きみには聖なる山が見えていますか?
今年も集います。
今年は「祈りのかたち」。祈りって何だろう? 祈りは色々な形があるような気がします。踊る人,うたう人、絵にする人、文章を書く人、農とするひと...今年はそんな方をお招きしてみんなで共有できる時間を持ち、その後一つの輪で地球に感謝する時間を持ちたいと思います。
詳細は WPPD2006 富士山・山中湖の集い 公式ウェブサイト
今年も集います。
今年は「祈りのかたち」。祈りって何だろう? 祈りは色々な形があるような気がします。踊る人,うたう人、絵にする人、文章を書く人、農とするひと...今年はそんな方をお招きしてみんなで共有できる時間を持ち、その後一つの輪で地球に感謝する時間を持ちたいと思います。
「謙虚さは徳のなかでもおそらく最も自覚しにくいものであるだろう」と語ったのはクロー一族のメディスンマンでエルダーだったトーマス(トム)・イエローテイルである。彼がここで話している「徳」とは英語では「virtue」と言う。研究者の英和大辞典に相談すると、「ヴァーチュー」の代表的な意味は
1 (道徳的な)徳, 善; 徳行, 善行; 高潔, 廉直, 方正.である。その人に与えられた美しさ、それが徳である。徳にはさまざまな徳があるが、その中で一番自覚されることのないものが謙虚さであると、トーマス・イエローテイルは言っているのだ。
2 (ある特定な)徳, 道徳的美点, 美徳.
3 美質, 美点, 長所 (merit).
なによりも謙虚であるためには、人は己の性格的な欠点に気がついていなくてはならないし、しかもそれだけでは不十分で、同時に素直に評価すべきものは評価できなくてはならないのだから。
もしあなたがなにかをなして、それがうまいこと運んだとしよう。それがうまく成就した理由はいくつか考えられる。それにふさわしい才能を天から与えられていたこともまちがいはない。そうした場合、別の誰かに、あなたがそれをなしえたことをほめられたとき、自分がそれをできたのはその才能を授けてくれた存在のおかげだと素直に認めること、これが「謙虚さ」である。また友や、伴侶や、そばにいる人たちの力を借り受けて、あなたがなにごとかをうまく成し遂げたときには、あなたに力を貸してくれた人たちのしたことを正しく評価すること、これも「謙虚さ」である。そしてまた、あなたが誰の力も借りずに独力でなにごとかを達成したとき、自分の力を正当に評価すること、これもまた「謙虚さ」である。
最大の敵である己のエゴをしかとにらみつけて、つねにほんとうのことを口にするようにし、評価すべきものを素直に評価できるようになりたいものであります。
小生の新刊が刊行されました。これまで雑誌などに発表した「石」についての原稿をまとめて改めて手を入れ、さらに一部を書き加えたものです。新しい「石器時代」——シリコンを用いたマイクロチップとウラニウムに象徴される石の時代——を生きている人たちのための本になることを願って本にしました。
自分のこれまでの経験からして、こういう本は、書店などではどこに置かれるかわかりません。でもほかのタイトルを付けようがなかったぐらいに石のことばかり書いたものをまとめました。ある意味で書店の意識のあり方がはっきり示される書籍だと言えるでしょう。自分としては、これまで出してきたネイティブ・ピープルの本の系譜のうえにあると位置づけているのですが。
POWER OF STONE
パワー・オブ・ストーン 石の力と力の石
北山耕平著 荒地出版社刊
装幀 山田孝之+象
ISBN4-7521-0139-4
定価 本体1400円+税
目次話をする石
ストーリー・テリング・ストーン
セネカ・インディアンが語り継いだ物語石に触れる
石の時代は終わらない
石文明と石を溶かす文明の危うい攻防
自分の石を見つける
自分の石を見つけるための10の規則石のように考える
だから石は生きている
石の信仰とわれわれの未来についての大切な覚書
ストーン・ピープル
石の人
シャーマンと石
この世界で一番年寄りの石
石の力の輪
メディスン・ホィール考
石は人類の四〇〇万年をどう見るか?
石よりほかに楽しみなし
木内石亭小伝
『雲根志』を読む
木内小繁の「石の書」石の知恵
石 の意志
内へ向かう力、外へ向かう力
パワー・ストーンかストーン・パワーかあとがき
ストーン・ボーイから君へ
5月第4週の土曜日と日曜日の2日間、日本トランスパーソナル学会・創設10周年記念第7回学会大会「ほんもののスピリチュアリティを探して」というイベントが開催され、そのなかの5月28日(日)の午前中に、小生の講演と「ジャンピング・マウス」のおはなし(古屋和子+のなか かつみ)があります。
日時:2006年5月27日(土)13:00〜18:00
2006年5月28日(日)10:00〜18:00
会場: 大正大学 巣鴨校舎 〒170-8470 東京都豊島区西巣鴨3-20-1
地下鉄都営三田線の西巣鴨駅徒歩3分
2日間に渡ってさまざまなワークショップもおこなわれます。興味がある人は「案内サイト」をご覧ください。
日本国政府は、本日再び、衆議院法務委員会において、共謀罪の新設を含む「犯罪の国際化及び組織化並びに情報処理の高度化に対処するための刑法等の一部を改正する法律案」の強行採決をしようとしています。巧みな情報操作によって、なにかとても大切なことが、マスコミの話題にされないところで、密かに進行しています。わたしたちのなかのある部分が国家によって奪われようとしているのです。頭とこころをひとつにして、平和が牢に入れられるところを、ダークエイジ(暗黒時代)の到来を注視してください。
北山耕平「ホピの予言」を語る/イロコイ文化交流事業プレイベント
*友情出演/ランドアンドライフ 辰巳玲子
5月21日(日)
14:00〜 映画「ホピの予言 2004年版」上映
16:00〜17:30 北山耕平トーク
18:00〜19:00 交流会
会場/スペースオルタ オルタナティブ生活館B1
横浜市港北区新横浜2−8−4 045−272−6349
参加費/前売り¥2000−(高校生以下¥1000−)
当日 ¥2500−(¥1500−)
主催/環ハウス 共催/スペースオルタ
予約・問い合わせ/office@native-education.net
Native Education Network
[ネイティブ・エジュケーション・ネットワーク・ウェブサイト]
〒236-0015 神奈川県横浜市 金沢区金沢町205
office@native-education.net
収益はイロコイ文化交流基金となります。
アメリカのイェール大学の歴史家が「イェール大のスカル・アンド・ボーンズという秘密結社がアメリカ・インディアンの指導者ジェロニモの頭蓋骨を盗み出したという噂がかねてより一部でささやかれていたが、このほどそれを裏づける1918年の手紙を暴露した」とイェール大学校友会機関誌(2006年5月/6月号)の記事「誰の頭蓋骨と骨? Whose Skull and Bones?」のなかで話している。
イェール大学のスカル・アンド・ボーンズ結社の伝説ではジョージ・W・ブッシュ現アメリカ合衆国大統領の祖父であるプレスコツト・ブッシュ(爺ブッシュ)が同結社のメンバーだったとき、第一次世界大戦にイェール大も学徒出陣して、結社のメンバーの一部が、1909年に亡くなったジェロニモの墓があった駐屯地(「シル砦」と呼ばれる陸軍基地)に駐留した際、この愚行におよんだというもの。ジェロニモの墓は、部外者には秘密にされていた。
「悪名高きジェロニモの頭蓋骨をシル砦にあった墓より掘り出したのはあなたがたのクラブ」と最近発見された手紙の中で、当時スカル・アンド・ボーンズの一員だったウインター・ミードという人間が告白しているのだ。しかし実際にはミード氏はシル砦にいた人間ではないことから、歴史学的にいうならそれがほんとうにジェロニモの頭蓋骨だったかどうかはなお疑問が残されてはいる。
今回この手紙を発見して公開した歴史学者のマーク・ウォートマンも、当時連中が「誰かの骨」をそこから掘り出したことは間違いなさそうだが、それがあの高名なインディアンの指導者のものだったかどうかは定かではないと微妙な物言いでこう書く。
「その連中がシル砦にある墓のなかから頭蓋骨や骨やその他のものをとりだしたことは間違いなさそうですけれど、それが歴史学的に実際にジェロニモのものであると証明することはできないでしょうね。しかし掘り出した連中はそれがジェロニモのものであると信じていました」
かねてから訴訟を検討してきたジェロニモの曾孫であるハーリン・ジェロニモは、手紙の発見を機にシル砦を運営しているアメリカ陸軍をいよいよ訴える腹づもりらしい。ニューメキシコのメスカレロという町に暮らすこのジェロニモの子孫は「残されている遺骨の返還を求めたい。ほんとうに骨が消えているかどうかも知りたい。そしてもしほんとうなら責任の所在をはっきりさせなくてはならない」とCBSニュースの取材にたいして語っている。
ジェロニモはアリゾナの南西部からニューメキシコをテリトリーとしていたアパッチのチリカウア・グループの指導者で、1870年代から1880年代にかけて自分たちの一族と祖先伝来の土地を守るために、彼らを居留地に強制収容しようとした対合衆国陸軍とのゲリラ戦を指導した。1886年にジェロニモと彼にしたがうものたち(Native Heart, Thursday, April 20, 2006 の記事でお伝えしたウーマン・ウォリアーでメディスンウーマンのローゼンもそのひとり)は最終的に降伏し、戦争捕虜としてフロリダに移送された。その後、彼は身柄をアラバマに移され、シル砦に監禁されたまま、キリスト教に転向を余儀なくされ、二度と故郷の沙漠に帰ることなく、農業者として生涯を終えている。
火のないところに煙は立たないとはいわれているけれどさ、それにしてもブッシュ・ファミリーって・・・。
追記 12日のニュー・ウエスト・ネットワークが「ジェロニモの子孫がブッシュにたいして戦士の遺骨の返還を求める」という記事を掲載しました。
それによると偉大な指導者の曾孫であり自らもメディスンマンであるハーリン・ジェロニモはまずイェール大学にたいしてDNAのサンプルの提供を求めるらしい。かねてから政府にたいしてジェロニモの遺骨を彼のふるさとであるニューメキシコの生地ヒラ・ウィルダネスに戻すように要求してきたメスカレロ・アパッチ部族会議も、とうぜんながらこのスカル・アンド・ボーンズの過去の行状にたいする報道(全国ネットのテレビで流されたという)に息巻いているようです。
このニュースが流された翌日には、ハーリン・ジェロニモの家にはジェロニモの墓について関心のある人たちから150件もの電話がかかってきたけれど、今のところ正式に現アメリカ大統領の家族に今回の事件の調査に協力を求めるような要請を彼はしていなくて、とりあえずは全米のネイティブ・アメリカンのメディスンマンを招集して、共に祈りをあげ、どのような方策を立てるのが最もよいかを協議するらしいと記事は伝えている。ハーリン・ジェロニモも、奥さんのクラウディーヌも、共にメディスン・ピープルであるという。
恒例のネイティブ・アメリカン・ミュージック大賞(NAMMY)の今年のノミネート作品が発表された。『ネイティブ・アメリカーナ』というアルバムで大賞にノミネートされたキース・セコラ(Keith Secola)はアニシナベに属するが、かの伝説のバンドであるドアーズ(DOORS)のドラマーであるジョン・デンスモア(John Densmore)をフィーチャーしているし、「And So Is Love そして愛もまた」を歌うリタ・クーリッジ(Rita Coolidge)もあいかわらず健在だ。Native Heart (Friday, February 10, 2006)でも紹介したグラミー賞受賞の『Sacred Ground: A Tribute to Mother Earth(聖なる大地 母なる地球への贈り物)』も優秀編集CD部門の候補に挙がっている。インディアン・フルートの名手であるカルロス・ナカイ(ユテ)やダグラス・ブルー・フェザー(チェロキー)は、常連として毎年必ず顔を出しているようだ。今年の候補作のリストを以下に掲載するが、調べがついたミュージシャンについては部族名を色文字で入れておいた。同一アーティストがいくつもの部門にノミネートされている場合は最初に登場したところに入っている(はず)。
年を追うごとに注目度を高めているNAMMYだが、今年の候補作品の特徴はアラスカ(Medicine Dream)、ハワイ(Keola Beamer)、ニュージーランド(Arjdijah)のネイティブの人や曲が、全125部門のうち25部門で候補にあげられていることかもしれない。NAMMYの公式サイトのアドレスをしたに掲載しておくが、例によってサーバーがダウンしている場合も多い。2006年第8回NAMMYの発表は6月8日にフロリダ州のハリウッドにあるセミノール・ハード・ロック・ホテル・アンド・カシノでおこなわれる。
the NAMMY official Web site : http://www.nammys.com/
註 上記のサイトだが Java が多用されているらしく、ぼくの環境ではまるでく読み込めません。^^;
The Eighth Annual Native American Music Awards のノミネート作品の一覧は以下に。
昭和二十八年の秋ごろから、アイヌ民具の蒐集をつづけていくうち、アイヌ文化全般を見直そうという自然な気持ちがわたしの心の中に生まれてきました。アイヌ研究者に閉ざしていた心を少しずつ内側から開いていき、研究に対しても協力するようになりました。ちょうどそのころだったと思うのですが、二谷国松さん(アイヌ名、ニスッレックル。明治二十一年生まれ)、二谷一太郎さん(同ウパレッテ。明治二十五年生まれ)、それにわたしの父、貝沢清太郎(同アレッアイヌ。明治二十六年生まれ)の三人が集まって話をしていました。この三人は、二風谷ではアイヌ語を上手にしゃべれる最後の人たちでした。三人が話していたのは次のようなことでした。
「三人のうちで、一番先に死んだ者が最も幸せだ。あとの二人がアイヌの儀式とアイヌの言葉で、ちゃんとイヨイタッコテ(引導渡し)をしてくれるから、その人は確実にアイヌの神の国へ帰って行ける。先に死ねたほうが幸せだ」
聞いていて、わたしはとても悲しかった。
「先に死んだほうが幸せだ」。わたしは何度もこの言葉を心の中で繰り返しました。この言葉の意味は、民族の文化や言葉を根こそぎ奪われた者でなければ、おそらく理解することは絶対に不可能でしょう。人間は年をとると、死ぬということにあまり恐れをいだかなくなるといいます。しかし、死んだときには、自分が納得できるやり方で、野辺の送りをしてもらいたいと願う気持ちには変わりがありません。その納得できる葬式をしてもらいたい、ただそれだけのために早く死にたいと願うほど、わたしたちアイヌ民族にとってアイヌ文化、アイヌ語は大切なものなのです。そして、その三人のうち、“最も幸せ”になったのは、わたしの父でした。
アメリカ・インディアンのエルダーたちは、大地が切り売りされ、水が売り出されるようになったときから、いずれ空気が売られるようになる時代がくることを予言していた。今では水はガソリンとあまり変わらない価格でペットボトルに入ったものが売られるようになり、そしてそのことに誰も気にかけなくなっている。
十数年前に、かみさんと一緒に富士山に登ったとき、8合目の山小屋で、はじめて高山病対策として小さな酸素のスプレー缶が売られているのを目にして顔を見合わせたことがあった。きっとこれが街でも売られるような日が来るかもしれないと思ったからだ。そしてその日がきてしまった。
空気が売れるものであることに気がついて、街で空気を売りはじめるのはセブン-イレブン・ジャパンである。同社は“ケータイ酸素缶”「オーツーサプリ 頭脳カン」と「オーツーサプリ カラダカン」(各600円)を株式会社白元と共同開発して、この5月24日(水)より東京・神奈川・千葉のセブン-イレブンで発売すると昨日発表した。プレスリリース(商品写真あり)によれば「頭脳カン」はペパーミントのエッセンシャルオイルを使用し、頭がシャキッとするストロングミントの香りの酸素で、「カラダカン」はフレッシュなグレープフルーツのエッセンシャルオイルを使用し、カラダがスッキリするグレープフルーツの香りの酸素だとか。
この酸素のスプレー缶が、ペットボトルに詰められた水のように広まり、やがて街いく人や走る人たちが、フレンチ・アルプスの空気缶やロッキー・マウンテン・エア缶、南極の空気缶などのおしゃれなエア・ボトルを片手に酸素をしゅーしゅー吸っている姿を想像すると、きっとそういうふうになってしまうのだろうな。
またひとつ予言が成就して、浄化の時はさらに続く。
[Updated on Saturday, May 13, 2006]シュンダハイ・ネットワークからのメールによれば、アメリカ国防総省が来月2日にネバダの核実験場で計画していた「神の輪鉄(わがね)」作戦——「誰がこの狂気を止めるのか」 Native Heart Monday, May 08, 2006——がほんとうに延期されたらしい。5月10日の段階で、アメリカの政府関係者は、延期は最低で3週間、6月23日以前の「作戦実施」はないと語った。そしてこれを弾みとして計画そのもの(上空3000メートル以上にも立ちのぼるキノコ雲)を中止させるためのさまざまな行動が、すでにウエスタン・ショショーニの人たちの周辺ではじまっている。
神の輪鉄を止めるための非暴力抗議行動は、作戦が延期になったとしても、中止ではないので、当初の計画通り5月28日にネバダ核実験場前のウエスタン・ショショーニの土地に設置されたピース・キャンプでおこなわれる。すでにオレゴン、ニューヨーク、メインなどから意識ある人たちの参加が表明されていると、メールは伝えてきた。
当日の参加希望者はなにを持ち、どこにくればよいのかの詳細は、シュンダハイ・ネットワークの該当ページに書かれている。
The Stop Divine Strake Coalition Calls you to Action!
*註 Shundahai Network (シュンダハイ・ネットワーク)の「シュンダハイ」とはウエスタン・ショショーニの言葉で「創造主の作られたあらゆるものとの平和と調和」を意味し、同ネットワークは自らを「核の鎖を断つために一身をささげるもの」と規定している。
シックス・ネーションズの人たちの国の土地に、入植者の子孫たちが不法に建物を建てようとしたことに端を発した紛争(モホークが再び戦争状態に Native Heart Friday, April 21, 2006)は、メディアが注視するなか、双方ともにらみ合いを続けたまま小康状態が続いている。オンタリオ州政府の強制執行は今年の2月最終日にはじまり、まだしばらくは続くと見られる。政治的経済的に立場の弱いシックスネーションズの兄弟姉妹や友人を支援するための救援コンサートが開かれることになった。コンサートは6月16日金曜日にカナダ、オンタリオ州、グランド・リバーのシックス・ネーション領土(チーフズウッド公園)で。主宰者はこのコンサートを先住民たちのウッドストックにするべく動いているようだ。以下に転載するのは、これに出演してもよいという心あるアーティストたちへと、支援のためにコンサートに行こうというみんなのためのコンサートへの呼びかけ(英文)である。
註*これを掲載するのは、もしかしたらこの情報が必要な人がいるかもしれないと思ったのと、こういう事が起きるとそれを支援する動きがひとつの形になっていくことを知ってほしかったから。日本国のアーティストたちが、たとえば今沖縄の人たちが置かれている状況を支援するためにコンサートを自発的に行ったりできるようになればよいのにと思う。
先日の記事(Native Heart Friday, May 05, 2006 聖なる山を守らなくてはならない理由)でお伝えしたように、アメリカのサウスダコタ州にある聖なる山ベア・ビュートを守るための駆け引きは、現在のっぴきならないところまできている。30を超える地球の先住民の国の民たちが「地球で最も神聖な場所のひとつ」として大切にしてきた場所が攻撃を受けている。われわれにいったいなにが出来るのだろうか?
折しも、地球の聖なる場所を讃えるための夏至の日が近づきつつある今、ただ手をこまねいて成りゆきを見守るしかないのだろうか? その山はその名の通り、メディスン・アニマルである熊の心臓部にあたる。山麓は熊の腹部であり、そこにフロリダからやってきた男によって巨大な娯楽施設付の酒場が作られようとしているというのに。その山を聖なる山とあがめてきたラコタのクレイジー・ホースだったら、どうしただろうか? ラコタの大きい聖なる人だったフールズ・クロウだったら、どんな祈りをあげただろうか? シッティング・ブルだったら、どんな踊りを踊っただろうか? 偉大なる熊は、どんな新しい歌を聞くのだろうか?
地球に生きるより多くの人たちのエネルギーをこの状況と現実に向かわせることができればよいと考えていたら、たまたま以下のサイトを見つけた。わずかな時間しかか残されていないが、「ベア・ビュートを守護する」という意志を世界中の心ある人たちに表明してもらうための署名サイト"Protect Bear Butte a National Monument"に行き、自らの意志を表明してくれたらと願う。簡単な英語でいいのでぜひ。そこの人たちは世界中から50万人分の署名を集めようとしている。ぼくは今日、5539番目に署名してきた。簡単なアンケートに答えて「地球には聖なる山が必要だ(Mother Earth needs sacred mountain!)」とメッセージを書き残して、15分ほどしかかからなかった。気の遠くなる話かもしれないが、1人のスピリットが、1回のクリックが、1つの名前が、なにかを起こすかもしれないのだから。
Protect Bear Butte a National Monument
きみが署名を終えたら、どうかこのサイトのことをきみの心ある友だちに伝えてほしい。
風をひらく at 野津田公園(東京都町田市)上の原広場
● 5月13日(土) 満月の日 雨天順延
当日が雨の場合は順延されます。第二予定日として5月27日(土曜日)を設定していますが、ワークショップへの参加希望者は、必ず5月13日土曜日当日の午後1時までに、まちだ語り手の会事務局の市川(いちかわ)か増山(ますやま)の携帯まで、スケジュールの確認を取ってください。連絡先1 090-1997-1568 事務局・市川(当日のみ)
連絡先2 080-3467-3112 事務局・増山(当日のみ)
● 野津田公園 上の原ひろば 多摩丘陵の一角に広がる雑木林
● 予約が必要です
● 活動的で動きやすく多少汚れても大丈夫な服装と靴で。
野津田公園へのアクセス
町田POPビル先(小田急線町田駅/東口を出て交番の後ろの踏切を渡った所)、21番バス乗場から野津田車庫行き20分位「野津田車庫」下車徒歩10分位。または小田急線鶴川駅から野津田車庫行きバスで「野津田車庫」下車徒歩10分位。
当日のプログラム第一部 15:00~18:00
風をひらく 耳をとぎすませる練習第二部 18:00~19:00
聞くこと 語ること はなし:北山耕平
参加費:1500円・学生500円
(小学生以下無料/会員1000円)/(当日現地受付にて集金)
※参加希望者は下記事務局までお申し込みください。
※詳細もお気軽に事務局までおたずねください。
主催 NPO法人 まちだ語り手の会
問い合わせ 事務局 TEL&FAX 042-795-3016 市川
メールアドレス : makatari@at-duplex.bias.ne.jp
アメリカ国防総省が6月2日に「神の輪鉄(デバイン・ストレーキ ''Divine Strake'')作戦」と名づけられた700トンの高性能炸薬を破裂させる大型爆弾爆発実験(戸外の非核爆発としてはこれまでで最大)をラスベガスの北西90マイルのネバダ核実験場で行う予定でいることに、本来その核実験場をふくむネバダ州のほとんどを先祖伝来の故国としているウエスタン・ショショーニの人たちが当然ながら反発し、あらゆる手をつかって実験の停止を求めている。
ネバダ州ウィネムッカのインディアン居住地の長であるトーマス・ワッソンは、「神の輪鉄」計画は止めなくてはならないと「インディアン・カントリー・トゥデイ」紙(4月27日号)に語っている。
「ウエスタン・ショショーニがもともと何千年も暮らしてきた土地の家を追われ強制移住させられたとき、われわれの一族はそこに核実験場が作られるなどと言うことはいっさい聞かされなかったのです。われわれの大地を破壊しつくし、放射能によって無数の人たちを死に追いやり、被爆という苦痛を味あわせてきたにもかかわらず、合衆国政府は今また同じことを繰り返そうとしています。今回の実験は、なんとしてもやめさせなくてはなりません。これはウエスタン・ショショーニの人たちのためだけでなく、すべての人びとのためなのです」
ウエスタン・ショショーニ・ディフェンス・プロジェクト、国際インディアン条約協議会、先住民環境ネットワーク、シュンダハイ・ネットワークなどいくつかのグループが5月28日の日曜日に、ネバダ核実験場の入口近くのハイウェイ95に面して設けられたネバダ核実験場ピース・キャンプにおいて、非暴力国際抗議行動をおこなう予定だ。
「聖なる山には特別な時間が必要なのだ」(Monday, March 27, 2006)の記事および、それにつけた最近の小生のコメントの中でも触れたが、聖なるベア・ビュートを巡る開発を止めるための闘いはのっぴきならないところまできている。
実際、写真を見ればおわかりのように、開発工事の進む巨大娯楽酒場施設が山に与える影響の大きさはどんなマヌケにも手に取るようにわかるはずであるにもかかわらず、すでに酒の販売許可がおりないまま、くだんの施設の建設は今も進行中だ。冒頭の写真は「ベア・ビュートを守るための部族を超えた同盟」のページから拝借した。彼らの「Defend Bear Butte」のページをぜひ訪れて、正装したチーフ・アーボル・ルッキング・ホース(富士山におけるWPPD2004の主宰者)とならんで写真に写されている巨大酒場を造ろうともくろんでいるカウボーイ・ハットのジェイ・アレンのふたりの公聴会におけるニュース写真をご覧になるといいと思う。
ベア・ビュートは、ラコタやシャイアンのみならず、30を超える北米先住民のグルーブが聖なる山と見なしており、その山体だけでなく周辺の自然の神聖さは他に類を見ない。そこにはスピリットたちが住まわれており、先住民たちは等しくそのスピリットの力を敬い続けてきた。彼らの信仰においては、そこは「すべての人びと」の精神的肉体的な健康に欠かせない場所とされている。おそらく聖地と言われる地球の各地域の場所は、同じように「すべての人たちの体と心の健康を保つ上で欠かせないもの」なのだろう。いかなる人間にも「聖なる山」を破壊する権利など与えられていないことを、われわれは肝に銘じて事に当たるべきであろう。日本列島に暮らすわれわれにとって聖なる山とはなにかを考える重要な鍵がここにあるのではないか。
右サイドバーの巻頭にある「Peace」な写真を入れ替えた。今月はエドワード・S・カーティス40歳の1908年に公開したもの。タイトルは「告知(アナウンスメント)」となっている。写真をクリックして拡大し、さらにその拡大写真の下にあるより解像度の高い写真まで引き伸ばしてご覧になるとよわかりやすいかもしれない。
ひとりの男が丘の中腹に立っている。彼はバッファローのローブを身にまとっているのがわかる。しかし立っているのは実際は丘などではなく、風景の中に溶けこむように建てられた一族の建物の屋根の上なのだ。平原インディアンの中でも、アリカラ、ヒダスタ、マンダンといった人たちが建てたのが「大地の家」「土の家」「アースン・ロッジ」といわれている建造物。同じ時に撮影された別のロッジの全体写真をここに掲載しておく。こちらは家族が生活するための住居用のロッジだが、これもまた出入りする口が見えなければ、遠くから見ると小さな丘にしか見えないかもしれない。夏は涼しくて冬は暖かい彼等の家である。
一族のチーフや、儀式を司る宗教者は、しばしばこの右サイドバー巻頭の写真ように一族の集会や儀式のために建てられた大きな地球の家の上に立って、さまざまな告知をおこなったという。この写真に写されているのはアリカラ一族が神聖な儀式のために用いたそうした集会のためのひときわ大きなロッジの屋根の部分で、そのうえに立って「これから聖なる儀式が行われる」と告げているのは、一族のチーフであったベアーズ・ティース(熊の歯)という人物である。
ネイティブ・ピープルの世界では、エルダーに向かって質問をすることはたいへんにぶしつけなことだとされている。とりわけ「なぜ?」と尋ねてはならないといわれる。したがって学ぶものは、ひたすら目を見開いて相手を見、耳を傾けてその話を聞かなければならないのだ。
よく見て、よく聞いて、よく覚えて、よく分けあうことが、地球に生きる人たちの世界では学びといわれるものである。とりわけ、よく見ることと、よく聞くことのふたつは、ネイティブの世界の学びの核心にあるものであることを忘れてはならない。だから自分のすべての感覚を総動員して見、自分のすべての感覚を総動員して聞くこと、すべての体験にたいして自分を開いていることが求められる。
理解は、感覚によってもたらされるし、スピリットの話す声が聞こえるかどうかもそこにかかっている。なぜそうなっているかを尋ねてはならない。つまり目の前で起きていることを見るだけしか答えへの道はない。
年寄りやエルダーたちは、学んでいる人間が「自分はなにも知らないのだ」と思いこんで欲しくないと考えている。知らないことが理由で相手を裁くことはしたくはないと考えているのだ。彼らはよく「あれを考えろとか、こういうふうに考えろとかを自分はいうつもりはない」と言う。誰かに向かってそのようなことを言うことは、そのまま相手の知性を侮蔑していることに他ならないからだ。
それは、面と向かって「おまえの頭は悪い」と言っているのとなんら変わらない。相手の頭の中身の程度について軽蔑したり卑しめたりしないというのは、地球という星に生きているネイティブの人たちの文化の一部にしっかりと組み込まれている約束事のひとつである。
欧米流の教育では、話を聞くものはつねに「なぜ」「いつ」「どこで」「どうやって」を尋ねるものとする前提のようなものがある。その世界で育った人間の頭のなかは、たいてい無数の「?」であふれかえっている。そうした幾百万の疑問符によって、人はなにかをやるときに失敗しないように、つねに正しい状態に自分を保つことを考えている。その結果なにをするに失敗を恐れるようになり、なにをするにも自分は間違っているかもとか、やってはいけないことをしているのではないかとか、失敗したら恥ずかしいぞなどと考えるようになるのだな。
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