー協定議会:先住民諸国サミット」の公式声明のページでは話し合いの一部を映像で見ることができる。

next HARMONIC ENGINEERING

| | Comments (0) | TrackBack (0)

Thursday, August 10, 2006

絶滅危惧言語とネイティブスピーカー

beads turtle

まだ見ぬ友のひとりに「ハマンダ」こと濱田信吾くんがいる。彼はアメリカのオレゴン州にあるポートランド州立大学大学院の人類学部でアメリカ先住諸民族とアイヌ民族を主にした先住民権研究をしている。いや、つい先日卒業したらしいので、現在は人類学の先生になるための準備期間中なのかな。実はブログをはじめて以来、アメリカに在住で、ネイティブ・アメリカンについて学んでいる人たち何人かと知りあいになった。ハマンダくんもそのひとりだが、ワシントンやオレゴンの北西太平洋沿岸地域のネイティブについて学ぶことや教わることが多いので、彼のブログやウェブサイトを時々のぞいている。

今回彼のブログ「Current Hamandaology アメリカ大学院に留学中 郷に入れば郷に従うハマンダの日記」を紹介するのは、8月7日に彼が書き込んでいた「ワスコ語」についての記事が心に残ったからだ。

それによればこの8月6日(4日前のことだ)に「オレゴン州にあるワームスプリングス インディアン居住区(Warm Springs)で、91歳のおばあさんが亡くなった」とある。そして「この人は北アメリカ北西部で話されていたインディアン言語の一つ、ワスコ語(Wasco)のネイティブスピーカーでした。自分の母語であるワスコ語の保存と復活のために部族、学者とともにワスコ語の研究に貢献されていた人です」と説明が続く。

詳しくは彼のブログをぜひ読んでほしいが、このおばあさんが他界したことで、現在ワスコ語を聞いて話して育ったワスコ語ネイティブスピーカーの残りがわずかふたりになってしまったという。言葉が消えていくということは、歴史や伝統や文化とそれらをつなぎあわせる豊かな知恵をひっくるめたひとつの宇宙が消滅するということである。

「800以上あったとされるアメリカ先住民の言語のうち、500言語は危機言語かすでに絶滅した状態。話者数が増加しているのはナバホ語だけ。話者数がいまだに22000人と言われるチェロキー語も、次の若い世代へのチェロキー語教育がうまくいってないらしく、先行きは暗い…。」と彼は書く。

北米大陸において、わずか500年ほどで500もの宇宙が消滅してしまったというおそろしくも壮絶な事実と、ぼくたちは正面から向かいあわなくてはならない。ハマンダ君のこの記事の最後の言葉はつぎのようなものである。

「しっかし日本語最後の話者になったらどんな気分なんやろか?」

*ワスコは川の一族。オレゴン州の中央部、カスケード山脈に連なるコロンビア川の上流をテリトリーにして基本的には川における鮭漁の文化を伝えてきた。

| | Comments (2) | TrackBack (0)

Monday, August 07, 2006

健康を犠牲に文化を守る

newsデトロイト・フリー・プレス紙が8月6日に「水質汚染が伝統的なアメリカ・インディアンの生き方を危機にさらしている(AMERICAN INDIAN TRADITIONS: Toxin endangering tribes' way of life)」という記事を掲載した。アメリカでは現在40を超える数の州で水銀やポリ塩化ビフェニール(PCB)などによる魚の汚染が問題にされて、そうしたところで穫れた魚を食べ過ぎないようにとの警告が発せられているが、ミシガン州北部もそうした土地のひとつだ。

しかしこの土地のネイティブ・ピープルであるアニシナベの人たちにとって「魚」は単に食料であるだけでなく、「一族の過去の世代とも密接につながる」きわめて象徴的な「スピリットを与えてくれるもの」だった。オタワ・インディアンのリトルリバー・バンドの一員で自然資源委員の議長を務めるジミー・ミッチェル氏は「わたしたちの一族は、生きるために必要なものは常に川や湖から得てきたのです。そこで魚を食べることはそのままわたしたちの一部なのです」と語っている。

ある統計によればチペア(アニシナベ)の人たちは一年にひとりあたり62匹の魚を食べているという。スポーツで魚釣りをしている人たちが年に42匹、一般の平均的アメリカ人が年に36匹ほど食べる。この結果近年ではチペアの人たちの血液中の水銀濃度もここ3年ほどでかなり上昇しているのだと記事は伝える。

この問題をかねてより調査してきたデラウエア大学エネルギーと環境資源政策センターのエイミー・ロー教授は「汚染された川や湖で魚を捕って暮らす先住民たちは、文化を守る代価を自分たちの健康によって支払っている」と指摘した。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

明日の神話

明日の神話
「メキシコはけしからんところだ。数千年も前から俺のイミテーションをしている」
——岡本太郎の言葉

昨日は川崎の郊外の生田緑地というところにある岡本太郎美術館(小田急線向ヶ丘遊園地駅から徒歩20分)に家族で行ってきた。さまざまな彫刻や絵画と並んで、原爆が炸裂した瞬間を描いたとされる『明日の神話』という作品の縮尺バージョンも展示されていた。岡本太郎氏が1960年代末にメキシコで制作した壁画で、この巨大壁画が作られていくまでがさまざまに見ることができる。昔、友人とやっていた事務所が南青山にあり、その事務所から数十メートル先に、現在は岡本太郎記念館となっている岡本太郎氏のアトリエがあって、よく庭先に無造作に置かれた太陽の塔の顔の部分などを塀越しにながめたものだった。敗戦後の日本で、縄文様式の美を、日本列島先住民のリアリティを、芸術家の直感によって最初に発見したひとりとしての岡本太郎というアーティストについては、きっとまた書くこともあるだろう。いずれにせよナガサキとヒロシマのことを後世に伝えるために残された『明日の神話』は「核爆発」と「現在」と「未来」と「神話」のつながりを実に大胆に描き出していて、一見に値する。これは夏の間に実物を汐留の日テレプラザまで見に行かなくてはなるまいと、家族で衆議一決した。

| | Comments (4) | TrackBack (0)

Saturday, August 05, 2006

平和という教え

start_quoteわれわれひとりひとりが、ここに、今というとき、この場所に、存在しているのは、めいめいが人類の未来を決定するためである。自分が生まれてきた理由は他にあると、あなたは考えていたのではなかろうか?end_quote.gif
チーフ・アーボル・ルッキング・ホース

YouTube から「Messages of Peace(平和のメッセージ)」という作品。「せかいへいわといのりの日」の提唱者であるチーフ・アーボル・ルッキングホースをはじめとして、ネイティブの諸部族のウィズダム・キーパー(智慧の守り人)たちが、何世代にもわたって伝えられてきた古代からの知について語っている。冒頭の言葉は映像の初めに出てくるもの。(4分48秒の作品)


Messages of Peace

| | Comments (0) | TrackBack (0)

神聖なものがあるところでは

サイドバー巻頭の Peace な写真を差し替えた。今月は「Offering at the waterfall」と題された一枚を選んだ。「瀧にささげる」といった意味である。写真をクリックして大きくして良く見てもらえると、彼が瀧の水にささげようとしているものが鳥の羽根であることがわかる。ネイティブ・ピープルにとって鳥の羽根は、羽根を持つ人たちの一部としてどんなものであれ大切なものとされ、彼らが「神社(Shrine)」と呼ぶ、村々の近所の岩や瀧や巨木や湧き水や泉や湖や川の流れなど「神聖なもののある場所」のそばの地中に埋められたりする。鳥の羽根は、自分たちの思いを空の彼方にいる偉大な存在に伝えてくれるものとして扱われている。写真の青年はE・S・カーティスのメモによれば北米大陸南西部のテワ・プエブロの部族のひとつナンベ族の青年である。写真が公開されたのが1925年年だから、撮影は20世紀がはじまったばかりのころ、今から百年前頃になる。プエブロの人たちは、このように瀧に羽根をささげたりして、「雲の神のご機嫌をうかがう」とある。鳥は、貴重な雨をもたらしてくれる雲の神にメッセージを伝えてくれる存在だった。

写真をクリックすると拡大されるし、拡大写真の下にある「Higher resolution JPEG version」をクリックすると、より解像度の大きな鮮明な写真が見れる。こういうことがさりげなくできるような人になりたいものであります。

| | Comments (1) | TrackBack (0)

子どもたちの流す涙はみな同じ

「世界で起こった戦争のすべてにユダヤ人が関与している」(先日酩酊運転で逮捕された俳優メル・ギブソンの言葉)かどうかはともかくとして、久しぶりにまともな意見を聞いたような気がするので、とりあえずこのポスターをここに掲載してみる。


Jewish Voice for Peace


書かれていることは:

レバノン、ガザ地区、そしてイスラエル。
子どもたちの流す涙に違いはない。


2006年6月28日ー2006年8月1日
レバノンでは828人が殺され、
750,000人が土地を追われ
パレスチナでは160人が殺され
イスラエルでは54人が殺された。

撃つことを止めよう。対話をはじめよう。占領に終止符を。
Jewish Voice for Peace

| | Comments (1) | TrackBack (1)

Friday, August 04, 2006

静けさのなかでの祈りを!

newsベア・ビュートを守るために活動している知人からメールが届いた。今ベア・ビュートの山麓でおこなわれている「国々の集い(Gathering of Nations)」の写真をウェブサイトにアップロードしたので見てほしいという。8月1日にホース・ライダーたちがキャンプに到着したときの写真だ。ライダーたちははるばるミネソタから、まるまる1ヶ月をかけて、馬にまたがって、スタンディングロック、シャイアンリバー、パインリッジ、ローズバッドの各リザベーションをひとつひとつ巡り、この集会のためにベア・ビュートにやってきた。ほとんどが若者たちで、自分は涙が出る思いだったと、ベア・ビュートを守る活動の広報を担当している彼女は書いている。

arrow2 Pictures of Gathering of Nations at Bear Butte
    New photos uploaded 8-3-06

| | Comments (0) | TrackBack (1)

Wednesday, August 02, 2006

先住民主要国首脳会議が開かれている

Bear Butte亀の島アメリカの心臓にあたる聖なる山ベア・ビュートの麓で昨日1日から4日まで先住民主要国首脳会議「The Summit of Indigenous Nations」が開かれている。ラコタの人たちだけでなく、30を超える部族の人たちが寄り集まり、山麓に予定されているバイカーたちのための「世界最大」と宣伝される巨大酒場とコンサート会場の建設問題を話しあうためだ。この風雲急を告げる問題は当サイトでもすでに何度かお伝えしたので詳しくはそちらを参照してもらうことにして、ミズーリアン・コム(Missoulian.com)という地方新聞のニュースサイトがそのサミットの記事「聖なる大地を守ることを中心議題とする先住民主要国首脳会議」を載せている。全文を紹介する余裕はないが、記事のなかで印象深いコメントを見つけたので紹介する。シャイアン・リバー・スー居留地からきたひとりのラコタの女性の声だ。

「今はまだあの連中はネイティブ・アメリカンがそこを聖地として守っているぐらいのことしか知らないけれど、そこがわたしたちの祈りの場所であることをはっきり教えてやりたいと思います。あの人たちがそのことを理解できない理由は、あそこに一年中、誰か人がいるわけではないからなの。ラコタの人たちが、長いことそこにとどまることはありません。なぜならあまりにもそこは神聖すぎる土地だから。わたしたちは祈るためにそこにおもむき、そこを立ち去るのです」

あまりにも神聖だから人間がそこに長くとどまることはないという世界観を、ネイティブ・ピープルの人たちは今も保ち続けていることがわかる。

ひるがえって日本列島の聖なる山を考えるとき、長く人がとどまることはない山などもはやひとつも残されてはいないのではないか。「その土地のネイティブであるとはどういうことか?」をこの問題はわれわれにも突きつけている。

先住民主要国首脳会議のことをより知りたい人は以下の記事(英文)を読まれたし。

next Indigenous summit to focus on saving sacred lands

next Summit of Indigenous Nations (Defend Bear Butte)

| | Comments (0) | TrackBack (0)

« July 2006 | Main | September 2006 »