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Saturday, July 01, 2006

◆彼らの呼び方についての覚え書き◆

[この文章は少しずつ手を加えながら定期的に繰り返しアップロードされます]

Revised Saturday, July 01, 2006

start_quote「インディアン」という言葉は、今ではぼくたちのものだ。ぼくたちはインディアンである。インド人とはまったく関係がない。ぼくたちは、アメリカのインド人ではないのだ。ぼくたちはインディアン。「イン・ディン(In-din)」と発音する。それはぼくたちのものである。end_quote.gifこの言葉は、ぼくたちが所有しているのだ。誰が返したりするものか

——シャーマン・アレクシー『The Unauthorized Autobiography of Me(ぼくについての独断的な自叙伝)』の一節より(シャーマン・アレクシーは1966年にワシントン州のスポケーン・インディアン・リザベーションで生まれた。アメリカ・インディアンの新世代の作家・詩人として注目を集めている。)

s_handこの「BLOG」を続けるに際しておことわりしておかなければならないことがある。それは、わたしはこれまで自分の書いたり話したりすることのなかで「アメリカ・インディアン」「アメリカン・インディアン」「インディアン」「ネイティブ」「ネイテイブ・アメリカン」「ネイティブ・ピープル」「インディアン系アメリカ人」「北米先住民」「先住民」「先住民族」といった言葉を、そのときどきの思いつきと気分と文脈とに応じて使ってきたし、これからもそうするだろうということである。

北米大陸のネイティブ・ピープルにとっては、そうした言葉の指し示しているどれもが、ある程度の差はあるにせよ、同じくらいは「まあ間違ってはいない」と考えられているようだし、同時に、差こそあるもののどれもが正確に自分たちのことを伝えているとは言いがたいと感じてもいるらしい言葉ばかりであるからだ。それに、わたしはこれまでただの一度も自らを「ネイティブ・アメリカン」だと名乗る「インディアン」の人と会ったことがない。むしろそう紹介するとみな一様に恥ずかしそうな、困惑したような顔をする。

もともとアメリカ合衆国の内務省が「ネイティブ・アメリカン」という政治用語を発明したのは1970年のことで、人口構成の一覧リストをつくりやすくするのがたてまえではあったものの、真の目的はすべてのアメリカ国内の先住民の痕跡やアイデンティティーをきれいに一括消去することにあり、この「ネイティブ・アメリカン」のなかには「ハワイの先住民(ハワイアン)」「エスキモー(イヌイット)」「サモアン」「ミクロネシアン」「ポリネシアン」「アリュート(アリューシャン列島の先住民)」なども含まれていた。

それ以前のアメリカ人はアメリカ先住民のことを「アメリカ・インディアン」と呼んでいた。1960年、時の大統領だったジョン・F・ケネディも「アメリカ・インディアンはすべてのアメリカ人のなかで最も理解されることなく誤解されている」と発言していた。70年代以前、その「ネイティブ・アメリカン」という言葉がメディアに定着する以前の20世紀の前半から中ごろに、アメリカや欧州の知識人たちが「アメリカン・インディアン」という言葉からの造語で「アメリンド / Amerind」とか「アメリンディアン / Amerindian」なる言葉を用いていた時期がしばらくあり、いまだにこの言葉を使用しているサイトや書物も見かけることがあるものの、結局は「なんだかなあ」という理由からか定着しなかった。

しばしば「なぜインディアンと呼ばれるようになったか?」という素朴な疑問にたいして、「コロンブスがそこをインドと誤解したから」という回答がまことしやかに語られてきた。70年代以降のインディアンの活動家やジャーナリストはこれに対して疑問を呈する。コロンブスはそんなにマヌケだつたのかと。彼は1492年の段階で「インド」「インディア」などという名前の国が存在しないことぐらいは知っていたというのだ。当時インドは「ヒンダスタン(Hindustan)」と呼ばれていた。もし彼がほんとうにヒンダスタンと間違えたのであれば、最初の航海で出会うことになった人たちを「ヒンダスタニス(Hindustanis)」と呼んだであろうというのだ。最近のネイティブ・アメリカンの人たちはよくジョークとして「コロンブスがここをトルコだと思いこまなくてよかったな」と言って笑いあう。そのココロはというと「トルコ人」は英語だと「ターキィ(turkey)」となるし「ターキィ」とは「七面鳥」とか「阿呆」といった意味だからという。

では「インディアン」という言葉はどこからつけられたのだろうか? 一説にはコロンブスに同行したイタリア人修道士たちが「あまりに無邪気で天真爛漫な人たち」と出会って、彼らのことを「ロス・ニノス・イン・ディオス(Los ninos in Dios)」と呼んだことに由来しているからだともいう。それは「神の子供たち」という意味である。このロス・ニノス・イン・ディオス」が「インディオ」になったのだと。いまだに南アメリカや中央アメリカでは先住民は「インディオ」と呼ばれている。この「インディオ」という言葉がヨーロッパから北アメリカに持ち込まれたときに「インディアン」と意図的に変えられてしまった可能性も否定できないだろう。

カナダに暮らすネイティブ・ピープルは、いくら政治的に正しい用語とされているかもしれないが、自分たちのことを「ネイテイブ・アメリカン」と呼ばれることを当然ながら好まず、「ネイテイブ・ピープル」とか「インディアン」と自分たちのことをあえて言い、政治的な正しさに配慮するメディアも「最初の国々のひとびと(ファースト・ネーションズ・ピープル)」「ネイティブ・ネーションズ・ピープル」などという呼び名をあえて使っていたりする。

現実にはどうなのかと言うと、ほとんどのネイテイブの人たちは、自分たちのあいだでも、よそからきた人たち(そしてその子孫たち)にむかっても、「北米先住民」のことを言い表わすときには無意識に、あるいは意識して「インディアン」もしくは「インディアン・ピープル」や「ネイティブ」という言葉を使う。ネットの世界などでアルファベットで書くときに最近の流行では「NDN」と3文字で書いて「インディアン」を表現したりもする。東洋のインドの人たちを「イースタン・インディアン」とし、自分たちのことをわざわざ「ウエスターン・インディアン」と呼ぶことも、まれにだがある。だが実際にネイティブ・ピープルのほとんどが、自らの一族(部族)のことや、自らがその一員を構成する国の名前を使って----チェロキーだとか、ショショーニだとか、アベナキ、ユテ、イロコイ、サリッシュといった----それぞれに固有の名前で自分たちの属する集団のことを語るのが普通である。

しかしそうするとここでも問題がおこらないわけではない。たとえば「イロコイ」という言葉は隣接して住むアベナキの人たちの「イレオクワ(毒蛇のごときひと)」からそう呼ばれているだけで、イロコイの人たちは普通自分たちのことを「ハウデノサウネ、ホーデノショーネ、ホーデノサウネ(長い家に暮らすひとびと)」と呼んでいたりする。おそらく誰もが知っている平原の民の「スー」という呼び名だって、隣接するオジブウェ(チペワ)の人たちが「敵」のことを「ナディウスー "Nadowe siu"」(意味は「小さな蛇」)と呼んでいたものをフランス人が聞き間違えたことによる呼び名であり、自分たちは構成する七つの部族の「ダコタ」「ラコタ」「ナコタ」の「コタ "khota"(友だち/同盟)」を一族の名前として用いる。「コタ」とは本来単純に「人びと」を意味する言葉だ。ダコタを構成する主要な部族は「テトン」「ヤンクトン」「サンテ(ダコタ)」の人たちである。またナバホの人たちは自分たちのことをを「ディネ」というし、スペイン人にパパゴと呼ばれていた人たちは「豆を食べる人たち」というスペイン名前ではなく、「沙漠の人たち」を意味する「トーノ・オーダム」を用いるようになった。そうした「オリジナルな呼び名」の大半は「ひとびと The People 」を意味する場合が少なくない。このように、敵対する部族の呼び名によって略称がきめられてしまうことは、コロンブス以降多くのネイティブの国々でしばしば起ったことなのである。また互いに意思疎通をする際にサイン・ランゲージに頼っていたことから、呼び名が誤って伝えられたというケースもある。たとえば「クロー」は英語では「カラス」を意味するが、本来は「鷲」を意味する「大きな鳥の人びと」と自分たちのことを呼んでいたのが、いつしか「カラス」として定着してしまった。いずれにせよ最近ではそれぞれの国の人たちをそれぞれのオリジナルの言葉で呼ぼうという動きも見られる。

  【オリジナルのネイティブの名前とその意味  一部】

  • アサパスカン      デネ             ひとびと
  • アイオワ        バコジェ           灰色の雪           
  • アベナキ        アルノバク          日の昇る土地に暮らすひとびと
  • アパッチ        ティネ            ひとびと
  • アラパホ        イナネイナ          ひとびと
  • アリュート       アルティック/ウナンガン
  • アルゴンキン      マミウィニニ         渡り歩くひとびと
  • イリノイ        イリニウェク         ひとびと
  • イロコイ        ハウ(ホー)デノショーネ   長い家に暮らすひとびと
  •             オノンダガ          名を守るひとびと
  •             オネイダ           石のひとびと
  •             カユガ            湿地を守るひとびと
  •             セネカ            西の扉を守るひとびと
  •             モホーク           東の扉を守るひとびと
  • ウィネバゴ       ウィニピグ(ホー・チャンク)
  • エスキモー       イヌイット(イヌピアット)  ひとびと
  • エスキモー       ユーピック(アラスカ南部)
  • オジブエ        メノミニー          ワイルド・ライスの人
  • カイオワ        キュウワ           もともとのひとびと
  • クラマス                       湖のひとびと
  • クリー         アイシニウォク/イヌー    ほんとうのひとびと
  • グロス・ベントレ    ヒダツァ
  • グロス・ベンチュラ   アーナイ           白い粘土のひとびと
  • クロー         アブサロケ          大きな嘴を持つ鳥のひとびと
  • コマンチ(広い道)   ナメルヌー、ヌムヌー     人間(コマンチはスペイン語)
  • サリツシュ       オキナガン
  • シャイアン       ツィ・ツィット・サス     縞の矢のひとびと
  • シャイアン       ツェ・ツェヘセ・スタエスツェ
  • ショショーニ      ニュウイ           ひとびと
  • スー          ダコタ            盟友
  • ストーニー       アシニボイン         石のひとびと
  • ズニ          アシウィ、タア・アシワニ
  • チェロキー(ツァラギ) アニユゥンウィヤ       もともとのひとびと
  • チペア(オジブウェイ) アニシナベ          ほんとうのひとびと
  • デラウエア       レナペ            ほんとうのひとびと
  • テトン         ラコタ            盟友
  • トンカワ        ティックアンワ・ティック   リアルなひとびと
  • ナスカピ        イヌー            ひとびと
  • ナバホ         ディネ            ひとびと
  • ヌートカ        ヌー・チャ・ヌルス      山に沿って暮らす
  • ネス・パース(ピァース)ニ・ミ・プー         ひとびと
  • パイユート       ヌマ
  • パパゴ         トーノ・オーダム       沙漠のひとびと
  • ヒューロン       ウェンダット         島のひとびと
  • ブラックフィート    ブラッド/スィクスィカ
  • ブラッド        カイナイ           たくさんのチーフたち
  • フォックス       メスクァキ          赤き大地のひとびと
  • ホー          チャララット         川のひとびと
  • ポタワトミ       ニスナベク          ひとびと
  • ホピ          ホピ             平和なひと
  • マイアミ        トゥワトラ          鶴
  • ミックマック      イヌー            人間
  • モヒカン        ム・ヘ・コン・ネォク     流れる水のひとびと
  • モヘガン        モヘガン           狼
  • モホーク        カニエンケハカ        火打ち石のひとびと
  • ヤンクトン       ナコタ            盟友
  • ユーロック       オレクオル(プリカラ)    ひとびと(川下)
  • ユマ          クゥエチャン
  • ユテ          ヨート            太陽の土地

だから、どう呼べばその人たちのことを正確に表現できるのかは、場所と場面で微妙にことなっているのであり、であるからこそわたしもどれかひとつに限定して使うつもりはさらさらにないのである。それにオリジナルの名前だって、ひとつとは限らないからややこしい。多くの部族がひとつ以上の部族名を持っているのがあたりまえの世界なのだ。ある部族など、世界に向けての名前と、自分たちだけで通じる内々の呼び名を持っていたりする。また、他の部族が呼び名としてつけた名前の方で世界に知られている部族もあったりもする。だから、出来るだけオリジナルの名前で呼ぶようにつとめるものの、その名前の使い方は臨機応変に使い分けるしかないのが現状であるだろう。

最後になるけれど、なかには「インディアン」が「差別語」ではないかと気を回す人たちもいないわけではないが、今では「インド人」をあらわす「インディアン」という言葉そのものを宗主国イギリスの人たちがインド大陸でどんな意味と姿勢で用いてきたかはともかく、辞書的にはそれは「インドの人」という意味である。(無論、いかなる呼び方であろうと、それを口にする人間の心のあり方では差別的言辞になりうるのだし、同様にいかなる呼び方であれ、それを用いる人の心の有り様では差別にならないこともある)

現代アメリカ人の英語において、これが差別語として使われるときには、しばしば「インジュ(ア)ン injun」という特殊な表現や記述がなされるケースが多いわけで、これだと「土人」「野蛮人」の意味が非常に、かつあからさまに強くなる。最近のアメリカ映画などでは、「インディアン」と「インジュアン」のふたつの用語がが明確に使い分けられるようになってきていることにお気づきだろうか。というわけで「インディアン」という呼び名は、けっして差別語などではないことを、ここでは声を大にして言っておくにとどめる。

またこれと同じような理由から、わたしは「chief」が差別的言辞のなかで使われているのでない限り、「首長」とも「長(おさ)」とも「族長」とも、あるいは「酋長」とも訳さずに、ストレートにそのまま「チーフ」という用語を用いているが、これには政治的な意味合いは含まれない。ひとつの部族のなかにチーフはひとりとはきまっていないし、戦時におけるチーフ(ウォー・チーフ)と平和時におけるチーフ(ピース・チーフ)とでは当然ながら役割も異なるからだ。「チーフ」のかわりに「首長」の意味で使われる言葉には「サーケム(sachem)」また「精神的な指導者」としては「キクモングイ(ホピ族)」などもある。

インディアンの人たちの社会構造をわかりにくくしていることでもあるのだが、現代の体制において、いわゆる民主選挙で選出される部族会議の議長が一族の「チーフ」だった例はこれまでほとんどない。チーフは選挙の投票できめられるような役職ではないのである。シャイアン一族の偉大なチーフだったスウィート・メディスンによれば「チーフはおのれの利益を求めてはならない」とされる。この言葉がチーフという言葉の重みを物語っているとわたしは考えている。

そしてレッドネックの偏狭な白人たちがしばしばインディアンを呼ぶ時に誰彼となく「チーフ」「おいチーフ」と呼びかけることがあるが、以上のような理由からインディアンがすべからくチーフなわけではないし、そこにはまるで尊敬の念が含まれていないことからもわかるように、これはあからさまな蔑称である。「インディアン」という言葉同様「チーフ」という言葉も、使い方ひとつで、口にする人間の意識のあり方によって、意味が正反対になりうるのである。

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