インディアンは楽園から追放されなかった
せっかくおいでいただいて恐縮ですが、この記事は、書籍化にともなって、削除されました。ここにあったジョークは『インディアンは笑う』(マーブルトロン発行・発売中央公論社)に、改訂版が収録されています。どうか本でお笑いください。北山耕平 拝
せっかくおいでいただいて恐縮ですが、この記事は、書籍化にともなって、削除されました。ここにあったジョークは『インディアンは笑う』(マーブルトロン発行・発売中央公論社)に、改訂版が収録されています。どうか本でお笑いください。北山耕平 拝
右サイドバー巻頭の「Peace」な写真を変更した。今回は「Primitive artist」とタイトルがつけられているもの。小さくてよくわからない場合は、写真そのものをクリックするか、ここをクリックしてください。写真家エドワード・S・カーティス(Curtis, Edward S., 1868-1952.)56歳のときに公開した作品で、タイトルは「原始の芸術家」である。プリミティブという言葉には「原始時代の」という意味が暗にこめられていて、「未開」とか「粗野」といったニュアンスもあるが、岩絵を描いている青年には「芸術」という観念はなかったと思う。「芸術」という言葉はもともとネイティブの世界には存在しない。彼らはすべてが美しい世界のなかで生活していたから、生きるという行為そのものが宗教であり芸術で、そのふたつのあいだに大な差異はなかったと思われる。彼らはあらゆるものに自分たちの信じる美を表現しようとしており、今的にいうならば、誰もが宗教者であって芸術家であったはずだ。「芸術」という言葉は生活のなかに美しくないものの占める割合が大きくなってからの産物である。
写真は南カリフォルニアからネバダにかけての高原沙漠地帯に暮らしていたショショーニの青年のひとりが、カリフォルニアの州境からすこしネバダに入ったところにあるウォーカー・レイクという湖の岸辺の近くにある氷河期の残した巨大な岩のかたまりに赤い顔料を用いて描かれた岩絵を目立たせるためになぞつているところであるらしい。カーティスの説明によると岩絵は「男根」をあらわしているというが、より解像度の高い高画質なものでチェックしても残念なことに絵そのものをきちんと見ることができない。この「芸術家」の青年は沙漠の人がそうであったように着ているものは腰ひもに布を前後にとおしたいわゆるふんどしとモカシンだけという身軽な格好。
28日にココログがバージョンアップしたことにともなって、それ以降コメントやトラックバックが反映されにくい状態が続いています。ニフティの方には不具合がいくつも報告されており、改善までにかなり時間がかかりそうで、結果として読者のみなさんにご不便をおかけすることになります。TAKE IT EASYでまいりませう。
(追記—4月1日)今回のココログのバージョンアップにともない、コメントもトラックバックも、当方の承認を待って公開されることになりましたので、即座に画面に反映されることはなくなりました。スパムなコメントや、トラックバックがあまりにおおいという理由からだと思われます。
サウスダコタ州のブラックヒルズの山々の東の草原の静寂のなかにベアー・ビュートというけっこう険しい山がそそり立っている。ブラックヒルズ国立公園のなかに位置し、古代からシャイアンなど平原インディアンの人たちの聖地としてあがめられてきたこの山は、あきらかに誰が見ても特別な力の山である。おそらくそこはとてつもなく神聖な山であり、中東のシナイ山にも匹敵するとされる。
この瞑想とヴィジョン・クエストのための土地であるベアー・ビュートの山麓にスタージスという町があって、この町は知る人ぞ知るハーレイのメッカとされる町であり、毎年8月になると全米から50万人ほどのバイカーがさながら巡礼のごとく轟音を響かせて押し寄せては、浴びるほど酒を飲みまくり、マッチョを競い合い、胸をあらわにした女の子たちが叫声を上げるらんちき騒ぎを繰り返してきた。
そしてこのたび、その狂乱を求めて押し寄せるバイカーたちを一年中呼び寄せようと、このスタージスの町のはずれに、バイカーたちのための巨大な酒場と、広大な駐輪場が完備された収容人数がなんと3万人というとてつもなく巨大な野外ロックコンサート劇場が作られることになったことで、この山を聖地としてあがめてきたネイティブの人たちからいっせいに抗議の声があがりはじめていると、ロサンジェルスタイムズ紙が3月26日付の記事「ビールと女とバイク、そしてグレイト・スピリット(Beer, broads, bikers -- and the Great Spirit)」で伝えた。この劇場に酒の提供を認める許可を与えるか否かの公聴会が近日中に予定され、数多くのインディアンたちが出席すると見られるという。
この記事を書いたピーター・ナボコフはUCLAでネイテイブ・アメリカンの信仰を研究する先生でアメリカ・インディアンの聖地について研究し、『稲妻が撃つところ——アメリカン・インディアンの聖地の命(右)」という優れた著書もある。
ベアー・ビュートは火山が噴火する寸前で停止したままになっている山で、内部には地球のエネルギーがたまりにたまっている。現在その近くで生存しているラコタの人たちにとっても、ほかの平原インディァンのすべての部族の人たちにとって、それはとても特別な聖なる山である。ラコタにとっては最も神聖な山で、山そのものが大きな祭壇として考えられているし、シャイアンの神話の中心にある山でもある。ノースダコタのマンダン一族は巡礼としてこの山を訪れるのを習慣にしていたし、今では知らない人のいないあのラコタの戦士クレイジー・ホースが1857年にヴイジョンを求めた土地でもある。ブラックヒルズで金が見つかって、目の色をかえた白人の兵隊や山師たちが雪崩を打って入り込んできたとき、ラコタの人たちが抵抗の拠点としてたてこもったのもこの山だった。
1961年にはサウスダコタ州立公園に指定され,12年後には国定史跡にもなったが、そうしたことがアメリカ・インディアンのベアー・ビュートの使い方に大きな変化をもたらすことはなかった。1982年には州立公園にキャンプ場が設けられ、ハイキング用のトレイルや一部の道の舗装がおこなわれて、インディアン以外の観光客を引きつけるようにもなったがその場合にもアメリカン・インディアンが伝統的なヴィジョン・クエストをおこなう際には入園が制限された。今回78年のアメリカインディアンの宗教の自由法をたてに、アメリカン・インディアンの儀式および聖地の保全を理由として挙げて、スーとシャイアンは開発を遅らせるために共同で訴えたものの、地方裁判所は彼らの訴えを拒絶。
スピリチュアルなものの存続の源としてのその持続的な役割もさることながら、それ以上に、社会的、宗教的、政治的に平原インディアンにとってのベア・ビュートの重要性は、はかりしれない。貧困、アルコール中毒、社会的機能障害および居留地システムという内なる植民地主義からの出口を求めて戦ってきたアメリカン・インディアンたちは、過去をけして忘れないためにそこを訪れてきたのだ。今造られようとしている娯楽複合施設がもたらすであろうけたたましい騒音や、これ見よがしな自己顕示欲、アルコールによって加速された軽薄さが、アメリカ・インディアンにとっての最後の聖域とでも呼べるベア・ビュートの神秘さを破壊してしまうことは想像に難くない。
LAタイムズ紙の記事によれば、先年亡くなったアメリカ・インディアンを代表する知識人のひとりだったヴァイン・デロリアJrはよく,ベア・ビュートのような場所には「独自の時間が必要」とする意見を述べていたという。その独自の時間のなかで、スピリチュアルなものを求めてくる人たちに力が授けられるのだろう。現代アメリカ人は、ベア・ビュートがこの国の壊れやすい宝であることを認識する必要がある。この娯楽施設に酒類販売許可証を与えないことは「いわゆる聖地といわれるところを保護し、目に見えている以上のものが紫色にそびえたつ山々の威厳にはあることを現代人に思い出させるための、最初でそして最後の機会になるだろう」と記事は結んでいる。
聖なる山をゴミの山にしてしまったわたしたちにも、これは耳の痛いニュースなのだろうか?
せっかくおいでいただいて恐縮ですが、この記事は、書籍化にともなって、削除されました。ここにあった文章は『ネイティブ・アメリカンとネイティブ・ジャパニーズ』(太田出版2007年7月刊)に、加筆改訂版が収録されています。ネイティブ・ハート・ブログの書籍化については「さらにブログを続けるということ[Native Heart Friday, June 01, 2007]」のアーティクルを参照のこと。わざわざ探し出してここまでこられたのに誠に申し訳ない。願わくば拙著にて、より完成された表現媒体となったものを、お読みください。北山耕平 拝
せっかくおいでいただいて恐縮ですが、この記事は、書籍化にともなって、削除されました。ここにあった文章は『ネイティブ・アメリカンとネイティブ・ジャパニーズ』(太田出版2007年7月刊)に、加筆改訂版が収録されています。ネイティブ・ハート・ブログの書籍化については「さらにブログを続けるということ[Native Heart Friday, June 01, 2007]」のアーティクルを参照のこと。わざわざ探し出してここまでこられたのに誠に申し訳ない。願わくば拙著にて、より完成された表現媒体となったものを、お読みください。北山耕平 拝
ニューヨークのセントラルパークでコヨーテが捕らえられたというニュースをCNNが報じていた(NYセントラルパークにコヨーテ、捕獲成功 2006.03.23 Web posted at: 15:47 JST 写真あり)。
ニューヨーク(CNN) ニューヨーク市内セントラルパークで野生の肉食動物コヨーテが目撃され、20時間余りに及んだ追跡劇の末、22日午後9時45分頃にようやく捕獲された。警察当局によると、「ハル」と名づけられた推定年齢1歳のコヨーテは、毎年シェークスピア劇が上演されているベルベデーレ城近くで麻酔銃で撃たれ、御用となった。
ハルは21日、ハレット自然保護区からアイススケート場ウォルマン・リンク周辺に突然現れ、スケート客らが一時避難する騒ぎになった。ハルはさらに池を泳いで橋の下をくぐり、フェンスを越えるなどして走り回り、行方を追う公園職員や警官隊などを振りまわした。現場には報道陣も駆けつけ、テレビ各社はヘリコプターで上空からハルを追跡した。
ハルはブロンクス地区リバーデールの林から川を泳いでマンハッタンに移動し、マンハッタン西側のリバーサイドパークに到達した後、セントタルパークに入ったとみられる。ハルが最初に目撃されたのは19日午前1時半頃だが、この時はオオカミと間違われた。
セントラルパークで発見されたコヨーテはここ7年間で2匹目。ハルは今後、ニューヨーク州北部の野生動物保護施設に移送される。
専門家らによると、コヨーテは以前から同州に生息しているが、生息地域は急速に拡大している。都市部の生息数は、狩猟禁止やわな減少で増えており、大都市圏に入ってきたり、ヒトの居住地周辺での生活に慣れてきたコヨーテもみられる。専門家は「もし今後数年間に、セントラルパークでコヨーテに出会うことがあっても驚かないでほしい」と語っている。
コヨーテのなかの人もたいへんな時代です。
ロイターは「NYセントラルパークでコヨーテの捕物劇を展開 2006年 03月 23日 木曜日 16:32 JST」として同じニュースを別の角度から報道している。それによると「コヨーテはアヒルなどを追い回し、その跡には羽毛が積み重なっていた」とある。やはりあいかわらずコヨーテ兄さんは腹を減らしているらしい。
地球という惑星に生まれ落ちてしまった人間は、誰もが自分の旅をしなくてはならない。このことをしばしばカヌーにたとえて話しをするネイティブの人たちと多く出会ってきた。つまり、わたしたちはひとりひとりすべての人間に、人生という川を下るためのカヌーが一艘ずつ与えられているのであると、その人たちはいうのだ。そのカヌーは一人乗りで、カヌーをこぐパドルも一本しかついていない。そして人生からなにかを得ようと思ったら、われわれはそのカヌーに乗り込んで、川を下るためにパドルで水を漕ぎはじめなくてはならないと。
自分の旅がどのようなものであったかを旅の途中でみんなと分けあうことはできる。今はおだやかな流れの川の旅がどんなに冒険にみちたものであったかをおもしろおかしく語ることもできる。どこにどんな障害物が待ちかまえているか、とか、天気と川の流れの関係などの話も、聞けばそれなりに役に立つだろう。だがひとつだけはっきりしているのは、わたしはあなたのカヌーを漕ぐことはできないということである。人は自分のカヌーは自分で漕がなくてはならない。
よい旅を!
ドイツの大学の研究者が、楽しくもないのに楽しく振る舞うことをながば強制的に求められると、人間は病気にかかりやすくなると警告を発しているとシドニー・モーニング・ヘラルド紙(Wednesday March 22, 2006)が報じている。こうした危険性のある職業としてあげられているのが、フライトアテンダント、セールスを担当する人、コールセンターのオペレーター、ウェイターやウェイトレスなど、見ず知らずの人たちと一定の時間接触することが仕事の人たちだ。フランクフルト大学の心理学者によると、友だちでもない人間に友だちであるかのような顔を向けていると、ストレスが高まり、免疫系システムの働きを低下させ、へたをするとより重要な病気にかかる可能性が高くなるそうだ。
自分の意思に反して、友だちでもない相手に友だちのような振る舞いをすることは、ストレスのもとであるらしい。そういう職業の人は、意識的に感情にたまったストレスを解放してやるための時間と場所が必要になるだろう。「お客様は神さまです」としばしばいわれるが、実体はとんだ「疫病神」なのかもしれませんねえ。くれぐれも、気をつけたいものではありませんか。
あのスティーブン・スピルバーグがドリーム・ワークスと製作しているテレビ西部劇のプロデューサーたちがアパッチの夫婦に訴えられたという記事が「Guardian Unlimited(Monday March 20, 2006)」に掲載された。記者はガーディアン紙の記者のジュリアン・ボーガーという女性だ。
記事によると、ニューメキシコの撮影現場でスタイリストが部族の習慣を無視して自分たちの8歳になる娘の髪を切り落としたことが原因らしい。スピルバーグ総指揮で「西部へ( INTO THE WEST)——アメリカンドリームの中心への旅」というミニシリーズが製作されていて、たまたま男の子のエキストラがたりなかったために、少女を男の子らしく見せるためにスタッフが髪の毛を切り落としてしまったようだ。訴状ではこの行為を「意図的で、言語道断の、そして無謀な行為」と呼び、両親はかなり腹を立てている様子がありあり。この番組を放映中のターナー・フィルムスは訴訟についての言明を避けているとある。
記事を読むとどうも、これはメスカレロ・アパッチの人たちの生活習慣と密接に関連しているらしい。ニューメキシコ州南部で暮らすメスカレロ・アパッチは、女の子が成人式の儀式を行う日までは髪の毛を切ることを禁じてきたのだ。訴状では関係者のなかにあらかじめ少女の髪の毛を切る許可を求めてきた人間は一人もいなかったという。父親のダニー・ポンスさんは「せっかく背中の中程まで伸びていた髪の毛が、肩のうえのところでばっさり切られてしまった」と怒りをあらわにする。
「これではまるで男の子だ」ポンスさんは地元の新聞に語っている。「娘だというのに。連中は髪の毛を切り落として、娘の気持ちを傷つけ、怖がらせて、はずかしめたのです。まるで児童虐待ではないですか。わたしたちが誤解されてしまいます」
テレビドラマの『 INTO THE WEST』は19世紀のアメリカのフロンティアを、白人の移住者の家族とネイティブ・アメリカンの家族の両方の視点から見直そうとした人気ドラマ。スピルバーグは製作総指揮とクレジットされているものの、訴えられたのはスピルバーグ本人ではなく、番組のプロデューサーと制作しているターナー・フィルムで、両親は精神的苦痛で250000ドル、肉体的損傷で75000ドルを求めている。
とまあここで終わればアメリカではよくある普通の記事ではあるのだが、この記事を書いたジュリアン・ボーガー記者は、なにを思ったか文末で、唐突にメスカレロ・アパッチに残されたある予言に言及しているのだ。それは、およそ一世紀程前のもので、「目の青い白人だけがニューメキシコの山のなかに暮らすようになるだろう。そして残されたインディアンはわずかに数えるほどになり、いずれそのものたちも白人になってしまう」という予言であったらしい。そしてそのときが来たときには、この世界は終わってしまうというのだ。少女の髪の毛が切られたことと世界の終わりは、きっとどこかでつながっているのかもしれない。
クレイジー・ホースがヴイジョンを求めて祈ったとき、合衆国の軍隊との最後の戦いを前にして、今のサウスダコタに四方のネイティブの国から何千という戦士たちを集めたことがある。大平原を血の海に変えても白人の軍隊を一掃するためにどうすればよいか、彼は集まったたくさんの戦士たちをいかにまとめていくか悩みに悩み、そしてヴィジョンを求めたのだ。そして四日間の祈りと断食のなかで彼にもたらされたメッセージは、あたりを血の海に変えるようなまねは避けること、自分の一族のものたちが知っていることを圧制者たちに惜しみなく与えることのふたつだったという。ふたつのうちでも特に自分たちが知っていることを惜しみなく圧制者たちに与えることは、ネイティブの人たちにとっては、自分たちが一方的に虐殺の被害者になり続けてきた現実を見れば、およそ耐え難いほどの試練であることは間違いがなかったろうと思う。
写真は、唯一クレイジー・ホースのものかもしれないとされているもの。彼が写真を撮影されることを嫌っていたことは有名で、この印刷された背景のスクリーンの前に立つ写真の人物がそうだという証拠はない。この写真は現在モンタナのビリングスという町からそう遠くないところにあるカスター戦争記念館のクリストファー・コートランダーという人物が所有している。撮影したのはゴールドラッシュの時代のブラックヒルズをよく知り、価値ある記録として写真に残したジェイムス・ハミルトン(James Hamilton)という人物の父親の写真家だ。J・ハミルトンは、チーフ・クレイジー・ホースが降伏した1877年5月はじめにはスーの人たちの土地であるブラックヒルズに父親とともに入っていたと、後に彼が出版した『アイオワ年代記』という本の中で話しているという。この年の9月に同地のロビンソン砦でクレイジー・ホースは殺害されている。
巡り巡ってインターネットオークションの eBay に出品された200点以上の鉄板写真のうち、「Photograph 104」と数字が打たれ、鉄板写真のオリジナルのカタログに「写真104 クレイジー・ホース」と記されていて、ロビンソン砦で撮影され最終的にクレイジー・ホースのものかもしれないと発掘されるにいたった鉄板写真が、クレイジー・ホースの友人でこれを長く秘匿してきた人物のもとから流出し、どういう経緯を経て、21世紀になってオークションで6500ドルという価格で落札されて、カーター戦争記念館の所有になったかについては、長くなるのでまたの機会に譲ることにしたい。もし興味がおありなら、Billings Gazette というビリングスの町の新聞の2003年11月16日に掲載された、この写真の来歴についての記事がここ(リトル・ビッグ・ホーンの戦いを忘れないための記念サイトのなか)に掲載されているので、そちらをお読みください。ちなみにこの写真は鏡像になっていて、正しくは左右を逆転させたものだという。
ラテンアメリカ、130万人が奴隷状態
http://la-news.cocolog-nifty.com/lanews/2006/03/2594130_1c95.html
「ラテンアメリカから見ると」が今日の日付で伝えていた。
国際労働機関(OIT=ILO)が発表したところによると、ラテンアメリカでは130万人が奴隷状態にある。これは国連の会議の中で、同機関の専門家が明らかにしたもので、アンデス国家の中でブラジルの状態が最悪である。多くの先住民が、ペルーの木材産業、ボリビアのサトウキビ伐採、パラグアイの大農場で強制労働をさせられている。ボリビアのサトウキビ農場で働かせられている先住民は、一日12時間の労働で、失敗をすると罰せられるという。
同時に報告されたところでは、ブラジルで2003年1月からこれまで、奴隷状態にあった1万3千人が解放された。
なお、世界では1230万人が奴隷状態に置かれている。
対外的に戦時状態にあるアメリカで、国内においても「核と聖なるものを巡る戦争」が続いていることを知る人は少ない。この戦争は、ウエスタン・ショショーニ国とその国土を事実上乗っ取っているアメリカ合衆国との間で戦われているものである。
ショショーニの人たちの土地には、世界中の誰もが知っている「ネバダ地下核実験場」があり、1951年から91年にかけて1000回もの核爆発実験が繰り返され続けている。つい先日も臨界前核実験がおこなわれたばかりだ。
ショショーニの人たちの国土防衛のためのアメリカとの戦争は合衆国が政府がメキシコから南西部を奪った1848年にはじまり、第二次世界大戦後の一時期大きな高まりを見せたものの、2年前の夏にブッシュ大統領が「ウエスタン・ショショーニ配分法」に署名し発効したときに終結したとアメリカ側はかってに思いこんだ。
ショショーニの人たちの土地はいまだかつて一度も合衆国政府に金銭で売り渡されたことはなく、19世紀の役人たちには無価値と見なされていたがために、法的には彼らが「美しき大地(ニュウイ・ソゴビア)」と呼ぶ国土(右地図)はウエスタン・ショショーニの所有地のまま維持され続けているのだが、20世紀になって核の時代になると合衆国政府はその土地を購入したこととして、姑息にもかってに資金を預託してきた。土地代金総額は2600万ドルであり、エーカー[約4047平方メートル]あたりでは15セントに相当し、1870年代当時の水準でも大安売りではないか。(利子を加算すれば、支払うべき総額は現在では1億4500万ドルになるという)もちろんショショーニの人たちの大多数は土地を売る契約をした覚えなどないと突っぱね、ブッシュとその仲間たちが握らせようとした金(ひとりあたり3万ドル)の受け取りを拒否したのだが、ご多分に漏れずなかには受け取る人たちも現れて、支払いは強行されたのだった。
しかし金でむりやり片を付けようとした戦争は、政府とその役人たちの思惑どおりには運ばなかった。多国籍企業がウエスタン・ショショーニの人たちが聖なる山とするユッカ・マウンテンに世界最大の核廃棄物処分場をつくろうとする大きな動きを前にして、ウエスタン・ショショーニの人たちは、自分たちの聖なるものをまもるために、再び立ちあがり、その戦いの場を、国連の場に持ち込んだのである。
そしてこの3月10日、スイスのジュネーブの国連人種差別撤廃委員会でアメリカ合衆国にたいして歴史的かつ重要な勧告決議がなされたのだ。それは合衆国が即時にウエスタン・ショショーニ国のショショーニの人たちにたいしておこなっている人権侵害の活動や脅迫などを「凍結」もしくは「停止」することを求める強い調子のものだった。この決定において国連人種差別撤廃委員会はショショーニの人たちが置かれている「自然と緊急」という状況を強調し、通常よりかなり激しく合衆国が委員会の決定に即時に耳を貸すことを求める通告を出している。ショショーニの人たちにとってはひとつの大きな勝利だが、ブッシュとその政権仲間たちの出方次第では、さらなる戦いのはじまりになるだろう。
911にはじまる中近東におけるアメリカの戦争は、もしかしたらアメリカ国内で起こっている最後のインディアン戦争にたいして世界中のマスコミが目を向けないように誘導するために仕組まれたものなのかもしれない。
ショショーニ国の国連代表団のコメントのひとつ:
「自らの祖国を守り、米国政府と多国籍企業の濫用によるわれわれの土地、水、空気の破壊を止めるための権利が、われわれにはあります。状況はのっぴきならぬものであり、われわれは今回の国連委員会の同意をよろこびます。わが一族は世界の他のどこよりも核実験を多く被り苦しんできました。彼らはわれわれのたび重なる抗議にもかかわらず、今なお地下実験を続けています。ユッカ・マウンテンは、核廃棄物を貯蔵するために、そのなかを掘り抜かれています。これはわれわれの我慢の限界を超えています。その大地は、その空は、その水は、神聖なものなのです。あらゆる人種の人たちは、すべてのいのちあるものの安全な将来を確保するために、この狂気を止めなければなりません」ジョー・ケネディ、ウエスタン・ショショーニ
国連人種差別撤廃委員会による勧告文の全文と、この決定を受けてのウエスタン・ショショーニ国「西ショショーニ・ディフェンス・プロジェクト」による緊急声明はここに(英語)あります。なおウェスターン・ショショーニの人たちは現在およそ10000人が暮らしている。
「物事を正しいやり方でおこなうのは容易なことではないが、正しくそれをおこなっているかぎり、わしらはグレイトスピリットとはうまくやれていることになる」ローリング・サンダー チェロキーわたしたちが正しくグレイトスピリットと向かいあっているとき、わたしたちはすべてのことと正しく向かいあっていることにもなる。偉大な存在と調和のうちにひとつになっているとき、誰とも、またなにとも調和がとれないようなことはあり得ない。だから、日中突発的に問題が起こったり、誰かにしこたま気分を害されたりしたときには、なにはさておいてもまずは世界を創られたその御方に向かって話しかけ、助けを求めるようにする。で、それがすんだら他人との話しに戻って会話を続ければよいのだ。そうすることで考えていることと感情のズレが自動的に調節され、わたしたちはいつでもまたグレイトスピリットの近くに居つづけることが可能になる。
暮らしをもっとシンプルにする生き方を選択するということは、いきなり生活を切りつめたりすることを意味しない。シンプルライフへの第一歩は、自分がなにを目指しているのか、なにを大切に考えているかを見なおして、向かう方向を修正することである。
Google が発見した 10 の事実 - ユーザーに焦点を絞れば、「結果」は自然に付いてくる。
- 1つのことを極めて本当にうまくやるのが一番。
- 遅いより速い方がいい。
- ウェブでも民主主義は機能する。
- 情報を探したくなるのは机に座っているときだけではない。
- 悪事を働かなくても金儲けはできる。
- 世の中の情報量は絶えず増え続けている。
- 情報のニーズはすべての国境を越える。
- スーツがなくても真剣に仕事はできる。
- すばらしい、では足りない。
それぞれの項目の詳しい解説は Google の会社情報のページに詳しく出ている。検索サイトでよくお世話になっているなら、読んでおいて損はしません。
せっかくおいでいただいて恐縮ですが、この記事は、書籍化にともなって、削除されました。ここにあった文章は『ネイティブ・アメリカンとネイティブ・ジャパニーズ』(太田出版2007年7月刊)に、加筆改訂版が収録されています。ネイティブ・ハート・ブログの書籍化については「さらにブログを続けるということ[Native Heart Friday, June 01, 2007]」のアーティクルを参照のこと。わざわざ探し出してここまでこられたのに誠に申し訳ない。願わくば拙著にて、より完成された表現媒体となったものを、お読みください。北山耕平 拝
70年代のアメリカは、文字通り「スピリチュアル・スーパーマーケット」の様相を呈していた。そこには地球上のありとあらゆるスピリチュアルなものが集められていたというイメージが——なんの因果かその現場に立ちあってしまった——ぼくのなかにはある。東洋(ヒンズー、ブディズム、ゼン、ヨーガ、マクロバイオティック、タオ、マーシャルアート)も西洋(古代ギリシャ、ケルト、キリスト教原理主義、ボーンアゲイン・クリスチャン、サイエントロジー、グルジャエフ、トールキンなど)も中近東(イスラム神秘主義、ピラミッドなど)も太平洋(アボリジニ、ポリネシア、フナ、サーフィンなど)も、アフリカも、バハマ諸島も、南米インディオも、北極圏も、亀の島(ネイティブ・アメリカン)も、サイケデリックになんでもござれという感じだった。このときにはじまった「偉大なる覚醒」を求める大きな流れは、おそらく今も伏流水のようになって、アメリカの大地の地下を、そしてインターネツトの網の目のなかを流れているに違いない。
当時はローリング・サンダーのところにも世界からさまざまな人が訪れてきていた。そうしたなかで彼が興味を持ったのが「タオイスト」と言われる人たちだった。このタオイストは「道教徒」の英語訳で、「タオ(道、道なき道・名なき名)」を信仰する人たちの意味である。彼はタオイストの話していることはネイティブ・アメリカンの話していることとほとんど違うところがないと見ていた。タオイストの人たちと一緒にいることが非常に楽しそうだった。
アメリカ・インディアンの人たちの生き方をひとつの言葉で表現するときにしばしば「THE WAY」という英語が使われる。それは「仏の道」でもないし「神の道」でもなく、しいてあげるならばそれは「人の道」なのだが、しかしそれは儒教的な教えではなく、あくまでもただの「道」である。彼らは全生活を「道(過程)」と認識する。「一日24時間が宗教」というのはそういうことである。
タオイズムと呼ばれ、日本ではその源とされる老子と荘子の名前から、「老荘思想」とひとくくりにされている人の生き方が、その究極の目標にかかげてきたものは「不死」への到達だった。この「不死」にはもちろんさまざまな意味がある。永遠の生命、長生、不老、超人的な肉体と能力の開発などだ。
はるか遠い古代に日本という国家を作ったのは大陸渡来の道教徒だという説もあるぐらいで、古代中国の道教徒たちのなかには、東の海のなかにある神仙たちの暮らす蓬莱島とされた現在の九州島や四国島や本州島に「不老不死の仙薬」や「不老不死の秘密を知る神仙たち」を求めてやってきた人たちがたくさんいたようだ。過去には天皇のなかにも道教を信じた人がいた。今に残されている列島各地の伝説のなかで「仙人」とされている人たちは、そのすべてがタオイストのことである。
古来よりタオイストたちはさまざまな方法を用いて不老長生を達成しようとしてきた。ここでは「ReligionFacts」という世界各地の宗教や信仰体系のなかからそれぞれの宗教の根本的知識を抽出している興味深いサイトに見つけた「Taoist Beliefs」というページにまとめられていたタオイストが考えた6つの「より良く、そして長く生きるための心得」を紹介しておく。なにかのお役に立ててください。
より良く、そして長く生きるための6つの心得
* 食べるものをとおして、運動をとおして、心を満たすことをとおして、すべての意識をからだに集中させること。* 呼吸(気)を整え、その力を意図的に巡らして、からだの隅々にまで運び届けること。
* 性エネルギーのもたらす力を、とくに射精を押さえ込むことで、全身に満たしてやること。
* 不老不死の薬を発見する目的の錬金術を開発すること。
* 道と調和し、徳にかなったふるまいをすること。
* 不老不死を実現させていて、その秘密を分けあってくれるかもしれない人たちが暮らす夢の島々(蓬莱島)を探索すること。
昨日「時の輪歴史講座とはなにだったのか?」(Native Heart, Friday, March 03, 2006)のアーティクルのなかで、自分の内側にある空間と時間の地図の話をした。この目には見えない地図が、自分たちの起源と、自分たちが今存在している空間の景観と深くつながっていることは間違いない。この地図は、大なり小なりすべての人のマインドのなかに焼きつけられているはずのものなのだ。それがネイティブの人たちのものほど鮮明であるか否かは別にして。
試しに、時間がゆっくりととれるときなどに次の実験をしてみてほしい。
まず、目を閉じて、自分が子供だったときに使っていた自分の部屋のことを思い出してみる。その想像の世界のなかをあちこち探検してみるのだ。自分の部屋から出て、家の中を歩き回ったり、さらに家から外に出て、家の周囲を歩いたりしてみる。その家はもう存在しないかもしれないが、あなたの頭のなかにははっきりと残っているはずである。しばらくそうやって自分の頭のなかで、自分が子供だった時代の家とその周囲を歩き回ってみたら、つぎに思い切ってその家から外に出て行ってみる。たとえば自分が通っていた小学校まで歩いていく。近くの親戚の家や、なかのよい友だちの家にまで行ってみるのもいい。家を離れ、別の場所に向かいながら、曲がり角にあった建物のこと、通りのこと、抜け道のこと、よく犬に吠えられる場所のこと、いつも触って通り過ぎた神社の大木のこと、学校の前の文房具屋や駄菓子屋、横町の豆腐屋や、帰り道でコロッケを買って食べた肉屋の店先のことなど、できる限り細かく思い出してみる。
この実験をのんびりと数時間かけてやってみると、自分が子供の頃にその中にいた生活空間が自分の体や頭のなかで今なおいきいきと息づいていることがわかってきっとびっくりするだろう。そうやって想像の空間のなかを歩きながら、自分の周りに漂ってくる匂いや手触りや足の裏の感触、子供だった自分の低い視点から見えていた世界を観察していく。誰にとってもこれはとても素敵なトリップになるはずだ。
さて、トリップを終えたら、そうやって子供の頃に見えた世界が、自分の親の時代、親の親の時代、なんせだいもさかのぼった遠い御先祖さまの時代にもなにひとつ変わらないままそこに存在し続けているもうひとつの世界のことを想像していただきたい。自分の内側のなかにある景観地図と外側の実際の景観が一致しているその世界のなかで調和して長く暮らしてきた人たちのことを。そこはその景観にたいしてあなたがすることはすべて自分に返ってくることが手に取るようにわかる世界なのだ。自分の内側にあるものと外側にあるものが境界なくどこまでも続いていく世界を想像してほしい。見えているものがそのまま一族の歴史であり、すべてが一族のものであった世界を。地球に今もなお生き残っている先住民とされる人たちの世界の見え方は、おそらくそういうものなのだと思われる。
われわれが子供の頃に感じていた景観とのつながりは、今ではもう薄れて過去のものになりつつあるかもしれないが、彼らの自分たちをとりまいている世界とのつながりは、そこにスピリットの存在を媒介にしているために、とてつもなく密度の濃いものになっているのだ。もう一度日本列島のネイティブとしてこの母なる島々の上に立つためには、われわれは自分のなかにもうひとつの日本列島の空間地図を描き出し、自分たちがなぜ今ここにいるのかを教えてくれる時間地図(もうひとつの年表)を重ね合わせて、意識的にスピリットたちの息づく日本列島に暮らしている自分を眺めなおす学習を推し進める必要があるのだろう。
願わくばわれわれが再びそこで出会えんことを。
太陽系最大の惑星であるジュピター(木星)に赤い大きな発疹ができているとNASA(米国航空宇宙局)が昨日発表した(写真あり)。木星の表面でとてつもない嵐が起こっているらしい。木星がじんましんにかかったとかそういう問題ではなくて、この嵐は全太陽系の惑星のなかでも最大級の嵐であると専門家は言っている。木星は今、夜明け直前の南の空に見つけることができる。さそり座のアンタレスの右上にあるてんびん座のなかにいます。肉眼ではこの巨大な赤い発疹は見えませんけれど、たぶんバイブレーションぐらいは感じることができるかも。
http://science.nasa.gov/headlines/y2006/02mar_redjr.htm
太陽系第五惑星の木星は、古代ローマ人たちは「神々を支配する神」で、古代ギリシャ人はそれを「ゼウス」と呼んでいました。ネイティブ・ピープルにとって天空で瞬く星は、単に旅人を導いてくれる存在だけでなく、なんらかの運命で天界に送られてしまった生物で、星が瞬いたり動くのは彼らがダンスをしているからだと見られていましたし、星の世界で起こっていることはそのままこの地球でも起こっていると、彼らは信じていました。木星の赤い発疹は、きっと星の世界で今なにかが起こっていることを告げているのかもしれません。
昨年の11月からはじめた月一回の「時の輪 歴史講座」第一期が先週無事に終了した。わたしにしても非常に得るものの大きい体験だった。全部で4回の話を終えて、いろいろ考えたことをまとめておく。それは、自分が講座のなかでやろうとしたこと、あるいは『ネイティブ・タイム』(地湧社刊)という書籍でやろうとしたことが、おかげで次第にはっきりしてきたからに他ならない。
わたしがこのブログや本や講演会やお話しの場で伝えようとしてきたこと、あるいは伝えていこうと考えていることは、つきつめていくと、もういちどわれわれが日本列島のネイティブになる——日本列島で生きるただの人になる——ためになにが必要なのかということにつきる。つまりわれわれは千年以上もかけて日本人化する過程で、狩猟採集のライフスタイルを捨てて、大規模農耕の土地から収奪するライフスタイルを選択する(させられた)ことで、日本列島との精神的なつながりを喪失してしまっているという大きな前提がここにはある。
もしそれが失われていないのだとしたら、どうして今の日本列島がこのようなありさまになっているのか誰にも説明がつかないだろう。海は汚れ、河は汚れ、森はそこに暮らしていた動物たち共々姿を消し、聖なる山はゴミの山と化している。かろうじてのこされている南北アメリカ大陸のいくつかの先住民の伝統的な暮らし方を学べば学ぶほど、われわれはほぼ同じところから今の世界で旅をはじめたにもかかわらず、ネイティブとはおよそ言いがたい生き方を選択することで、母なる大地との絆を失ってきてしまったことが手に取るようにわかってくるはずだ。
ではもう一度日本列島と、そのスピリットとつながるためになにをすればよいのか(なにができるのか)というと、それにはなによりもネイティブの人たちの世界の見方とものの考え方を獲得することであるが、そのためにはまず自分の頭のなかにネイティブとしての時間と空間の地図を持っていなくてはならない。この内なる地図はたれかが与えてくれるようなものではなく、伝統的には自分で創りあげていくものであったし、これからもそうであり続けるのだろうが、伝統社会をあらかじめ喪失した現代において、この時間と空間のマップを作る作業に役に立つようなありとあらゆる情報を、それを望む人たちに手渡すのが自分の仕事のひとつだと、わたしは長く認識してきた。
なぜそれが必要なのか? 20年近く地球に生きるネイティブ・ピープルのことを学んできて、ひとつ確信を持って言えること、それは、ネイティブ・ピープルにとっては大地は自分の肉体そのものであるということである。彼らは自分の体のことのように自分の暮らす大地のことを認識し、その独自の地図を頭のなかに創りあげている。北米大陸のネイティブたちの多くがかたくななまでに「北米大陸先住民がベーリング陸橋を渡ってきた」という学説を否定する理由は、そのままそれが彼らの信じる自分たちの起源を否定することにつながり、そのことによって彼らの存在を、彼らが物理的に占有していた大地から切り離してしまうばかりか、彼らが内側に創りあげていた独自の時間と空間の地図からも切り離すことにつながるからなのだ。
一度大地とのつながりが切れてしまい、自分の内側にあった地図が消されてしまうと、われわれは普通の地球に生きる人としての感覚を失っていく。そして一度切れてしまった大地との絆を再び創りあげることは至難の業になる。何百年、何千年その土地に暮らそうと、その大地とのつながりがなければ、その土地の人間ではないままである。もう一度日本列島において地球に生きる人となるためにわれわれはなにを知らなくてはならないのか、それを学ぶ機会を、今回あのようなかたちで共有できる機会を得たことは望外の幸せだった。(この項目つづく)
ほぼ1ヶ月ぶりに右サイドバー巻頭の「Peace」な写真を変更した。今月は「Offering」とタイトルがつけられているもので、以前にも一度紹介したことがあるけれど、そのときには解説を付けなかったので改めて紹介する。大きくして見るときには上の英文字か今月の写真をクリックしてください。写真家エドワード・S・カーティス(Curtis, Edward S., 1868-1952.)57歳のときの作品で、研究社のリーダーズ+プラスという英和辞典によれば、「オファリング」とは
「《神への》奉納, 献納, 供犠(くぎ); 奉納物, ささげ物, 供物; 《教会への》献金, 進物, 贈り物」
と記されている。
写真は、アメリカ南西部の砂漠地帯に暮らすテワ族の流れをくむサン・イルデフォンソの青年が、この地帯に特有の岩山の中腹にひとりで立ち、ひとつまみのトウモロコシの粉を「供物」として、一族の信仰の対象であるさまざまなスピリットたちに、とりわけのぼりくる太陽に向かって捧げているところの図であると、カーティス本人による説明がつけられている。
ネイティブの人たちの一日のはじめ方の基本に、可能な限り昇ってくる太陽に向かって祈りをあげることがあるわけで、その土地のスピリットと親しくなるためにも、天気の良い日には朝の陽の光を全身で受けとめることから一日をはじめてみてください。
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