時の輪歴史講座とはなにだったのか?
昨年の11月からはじめた月一回の「時の輪 歴史講座」第一期が先週無事に終了した。わたしにしても非常に得るものの大きい体験だった。全部で4回の話を終えて、いろいろ考えたことをまとめておく。それは、自分が講座のなかでやろうとしたこと、あるいは『ネイティブ・タイム』(地湧社刊)という書籍でやろうとしたことが、おかげで次第にはっきりしてきたからに他ならない。
わたしがこのブログや本や講演会やお話しの場で伝えようとしてきたこと、あるいは伝えていこうと考えていることは、つきつめていくと、もういちどわれわれが日本列島のネイティブになる——日本列島で生きるただの人になる——ためになにが必要なのかということにつきる。つまりわれわれは千年以上もかけて日本人化する過程で、狩猟採集のライフスタイルを捨てて、大規模農耕の土地から収奪するライフスタイルを選択する(させられた)ことで、日本列島との精神的なつながりを喪失してしまっているという大きな前提がここにはある。
もしそれが失われていないのだとしたら、どうして今の日本列島がこのようなありさまになっているのか誰にも説明がつかないだろう。海は汚れ、河は汚れ、森はそこに暮らしていた動物たち共々姿を消し、聖なる山はゴミの山と化している。かろうじてのこされている南北アメリカ大陸のいくつかの先住民の伝統的な暮らし方を学べば学ぶほど、われわれはほぼ同じところから今の世界で旅をはじめたにもかかわらず、ネイティブとはおよそ言いがたい生き方を選択することで、母なる大地との絆を失ってきてしまったことが手に取るようにわかってくるはずだ。
ではもう一度日本列島と、そのスピリットとつながるためになにをすればよいのか(なにができるのか)というと、それにはなによりもネイティブの人たちの世界の見方とものの考え方を獲得することであるが、そのためにはまず自分の頭のなかにネイティブとしての時間と空間の地図を持っていなくてはならない。この内なる地図はたれかが与えてくれるようなものではなく、伝統的には自分で創りあげていくものであったし、これからもそうであり続けるのだろうが、伝統社会をあらかじめ喪失した現代において、この時間と空間のマップを作る作業に役に立つようなありとあらゆる情報を、それを望む人たちに手渡すのが自分の仕事のひとつだと、わたしは長く認識してきた。
なぜそれが必要なのか? 20年近く地球に生きるネイティブ・ピープルのことを学んできて、ひとつ確信を持って言えること、それは、ネイティブ・ピープルにとっては大地は自分の肉体そのものであるということである。彼らは自分の体のことのように自分の暮らす大地のことを認識し、その独自の地図を頭のなかに創りあげている。北米大陸のネイティブたちの多くがかたくななまでに「北米大陸先住民がベーリング陸橋を渡ってきた」という学説を否定する理由は、そのままそれが彼らの信じる自分たちの起源を否定することにつながり、そのことによって彼らの存在を、彼らが物理的に占有していた大地から切り離してしまうばかりか、彼らが内側に創りあげていた独自の時間と空間の地図からも切り離すことにつながるからなのだ。
一度大地とのつながりが切れてしまい、自分の内側にあった地図が消されてしまうと、われわれは普通の地球に生きる人としての感覚を失っていく。そして一度切れてしまった大地との絆を再び創りあげることは至難の業になる。何百年、何千年その土地に暮らそうと、その大地とのつながりがなければ、その土地の人間ではないままである。もう一度日本列島において地球に生きる人となるためにわれわれはなにを知らなくてはならないのか、それを学ぶ機会を、今回あのようなかたちで共有できる機会を得たことは望外の幸せだった。(この項目つづく)
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Comments
こんにちは。いつも大事にNative Heartを読んでいます。
わたしは、さいきんやっと、ここまで育ってきた間に受けた教育や、当たり前だと言われてきたことから解放されてきました。また、去年の秋からずっと家の小さな竹やぶを整理して、昔からこのあたりにあった(あるいはあったはずの)木を育てようとしています。宮脇昭さんの考えに基づいた方法で。つまり、日本の、そして、この家でできるネイティブになる方法のひとつだろうと思ってのことです。そうしたら、その場所がとてもきもちのいいところになってきました。すごく受け入れてくれているように感じます。ねっころがって、耳を澄ませる事もよくします。こうやって、ひとつひとつのことを丁寧にすることで、自分の変化を感じて、とてもうれしいです。(翻訳はすごく地道に続けています。)それではまた!
Posted by: ほったさとこ | Saturday, March 04, 2006 03:06 AM