もうひとつの美しき世界に帰られた「萱野茂さん」の言葉
昭和二十八年の秋ごろから、アイヌ民具の蒐集をつづけていくうち、アイヌ文化全般を見直そうという自然な気持ちがわたしの心の中に生まれてきました。アイヌ研究者に閉ざしていた心を少しずつ内側から開いていき、研究に対しても協力するようになりました。ちょうどそのころだったと思うのですが、二谷国松さん(アイヌ名、ニスッレックル。明治二十一年生まれ)、二谷一太郎さん(同ウパレッテ。明治二十五年生まれ)、それにわたしの父、貝沢清太郎(同アレッアイヌ。明治二十六年生まれ)の三人が集まって話をしていました。この三人は、二風谷ではアイヌ語を上手にしゃべれる最後の人たちでした。三人が話していたのは次のようなことでした。
「三人のうちで、一番先に死んだ者が最も幸せだ。あとの二人がアイヌの儀式とアイヌの言葉で、ちゃんとイヨイタッコテ(引導渡し)をしてくれるから、その人は確実にアイヌの神の国へ帰って行ける。先に死ねたほうが幸せだ」
聞いていて、わたしはとても悲しかった。
「先に死んだほうが幸せだ」。わたしは何度もこの言葉を心の中で繰り返しました。この言葉の意味は、民族の文化や言葉を根こそぎ奪われた者でなければ、おそらく理解することは絶対に不可能でしょう。人間は年をとると、死ぬということにあまり恐れをいだかなくなるといいます。しかし、死んだときには、自分が納得できるやり方で、野辺の送りをしてもらいたいと願う気持ちには変わりがありません。その納得できる葬式をしてもらいたい、ただそれだけのために早く死にたいと願うほど、わたしたちアイヌ民族にとってアイヌ文化、アイヌ語は大切なものなのです。そして、その三人のうち、“最も幸せ”になったのは、わたしの父でした。
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