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Thursday, April 27, 2006

白いバッファローの娘の教え

せっかくおいでいただいて恐縮ですが、この記事は、書籍化にともなって、削除されました。ここにあった文章は『ネイティブ・アメリカンとネイティブ・ジャパニーズ』(太田出版2007年7月刊)に、加筆改訂版が収録されています。ネイティブ・ハート・ブログの書籍化については「さらにブログを続けるということ[Native Heart Friday, June 01, 2007]」のアーティクルを参照のこと。わざわざ探し出してここまでこられたのに誠に申し訳ない。願わくば拙著にて、より完成された表現媒体となったものを、お読みください。
北山耕平 拝

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Saturday, April 22, 2006

未来を奪う教育と未来を創る教育

beforeschoolafterschool

カナダの先住民の子どもたちが「居住学校(レジデンシャル・スクール)」に強制的に入れられていたことはあまり知られていない。それはかつてアメリカが「寄宿舎学校(ボーディング・スクール)」という名前で先住民の子どもたちを強制的に親元から引き離してアメリカ人化教育をしたものとなんらかわるものではない。というよりアメリカのやり方をカナダも踏襲したのだ。日本帝国の明治政府がアイヌの子どもたちを強制的に東京に連行して教育を施したのもアメリカのやり方にならったものだった。

アメリカでは19世紀後半から20世紀にこのボーディング・スクールによってネイティブの文化は見事なまでに破壊寸断され、修復不可能なまでに徹底的に変質させられてしまった。世代間の大きな亀裂は二度と埋まることはないと思える。冒頭に掲げた2枚の写真は、アメリカ陸軍によって20世紀初頭に撮影された同じネイティブのプエブロの児童たちの寄宿学校に入学する前(左)と入学後(右)の記念写真である。

こうした教育にはふたつの意図があった。子どもたちを親元から、風俗や習慣や信仰から隔離することで、先住民の文化はもはやわざわざ残しておく価値がないものと思わせること。そしてそのことで先住民自身だけでなく、他の多くの人たちに先住民の文化にはもはや価値がなく、無意味で、文化は死につつあると思わせることだ。そしてその流れとして、より多くの人びとに「すすんだヨーロッパの文明」を目標として受け入れさせてそちらに向かわせることである。

そしてカナダでもつい10年前まで、この政策は先住民にたいして押しつけられていた。ネイティブ・ピープルの子どもたちは8月になると集められて鉄道や飛行機やバスで居住学校に送られた。親や兄弟や姉妹や友人たちから引き離されて、年齢ごとにひとまとめにされて移送されたのだ。移送された先で子どもたちは、はじめて食べるようなものばかりを与えられ、着物を与えられ、ベッドをあてがわれた。ほとんどの子どもたちは英語を話せなかったし、反対に教師や監督官は英語だけしか話せなかった。自分たちの母国語で話をすれば罰が与えられた。食べものも、風習も、生き方もまったく異なる環境に押し込められて、カナダ人になるための教育が施された。

「それは人間の存在の核となるものを取りあげるために計画された政策でした」と話したのはカナダのファースト・ネーションズ会議——the Assembly of First Nations (AFN)——議長のフィル・フォンティーン氏。彼はカナダ先住民の指導者として先日開催された「アメリカとカナダの政策比較会議」にパネリストのひとりとして参加し、過去に居住学校でおこなわれた5万件にものぼる心理的・肉体的・性的な虐待について、自らの10年間におよぶ居住学校体験で被った性的虐待をまじえて語ったのだ。

「居住学校はありとあらゆるインディアンらしさをことごとく消滅させるために計画されたものでした。わたしたちが自分自身のことについて学ぶことすら否定されたのです」

2005年11月、カナダ政府はAFNとの協約に調印し、居住学校に通わされた経験を持つ個人ひとりあたり1万ドルを支払うことになった。だがフォンティーン氏は「これは金によって解決されるような問題ではないと思う」とプリンストン大学日刊新聞(4月20日号「危機的状況にある部族文化」)に語っている。

現在は居住学校の制度は廃止されたが、カナダの先住民にとっても教育は最大の関心事のひとつであると氏は語る。現代ではカナダの大学に進学しているファースト・ネーション出身の学生は約3万人であり、先住民文化にとってもこれは大きな方針転換であると。「なにしろ1952年にはネイティブの大学生はわずかふたりでしたからね」

氏は今後10年間でネイティブの大学生の数を2倍にすることがAFNの当面の目標と語っている。

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農産物を買うときに意識すること

Digging
自分の暮らす地域で生産されたものがなければ、有機栽培のものを。
有機栽培のものがなければ、家族経営農家の生産したものを。
家族経営農家の生産したものがなければ、その地方の農産物を。
その地方の農産物になければ、フェアトレードで入手できるものを。

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Friday, April 21, 2006

モホークが再び戦争状態に

Caledonia22060420thumbnailモホークの国とカナダとのあいだではかねてより土地の領有を巡る争いが続いていたが、カナダのオンタリオ州地方警察(OPP)が昨日4月20日早朝、1000人の武装警察官と、インディアンの裏切り者たちと、軍隊の援護を受けてシックス・ネーションズに侵攻を開始した(写真)ために、同ネーションズを構成する部族のひとつであるモホークが、これを戦争行為とみなし、自分たちの土地を奪回するためになんらかの行動に出るとみられ、mohawk_nation.jpg現在緊張が高まっており、モホークの人たちは世界に注目を呼びかけている。昨日までに武器を持たないモホークの人たち100人ほどが逮捕された。

モホークの人たちの側からの最新報告は mostly water サイトへ。
arrow2 http://mostlywater.org/

▼追記 Fri 7:06PM
警察による最初の攻撃の詳細を伝える「Hamilton Spectator」紙オンラインの21日付記事 "Rude awakening for young protester"

▼追記 4/24 Mon 8:37AM
モホーク・ネーションでなにが起きているかを伝えるためのブログが作られた。「Simon Raven Wiki--MohawkNationNews」同ブログによると昨日の日曜日にも再び警察による攻撃がおこなわれた模様だ。

▼追記 4/24 Mon 10:55PM
警察の攻撃の前日に出された部族議会による正式なコメントがここにあります。「この困難な状況を乗り越えるために、とにかくみんな冷静になるように」と訴えています。

▼追記 4/25 Tue 10:59PM
「カナダによる虐殺を止めよう! 土地を取りかえそうとしているシックス・ネーションに支援を」という記事がここに。カナダ政府は先住民との紛争解決の手段として銃を使うべきではないとする立場。

▼追記 5/2 Tue 08:34AM
シックス・ネーションズの連帯を訴えるページ。カナダ政府を相手に闘っているモホークをふくむシックス・ネーションズの人たちのおそらく唯一の公式サイト。「SIX NATIONS SOLIDARITY」。一日に二回ニュースがアップデートされる他、この戦いの支持者になにができるのかが書かれている。

シックス・ネーションズのリザーブ(居留地)のなかにあるラジオ局CKRZFMは24時間放送のラジオ局で、ニュースも定期的に流す。ネイティブ・ランゲージでの放送もあり、音楽的にはカントリーと、カントリーロックが中心。インターネットを使ってストリーミングでも放送もおこなっているので、関心ある人は聞いてみてください。CKRZFM-Stream

▼追記 5/3 Wed 09:59AM
4月28日にカナダのサスカトゥーンでおこなわれたシックスネーションを支持するためのピース・マーチ(平和行進)のスナップを「ここ」で見ることができます。「1492年から続くインディアン・ホロコースト」というメッセージTシャツの女性の後ろ姿に目を奪われました。

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Thursday, April 20, 2006

アパッチ・ウーマン・ウォリアー

Lozen最近テレビを見なくなった。というより、番組を選んで見るようになったといった方がいい。そうしたら見る番組があまりなくなってしまったのだ。よく見るのはケーブルのなかのディスカバリー・チャンネルぐらいかな。今日も今日とてザッピングをしていたら、DISCOVERY CHANNEL でたまたま『アパッチ戦士ローゼン』というプログラムに出くわして、1時間をともに過ごした。2004年に一度放映された「ディスカバリー・ウーマン 伝説の女性戦士」のシリーズのなかの一作だとか。

ローゼンというのは19世紀末に実在したアパッチ(ワーム・スプリングス・アパッチ・バンド)の女性戦士で、男性のように強くて、誰よりも勇敢で、戦略の才がすばぬけていて、一族の人たちの盾となって——アパッチの国をまもるための——メキシコと合衆国を相手にした山岳地帯と沙漠における戦争に戦い抜き、最後はあのジェロニモとともに合衆国陸軍に投降し(1886)て、戦争捕虜として遠くの居留地に送られ28年間をとらわれの身として過ごしたあげく、二度とふるさとに帰ることなく50歳のときアラバマの居留地で結核にかかって病死したといわれている伝説の女性だ。

番組は彼女の生い立ちから最後までをセミドキュメンタリーとして追いかけるもので、ホーリーマン(聖なる人)だったジェロニモの直径の孫(じいさまにそっくり!)などが出演する興味深いものだった。ぼくが見たのは再再放送らしくて、日本のディスカバリー・チャンネルのサイトには再放送をのぞむ書き込みがかなり寄せられていた。あと一回再放送があるので、興味を覚えた人はご覧あれ。

「ローゼン」というのは彼女が生まれたチリカウア・アパッチ(現在のニューメキシコ州南西部を国とする民)の言葉で「小さな妹」を意味する。ジェロニモとならぶ偉大なチーフとされるヴィクトリオの一番下の妹であり、十代の時にヴイジョンを得、敵の位置や数を五感以外の感覚で察知するもうひとつの能力や、病気を癒す超自然的な力も授けられてメディスンピープルの一員となり、そしてなによりも兄チーフ・ヴィクトリオの右腕の戦士として20代を過ごす。生涯独身だった彼女は、アパッチを代表するメディスンウーマンのひとりであって戦士でもあり、戦士の多くがそうであるように死ぬまで自分のほんとうの名前をあきらかにすることなく地球の旅を終えている。彼女は現在もその勇敢な行動と一族のものたちを危険にさらせないための不思議な予知能力によってアパッチの人たちのなかで知らない人はいない。そしておそらくこれが彼女のものだろうとされるたった一枚の写真——フロリダ経由でアラバマにジェロニモらと一緒に戦争捕虜として連行された直後の列車から降ろされたときの記念写真の一部(左上図版)——だけが残されている。

アパッチの人たちとアメリカ軍とそしてアメリカ軍に雇われたアパッチたちとの戦争の仕方などが、アパッチの視点から描かれていて、こういうドキュメンタリーが作られるようになったところにも不思議な感動のようなものを覚えた。ぜひ機会があったらご覧になるといいと思う、もしあなたが女性で、ネイティブ・アメリカンに興味をお持ちならば。


arrow2 DISCOVERY CHANNEL の該当サイト

次回放映予定 05/25(木) 16:00〜17:00

シリーズ:伝説の女性戦士
アパッチ戦士ローゼン

北アメリカの先住民族、アパッチ族の偉大な女性、ローゼン。彼女の生涯を、もっとよく知ってみよう。ローゼンの予言と透視の能力、そして勇気は、アリゾナに侵入してきた敵から仲間を無事脱出させ、メキシコへと逃れさせた。彼女は闘いの時、敵の動きを予見することができたという。不思議な力は神霊治療家としても発揮され、また、助産婦としても活躍していたらしい。

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Tuesday, April 18, 2006

ナバホ国部族政府からの手記

feather先日ロンドンで児童福祉士として働いているある日本人女性の方からご丁寧なメールをいただき(忙しさにかまけて、まだ返事を出していない ^^; )、別の日本人女性がコラムを書いているサイトの存在を教えられた。そこではじめて読ませていただいたのが、ディネの国(ナバホ国)の部族政府のためにセラピストとして働いている北川のぞみさんの「ナバホ国部族政府からの手記」というコラムだ。

Webマガジン[レアリゼ]というオンライン雑誌に時々掲載されて、現在19章が最新のコラムである。アーティストであり、セラピストである北川さんがナバホの国で働き始めて2年間の記録だが、ナバホの世界についての内側からの記録としてわれわれに貴重なことを教えてくれているので、ぜひこのサイトの読者にはお読みいただきたいと思う。日本の文化とナバホの文化の不思議な類似点、豊かさと貧しさについての考察、ナバホの人たちの精神世界、風俗習慣、セラピストの目を通してみたナバホ部族社会のあり方、北川さんがナバホの人たちから学んでいることなどが、たんたんと綴られていて、とても貴重かつスピリチュアルな記録になっている。ネイティブの世界を知るということがどういう体験なのかを伝えている貴重な記録で、いずれ一冊の書物になることを期待したい。

arrow2 ナバホ国部族政府からの手記 

北川のぞみさんのプロフィール(同サイトより)
北川のぞみ 北海道生まれ。91年に渡米、ニューヨーク州立大学ニューポルツ校にて女性学、アートを学ぶ。その後ニューヨーク大学でアートセラピーを学び、修士号を取得。ニューヨーク州立精神病院、カリフォルニア州立精神病院勤務などを経て、現在はナバホ国部族政府の職員としてニューメキシコ州ナバホインディアン居留地に住み、働いている。

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Thursday, April 13, 2006

コメントとトラックバックについて

前略

先日ニフティがココログのために使っている TypePad というサービスをアップグレードしたために、随所でさまざまな変更が行われた(らしい)。そのひとつにコメントとトラックバックの管理機能の強化というものがあり、トラックバックとコメントのひとつひとつを公開するか非公開にするかきめられるようになった。これまで記事とまったく関係のない商品宣伝のためのコメントや、アダルトサイトに誘導するのが目的なだけのトラックバックなどを、毎朝時間をかけてひとつひとつ削除していたのだが、おかげでその手間は省けたことになる。だがその結果、読者からのまっとうなコメントやトラックバックまでもが当然このフィルターに引っかかり、小生が公開を指示しない限り掲載されなくなってしまった。この間混乱していろいろ試されて、いくつもコメントやトラックバックをを送ってくださったみなさまにお詫びしなくてはならない。小生としてはここに掲載された記事にたいするコメントやトラックバックについては、包み隠さず公開していくつもりでいるし、楽しみにもしているのだが、このような時代と状況ゆえに、即座にコメントやトラックバックが反映されて掲載されるということはなくなったことを、どうかご了承いただきたい。コメントについてのコメントも同じように足止めされます。

敬具

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変わるものと変わらぬもの

「わたしは変わります」「いやあの人は変われない」と政治家たちが言っているのを聞きながら、不思議な気持ちにとらわれた。ネイティブ・アメリカンのほとんどの部族の言葉で、「変化」と「死」は同じ意味としてとらえられているからだ。「変わることは」すなわち「死ぬこと」なのだ。そして「死ぬこと」は「変わること」を意味する。

Tpee
戦士の歌(オマハ)

いずれわたしは消え去る身 だが
わたしがいま そのうえを
歩いている大地は
変わらずに残るだろう。
大地は 死なない。

1904年 アメリカ人類学会報に掲載されているもの
オマハの言葉から英語に翻訳したのはアリス・フレッチャー
英語から日本語訳を試みたのは北山耕平

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Saturday, April 08, 2006

絶望のなかで希望を見つける小話

Littlebirdこれは昔ラコタの人に聞いたお話しです。絶望のなかの希望について語るには、今のわたしたちの状況はふさわしいかも知れません。

ひとりの少女があるときあるところで奇妙な小鳥と出会ったそうです。

その小鳥は地面にあおむけにひっくり返り、両方の羽根を大きく広げて上に向けて、両足を空に向かって思い切り突き上げていました。

へんな鳥だなぁと少女は思い、もしかしたら死んでいるのかもと考えて、その場から逃げ出したくなるぐらい不安とおそれを感じたそうです。

でもおそるおそる近づいてよく見てみると、小鳥は死んでなどいません。

それどころか全身に力がはいり、目はしっかりと見開かれ、生気がみなぎっているではありませんか。

少女はその不思議な格好をしている小鳥にたずねました。

「小鳥さん、なんでそんな奇妙なことをしているのですか?」

すると小鳥がこたえたそうです。

「なに、空が落ちてくるという話を聞いたものでね」

少女ははたと納得しました。小鳥はそこであおむけになって、両方の羽根と両脚で落ちてくる空を必死に支えようとしていたのです。

「でも」と少女は、そこでうんうんとうなって空を支えようとしている小鳥にたずねました。「できるわけがないことをするためになんでそんなに一生懸命になっているのですか、小鳥さん」

すると小鳥がこたえました。

「君も君にできることをしろよ」

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Thursday, April 06, 2006

日本の大学の学食のおそまつさ

National_organic_program今朝、UCバークレー校の学生食堂が、アメリカの大学のなかで最初にオーガニック食材を用いた食事のみを学生たちに提供する学食になったという記事を読んだばかりだ。「UC Berkeley offers organic salad bar Posted Apr 5th 2006 3:03PM by Nicole Weston

ぼくは70年代後半から80年代前半にかけてアメリカ各地を雑誌の取材で周った。その行く先のほとんどがいわゆる大学町で、各地の大学の生協や学食にもかならず顔を出した。すでにその当時からアメリカの大学生の食にたいする意識はかなり高くて、「あなたとはあなたの食べているもののこと」という認識が広まりつつあって、普通の食事以外にもオーガニック・フードなどを選択できるところもかなりあった。アメリカ人がアルファルファというスプラウトの一種をサンドウィッチなどにはさんで食べるようになったころのことだ。それから20年近くを経て、ついにカリフォルニアのサンフランシスコのバークレーにあるカリフォルニア大学の学食全体がオーガニック・フードに移行したというのである。こうしたことが実現するには、一朝一夕には行かないし、それなりの歴史的な経過があるのだろうと今では思う。

その国の食にたいする意識のあり方を見るのに一番いいのは、各地の大学の食堂を見てみればいい。その国の知性のあり方を知るには、各地の大学の生協の書店を見てみればよいというのが、ぼくの経験から言えることだ。大学生がなにを選んで食べているかは、ある意味でその国の知性のレベルを如実に物語る。このスタンダードから見ると、日本の大学の学食のひどさが際だっていることは言うを待たない。ぼくはファーストフードを否定するものではないが、大学がそれを提供するようなところであってはならないと思う。人がなにを食べるかはの知性のあり方とも密接に関係しているのだ。大学生が食を大切にしない国に、ただ腹にたまればよいものを口にしている国に、いったいどんな未来があるというのだろうか? 学問を学ぶということのなかから、ほんとうに大切なもの——どのように生きるか——が決定的に抜け落ちているような気がする。日本の大学ほどぶらりと訪れてつまらないところはない、学食も、生協も、書店も、キャンパスも。

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Wednesday, April 05, 2006

“スピリチュアリティとへいわ ”トークセッション

今年は映画『ホピの予言』が生まれて20周年の節目の年です。スーパーバイザーとしてこの映画の最終的な編集に加わっていたこともあり、感慨もまたひとしお。ということで来週の土曜日に神戸でお話会をします。


Hopi_omoteスピリチュアリティとへいわ
@ MODERNARK pharm cafe


ランド・アンド・ライフ 20周年企画イベント
“スピリチュアリティとへいわ ”
2006.4/15(土) モダナークファームカフェ

第1部(15:00開場 15:30開演)
映画「ホピの予言 2004年版」上映
北山耕平さん トーク
岡野弘幹さん ミニライブ

第2部(20:30開演)
岡野弘幹さん ライブ

【要予約】※定員70名
第1部:2300円 ドリンク付
第2部:1500円 ドリンク付
第1・2部通し:3300円 ドリンク付

 
問い合わせ:ランド・アンド・ライフ 078-881-8163
      モダナーク 078-391-3060
主催:ランド・アンド・ライフ : http://www.h6.dion.ne.jp/~hopiland/
協力:モダナーク : http://www.chronicle.co.jp/

会場:モダナークファームカフェ 078-391-3060
   〒650-0012 兵庫県神戸市中央区北長狭通 3-11-15

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ナバホの国から——アメリカインディアンの織物展のお知らせ

サンタフェに暮らしながら自分とネイティブの人たちとの関わりをブログ『サンタフェより』で公開している里利さんが、里帰りした信州からのブログの更新で、八ヶ岳美術館(長野県諏訪郡原村)で現在おこなわれているナバホの織物展のことを書いている。

すばらしいコレクションだった。バラエティといい、質といい。展示は、主催の方の織物を探す旅の旅行記的なコメントを追う形で進んでいく。

ディネのカレッジに通って彼等の文化に造詣も深くサンタフェを生活の場としてきた里利さんのこの言葉は、じゅうぶんに信頼に値する。ナバホの絨毯には彼らの夢や生き方が織り込まれているといわれるのだ。そうやってていねいに織られたラグを一枚一枚をゆっくりと見ていくことはそのままもうひとつの瞑想体験になるに違いない。時間があればなんとか行きたいなぁ。以下は今回のイベントのお知らせを美術館のサイトからコピーしてきたもの。

Beadline.jpg

ナバホの国から  アメリカインディアンの織物展
2006年4月1日(土)〜5月31日(水)

自らを「ディネ(土地の人々)」と呼び、独特の文化を持つアメリカ・インディアンのナバホ族。彼らの伝統的な織物、ナバホ織りを展示した展覧会を開催いたします。半砂漠の大地や岩山、広い空、雷、踊りなどをモチーフにしたパターンを織り込んで作ったナバホ・ラグは、力強さと美と実用を備えた織物で、縦糸を素早く数えながら、指を物差し代わりに使って織り進めます。もとは着衣や鞍の役目を果たし、暮らしの変化とともに敷物(ラグ)として使われるようになりました。

Dineh
ギャラリートーク
ナバホの織り手を囲んでQ&Aセッション
日時 5月3日(水)午後2時から 定員30名(要予約)
参加費 無料  会場 当館企画展示室

ナバホ織り体験(携帯電話入れを織ります)
日時 4月29日(土)午後1時から 定員15名(要予約)
参加費 1,000円(材料費)と別途入館料  会場 当館企画展示室

お問い合わせ・ご予約は
電話 0266−74−2701 
八ヶ岳美術館まで

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Monday, April 03, 2006

日系人がハイキングの途中でメネフネと遭遇か

エイプリルフールのネタかもしれないけれど、もっともらしくておもしろい記事を見つけたので紹介しておきたい。アメリカで旅のノウハウを教える旅人のためのウェブログ「gadling」というのがあり、小生は時々そこをのぞいているのだが、4月1日に「日系人がハイキングの途中でメネフネと遭遇」という記事が掲載された。観光でオアフ島を訪れていたマーク・タケハラ君24歳が、3月31日金曜日にマウナウィリ滝に通じるトレイルをハイキングしていたところ、小さな妖精のようなものと遭遇したらしい。

メネフネについてグーグールで検索したら、素晴らしく良く書けた日本語の記事が「ほぼ日刊イトイ新聞—ほんとうにほんとのハワイ ハワイの伝説 Menehune メネフネ」としてあったので、そちらをお読みください。

で、先月3月31日の午後、マーク・タケハラ君は友人たちと一緒に、このハワイ島では最も楽なハイキングコースのひとつにハイキングに出かけ、途中でなぜか一団とはぐれて、落ち着くために小用をたそうとトレイルのわきの茂みのなかに入ったところ、きわめて小さな不思議な人間を目撃したという。

その後、先に行っていた友人たちと合流し、自分の見たものについて彼らや他の旅行者たちに話したところ、話を聞いたエイミー・フコタミ(オアフ島ネイティブ)は、笑って彼の描写が伝説の「メネフネ」とよく似ていると指摘した。タケハラ君はみんなとはぐれてひとりでいつになく長い時間トレイルをさまよったあげく、ひたすらおしっこをする場所を探していた切迫した状態で、しかも彼からは「ホワイト・シャーク(白鮫)」の匂いがぷんぷんしていたと、フコタミは語る。「ホワイト・シャーク」とは「ロコの人たちがおそろしくよく効くというカンナビス(参照ページ)」のことで、彼がメネフネと出会ったと主張する最大の理由もこれのせいかもしれないと、記事は書いている。
Menehune
ともあれハワイを訪れる旅人がメネフネと出会う機会は、残念ながらオアフ島だとほとんどない。なにしろ相手は夜中に深い森のなかを動き回っているほとんど姿を見せない人たちなのだ。同記事を書いたアドリエンヌ・ウィルソンによれば、オアフ島のこのあたりで最後にメネフネが目撃されたという証言は1947年が最後であるという。あなたが本気でメネフネと出会いたいと考えているのなら、カウアイ島に行くべきだと記者は主張している。なにしろカウアイ島では1972年に最後に彼らの姿が目撃されたという記録が残っているのだ。(右は航空会社のユナイテッド・エアラインがおみやげに配ったメネフネの長老の人形)

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