未来を奪う教育と未来を創る教育
カナダの先住民の子どもたちが「居住学校(レジデンシャル・スクール)」に強制的に入れられていたことはあまり知られていない。それはかつてアメリカが「寄宿舎学校(ボーディング・スクール)」という名前で先住民の子どもたちを強制的に親元から引き離してアメリカ人化教育をしたものとなんらかわるものではない。というよりアメリカのやり方をカナダも踏襲したのだ。日本帝国の明治政府がアイヌの子どもたちを強制的に東京に連行して教育を施したのもアメリカのやり方にならったものだった。
アメリカでは19世紀後半から20世紀にこのボーディング・スクールによってネイティブの文化は見事なまでに破壊寸断され、修復不可能なまでに徹底的に変質させられてしまった。世代間の大きな亀裂は二度と埋まることはないと思える。冒頭に掲げた2枚の写真は、アメリカ陸軍によって20世紀初頭に撮影された同じネイティブのプエブロの児童たちの寄宿学校に入学する前(左)と入学後(右)の記念写真である。
こうした教育にはふたつの意図があった。子どもたちを親元から、風俗や習慣や信仰から隔離することで、先住民の文化はもはやわざわざ残しておく価値がないものと思わせること。そしてそのことで先住民自身だけでなく、他の多くの人たちに先住民の文化にはもはや価値がなく、無意味で、文化は死につつあると思わせることだ。そしてその流れとして、より多くの人びとに「すすんだヨーロッパの文明」を目標として受け入れさせてそちらに向かわせることである。
そしてカナダでもつい10年前まで、この政策は先住民にたいして押しつけられていた。ネイティブ・ピープルの子どもたちは8月になると集められて鉄道や飛行機やバスで居住学校に送られた。親や兄弟や姉妹や友人たちから引き離されて、年齢ごとにひとまとめにされて移送されたのだ。移送された先で子どもたちは、はじめて食べるようなものばかりを与えられ、着物を与えられ、ベッドをあてがわれた。ほとんどの子どもたちは英語を話せなかったし、反対に教師や監督官は英語だけしか話せなかった。自分たちの母国語で話をすれば罰が与えられた。食べものも、風習も、生き方もまったく異なる環境に押し込められて、カナダ人になるための教育が施された。
「それは人間の存在の核となるものを取りあげるために計画された政策でした」と話したのはカナダのファースト・ネーションズ会議——the Assembly of First Nations (AFN)——議長のフィル・フォンティーン氏。彼はカナダ先住民の指導者として先日開催された「アメリカとカナダの政策比較会議」にパネリストのひとりとして参加し、過去に居住学校でおこなわれた5万件にものぼる心理的・肉体的・性的な虐待について、自らの10年間におよぶ居住学校体験で被った性的虐待をまじえて語ったのだ。
「居住学校はありとあらゆるインディアンらしさをことごとく消滅させるために計画されたものでした。わたしたちが自分自身のことについて学ぶことすら否定されたのです」
2005年11月、カナダ政府はAFNとの協約に調印し、居住学校に通わされた経験を持つ個人ひとりあたり1万ドルを支払うことになった。だがフォンティーン氏は「これは金によって解決されるような問題ではないと思う」とプリンストン大学日刊新聞(4月20日号「危機的状況にある部族文化」)に語っている。
現在は居住学校の制度は廃止されたが、カナダの先住民にとっても教育は最大の関心事のひとつであると氏は語る。現代ではカナダの大学に進学しているファースト・ネーション出身の学生は約3万人であり、先住民文化にとってもこれは大きな方針転換であると。「なにしろ1952年にはネイティブの大学生はわずかふたりでしたからね」
氏は今後10年間でネイティブの大学生の数を2倍にすることがAFNの当面の目標と語っている。
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