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Monday, July 31, 2006

ネイティブが選んだ20世紀のベスト・インディアン・ムービー

featherアメリカ・インディアンのステレオタイプ作りに最も効力を発揮したものが映像媒体であることは間違いない。とりわけアメリカ製の映画におけるインディアンの影響は無視できない。世界中の多くの人たちがアメリカ・インディアンと聞いて頭に思い描くものはたいていは映画によってインプットされたものだと言っていい。映画とインディアンの関係は、そのはじまりから切っても切れない縁で結ばれていた。19世紀に発明王のトーマス・エジソンが「キネトスコープ」と呼ばれた最初の映画の素材として、南西部アメリカのプエブロの人たちの村を撮影したイメージを使って以来の関係である。20世紀になると、ネイティブ・アメリカンが悪者であるというイメージ作り——プロパガンダ——に最も効力を発揮したのがハリウッドで無数に制作された西部開拓史の時代を描いた西部劇映画だった。1910年から1913年までの3年間におよそ100本のネイティブ・アメリカンを扱った映画が制作されたという。しかしそのほとんどの場合、映画のなかで白人の開拓者を惨殺しに来る野蛮人のインディアンを演じていたのはヨーロッパからの移民たちだった。

Nobody and William Blake

しかし1960年代から70年代になると、映画のなかでもネイティブ・ピープルを演じるのに非ネイティブ・ピープルを使うのは「差別的」という考え方がすこしずつ表れてくる。そしてこのころから、映画を作る側の心の内側にも大きな変化が起こりはじめた。ネイティブ・アメリカンの置かれた状況に同情をあらわすような映画が作られるようになったのだ。その代表的なものが、ダスティン・ホフマンがひとりのラコタのネイティブ・ピープルの一生を演じながら、インディアンの人間的な生き方に比べて白人文明のあり方はほんとうに優れているのかという疑問を投げかけて話題になった『リトル・ビッグ・マン(小さな巨人)』(トーマス・バージャーの小説が原作)と、アメリカン・ニューシネマの走りとなった『ソルジャー・ブルー』であった。これ以後「まともなのはいったいどちらの生き方なのか」ということを突きつける映画が、いくつも製作されるようになって21世紀へと突入することになる。

21世紀になってすぐそれまでネイティブ・アメリカンを主人公にしたコミックブックの制作をしていたブルーコーン・コミック社がネイティブ・ピーブルを対象に、これまで観た映画のなかで最も優れていた「ネイティブ・アメリカンを扱った映画」もしくは「ネイティブ・アメリカンに関する映画」のアンケートを採りそれを公表している。日本でも公開されていたり、現在もDVDやビデオで入手できるものもあるので、そのリストを公開しておく。掲載した写真は映画『デッドマン』のスチールの一枚。主人公のウイリアム・ブレイク(ジョニー・ディップ)とネイティブのノーボディ(ゲーリー・ファーマー)。

映画のタイトルと公開年、 [TV] とあるのはテレビで公開されてのちにビデオになったりDVDになったもの。日本語の表示があるものは日本で公開されて、入手可能なもの。日本で入手できるものについては、日本のアマゾン社の小生のアフリエイトのリンクがつけてあるし、日本で入手できないものはアメリカのアマゾン社のリングがついているのでご利用願いたい。

The Best Native American Movies

The Broken Chain 1993
The Broken Chain
Starring: Pierce Brosnan, Michael Abrams
Director: Lamont Johnson

Thunderheart 1992
サンダーハート
出演:ヴァル・キルマー、サム・シェパード
監督:マイケル・アプテッド

The Emerald Forest 1992
エメラルド・フォーレスト
出演:パワーズ・ブース、メグ・フォスター
監督:ジョン・ボアマン

Lakota Woman: Siege at Wounded Knee [TV] 1994
Lakota Woman: Siege at Wounded Knee
Starring: Dave Bald Eagle, Lawrence Bayne
Director: Frank Pierson

Where the Spirit Lives [TV] 1991
Where the Spirit Lives
Starring: Michelle St. John, Kim Bruisedhead Fox
Director: Bruce Pittman

The Last of the Mohicans 1989
ラスト・オブ・モヒカン
監督:マイケル・マン

Tecumseh: The Last Warrior [TV] 1995
Tecumseh: The Last Warrior
Starring: Jeri Arredondo, Lawrence Bayne
Director: Larry Elikann

Smoke Signals 1998
スモーク・シグナルズ
出演:アタ゜ム・ビーチ、エバン・アダムス
監督:クリス・イアー

Kings of the Sun 1963
Starring: Yul Brynner, George Chakiris, Shirley Ann Field, Richard Basehart, Brad Dexter
Directed by: J. Lee Thompson

Dances with Wolves 1993
ダンス・ウィズ・ウルブズ スペシャル・エディション
出演:ケビン・コスナー、メアリー・マクドネル
監督:ケビン・コスナー

Dead Man 1995
デッドマン スペシャル・エディション
出演:ジョニー・デップ、ゲーリー・ファーマー
監督:ジム・ジャームッシュ

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Friday, July 28, 2006

イロコイの国技をナイキが支援

NikeIroquois Flagオレゴン州のユージーン(Eugene)という町を1970年代末に訪れたことがある。オレゴン大学のある美しい学生の町だったが、この町はまた今では誰もが知っている「ナイキ」の発祥の地でもある。

なぜ「ナイキ」の話をはじめたかというと、今朝届いたネイティブ・アメリカン・ニュースのクリッピングのなかに「ナイキ」の名前を見つけたからだ。今では雑誌フォーチューンが選ぶ世界の500の会社に名を連ねるこの多国籍企業が、それらの500の有名会社のなかで唯一ネイティブ・アメリカンの組織と友好関係にある会社だと書かれていた。もちろんナイキの本社は今もなおオレゴン州にある。

記事によると多国籍スポーツ企業のナイキがイロコイ連合国ラクロス協会を全面的に支援することになったという。ラクロスという球技は、北米大陸東部森林地帯のネイティブ・アメリカン(オノンダガ、モホーク、オジブエ、東部チェロキー)の球技が起源となっているスポーツで、もともとは「小さな戦(いくさ)」(チェロキー)「戦争の兄弟」(モホーク)などと呼ばれていたことからもわかるように、それは部族間の対立を決着させる代理戦争のようなものであると同時に、それぞれの部族の国の健康と力を増進させるための、創造主から授けられたスピリチュアルな「メディスン・ゲーム」でもあった(イロコイ連合国——ホーデノショウニー、長い家の人たち——にとっては国技なのだ)。網のポケットがついた棒を手にして球を追いかけフィールドを走りまわる競技に「ラクロス」という名前をつけたのは17世紀のフランスからの渡来者たちだが、ラクロスは今もなお「北米大陸東部森林地帯」ではきわめて盛んなスポーツ競技である。

Oren Lyonsナイキ本社はイロコイ連合国ラクロス協会と提携し、この地域のネイティブ・アメリカン・コミュニティーの各種の健康とスポーツ活動のスポンサーを引き受けることになったという。支援のなかには、6ヵ国(セネカ、カユガ、オノンダガ、オネイダ、モホーク、タスカローラ)の選手で構成されるイロコイ連合のラクロスチームにたいする競技用ユニフォーム器財などの提供もふくまれる。とくにネイティブ・アメリカンの人たちは、足底の幅がヨーロッパ系の人たちに比べでかなり広い(いわゆる「ばんびろ」というやつ)ことが多く、これに対応したフットウエアの開発も期待されている。

オノンダガ国のタートル・クラン(亀氏族)の長老で信仰の守り人でもあり、大学教授で、一族の長老でもあるオレン・ライオンズも「ナイキからのサポートはわれわれの歴史なかでも重要なこと」と提携協約が結ばれた当日に語っていた。オレン・ライオンズは1950年代にシラキュース大学のラクロスチームで最優秀ゴールキーパーに選出されている。

World Lacrosse Championshipsイロコイ連合国ラクロスチーム「イロコイ・ナショナルズ」は、1990年にネイティブ・アメリカンの部族チームとしてはただひとつ、国際ラクロス連盟に「国」として参加を認められているチーム。今月カナダのオンタリオ州で開催された4年に一度のワールドカップ「2006世界ラクロス選手権大会」には、イロコイ連合国チームはナイキから提供された新品のユニフォーム一式を身につけてフィールドに立った。ラクロス世界選手権の公式ホームページをご覧になればわかるが、イロコイ連合国代表チームは、組別ではブルー・ディビジョンに入り、カナダ、アメリカ、ニュージーランド、イングランド、日本の各チームなどと対戦、今月16日におこなわれた対日本戦では13対11で日本を負かしている。 優勝はカナダチームだった。なお総当たりで日本は全敗という無惨な成績。

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Thursday, July 27, 2006

ネイティブ・ジャパニーズのカヌー

imagename水中考古学/船舶・海事史研究」という「地上の重力に魂を束縛された人間の心を解放し、水中遺跡の関心を高めていくこと」を使命としたサイトで知ったのだが、この7月18日に中日新聞が写真入りで「縄文の夢へ進水」という記事を写真入りで掲載している。「古代工法で丸木舟を完成させた」ということを伝える内容だ。記事の冒頭を引用する。

富山県小矢部市の市民グループ「桜町石斧(せきふ)の会」(山本護会長)が、古代の工法に沿って造った丸木舟が完成。「海の日」の十七日、同市クロスランドおやべの通称オアシスの海と呼ぶ池で進水式をし、四千年の時を超えた“縄文の丸木舟”の航海の無事を祈った。 (砺波通信局・鷹島荘一郎)

四人乗りで全長六・七メートル、最大幅七十五センチ。ボランティアを含む延べ約二百人が五月から携わった。航海は八月四日から三日間。小矢部川から富山湾に出て、浜黒崎(富山市)と宮崎浜(富山県朝日町)の二カ所で野営の後、ヒスイの産地・姫川(新潟県糸魚川市)まで約百十キロの“潮の道”をたどる。

このブログでかねてから何度か主張してきたが、そろそろ「縄文の丸木舟」という記述も改めるべきではないだろうか。ここはきちんと「日本列島先住民の航海カヌー」もしくは「ネイティブ・ジャパニーズのカヌー」というふうに書くべきではないのか。あるいはもっと素敵な表現があるかもしれない。それに「縄文人のイメージ」として、安直に毛皮の貫頭衣のようなものを着せるステレオタイプも、なんとかすべきではないのか。

北米西海岸沿岸地域や東部森林地帯に暮らすネイティブの人たちに話を聞くと、カヌーはわたしたちにとっての「自動車」に匹敵するぐらいのきわめて重要で効率のよい(そして公害とは無縁の)理想的な移動交通運輸の手段だったことがわかる。

日本語ウィキペディアによれば「カヌー」という名称は、「丸木舟をはじめ、木などの骨格に獣皮や樹皮を張ったスキンボート、さらには外洋航海に使われた大型ボートに至るまで、手持ちのパドル(櫂)によって操作する船の総称」だそうだ。

北米大陸の東部森林地帯で長く暮らしていたチェロキーの人たちは、典型的な森と川の人たちで、移動手段にカヌーは欠かせなかったし、非常に早い時期から子どもたちにカヌーの操り方を教えた。カヌーの操りかたや、その他の生きるための知恵は、祖父母から孫へと伝えられるのが普通だった。

彼らによればカヌーを操る人間の心得として最も大切なことは「いついかなるときにも川を敬う」ということだという。「川は、それを敬う人間の精神を強くし、はかりしれぬ喜びを与えてくれる。だがひとたび愚かな振る舞いにはしり、敬う心を忘れると、川は一変していのちを奪うものにもなる」のだと。

ネイティブ・ジャパニーズのカヌーの復元は、素晴らしいことだ。そのカヌーを操って川から海に出て潮の道を辿ることも、きっとヴィジョンを与えてくれる経験になるにちがいない。この復元された「縄文の丸木舟」が、川や海を敬う心を取り戻すための道具になることを祈りたい。

良い航海を!

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Wednesday, July 26, 2006

トウモロコシの起源を伝える話

Corn maiden

むかし、むかし。人間たちが最初に創られた当時、最初のインディアンもたったひとりで暮らしていた。

まだ火を使うことを知らなかったので、食べるものと言えば、木の根や皮や木の実だけ。最初のインディアンは次第にさみしくなり、心細くなって、仲間を求めるようになっていった。木の根っこを掘ることにも疲れて、やがて食欲もなくなり、男は昼間から地面にころがって、太陽の光を浴びながら、ぼんやりと夢を見ていた。

あるとき目を覚ますと、すぐ近くに人が立っているのに気がついた。あまりに突然だったので男は腰を抜かしそうになり、ふるえあがった。

そのとき声が聞こえた。そしてその声を聞いたとき、男はなぜだかほっとして嬉しくなり、思わず声の主を上から下までながめた。それは長い髪をしたひとりのとても美しい女性だった。

「ここにおいでよ」と男はささやいた。でも彼女はじっとしたまま動かなかった。立ちあがって彼女に近づこうとすると、彼女はさっと遠のいてしまう。男は一計を案じて、自分のさみしさを託した歌をうたい、どこにも行かないでと彼女にこころのうちを伝えた。

ようやく彼女が口を開いた。「あなたがわたしの言うとおりにしてくれるのなら、わたしもあなたの元にとどまりましょう」

男は、できる限りのことはするからと約束をした。すると彼女は彼の手を取り、乾いた草の生えている場所に連れて行った。「乾いた木の棒を二本手にとったら、草のなかでその二本の棒をできるだけ早くこすりあわせなさい」

男が言われたとおりにすると、じきに火が燃えあがった。枯れ草は火をつかまえ、矢が飛ぶよりも早くあたりに燃え広がった。大地は黒く焼けこげた。

するとその美しい女性がまた口を開いた。「太陽が沈んだら、わたしのこの髪の毛をつかんで、この焼焦げた地面の上を引きずりまわしてください」

「ええ、そんなまねはしたくありません」思わず男が叫んだ。

「いいえ、してもらいます。わたしが言ったようにしてもらわなくてはなりません。わたしを引きずり回したあとには、じきに草のようなものが生えてきます。その草の葉と葉のあいだに髪の毛のようなものが見えているはずです。やがてそこに実がなり、いろいろ使うことができるでしょう」

男は結局その美しい女性の命令にしたがうことにしたのだ。

それ以後、われわれインディアンはトウモロコシの絹糸(けんし)を見るたびに、あの美しい女性が自分たちのことを忘れていないことを確認するのさ。

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Tuesday, July 25, 2006

聖なる教示

song_continues_by_virginia_stroud

カナダのケベック州マニワキ(Maniwaki)にあるキティガン・ズィビ居留地(Kitigan Zibi Reserve)に生まれたアルゴンキン一族のセレモニアル・メディスン・キーパーであるフランク・ディコンティと、アルゴンキン国の神聖なワンパム・ベルトの守護者でありエルダーのウィリアム・コマンダのふたりによれば、天地創造に際して創造主より4つの肌の色のネイティブ・ピープルにさずけられた聖なる教示とは、以下のようなものである。

  1.  母なる地球と他の三つの色の人間の世話をすること。
  2.  母なる地球とそこから産み出されるものを敬うこと。
  3.  すべてのいのちを尊重し、すべてのいのちを尊重に手を尽くすこと。
  4.  すべてのいのちのために、心からの感謝を。いのちをとおしてのみ生存は可能となる。いついかなるときにもすべてのいのちのために創造主に感謝すること。
  5.  愛し、そしてその愛を表現すること。
  6.  つつましくあること。謙虚さは知恵と理解の贈り物。
  7.  思いやること。自分を思いやり、他を思いやること。
  8.  わけあうこと。こころのうちをわけあい、個人の関心事をわけあい、やることをわけあうこと。
  9.  正直であること。自分に対しても、他に対しても、正直であること。

以上の聖なる教示に責任を持ち、これらの教示を他の国々に広めることに貢献すべしと。

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Monday, July 24, 2006

インディアン道の道しるべ

Indian Marker Treeアラバマ州のハートセルという町のはずれの深い森のなかに写真のような、樹齢200年ほどの赤樫の樹(ノーザン・レッド・オーク)がある。恐竜のコブのようにも見えるなかなか大きな樹だが、これまでその存在が公開されたことはなかった。今回この樹のある森の所有者であるポール・プリンス氏(77歳)と奥さんのベティ・プリンスさん(72歳)が地元のメディアにこの樹の存在をあきらかにして話題になっている。

この森はもともとチェロキー・インディアンがテリトリーとしていた森で、この樹がユニークなのは、その根本の近くが大きく虹のようなかたちに人の手で曲げられているところ。ネイティブ・ピープルが自分たちのテリトリーの境界や通り道を示すために、若木のうちに石などを使ってわざわざ変形させたもので、インディアン・マーカー・トゥリーといわれている。自然とひとつになって生きていたネイティブの人たちも、木を傷めないように気を使いながら目印とするために時間をかけて変形させたりすることをやっていたのだね。

アラバマ州のモーガン郡のこのあたりは1830年ごろまではチェロキー一族のテリトリーだったところ。

next アラバマの地方紙 THE DECATUR DAILY NEWS (MONDAY, JULY 24, 2006)の記事「インディアンの道の上で」より

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Thursday, July 20, 2006

トゥー・スピリット・ピープル

featherTRANSAMERICAトランスアメリカ(TRANSAMERICA)』という映画が22日土曜日からロードショー公開される。監督脚本がダンカン・タッカーという人で、主題歌をドリー・パートンが歌っている。アメリカ大陸を横断するロード・ムービーの傑作とされるもので、主人公のブリーというむずかしい役を演じてアカデミー主演女優賞にノミネートされたのはフェリシティー・ハフマン。広告のコピーは「スカートの下に何があるかより、もっとだいじなこと。」である。鍵は「スカートの下にあるもの」で、実際なにがあるかというと、これが「ない」のだな。これは性転換手術をして男性から女性へと変わった彼/彼女が、自分の息子とアメリカ大陸を車で横断する物語だ。(右上はアメリカで公開されたときのポスター。日本ではなぜかこれが使われずに、同じような構図の別物に替えられている)

映画のなかで主人公のブリーが彼女の息子にネイティブ・アメリカンの世界における「自己の性と反対の性で生きようとする人たち」の話をして聞かせるシーンがある。ズニのような人たちは、そうしたトランスジェンダーな人たちを受け入れて、これに栄誉を与えているのだと。そういえばラコタのレイム・ディアーが語ったメディスンについての話(『インディアン魂』河出文庫)のなかにも、ラコタ語で「ウインクテ」と呼ばれる男性でありながら女性のように振る舞う人たちのことが出てくる。

ネイティブ・ピープルの世界では、生物学的には男性でありながら女性の心を持っていたり、女性でありながら男性の心を持って運命的に生まれた人たち、自己の性と反対の性に関心や興味を持つ人たちのことを、「ふたつのスピリットを持つ人(トゥー・スピリット・ピープル)」と呼ぶことがある。また英語で「berdach(バーダッシュ)」と呼ぶこともある。研究社の新英和大辞典には、これはフランス語に起源を持つもので、「(北米インディアンで)女装して女性として受け入れられているホモの男性」とぶっきらぼうに記述されている。

コロンブスがアメリカ大陸にやってくる以前のネイティブ・ピープルの世界では、そうしたトゥー・スピリット・ピープルにたいして並ならぬ敬意が支払われていた。人間そのもののあり方について普通では得られないような情報をもたらしてくれる存在なのであるから、あたりまえのことと言えば言える。トゥー・スピリットの持ち主は、どのようなヴィジョンを見たものであれ、ヒーラーであり、アーティストであり、予言者とされていた。この人たちの「聖性」は、この世界に存在するありとあらゆるものはスピリットの世界の投影であるとする彼らの世界観に裏打ちされていた。その人間が他の普通の人たちと違っているとしたら、スピリットはその人を創られるときに特にそうなるように配慮されたと、彼らは考えた。だから、そうした人たちは、自分たちよりもずっとスピリットに近い存在なのだと。

Graham Greeneはじめて新大陸に入ったヨーロッパ人の多くが、ネイティブ・ピープルの世界に、男性と女性以外に、第三の性があることを発見して驚愕している。この『トランスアメリカ』という映画で引き合いに出されたアメリカ南西部のデザートに暮らすズニというプエブロの人たちも、プロテスタントの人たちがキリスト教の教えを持ってやって来るまでは三つの性をきわめて大切にしていた。ズニでは、狩人にも戦士にもならないことを選択した男性たちを「イハマナ」と呼んでいた。「男性と女性の間に橋を架ける人」という意味だそうだ。信仰的には生物学的な性を共有する人たちの結社(ソサエティ)に属するものの、反対の性の衣服を身にまとってアーティストの工芸家として一生を過ごした。男や女というものを超越して自由に部族のコミュニティーを往き来したとされる。

映画『トランスアメリカ』には、ネイティブ・アメリカンの俳優として、『ダンス・ウィズ・ウルブス』の「キッキング・バード(蹴る鳥)」役でアカデミー賞助演男優賞にノミネートされたオネイダ・トライブ(イロコイ6ヵ国連合の国のひとつで現在はカナダにある)のグレアム・グリーン(Graham Greene 写真)が出てくる。カルヴィン・メニー・ゴーツという名前のインディアン役で、ヒッチハイクをしている主人公のブリーと彼女の息子を車に乗せてやる役柄だが、映画のなかで彼は「自分は部分的にナバホだが、曾祖父母はズニで、ナバホもズニも、トゥー・スピリットの持ち主を受け入れているのだ」と語っていた。

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Tuesday, July 18, 2006

インディアンの子どもたちはなぜ自殺をするのか?

newsリザベーションにおけるアメリカン・インディアンの若者の自殺率はアメリカの平均の2.5倍になるという調査結果が発表された。合衆国インディアン局が議会で説明したところによると、5歳から14歳までのインディアンの子どもたちの死亡原因の3番目に自殺があげられている。15歳から24歳までの若者の死亡原因では自殺は2番目に多い。自殺の原因の多くが、アルコールが原因の暴力や性的虐待など、両親の誤った生活行動にあるといわれている。子どもたちの多くは自分たちがそうした家庭環境から逃れるすべがないことに絶望して自殺をしてしまうと報告は伝えている。

Freedom to Report Real News (Sunday, July 16, 2006)
Suicides Rates of American Indian Youth on Reservations 2.5 Times Higher Than U.S. Average : Special from the Reservation Report: A Monthly Media Letter Regarding American Indian Policies By John Fulton Lewis

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Monday, July 17, 2006

パイレーツ・オブ・カリビアン

Dead Man's Chest
ジョニー・ディップ演じるジャック・スパロー船長が
カリブの野蛮人たちから命からがら逃げるシーン
in Walt Disney Pictures' Pirates of the Caribbean: Dead Man's Chest

パイレーツ・オブ・カリビアン』という活劇映画の続編「デッドマンズ・チェスト」がこの夏公開されている(写真)。前編はとてもおもしろかったし、ジョニー・ディップ(Johnny Depp)という——ジム・ジャーミッシュ監督の『デッドマン』を見て以来ぼくの好きな——俳優が主演して話題になっているのでご存じの方も多いと思う。

このウォルト・ディズニー制作の映画の続編のなかで、カリブ海の国のひとつである現在のドミニカ共和国の先住民であるカリブ・インディアンを「人食い人種」として描いたことにたいして、ドミニカだけでなくカリブ海域の島々——ギアナ、トリニダッド、プエルトリコ、ベネズエラ、バルバドスなど——の先住民の人たちから非難の声がわきあがっているのだ。

映画はこの海域でドミニカの人たちをエキストラとして大量に使って撮影された。そして撮影中からかなりの物議を引き起こしていた。カリブ一族のチーフであるチャールズ・ウィリアムズ氏は「脚本のなかに食人の風習が色濃く出されていたので訂正を求めたが受け入れられなかった」と話している。

コロンブスがはじめて遭遇したタイノ族をはじめとする西インド諸島の先住民は、非常に早い時期から「食人の風習がある」というレッテルをはられてきたが、カリブの人たちはこれを事実ではないと長年にわたって否定し続けてきた。前出のチャールズ・ウイリアムズ氏は「われわれの先祖はヨーロッパからの初期の征服者たちの侵略を食い止めるべく立ちあがったために、野蛮人であり人食い人種であるといういわれなきレッテルをはられたのだ」と語る。

現在のドミニカ共和国の人口は約7万人で、そのうち先住民はおよそ3千人だという。

ニュースソースは「The Voice of the Taino People」というカリブ海域諸島における先住民の復権を求めるブログより。

next BOYCOTT DISNEY'S PIRATES OF THE CARIBBEAN

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Friday, July 14, 2006

あなたは誰なのか?

news今日掲載するのは今年の春に創刊された『⇔special』(ティー・ブックス)という雑誌の第1号に寄稿したものである。編集部の許可をもらえたのでここに若干の修正を加えて転載することにした。なおこの雑誌は今後も不定期で刊行されるという。

あなたは誰なのか?
文 北山耕平

学生ぐらいになるとよく子どもたちは喧嘩をしたときに大声で相手の名前を呼んだりする。きっとあなたにもそういう経験があるかもしれない。そうやって相手の名前を大声で呼ぶことが、相手をとてつもなく辱(はずかし)める強力な攻撃であることを、子どもたちは本能的に知っているのだ。

ネイティブ・ピープルの多くが自分の本名を相手に明かさないのはおそらくそのせいでもある。これはネイティブ・ピープルの精神年齢が小学生程度であるからというのでは断じてなく、文明人化していると思って、互いに平然と名前を呼び合っているわれわれの精神状態の方に、少なからず問題があるような気がしてならない。

自分のほんとうの名前を相手に伝えるというのは、その相手を絶対的に信頼するということを意味する。そして相手が自分のほんとうの名前を告げるに値するかを判断するにはとてつもなく長い時間を必要とするはずである。同時に彼らは簡単に自分の名前を口にする人間を信用できないやつとして見ている。

メリカ・インディアンと呼ばれている人たちの世界に長く浸っていると、彼らの多くがいくつも名前を持っていることに驚かされることがある。白人世界で通用する名前と、彼らの世界で使われる名前とは異なっているのが普通だったりする。

ジョンだとかロバートだとかキャサリンだとかいういわゆる西洋人名前と、しばしばみんなも耳にするクレイジー・ホース、スタンディング・ベア、レッド・クラウド、キッキング・ベアといったインディアン・ネームがある。西洋人名前の多くは、19世紀後半から20世紀にかけて、彼らが強制的にリザベーションと呼ばれる居留地のなかでの生活をはじめさせられたあと、インディアン・ネームがわかりにくいという理由で、政府の台帳に登録されるときに役人たちに半ば強制的につけられたもので、アメリカ人になりつつある彼らも税金などを払うときや生活保護をもらうときにはこの名前を使う。

インディアン・ネームにも、赤ん坊のときの名前、幼年期の名前、メディスンマンがつける成人になったときの名前(メディスン・ネームといわれたりする)、髪の毛が白くなりはじめてからの名前と、ざっと数えても普通四種類ぐらいある。

ぼくにアメリカ・インディアンの世界を指し示してくれた西ショショーニ国の奥さんと暮らすチェロキーのメディスンマンは、彼の暮らすネバダのある町では「ジョン・ポープ」として知られていた。「ジョン・ポープ」というのは「ヨハネ・パウロ」という名前の英語読みである。

しかし彼はインディアンの人たちの世界では「ローリング・サンダー(転がる雷鳴)」という名前で文字通りその名を轟かせる人物だった。すでにこの世界から次の世界へ入っていってしまわれた彼のことを言う場合、人びとの多くは生前の彼に敬意を払うように「ジョン・ポープ・ローリング・サンダー」とわざわざことわったりするが、しかしそれが彼のほんとうの名前だったかどうかは、実を言うと定かではない。

イティブ・アメリカン・ピープルのなかで、その名をとくに知られるような人物の多くが、そして「戦士」としてその名を知られた偉大な存在のすべてが、「絶対に誰にも明かしてはならない名前」という特別な名前を持っているのが普通とされてきた。この「絶対に誰にも明かしてはならない名前」を知っているのは、本人と、親と、その名前をつけた人物に限られていた。彼はおそらくその名前を最後まで明かさないで、地球の旅を終えた。そして最後まで明かさない名前を持っていることが、おそらくその人間に、計り知れないほどのとてつもない魔法の力を与えていたのだ。

そろそろ親がつけた名前だけで生きるのをやめてみるのはどうだろうか?

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Sunday, July 09, 2006

謹んでお知らせ申しあげます

謹啓

2006年7月11日(火)14:00から翌々日7月13日(木)14:00までの約48時間にわたる大幅改修工事を、このブログがスペースを有料で借りているココログ(@Nifty)のなかの人がおこなうと宣言しています。トラフィックの量の増大に対処するための集中工事のようです。その影響で、ここ数日アクセスしにくい状態が続いており、とても新しい記事をアップする気分になれません。コメントやトラックバックの許可をするのが精一杯です。読者の方にはご迷惑をおかけしますが、なかを読む分にはそれほど理不尽な重さにはならないのではないかと甘い想像をしておりますものの、何はともあれあらかじめご不便をおかけすることをお詫びしておきます。14日までは様子見ということで。

北山耕平 敬白

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Wednesday, July 05, 2006

ハワイィはどこにあるのだろう?

日々是布哇1980年代に、ハワイに長いこと滞在したことがある。それ以前にぼくはアメリカ大陸のなかをいろいろと放浪して回っていたが、ハワイだけは足を踏み入れたことはなかった。アメリカに渡るときも、帰るときも直行便を使うようにしていたし、ハワイというところにいけば必ず好きになることがわかっていたから、ゆっくりと時間がとれるまでそこに行きたくはなかったのだ。はたせるかなそれ以来ぼくはハワイのことが忘れられなくなってしまった。

ハワイの各島を巡り歩き、いにしえのポリネシアの人たち(海の人になったモンゴロイド)の信仰などを確かめるうちに、環太平洋的にある種の信念体系のようなものが広まっていた時代があるのではないかと思うようになった。南北アメリカ大陸も、アラスカも、カムチャツカも、千島列島も、日本列島も、アイヌモシリも、太平洋諸島も、ミクロネシアの島々も、インドネシアの無数の島も、フィリピン群島も、花の島である台湾島も、オーストラリアやニュージーランドになっているところも、全部が同じようでいて少しずつ異なる文化を花開かせていた前の時代(歴史以前のもうひとつの世界)があったと、今では考えている。ぼくが強く心惹かれるのはどこに行ってもその「前の世界」へ続く古く細い道であった。

今回『日々是布哇(ヒビコレはわい)』という本を太田出版から上梓した。ひとりのハワイ島で暮らすネイティブ・アメリカンの血とスピリットを受け継いだ女性が、ハワイで暮らすということとはどういうことかを、土地のスピリットとつながる黙想のなかで紡ぎ出した不思議な力(メディスン・パワー)のある言葉の本である。急ぎ足の観光旅行では見つけることができないもうひとつのハワイのなかへ旅をしたり、今自分のいる場所を「ハワイ」というよりより正しい呼び名で「ハワイィ」とされる場所に変えてしまいたいと望む人の手に渡ることを願う。

日々是布哇本文頁実際にハワイに行く前に読み、ハワイに滞在している間に読み、ハワイから帰ってきてから読み、毎日少しずつ自分の心の状態をハワイィにしていってください。これらの366の心に働きかけるタペストリーのような言葉を長い時間かけて編み出したデブラ・サンダースさんと、ひとつずつそれにふさわしい図案(左図クリックで少しだけ拡大)を描いてくれたイラストレイターの長崎訓子さん、そして持ち運ぶのに絶妙な重さの本をデザインしてくれた新進デザイナーの有山達也さんには感謝の言葉もない。これを読んだ人の心が少しだけ幸せに近づけるのなら、この本は役目を全うしたことになる。

以下に掲載するのは同書の前書きそのまま全文である。

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嵐の神、日本列島へ

ewiniar751台風3号は国際的な名前をイーウィニャ(EWINIAR)」といい、これはミクロネシアの言葉で「嵐の神」を意味するのだとか。名は体を表すとは古くからいわれていることで、この台風はとんでもなく強力らしいです。日本の気象庁の台風予報では、オキナワにいつ頃近づくかなどとやっていますが、米軍合同台風警報センターの情報(図をクリックで拡大されます。7月5日早朝の予報図)は、すでに日本の九州から四国中国地方直撃を伝えています。今年最初にやってくる嵐の神は、どんなメッセージを運んでくるのでしょうか? ご用心あれ。

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Tuesday, July 04, 2006

八ヶ岳でジャンピングマウスを聞く絶好の機会

Jumping Mouseあいにくわたしはいけないのですが、7月15日の土曜日に長野県原村にある八ヶ岳美術館で「地球といのちのものがたり」と題して古屋和子さん(語り)とのなかかつみさん(インディアンフルート)のユニットによる「ジャンピング・マウス」のストーリーテリングがおこなわれます。昼は天気がよければ美術館周辺の自然のなかで古屋さんによる自然についてのお話も聞けるそうです。八ヶ岳の自然のなか、耳を澄ましてジャンピング・マウスの世界に浸ってみてください。なおジャンピング・マウスはこのあと信州の旅を続けて、南信州を周る予定です。

詳しいことは「八ヶ岳美術館だより」サマーイベントの案内サイトで。

next 「八ヶ岳美術館だより」サマーイベントの案内サイト

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こんな白々しいカードもあったのだね

Fourth of July Postcards コレクション


4th of July Native Postcard

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必ず失敗するための10の方法

たまたま見つけた必ず失敗するための10の方法

  1. 目標をしかとさだめない

  2. 目標を頭に思い描きにくくする

  3. 目標のことを常に否定的に考え否定的に話す

  4. 段階を踏んで計画を立てることを避ける

  5. やらないで、話せ

  6. やる気になるまで待つ

  7. 目標達成に期日を設けない

  8. なぜ不可能かについてのリストを作成する

  9. 目標についてのリサーチはしない

  10. なんであれ目標以外のことを考える

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Monday, July 03, 2006

言葉とスピリット

人は誰しも、時として言葉によって洗脳され、あざむかれる。だがそうした言葉で真の戦士たちのハートをいつまでもいいなりにさせておくことなどできない。
——ショーニー一族の詩人、作家、ミュージシャンである
バーニー・ブッシュ(Barney Bush)の言葉


きっと言葉そのものには本来意味はないのだ。ほんとうの意味を表しているものは、その言葉の背後にあるスピリットであり、その言葉が送り出された意図である。もしわれわれが戦士であるのなら、われわれはおのれの存在の中心で、投げかけられた言葉のほんとうに意味するものを、感じ取ることができるだろう。

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Sunday, July 02, 2006

輪の王国の物語

『レイム・ディアー』(現在は『インディアン魂』というタイトルで文庫に上下巻で収録されていて、先頃重版になった)というとてつもなく愉快なラコタのメディスンマンが半生を語った本を飜訳したとき、ぼくは後書きに「この本はまるまる一冊差別について記された本である」と書いた。アメリカ・インディアンの世界に足を踏み入れて、あるいは地球に生きる少数民族とされる人たちの世界に足を踏み入れたら、遅かれ早かれさまざまな形で差別の問題と正面から向かいあわなくてはならなくなる。

少なくてもネイティブ・ピープルの価値観においては、「みなが同じでなければならない」という考え方は存在しない。それは彼らが自然(にあるすべてのもの)を、文明人だと思いこんでいるわれわれより細部にわたってことこまかに見る人たちであり、その結果この世界には同じものがふたつとして存在しないことを頭でなくハートで知りぬいているからだ。すべてが異なっていながら調和を持って繋がりあう世界では、当然のことのように個々の違いは大切に敬うべきものとされている。同じ葉っぱが二枚としてないように、同じ人間がふたりは存在しないように、人はそれぞれに違っているのが自然なのである。人々はその違いに応分の敬意を払う。

そこで今回もまた映像を見てもらおうと思う。「輪とその友だち」という タイトルでGoogle Video BETA からの作品だ。これには言葉が出てくる。言葉がわからないと話の筋がわからないので、はじめに言葉の部分をとりあえずぼくが試験的に日本語にしたものを読んでおいてほしい。このお話のあらすじがわかったら、下の映像をご覧ください。日本語の部分はそれぞれのシーンに出てくる言葉に対応している。

輪と その友だち

昔、輪の王国がありました。

ある日、人気があり、でも意地悪な
オレンジの輪が、他の輪たちにいいました。
紫の輪はよくない、と。

紫の輪は仲間はずれにされた気分。
それはとても悲しいことで
自分にはなぜオレンジの輪が
そんなことをいうのか理解できません。

紫の輪がよくないと
オレンジの輪に告げられた他の輪たちは
その理由がのみこめなかったのですが
でも多くはオレンジのことを信じました。

他の輪たちは紫の輪をからかいましたが
ピンクの輪だけはそれに加わりません。

ピンクの輪は紫の輪が好きでしたから
紫が悪くないことを知っていたのです。
ピンクの輪は他の輪たちに向かって
紫の輪が悪くないことを伝えました。

オレンジの輪ははみなにいいました。
ピンクの輪も悪いやつだと。
まもなく他の輪たちは
紫とピンクの輪をいじめるようになりました。

いじめに加わっている輪のほとんどが
なぜ自分がピンクと紫の輪をいじめているのか
わかっていませんでした。

黄色い輪が気がつきました。自分は
紫の輪もピンクの輪も好きだったことを。
紫の輪もピンクの輪も悪くないことが
黄色の輪にはわかっていたのです。

オレンジの輪はみなにいいました。
黄色い輪もいけないやつだと。

ピンクの輪と紫の輪と黄色の輪は
新しい王国を作りました。三つの輪は
ひとつの輪が、他の輪の考えることや
好き嫌いに口を出すようなところに
とどまりたくはなかったからです。

輪の王国ではあいかわらず
ピンクと紫と黄色の輪のことを
あれこれと言いあっていました。
輪のなかには、なぜオレンジの輪が
他の輪のことをそんなに悪くいうのか
わからないものもいましたが
こわくてそのことを口に出せません。
そんなことを言えば自分がいじめにあうからです。

王国に残っている他の輪たちは
オレンジの輪の機嫌を損ねるのを
おそれていました。自分がいじめられたくないので
みな口を閉じたまま、恐怖のなかで暮らしていました。

ピンク、紫、そして黄色の輪は
新しい自分たちの、自由で平和な王国で
とても幸福に暮らしました。

これは友だち関係と、仲たがいと
受け入れることと、偏見と
リーダーシップと、勇気と
いじめと、集団と,忠誠についての
物語です。

あなたはどちらの輪にいたいですか?

ピンク・リボン・エミー・プロダクション制作

The Circles

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Saturday, July 01, 2006

一日のはじめ方

サイドバー巻頭の Peace な写真を差し替えた。今月は「Offering」を選んだ。以前にも紹介したことがあるかもしれない。「Offering」とは「ささげもの」のことである。このままでは遠景でよくわからないが、写真を大きくして良く見ると、岩山の中腹の岩場の上にひとり立ち、容れ物に入っているすりつぶしたトウモロコシ——一族にスピリットを与えてくれる穀物——の粉をつまんで大地にささげている青年の姿がわかる。青年はサン・イルデフォンソ・プエブロの一員。ニューメキシコ州に暮らす農耕定住の民の部族のひとつサン・イルデフォンソは、もともとは北アリゾナのブラックメサの近くのメサ・ヴェルデというところで暮らしていたが、環境の激変が原因でニューメキシコに移り住んだという。この一枚は1925年にエドワード・カーティスが公開した写真。「ひとつまみのコーンミールを無数のテワの神々——おそらくはそのなかの特に太陽神——にささげるべく宙にまいている図で、一日のはじまりにおいてはごく普通に見られる光景」である。ささげものをすることがあらゆる祈りのはじまりであることを覚えていたい。偉大な存在を前にして、ひとつまみのトウモロコシの粉、煙草、セージなどをささげる。そして声に出して思いを伝える。ささげるものがなにもなければ、小銭でもかまわないから、とにかくなにかを差し出すようにと、ぼくはある長老からいわれたことがある。まず差し出すことから、祈りははじまるのだと。きっと「お賽銭」も、こうした風習が変形したものなのだろう。

写真をクリックすると拡大されるし、拡大写真の下にある「Higher resolution JPEG version」をクリックすると、より解像度の大きな鮮明な写真が見れる。青年にとって、高みにのぼりのぼってくる太陽にトウモロコシの粉をささげて声を送ることが日課なのだ。気が遠くなるぐらい昔から続けられてきた地球に生きる人の一日のはじめ方——。

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