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Monday, February 20, 2006

杖のメディスン・パワー

staff2「杖道(じょうどう)」という武道がある。「杖(じょう)」と呼ばれるものを使う武術で、その昔は「杖術」といったらしい。「杖(じょう)」とは「棒」であり「つえ」のことである。まずこれだけをとりだして武道と呼んでよいのかわからないけれど、ぼくはそれを武道のひとつとして認識している。今調べてみたら「東京都杖道連盟公式ホームページ」というのがあるし、そこでは「神道夢想流杖術(しんとうむそうりゅうじょうじゅつ)」を学べるようになっていた。そして「武道に縁のない人々にはまったく知られていないのが実状」と嘆きともとれる言葉が記されていた。

さまざまな武道といわれるもののなかにこの「杖」が武具として使われているが、この「杖」がシャーマニズムとかなり密接に関係していることはあまり知られていない。ここに掲載したさまざまな図版(達磨大師から指輪物語の魔法使いまで)はいろんなところから拾ってきたものだが、みんな手に杖を持っていることに注目して欲しい。

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最近たまたまその一部抜粋を読む機会があった「Vital Breath of the DAO: Chinese Shamanic Tiger Qigong」という、正確には「老虎功」という「気功」についての新刊本の中に「古代中国のシャーマニズムでは杖は宇宙の力をあらわすものだった」という記述がある。この本の中で著者のウ老師(Master Zhongxian Wu)はさらに「杖を手にしたシャーマンは万能の知を他に受け渡す力を持つのだ。時を経ていわゆる学校の教師とされる人たちがシャーマンの仕事の一部をとりあげた以降、教師たちはシャーマンのように短い棒をつねに手に持って生徒を教えるようになっている」と書いている。

シャーマンと杖について思い出すのは、ぼくがネバダの沙漠で出会ったメディスンマンのローリング・サンダーが杖をもちいたまるで武道のようなものを教えていたことである。同時に彼はぼくに、「ウエシバモリヘイ」という人物について熱く語ってくれた。サンフランシスコで、その人物の武道の演技を収録したビデオを見せられて、ひどく感心したようだった。「彼の動き方はアメリカ・インディアンの動きそのものだ」と彼は言っていた。何年かしてぼくはアメリカから帰国して、「ウエシバモリヘイ」という人物が合気道の開祖の「植芝盛平」翁であることを知るのである。残念ながら彼の道場を訪ねたときには彼はすでに亡くなっていた。

next 百科事典ウィキペディア 植芝盛平の項

staff1「天地人和合の道」を唱えたこの偉大な人物については、単に合気道という武道の観点からではなく、日本列島のスピリットを受け継ぐ存在としての観点から理解されなくてはならないし、いずれそうなるだろうと思っている。生前の植芝翁についての話はいろいろな本やサイトに書かれているので興味ある方はお読みになってください。

ぼくがすすめるのは植芝盛平翁が生前作られて残してくれた「道歌」を集めて掲載してくれている合気道多田塾のサイトである。「道歌」とはさまざまな教えを「和歌」にしたもので、植芝翁の合気道の奥義を伝える道歌には、彼のスピリットがそのままこめられていて、折に触れてひとつの歌を繰り返し読んだりすると、彼がどのくらいシャーマン的存在だったかも伝わってきます。

next 植芝盛平道歌のサイト

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Comments

日本・中国の武術を学んでいる者として、インディアンの人たちの立ち居振舞い・歩き姿などが武の道につうじるものだと思っていました。武を求めつづけて道に近づいていくことは自然界と一体になることですから、ネイティブピープルと武芸者の動きが共通するのはごく自然のことだと考えます。
からだ(空だ)という器は、大地から借りている、我われ魂が最初に出逢う宇宙(この世)ですから、地球や宇宙のバランスを感じながら生きるうえでもっとも身近な相手ですよね。
弓の島の山山を歩いていた修験者も「金剛杖」という杖をつねに持っていましたし、アイヌの狩人も山にいく時は先が二又に分かれた棒を持っていたそうです。マタギが熊にむかっていく槍も、深い山山を渉猟するうえで杖となることは多かったことでしょう。つねひごろ手入れは怠らなかったのでしょうね。山之神に対峙して、自分の生死を分かつものだったのですから。

おれは杖道はやっていませんが、他の得物を使う武術を学んでいます。得物を使うとき、我が手に握り込んでしまってはそれは死んでしまいます。手の内をやわらかく、気張らず自然に持つことで、得物自体が動く動きにまかせて使うことでそれは最大限のちからを発揮してくれます。
武器と一体になる、敵と一体になる。自分が「無」になってしまうのではなく、確かな「有」でありながらとぎ澄まされた純粋な「空」となって自分以外のものと一体になる。野生の世界の共生とはそんな感じなのかなと思うこのごろですが、道のりはまだまだ長いです。・・・

Posted by: 山竒 | Monday, February 20, 2006 at 10:10 PM

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