輪を巡る旅はさらに続く
富士山麓山中湖におけるWPPD2006を無事に終えて、大きな満足感と共に真夜中の2時頃に車を走らせて帰宅した。山中湖の会場にお集まりいただいたざっと300人近くの人たちに、スタッフのひとりを勤めさせていただいたものとしてあらためてここにお礼申しあげる。2004年にはじまった富士山のWPPDは、ラコタのスピリチュアル・リーダーのひとりであるアーボル・ルッキング・ホースのヴィジョンと、えびはらよしえさんというひとりのクランマザー的な存在の大きな夢から紡ぎ出された祈りのための場で、そのおかげで一切の商業主義も暴力もそこには介入することもなく、ピースな輪は広がり続けている。
2004年のあの「雷の母」と呼ばれた優しい台風の中の伝説のWPPDにおいて、おそらく参加した3000人近いすべての人たちが感じたある種の精神が、日本列島に着実に根を生やしつつあることを改めて確認できたことは喜びだった。昨日午前6時頃車を走らせて富士山に向かっているときに、いきなりその姿をくっきりとあらわしてくださっている御山を仰ぎ見たとき、今日は「死ぬには良い日になる」と確信した。山中湖畔に着いたときには空を舞う1羽の鳶に歓迎され、確信はさらに深まった。はたせるかな昨日は終日おだやかな晴れが続き、午後には夏至の太陽にぼくたちはしばし照らされ続けた。
森に人々が近づいたことを警戒する子育て中のアカゲラの両親の鳴き声と、ときおりセイクリッド・マウンテンに撃ち込まれる「自衛隊演習場」の大砲の音を遠くに聞きながらの、いのりの集会自体に印象に残ったことはたくさんあるが、コエン・エルカさん(20年前にイレーヌ・アイアン・クラウドという名前でぼくの前に現れた女性)の「いのちあるものをムダに殺すのではない」というメッセージは、しかと人々のハートに送り届けられたと思う。古屋和子さん+のなかかつみさんによる「ジャンピング・マウス」の物語が終わって、いのりの輪が形作られ、それぞれに手渡されたセージや煙草やシダーを中つ火にくべ終わったときにはすでに陽が暮れかかっていたが、今回もまた誰もにその場を去りがたいような力が働いていた。
このブログ『Native Heart』はもともとWPPD2004(富士山西側・自分をあけわたす場・ありのままの自分を受け入れる場所)の夏至の日ためにたちあげたもので、前回WPPD2005(富士山南側・太陽が高くのぼる方角・秋と冬に備えるための場)、今回WPPD2006(富士山東側・新しい日が最初にこの世界にやってくる方角・すべてがはじまる場所)と富士山の裾野を、祈りの場が聖なる魔法の輪(メディスン・ホィール)を周るにつれて、アクセス数も順調に増え、現在では総計32万アクセスを超えている(もちろんそんなにあてにできる数ではないと思うが)。わたしはネイティブ・アメリカンという存在そのもの、地球に生きる人たちの存在そのものが、一種の「教育」だと考えている。それはけして学校では学ぶことのできないはるかにリアルな教育だ。この意味で問題となった『リトル・トゥリー』という本の原タイトルが「リトル・トゥリーの教育」というものであることは考えさせる。あの本は誰がなにを子どもに教えようとしているものなのだろうか?
この問題を考えると長くなりそうなので、『リトル・トゥリー』という本による「あなたの教育」については、いつか自分の頭でご判断いただきたい。そのための資料となるものはこのブログのなかにいくつも提示してある。閑話休題(それはさておき)、アメリカ・インディアンの世界、地球に生きる人たちが今の世界に組み込まれる前の、前の世界においては、おそらく部族社会はそのままひとつの大きな教育組織として機能していたのだと思う。構成員のすべてが先生となって、未来の世代を育ててきた。子供たちは一日24時間を自然のなかの学校で学びながら——文字を媒介にすることなく——育つ。すべての大人は人間としての生き方を体現する存在だった。そして目に見えないものを目に見えるようにして子どもたちの目と耳と頭とこころに送り込むのは、誰もがストーリーテラーであるすべての大人の役目であることが共通認識として行き渡っていた。それは部族の存続にかかわる大きな問題だったからだ。教育を部族共同社会から「国家」がとりあげて、独自に「(幻想の)国家を愛する子供たち」を——おそらく誤った文字の使い方で——育成しはじめたとき、数万年続いた前の世界は崩壊しはじめる。
アメリカ・インディアンについて学ぶことは、自分で自分にたいしておこなう教育、言い換えれば「集団がこころをひとつにして人の道(THE WAY)を学ぶこと」である。どの国家でも、国家が教育のなかに「ネイティブであることの学習」を組み入れることは、よほどの意識革命でも起こらない限り、しばらくはないように思う。わたしは「地球に生きる人とはいかなる存在か?」「彼らは世界をどのように見、感じ、認識していたのか?」「もう一度わたしたちが地球に生きるただの人に戻る道はどこにあるのか?」そうしたことを学びたいと思いたったときに、その欲求にこたえられるような情報を手に入れられる場をインターネットの上に作りたいと思った。なぜなら、インターネットの勃興期から、ことのほかネイティブ・ピープルたちの存在が元気だったから。よく考えてみればわかることだが、インターネットを手に入れるまで、ネイティブ・アメリカンの諸部族の人たちの声がメディアに乗って世界に届けられることなど全くなかったのだ。そしてこのことについては、項目を改めて明日にでも書こうと思う。今日はまだ昨日の余韻に浸っていたい。
追記 昨日の午後8時ごろに山中湖(専修大学セミナーハウス付近)で熊が目撃されたことが「山中湖情報創造館ブログ6月21日」で話題になっている。熊が出るというのを、なぜかいやがる人が多いし、目撃しただけで声高に銃殺を叫ぶ人がいるが、ネイティブの人たちの価値観においては熊はもともと「吉兆」であり「特別な力」の象徴とされている。熊は聖なる場所がすぐ近くにあることを敏感に察知して教えてくれるヒトなのである。もちろん季節や気温によっては危険な場合もあるが、夏の熊は危険ではない。その熊はWPPD山中湖のことを知っていたのかもしれない。いや、冗談ではなく、さ。 ^^;
「Sharing Circle (Infos)」カテゴリの記事
- トンボから日本人とアメリカインディアンのことを考える(2010.09.03)
- ジャンピング・マウスの物語の全文を新しい年のはじめに公開することについての弁(2010.01.01)
- ヴィレッジヴァンガード 下北沢店にあるそうです(2009.12.30)
- メリー・クリスマスの部族ごとの言い方
(How to Say Merry Christmas!)(2009.12.24) - 縄文トランスのなかでネオネイティブは目を醒ますか 27日 ラビラビ+北山耕平(2009.12.16)
The comments to this entry are closed.
Comments
山中湖には早朝雨が降りました。
何か興奮していた気持ちを静めてくれるような雨でした。
雨は上がり、10時過ぎにスタッフの皆さんに
あたたかく見送られて東京に戻ってきました。
帰宅して、このブログを読むことで、
私もようやく我に返り、またこれから続いていく
旅の心の準備ができたように思います。
熊のニュースも!!
ありがとうございました。
Posted by: Y.Shima | Thursday, June 22, 2006 03:46 PM
日ごろ考えていたことを北山さんが、事細かに書いて下さっていて、読み進みながら「そうだ、そうだ!」とうなずきました。次回の書き込みが又楽しみになりました。
WPPD2006のご成功のお知らせ、ありがとうございました。
私は夏至の日は、自宅で祈りました。
また来ます。では。
Posted by: Sweet_grass | Saturday, June 24, 2006 11:27 AM
いつもブログを読ませてもらっています。
初めてのコメントです。
夏至の夜雷雨の中を子どもたちと
ランプの灯りですごしました。
クマもそろそろ周辺にその気配を感じさせる
岩手の山奥に住んでいます。
「全ての大人は人間としての生き方を体現する存在だった」
非常に共感し、またそんな環境の
真っ只中にいる私としては、嬉しく
確実な言葉として響きました。
どうもありがとうございます。
Posted by: yama | Sunday, June 25, 2006 07:20 AM