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Sunday, January 01, 2006

犬たちの選挙の話

さらだけれど、昨年の選挙の結果は衝撃的だった。思い切り落胆した知りあいが何人もいる。選挙って言うのはこわいものだということがよくわかった。ぼくたちは小さいときから選挙というものに馴らされている。小学校のクラス委員選挙あたりから。何でもかんでも選挙、選挙、選挙だものね。これがありがたい民主主義だと思っている。

なんで選挙のことを書いているかというと、アメリカ・インディアンの年寄りのなかに選挙に文句を言う人が結構いたからなのだ。アメリカは選挙でできている国みたいなもので、なにかというと投票になる。「自分たちのところでは2500年間ぐらい選挙なんてしないでやってきたのだ」とラコタのエルダーだったレイム・ディアー爺さまも言っていた。「なかったのは選挙だけじゃない。牢屋も、酒場も、銀行も、狂ったような教会も、裁判所も、税金も、弁護士も、判事も、電話も、そんなものはなにひとつなくてもやってこれた。ところが白人さんたちは、わしらのそういうシステムをもっと改善できると思いこんでいた。そう、選挙という手段を使えばな。一昔前のフル・ブラッドのじいさんたちだったら、まずそんなうまい話には乗らなかった。乗るわけがない。ワシントンにある白人の政府がわしらインディアンのためになにか良いことをするとはとても思えなかったし、その白人政府が傀儡として作りあげた部族会議だって似たようなもので信ずるに値しないからな。もともとわしらは数千年にわたって自分たちを聖なるしきたりにならってひとつにまとめあげてきていたのだ。あの連中にはわからんのだろうが、わしらにはそのやり方がわかっていた。別に誰の力を借りる必要もないのだ」そういうと彼は、犬たちの選挙についてのちょっとした話を聞かせてくれた。ちょうど犬の年のはじまりなので、この話をしておこう。



昔むかし、犬たちが大統領を選ぶために選挙をすることになった。犬たちの代表が集まって大きな会議が開かれ、なかのひとりがこう発言した。

「ブルドッグを大統領に推薦する。ブルドッグは強くて、いざというときには戦えるからな」

「でもあいつは足がのろいぞ」別の犬が言った。「あんなにのろまなくせに、ほんとうに戦えるのだろうか? あれでは敵にみんな逃げられてしまうに決まっている」

すると別の犬が勢いよく立ちあがって言った。「大統領にするならグレイハウンドがよい。彼の足は折り紙付きだ。その足の速さは半端ではないぞ」

ところがそれを聞いた犬という犬がこぞって不満そうな声を張り上げた。「だめだめ。足が速いのは認めるが、グレイハウンドでは戦いにならない。いくじなしだからな。敵を追いかけておいついたはいいが、その後でどうなると思うのさ。捕まえたつもりが逆に捕まってこっぴどく打ちつけられちまうにきまってる。その程度のやつだからな」

ケンケンガクガクと会議は続いた。あるとき見てくれのよくない小さな雑種の犬が発言を求めた。「わたしは、尻尾の付け根の裏側の匂いがよい犬を大統領にすべきだと提案します」

すると別の雑種の犬が勢いよく立ちあがって「賛成! それがいい!」と声をあげた。

さあそうなると犬たちはいっせいに色めき立って、あちこちでみな勝手に近くにいる犬の尻尾の付け根の裏側の匂いをくんくんとかぎはじめた。

「く、くせえなぁ、おまえ!」

「あいつの臭いはひどいや」

「や、こいつもたまらん臭いだ」

「くさいぞ、くさい。ひどい臭いだなあ、キミは」

「こんなくさいやつが大統領だなんてとんでもない!」

「われわれ人民はこんなにひどい臭いの持ち主を望んではいない!」

「なんておまえはケツの付け根の臭いがくさいんだ」

「こんな臭いの候補者なんてまっぴらさ」

というわけで、散歩の途中で犬たちと出会ったらよく観察してみるといい。あいつらはいまだに自分たちの指導者をきめかねている。尻尾の付け根の裏側がよいにおいのする犬を、今も必死に探し続けているのだ。

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Comments

たとえば十人のなかまと一緒に昼飯を食おうとして店を決めるとき、そのうち九人が四川料理が食べたいと言っても残る一人が辛いものはとても食べられないひとだったら、辛くないうまいものを食べれるようすることも出来る。関わっているみんなが気持ちよく物事をすすめられることを大事にしていれば。
多数決というのはひとりひとりを大切にする関係を無視することで成り立っている。そうして人間の組織は個の尊厳をないがしろにして機械のように作動する。
「ひと」は自分の目のとどかないところへも影響を与えるものだが、まずは目のとどくひとびとを大事にしないといけないね。これは視覚としての「目」ではないけれど。
大勢の個に紛らわされる生活で、目を確かに開いているのはとてもしんどくなってしまうので、現代人の多くが閉じてしまうのだろうけど、でもワカンタンカとの交流はこうした目をよーく開いていかないと生まれない。

イヌは飼われることでニンゲンに近いものとなってしまったが、やまに棲み続ける狼だったらこんな選挙はしない。ひとりひとりがかけがえのない大事な役割を持っているということをよく知っているから。

Posted by: 山竒 | Monday, January 02, 2006 at 04:27 PM

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