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Saturday, January 07, 2006

フォレスト・カーターよ、あなたはリトル・トリーなのですか?

littletreeじつは mixi の「インディアンスピリット」というコミュニティで「リトル・トリーという本」というタイトルのトピックがたっていて、そこで『リトル・トリー』という本についてさまざまな意見があることをたまたま通りがけに読んで、あれが作られたリアリティーなのだというほんとうのことが知らされていないままだったことにいささか驚愕して、ぼくも年齢を考えずに、「あの本は自伝ではなく、小説家が頭のなかで創りだした作品なのだ」などといくつか発言したりした。トピックは、『リトル・トリー』という本が、白人至上主義者で極右のKKKの人間によって書かれた小説であることにたいする驚きとためいきにそこかしこであふれ、「それでもあの本は美しいのだ」「書いた人間を見ないで本だけを見よ」といった発言が飛び交っていた。

この本(The Education of Little Tree)にたいするぼくのスタンスははっきりしている。1991年にノンフィクションとしてベストセラーとなったオリジナル版(The Education of Little Tree: A True Story, by Forrest Carter, the autobiography of a Cherokee Indian's boyhood in Tennessee / テネシーで少年時代を過ごしたチェロキー・インディアンの自伝・フォレスト・カーターによる実話物語)を、もともと500ドルという格安で版権を購入して刊行した「インディアン本の権威」であるニューメキシコ大学出版局(University of New Mexico Press)も、それまでたいして売れないでいた「ひとりのインディアンの伝記」の出版権を購入した当初は、実話・自伝と信じ切っていたであろうことは間違いないのだが、実際はチェロキーでもインディアンでもない——いわんや原著の初版本の著者紹介が述べていたような「チェロキー・ネーション認定のストーリーテラー」などでもまったくない——という著者の生い立ちなどが明らかになった今では、フォレスト・カーターの『リトル・トリー』ははっきりと「小説」であることを示した上で販売されるべきもの——事実アメリカでは、発売後25年もたった90年代の半ばから「表紙」の「実話物語」が消されて、かわりに「虚構(フィクション)」や「小説(ノベル)」の文字が印刷されるようになっている——のであり、これを「ひとりのチェロキーとの混血が幼少時を回想して書きつづった清らかな自伝」と信じ込んではならないというものである。

オクラホマ大学のエイミー・カリオ・ボールマンという博士号を持つ人がウェブ(リトル・トリーの教育とフォレスト・カーター——わかっていることと調べればわかること)に書いているように「自身の人種差別主義者としての信念を、ネイティブ・アメリカン、特にチェロキーの哲学のなかの口当たりが良くておとなしくてわかりやすい言葉に結びつけて、全体を優しさと寛容さと尊敬という甘いベールに包んで大成功した小説としての本」の出来はともかく、これを「あるネイティブの家族を描いた自伝的作品」として発売した(発売を続けている)ことはまずいのではないかと思う。あくまでも小説でないとして公開され続けるのならこれは「偽書」のたぐい(かつてにも『チーフ・レッド・フォックスの回想(The Memoirs of Chief Red Fox)』という本が日米で刊行されたことがあり、この本も実在しないインディアンの人物を騙って白人の小説家が書いたものだとあとになって発覚し、絶版になった)であり、このままベストセラーとなったこれを「実話」としたまま見過ごしてしまうことは、他のブラック・エルク、フールズ・クロウ、レイム・ディアーなどたくさんのネイティブ・アメリカン・ピープルのほんものの自伝や伝記の信憑性すら疑われかねなくしてしまう危険性を秘めているのだから。

フォレスト・カーターことアサ・カーターは、職業はラジオ番組の作家であり、政治家のスピーチライターであり、極右白人至上主義団体のアジテーター兼職業的指導者として給与をもらっていて、酒におぼれるようになってから金を稼ぐために何冊か西部にまつわる小説も書いた。KKKのある支部のリーダーでもあった。

チェロキー出身の作家であり評論家のギアリー・ホブスン(Geary Hobson)は1995年に公開した書簡のなかで、カーターは「チェロキーの文化についてほとんどなにも知らない」「彼がリトル・トリーのなかでチェロキーの風習として描いていることや、チェロキーの言葉はどれも不正確」と書いている。作品の出来の美的判断としてはもちろん異論のあるところでもあるだろうが、そこに意図的かどうかはともかくも、反ネイティブ・アメリカン的ななにか——純粋さへの極端なこだわり——が見え隠れしていることを、あらかじめ認識した上で、読者は作者がなにを伝えようとしたのかを知るために、もう一度あの本を読み返すべきだろう。自分があの本の中のどの部分に心を動かされたのかを確認しておくことは、けして無駄なことではないと思う。

ここに掲載したのは彼が放送作家時代の写真であり、リトル・トリーの日本語の初版にだけ掲載されて(以後は消されてしまった)彼の肖像写真(左側)であります。

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Comments

ひえ~、今の今まで知りませんでした。 私はこの本を図書館から借りて読んだのですが、掲載されている写真に見覚えがあるので、初版だったと思われます。 それにしても、「じゃあ、私のあの感動はなんだったの?」と思わざるをえないです、、、 これで「ジェロニモ」もフィクションだったら私はどうしませう、、、

Posted by: 胡蝶 | Saturday, January 07, 2006 at 09:35 PM

笑雲さんはやはり北山さんでしたね。もしかしたらと思っていたんです。
mixiとココでのコメントと合わせて北山さんの言わんとしていることがようやく分かったような気がします。僕自身はリトルトリーという本に対してもフォレストカーターなる人物、またKKKやその他の歴史的背景に関しては無知に近い者でした。ただ単純に読んで感動した本の作者がこんな人でしたよと聞いてそれでショックを受けた、、、mixiではあのトピのせいでいろんな人の想いを傷つけてしまったように思えてその点で苦しかったです。けれどもいろんな意見に混乱などすることではなかったんですね。

「ひとりのチェロキーとの混血が幼少時を回想して書きつづった清らかな自伝」と信じ込んではならない。

もう一度なんで自分が感動してしまったのか検証し向き合ってみたいと思います。多分いまの自分だと最初に読んだ時とは全くチガウ感想を持つと思います。
ありがとうございました。

Posted by: ひでろー | Sunday, January 08, 2006 at 12:52 AM

ひでろーさん
ぼくは貴兄に感謝しています。このことについてはこの10年以上いつか伝えなくてはならないと感じていながらその機会をつかまえられないでいたからです。ぼくにとってこの本のことをきちんと書くことは義務のようなものだったのですが、あの「神を待ちのぞむ」のサイトの作者さんにある部分を明け渡してしまった感がありました。とてもまじめな方でしたので、このデリケートな問題もうまく扱っていただけるだろうと。そしてひでろーさんがたてた mixi のあのトピックと出会うことになったわけです。しかしあの場でまとまったことを述べることは至難の業でありますから、ブログの記事にしておこうと決意したわけで、2日をかけて二本のエントリーを書き上げて、ようやく自分の思いのかなりの部分を伝えることができたことを、とりあえずぼくとしてはうれしく思うのです。

Posted by: Kitayama "Smiling Cloud" Kohei | Sunday, January 08, 2006 at 11:59 PM

北山さんと同じく、私もあなたがしたことに感謝しています。私はひでろーさんからこのことを知りました。

英語の格言で、"Truth hurts, but silence kills"というものがあります。

たとえ異国の地日本での出来事であれ、彼らの現実や(本に対する)批判などから目をそむけて、読まれ続けることはアメリカ先住民族にとって好ましいことではないと思います。

本当にアメリカ先住民族の人々や彼らの文化や社会(伝統といわれるものから現代のものまで)に興味を持つのならば、Mixiで展開されたリトルツリー論争は必要なものであると思います。

Posted by: ハマンダ | Monday, January 09, 2006 at 07:18 AM

ちょうどお正月ごろ
なんとなく「リトル・トリーって本昔持ってたよな」
と思い出し、気になって
某古本屋に行くと105円で売ってたにもかかわらず
「うーーーん。何かピンとこないな・・・」と
買わずに帰り
次の日たまたま北山さんのこのHPをみつけると
ちょうど最新の記事にこの本のことが載っていて
偶然の一致とはいえドキドキしました。

Posted by: tipi | Tuesday, January 10, 2006 at 09:01 PM

時の輪でに参加者で、いただいたメールで読みました。
「リトルトリー」は、10年以上前、良い本だという情報で安くないのに買って、
こだわり本屋をやってた知人も、感動したと聞いたのですが、なぜか、読めない。途中まで読むんだが、読めない。それが不思議だった。
作者が、kkkだったと知って、そのせいかなと、でも、多くの人に感動させたなら、読み物としてでも、と、思ったけど、なぜだか読めないという気になってしまう、読めそうでいて読めない変な気持ちになる奇妙な本。
自分の中に、すてきな人たちがすばらしい本と、
言っているのに、読めないトラウマみたいなものがあったかも。
北山さんのお話を読んで、自分が無意識に不自然を感じ取った微妙な不快感と思ったら、さっぱりした!

Posted by: 夢草 | Monday, January 30, 2006 at 04:00 PM

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