偉大な謎に向かって祈る
当ブログ右サイドバー巻頭の Peace な写真を差し替えた。祈りのある写真を探してこの「Prayer to the Mystery」を選んだ。1907年にエドワード・カーティスが公開した写真で、タイトルを直訳すると「謎に向かって祈る人」となるが、この場合の「Mystery」は「謎」「神秘」「ミステリ」とするよりも「グレイトスピリット」のほうがふさわしいのかもしれない。グレイトスピリットは、ネイティブ・アメリカン・ピープルの信仰の中核にある概念で、「およそ言葉にできないとてつもない謎のような存在」のことである。もちろん「グレイトスピリット」という言葉が最初からあったわけではない。部族によってその指し示す対象を表現する言葉は当然のことながら全部異なっているものの、その対象となる存在にたいする認識は一致していたので、それを便宜的に表現するために通詞によって選ばれた言葉だ。「グレイト・ミステリ」「偉大な謎」と表現されることもあるし、「おそろしいまでに聖なる力」と言われることだってある。
われわれはいとも簡単に「神」という言葉を今では用いるが、それは「神」という言葉では言い表せないなにかをあらかじめ持たされているのだろう。「神」という言葉を使うことでそれが理解できるのかというとけしてそうではないと思う。「神」という「漢字」でも、「偉大な精霊」をあらわす「Great Spirit(グレイトスピリット)」という「英語」でもおよそ表現しきれないものがその概念のなかにはある。それに最も近いところにある言葉はやはり「謎」なのかもしれないと、ぼくは個人的に考えている。「人間には謎が必要だ」と言われたことがある。科学は世界から「謎を一掃する」目的で今日まで突き進んできた。しかし一日24時間を高度に豊かな精神生活(信仰と儀式)のなかで過ごすネイティブの人たちは「謎をすべて解明してはならない」と戒める。言葉では説明できないものが人間が生きていくためには必要なのであると。そこでここに選び出した写真のタイトルが「謎に向かって祈る人」となる。
写真をクリックされると拡大されるし、拡大された写真の下にある「Higher resolution JPEG version」をクリックされると、さらに解像度の高い写真をご覧になることができる。被写体とされた彼はローズバッド居留地に暮らしていたピケット・ピンという名前のオグララ・ラコタに属する人間で、拡大されたこの一枚の写真を見てみると、パイプの吸い口を空に向かって掲げている彼の足下にバッファローの頭骨があることがわかる。これが平原インディアンにとってのいうならば「祭壇」「神棚」のような役割を果たすものである。彼らはその全生活をスピリット・アニマルであるバッファローという存在に依存してきた。天と地をつなぐところに人間が立っているというきわめてネイティブの精神世界を象徴する一枚の写真だ。
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Comments
神という言葉は、現代日本人なら長い白鬚のおじいさんを思い浮かべるでしょうか。あるいはにこやかに笑った宝船に乗っている映像かな。
漢字の「神」は雷の象形文字だそうです。やまとことばの「かみ」は「上」に通じ上の方から影響を及ぼすものという意味で、人知を超えた不可思議なものという畏敬の念があったようです。ほかにも「ふとまに」は「もろもろのものが繋がり合って生み出された」、「おおみたま」は「おおいなる目に見えない中心のもの」とも訳せそうで、ワカンタンカに通じると思います。
ことばにどんな意味を込めるかは使うひとしだいですが、もともとこの弓の島にもネイティブのこころと智慧が流れていたことを感じつつ言葉をつかえればいいなとおもっています。
Posted by: 山竒 | Monday, January 02, 2006 03:42 PM