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Thursday, January 26, 2006

自給自足の暮らしから遠く離れて

つらつら思うに、先住民の知恵が伝えているのは、結局のところ「自給自足のための技術」ということになるのではなかろうか。おそらくこの「自給自足」というのが、あらゆる点で「自由への鍵を握るもの」であることは間違いない。経済的な意味でも、また詩的な意味でも。

ほとんど街の子として育ったぼくは、アメリカ・インディアンの世界を体験したあとは都会で生活することが精神的にできなくなってしまった。ほとんどなにもなかったところからなんでもあるところにもどってきたのだからそれも仕方がないといえばいえる。ぼくは心の内側と外側のバランスをとりながら、最小の経済活動をしつつ、東京から百キロ近く離れた地方の町のはずれで生活してきた。富士山麓、熱海、宇佐見、中伊豆の修善寺、そして神奈川県津久井町、そして現在の座間まで、ほんとうにすこしずつ東京に近づいてきた。ここ5年ほどはいわゆる郊外生活に浸っている。アーバン・ライフである。ここまでくれば街の生活とほとんど差はないにもかかわらず、東京に出て行くときはまだ身構えている自分を発見したりする。でも生活はもう自給自足から遠く離れたところにある。子どもや家族に食べさせるもののほとんどはお金とひきかえに購入せざるを得ない暮らしだ。税金も電話代もガス代も電気代も払う。

街の暮らしは便利なものであるけれど、それは実際はつねに誰かに頼って生活しているものなわけで、そうやって誰かに依存して生きているかぎり絶対に自由にはなれない。よくわかっている。すすんで牢屋に入っているようなものだ。現実的に言うなら、今の日本で誰にも頼ることなく自分と自分の家族で暮らしていくことは不可能だろう。つまり日本列島においては本質的に「自由」はあらかた失われてしまっている。そうやって文明生活に依存しつづけていれば、その依存している文明の終わりは、依存している人たちにとっても終わりということになる。今の日本のシステムの終わりは、そのシステムに依存している人たちの終焉である。

ぼくがネイティブの人たちにひかれたのは、彼らが「自由とはなにか」を知っている人たちだったからである。彼らは「自給自足のための技術」をかろうじて持ち続けていた。もちろんすべてそうしたものを失って普通の文明人として生きている人たちも数多くいたが、それでも「自由とはなにか」をかろうじてまだ心のなかのどこかで知っているような雰囲気だけは漂っていた。しかもそうやって生きている自分を全面的に信頼する独立独行の人たちとも数多く会うことができた。

しかし「自給自足のための技術」を持つ人たちが、完ぺきに自由でいられるかというと、じつはそうでもないのだから話は複雑になってくる。なぜなら、自給自足の暮らしは、それを可能にする自然環境に全面的に依存している生活に他ならないからである。自然界に全面的に依存した暮らしは、この惑星が育み養っているたくさんのいのちに依存していると言うことで、地球規模で進行中の自然環境の崩壊は結局のところそのまま死を意味する。

つまり今では「自給自足のための技術」は、ただ自由になるためのものだけではなく、自然界を生き残らせ、自分たちもその中で生き残っていくための知恵として、これをぼくたちは再評価し、生活のなかに取り入れていく必要があるようになりつつあるのではないかと、すっかり便利な暮らしにつかりながら頭の片隅で考えている今日この頃であります。

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Comments

つい最近まで、昭和の初めまでは「自給自足」で生きている家族集団が、この弓の島にもいた。彼らは山や川、海から日々の糧を得、家族を単位とした仲間同士でたすけ合い、一族に伝わる言葉と、生きる術と、物語を根にもちながら暮らしていた。税金も払わず、戸籍に名前も無く、金銭が無いからといって悲観することの一切ない生活をしていた。自然界からいただいた材料で道具を作り「里人」と物々交換することはあったけれど、そのときに「かね」という物と交換することはあったけれど、それが生きるための命綱となることはなかった。みづからをなんと呼んでいたのかはよくわからないが、「里人」からはサンカ・渡り者など、様々に呼ばれていた。
今の山村に暮らすあるていど年配のひとたちも、「自給自足」で生きていると言えないこともないかもしれない。彼らの糧は確かに金で買うものもあるが、それが無くなったとしても生きていけるだけの糧を山からもらっていると思う。もちろん畑の作物も含めてだが、大豆で味噌を作り、五右衛門風呂のような樽をいくつも白菜の漬物でいっぱいにして春まで食べたり、そのほか薪でとる暖、沢から引いた水、夕日とともに寝て朝日の昇る前に起きている生活は自給自足が不可能であるとは見えない日々である。ただ、意識の上では完全に自給自足は消えている。

暖をとるための木々を山から担いでおりているとき、自分がとてつもなく大きなものに包まれていることを実感する。それは自分の小ささの自覚と切りはなせないものだけど、そのおおきなもののあたたかさを味わうときでもある。無条件に優しくあたたかいのではない。真剣な厳しさをともなう、ある意味で容赦の無いものだ。しかしそこに、たしかな命の脈動を感じる。

完全にすべてが我がものになるのが自由なら、生きているだれにも自由は無い。ひとはすべて、この地球のからだの一部を借りてここにいるのだから。
おれはおれが、なにかに依存して生きる=不自由を嫌っていたが、長年月かけてわかったことは人間の生み出した不条理に依存していることが嫌いなのだ、ということ。
大地を母、太陽を父とする自然界に依存して生きるのは、このうえない満足を感じる。
きっと野生の生きものたち、ネイティブのひとびとも、おなじ満足を味わいながら生きているのだろう。いまも未だいないとは言い切れないこの島の山の民たちも。

Posted by: 山竒 | Thursday, January 26, 2006 at 09:08 PM

自給自足の話から、私は経験していない戦後の青空学校のことを考えました。ある意味その頃の子どもたちは現代と比較して豊かだったのかなと考えます。物がないこと、不便なこと、めんどくさいこと、時間がかかること、試行錯誤することは本当の豊かさへの架け橋だったのでしょう。僕らはもう一度、再生する必要があるのでしょう。朝、早起きして森の中を散歩するだけでも何か違いますね。

Posted by: alone | Friday, January 27, 2006 at 07:46 PM

自給自足に憧れながら、便利な文明社会の暮らしを手放せない自分がいます。北山さんのおっしゃること、大きくうなずきながら納得です。

少し前に変な夢を見ました。
猛禽類の鳥や草花、小動物などがコラージュのようなイメージ
になって現れるとWhat is going to cost us to protect themという言葉が頭に浮かびました。その翌日はやはり夢の中に白頭鷲と梟が出てきました。
その日、Jared DiamondのCollapseという本を片手に主人が出張から帰ってきました。
何かの掲示?果たして本当にそのようなものがあるのだろうか?あったとしたらちょっと怖い・・・と思う日々です。
ちなみに私達家族は便利な暮らしにどっぷり首までつかっている状態です。しかもカフェイン、アルコール、なんでもアリの暮らしで神聖な暮らしからは程遠いところにいるので、いい加減にしなさいよ!というメッセージだったのでしょう。

余談ですが、持ち物を最小限にして極シンプルな暮らしにしたら幸福感、充実感が倍増したといっている経済学者がいました。人それぞれなのかもしれませんが・・・

Posted by: hehaka sapa | Friday, January 27, 2006 at 11:16 PM

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