岩絵を描く青年
右サイドバー巻頭の「Peace」な写真を変更した。今回は「Primitive artist」とタイトルがつけられているもの。小さくてよくわからない場合は、写真そのものをクリックするか、ここをクリックしてください。写真家エドワード・S・カーティス(Curtis, Edward S., 1868-1952.)56歳のときに公開した作品で、タイトルは「原始の芸術家」である。プリミティブという言葉には「原始時代の」という意味が暗にこめられていて、「未開」とか「粗野」といったニュアンスもあるが、岩絵を描いている青年には「芸術」という観念はなかったと思う。「芸術」という言葉はもともとネイティブの世界には存在しない。彼らはすべてが美しい世界のなかで生活していたから、生きるという行為そのものが宗教であり芸術で、そのふたつのあいだに大な差異はなかったと思われる。彼らはあらゆるものに自分たちの信じる美を表現しようとしており、今的にいうならば、誰もが宗教者であって芸術家であったはずだ。「芸術」という言葉は生活のなかに美しくないものの占める割合が大きくなってからの産物である。
写真は南カリフォルニアからネバダにかけての高原沙漠地帯に暮らしていたショショーニの青年のひとりが、カリフォルニアの州境からすこしネバダに入ったところにあるウォーカー・レイクという湖の岸辺の近くにある氷河期の残した巨大な岩のかたまりに赤い顔料を用いて描かれた岩絵を目立たせるためになぞつているところであるらしい。カーティスの説明によると岩絵は「男根」をあらわしているというが、より解像度の高い高画質なものでチェックしても残念なことに絵そのものをきちんと見ることができない。この「芸術家」の青年は沙漠の人がそうであったように着ているものは腰ひもに布を前後にとおしたいわゆるふんどしとモカシンだけという身軽な格好。
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Comments
生きることそのものが、芸術であり、宗教であるということ、とても重要な意味を持っていますね。
中沢新一氏があるインタビューの中で、最近のアーティストの中に、日常生活を出発点にしていく傾向があるのを正しい道と評価して、「帝国」(その時、例として、色彩やコカコーラ、トマトケチャップ、マクドナルドなどを挙げて、「帝国」と呼んでいた)によって侵される皮膚感覚、呼吸の機能、目の機能、聞く機能などの「崩壊」に対して戦う戦線は、そこにあるんじゃないですかと言っていました。逆に、日常生活めちゃめちゃで、作品の中だけでアートをやるなんていう作家は戦線放棄しているとさえ言っていました。
先住民の生き方と照らしてみると、そのことの意味がよく分かりますね。
Posted by: りょうちん | Sunday, April 02, 2006 02:58 PM