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Tuesday, May 02, 2006

なぜ「なぜ?」と聞いてはいけないのか

イティブ・ピープルの世界では、エルダーに向かって質問をすることはたいへんにぶしつけなことだとされている。とりわけ「なぜ?」と尋ねてはならないといわれる。したがって学ぶものは、ひたすら目を見開いて相手を見、耳を傾けてその話を聞かなければならないのだ。

よく見て、よく聞いて、よく覚えて、よく分けあうことが、地球に生きる人たちの世界では学びといわれるものである。とりわけ、よく見ることと、よく聞くことのふたつは、ネイティブの世界の学びの核心にあるものであることを忘れてはならない。だから自分のすべての感覚を総動員して見、自分のすべての感覚を総動員して聞くこと、すべての体験にたいして自分を開いていることが求められる。

理解は、感覚によってもたらされるし、スピリットの話す声が聞こえるかどうかもそこにかかっている。なぜそうなっているかを尋ねてはならない。つまり目の前で起きていることを見るだけしか答えへの道はない。

年寄りやエルダーたちは、学んでいる人間が「自分はなにも知らないのだ」と思いこんで欲しくないと考えている。知らないことが理由で相手を裁くことはしたくはないと考えているのだ。彼らはよく「あれを考えろとか、こういうふうに考えろとかを自分はいうつもりはない」と言う。誰かに向かってそのようなことを言うことは、そのまま相手の知性を侮蔑していることに他ならないからだ。

それは、面と向かって「おまえの頭は悪い」と言っているのとなんら変わらない。相手の頭の中身の程度について軽蔑したり卑しめたりしないというのは、地球という星に生きているネイティブの人たちの文化の一部にしっかりと組み込まれている約束事のひとつである。

欧米流の教育では、話を聞くものはつねに「なぜ」「いつ」「どこで」「どうやって」を尋ねるものとする前提のようなものがある。その世界で育った人間の頭のなかは、たいてい無数の「?」であふれかえっている。そうした幾百万の疑問符によって、人はなにかをやるときに失敗しないように、つねに正しい状態に自分を保つことを考えている。その結果なにをするに失敗を恐れるようになり、なにをするにも自分は間違っているかもとか、やってはいけないことをしているのではないかとか、失敗したら恥ずかしいぞなどと考えるようになるのだな。

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Comments

北山さん、今晩は。
いつも拝読させていただいています。

最近ブログを開設したのですが、Native Heartにリンクしたいと思っています。ご許可いただけるならば連絡をいただけると幸いです。よろしくお願いします。

Posted by: 大口のま | Wednesday, May 03, 2006 at 11:08 PM

大口さま
Native Heart へのリンクは原則として自由です。もちろんこのようなカタチであらためて求められるのは嬉しいことではありますが。21世紀的な狩猟採集のライフスタイルの実現を目指したいものです。

May the Earth always speak to your spirit.

Posted by: Kitayama "Smiling Cloud" Kohei | Wednesday, May 03, 2006 at 11:39 PM

北山さま
リンクの承諾と励ましのお言葉、ありがとうございます。

やま(大地)のことばがわが身の一部となりますよう、こころをひろげてゆきたいと思います。

Posted by: 大口のま | Friday, May 05, 2006 at 12:32 AM

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