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Tuesday, February 28, 2006

ホピ・ファーミング 地球に生きる人たちの農耕技術考 5

の光が強烈な夏の間は、少年を含めて男たちがほとんどの畑の作物の管理をしているようだ。女性たちはなにもしていないかというとそうではなく、彼女たちも必要とあらば村にほど近いところにある畑の定期的な水やりなどはしている。

男たちの中には毎日の畑仕事、とくにトウモロコシの畑の作業をするために沙漠の熱波のなかを何マイルも徒歩で出かけるものも少なくない。聞いた話では昔のじいさんたちはみんな駆け足で遠くの畑に出向くのが普通だったという。伝統的に彼らは走ることが好きなのは間違いない。いまだに走ることはホピの伝統的な生き方の一部となっている。

hopiplantingstick大地を生身の女性として認識しているホピの人たちにとっての最初の農具は、大地に負荷を極力かけないプランティングスティックという先をとがらせた木製の棒で、これで苗を植えるための穴を地面に穿つ。(左の写真を参照。1918年にアリゾナのポラッカというところで撮影されたもの。コーン・プランティングスティックは最初に創造主から与えられた農具とされる。)またホピの人たちは畑の雑草を処理するためには柄のついた鍬も使う。鍬の刃は昔は石で作られていたそうだ。木製の鍬もあったという話も聞く。だが今では鉄製の鍬を使うのがあたりまえのようになっている。

鉄の鍬をホピにもたらしたのはスペイン人との遭遇だった。スペインの工業製品やメキシコの鍛冶屋が鉄の刃の鍬をホピにもたらした。便利なものの導入にきわめて用心深かったホピの人たちが農具としてつぎに発見したのが缶詰用のブリキの缶で、これの上下をくりぬいたもので苗を囲うようにして鼠などに食べられるのを防いだり、沙漠の風で倒されたりしないようにした。また彼らはかかしも作った。

ホピの人たちが沙漠の畑で育てているトウモロコシはわれわれが知っているようにそう背が高く育たない。せいぜい1メートル50センチぐらいの高さである。しかし種はかなり深いところに埋めるので、そのトウモロコシは地中深いところにまでしっかりと根をはって水脈を探し求めている。

季節がよくなって成長をはじめると、その穂の多くはまだ若く緑色のうちに収穫されて乾燥される。実の色に応じて残されるものがきめられていき、それらが収穫されるのはさやに収まってからということになる。

そうやって実になる前に摘まれた穂は、乾燥されて室内にきちんと山のように積まれて薪にされることになる。冬になると時々その乾燥された若い穂の山は戸外の風通しのよいところに持ち出されてほこりを払われて虫干しをされている。このスイートコーンの若い小さな穂は、収穫の季節となり、ホピの人たちが畑に掘った穴でトウモロコシを蒸し焼きにするとき、穴のなかであらかじめ焚かれる燃料にされる。

1年分の収穫されたトウモロコシは、ファーザー・コーンと呼ばれる種となるトウモロコシをのぞいて、残りは一度にほとんどが畑の側に掘られた穴の自然のオーブンのなかで2日から3日をかけて皮付きのままじっくり蒸し焼きにされる。

そうやって蒸し焼きにされて取り出された最初のトウモロコシは一族のなかの最年長の女性に食べてもらうことになっていて、マザー・コーンと呼ばれる。

トウモロコシが蒸されてから数日は全員がトウモロコシを食べる宴が続く。犬も猫もトウモロコシを食べる。その宴が終わると、残ったトウモロコシは皮をむかれて紐に結わかれて太陽光のなかで日干しにされて冬の食料などになる。

普通は実がばらばらにされることはなく、トウモロコシは一本一本が乾燥されたまま家の中につるされて貯蔵される。ホピの人たちはいろいろな色のトウモロコシをつくっているが、食料の基本になるのは白いつぶつぶのトウモロコシであり、この白い粒のトウモロコシは単に食料にされるばかりでなく、轢いて粉にしたものが、ホピのありとあらゆる儀式において神聖な清めの粉として用いられる。

hopicorn白い粒のトウモロコシは5月か6月になるまで定植されることはなく、収穫も10月まではおこなわれない。ホピの人たちは他にも青や赤や紫やピンクや黄色などの各種のトウモロコシを栽培している。しかし21世になった今では、ホピの人たちも苦労の多い食料生産としてのトウモロコシ栽培を放棄して、儀式に必要なわずかな量のトウモロコシしか栽培しない人たちも増えたという記事がつい最近のアリゾナの新聞に出ていた。ホピは変わり、世界も又それにつれて変わりつつある。

ホピの人たちがトウモロコシから離れると、いったいなにが起きるのだろうか? 

20世紀初めにある文化人類学者が次のように書き記した。

「トウモロコシは実際にそれを食料にすることによって人びとの暮らしを支えているという意味でも彼らの母親なのです。種となるトウモロコシの世話をする仕事にかかわることは一族のたいへんな誉れとされ、氏族の長がこの役につきました。ホピの子供たちはひとり残らず自分用のトウモロコシの穂を、母親を象徴するものとしてひとつ持って育ちます。子供たちが大人になって、各人が自分の宗教的な秘密結社に、自分を母親のようにやさしく包み込んでくれる組織に加わるとき、通過儀礼としてそれまで大事にしてきた自分のトウモロコシの穂を聖壇にささげて、社会の一員になるのです」

ホピはトウモロコシと共にこの母なる大地の世話をすることを定められた人たちであり、ホピの人たちがトウモロコシと共にあり続けている間は、地球は大丈夫だという話を聞かされたことがあるのだが。(おわり)

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Friday, February 24, 2006

ノーザン・スピリットの世界へ

alaskanativesThe Arctic Studies Center[北極圏研究センター(スミソニアン自然史国立博物館)]」を紹介します。北海道から、シベリア、ベーリング海沿岸、アラスカまでのネイティブ・ピープルについての基礎的な情報がネットで手に入れられます。オンラインの展示も充実しているのが特徴で、たとえばアイヌの歴史や文化や信仰やアートについても、英語ではありますが、日本のどの博物館よりもわかりやすく、ていねいに、そしてスミソニアンならではのリスペクトのはらいかたで、見せてくれます。アイヌのスピリットを日本の文化の枠組みのなかでとらえるのではなく、北極圏(北部太平洋沿岸地域)文化のなかのひとつとして認識することの重要さは、『ネイティブ・タイム』のなかで小生が伝えたかったものと共通するものですし、アイヌやアリュートの人たちの生き方を「地球に生きる人の道」として認識するための概念を獲得するためにも、時間を惜しまずこの博物館の展示サイトのなかを存分にさまよってみてください。

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Thursday, February 23, 2006

なぜ「母なる地球」というのだろう?

「われわれが立っているこの大地は神聖なものだ。それはわれわれの先祖の血であり肉が土となったものである」
プレンティ・クープス クロウ 19世紀末の偉大なチーフ

母なる地球はすべてのいのちの源であり、同時にすべてのいのちが還ってゆくところでもある。彼女はわれわれにいのちを与える。人生という旅の間、彼女はわれわれを育み養い、われわれが彼女のもとに帰り着くのを待ち続ける。地球に生きる人の道とは、地球を自分たちの祖先の大地として認識することにほかならない。地球のうえのある場所が聖地とされたり、聖なる空間と認識されたりするのもおそらく同じ理由による。この大地は、そのままわれらの先祖そのものなのであり、われわれは誰もがみな等しく、地球のことを自分のこととして、自分の遠い先祖が生きていた土地として、考えなくてはならない。母なる地球を、愛し、いたわり、敬うことをしなくてはならない。

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Wednesday, February 22, 2006

ホピ・ファーミング 地球に生きる人たちの農耕技術考 4

hopi_rattleウモロコシ、スカッシュ、豆、メロン、そうした作物の他にホピの人たちが長年にわたって栽培してきた植物で忘れてはならないものに「瓢(ひさご)」がある。いわゆるヒョウタンだ。

これは世界で最も古くから地球に生きる人たちに栽培されていた作物で、アフリカ原産のうり科の夕顔の一種とされる。人間が道具を使う動物であることを証明するように、日本列島でも今から五千年以上もまえに、ネイティブ・ジャパニーズによって栽培されていたことが明らかになっている。

gourdホピの人たちもはるか大昔からこれを栽培し続けてきた。大きさも大小色々自在に作れたし、熟すると皮が固くなるので、なかの果肉をとりだして、さらに乾燥させてさまざまな容器としたり、カップや、スプーン、しゃもじ、ひしゃく、水筒(右写真)、種入れ、薬入れ、いろいろな笛、ガラガラなど、さまざまな目的の道具として活用した。

ホピの人たちは必用とする道具の大きさに合わせてヒョウタンの種をまく土を選んだという。良く肥えた土に播けば大きいヒョウタンが作れるし、やせた土壌では小振りなものが作れた。

またホピの人たちが栽培する主要な作物のひとつとに果物の桃がある。「イート・ア・ピーチ」の「ピーチ」だ。桃はたくさん栽培されているし、他にも果樹は、りんご、アプリコット、洋なし、ブドウ、サクランボなどが作り続けられている。

ホピの人たちはご存知のように「卓上台地」「メサ」と名づけられた、急峻な崖の上の平らな土地に村をつくって生活しているわけで、ごつごつした岩だらけのメサの崖のしたにはアメリカ南西部の沙漠がどこまでも広がっているのだが、果樹の大半はそうした崖下にある砂地か砂丘に植えられている。

現代ではそうした果樹の苗木のほとんどが種苗会社から購入されたものだ。しかし、環境が厳しいだけにどんな作物も収穫は常に不安定だと言っていい。遅霜にやられたり、雹の嵐にうたれたりで全滅してしまうことも珍しいことではない。それでも収穫があるときには、果実は新鮮なうちに口にはいるか、あるいは大量にあまれば天日で干されてドライフルーツとして保存される。彼らは桃の実もなかを開いて太陽光で乾燥させてドライフルーツに加工するのだ。

またわずかでも水を使える畑では、チリ・ペッパーが栽培されることが多い。どんなものであれ栽培される作物は、普通室内の苗床で育てられ、霜のおそれがなくなってから戸外の畑に定植される。

chilliペッパーは夏になると熟しはじめ、熟す先からシーズンをとおして収穫され続ける。そして秋の最初の霜がおりると、畑で残っていたペッパーはひとつのこらずすべてが収穫され、紐にとおされて家のドアの前にずらっとつり下げられることになる。これは収穫の秋のホピの村々の風物詩みたいなものだ。

今ではたくさんの種類のペッパーが各地から導入され、比較的皮の厚めのペッパーが人気をはくしているようだが、収穫されたペッパーは一度なかを開かれて種を全部取り出してから紐にとおされて乾燥されることになっている。

もともと農耕に長けていたホピの人たちのなかには、最近、自分たちの泉の近くに小さいながらも畑を作る人たちが少なからずいて、その人たちはビーツ、にんじん、キュウリ、レタス、トマトといった作物を栽培している。またその絞り汁が甘味料になる稲科の作物の砂糖モロコシ(スイートソルガム)を人びとに提供するために栽培している人もいる。(つづく)

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Tuesday, February 21, 2006

このスライドショーを体験されたし

newsロッキーマウンテン・ニュース・コム(RockyMountainNews.com)が「あるひとりのインディアンの戦士のための通夜(A wake for an Indian warrior)」という写真によるスライド・ショーを提供している。今年の1月7日に中東(イラク、ファルージャ)の戦闘で死亡したブレット・ランドストロム海兵隊伍長(22歳・ラコタ)の星条旗にくるまれた遺体が、霊柩車によって生まれ故郷のサウスダコタの、大平原の真ん中の、カイルという人口1000人にみたない町に礼装をした海兵隊員たちによって運ばれてきたシーンからスライドジョーははじまっている。二車線のまっすぐにのびた道の上で、その遺体は父親が手綱を握る馬車に移されて、パインリッジ・インディアン・リザベーションの通夜の会場である彼が通っていた学校の体育館まで運ばれようとしているのだ。写真につけられたコメントには「彼は彼の政府からアメリカの国旗をもらい受けた。そして彼の一族の者たちからはイーグルの羽根をもらい受ける」というラコタのベトナム帰還兵の言葉がそえられている。

全部で17枚の写真で構成された「あるひとりのインディアンの戦士のための通夜(A wake for an Indian warrior)」をとおして見ていくと、実にいろいろなことを考えさせられる。戦争、国家、権力、民族、部族、家族、儀式、祈り、ヴィジョン、スピリット、重荷、悲しみ、生と死・・・

現代を生きるネーティブ・ピープルとはいかなる人たちか、戦争とはなにを人びとの心に残すのかを理解する意味でも、ぜひこのスライドショーを体験してみてください。

MAY YOUR SPIRIT BE STRONG.

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Monday, February 20, 2006

杖のメディスン・パワー

staff2「杖道(じょうどう)」という武道がある。「杖(じょう)」と呼ばれるものを使う武術で、その昔は「杖術」といったらしい。「杖(じょう)」とは「棒」であり「つえ」のことである。まずこれだけをとりだして武道と呼んでよいのかわからないけれど、ぼくはそれを武道のひとつとして認識している。今調べてみたら「東京都杖道連盟公式ホームページ」というのがあるし、そこでは「神道夢想流杖術(しんとうむそうりゅうじょうじゅつ)」を学べるようになっていた。そして「武道に縁のない人々にはまったく知られていないのが実状」と嘆きともとれる言葉が記されていた。

さまざまな武道といわれるもののなかにこの「杖」が武具として使われているが、この「杖」がシャーマニズムとかなり密接に関係していることはあまり知られていない。ここに掲載したさまざまな図版(達磨大師から指輪物語の魔法使いまで)はいろんなところから拾ってきたものだが、みんな手に杖を持っていることに注目して欲しい。

staff3  staff4

最近たまたまその一部抜粋を読む機会があった「Vital Breath of the DAO: Chinese Shamanic Tiger Qigong」という、正確には「老虎功」という「気功」についての新刊本の中に「古代中国のシャーマニズムでは杖は宇宙の力をあらわすものだった」という記述がある。この本の中で著者のウ老師(Master Zhongxian Wu)はさらに「杖を手にしたシャーマンは万能の知を他に受け渡す力を持つのだ。時を経ていわゆる学校の教師とされる人たちがシャーマンの仕事の一部をとりあげた以降、教師たちはシャーマンのように短い棒をつねに手に持って生徒を教えるようになっている」と書いている。

シャーマンと杖について思い出すのは、ぼくがネバダの沙漠で出会ったメディスンマンのローリング・サンダーが杖をもちいたまるで武道のようなものを教えていたことである。同時に彼はぼくに、「ウエシバモリヘイ」という人物について熱く語ってくれた。サンフランシスコで、その人物の武道の演技を収録したビデオを見せられて、ひどく感心したようだった。「彼の動き方はアメリカ・インディアンの動きそのものだ」と彼は言っていた。何年かしてぼくはアメリカから帰国して、「ウエシバモリヘイ」という人物が合気道の開祖の「植芝盛平」翁であることを知るのである。残念ながら彼の道場を訪ねたときには彼はすでに亡くなっていた。

next 百科事典ウィキペディア 植芝盛平の項

staff1「天地人和合の道」を唱えたこの偉大な人物については、単に合気道という武道の観点からではなく、日本列島のスピリットを受け継ぐ存在としての観点から理解されなくてはならないし、いずれそうなるだろうと思っている。生前の植芝翁についての話はいろいろな本やサイトに書かれているので興味ある方はお読みになってください。

ぼくがすすめるのは植芝盛平翁が生前作られて残してくれた「道歌」を集めて掲載してくれている合気道多田塾のサイトである。「道歌」とはさまざまな教えを「和歌」にしたもので、植芝翁の合気道の奥義を伝える道歌には、彼のスピリットがそのままこめられていて、折に触れてひとつの歌を繰り返し読んだりすると、彼がどのくらいシャーマン的存在だったかも伝わってきます。

next 植芝盛平道歌のサイト

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Friday, February 17, 2006

ホピ・ファーミング 地球に生きる人たちの農耕技術考 3

床の準備が整ったら、いよいよ植えつけである。植えつけに際しても、動力機械を使うことはない。彼らにとって農業は徹頭徹尾、機械でするものではないのである。

主に使う道具は、コーン・プランティング・スティックという棒である。またの名を「穴掘り棒」ともいう。樫のような硬質な木でつくった棒である。棒の一方は円く磨かれ、他方は先がとがっていたり、くさび形にされていたりする。この先のとがった方で地面に穴をあけるのだ。穴の深さは30から40センチほど。そうやって開けたひとつの穴に芽を出しているトウモロコシの種を6つから10ぐらいいれて土をかぶせる。

もともと水分の少ないアメリカ南西部の沙漠でトウモロコシを育てる人たちは、他の土地でトウモロコシを栽培する人たちとは違って、背の高いものをつくることよりも、地面のなかに根をしっかりとはってちょっとやそっとの風には負けないような背の低いものを育てる工夫をしてきた。

ホピの人たちの慣習では、この種植の作業は夫婦の共同作業で行うことになっている。お父さんが地面に穴をあけ、お母さんがその穴に種をいれて、足で土をかけていくのだ。

トウモロコシは畝で育てられる(神戸で映画『ホピの予言』を広める活動をしているランド・アンド・ライフのサイトの表紙にホピのトウモロコシ畑の写真がある)。トウモロコシの畑の畝と畝のあいだには、豆が植えられる。これは南米や中米でも長くおこなわれてきたやり方で、ホピの人たちは豆だけでなくさやも食べられるサヤインゲンのような豆類を植えることが多い。伝統的にはムラサキインゲンが育てられていたようだ。

そうやって作られた豆は天日で丸ごと乾燥され、保存食料となる。トウモロコシの畝と畝のあいだで育てられる可能性のある他の作物には、カボチャの一種であるスカッシュ、メロン、ヒョウタンなどもある。とくにスカッシュと豆とトウモロコシは、おそらくすべての農耕するインディアンたちにとっての定番の作物で、俗に「三姉妹(スリー・シスターズ)」と呼ばれて、この3つをコンパニオン・プランツとして一緒に育てることで違いに助け合って丈夫な作物が出来るのだとされる(この効果は近年ようやく科学的にも証明された)。しかしホピの人たちの場合だと、豆以外の作物は、彼らが暮らすメサと呼ばれる卓状台地のうえの村落の近くで育てられるケースが多い。トウモロコシは水分にセンシティブなためにメサの崖の下、村落から離れた畑で育てられるのだが。

paatangホピの人たちが好んで栽培するスカッシュは、縞のはいったヘチマカボチャといわれる種類である。5月下旬から6月の上旬にかけて植えつけがおこなわれて、秋遅く霜が降りたあとで収穫される。カボチャの肉果は茹であげられたり焼かれたりして食用となる。大部分は天日に干されて冬のあいだの貴重な食料となるのだ。まずは厚い皮の部分が取り払われて、小さく分けられたものが、長い紐に通されて太陽に干されてから保存される。(左の写真は昨年夏に日本で公開されたホルスト・アンテス氏所蔵のカチーナたちのひとつ、ヘチマカボチャのカチーナ)

またホピの人たちはメロンが大好きだ。ホピの人たちでなくてもメロンはみんな大好きだが、とくにホピの人たちはメロンを愛する。だからトウモロコシと同じように、いくつもの種類の異なるメロンを栽培してきた。そうしたなかからとくに味の良かったメロンの種を選んで保存してメロンを栽培し続けてきた。しかし最近のホピの人たちが育てているメロンは、近年になって導入されたおいしいメロンなのだが、これらは昔のメロンに比べると味はよいものの悪くなるのも早いという。

昔栽培していたようなメロンは保存がきいて、翌年の2月になる頃までは食べられたらしい。メロンやスカッシュの種も食用になった。そうした種は水分が完全になくなるまで火であぶられてローストされた。かりかりになった種はそのまま食べられたり、さらにはそれをつぶしてそこから少量の油をとり、そうやって集められた油はのちにトウモロコシの粉をつかって「ピキ」と呼ばれる紙のように薄いパンを焼く際に、焼いた石版のうえで用いられたのだった。(つづく)

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Thursday, February 16, 2006

冬の北斗七星と夏の北斗七星

テンという動物がいます。知ってますか? 日本列島にもいるのですよ。イタチに似ているのですが、イタチよりも大きいのです。乱獲がたたって、残念ながら今では動物園以外では滅多に出会うことはなくなっていますけれど。

このテン、地球の北半球に暮らすネイティブの人たちは、テンのことをたいてい「偉大な狩人」として認識しています。オジブエと呼ばれることもある亀の島のアニシナベの人たちも、この自然の狩人のことを長く尊敬の目で見つめてきました。こんな物語が彼らに語り継がれています。

昔、それはおそらくまだ人間がこの星にやってくる以前の話です。ある日、あまりの寒さにテンが震えながら仲間のカワウソとオオヤマネコとクズリの3人に向かって「この星がいちばん空の国に近いところに行ってみようじゃないか」と話しかけました。「空の国はいつでもぽかぽかと暖かいのだから、そこからなら暖かさを寒い地球まで持ち帰れるはずさ」

冬空のテン
wintersky
4人は連れ添って旅に出ました。高い山をどこまでも登り、だんだん空の国に近づいてゆきます。いちばん高く空の国に近づいたところで、テンがいいました。

「ぼくらはここが高く飛びあがり、空の割れ目から向こう側の国に入らなければならない」

まずカワウソがジャンプしました。ところが頭を空にいやというほどぶつけて山の頂に落ちてきました。オオヤマネコが続いて飛びあがりました。オオヤマネコも頭を空にぶつけて意識を失って落ちてきました。クズリは石頭でしたから、何度も何度も飛びあがっては空に体当たりを試み、何度か試すうちにようやく空に小さな裂け目ができました。テンは割れ目ができたのを見るとクズリに続いてジャンプをしてかろうじてその裂け目をくぐり抜けて空の国に入り込みました。

そこはたとえようもなく美しいところでした。しかもぽかぽかと暖かいのです。空の国から無数の鳥たちがその割れ目を通って下の国へ舞い降りました。暖かさが割れ目から地球に流れ込み、大地をおおっていた雪を溶かしました。

ところが暖かさが漏れだしていることに気づいたスカイ・ピープルが大きな声を出しました。

「泥棒だぞー!」

クズリはなんとか割れ目から逃げだすことができましたが、なんとかその割れ目を押し広げようとしていたテンは、スカイ・ピープルの射た矢にうたれて死んでしまいました。

夏空のテン
summersky
これを遠くから見ていた偉大なる精霊はけなげなテンを憐れみ、彼を生き返らせ、永遠に空の国に住まわせることにしたのです。

テンはわたしたちが「北斗七星」として知っている星座になりました。今でも毎年秋になると、空のテンは地球に向かって落ちてくるような姿を見せます。スカイ・ピープルがなんとか割れ目を閉じようとするから、冬が訪れるのです。そして夏になると、空のテンは再び空にのぼる姿となり、空の割れ目を開いてくれて、暖かさが返ってくるというわけなのです。

arrow2 岩手県立博物館でテンの解説を見る

arrow2 ももんちょ・らんどのアニマルギャラリー クズリ

arrow2 ももんちょ・らんどのアニマルギャラリー オオヤマネコ

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Wednesday, February 15, 2006

ホピ・ファーミング 地球に生きる人たちの農耕技術考 2

ピの人たちのトウモロコシ栽培は、2月の畑の準備からはじまる。彼らは地球を母なる大地と、一人の生きている女性と見ているので、農作業に際しては、その母親の肉体をはなはだしく傷つけるような鉄製の農機具などは一切使わない。耕耘機などはもってのほかなのである。

だからまずは畑となるひとつの区画の灌木やよけいな草が、くま手によってきれいにはらわれることになる。くま手はジャニパーと呼ばれる硬質な木の、先が3つに分かれている枝からつくられる。枝の皮をむき、それぞれの枝の長さを整え、その三本の枝に別のまっすぐな枝を渡して根本でしっかりと結わえて丈夫なくま手をつくる。これが、かれらの「伝統的なやり方」なのだという。

RitCal6トウモロコシの植えつけは、ホピの儀式のカレンダーに基づいて春の大祭が行われる4月におこなわれる。(掲載したのはホピの儀式の暦であり、左回りに見るようになっている。クリックで拡大)

すでに冬至が終わって新しい年のカチーナの季節もはじまっているが、この植えつけに先だって、ホピの人たちの暦では2月に「ポワム(ポワムヤ)」と呼ばれる浄化のための例祭がにぎにぎしく行われる。ポワムとは「聖なる豆の祭り」という意味である。

この儀式のためにホピの人たちはあらかじめ自分たちがこの年に植える豆とトウモロコシを発芽させた苗床を用意しておくことになっている。彼らの暮らす高原沙漠は、太陽の光があふれる沙漠とはいえ冬はマイナスになるぐらい寒く、ときには雪も降り積もる。トウモロコシや豆の苗床は、ホピの人が「キバ」と呼ぶ、地中につくられた聖なる空間のなか、小分けされたいくつもの小さな箱を用いて発芽させられる。

キバは地面の下につくられているし、その中心ではいつだって聖なる火が焚かれているから、キバのなかはほんのりと温かく、トウモロコシや豆たちが目を覚まして発芽するには理想的な環境になっているのである。ひとびとはこのキバでの発芽の状態から、この年のトウモロコシや豆の出来具合を判断するのだ。(つづく)

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Tuesday, February 14, 2006

ネイティブ・アメリカン・ラブ・ソング

バレンタインズ・デイですね。地球に生きている恋人たちのために、今日は特別にネイティブ・アメリカンの人たちに伝わっているラブソングを紹介しておきましょう。「わがこころの友だち」という歌の起源は定かではないのですが、特別な人のことを思う表現のスタイルは、恥ずかしがり屋の彼らの心を素直に表現していて、またいわゆるインディアン・ラブ・フルートの起源を伝える『愛の笛』のお話しにも通じるものを感じさせる、とても伝統的なものだと思います。

わがこころの友だち 試訳 北山耕平

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美しき君は たそがれの空の 白き星
そして 一日の終わりの
すみわたる空

だが君は それよりもなお
美しくて やさしくて
君は わがこころの 友だち

美しき君は たそがれの空の 白き星
そして 空の果てまで
流浪する月

だが君は それよりもなお
美しくて はるかに愛おしい
君は わがこころの 友だち

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Monday, February 13, 2006

ホピ・ファーミング 地球に生きる人たちの農耕技術考 1

日本で唯一の雑穀文化専門の雑誌である『つぶつぶ』(大谷ゆみこ責任編集・季刊)にぼくは毎号連載させてもらっている。そこに昨年の後半に2回にわたって書いたホピの人たちの農耕についての文章を、このブログにすこしずつ不定期に(ほかに書くことが見つからなかったり、生き抜くための仕事が立て込んでいたりするときに)掲載していこうと考えた。掲載にあたっては、若干手を加えてアップデートしてある。

hopimesahomesピはアメリカ南西部の過酷で美しい高原沙漠に暮らし続けてきた人たちであり、アメリカ・インディアンのなかで最も神秘的とされ、その精神力の強さから全インディアンの部族や国人から一目置かれている人たちである。「ホピ」とは「平和な人」を意味し、彼らはけっして武器を取って争わないことで知られてきた。沙漠という強烈な太陽と極端に水の少ない大地に、千数百年前から自らの意志で定住して、トウモロコシを中心にした農耕生活を送り続けている。背が小さく、小柄で、髪も目も黒く、われわれと同じモンゴロイドであり、「日本人」などとも背格好が良く似ている人たちである。

ものの記録によるとアメリカ合衆国のなかでもっとも長く人が住み続けている村はホピの国(ホピ・インディアン・リザベーション)のなかにある。彼らの暮らす土地はどこからも遠く隔絶していて、それがために長いこと西欧文明の流入を防いできたとも言える。もちろん現代では事情は様変わりしていて、日本人同様に人びとの生活スタイルは西洋スタイルになってはいるが、いずれにしてもアメリカのなかで最も隔絶した——「世界のどこからも遠いところ」と表現する人もいれば、「どこだかわからないところの真ん中」という人もいる——ところで暮らしていることはまちがいない。しかし彼らは自分たちの暮らす沙漠を「地球の中心」「宇宙の中心」と信じて、そのおそろしくかつ美しい大地で「今の世界がはじまった時に偉大なる精霊から教わった質素でスピリチュアルなな生き方」を実践してきた。ホピの国は地球のバランスを保つための重要な場所なのであり、そこで起こっていることは世界で起こっていることの縮図なのだと彼らは信じている。

その農地は沙漠である。沙漠というのは、海がそのまま干上がったような景観をしている。極端に水分が少ないから、晴れている時には永遠までもが見えるといわれるぐらいに遠くまでが見える。木々や草などは沙漠に対応したものをのぞいてほとんど見あたらない。山は大地がむき出しのままであり、ときに雨が降ると枯れていた大地に一気に水が流れて表土を押し流すこともある。

ホピの人たちは被害を最小にするためにそうやって押し流される大地から少しはずれた縁や切り立った崖の下などのところにトウモロコシの畑を作ってきた。彼らはトウモロコシが自ら水を探すことをよく知っているのだ。トウモロコシの身になって彼らが根で湿り気を探しやすい場所を畑に選ぶ知恵を、彼らはいまだに失っていないのである。(つづく)

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Sunday, February 12, 2006

ダンスがいのちとつながっている理由を探して

ネイティブ・アメリカンのダンスについて調べているうちに、なぜかダンスそのものにも興味を持つようになり、偶然手に入れた本の中でつぎのような表現を見つけた。この本の著者のアンナ・ハルプリンという人は、『癒しの技術としてのダンス(Dance As a Healing Art: Returning to Health Through Movement & Imagery )』とか『いのちにむかう動き(Moving Toward Life: 5 Decades of Transformational Dance )』といった書物をこれまでに出版していて、残念ながら日本語としてはまだ紹介されていないらしいのだが、彼女は癌やエイズ(AIDS)やその他の生命を脅かす病とされるものにダンスなどのからだの動きやイメージを使ってたちむかう方法を指導してきたこの世界の第一人者であり、サンフランシスコ・ダンサーズ・ワークショップの創設者でもあり、それよりもなによりもアメリカで最も影響力のあるダンサーとされるその世界では知らぬ人のいない同時代を生きる偉大な人物だ。彼女はこう書いている。

(ダンスを)教え続けているうちに、ひとつあきらかになったことは、なにかの動きをからだで体験することは、長いことこころの奥に埋められたままになっていた未知の感情やイメージを想起させる思いにつながっているということでした。そうした感情やイメージがからだの動きをとおして、ダンスをとおして、表現されたとき、そしてそうしたダンスが、わたしたちのいのちとつながったとき、劇的なまでの解放感をもたらし、それはわたしたちの生きる意思を変化させるのです。


「ダンスと動きとイメージで健康に還る」
Returning to Health: With Dance, Movement and Imagery
Anna Halprin (著)

ペーパーバック: サイズ(cm):
出版社: Liferhythm ; ISBN: 0940795221 ; (2002/10/07)

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Friday, February 10, 2006

グラミー賞の最優秀ネイティブ・アメリカン・ミュージック・アルバム

sacredgrounds昨日ロスアンジェルスで発表された第48回グラミー賞で『Sacred Ground: A Tribute to Mother Earth(聖なる大地 母なる地球への贈り物)』が「最優秀ネイティブ・アメリカン・ミュージック・アルバム」に選ばれた。当ブログで以前紹介(最新ネイティブ・アメリカン・ミュージック情報 Saturday, October 08, 2005)したリタ・クーリッジらが加わっているワレラ(Walela)、ビル・ミラー、ジョアン・シェナンドゥー、ロバート・ミラバル、リトル・ウルフ・バンドなどが参加しているアルバムで、昨年発売された現代ネイティブ・アメリカン音楽のなかでも最もクールなアルバムと評されたもの。プロデューサーはジム・ウィルソンという名前になっているが、じつは、ロビー・ロバートソン、ワレラ、リトル・ウルフ・バンドというネイティブ・アメリカン・ミュージックの3つの輝く星の集合体だ。もともと、昨年全米のPBSで放映された『ホームランド(国土)』というノンフィクションのドキュメンタリー(環境の汚染がどのぐらいネイティブ・アメリカンのリザベーションに被害を与えているかを調査した)番組のサウンドトラックとして制作されたコンセプトアルバムだそうだが、これはなかなかのおすすめです。ぼくはワレラとジョアン・シェナンドゥーが唄う「マザー・アース」が好きだな。タイトルジャケットをクリックすると amazon.co.jp の該当ページに飛ぶので、試聴用のさわりの部分だけでも聞いてください。

  Sacred Ground: A Tribute to Mother Earth

  1.Sacred Ground - Bill Miller
  2.Can You Hear the Call - Robert Mirabal
  3.Mountain Song - Star Nayea and Primeaux & Mike
  4.Spirit Wind - Bill MIller
  5.Seeking Light - Joanne Shenandoah
  6.Raven - Little Wolf Band
  7.People of Yesterday - Robert Mirabal
  8.Prayers in the Wind - Little Wolf Band
  9.Let Us Dance - Primeaux & Mike and David Carson
  10.Mother Earth - Walela and Joanne Shenanadoah

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Thursday, February 09, 2006

57年前にホピの国から合衆国大統領に宛てて送られた手紙

LETTER TO THE PRESIDENT FROM HOPI EMPIRE, 1949


のブログの読者であれば「ホピの予言」という言葉を何度か聞いているだろうし、ここにやってくるほどの人ならどこか別のところでも「ホピの予言」について耳にしたことがあるに違いない。ネイティブ・アメリカンのさまざまな部族に伝えられている予言とされるものはどれも、部族の長い歴史のなかから出現したものであり、その起源を一個人に求めるべきものではない。それはさながら地下の水脈のごときものであり、つねに今の彼らにも有形無形に影響を与え続けている。そうした予言的な物語のなかで、最もよく知られていて、その及ぼした影響が計り知れないものが「ホピの予言」だった。

伝統派と呼ばれた人たちに伝えられたホピの予言のあらましを知りたい人は、ランド・アンド・ライフのサイトに置かれている拙訳の『ホピ物語--生命の始まりから浄化の日まで』をお読みください。

北アリゾナの高原沙漠の中、世界のどこからも遠いと思われる大地に暮らすホピの人びと。現在は数えるほどになってしまった伝統派のホピの人たちが大きな発言力と影響力を持ってホピの人たちの先頭に立ち続けたのはいつ頃までのことだったろうか。今回紹介するのは1949年に「ホピの国から第33代アメリカ合衆国大統領ハリー・S・トルーマン宛に送られた親書」である。

トルーマンは日本国への原爆投下命令をを下した大統領でもあるが、内容をお読みになれば、この手紙の底流に流れているものが「ホピの予言」であることは、今では誰の目にも明らかだろう。1949年は、第二次世界大戦が終結して4年後、朝鮮戦争勃発の前年であり、アメリカは自ら種をまいた核戦争の恐怖にパラノイアになり始めていた。ホピはその前年、各氏族の宗教指導者を集めて会議を持ち、それまでの予言とされるものを新たに調べなおすと共に、一族の通詞・広報官としてトーマス・バニヤッカ氏ら4人を任命している。今回翻訳してみた親書を一読されれば、当時にはまだホピの国が伝統派の人たちの強力な指導力のもと、アステカやオルメカやインカなどともどこか通底する古代から続いた神聖皇国を形作っていたことが理解されるだろう。

hopisungod
ホピ・インディアン帝国 オライビ アリゾナ 1949年3月28日

大統領宛て
ホワイトハウス ワシントンDC

大統領殿

われわれ、ホテビラ、シュンゴパヴィ、ムシュンゴヴィのホピの村でそれぞれ先祖代々チーフの座にありつづけるものは、ここに謹んであなたに言葉を届ける。

われわれの伝統に基づく政体と宗教原理についての知恵と知識に徹底的に精通し、その神聖さによって認められて、ホピ帝国の大地にくまなく暮らすすべての一般の民のために、話し、行動し、与えられた職責と義務とを、われわれの偉大なる精霊であるマーサウとわれらの祖先によって与えられし生命の基本原理にしたがって遂行することを委任されたものとして、この大地にある合衆国政府らに、ホピの帝国が今なお存在し続けていること、その伝統の道はいまだ手つかずのままであること、その宗教的体制はいささかも損なわれることなく実践によって保たれていること、そしてホピ帝国の境界線が書き記されている石版がいまだにオライビとホテビラのチーフの手のなかにあることを知らせる目的で、われわれはここに1949年の3月9日、13日、26日、そして28日にホピの村のひとつであるシュンゴポヴィに参集した。

われわれの話すことはすべて、われわれのハートからのものである。われわれは自らの伝統と宗教に基づいて真実を話す。われわれは、あなた方がアメリカと呼ぶこの大地の最初の人びととして話す。そしてわれわれはあなたに、ひとりの白人に、わが大地の岸辺に信仰と言論と集会の自由と、そして生きる権利と自由の権利と幸福を追求する権利とを求めて最後にやってきたあなた方のひとりに向かって話す。そしてまたわれわれは、すべてのアメリカン・インディアンの人びとに向かっても話す。

今日、われわれホピと白人とは、われわれひとりひとりのいのちの十字路において、対峙することとなった。われわれのたどってきた小径は、ついに白人の道と交差した。そしてこれは、人間の歴史において最も決定的なものになると予言されていた。いずれの場所においても、人びとは混乱している。今われわれが決定を下すこと、これ以後われわれがなすことが、われわれ個々の命運を左右することになる。なぜなら、われわれホピの指導者たちは、われわれの伝統的な指図に従っているからであり、われわれは自らの地位をあなたにはっきり示さねばならぬし、同時に、あなたにも同じことをわれわれに向かってするよう期待するものである・・・

ホピの政治形態はもっぱら宗教と伝統の基礎の上に打ち立てられている。この大地における神のきめられたいのちの計画は、グレイトスピリットによって、マーサウによって解説されたものである。この計画は変更することができない。ホピのいのちはこの神の計画の基本的な原理にしたがっている。他に道はなく、われわれにできるのはこの道にしたがうことである。われわれには他の道などというものは存在しない・・・

この大地は、ホピの人間にとって、そしてこの大地のすべてのインディアンにとって、聖なるわが家である。ホピの人間にこの大地がさずけられたのは、武力に頼ることなく、謙虚な祈りによって、伝統的かつ宗教的な指図に忠実に従うことで、われらの偉大なる精霊マーサウに誠をつくすことで、この大地を守護するためである。われわれは今もなお独立したひとつの国である。われわれの旗はわれわれの大地の(われわれの古代の遺跡の)ありとあらゆるところに、今なおかかげられている。いかなる白人がわれわれの大地の岸辺にやってくるはるかにずっと以前から、われわれは自治独立した国の人びととしてあり続けた。偉大なる精霊が創り計画されたものは、地球のいかなる権力もこれを変えることはできない。

わが帝国の国境は未来永劫に確定されており、今なおわれわれのもとにある石版の上にそれは書き込まれている。別の石版は、われわれが最初の人間としてこの新しい大地に出現した後に、石版を持ってホピの元に戻るであろうことがわかったうえで東に向かった彼の白い友人に与えられた。われわれの石版と彼の石版がひとつになったとき、彼らが同意をすれば、この大地が真にホピに属するものであること、彼らが真の兄弟であることが世界に証明されることが判明するだろう。そのとき白い兄弟も秩序を取り戻し、ここにいるすべての人びとが自らの伝統と宗教的原理に心をつくしてきたことと、自分が自分の一族の人間の扱い方を誤ってきたこととを、判断することになろう・・・

われわれ伝統的指導者たちは、あなたとアメリカの人々が、われわれがしっかりと自らの伝統的宗教的な土台の上に立ち続けるであろうことを理解してくれることを望む。そしてわれわれが今このときにはいかなる外国にも自らを縛りつける意思がないことを理解してくれることを望む。われわれはあなたがたとともに、われわれが全面的な破滅に導くものとして理解している突飛で無謀な冒険にすすむことはありえない。われわれホピの統治の形態は、つねに起こりうる不測の事態にたいして準備ができている。これまでもわれわれは、遠くはスペイン人の侵略者たちにはじまり、昨今の合衆国政府にいたるまで、ただひとつの例外もなくみな判で押したように、武力によってわれわれの存在を家としての国ごと一掃する目的で、われわれの国の岸辺に姿をあらわしたほかのあらゆる豊かで強力な国々と相まみえてきた。われわれはわれわれ独自のやり方で自らの運命にたどりつくことを希望している。われわれには敵はいない。同様にまた、今は誰に対してもわれわれは自らの弓や矢を見せることはない。これこそが永遠の生命と幸福へ続く、われわれの唯一の道である。われわれの伝統的かつ宗教的な鍛錬は、相手が誰であれ、傷つけ、殺戮し、みだらな振る舞いをわれわれがすることを禁じてきた。われわれは、それがゆえに、わが一族の青少年たちが強制的に戦争の訓練を施され、殺人者や破壊者にされてしまうことに異議を申し立てる。本来であれば、あなたはわれわれを守護する立場にある。いったいこれまでに、武器を手にした国が、自国の民に平和と幸福をもたらしたことが、いまだかつてあっただろうか?

われわれの同意も、認知も、承諾もないまま、アメリカ合衆国憲法のもと作られてきた法律であるにもかかわらず、そのすべてがわれわれに、自らの宗教原理だけでなく、当の合衆国憲法の原理にも背くものとわれわれが理解するありとあらゆることを、無理強いしてきている。

そこでわれわれはあなたにたずねる。アメリカの人民たちよ、あなたたちにとって宗教とはなにか? 伝統とはなにか? われわれは今日、どこに立っているのか? すでに時は訪れている。われわれひとりひとりすべてが、一族の指導者として、自らを、自らの過去のおこないを、われわれの未来の計画を、いま一度見直すときである。審判の日がもうじきわれわれの上に降りてくる。手遅れにならないうちに大急ぎで自分たちの家を片付けようではないか。

われわれはここに述べたことが真実であると信ずる。そしてわれわれはわれわれの心の底より、以上の理由において、ホピの族長一同として、あなたができうるかぎり真摯にこれらのことを御考慮くださることを要請する。そしてこれらを綿密にかつ注意深く御考慮いただいた後に、できうる限りすみやかにご返答をいただきたい。これを送ることは、一族を代表するわれわれにとっての神聖な勤めである。ここに敬い謹んで親書を送る。


チーフ タラハフテワ 村長 熊氏族 シュンゴポヴィ
バセヴァヤァ 顧問 カチーナ氏族 シュンゴポヴィ
アンドリュー・ハーメクァフテワ 顧問 青い鳥氏族 シュンゴポヴィ
チーフ サックマサ 村吏 コヨーテ氏族 ムシュンゴヴィ
チーフ ジェイムス・ポンガヤウィマ 村長 火氏族 ホテヴィラ
チーフ ダン・カチョンバ 顧問 主席補佐 太陽氏族 ホテヴィラ

▼ Original English Text below

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Tuesday, February 07, 2006

サークルを見ること

いのちはことごとく輪を描く。
ローリング・サンダー チェロキー


原子は丸い。軌道は円を描いている。地球も、太陽も、月も丸い。季節は輪を描いて巡る。いのちの環は回り続ける。赤ん坊、若者、大人、老人。太陽は地球にいのちを与え、地球は木々にいのちを与え、木々は地球に新しい種を落としてそこからまた新しい木が育つ。これはひとつの例だが、ことほどさようにいのちの世界は輪を描いている。輪、円、丸、球。わたしたちには、グレイトスピリットによってもたらされるものすべてをサークルとして見るための訓練が必要である。なぜなら、そうやってほんとうに大切なものがサークルを描いていることを知れば知るほど、わたしたちの物事の仕組みの理解が深まっていくのだから。すべてのサークルを理解し、それらの輪、円、丸、球を敬い、それらと調和をとれた生活を送る必要がある。

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Saturday, February 04, 2006

物憂げな立ち姿のカウィチャンの乙女

当ブログ右サイドバー巻頭の Peace な写真を差し替えた。今月は「Cowichan girl」を選んだ。1912年にエドワード・カーティスが公開した写真で、タイトルは「カウィチャンの乙女」である。「Cowichan」は、正しくは「Quw'utsun'」と記され、北西太平洋沿岸、現在のブリティッシュ・コロンビアにある土地の名前であり、そこをテリトリーとしていた海の人びとの呼び名である。カナダのネイティブの女性たちが編んだ寒さに強いセーターに、カウチン・セーターとされるものがあるが、このカウチンが「カウィチャン」のことである。

カウィチャンはサリッシュ族に属する。日本人のベースになった海人族と同じように「天孫神話」を持つが、彼らは、「自分たちの遠い先祖は空から落ちてきた」と表現する。天より降臨したのではなく、間違って落っこちたところが人間らしくてステキではあります。それも一度にまとまってではなく、カウィチャンのテリトリーのあちこちに離ればなれに落ちてきたらしい。空から落ちてきた人たちは特別な知の持ち主で、やなという魚をつかまえる仕掛けの作り方とか、鹿のつかまえ方、聖なる儀式と祈りの言葉のような生存に必要な知をあらかじめ持っていたとされる。

写真をクリックすると拡大されるし、拡大写真の下にある「Higher resolution JPEG version」をクリックすると、より解像度の大きな鮮明な写真が見れる。カウィチャンの乙女は、大きな岩の上に立って、物憂げなまなざしで入り江を眺めている。長い黒髪が印象的だが、身にまとっているのは、山羊の毛を編んで作ったローブで、解説には「高貴な家柄の人間だけが着ることを許されるもの」であるそうだ。

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ネイティブ・ピープルにとって学ぶとはどんなことなのか?

伝統的な世界における知というのは、死んだ事実の寄せ集めなどではない。彼らにとって知は生き物なのである。当然それにはスピリットがあり、それに固有の場所に暮らしている。伝統的な知は、見ることや聞くことをとおしてもたらされるが、それもただ見ていたり聞いていたりすれば良しとする学校のようなやり方ではない。知は、歌や儀式を直接に体験し、狩猟や採集などの日常活動をとおして、植物や動物や鉱物から、あるときには夢のなかで、またあるときにはヴィジョンのなかでもたらされる。なにかを学んで知ると言うことは、知のスピリットたちと、植物や動物や鉱物と、生きている夢やヴィジョンと、そして人間のスピリットと網の目のようにつながる世界に、あなたがはいることを意味している。

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Friday, February 03, 2006

探し求めるべきものとは

真理というものはただ腰をおろして、そのことについて話していればよいと言うようなものではないのだ。物事はそのようにはなっていない。人は真理とともに生きなくてはならんし、その一部にならなくてはならない。そのことがおまえにもいずれわかるときがくるだろう。
ローリング・サンダー チェロキー


わたしたちは誰もが本を読む。そして、本には多くの情報が入っている。そうしたなかのひとつの言葉が、なぜか頭にこびりついて離れないようなことがしばしばあるだろう。ネイティブの人たちはよく、われわれのなかには小さなフクロウが住んでいるという。そのフクロウの名前を「知」という。フクロウはわれわれに話しかけ、導き、そして育む。情報がもたらされたとき、われわれはしばしば感じることがある。それを生きるとなるとたいへんだけれど、それについて話すのは楽なものだと。でも、ネイティブの知者はいう。大切なのは地球に生きたものの道を生きることだと。自ら言葉として発するものを生きよと。もしわれわれがこの人生においてほんとうの自由を得たいのであれば、ほんとうの幸福を手に入れたいのであれば、ほんとうの心の平安を求めているのであれば、われわれが探し求めるべきものこそ真理そのものである。ほんとうのことが知りたい。

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Thursday, February 02, 2006

いじわるな狩猟監督官

せっかくおいでいただいて恐縮ですが、この記事は、書籍化にともなって、削除されました。ここにあったジョークは『インディアンは笑う』(マーブルトロン発行・発売中央公論社)に、改訂版が収録されています。どうか本でお笑いください。
北山耕平 拝

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