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Tuesday, January 31, 2006

アイデンティティー偽装事件の深く暗い闇

thebloodrunss極貧のインディアン・リザベーションに病がちの体の弱い子として生まれたひとりのネイティブ・アメリカンの作家が「血は河のごとくわが夢のなかを流る(The Blood Runs like a River Through My Dreams)」というエッセーをエスクァイアという雑誌に発表したのは1999年のことだった。後にこの作品は全米雑誌作品大賞を獲得し、当然の流れとして同名のタイトルで大幅に書き足されたものが単行本化された。『血は河のごとくわが夢のなかを流る』(2000年、左カバー写真)そしてこの本がベストセラーになってアメリカの大衆の涙をおおいに誘ってしまったことから、話はいっそうややこしくなる。まるでどこかで聞いたような話ではないか。アメリカのベストセラーが日本で翻訳出版される可能性が高いので、まだ本が出ていないうちにこの事実だけは書いておかなくてはならない。

この「血は河のごとくわが夢のなかを流る(The Blood Runs like a River Through My Dreams)」というベストセラーの作者は、「Nasdijj」と名のり、自分はナバホの母親と白人の父親の間に生まれたと主張していた。メディアの批評も好意的で、「ひとりの偉大なネイティブ・アメリカンの回顧録」「マルチ・カルチャー文学の最高峰」「切なさが胸を打つ最高傑作」などと盛大にもてはやされ、これがまた売り上げを伸ばすのに拍車をかけた。映画化の話まで持ちあがっていたという。いやはやほんとうにどこかで聞いたような話ではないか。

この「Nasdijj」という人物がじつはネイティブ・アメリカンではなく、白人のSMとゲイ・ポルノ小説作家のティモシー・バラス(Timothy Barrus)だとすっぱ抜いたのはLAウィークリーという雑誌の今年の1月下旬に刊行された記事だった。記事は「偽ナバホ」というタイトルで「Nasdijj」なる人物の出現から現在までに迫っていくルポになっている。(「NAVAHOAX」by Matthew Fleischer Saturday, January 28, 2006

「Nasdijj」を名乗った人物はまったくいつわりのアイデンティティーを想像のなかで創りあげ、自分をネイティブになりすまして数冊のベストセラーをこれまでに残した。『少年と犬は寝ている』(2003年)『ジェロニモの骨——ぼくたち兄弟の思いで』(2004年)の2冊はアメリカの大手出版社が刊行した。今では日本の amazon.co.jpでも、彼の著書の一覧 からハードカバー、ソフトカバーの両方を手に入れることが可能だ。

こうしたなりすましによる偽のインディアンの本はもちろんこれがはじめてではない。アメリカではほぼ10年に一度ぐらいの間隔で定期的に起こっている現象だ。そのきわめつけがアサ・カーターことフォレスト・カーターという極右グループ「クークルックスクランKKK」に属する白人優越主義者による『リトル・トリーの教育』という自称「伝記」本で、アサ・カーターがKKKの創始者であったナタニエル・ベドフォード・フォレストに捧げた(そして著者の名前にフォレストを暗号のように用いた)のではないかといわれるいわくつきの小説本だが、この本については少し前に記事にしてあるのでもうこれ以上は触れたくない。

「Nasdijj」の書いた本も、ここ数年同じようにアメリカの大衆の心をとらえてきた。試しに「Nasdijj」の名前でグーグルを検索すると、この本に心を打たれた人たちのページがいくつもある。日本人の方の記事もある。そしてここでもリトル・トリーのときと同じように「心を打つ潔さと強さ」への賛辞にあふれる批評が目白押しだ。

しかし「Nasdijj」の書いたものは当のネイティブの人たちの目から見るとリアリティを決定的に欠いているものだという。「Nasdijj」がおそらく剽窃したとされるもととなるお話しを書いて本にしていたのが、ネイティブ・アメリカンの作家の新世代として高く評価されるスポケーン・トライブ出身のシャーマン・アレクシーだが、彼は非常に早い時期に「Nasdijj」の書くものが彼の作品からの盗作であるらしいことに気がついていた。「血は河のごとくわが夢のなかを流る(The Blood Runs like a River Through My Dreams)」はシャーマン・アレクシーが1993年に発表した「アリゾナのフェニックスではそれはこのような意味である」という短編小説をもとにして書かれていて、そのシャーマン・アレクシーは今年の1月29日のTIMEマガジンのアメリカ版に「Nasdijj」についての短いけれど的確な内容の記事(「盗まれた話が自分のものだったとき——偉大なネイティブ・アメリカンの回顧録ともてはやされた本の著者にはイカサマの香り」)を提供しているが、その中で彼はこう書いた。

「ネイティブ・アメリカンの作家のひとりとして、また、マルチカルチャーのなかで育った人間として、わたしが心配したのは、このNasdijjなる人物が、文才のある怒れる白人として、多文化で育つものたちを嘲笑う目的で自らをネイティブ・アメリカンになりすましているのではないかということだった。いつか自分のなりすましが白日のもとにさらされたとき、彼が『な、みんなもこれでわかったろう、多文化のなかで育つなんてことはリアルでも、特別でもないんだ。こんなものは誰にでも書けるんだぜ』と大声で主張しないともかぎらないではないか」
When the Story Stolen Is Your Own by SHERMAN ALEXIE,
TIME Magazine on line edition, Posted Sunday, Jan. 29, 2006.

Nasdijjなるネイティブ・アメリカンになりすまして大金を稼いだ人物の創りあげた小説が、心温まる美しい実話として世の中に広まって一人歩きしてしまうことで最も傷つくのが他ならぬネイティブ・アメリカンであることを忘れてはならない。こうしたアイデンティティーの偽装の背景にあるものを、ネイティブ・アメリカンに関心を持つものは、今後もつねにしっかりと見続けている必要があるだろう。

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Comments

この問題について、Indian Country Today という新聞が最新号で「Fakers and phonies and frauds, egad: There ought to be a law」という記事を掲載しています。

http://www.indiancountry.com/content.cfm?id=1096412438

書店は、少なくともその本を読む人間には、その本を書いた人間が先住民としてのバックグラウンドや経験から書かれたものか、想像力によってつくりだされたものかを伝えるべきではないかと、至極まっとうなことが書かれています。

Posted by: Kitayama "Smiling Cloud" Kohei | Saturday, February 11, 2006 at 10:59 PM

リトルトリーの話が、嘘とわかった時には、「感動したからいいじゃない。」なんて思っていたけど…。
例えば「キレイだなぁと思ってかった物について」 何が規準で本物だと言うのか…。ニセモノとわかった時にホンモノと思っていた心は、なんなのか。
私には、真実を見抜く事が出来るのか…、やはり、嘘は嘘、想像は想像って伝えるべきです!
前に討論されていた、日本人としての教育の話みたい、嘘だと気付かなかったなんて。

Posted by: 美紀子 | Thursday, February 16, 2006 at 08:17 AM

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