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Friday, June 30, 2006

ベア・ビュートに降りかかるさらなる試練

Bear Butte Westface

北米の平原インディアンにとって最も神聖な山のひとつとされ、また神聖な目的(静寂さのなかにおける瞑想や儀式やヴィジョン・クエストなど)でのみ使われてきたブラックヒルズのベア・ビュート山の麓に位置する現在のサウスダコタ州のスタージスという町の近くに、先の記事(参照)でお知らせした巨大娯楽酒場ばかりか、今度は火器や銃器(ピストルから自動小銃まで)の射撃場が作られることになった。これにたいしてラコタをはじめとする平原インディアン諸部族の人たちは1851年のララミー砦において締結された先住インディアン国とその民との条約——合衆国憲法第6条に基づいて先住民はブラック・マウンテン(ブラックヒルズ)地域を自由に通行できるようにこの地域は守られるときめられたもの——に違反しているとして抗議の声を再びあげている。

けたたましい音をたてる大量殺戮のための兵器をもてあそぶ場所が、手つかずの自然が残る、美しくて、かつまた神聖な場所に作られることは、神聖さと静寂さにたいするはなはなだしい冒涜であり、罰当たりなことであることは言うを待たない(そういえば「国を愛するはずの軍隊」がその国の一番神聖な山に毎日大砲を撃ち込んでいる国もあるな)。

先住インディアンの国の民は、サウスダコタ州にたいして、州に暮らす人間が、攻撃的、破壊的、醜悪な商売を、このベア・ビュート(熊の岩山)や、他の同様の場所であるたとえば「ホー・コカ」(白人が「ハーネイ・ピーク(Harney Peak)」と名づけた山で本来の呼び名は「世界の中心」を意味する場所)や、「悪魔の塔(デビルズ・タワー)」と白人たちが勝手に呼んでいる「グレイ・ホーン・ビュート(灰色の角の岩山)」などのちかくではじめることを止める手段をこうじるよう求め、広く世界の人たちにそのための合衆国政府にたいする請願書への署名を求めている。

上のベア・ビュートの写真をクリックするか「Save Bear Butte」の合衆国政府への請願書のサイトへ。請願書には、ここにかいつまんで書いたようなことが記されているので、ざっと読まれたら「Click Here to Sign Petition」で署名ページに移動してください。

next 「Save Bear Butte」合衆国政府への請願書サイト

まず常識がある人間なら、バチカンの教会の隣や、イスラエルの嘆きの壁の近くや、奈良の大仏の正面に機関銃の射撃場のようなけたたましい施設が営業されているところを誰も見たくはないし、望まないはずである。

いやはや同じような事が世界中の聖なる山では起こり続けているのだな。日ごと山腹に大砲が撃ち込まれる音を聞きながら富士山のそばに暮らす人たちの気持ちはいかばかりか。聖なる山とのつきあい方を、われわれもまた学びなおさねばならないのかもしれません。

間に合えばよいのだが。

feather追記 きたる7月4日の早朝、夜明けの儀式を皮切りに、ベア・ビュートを防御し、守護し、防衛するための国々の集会[Protect - Preserve - Defend Mato Paha Gathering of Nations]がベア・ビュートにおいて開かれる。このギャザリングを招集したのは"Black Hills Sioux Nation Treaty Council"と "Owe Aku"、そして "Intertribal Coalition to Defend Bear Butte"の三つのグループだ。"Owe Aku"は「あの道に帰ろう」という意味のラコタ語で、この組織をオーガナイズし、「ベア・ビュート防衛」というサイトを立ちあげているラコタのデブラ・ホワイト・プルームは、この集会を呼びかける6月28日付の声明をつぎのようにしめくくっている。

いろいろな意味でこれ(マト・パハ——ラコタの人たちのベア・ビュートの呼び名——を守ること)はわたしたちにとって最後まで守り抜かなくてはならないものなのです。わたしたちの聖地が彼らによって一掃されることは、わたしたちの国が消滅するに等しいのです。母なる地球と、わたしたちの聖なる土地とのつながりや絆がなければ、わたしたちはもはやラコタではあり得ません。わたしたちは平和あふれる野営地におもむき、世界の四つの方向から親戚縁者を招集し、共に頭を寄せあい、わたしたちの未来や後に続く未来の世代のために重要な決定をくだします。わたしたちはじゅうぶんな敬意を払いながらわたしたちの聖なる山におもむき、彼女を守護し、そこで癒しをいただきます。この先住民にとってきわめて重要なときに、志を同じにするものたちは、共に集い、勇気をふりおこし、わたしたちの聖なる場所とわれわれの命運を守るために共に立ちあがろうではありませんか。
——デブラ・ホワイト・プルームの声明の一節

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Thursday, June 29, 2006

パウワウの季節到来!

Powwow dance7月の1日と2日の2日間、ノースカロライナ州の西、スモーキー・マウンテン山麓に位置するチェロキー・インディアン東部組織( The Eastern Band of Cherokee Indians)が恒例のパウワウを開催する。部族を超えた夏の集会とまつりで、賞金のかかった踊りや太鼓の競技大会も開かれ、アメリカやカナダなどからさまざまな部族に属する工芸作家たちがハンドメイド・ジュエリーや衣装などの店をこぞって出店するなど、たいへんなにぎわいを見せるイベントだ。(写真をクリックすると大きくなる)

このイベントの開催を告げるスモーキー・マウンテン・ニュースという地元の新聞(6月28日号)によれば、チェロキーの伝統にはしかし「パウワウ」はもともと存在しなかったらしい。でも北米大陸各地で多くの部族がパウワウという名前で毎年集会を開くようになって、チェロキーの人たちも部族を超えたインディアンのまつりとしてのパウワウに目覚めたという。

パウワウのほんとうの意味は

日本でも最近は「パウワウ」という言葉が「まつり」のかわりに使われることもあるけれど、「パウワウ(powwow)」と言う単語は、ネイティブ・アメリカンのナラガンセット一族の使っていた言葉で、本来は「シャーマン(呪医)」を意味するものか、もしくはアルゴンキン語の「パウ・ワウ(pau-wau)」「パウアウ(pauau)」からきていて、こちらは「さまざまな平原インディアンの部族のメディスンマンやスピリチュアル・リーダーたちの集会」を指し示す言葉だったと言われている。

パウワウが起源は謎に包まれているが、ものの記録によれば今からおよそ400年ほど前のある日、まだ南北に分けられていなかったダコタで平原インディァンのオマハの人たちがこれをおこない、これが後にオクラホマ一帯に広まって、いくつもの平原インディアンの部族のなかの「戦士社会(ウォリアー・ソサエティ)」が、戦いの勝利を祝う踊りの場としてこれをとりいれたらしい。今のようなお祭りスタイルの部族を超えたインディアンの集会のパウワウは1890年代にモンタナ州ではじまったといわれてはいるものの、実体はよくわからない。当時アメリカ合衆国はどんなものであれ先住民のまつりや集会を法律によって堅く禁止していたために、そうした集会がおこなわれたとしてもすべてがアンダーグラウンドなものにならざるを得なかったからである。

パウワウがネイティブの部族の間で盛んになるのは第二次世界大戦が終わった1950年代、そしてインディアンの精神復興と権利回復運動が高まりを見せた直後の1980年代、1990年代で、そのころからのパウワウは、自分たちの伝統的な価値観やアイデンティティを祝うものに変わってくる。そして21世紀になった今では、ネイティブ・アメリカンのパウワウは実にさまざまなところで、短いもので1日きりのものから、一週間も続く長く楽しい大きなフェスティバル的なものまで、いろいろとおこなわれるようになった。

Cherokee Nationチェロキーの人たちのことや、このパウワウのことなどに興味がある人はノース・カロライナのチェロキーの公式ウェブサイトをたずねてみてください。写真や図版がたくさんあって楽しめます。ちなみにこのブログにしばしば登場するローリング・サンダーという名前の今はなきグランドファーザー/メディスンマンもこの土地、スモーキー・マウンテン山麓の出身です。彼はなくなるまでチェロキーの象徴でもある七芒星(ななぼうせい・セブン・ポインテッド・スター)のマークを身につけていました。

next Cherokee North Carolina

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Tuesday, June 27, 2006

PEYOTE HEALING(ペヨーテの癒し)

PEYOTE HEALING

PEYOTE HEALING
Edited & Directed by J. Myztico Campo
Inspired by the ROBBIE ROBERTSON's (The Band) CD
Titled, "Contact from the Underworld of RedBoy".
Presented by WildChildAlienFilms

YouTube のアーカイブからもうひとつ。モホークの母のもとカナダのリザベーションで育ったロービー・ロバートソンの「赤い少年と地下世界からのコンタクト」と訳せるタイトルのアルバムにインスパイアされて作られた実験映像作品だが、ネイティブ・アメリカン・チャーチと呼ばれるネイティブの人たちのペヨーテの世界のリアリティをうまく伝えている。ペヨーテ——北米大陸南部のチワワ沙漠でとれる幻覚性の薬用サボテン——を信じる人も、ザ・バンドを名乗って世界に影響を与えた偉大なロックバンドの創設者で、ソングライターのロービー・ロバートソンというネイティブ出身のアーティストを信じる人も、どちらも楽しめると思う。「ペヨーテのなかには全世界が入っている」というあるメディスンマンの言葉を思い出した。もしよろしければカルロス・カスタネダ的な世界をお楽しみください。(6分41秒の作品)

next YouTube - PEYOTE HEALING

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Monday, June 26, 2006

ペルティエから届けられた声

news今から31年前の今日、1975年6月26日にレオナルド・ペルティエという名前のチペワとラコタの血を受け継ぐ青年が、ふたりのFBIの人間を殺害した容疑で逮捕された。多くの人たちが彼の無罪を証言したし、彼自身も一度も殺害を認めたことはなかったが、彼は無実を主張したまま刑務所に閉じこめられ続けている。彼のことについては「ペルティエに自由を!」サイト(日本語)に詳しい。以後毎年6月26日には彼の釈放を求める集会がおこなわれてきた。今年の集会のために彼が獄中から送ってきたメッセージの一節を紹介しておきたい。

「この世にひとりでも飢えている人間がいる限り、虐待を受けている人間がひとりでもいる限り、無理やり戦場に送られて死に追いやられている個人が唯のひとりでもいる限り、罪なくして牢に押し込められている個人が唯のひとりでもいる限り、またその信じるもののことで迫害を受けている個人が唯のひとりでもいる限り、われわれの勤めは終わらないことを忘れないようにしよう」

next Leonard Peltier Defense Committee Official website
*このサイトの入口には彼が不法に拘留されてからどのくらいの時間がたったかを秒刻みで教えてくれる時計が設置されている。

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「パワー・オブ・ストーン」の後書き

Power of Stone今日掲載するのは、今月の上旬に荒地出版社から刊行された小生の本『パワー・オブ・ストーン—石の力と力の石』のあとがきの全文である。もともとこの本の母体となったものは、以前に新人物往来社という出版社から出ていた精神世界を扱う雑誌『AZ』のために書いたもので、パワー・ストーンのブームなどもあって、これまでに同社が刊行するムックなどに多くの部分が再録されるなどしてきた。今回、最初の時に収録されただけで以後収録されることのなかった「ストーリーテリング・ストーン(話をする石)」というセネカ・インディアンに伝えられた民話を収め、さらに一章を新たに書き加えるなどし、刊行することができた。石に対する信仰は、世界各地のネイティブ・ピープルに共通してみられるもので、その残りかすはぼくたちの中にもかろうじてある。石に対する思いはわれわれの内側に宿っている。あなたは旅先で気になって仕方のない石を見つけたことがないだろうか? あるいは巨大な石の前で、またはそのうえで長いこと座って過ごした経験はないだろうか? この本は無意識に石とのつながりを求める精神のための書である。どこかに自分を待っている石があると感じている人におすすめ。それでは、『パワー・オブ・ストーン—石の力と力の石』のあとがきを「つづき」でどうぞ。

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Sunday, June 25, 2006

本日は「カスター最後の日」

「われわれはひとつになって闘わなくてはならない。さもなければわれわれはひとりひとり別々に殺されるだろう。兵隊たちは銃を撃ちながらせめてくる。連中ののぞみは戦争なのだ。ならばその戦争とやらをくれてやろうではないか」
——シッティング・ブルの言葉。
リトル・ビッグ・ホーンに集結した1万人以上のインディアンを前にして

130年前の1876年6月25日。世に言う「リトル・ビック・ホーンの戦い」がおきた。シッティング・ブルやクレイジー・ホースらとアメリカ陸軍第七騎兵隊のジョージ・カスター大尉が闘って、「カスターが打ち負かされて絶命した日」だ。インディアンたちにとっては「偉大な勝利の日」であったが、対インディアン戦争においてアメリカ陸軍最悪の日とされている。

この事件がきっかけとなり、アメリカ政府は以後対インディアン強硬政策を推し進めることになり、5年もしないうちにラコタとシャイアンの大半が居留地に収容されることになる。クレイジー・ホースは1877年に許可なく居留地を離れたという理由で殺され、チーフ・シッティング・ブルは3年後の1880年にラコタの部族警察官の手で殺された。

下の図版は1876年6月25日の1日のリトル・ピック・ホーンの闘いを図解したもの。

Battle of Little Big Horn

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Saturday, June 24, 2006

ウィヌトゥの人たちの戦の踊りは続いている

wintuカリフォルニアの最北端にそびえる聖なる山のマウント・シャスタの南麓を太平洋に向かって流れるマクラウド川の流域を先祖伝来の地として守ってきたウィネマム・ウィヌトゥ(Winnemem Wintu)一族が、よりによって自分たちが聖地と見てきた土地にはいることを拒絶されて窮地に立たされている。アメリカ合衆国政府の森林監督局が、彼らの聖地をキャンプ場としてシャスタ・リクリエーション・カンパニーという一民間企業に預けたかたちになっていて、部族が使用料を支払うことを拒絶したために、立ち入りを認められなかったもの。歴史がはじまる前から自分たちが聖地として守り続けてきた土地にはいるのにお金が必要になるなんて、彼らは考えたこともなかったにちがいない。

部族の土地の多くが、部族の徹底した抗議運動にもかかわらずシャスタダムが完成して水没し、残された限りある土地のなかで彼らは現在生活を余儀なくされている。ところが今月、月と太陽のサイクルにあわせて一族の聖地で女の子が大人になることを部族で4日と4晩続けて讃えるための大切な儀式を行おうとして禁止されてしまったのだ。儀式は川と川の両岸を使って執りおこなわれるもので、まずは大人になる女の子たちが川の片方の岸で3日間野営をして心身を清める。一族のおばあさんが彼女たちのもとを訪れるから、彼女たちは大人になるための岩と呼ばれる聖なる岩のところで薬草のすりつぶし方などを学ぶ。夜空の月が満月を迎える4日目、少女たちは川を泳いで横切り、対岸でおこなわれている部族の踊りの輪に加わって、そこではじめて一人前の女性として歓迎されるのである。

部族はこの一族にとっては大切な儀式を無事におこなえるよう、キャンプ場の実質的なオーナーである合衆国森林局にたいして、4日間のキャンプ場の無料の貸し切りを要求するなどさまざまに手を打ってきたが、1000ドルの使用料が支払われないという理由で拒絶されてしまった。信仰の自由が侵されているとして抗議をしたものの受け入れられなかった模様。21世紀が始まったばかりなのに世も末ではありませんか。

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HOPE (Visions of Whitefeather)


HOPE
Visionary Willy Whitefeather
Directed by Catherine Margerin, produced by Luna Media.

YouTube に格納されている映像の一本を紹介させてください。これまで動画を紹介したことがないので、うまくみんなが見れるかどうか不安なのですが、これはぜひみんなに見てもらいたいと思えるものなので、あえてここで紹介に踏み切りました。画像中央にある〇の中の三角をクリックすると映像が開始されます。WPPD2006山中湖の余韻があって、2回続けて長いのを書いちゃったので、今回の紹介は手短に。

この「HOPE」(希望)というタイトルの短編は強力で、魔術的で、ネイティブ・アメリカンの予言的な世界をアニメーションなどで素敵に表現しています。内容は見てもらえばわかりますが、ホピの予言のようでもあり、ぼくたちがいつの日にか母なる地球のうえで平和の道を見つけられるかの可能性について訴えかけてきます。ウイリー・ホワイトフェザーというブラック・クリーク・チェロキー一族のチーフであり、ストーリーテラーであり、作家でもあるアリゾナ在住のネイティブ・アメリカンのエルダーが見たヴイジョンにもとづいて制作されたものですが、プエブロ、ディネ(ナバホ)、ラコタ、ホピなどのさまざまなネイティブ・ピープルの暮らしぶりからはじまる予言が美しい映像と強力なメッセージでくみあわされて展開されていき、見るもののこころと頭を奪うことでしょう。基本的なヴィジョンのところは、ホピの岩絵に描かれた「ロード・プラン」と良く似た世界を動画にしたもので、岩絵のペトログリフの中に描かれたアニメーション姿の「あなた」がたどるかもしれない——強欲と暴力が支配する——ジグザグの道と、祈りにあふれた平和の道を見せてくれます。言葉らしい言葉はありません。人間の心臓の鼓動や、呼吸の音、ネイティブアメリカン・フルート、インディアン・ドラム、ガラガラ、そしてチェロキーの子守歌が効果的に使われています。ヴィジョンの世界を旅をして、自分の道と、地球に生きる人の道と出会ってみてください。最後のクレジットの前のシーンに出てくる「平和の力はわれわれひとりひとりのこころの内に宿る(“the power of peace is within each of us.”)」というホワイトフェザーのメッセージが印象的です。なお画像の読み込みが重くてうまくいかないときには、直接下のYouTubeの該当作品のページで試してみるか、鑑賞する時間を太陽が空にある時間にするなど閲覧環境を整えられたし。また一度とぎれとぎれでも最後まで見てしまえば、再度のリプレイはとぎれずに見ることができます。(8分6秒の作品)

next YouTube --HOPE (Visions of Whitefeather)

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Friday, June 23, 2006

スピリットの乗り物としての言葉

Revised Saturday, June 24, 2006

Eagleくがネイティブ・アメリカンの世界から日本国に帰ってきたのは80年代の初頭のことだった。アメリカ大陸で暮らしているのなら、ネイティブの人たちの動向はさまざまな形でもたらされた。雑誌や、集会の案内や、口伝えや、電話や、手紙や、機関誌などで。しかし大きな海を越えてしまった途端に、そういう情報からぼくは遮断されてしまった。7年間ぐらい日本にいなかったのだから、そのギャップを埋めたり、生活を立て直したりするのでしばらくはあっという間に過ぎた。都会で生活するのが困難で、東京からだいたい百キロぐらい離れたところで生活をはじめた。つてを辿って雑誌の仕事をするときは、1ヶ月に一度東京に出向いて、雑誌社の編集室で原稿を書いたり編集をしたりしていた。インターネットはまだ実験の段階で、一般には開放されていなかったし、開放されていたとしても、ブラウザーでサーフするという具合にはまだいかない時代だった。そのうちワープロが普及しはじめ、パソコン通信が可能になると、ぼくはそれに飛びついた。パソコン通信によってぼくはわざわざ東京に出向くことから解放されたのだ。原稿を書き、カプラーとモデムを使って通信でその原稿を編集部に送ることが可能になった。そしてそのころインターネットがようやく一般の(ぼくの)手に届くようになりつつあった。

たくさんの友との再会

はじめてインターネットを使ってUsenetの世界に入ったときのことは忘れられない。ある意味でそれはパソコン通信のネットワークの会議室などともよく似ていた。今はあのころほどの盛り上がりはなくなっているように思えるものの、すでに当時からさまざまな問題を扱う部屋があり、無数の話題が夜空の星の数ほどもばらまかれていた。このUsenetのなかで、ぼくが入り込んだのが「soc.culture.native」「alt.native」というふたつのネイティブ・ピープルのグループだった。このふたつのインターネットのニュースグループとの出会いがなければ、今のようなことをぼくがやり続けていられたかどうかは疑問である。いくつものローカルなパソコン通信をつなぎあわせたこれらのグループと出会って、ぼくは心底ほっとした。ウェッブの時代はまだ到来していなかったのだが、すでにそのふたつのグループは、大学教育を受けたネイティブ・アメリカンの人たちがはじめていたメーリング・リストと共に、ネイティブ・アメリカンの人たちの情報交換の場として機能していた。

ネットの中のネイティブ・ピーブル

今も当時も、インターネットを最も精力的に活用しようとしてきたひとつの勢力が、それ以前には長いこと——文字による歴史のはじまったときから——自分たちの声を奪われ続けていた少数民族やエスニックの集団であることは想像に難くない。パソコンを手に入れることで彼らは自分たちの声を外の世界に伝えるためのメディアをはじめて獲得しようとしていた。この20年間で、現存するほとんどのネイティブ・アメリカンの部族が自分たちのウェブサイトを持つようになっているし、ネイティブ・アメリカンのための雑誌や新聞や放送局やオンラインマガジンやネイティブであることを学びあうためのサイトがいくつも立ちあがってきた。

もちろん情報格差は厳然として存在する。すべてのネイティブ・ピープル・ピーブルがコンピュータを手に入れられているわけでもないし、すべての若者に高等教育の機会がさしのべられているわけでもない。それを買う金があれば救われるいのちもまだたくさんある。大学教育を受けるためには、まずその前にアメリカ兵として戦場に赴いて生き延び、奨学金を得なければならない。しかしそれでも、情報によってネイティブ・ピーブルの意識をつないでいこうという動きは衰えることもなく今なおその底辺を広げつつあるのだ。

ウォタンギング・イクチェ?

Usenetというインターネットのひとつの側面の中でネイティブの人たちのグルーブの会議室に足を踏み入れたことで、ぼくのネイティブについての学習は続けることが可能になった。そこには必要な情報がいくらでもあった。わからないことは尋ねれば教えてくれる存在がいた。いくつものメールマガジンを購読し、教わった書籍を買い、時には旅行で相手に会いに行ったりもした。

nanews急速に進化を遂げるインターネットの中、そうしたUsenetの会議室の中から、いくつもの先駆的なメディアが立ちあがってくるのをぼくは目撃した。その中でひとつを取り出すとするなら、"Night Owl(夜のフクロウ)"ことゲーリー・スミス(Gary Smith)というひとりのネイティブ・アメリカン(チェロキー)の大学生がはじめたWOTANGING IKCHE--NATIVE AMERICAN NEWS をはずすことはできない。さまざまなローカルなネットに出ているニュースの中からより多くの兄弟姉妹と分けあうに値するもの、すべてのネイティブ・ピープルに影響を与えうるニュースを一週間ごとに集め直して整理編集したニュース・コレクションで、1993年に記念すべき第1号が発信された週刊のニュースレターであり、ウェブが花開いた今でもなおぼくが定期的に購読し続けている唯一の(ASCII文字だけを使用した)ニュースレターである。このニュースレターは現在そのアーカイブ・サイトで創刊号から最新号までをダウンロードできるようになっている。

20世紀末にはすでにネイティブ・アメリカンの世界では自分がどこの部族に属しているのかすら定かでない世代が数多くいたわけだが、そうした目に見えないけれどなお部族的なハートとマインドの連帯を求める兄弟や姉妹たちのためにさまざまな情報を伝えあい、スピリットを共有しあうためのメディアとして、この「WOTANGING IKCHE」は21世紀の目には見えないネイティブの部族を超えた情報共同体を切り開いてきた。

「WOTANGING IKCHE」はラコタ語で、しいて「News of the People(人々のニュース)」を表現すればこうなるというフレーズであり、創設者のナイト・オウル自身はラコタではなかったものの、ネイティブの言語世界では大きな勢力であるラコタ語的な発音の言葉をタイトルにしている。現在はWOTANGING IKCHEのなかの「ここの」サイトに、さまざまな部族の言葉で「人々のためのニュース」を表現したものが掲載されているので興味ある人はご覧あれ。地球に生きる人のためのニュースに興味がある人で、英語が苦にならないのであれば、この週刊ニュースレターの購読をぼくはおすすめする。

さてここからが本題

なぜ「WOTANGING IKCHE」というニュースレターの話をこれまでえんえんとしてきたかというと、このニュースレターに非常に早い時期から、正確には1994年の6月4日号(通巻第2巻23号)のハワイの先住民族を特集した号以来、(数ヶ月飛んでいるときもあったが)今日まで10年以上も繰り返して——週に7編ずつ——連載され続けてきた「A Hawai'i Book of Days」という366の短詩(1日にひとつの短い詩をネイティブ・アメリカンの血を引き、ハワイ島に暮らすひとりの女性の詩人のデブラ・サンダースが書きつづった、アロハ・スピリットを伝える美しい言葉)を、今回すべて飜訳して本にしたからだ。それはアメリカでもまだ書籍化されていない。

邦題を『日々是布哇(ひびこれハワイ)——アロハ・スピリットを伝える言葉』(D・F・サンダース著 北山耕平飜訳 太田出版刊行)とした書は「WOTANGING IKCHE」から生まれた最初の日本語の本である。ハワイ群島の先住民は当然ネイティブ・アメリカンの範疇にふくまれる人々であり、その思考法や感性や世界観には他の多くの地球に生きる人たちと共通するものを持っている。そしてその多くを、われわれ日本列島に生まれたものたちとも共有できることを、日本列島の精神をかろうじて受け継ぐ兄弟姉妹たちに知ってもらいたいとぼくは考えてきた。ネイティブ・アメリカンと、太平洋諸民族と、ぼくたちの血の中に姿を隠して見えなくなってしまった日本列島の先住の民をつなぐスピリットの有り様を、ぜひこの本によって体験してください。スピリットの乗り物としての言葉、ぼくたちにとっては日本語を逆手に使って、もう一度見えなくされている人たちの地球とつながっている精神に呼びかけたいと思う。これが多くの人の手に渡ることを願っている。


Hawai'i Book of Days日々是布哇(ひびこれはわい)
アロハ・スピリットを伝える言葉

デブラ・F・サンダース (著)

北山 耕平 (翻訳)
長崎 訓子 (イラスト)
有山達也+飯塚文子(アリヤマデザインストア)装幀

価格: ¥1,554 (税込)

* 単行本: 四六変形版
* 出版社: 太田出版

ISBN: 4778310225 ; (2006/06/22)

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Thursday, June 22, 2006

輪を巡る旅はさらに続く

士山麓山中湖におけるWPPD2006を無事に終えて、大きな満足感と共に真夜中の2時頃に車を走らせて帰宅した。山中湖の会場にお集まりいただいたざっと300人近くの人たちに、スタッフのひとりを勤めさせていただいたものとしてあらためてここにお礼申しあげる。2004年にはじまった富士山のWPPDは、ラコタのスピリチュアル・リーダーのひとりであるアーボル・ルッキング・ホースのヴィジョンと、えびはらよしえさんというひとりのクランマザー的な存在の大きな夢から紡ぎ出された祈りのための場で、そのおかげで一切の商業主義も暴力もそこには介入することもなく、ピースな輪は広がり続けている。

fujinooyama2004年のあの「雷の母」と呼ばれた優しい台風の中の伝説のWPPDにおいて、おそらく参加した3000人近いすべての人たちが感じたある種の精神が、日本列島に着実に根を生やしつつあることを改めて確認できたことは喜びだった。昨日午前6時頃車を走らせて富士山に向かっているときに、いきなりその姿をくっきりとあらわしてくださっている御山を仰ぎ見たとき、今日は「死ぬには良い日になる」と確信した。山中湖畔に着いたときには空を舞う1羽の鳶に歓迎され、確信はさらに深まった。はたせるかな昨日は終日おだやかな晴れが続き、午後には夏至の太陽にぼくたちはしばし照らされ続けた。

森に人々が近づいたことを警戒する子育て中のアカゲラの両親の鳴き声と、ときおりセイクリッド・マウンテンに撃ち込まれる「自衛隊演習場」の大砲の音を遠くに聞きながらの、いのりの集会自体に印象に残ったことはたくさんあるが、コエン・エルカさん(20年前にイレーヌ・アイアン・クラウドという名前でぼくの前に現れた女性)の「いのちあるものをムダに殺すのではない」というメッセージは、しかと人々のハートに送り届けられたと思う。古屋和子さん+のなかかつみさんによる「ジャンピング・マウス」の物語が終わって、いのりの輪が形作られ、それぞれに手渡されたセージや煙草やシダーを中つ火にくべ終わったときにはすでに陽が暮れかかっていたが、今回もまた誰もにその場を去りがたいような力が働いていた。

このブログ『Native Heart』はもともとWPPD2004(富士山西側・自分をあけわたす場・ありのままの自分を受け入れる場所)の夏至の日ためにたちあげたもので、前回WPPD2005(富士山南側・太陽が高くのぼる方角・秋と冬に備えるための場)、今回WPPD2006(富士山東側・新しい日が最初にこの世界にやってくる方角・すべてがはじまる場所)と富士山の裾野を、祈りの場が聖なる魔法の輪(メディスン・ホィール)を周るにつれて、アクセス数も順調に増え、現在では総計32万アクセスを超えている(もちろんそんなにあてにできる数ではないと思うが)。わたしはネイティブ・アメリカンという存在そのもの、地球に生きる人たちの存在そのものが、一種の「教育」だと考えている。それはけして学校では学ぶことのできないはるかにリアルな教育だ。この意味で問題となった『リトル・トゥリー』という本の原タイトルが「リトル・トゥリーの教育」というものであることは考えさせる。あの本は誰がなにを子どもに教えようとしているものなのだろうか? 

この問題を考えると長くなりそうなので、『リトル・トゥリー』という本による「あなたの教育」については、いつか自分の頭でご判断いただきたい。そのための資料となるものはこのブログのなかにいくつも提示してある。閑話休題(それはさておき)、アメリカ・インディアンの世界、地球に生きる人たちが今の世界に組み込まれる前の、前の世界においては、おそらく部族社会はそのままひとつの大きな教育組織として機能していたのだと思う。構成員のすべてが先生となって、未来の世代を育ててきた。子供たちは一日24時間を自然のなかの学校で学びながら——文字を媒介にすることなく——育つ。すべての大人は人間としての生き方を体現する存在だった。そして目に見えないものを目に見えるようにして子どもたちの目と耳と頭とこころに送り込むのは、誰もがストーリーテラーであるすべての大人の役目であることが共通認識として行き渡っていた。それは部族の存続にかかわる大きな問題だったからだ。教育を部族共同社会から「国家」がとりあげて、独自に「(幻想の)国家を愛する子供たち」を——おそらく誤った文字の使い方で——育成しはじめたとき、数万年続いた前の世界は崩壊しはじめる。

アメリカ・インディアンについて学ぶことは、自分で自分にたいしておこなう教育、言い換えれば「集団がこころをひとつにして人の道(THE WAY)を学ぶこと」である。どの国家でも、国家が教育のなかに「ネイティブであることの学習」を組み入れることは、よほどの意識革命でも起こらない限り、しばらくはないように思う。わたしは「地球に生きる人とはいかなる存在か?」「彼らは世界をどのように見、感じ、認識していたのか?」「もう一度わたしたちが地球に生きるただの人に戻る道はどこにあるのか?」そうしたことを学びたいと思いたったときに、その欲求にこたえられるような情報を手に入れられる場をインターネットの上に作りたいと思った。なぜなら、インターネットの勃興期から、ことのほかネイティブ・ピープルたちの存在が元気だったから。よく考えてみればわかることだが、インターネットを手に入れるまで、ネイティブ・アメリカンの諸部族の人たちの声がメディアに乗って世界に届けられることなど全くなかったのだ。そしてこのことについては、項目を改めて明日にでも書こうと思う。今日はまだ昨日の余韻に浸っていたい。

追記 昨日の午後8時ごろに山中湖(専修大学セミナーハウス付近)で熊が目撃されたことが「山中湖情報創造館ブログ6月21日」で話題になっている。熊が出るというのを、なぜかいやがる人が多いし、目撃しただけで声高に銃殺を叫ぶ人がいるが、ネイティブの人たちの価値観においては熊はもともと「吉兆」であり「特別な力」の象徴とされている。熊は聖なる場所がすぐ近くにあることを敏感に察知して教えてくれるヒトなのである。もちろん季節や気温によっては危険な場合もあるが、夏の熊は危険ではない。その熊はWPPD山中湖のことを知っていたのかもしれない。いや、冗談ではなく、さ。 ^^;

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Wednesday, June 14, 2006

Untill we see you again!

council6月21日が近づいています。最近の天候異変や大きな地震や人間同士の暴力による抗争の激化をみれば、地球が進化する大いなる転換点にわたしたちが立ち至っていることは明らかです。この浄化の時にあって、わたしたちの意識そのものが大きく変わろうとしています。地球規模で意識を変えていかなければ、遅かれ早かれおぞましい未来に直面することになるでしょう。

地球のツボとも呼べる聖なる土地を尊び、世界の平和を祈ることで、そこに焦点を合わせた祈りの力で、人々の意識に変化を与えることができると、地球に生きる人たちは信じてきました。そして地球に生きる人たちにとって夏至の日が重要なことはこれまでもさまざまにお伝えしたとおりです。母なる地球とそのうえで暮らすすべてのいのちが癒しをもとめています。みんなの思いがひとつになれば、未来に影響を与えることができるでしょう。

人種、宗教、信仰を問うことなくあらゆる人に開かれた「せかいへいわといのりの日」は、1996年の夏至の日にチーフ・アーボル・ルッキング・ホースによってはじめられ、2000年までの4年間、亀の島(北米大陸)の平原インディアン諸部族にとって太古からの聖地であるグレイ・ホーン・ビュート(デビルズ・タワー)、カナダのクリー・ネーション、ミネソタ州のパイプストーン掘り出し場、コスタリカを回って儀式を行い、以後は地球を巡る旅に出て、これまでアイルランド(2001)、南アフリカ(2002)、オーストラリア(2003)、日本(2004)のそれぞれの聖地を巡り、そして2005年には再びラコタおよび平原インディアン諸部族の聖地であるブラックヒルズにもどって「すべてに感謝する儀式」がおこなわれました。

今年は北米アラスカ州のエクルトゥナを基点として祈りの場が設けられるほか、世界各地でおこなわれます(世界各地の祈りの場)。日本列島でも岐阜県高山市の飛騨位山と、富士山山中湖に祈りの場が設けられていて、どちらもすべての人たちを歓迎していますし、もちろんあなたがあなたの暮らす地域のなかの特別な場所にその日そのための場を設けることも可能です。

またもしあなたがなんらかの事情でこれらの場に参加することがかなわないときには、6月21日、夏至の日の朝、ほんの数分でいいですから、あなたなりのやりかたで、どうか世界を癒すのだという前向きな意志を表現してみてください。

勝手ですが、これから一週間、夏至の日が終わるまで、このブログの更新はありません。

今年の「せかいへいわといのりの日」のためにチーフ・アーボル・ルッキング・ホースから出されたメッセージ(英文)の試訳を以下に掲載しておきます。

地球に生きる人たちのほとんどの国では、国人たちは夏至の日をきわめて重大な日と認識し、それぞれが自分たちの聖なる場所に足を運んでさまざまに感謝をあらわし、母なる地球が栄えるように祈りを捧げてきました。

わたしたちのヴィジョンは、この日に、すべての大陸の人々がそれぞれの聖地にあつまって、結果として「ひとつ」となり、祈り、黙想し、互いに意思の疎通を図ることで、わたしたちの母なる地球を癒す力を高め、平和をもたらすための意識をひとつにつなぎあわせようというものです。

わたしはかつて祖母から、人間は誰でも良き心を持つことができることを理解せよと言われたことがあります。良き心とは、世界を変えられるぐらいに大きなハートのことです。祖母は、グレイトスピリットはわたしたちの手に負えないようなものは絶対にお与えにならないと言いました。

あなたはこの世界にとって欠かせない存在です。そのことを自覚し、信じてください。そのことにともなう祝福と重荷の両方を理解しましょう。この世界を救うためには、あなたという存在がどうしても必要なのです。

  もっと些細なことのために自分は地球に生まれたのだと考えていたのですか?

チーフ・アーボル・ルッキング・ホース

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Tuesday, June 13, 2006

World Peace & Prayer Day 2006 JAPAN

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ワタリガラスの物語をぜひ見たいなぁ

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"Raven Tales: How Raven Stole the Sun"
(2004, 23 min. Animation) US/CANADA
Director: Chris Kientz (Cherokee) and Simon James (Kwakwaka’wakw)

「日本やドイツのようなところではネイティブ・アメリカンの言い伝えやネイティブ・アメリカンのライフスタイルにたいする関心がほんとうに高い。ぼくたちは北米に暮らす人間として、ネイティブ・アメリカンの文化のすぐそばにいるにもかかわらず、それをちゃんと見ていない」

トリビューン紙のインタヴュアーに不服そうにそう答えているのはチェロキーの血を受け継ぐクリス・ケインツだ。彼はマルチメディア・デベロッパーとしてカナダ先住民出身のサイモン・ジェイムズと組んで『ワタリガラスの物語——ワタリガラスはどうやって太陽を盗んだのか(Raven Tales: How Raven Stole the Sun)』というアニメーションの制作をした。この2004年の作品はカナダ北西太平洋沿岸の先住民(ファーストネーションズ・ピープル)の言い伝えを下敷きにした大人から子どもまで楽しめる作品で、世界各国で高い評価を得ただけでなく、先月には国連における地球の先住民のための会議においても重要な作品にも選ばれている。彼はこのアニメ作品がこれから世界9ヵ国で放映されることがきまっているのに、なんとアメリカ合衆国での放映の予定がないことに腹を立てているのだ。

ということは、このコンピュータグラフィックのアニメーションは近い将来日本で放映されるということだろうか? もしそうならぜひ見てみたいものではありませんか。もし情報をお持ちの方は教えてください。彼の「日本とドイツのアメリカ・インディアンに対する関心が高い」という言葉に——実際にそれはほんとうではあるらしいのだが——ぼくが不思議な気持ちを受けるのは、ホピの予言のなかに「鉤十字」と「日の丸」が登場することと無関係ではないのだが。

彼はトリビューン紙のインタビューをつぎのような言葉でしめくくっている。

「ネイティブ・アメリカンの言葉はまさに消えつつある。彼らの文化がひとつ失われるたびに、その声がひとつ失われるたびに、ぼくたちは世界の見方をひとつ失うことになる。そして世界の見方をひとつ失うたびに、ぼくたちは自分たちの可能性をひとつ失うことになる」

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Monday, June 12, 2006

あなたと地球と太陽の関係を修復する日

太陽にたいして地球の南北の軸が少し傾いているせいで、地球に四つの季節が与えられている。北の軸の先端がもっとも太陽に向かうときが北半球の夏であり、反対に南の軸の先端が太陽にもっとも向かうときが北半球の冬になる。南半球では夏と冬が入れ替わるのもこの理由だ。この地軸の傾きは、地球から見た場合、太陽の通る道にも影響を及ぼしている。東からのぼって西に沈む太陽が、一番北に近づくのが夏であり、太陽が南に近づくのが冬で、動くことのない星が時間と場所をかえてのぼってくるように見えるのもこれが理由である。こうした「科学的な説明」を知っていようが、はたまた知らなかったとしても、いつでも空を観察し続けてきた人たちは、一年のうちに太陽が四日間だけ特別な道をたどることを知っていた。そしてこの四日は、おそらくすべての地球に生きる人たちにとっては特別に神聖な日とされてきた。

fajadadagger左の写真は北米大陸南西部のチャコ・キャニオンのファハダ・ビュート(Fajada Butte)という岩山のなかにある定住の民でホピの祖先ともされるアナザジの遺跡。巨大な三枚の岩板が組み合わされ、そこに描かれた螺旋模様の中心に、夏至の日に光の剣が突き刺さるようになっている。

農耕定住の民は常にいつも同じ場所で、のぼってくる太陽と沈んでいく太陽に挨拶を繰り返すから、頭に焼きついている風景のなかで太陽がいちばん南東からのぼっていちばん南西に沈む道をたどるときが冬至であり、いちばん北東からのぼっていちばん北西に沈む道をたどるときが夏至と言うことになる。毎日太陽は南から北へ、北から南へと辿る道を少しずつかえていて、ちょうど真ん中の東からのぼってきて、西へ沈む道をたどるときが、春分の日であり、秋分の日と言うことになる。平原インディアンのように、ひとつの場所に一年を通して留まることのない生活様式をとってきた人々は、夜空の星(多くの場合、牡羊座とその反対側にあるアンタレス)の位置と太陽の関係と、真昼の太陽が投げかける影の長さによって季節を分けるこの神聖な四つの日を割り出していた。昔のラコタの人たちは、春分の日にブラックヒルズの冬の野営地ではじまるパイプ・セレモニーから、太陽が双子座(彼らは「クマのティピ」「熊の家」と呼ぶ星座)に入る夏至の日のデビルズ・タワーにおけるサンダンスまでが基本的にはさまざまな祭事の時とされていた。

そうして今年もまた夏至の日が近づいた。それは特別な場所に太陽がいたる日であり、どこにいようが地球に生きる人たちはその影響からまぬがれることはできない。できれば各人が自分たちにとって特別に神聖な場所で、人種も性別も年齢も超えて、ひとりの地球に生きる人間として、その日を祈りと共に過ごされんことを。

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Saturday, June 10, 2006

ホピに起こることは世界に起こる

imagenameここに掲載するものはアリゾナ州のビッグマウンテン/ブラックメサに暮らし合衆国政府の強制移住政策に抵抗しているナバホ(ディネ)主権国のリーダーである Nabahe "Bahe" Keediniihii こと「バヒ」の手を経てWPPD2004JAPAN の実行委員のひとりで、日本でビッグマウンテンの抵抗運動を支援するWALK IN BEAUTY PROJECTのハルこと山口晴康に送られてきたもので、飜訳も同じWPPD2004JAPANの実行委員のひとりだった本出みさがおこなった。原文はブラックメサの先住民を支援する会(Black Mesa Indigenous Support)のサイトに3月28日付で掲載された「Traditional Hopi, Keeper of the Sacred Stone Tablets: "Sovereignty Dishonored and Global Instability Evolving"」である。かろうじて21世紀まで命脈を保ち続けたものの残り少なくなっている伝統派のホピの置かれた今の絶望的な状況や、ホピ主権国最後のグランドファーザーになるのかもしれないマーティン・ゲスリスウマ氏(Martin Gashweseoma)[ランドアンドライフ制作2004年版「ホピの予言」にインタヴューで登場する]が世界のひとびとにたいして、2006年になにを訴え続けているかが明解に読み取れると思う。その興味深い予言もふくめてホピに関心ある人たちにはとりわけ重要なメッセージでもあり、ホピに関心がない人にも重大なことが記されているし、ビックマウンテンの強制移住問題やその抵抗運動にたいする支援をとおしてネイティブ・アメリカンの人たちと関係を持った多くの日本列島に暮らす人たちにもぜひ目を通してもらいたいので、許可を得てここに掲載することにした。 (北山耕平)


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「主権は否定され、世界の安定が脅かされている」
聖なる石板の守りびと、伝統派ホピの長老の言葉

翻訳:本出みさ

2006年3月25日、ホテビラ・プエブロ(独立ホピ国/アメリカ合衆国アリゾナ)。最後のホピの伝統派キクモングイ(指導者)の一人が、メディアの注目がないとしても、世界にメッセージを送りたいと語る。マーティン・ゲスリスウマは書類の沢山入ったカバンをかかえて石造りの隣人の家の戸をくぐり、スウェーデンからラジオ番組の取材で訪れていた2名の若い女性の隣に座った。

マーティンの年齢は83だが、その心は40歳だ。彼は眼を用心深さと興奮で輝かせながら「ホピの物語を正しく伝えなくてはならない」と言う。彼は何枚もの紙に象形文字風に記された太古のホピの移動の話や、何世代にも渡って蓄積されてきた教えについて語る。「マヤの記録や予言がホピと同じだというのは驚くべき事だ」と言う。マーティンはアメリカの教育を受けた事がないので英語がおぼつかないが、それでも拙い言葉で情報をなんとか伝えている。

彼は自分の「仕事」は生涯を通じてホピ族の幸福と生存に自らを捧げてきた事だという。ここでは、マーティンによる、伝統派ホピのブラックメサにおける石炭採掘の見解や、「ナバホーホピ土地問題」の影響、そして世界の情勢についての解釈を記したい。一部編集しているが、マーティンの言葉を忠実に使用している。合衆国政府による反インディアン政策や反環境政策について伝統派のディネやホピに、意見を尋ねれば、その返事には必ず彼らの古くからの自然の秩序に従った暮らしぶりについて説明をまず受けるだろう。なぜならば、彼らは未だに英文を読む事ができず、アメリカという国は彼らにとって異国であるからである。彼らは崇高なる生命の秩序が侵されていると感じている。この秩序はあまりにも重要であり、現代社会の全ての人が学ばねばならないものである。


   マーティン・ゲスリスウマはつぎのように語った

martin_g「私は今までずっと東の方角に祈り、時には真夜中に起きてグレート・スピリットに祈ってきた。またあるときは、ホピの親族の皆が平和に暮らせるように、収穫や水、健康に恵まれ、ホピの道を歩み続けられるよう願ってこの村のまわりを歩いてたりもした。(ホピとは「平和の民」という意味である)

「時には、朝早く聖なる泉に行って冷たい水を体中に浴びたりもした。冬のまっただ中にする事もあった。そんなときは体のまわりの空気が白くなったものだよ。これは自分の心を大きくするための儀式だったのだ。」

「最近では、一部のホピは私が何か悪い事をしていると言いはじめた。一部の村人の間ではこの疑いがどんどん広がってしまった。そこで私は仕事をやめることにしたんだ。私は言った、『疑い深い人たちが祈りの仕事を引き継いでくれる時がきたのかもしれない。その祈りがどれほどホピのためになるか見ることにしよう』と。」

「私は以前は自分のトラックを運転してトウモロコシ畑やヒツジの囲いに通っていた。ところがある日、ホピ警察に止められて、免許がなければ運転できないと言われた。私は言った、『いつからホピがそんなことに同意したというんだ?』なぜなら私はホピ主権国の市民だからだ。警察官の返事はなかった。私は裁判所にいって、裁判官に同じ質問をした。裁判官の返事もなかった。あとで、裁判官は私の件はアリゾナ高速道路警察に委ねられたと言ってきた。今度はワシントンの首都にゆだねられるかもしれない。ある日突然逮捕されるかもしれない。私は運転をやめ、歩くか、誰かの車に乗せてもらうようになった。」

「以前はヒツジを200頭ほど飼っていた。しかし盗まれたり、レンジャーに没収されたりしたので、残りのヒツジは売り払ってしまった。ヒツジの囲いまで車でも行くことができなくなったからね。」

「今では多くのホピの仲間たちが私を信頼しなくなってしまった。私が古い生き方を信じているからだ。私がつづけてきた仕事をみんな嫌っているのだ。今私はホピの生き方を知りたい人にだけ話すことにした。人々が自然にそった生き方をできるようにしようとしている人にだけ、本来のホピの教えを伝えている。時には誰かが訪ねてくることを夢が知らせてくれ、実際に出会っている。私が分かち合っている教えは売り物ではない!これは世界の人々が、自分の家族を、民を守るために教えを理解し、祈り始めることができるように分かち合っている教えだ。もしかしたら私たちは一直線に破滅に向かう未来を止める事ができるかもしれない。だから今ここで私が話す事を売ったりしないでくれ。」

「ホピの歴史では、過去にも社会が乱れ、破滅的な結果になった時代のことが記録されている。私たちはこのように人間が罰せられた時代から学び、ホピの生き方が常に守られてきた。コロンブスの到来、スペイン人の侵略といった悲劇が繰り返されてきた。現代では世界の勢力がコロンブスの再来だ。警察官だ(編集注:アメリカが世界の警察官を自認してることに対しての事だと思われる)。だからこの石板にはたくさんのギザギザがある。警察官が味方の兵隊を食べてるんだよ。」

「世界は二つの大戦を経験した。第一次世界大戦は世界のいくつもの地域をまたがった戦争を起こした。第二次世界大戦は世界勢力を確立するためのものだった。そして第三次世界大戦が今はじまりつつある。第二次世界大戦当時のナチス政権と比べると、今度の戦争はより破壊的で、あらゆる場所で戦闘が起きる可能性がある。石板は世界大戦を象徴する三つの矢を持つ死刑執行人を表している。身動きがとれなくなってる人物は私たちを表している。私たちは今無力で、この石板では縛られ、血塗られている。死刑執行人もまた血塗られているのが分かるかな?」

「伝統的なホピのキクモングイは『我々は最終段階にきている』ということを伝えようとしてきた。その昔人々が道を踏み外したとき、そこには破滅的な道が一つしかなかった。しかし今日、世界は四つの破滅的な道を進んでいる。宗教戦争、強制的な社会福祉制度への依存、水や食べ物の汚染、そして偉大なる警察官の信奉者になること。警察官はコンピューターや様々な機械をもたらす。これらの機械は私たちを判断する裁判官になるのだ。そして私たちの想像をはるかに超えた戒厳令をつくり、今このように話しているだけで逮捕されるようなことになってしまう。今発達しつつある戦争がこのまま続くとこんなことになってしまうのだ。」

「このような予言は伝統派の長老たちの間では知られていた事だ。未来を予言できるのは私たちだけではない。動物たちにも分かるし、彼らは私たちに伝えようとしてくれている。石板のこの部分には、山のとなりにヘビが描かれている。ヘビは不吉な知らせを人間のように言葉で伝えている。君はビッグマウンテンでガラガラヘビが目撃されたという話をしてくれたが、それにはそういう意味があるわけだ。まだ暑くもないのにガラガラヘビが冬眠から覚めて出てきている!(通常ガラガラヘビは日中の気温が常に華氏70度にならないと出てこない。華氏56度ではでてくるはずがない。)」

「石板のこの部分には太陽と地球が描かれている。異常気象の事を伝えている。ある日は雪が降って寒くなり、翌日には暑くなったりする。気候はめまぐるしく両極を行き来する。山の上に現れたガラガラヘビが伝えようとしているのは『旅路では十分気をつけるのだ。一人で旅に出てはならない。そうでなけば祈る事だ。何か悪い事が起きようとしている...』とな。」

「ナバホが死の収容所に入れられていた頃(1862~1868)、ホピは当時禁じられていた特別な儀式を行ってナバホを地獄から救い出そうとした。今、ブラックメサのナバホと同じように全てのナバホが石炭採掘を阻止しなければならない。ナバホが敗北して石炭採掘をさせてしまえば、私たちホピは消滅しはじめる。今こそナバホがホピを地獄から救い出す時だ! まだその望みはあるが私は待ち続けている。ナバホは、ホピがこれからも薬草、水、野生生物、木をブラックメサから得られるように努力してくれなければならない。石炭採掘がすべてを奪ってしまえば、我々は水や薬草を得る場所がなくなってしまう。」

「私の未来に希望すること? 何もないよ。我々はもう終わりにきている。我々全員が、母なる地球とどのような関係を作りたいかを決める時がきている。もう決めねばならないんだ。水も汚染されたし空気も汚染されている。作物は今までのように雨に恵まれず、雪も降らない。作物はただ枯れてしまうだけだ。未来だって? ホピにはもう未来はない。(ホピ=平和の民)。我々はもう合衆国政府の支配下にあるのだ。」

「我々の古い信仰を忘れてはいけない。どのようなかたちでも良いから祈り続ける事だ。私が伝えたいことはこれだけだ。もしかしたらこの情報を皆さんの国の人々と分かち合う事ができるかもしれない。有難う。」


私自身はビッグマウンテンのディネ(ナバホ)に属してる。ホピの長老たちはいつも私の師であり、インスピレーションであった。長老たちが残り少なくなった今もそれは変わらない。この認識をもっているから、私は「ナバホーホピ土地問題」など耳にしたことはない。私が耳にした事があるのは、ピーボディ石炭会社と、合衆国が認めた部族議会(が作り上げた土地問題)だけだ。

加えて、近年伝統的な叡智に対する嫌悪や攻撃が蔓延している。居留地では長老の虐待という言葉さえ聞かれるようになった。実際に目撃した事もある。伝統派の長老に対する敬意の欠如と虐待である。長老たちはスピリチュアルな催しの場において叡智をたたえた指導者として扱われてはいない。今、現代のインディアンは「インディアンであること」という概念を利用しているだけだ。インディアンの血を受け継いでいる、という表現を使い、その「インディアン性」のなかには合衆国の軍隊に入ること、つまり「アメリカの」インディアンであること、そしてロマンチックなイメージで表現されるインディアンといったものしかないのだ。このように、土地に根ざした伝統と、現代社会における「ネオ伝統」の間のギャップが広がっているのが現状だ。

皆様が耳を貸してくださったこと、支援してくださっていることに感謝します。

オール・アワー・リレーション

バヒ

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わたしを見つめる彼女のまなざし

thewomen素敵な写真集を紹介したい。タイトルは「The Women」という。日本語にすれば「女たち」となる。写真を撮影したのは、このブログの読者には、右サイドバーの Peace な巻頭写真でおなじみのエドワード・S・カーティスという19世紀末から20世紀初頭にかけての消えつつあるフロンティアの残照を撮影した写真家である。

The Women」の編集者は、中西部ミネアポリス市在住クリストファー・カルドーゾ(Christopher Cardozo)氏で、この人は時代が大きく変わろうとしていた19世紀から20世紀の転換点においてカーティスが撮影したアメリカ・インディアンたちの写真の大コレクターとしてずば抜けて著名な人。今回およそ1000枚にのぼる収蔵写真のなかからこの本のために特別なセピア調のものを100枚選び出して全体を構成したという。

この「The Women」がこれまでのネイティブ・アメリカンの写真集と一線を画しているのは、表題どおりネイティブの女性たちと、ほとんどが居留地のなかで撮影されたにもかかわらず、当時の——時代が大きく変わろうとしていたころ、そして前の世界の生き方がかろうじてまだわずかながらに可能だったころの——彼女らの日常生活を撮影したものに絞ってあるところだ。はしがきを書いたこれもミネアポリス市在住の詩人で小説家のルイス・エルドリッジさんはその美しい文章のなかで「エドワード・カーティスはおそらく自分は消えてゆく文化を記録していると信じていたのだろうが、ここに集められたつつましやかなアートのなかで、ネイティブの人たちの文化の持つ力は確かに生き続けている」と記している。

いちごをつむ女性の姿、赤ん坊をあやす姿など自然な感じのポートレイトもないわけではないが、選ばれている写真のほとんどが真正面からカメラを見つめているポートレートで、ストイックな表情ではあるがそこには本質的な強さと個性が、時には悲しみが写し出されていて、最後まで彼女たちの透明なまなざしが印象に残るお薦めのパワフルな写真集である。20世紀の初めにインディアンの、それも女性であるとは、いかなるものだったのかを、ぜひ確かめていただきたい。いつまでも手元に置いておきたい写真集であります。

arrow2 Frontier Photographer: Edward S. Curtis (Smithsonian Institution Libraries)

thewomensEdward S. Curtis: The Women
Christopher Cardozo (編),
Louise Erdrich (はしがき),
Anne Makepeace (序論)

ハードカバー: 128 p
出版社と価格: Bulfinch Press ; $35
ISBN: 0821228951 ; (2005/04/19)

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