ホピ・ファーミング 地球に生きる人たちの農耕技術考 5
陽の光が強烈な夏の間は、少年を含めて男たちがほとんどの畑の作物の管理をしているようだ。女性たちはなにもしていないかというとそうではなく、彼女たちも必要とあらば村にほど近いところにある畑の定期的な水やりなどはしている。
男たちの中には毎日の畑仕事、とくにトウモロコシの畑の作業をするために沙漠の熱波のなかを何マイルも徒歩で出かけるものも少なくない。聞いた話では昔のじいさんたちはみんな駆け足で遠くの畑に出向くのが普通だったという。伝統的に彼らは走ることが好きなのは間違いない。いまだに走ることはホピの伝統的な生き方の一部となっている。
大地を生身の女性として認識しているホピの人たちにとっての最初の農具は、大地に負荷を極力かけないプランティングスティックという先をとがらせた木製の棒で、これで苗を植えるための穴を地面に穿つ。(左の写真を参照。1918年にアリゾナのポラッカというところで撮影されたもの。コーン・プランティングスティックは最初に創造主から与えられた農具とされる。)またホピの人たちは畑の雑草を処理するためには柄のついた鍬も使う。鍬の刃は昔は石で作られていたそうだ。木製の鍬もあったという話も聞く。だが今では鉄製の鍬を使うのがあたりまえのようになっている。
鉄の鍬をホピにもたらしたのはスペイン人との遭遇だった。スペインの工業製品やメキシコの鍛冶屋が鉄の刃の鍬をホピにもたらした。便利なものの導入にきわめて用心深かったホピの人たちが農具としてつぎに発見したのが缶詰用のブリキの缶で、これの上下をくりぬいたもので苗を囲うようにして鼠などに食べられるのを防いだり、沙漠の風で倒されたりしないようにした。また彼らはかかしも作った。
ホピの人たちが沙漠の畑で育てているトウモロコシはわれわれが知っているようにそう背が高く育たない。せいぜい1メートル50センチぐらいの高さである。しかし種はかなり深いところに埋めるので、そのトウモロコシは地中深いところにまでしっかりと根をはって水脈を探し求めている。
季節がよくなって成長をはじめると、その穂の多くはまだ若く緑色のうちに収穫されて乾燥される。実の色に応じて残されるものがきめられていき、それらが収穫されるのはさやに収まってからということになる。
そうやって実になる前に摘まれた穂は、乾燥されて室内にきちんと山のように積まれて薪にされることになる。冬になると時々その乾燥された若い穂の山は戸外の風通しのよいところに持ち出されてほこりを払われて虫干しをされている。このスイートコーンの若い小さな穂は、収穫の季節となり、ホピの人たちが畑に掘った穴でトウモロコシを蒸し焼きにするとき、穴のなかであらかじめ焚かれる燃料にされる。
1年分の収穫されたトウモロコシは、ファーザー・コーンと呼ばれる種となるトウモロコシをのぞいて、残りは一度にほとんどが畑の側に掘られた穴の自然のオーブンのなかで2日から3日をかけて皮付きのままじっくり蒸し焼きにされる。
そうやって蒸し焼きにされて取り出された最初のトウモロコシは一族のなかの最年長の女性に食べてもらうことになっていて、マザー・コーンと呼ばれる。
トウモロコシが蒸されてから数日は全員がトウモロコシを食べる宴が続く。犬も猫もトウモロコシを食べる。その宴が終わると、残ったトウモロコシは皮をむかれて紐に結わかれて太陽光のなかで日干しにされて冬の食料などになる。
普通は実がばらばらにされることはなく、トウモロコシは一本一本が乾燥されたまま家の中につるされて貯蔵される。ホピの人たちはいろいろな色のトウモロコシをつくっているが、食料の基本になるのは白いつぶつぶのトウモロコシであり、この白い粒のトウモロコシは単に食料にされるばかりでなく、轢いて粉にしたものが、ホピのありとあらゆる儀式において神聖な清めの粉として用いられる。
白い粒のトウモロコシは5月か6月になるまで定植されることはなく、収穫も10月まではおこなわれない。ホピの人たちは他にも青や赤や紫やピンクや黄色などの各種のトウモロコシを栽培している。しかし21世になった今では、ホピの人たちも苦労の多い食料生産としてのトウモロコシ栽培を放棄して、儀式に必要なわずかな量のトウモロコシしか栽培しない人たちも増えたという記事がつい最近のアリゾナの新聞に出ていた。ホピは変わり、世界も又それにつれて変わりつつある。
ホピの人たちがトウモロコシから離れると、いったいなにが起きるのだろうか?
20世紀初めにある文化人類学者が次のように書き記した。
「トウモロコシは実際にそれを食料にすることによって人びとの暮らしを支えているという意味でも彼らの母親なのです。種となるトウモロコシの世話をする仕事にかかわることは一族のたいへんな誉れとされ、氏族の長がこの役につきました。ホピの子供たちはひとり残らず自分用のトウモロコシの穂を、母親を象徴するものとしてひとつ持って育ちます。子供たちが大人になって、各人が自分の宗教的な秘密結社に、自分を母親のようにやさしく包み込んでくれる組織に加わるとき、通過儀礼としてそれまで大事にしてきた自分のトウモロコシの穂を聖壇にささげて、社会の一員になるのです」
ホピはトウモロコシと共にこの母なる大地の世話をすることを定められた人たちであり、ホピの人たちがトウモロコシと共にあり続けている間は、地球は大丈夫だという話を聞かされたことがあるのだが。(おわり)
「The Arctic Studies Center[北極圏研究センター(スミソニアン自然史国立博物館)]」を紹介します。北海道から、シベリア、ベーリング海沿岸、アラスカまでのネイティブ・ピープルについての基礎的な情報がネットで手に入れられます。オンラインの展示も充実しているのが特徴で、たとえばアイヌの歴史や文化や信仰やアートについても、英語ではありますが、日本のどの博物館よりもわかりやすく、ていねいに、そしてスミソニアンならではのリスペクトのはらいかたで、見せてくれます。アイヌのスピリットを日本の文化の枠組みのなかでとらえるのではなく、北極圏(北部太平洋沿岸地域)文化のなかのひとつとして認識することの重要さは、『
トウモロコシ、スカッシュ、豆、メロン、そうした作物の他にホピの人たちが長年にわたって栽培してきた植物で忘れてはならないものに「瓢(ひさご)」がある。いわゆるヒョウタンだ。
ホピの人たちもはるか大昔からこれを栽培し続けてきた。大きさも大小色々自在に作れたし、熟すると皮が固くなるので、なかの果肉をとりだして、さらに乾燥させてさまざまな容器としたり、カップや、スプーン、しゃもじ、ひしゃく、水筒(右写真)、種入れ、薬入れ、いろいろな笛、ガラガラなど、さまざまな目的の道具として活用した。
ペッパーは夏になると熟しはじめ、熟す先からシーズンをとおして収穫され続ける。そして秋の最初の霜がおりると、畑で残っていたペッパーはひとつのこらずすべてが収穫され、紐にとおされて家のドアの前にずらっとつり下げられることになる。これは収穫の秋のホピの村々の風物詩みたいなものだ。
ロッキーマウンテン・ニュース・コム(RockyMountainNews.com)が「
「杖道(じょうどう)」という武道がある。「杖(じょう)」と呼ばれるものを使う武術で、その昔は「杖術」といったらしい。「杖(じょう)」とは「棒」であり「つえ」のことである。まずこれだけをとりだして武道と呼んでよいのかわからないけれど、ぼくはそれを武道のひとつとして認識している。今調べてみたら「

「天地人和合の道」を唱えたこの偉大な人物については、単に合気道という武道の観点からではなく、日本列島のスピリットを受け継ぐ存在としての観点から理解されなくてはならないし、いずれそうなるだろうと思っている。生前の植芝翁についての話はいろいろな本やサイトに書かれているので興味ある方はお読みになってください。
ホピの人たちが好んで栽培するスカッシュは、縞のはいったヘチマカボチャといわれる種類である。5月下旬から6月の上旬にかけて植えつけがおこなわれて、秋遅く霜が降りたあとで収穫される。カボチャの肉果は茹であげられたり焼かれたりして食用となる。大部分は天日に干されて冬のあいだの貴重な食料となるのだ。まずは厚い皮の部分が取り払われて、小さく分けられたものが、長い紐に通されて太陽に干されてから保存される。(左の写真は


ホピはアメリカ南西部の過酷で美しい高原沙漠に暮らし続けてきた人たちであり、アメリカ・インディアンのなかで最も神秘的とされ、その精神力の強さから全インディアンの部族や国人から一目置かれている人たちである。「ホピ」とは「平和な人」を意味し、彼らはけっして武器を取って争わないことで知られてきた。沙漠という強烈な太陽と極端に水の少ない大地に、千数百年前から自らの意志で定住して、トウモロコシを中心にした農耕生活を送り続けている。背が小さく、小柄で、髪も目も黒く、われわれと同じモンゴロイドであり、「日本人」などとも背格好が良く似ている人たちである。
